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    芸人「流出」テレビ戦線に異常あり

    活躍の場をユーチューブに求める著名人が増えている。特にお笑い界では昨年、大物芸人らの「参入」が話題を呼び、テレビ業界から見れば「流出」だ。テレビ業界も調査指標を変えるなどして番組制作に勤しむが、「主戦場」が変わりつつある中、テレビはいつまで優位でいられるだろうか。(写真はゲッティイメージズ)

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    YouTubeは「都落ち」にあらず、大物芸人らが変える主戦場の今

    ラリー遠田(お笑い評論家) 少し前までのお笑い業界では「芸人がユーチューブをやるのはダサい」という空気があった。プロの芸人の主戦場はライブとテレビであり、それ以外のネットメディアなどは格が低いものと見られていた。 ライブでは生身の観客から笑いをもぎ取る。テレビはそもそも出ること自体が1つのステータスであり、そこでは歴戦の実力派芸人によるハイレベルな掛け合いが繰り広げられている。 そのような「戦場」に比べると、一般人でも気軽に参入できるユーチューブは、プロの芸人にとっては格下のメディアだと思われていた。そのため、そこで必死になるのはみっともないという漠然としたイメージがあった。 だが、今ではそのように考える芸人はほとんどいないだろう。潮目が変わったきっかけは、2018年にキングコングの梶原雄太が「カジサック」としてユーチューブチャンネルを始めたことだ。「2019年の年末までに登録者数が100万人に達しなかったら芸人を引退する」と宣言して、不退転の覚悟を示した。 ユーチューブを片手間で始める芸人も多かった中で、梶原は本気で取り組み、密度の濃い動画を配信し続けた。努力のかいあって19年には登録者数が100万人を突破して、現在では人気ユーチューバーの地位を確立している。 梶原のような名の知れた芸人がユーチューブで結果を出したことで、芸人がユーチューブに参入する動きが活発になった。梶原に触発されてオリエンタルラジオの中田敦彦が19年に始めた「中田敦彦のYouTube大学」は、本稿執筆時点で登録者数337万人を超えており、芸人ユーチューバーの中ではトップクラスの人気を誇っている。 2020年には大物芸人の参入も相次いだ。雨上がり決死隊の宮迫博之、ロンドンブーツ1号2号、東野幸治、とんねるずの石橋貴明など、テレビで冠番組を持つようなレベルの大物らが、続々とユーチューブの世界に足を踏み入れて話題をさらっていった。インタビューを受けるカジサック(キングコング・梶原雄太)=2019年4月、大阪市中央区の吉本興業本社 芸人の立場から見ると、ユーチューブはテレビよりも企画の自由度が高く、やりたいことをそのままの形でやることができる。さらに、ある程度の再生回数を獲得すれば、テレビに劣らないほどの収入を得ることもできる。大物芸人が本気で取り組む価値のあるメディアだと認識されるようになったのだ。視聴率調査も変化 さらに、2020年には中田と宮迫が「Win Win Wiiin(ウィンウィンウィーン)」というトークバラエティー番組をユーチューブで立ち上げた。企業がスポンサーとして制作費を出しているというのが画期的だった。 同番組ではテレビと同じように豪華なセットを作り込み、ゲストからテレビでは聞けない本音を引き出していく。初回のゲストとしてジャニーズ事務所を辞めて独立したばかりの手越祐也が出演したことも話題になった。 「テレビ番組のようなクオリティーの高いユーチューブ番組」を作るというのは、特筆すべき新しい動きである。今後、このような番組が増えれば、ユーチューブとテレビの間の壁は、ますます薄くなっていくだろう。 ユーチューブの世界は芸人の本格参入で盛り上がっているが、テレビも負けてはいない。昨年のテレビバラエティー界は、新型コロナウイルスの流行で一時的に大打撃を受けたが、明るい話題もあった。若い世代向けのお笑い番組がどんどん増えてきたことだ。 その理由は、世帯ごとに視聴された割合を表す「世帯視聴率」重視から、実際に視聴した人数をもとに表す「個人視聴率」重視にテレビ局がかじを切ったからだ。簡単に言うと、中高年向けの番組よりも若い世代に向けた番組を作るべきだということになった。こうして若者向けのコンテンツとしてお笑い番組が再評価されるようになり、その手の企画が増えた。 この流れの先陣を切ったのが、昨年4月にレギュラー番組化した「有吉の壁」(日本テレビ系)である。この番組がゴールデンタイムという「一等地」で大成功を収めたことに触発されて、お笑い番組が一気に増えた。 特に注目されているのが、芸人が持ちネタを披露する、いわゆる「ネタ番組」である。「ザ・ベストワン」(TBS系)、「NETA FESTIVAL JAPAN」(日本テレビ系)、「ネタジェネバトル」(テレビ朝日系)、「お笑い二刀流MUSASHI」(テレビ朝日系)、「千鳥のクセがスゴいネタGP」(フジテレビ系)などが各局で放送されるようになった。 1組ずつ芸人が舞台に立つ形式のネタ番組は、感染リスクが低いためコロナ時代にふさわしい。実力派のベテランから第七世代のフレッシュな若手まで、幅広い層の芸人が出てくるのも魅力的である。オリエンタルラジオの中田敦彦と藤森慎吾=2017年12月、東京都品川区の大井競馬場(奈良武撮影) ユーチューブが盛り上がる一方、テレビの笑いも新たな盛り上がりを見せており、2021年もこの傾向は続くだろう。新型コロナ終息のきざしはまだ見えないが、お笑い界の未来は決して暗くはない。

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    戦後以来の国難、渡辺大が映画「日本独立」で実感する芸能の真価

    渡辺大インタビュー 今回、映画「日本独立」に出演させていただきましたが、伊藤俊也監督とのお仕事は、およそ10年ぶりです。1968年に東京都府中市で起きた3億円強奪事件をモチーフにした映画「ロストクライム―閃光」(2010年7月公開)でご一緒させていただいて以来でしたので、とても緊張しました。 ですが、「ロストクライム」に参加して以降、たいへん光栄なことですが、伊藤監督にかわいがっていただき、年末年始にはお手紙でやり取りさせてもらっている中で、「『日本独立』のような作品を作りたい」というお話は聞いていましたので、喜びはひとしおでした。 また、10年経った現在、伊藤監督は83歳になられますが、作品に対するエネルギー量は衰えるどころか、エネルギッシュさが増しているように感じ、私も負けていられないなという気持ちが湧いてきました。 伊藤監督から「この10年何をやってきたんだ」と思われてはならないというプレッシャーもありましたが、期待に応えられるよう撮影に挑みました。 「日本独立」は、現在の日本国憲法がどのようにして作られたのか、という終戦から憲法改正、そして独立に至る歴史の裏側を、当時外務大臣であった吉田茂と、彼の側近として活躍した白洲次郎の2人を軸に描いています。 私が演じた、元海軍将校で小説家、吉田満の書著「戦艦大和ノ最期」は、優れた大東亜戦争の戦記文学であり、彼自身終戦直後の動乱の中で非常に重要な役割を果たしていました。白洲次郎や吉田茂と直接的な関わりはないものの、間接的に日本国憲法の草案などに影響を与えた重要な役どころです。「日本独立」で吉田満役を演じる渡辺大(©2020「日本独立」製作委員) 吉田満に思いを馳せれば、当時は米軍、つまりは連合国軍総司令部(GHQ)の思惑もあり、彼は本当に伝えたかったことが伝えられず、無念ではあったと思います。 ですが、その思いは後世に引き継がれ、今回の「日本独立」のような映像作品を通して、日本国憲法がどのような背景で作られ、今日に至ったのかを多くの人に知ってもらえる機会になったことは、演じる私としても非常に感慨深いものがあります。戦後の動乱期と被る今 憲法の存在自体は学校で学ぶので広く知られていても、戦後どのようにして作られていったのかという背景には深く触れられず、重要視されていないのが現状ではないでしょうか。 ただ、改めて考えれば、私たち日本人すべてに密接に関わっているものであることは間違いないわけですから、しっかりとそこに焦点を当て、学び考えることは大切だと思います。 とはいえ、座学だけで理解するのは難しいかもしれません。だから映画を通して身近でかつ重要な歴史として知っていただきたい。日本国憲法として改正されるまでにどのような苦悩があって今日に至ったのかを知ることは、今後の未来の日本を作っていく上でも重要になるでしょう。 そして「日本独立」の公開を迎えましたが、まさに今、新型コロナウイルス禍による国難を迎えているという点で、戦後の動乱期と類似していると感じます。 コロナ禍はよく「戦後最大の危機」と言われる中で、エンタメという分野自体、不要不急のものだと言われ苦悩した時期もありましたが、私は百歩譲って不急ではないとしても、決して不要ではないものだと自信を持っています。 尊敬する大先輩の俳優、津川雅彦さんも生前、「腹の足しにはならないが、心の足しにはなる」とよくおっしゃっていて、その言葉は私の心に深く刻まれています。「日本独立」出演についての思いを語った渡辺大(ケイパーク提供) こういう難局に見舞われているときは、感染者やマスクを着用していない人を非難するなど、心に余裕がなくなってくるものでしょう。そんなとき、不急であっても不要ではなく、多くの人の拠り所になり得るものの一つにエンタメも含まれていて、重要な役割を果たせるものだと改めて感じています。 長きにわたった戦争にも終わりがあったように、このコロナ禍も終わりは必ずくるでしょう。この苦境をプラスに変え、どう向き合えば自分の肥やしなるかを考えるきっかけ作りをエンタメが担い、人々の心の種や栄養になれるような、そんな存在であれたらと強く願っています。* * * わたなべ・だい 俳優。1984年、東京都生まれ。2002年「新春ワイド時代劇壬生義士伝」でデビュー。18年に映画「ウスケボーイズ」でマドリード国際映画祭・アムステルダム国際フィルムメーカー映画祭にて最優秀主演男優賞を受賞。現在、放送中のドラマ「#リモラブ」(日本テレビ)、NHKBSプレミアム「十三人の刺客」(11月)、WOWOW「コールドケース3」(12月)などに出演。2021年1月2日放送予定のNHKの時代劇ドラマ「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」、同年6月公開予定の小泉堯史監督の映画「峠」に出演するほか、4月からは宮本武蔵役で「魔界転生」で舞台に初挑戦する。父は俳優の渡辺謙。 映画「日本独立」【監督・脚本】伊藤俊也【出演】浅野忠信 宮沢りえ 小林薫 柄本明 松重豊 伊武雅刀 佐野史朗 石橋蓮司 梅宮万紗子 大鶴義丹 渡辺大 奥田瑛二    ※12月18日からTOHOシネマズシャンテ他にて全国順次公開

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    NiziUは韓国アイドル業界の極み、日本流との融合でスター誕生!

    も若者世代のリーダー的な存在感を示した。 このアイドル市場の動きの中でも特に注目すべきは、韓国の大手芸能事務所JYPエンターテインメント所属で日本市場にターゲットを絞っている9人組女性アイドルグループ「NiziU(ニジュー)」だ。メンバーは全員がデビュー時点で10代で、日本国籍を有しており、そのうちの1人は米国の国籍も保有している。K-POPで全員が日本人で固めた女性アイドルグループは異例だ。 NiziUと同じ事務所の「お姉さん」グループに日本でも人気が高いTWICEがいるが、そのメンバーは日本を含む韓国、台湾といった多国籍チームである。同じアイドルグループの中に国籍が異なるメンバーがいることは、韓国では珍しくない。出身国のファン層の開拓にメリットがあるだろうし、幅広く国際的な人材確保を可能にすることにもなる。その意味でNiziUのメンバー構成は、日本市場を特別に狙ったアイドルであることを鮮明に伝えている。 日本のソニーミュージックと韓国のJYPエンターテインメントが企画した日韓合同オーディションプロジェクト「Nizi Project」がNiziU誕生の母体である。このプロジェクトは、日本、ハワイ、ロサンゼルスで国際オーディションを開催し、1万人以上の中から26人が選ばれ、日本での合宿トレーニングの後、韓国での選抜に進む14人が決まった。 そして、最終的には現在の9人でNiziUを結成し、12月中に本格デビューを果たす予定だ。プレデビューで出した楽曲「Make you happy」のミュージックビデオ(MV)はユーチューブで公開されると、わずか2カ月で再生回数1億回を超えた。日本のMVで再生回数最多の6億回を誇る「Lemon」(米津玄師)でさえ、1億回達成までに約100日を要している。いかにNiziUが注目されていたかが分かるだろう。 2019年の夏から始まったメンバー選びの過程はインターネットで配信された。テレビでも特集が組まれるなど、デビュー前からマーケティング戦略が念入りに組まれていることは、最近のK-POPアイドルグループの売り出し方をそのまま採用している。モニター画面に映し出されたNiziUのオフィシャルウェブサイト(iRONNA編集部撮影) デビューに至るまでの物語を提供することで、何者でもない少女たちが厳しい試練を乗り越えて才能を開花させていく姿を、長期間にわたってファンに見せる。アイドルとファンの間で物語を共有する売り出し方は、もともとは日本が得意とするものだった。だが、いまや韓国の方がSNSの利用や、ファンの活用の点で数段先を行っている。鍵は「ユーザーイノベーション」 特にファンは韓国中心ではあるものの、すそ野は広く、ほぼ世界全域に及ぶ。日本、アジア諸国、南米、欧州、米国などにいるK-POPのガールズグループに関心のある何千万ものコアなファンの厚みは壮観でさえある。もちろんこのことが短期間で実現されたわけではない。少女時代、KARA、米国でブームを引き起こしている女性4人組のBLACKPINK、そしてTWICEらの先行的努力が実った結果でもある。ネット動画を活用した、国際的なマーケティング手法の開拓には、BTSなど男性アイドルたちの貢献もある。 NiziUというグループ名からも、K-POPが活用しているマーケティング手法がうかがえる。NiziUは「Nizi Project」の頭文字で、虹を意味する「Nizi」と、メンバーやファンを表す「U」から名付けられたという。ファンが積極的にマーケティングに参加していることから、最近注目を集める「ユーザーイノベーション」という手法が用いられていると言える。 経済学者のヨーゼフ・シュンペーターが生み出した「イノベーション」の考え方においては、新しい製品やサービスの開発を指すことがほとんどで、主に生産者(供給)側から注目されていた。これに対して米国の経営学者のエリック・フォン・ヒッペルが考案したユーザーイノベーションは、消費者(需要)側のアイデアや意見を積極的に取り入れていく。 アイドル業界の事情に即して言えば、オーディションの過程を熱心に追って優れた意見を表明するコアなファンの声からイノベーションを生み出す「リードユーザー法」と、MVを視聴した幅広いファンの声からイノベーションの可能性を探る「クラウドソーシング法」に分けられる。どちらも生産者サイドとともにアイドルを生み出していく重要な役割を担う。このユーザーイノベーションで傑出しているのが、JYPエンターテインメントなど韓国の芸能事務所だ。 BLACKPINKなどのK-POPアイドルは、長年のレッスンによりデビュー段階で高度に完成されている。それに対して日本型アイドルは未熟であることが特徴だ。NiziUの面白いところは、売り出し方は韓国風なのだが、他方でアイドル自体は日本風な「未熟さ」が売り物になっていることだ。まだまだ歌唱やダンスののびしろが大きい段階でデビューさせている。 本当は現段階でも相当の高レベルなのだが、この「未熟さ」を強調するのに、プロデューサーのパク・ジニョンが一役買っている。その役割はちょうどAKB48と企画者の秋元康との関係に近い。秋元康というメンター、つまり「師匠」が与える試練と格闘しつつ、彼に認められる「成長物語」がAKB48の初期の魅力となっていた。 パク・ジニョンが重視するのは、パフォーマンスよりも、ありのままの姿と人格である。ありのままの姿から成長して人格を陶冶(とうや)していく。そこにユーザーイノベーションを織り込んでいくことが、NiziUのマーケティングの面白さである。実際に人が人格的に成長していくことはファンからは分かりにくい。そこでパク・ジニョンがファンに分かりやすい形で、直接メンバーの人格的な成長を指摘していくのではないか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) これは私見だが、おそらくパク・ジニョンは日本にかなり好意を持っているのではないだろうか。その好意は、NiziUの「お姉さん」グループTWICEで、日本人メンバーの参加という形で表れ、日本語を一生懸命に駆使するダヒョンに最も色濃く継承された。そしていま、NiziUとなって、さらに進展している。日韓両国の間には政治的に困難な問題があり、私も度々、韓国政府に厳しい意見を提示しているが、この日本への好意の贈り物を大切にしたいと思っている。

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    演歌亡びてジャニーズ栄える「ゴリ押し紅白」とNHKの本気度

    る第71回NHK紅白歌合戦を前に「過去20年で最高の視聴率を記録するのではないか」という期待の声が、芸能関係者の間で囁(ささや)かれている。 理由の一つは年内で活動休止する嵐が出演することだ。2017年、翌年に引退を控えた安室奈美恵が出たときも話題になり、歌手別視聴率が最高48・4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)を記録した。 嵐は16年の43・7%、昨年の40・8%で2度トップになっており、「ラスト紅白で50%超え、もしかすると21世紀最高となった03年SMAPの57・1%を超えるかも」という声もある。 なにしろ、新型コロナウイルス感染拡大の影響で在宅者が増え、全体的にテレビ視聴率の底上げが予想されている。コロナ禍での紅白がどんな形になるのか、好奇心を誘う部分もある。 不倫報道で活動自粛中のアンジャッシュ・渡部建が、裏番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)で電撃復帰するという予測について、「紅白がかなり数字(視聴率)を稼ぐだろうという危機感から生まれた奇策」と見る向きもあるという。 紅白にとってマイナス面があるとすれば、今年は出場者予測などの事前情報で盛り上がれなかったことだろう。これは、コロナ禍で芸能イベントが激減し、記者たちが情報を小耳に挟めなかったためだ。 正式に出場者が発表されたのは11月16日。表向き、NHKはそれまで出場者情報を漏らさないのが基本だが、実際はそうではない。例年、夏あたりから「〇〇が決まった」と漏らす関係者がいる。 紅白歌合戦は、主にその年の活躍度を基準に出場者の選考をすることになってはいるが、NHKの番組制作者がすべての歌手、バンド、ユニットなどから、しがらみなく好きに選べるわけではない。東京都渋谷区のNHK=2019年4月 早くからアーティストのスケジュールを押さえるには事前交渉が必要となる。紅白に出ない選択をするアーティストもいて、そうなると所属事務所に協力をお願いすることが不可欠だ。そこで、芸能プロ側がNHKに恩を売る形となり、歌手の選考に発言力を持ってしまうのである。ジャニース躍進の傍らで そもそも、古くは暴力団の関与を許していた芸能界だ。ただでさえしがらみが多く、歴史の古い紅白は特にゼロベースで物事を進められない。結果、夏ごろには音楽業界を牛耳るといわれる芸能プロの有力者のもとに、音楽関連会社の役員たちがNHK関係者抜きで集まって事前調整をしてきた。これを紅白直前になってから出場者リストに反映させると世間から見て不自然になるから、わざとマスコミに事前情報を漏らして「最近話題の歌手」という風に前振り的な記事を書いてもらい、外堀を埋める作業もされてきたのだ。 ただ、最近の音楽業界では「ヒット曲」という定義もなかなか難しくなっているのが実情だ。CDの売り上げでいえば1万枚程度であっても、インターネットの音楽配信での実績、動画共有サービスや会員制交流サイト(SNS)などで話題になっている「認知度」が考慮される場合もあり、今年はCDデビュー前の女性グループ、NiziU(ニジュー)が出場する。 その意味ではセールス数値ではっきり優劣が分からないほうが、芸能プロ側のゴリ押しがしやすくなったとも言え、より業界内で紅白に力を持つ事務所が突出しやすくなる。 近年、紅白に出場するジャニーズ事務所のタレントはかなり多く、今年は白組の3分の1にあたる7組が出場。大人気の嵐によって高視聴率が支えられ、NHKはジャニーズへの配慮を止められないでいる。 次に福山雅治、Perfume、星野源、BABYMETALらアミューズ所属の出場も目立つ。白組司会の大泉洋もその枠だ。音楽会社ではMISIA、櫻坂46、LiSA、Little Glee Monster、JUJU、鈴木雅之らのソニーミュージック系も幅を利かせている。 特筆すべきは演歌の衰退だろう。白組が五木ひろし、氷川きよしら、紅組が石川さゆり、坂本冬美らで、それぞれ4人しかいない。年々減少してきた演歌枠はもはや定番歌手のみとなり、新人が入る余地はない。演歌は地方の高齢者などに根強いファン層があるが、CDなどのセールスに結び付きにくく、特に今年はコロナ禍で地方巡業の激減もダメ押しになった。 米国では、演歌に該当するカントリーミュージックが、90年代からロックやポップスを取り入れたモダンスタイルで若返りに成功したが、演歌は作曲・作詞サイドも含めて「大御所先生」に気を遣った業界独特の年功序列が進化を阻んできたところがある。ファン層拡大に苦戦する中、坂本冬美がポップス調の新曲「ブッダのように私は死んだ」(作詞作曲・桑田佳祐)を披露して、新風を巻き起こすことを期待している。 紅白は視聴率が非常に高いことから、出場者にとっては知名度アップの大きなメリットがある。だが「出場すれば年明けからCDがバカ売れ」という時代はとっくに終わっている。短い持ち時間で制限されたライブをやるならば、独自のカウントダウンコンサートをやったほうがいいと背を向けるアーティストも少なくない。 初出場で注目度の高いBABYMETALあたりは、いつものパフォーマンスを見せられるかという見方もある。評判が良くなければ来年以降は辞退ということもありえるだろう。 ジャニーズアイドルが多すぎることで、その手に興味のない視聴者を遠ざけるかもしれないという不安要素があるが、そこで力になるのが演奏力に絶対的な安定感のあるMr.Childrenだ。数少ない大物バンドは環境にも左右されず力を発揮し、「歌合戦」に厚みを持たせてくれる。成田山東京別院深川不動堂でお礼イベントを行った坂本冬美=2019年11月、東京都江東区 世界的な混乱を呼んでいるコロナ禍の中、視聴者を元気づけるような演出への期待も大きいが、これも内容によっては意見が割れるだろう。2年前、桑田佳祐が「勝手にシンドバッド」で松任谷由実とセクシーに絡み合い、キスシーンで大いに沸かせたのは、あくまで歌が主役の歌謡エンターテインメントだったからだ。バラエティー番組のまね事のような小手先の企画をすれば「ちゃんとした歌番組を見せろ」との批判が飛ぶ。音楽番組の本分を忘れない企画で勝負すべきだ。

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    ビジネスモデル崩壊?コロナで現実味を帯びる「芸能事務所」不要論

    片岡亮(ジャーナリスト) 芸能事務所が岐路に立たされている。従来のビジネスモデルが成り立ちにくくなってきたからだ。 これまでは「勝手に事務所を辞めたら仕事を干す」という見えない掟で、タレントの長期契約が慣例とされてきた。だが、公正取引委員会は2018年2月、芸能人などのフリーランスにも独占禁止法が適用されるとの見解をまとめ、芸能界の暗黙の了解にメスが入ると、事務所側がタレントを長期的に「独占」することへの賛否が渦巻いた。 人気タレントはテレビ、映画、雑誌などにとって大きな集客の要素となっているだけに、各業界が芸能事務所に忖度(そんたく)する。 そのため、タレントが報酬や仕事内容に不満を持ったとしても、事務所と対等な交渉がしにくいといった問題があった。また、契約書が1年ごとの更新であっても、タレント側の事情を顧みずに事務所側が自動更新を続けるということも珍しくなかった。 誰もおおっぴらには口にしないが、かつて暴力団が芸能界に関わっていた時代の名残でもある。もちろん、現在では反社会的勢力とのつながりがあれば厳しく処分され、業界追放もあり得るほどにコンプライアンス意識が高まっている。公正取引委員会と検察庁の看板=東京都千代田区(宮川浩和撮影) 「現状はタレントとの契約は長くても3年、もし自動更新なんてしたら無効にさせられてしまう」とは大手芸能プロ関係者の話。公取委が見解を出した影響は大きく、続々と有名タレントが独立を始めた。人気タレントの独立ラッシュ のん(旧名・能年玲奈)が所属事務所からの独立騒動をめぐり、一時的に開店休業状態に陥ったのが約5年前。以降、状況は急変し、中居正広、米倉涼子、柴咲コウ、小雪、栗山千明、菊池桃子、神田うの、城田優、剛力彩芽、手越祐也、江頭2:50などが所属事務所を辞めている。 来年3月いっぱいでTOKIOの長瀬智也もジャニーズ事務所を退所する予定で、まるでタレントが一斉に「縛り」から解き放たれたかのようである。 こうした事情の背景には、インターネットの会員制交流サイト(SNS)や動画共有サイトの普及で、タレントが自らプロモーション活動できるようになったことがある。しかし、本来であれば欧米の映画スターのように、成功して大金を得た時点で「自前」のマネジャーとスタッフを雇った方が、タレントにとって収支的には得なのである。 育ててもらった恩は誰もが事務所に対して持っているものだが、そうした感情論を抜きに極論すれば「芸能事務所不要論」さえ浮上してくるわけだ。 事務所側にも言い分がある。関係者と話をすると、決まって聞かれるのが「無名時代からコストをかけて育成してきたのに、売れたらハイさようなら、というのはおかしい」という主張だ。 確かに心情的には頷ける部分もあるが、そもそも「育成してあげる代わりにスターになったら利益を回収させろ」というビジネスモデル自体が正しいのか、という議論もある。女優の米倉涼子=2018年10月、東京都港区(川口良介撮影) もし、フィットネスジムで熱心な指導者の下、トレーニングして人がうらやむようなナイスボディーになったとして、それを生かした仕事をしようと思ったら、ジム側から「仕事はウチのジムを通してくれ、それ以外は許さん」なんて言われたら簡単に納得できないだろう。マツコの事務所に異変 週刊誌『女性自身』は先日、突然のレギュラー番組降板と芸能界引退発言で注目を集めたマツコ・デラックスの所属事務所が、社員のリストラに着手したと報じた。同事務所の社長は、新型コロナウイルスの影響で経営が苦しくなり、事務所の閉鎖もほのめかしているという内容だった。 おそらく、一握りの売れっ子が大勢を食べさせているという、多くの芸能事務所に共通する歪(いびつ)な収支モデルが関係しているのだろう。稼ぎ頭のビートたけしの独立に合わせてスタッフとタレントから退職希望者が出たというオフィス北野しかり、一般企業と違って芸能事務所は、大きく稼ぐ一部のタレントと、彼らの恩恵にあずかって仕事をもらう者らの集合体になりがちである。 マツコの場合は事務所との関係が良好なのかもしれない。しかし、もし他で起きているように、芸能事務所が所属タレントの「独立リスク」を抱え続けるのであれば、従来のビジネスモデルは通用しなくなる。 「これからは人気タレントをたくさん抱えて、かつ辞めない状況でなければ、芸能界以外の収益があるとか強力スポンサーがあるとかじゃないと事務所は成り立たなくなってくると思いますよ」と前出の芸能プロ関係者も話す。 「吉本興業みたいにテレビ局を株主にするのは特例中の特例。あのジャニーズ事務所だって、グループ主体にして売っているのは、メンバーの1人が辞めてもグループそのものは残り、ファンクラブなどの収益モデルが崩れないからなんです。大手は簡単に崩れない規模を持ってますが、中堅以下になると10年、20年後に生き残っているところは現在の半分以下でしょう」 大相撲で例えれば、相撲部屋ありきだった力士たちが独自に契約したトレーニングジム、指導者、付け人を持って活動していくようなものだ。ルールで認められていないから、そんなことをする力士はいないが、もし可能になったら相撲部屋は早々に役目を終えるかもしれない。トヨタ「パッソ」のPRイベントに出席したタレントのマツコ・デラックス=2016年4月、東京都内 芸能事務所には芸能ビジネスに精通したプロフェッショナル人材が多く在籍しており、タレントの育成・輩出機関としての役割を失わないとしても、それだけで事業を維持することは難しい。 今後の芸能事務所は、それぞれ新たなビジネスモデルを模索しなければならなくなるだろう。変化の波に乗れなければ、コロナ禍がなくとも弱体化は避けられないのではないか、と思うのだ。

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    客席が真っ白⁉談四楼の目に映った落語界の「天国と地獄」

    ょうか。 政府もまた屋内イベントに定員の50%以内とシバリをかけていましたが、落語や歌舞伎などの古典芸能とクラシックコンサートではこれを撤廃すると言い出しました。われらにとって明らかな朗報ですが、心配もあります。待ちかねた客がドッと押し寄せ、たちまち三密状態になりクラスター発生という事態です。 でもどこかでそれを打ち消す自分がいます。そんなに客は来ないという確信です。何しろコロナ禍の開催において、主たる客層の中高年がほとんど姿を見せなかったからです。自身の判断もありますが、ほとんどが家族の反対により、来なかったのです。落語家の立川談四楼 コロナが騒がれ始めた1~2月を懐かしく思い出します。「コロナの後はマークⅡだ」などというギャグを(もちろん彼らに向けて発したのですが)、トヨタの車種だと分かる中高年だけが喜んでくれたのですから。 来年の秋頃、ようやく終息の兆しを見せる。それが私の見立てです。もちろん東京五輪・パラリンピックはありません。さてどうなるでしょうか。

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    表現者が苦しむ非情なる「ディスタンス」

    新型コロナは多くの業界に災厄をもたらしたが、中でもコアな空間での「息吹」こそを重視する表現者の苦悩も計り知れない。徐々に日常を取り戻しつつあってもクラスター発生の危機に怯え、コロナ以前のように戻れないのが現実だ。今回は、iRONNAに手記を寄せた落語や演劇、芸術に携わる3人の苦悩と新境地をお届けする。

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    新型コロナは戒めか、演劇界が避けられない「自己中」気質からの脱却

    でいる。助けてもらえるものなら… 小劇場に限らず、認知度の高い宝塚歌劇団や劇団四季、歌舞伎などの伝統芸能でも公演中止や延期を余儀なくされた。だから、平田氏の発言において「演劇界は大変」という趣旨の訴えは非常に理解できるし、私自身、活動に影響が出ているわけだから賛同できる部分も多い。 しかしながら、演劇界だけが壊滅的な影響を受けたわけではない。全世界の人間が被害者なのだ。演劇界に身を置く一人として、助けてもらえるなら助けてほしい気持ちはある。だからと言って、自分たちだけ助けてほしいとは思わない。 「演劇界は嫌われていた」と感じる理由は二つある。一つは「世の中に馴染(なじ)んでいない」ということだ。今、小劇場を中心に活動している人は、別の仕事やアルバイトで生計を立てていることが多い。そうした中で公演の度に、別の仕事やアルバイトのスケジュールを調整しなければならない。自身で調整できれば影響は少ないが、そうでなければ「え、こんなに長い期間仕事できないの?」と周囲に思われる場合がある。理解のある方々もいらっしゃるが、世の中にまだまだ馴染んでいないのも事実なのだ。 もう一つは「選択の自由がない」ことだ。インターネットの動画やテレビは、飽きたらチャンネルを変えたり、消したりすればいい。しかし、舞台の場合はそうはいかない。「あ、つまらない」と思っても、なかなか席を立てる雰囲気ではない。 また、多くの舞台で採用されているが、出演者やスタッフにチケットを割り当てて販売してもらうノルマ制により、俳優の知り合いが付き合いで見ることがある。見たいゆえの選択ではなく、「今後の付き合いのために行くか」という選択になってしまうのではないだろうか。いわば押し売り、押し付けになっているようにも思う。 さらに言えば「価格が高い」上に「席が不自由」。小劇場の公演では自由席をうたいながら、席を自由に選べないことがある。これは劇場の構造上、仕方がない部分もあるが、定員以上に席を用意する公演もあり、その場合は会場係が席を指定している。 こうした座席は、ロマンスが生まれるくらい密接した距離で設定されることが多い。だから、一度座ればトイレに行くのも、近隣の席の人に断りながら移動しなければならないし、観劇中はリラックスした姿勢で見るのは困難だ。 ※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) その上、作品が面白くなければ最悪だ。現在の小劇場のチケット価格は平均3千~4千円くらいだろうか。高いと感じるかは金銭感覚によるが、3千円といえば1人分の夕食を食べるのに十分な額である。交通費をかけて劇場へ行き、自由を制限された状態で90分から2時間以上の間、ジッとしていなければならず、作品が好みでなかったら、苦痛に感じてしまう方もいらっしゃるのではないか。ガイドラインに非難轟々 全国公立文化施設協会が5月、演者にもマスク着用などを求めた「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」を発表すると、SNSで演劇人からいろいろな意見が上がった。「実際にやったことがないヤツが考え出した」「こんなもので公演はできない」「マスクなんかしたらセリフがしゃべられない」「ペイできない」などと、否定的な意見が目立った。 私も、これでは今まで通りの公演は難しいと感じるとともに、やはり演劇界はどこかズレているように思えた。演劇人は自分の仕事に誇りを持っているからこそ、こうした反応をしたのだと思うし、短文投稿のSNSでは真意が伝わらない面も確かにある。それでも、やはり自分の業界、自分のことしか頭にない発言のように感じてしまうのだ。 先述した「馴染んでいない」「選択の自由がない」にも通じているが、こうした発言には観客への配慮が足りていなかったのではないか。もし、コロナ禍ではないときにこうしたガイドラインが発表されれば、疑問や批判の声を上げるべきだ。しかし、このコロナ禍において、完璧とはいかないまでも演者、スタッフ、観客が安心して演じ、見るためには必要なことではないだろうか。 平田氏の発言や演劇人らのSNSでの発言には想像力が欠けているように感じる。もちろん、自分たちの業界、自分たちの職業を守るために必要なことは発信しなければならない。その一方で、少なからず人の心を表すことを仕事にしているのであれば、もう少し想像力を働かせられるのではと感じている。 演劇界は少しずつ動き始めた。緊急事態宣言解除前には、多くの劇場や団体がクラウドファンディングで運営費を募ったり、動画配信サイトやウェブ会議システムなどを利用したりした。私の団体も朗読動画を配信した。 緊急事態宣言の解除後は業界団体、劇場、劇団などがガイドラインに沿って公演を行っている。野外演劇を行ったり、配信のみで行ったり、通常の半分以下の観客数で上演したりと対応策はさまざまだ。私の知っている俳優や劇団も活動を再開し、演者やスタッフ、観客から感染者は出ていない。無観客で上演し、無料配信した劇団「鳥の劇場」=2020年4月、鳥取市 しかし、7月に入り、東京・新宿の劇場で行われた公演においてクラスター(感染者集団)が発生した。伝え聞くところによると感染拡大防止の施策を行っていなかったようだ。歌舞伎俳優の尾上松緑氏が自身のブログで怒りを露わにされていた。私も尾上氏の気持ちがよく分かる。こうした予防意識の低さが感染拡大にどんどん繋がって行くのだ観に来て下さる大切なお客さんを危険に晒す様な真似をしてどうするブログ「尾上松緑、藤間勘右衞門の日記」 ここにも演劇界が嫌われる理由が潜んでいる。演劇関係者、舞台人の多くが不満もありながら、前に進もうとしているときに、自分たちだけは大丈夫だろうという、うぬぼれにも似た感覚があったのではないか。 反対に、素晴らしい対応をしたところもあった。私は7月、新国立劇場(東京都渋谷区)にバレエの公演を見に行ったが、客席数を大幅に減らして行われていた。非常に感動したが、公演は千秋楽を迎えることなく終わってしまった。観客とも演者とも接触のない、外部スタッフに発熱の傾向があるということで公演自体を中止にしたのだ。可能な限り「安心・安全」を スタッフや演者の皆さんの悔しさは痛いほど分かる。コロナ禍でなくとも、天災などで予定していた公演ができなくなることは非常に悔しく、悲しい。だが、この対応はカンパニーや観客を守るだけでなく、演劇界全体を守る行動だと私は考えている。「舞台は安心して見られる」ということを広く知らしめるのに貢献したと感じた。 個人的なことを言えば、私はマスクが苦手だし、面倒くさいことは嫌いだ。だから、できれば以前のように公演ができたらと思っている。だが、それでは演劇界は嫌われたままだ。このコロナ禍は演劇界の在り方、これからの演劇というものにとって進むべき道を考える上で大事な期間ではあると捉えている。 ここまで「演劇界が嫌われている」と書いているが、私自身は演劇に関わる仕事を辞める気はない。なぜなら、舞台芸術は人にとって必要だからだ。どんな技術革新が起きてもなくなりはしなかった。流行(はや)り廃(すた)りはあるけれど、大昔から作られ続け、どんな危機も乗り越えて生の舞台は残ってきた。だからこそ、演劇界も変わるべきところは変わらなければいけないし、守るべきところは守らなければいけない。 舞台演出家としてもそうだが、一観客としてもやはり、生で見られることは非常によいと感じている。刺激を受けるし、何より生で動く人間を感じ、他の観客の反応なども含めて、その空気を五感全てで感じることは人間にとって必要なことだ。バレエ公演を見てその思いは強くなった。 これからの演劇界に必要なのは「安心」と「安全」だと私は考えている。このコロナ禍において、演劇公演を行うも行わないも、その判断は間違っていない。ただ、実施する以上は先述のバレエ公演のように、観客が安心して見られる施策や環境が必要だ。 現在、かつての形態で公演をすることはまず不可能だ。観客や演者、スタッフの安全を確保して公演することが最低の条件となる。不安を100%取り除くことはできないが、自分の知り合い以外の方も安心させられる広報が必要だろうし、「自分たちは大丈夫だろう」といううぬぼれは捨て去った方がいい。そうでなければ、演劇は危険なものとみなされ、今以上に世の中に馴染まなくなる。 新型コロナウイルスの脅威がなくなったとしても「安心」「安全」がない舞台は淘汰(とうた)されてしまう。なぜなら、人は舞台を見て感じ、心を動かすからだ。安心できない空間で人の心を動かすことはできない。新国立劇場の外観=東京都渋谷区 演劇に限らず、芸術に触れるときに心配事があっては落ち着いて見ることができない。落ち込んだときや悲しいときに、安全ではない空間で生の芸術に触れても楽しめない。楽しい気分や嬉しい気持ちのときに芸術に触れても安心でなければ、台無しだ。個人的な思いとしては、もっと演劇文化が世の中に馴染んでほしい。だからこそ、選択の自由がない演劇におさらばするべきだ。 新型コロナウイルスの終息後には、以前のような公演形態が可能になると思われる。そのときに観客の自由を奪うようなやり方を続けていたら、演劇は嫌われたままになってしまう。公演にかかる費用とのバランスもあるし、カンパニー、劇団、劇場などの都合もあるから、具体策はそれぞれ違ってくるだろう。だが、演劇に関わる一人一人が、「お客さま」に安心して鑑賞していただくための行動をとることはできるはずだ。 押し付けの、選択の自由がない演劇が嫌われている。演劇界が変わる機会は今だ。自由に活動できる日は必ず来る。そのときのために研鑽(けんさん)し、演劇界を少しでも好きになってもらえるように考え、行動していきたい。

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    コロナ禍は新たな自分の発掘場、苦境でこそ弾ける人間の創造力

    須東潤一(詩画アーティスト・タレント) 僕は過去に一度だけ、母校である長野県松川高校(県立)で講演会を行ったことがあります。そのとき、話題にしたのが自分の経験から「環境で人間は作られ、チャレンジが人間を成長させる」という内容でした。 今回その、環境で人間は作られる方の話なのですが、何か今までの自分を変えようとか、本当の自分を探すために旅に出るなんて行動はまさに無理やりにでも自ら環境を変えているということになります。 そういった行動をした時点で明らかに今までの自分ではないため、変化はすでに起こっています。もちろん、どんな変化になるのかはその時点では誰にも分かりません。良くも悪くもどんな自分になろうと、前向きに受け入れる覚悟がなければいけないと思っています。 ただ、本当の意味での「変わる」とは、単に行動を起こせばいいというものでもなく、その後の自分の心情と向き合うことだと思います。 行動は起こした、じゃあ後は変わって何をするのか、変わったから今後は何をしていきたいのか、何にチャレンジしていくのか、結局は自分に問いかけることが必要となります。そうでもしないと、せっかくの行動もただの思い出作りで終わってしまいます。 悩んだり、迷ったりしているときほど大胆に動き、うまく行動を起こせたときほど慎重に考えていく。そんな環境変えは眠っている自分と向き合うよい機会を与えてくれます。違う面から自分を発見したり、違う自分になれたりもします。 以前、俳優として舞台を経験したときには、稽古と本番では全然違う感覚に出会えました。それは用意された稽古場と劇場の「場所」という環境が明らかに違ったからです。 役の人生を生きると言ってしまえば単純ですが、そう簡単な話でもなく、メソッド演技(役の人格になりきる)なんかを下手に習うと公私の区別はなくなり、犠牲にすることが多々増えます。役を深く読み解き、役に合う環境に自らを変える覚悟が俳優という仕事なんだなと思いました。 本当の意味で役を生きるとは自分の内面と向き合う孤独な環境であり、その環境というものがまさにその役という人間を作っていくんだなと実感しました。 しかし、このコロナ禍ではそういった環境変えの意味合いが少し違ってきます。徐々に日常が戻りつつあるとはいえ、まだまだ自粛が余儀なくされ、自分の意思とは無関係に否応なしに環境が変わってしまいました。ベンチでたたずむ須東潤一氏(シンクバンク提供) 会いたい人にも会えず、行きたい場所へも行けず、そんな中で自分と向き合う時間が増えていき、まさに今コロナ禍という未曽有の環境で新しい人間は作り出されていきます。誰も望んでもいなかったこの環境で生きていかなければならなくなりました。人と会わない「癖」 現在、感染症拡大予防のため、マスクや消毒が当たり前のようになり、まだたった数カ月の継続中なのにむしろやらないと気持ちすら落ち着かない一種の「癖」(くせ)のようになりつつあります。 たとえコロナ以外でもマスクや消毒は今後も役に立つことがあるのでいいと思いますが、僕が怖いと思うのは、ソーシャルディスタンスや人と会わないということが、気づかないうちに同じように当たり前となり「癖」になってしまうんじゃないかということです。 詩画アーティストの活動は孤独な環境の中で常に自分の内側にある「想い」なんかと向き合いながら絵や言葉でそれを表に現していくものですが、そもそもその源にあるのは人と人との間と書く「人間」本来の人との関わり合いの中で自分のアイデンティティーが生まれているからこそできることでもあります。 僕は人との触れ合いがある環境の中で育ってきて、今のコロナ環境を目の前にしていますが、今まだ物心つく前の小さい子供たちや、これからもっといろんな考えの仲間との触れ合いの中でアイデンティティーを形成していく学生たちにとっては、この大事な時期にぽっかり穴が開いてしまう環境ができてしまっています。 その本来感じる違和感が徐々に当たり前になっていくことを防ぐためにも、会員制交流サイト(SNS)も含め新しい方法で人と関わっていける環境に変えていかないといけないなと思います。 当然コロナの終息が一番の解決策だと思いますが、コロナ共存の今を考えるとこの環境変えも一つの解決策になると思っています。 ソーシャルディスタンスや人と会わないとは、無関心になるということではなく、むしろ好奇心を湧かせて、より相手を想い、絆を深め、積極的に関わっていくことができれば、もしかしたら僕たち大人が経験も想像もしなかった人間の凄い世界が拓けていく可能性を秘めています。 そのためにも今までの自分の生活やルーティン、思考や行動などの中に、新しい環境に対応する新しい人間を自分の中で作っていけたらなと思います。そうしないと現状にただ文句ばかり言ってしまう嫌な人間が自分の中で着々と少しずつ作られていってしまうと感じるからです。 ただ、環境が変わればガラッと一気に新しい人間が自分の中に作られるわけではなく、ここまでの成長がそうであるように、じっくりじわじわと形成されていきます。 今現在まで成長してきた僕は、いろんな経験をしてきたからこそ、どんな状況でも自分なりに前向きに考え、逆境を乗り越えられる人間になっていますが、コロナ禍でのニューノーマルな環境はむしろまだ知らぬ新しい自分を見つけだすチャンスだと捉えている節があります。須東潤一氏(シンクバンク提供) それまでの成長が良くも悪くも、環境で人間は作られる、つまり環境で人は変われると思っています。逆に自然発生的に環境が変わってしまえば、今までの自分では通用しない事態や、何か違う自分が作られてしまう可能性も起こり得ます。苦境にこそ生まれる発想 それが今です。変えたくて変わったわけではないこのコロナ禍での環境が、自分の中でどんな人間を作るのか。今この世の中の状況は、誰にとっても経験の通じない未知なる道を各々が手探りで歩いているようなものです。 しかし、こういうときって実は何か新しいアイデアが思いつきやすかったりするんです。追い込まれて必死になっているときこそ、火事場の馬鹿力的な今までの自分では無理だったようなこともできる新しい自分が生まれやすい。これこそ環境が作り出す人間です。 今で言い換えると、コロナが作り出す人間です。良い人間も悪い人間もいますが、いつの時代も悪い人間はその環境が作り出しただけのこと。その人間自体が悪いわけではない。僕はそう思っています。 だから望んでいなかったこの環境を前向きに考えられれば、自分の中に前向きな人間が作られる。そしてその人間をじっくり育てていく。僕自身は例えばコロナ環境の中、詩画作品の中で、「defi」(デフィ)というカエルをモチーフにしたキャラクターを創り出しました。 カエルは昔から幸運の象徴でもあり、無事に帰る(カエル)という縁起のよい語呂合わせにも使われてきました。コロナが終息し平穏な日常が帰る(カエル)ようにという想いも込めて生み出しました。 そしてdefiとは、フランス語で「挑戦」という意味です。辛い環境や状況なときほど、前向きな挑戦(チャレンジ)を忘れない。そんな想いからです。 僕の中で、コロナが作り出した人間は、このキャラクターを創り出した新しい自分です。多分、コロナ環境でなければ創造もしなかったキャラクターです。須東潤一氏の作品「defi ソーシャルディスタンス」(シンクバンク提供) これからdefiがどう育っていくかは、僕のチャレンジという成長次第です。そして今後また環境が変わるのか、変えるのか、どちらにしてもそのときは違うキャラクターが生まれているかもしれません。 そのときの環境が作り出した、自分の中の新しい人間が全てを握っています。その人間を作り出すのもまた、自分次第なのかもしれません。 あなたにとって、自分の中にいるコロナが作り出した人間は、どんな人間ですか?

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    「お客さんが待っている」ホリプロ社長がコロナ禍に立ち向かう原動力

    長)新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、音楽や演劇などのイベントの開催は困難を極めている。大手芸能事務所であり、エンターテインメント事業を手掛けるホリプロの堀義貴社長は、日本と海外の劇場公演システムの違いを指摘。エンタメはどう変わるべきなのか、その覚悟を語る。――アメリカ・ニューヨークの劇場街ブロードウェイでも、新型コロナの影響で公演は軒並み中止になりました。堀社長はかねてより、公演における日本と海外の手法の違いについて訴えていますね。【堀】 日本は妙に平等なシステムになっていて、どんな劇場も最大1カ月程度しか借りることができません。 たとえば大勢の観客を収容できる立派な公民館で、集客率が2割しかないイベントがあったとしても、基本的には地域住民優先で会場が確保できます。一方で、満員を見込める作品であっても、その扱いは同様です。 劇場の稼働率が人びとのニーズに合っていない会場がわれわれの税金で支えられていることを、多くの人は意識されていないと思います。 コロナの影響で公演が延期や中止になった場合、同じ演目を実施できるのは数年後になってしまいます。しかも東京五輪・パラリンピックが延期になったことで、会場の確保はさらに困難を極めるでしょう。 一方で、ロンドンのウエスト・エンドやニューヨークのブロードウェイは、作品の人気次第でロングランが可能です。そのため公演が再開できれば、長期的に見れば資金を回収する余地があります。 日本の劇場利用を世の中のニーズに合わせて効率化できるよう、その仕組みを再考するべきです。――今回の危機を乗り切ったあとも、やはり舞台公演やイベントを中心に事業を展開していくことになるでしょうか。【堀】 もちろんです。演劇というと、日本では儲からないと思っている人が多い気がします。でも、ニューヨークやロンドン、それに韓国では「金のなる木」なわけです。 たとえば皆さんご存知の『ライオン・キング』(ディズニーによる長編アニメーション映画)は、1994年に全米で公開されて以降、音楽やミュージカルに形を変えて、四半世紀以上も同じソフトを使っています。 『ライオン・キング』という1つのコンテンツで、これまでの累計売り上げはじつに2兆2000億円。ミュージカルだけでもおよそ7000億円です。 一方、日本のアニメ産業全体の市場規模は2兆円程度で、『ライオン・キング』一作品にも及びません。アニメといえば「クール・ジャパン」というイメージがあるかもしれませんが、まだまだマーケットが小さすぎるのが現状です。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ)――オンライン配信が進んだとしても、舞台や映画館でのリアルな体感を求める人は少なくないでしょう。【堀】 元来、舞台役者はお客さんの拍手をもらって伸びていくものです。観客がたくさん入った、拍手を受けた、スタンディングオベーションが起きた――。そういった体感を得て演者は成長していき、観客に還元されていくんです。堀社長の「原動力」――著書『これだけ差がつく!「感じる人」「感じない人」』(PHP研究所)でも、リアルな体験や感情の揺れによってクリエイティビティは培われる、と述べられていますね。【堀】 活字やオンラインでも情報としての確認はできるけれど、感情の揺れは伝わりにくい。 配信においてもリアルタイムでコメントをもらえる人はいいですが、作品を演じる人たちにとって、文字のコメントだけでは得られないものがあります。 劇場公演は「生き物」です。お客さんの反応を見て翌日の演出を変えることもあります。アーティストのライブやスポーツの試合でも同様でしょう。 野球でいえば、同じピッチャーとバッターの対戦でも、毎回違った結果やドラマが生まれる。まったく同じものを二度と再現できないところが、生の醍醐味だと思います。――堀社長は未曾有の危機と向き合う経営者でありながら、プロデューサーでもあります。現在の活動の原動力は何でしょう。【堀】 「どこかでお客さんが待っている」と思い続けることです。笑いたい人がいれば楽しみを、泣きたい人がいれば感動を提供する。 舞台や映画、ドラマにしても、それを見て「明日も頑張ろう」と感じてもらえる作品を届けたい。お客さんが喜ぶことをやる。それこそが、こんな泥臭い仕事に私が人生を懸けている理由です。聞き手:Voice編集部(中西史也)関連記事■「エンタメが現場から崩壊しかねない」ホリプロ社長が恐れる最悪の事態■渡辺謙「日本人は震災を“検証”しているか」■片岡愛之助が語る、三谷作品『酒と涙とジキルとハイド』にかけた思い

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    講談師・神田伯山 「YouTubeは配信者の本質が問われる」

     コロナ騒動により、さまざまな伝統芸能の公演も自粛を迫られた。当然、講談師である神田伯山もその影響を受けた。そうした状況下での奮闘を、ノンフィクションライターの中村計氏がレポートする。 複雑な心境だった。「本音の本音を言うと、お客様のことがずっと心配でしたね」 そう吐露するのは講談師の神田伯山(37)だ。2月11日、神田松之丞改め六代目神田伯山にとって人生最大のイベント「真打昇進襲名披露興行」がスタート。ところが、人類史上、未曽有といっていいウイルス禍と重なった。都内4か所で計39日間行われる予定だったが、3月10日、29日目で打ち切りとなった。「興行を続行するか否かは、自分では決められない。誰かが感染したらどうしようと綱渡りの気分でしたね」 そんな中、定席と呼ばれる都内の寄席は営業を続けていた。寄席は東日本大震災においても数日しか休まなかった。「来て下さるお客様が1人でもいる限り開ける」というのが信条だ。幸い寄席では、誰も感染しなかった。緊急事態宣言を受け、4月上旬、ついに休演を決めた。同時に芸人たちは居場所を失った。伯山は言う。「それまでは一日3、4席やっていたのに、毎日、何もやらなくなった。あっという間に講談師の日常が失われました」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ところがそんな期間であったにもかかわらず、伯山の名前は停滞するどころか一気に跳ねた。伯山の妻であり、制作会社社長でもある古舘理沙の発案で2月から始めたユーチューブ「伯山ティービィー」のお陰だった。登録者数は現在、約13万人。ユニークユーザーは129万人にのぼる。 披露興行中は毎日、舞台裏を撮影した動画を更新し、大好評を得た。その後も「オンライン釈場」など新しい試みを次々と展開している。それらが評価され、先日、「ギャラクシー賞テレビ部門・フロンティア賞」を受賞。ユーチューブとしては初の快挙でもあった。「ユーチューブって、最初は落ち目の芸人がやるものだと思っていた。でも始めてみたら、いろいろな発見があった。今後はコロナが収束しても、芸人個々が配信媒体を持つ時代に突入するんじゃないですかね。ただ、ユーチューブはテレビやラジオより自由なぶん、その芸人に本当に伝えたいものがあるのかないのかが如実に現れる。意外にその人の本質が問われるメディアかもしれません」【神田伯山ティービィー】登録者数:13.3万人 六代目伯山の襲名に合わせてチャンネル開設。襲名披露興行から楽屋風景までを公開して話題となり、第57回ギャラクシー賞テレビ部門・フロンティア賞を受賞。講談動画では字幕をつけて聞きやすくしている。■講談師・神田松之丞 35歳にしては老成した人生観の背景■神田松之丞改め伯山 美人講談師が語る「兄さん」の魅力■【写真5枚】小林麻耶、姪の演技に号泣 海老蔵不在バレエ参観の家族愛■【写真17枚】稲垣啓太を笑顔にする新恋人 元カノとの意外な共通点■【現場写真など40枚】木下優樹菜&フジモン「偽装離婚疑惑」家族団らん写真の真相

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    『半沢直樹』、コロナで苦境の歌舞伎にファン増やす効果も

     7月より満を持してスタートした日曜劇場『半沢直樹』(TBS系)の約7年ぶりの続編が絶好調だ。このご時世に「本編の見逃し配信なし」という強気な策も功を奏してか、なんと視聴率は5週連続20%超え。8月16日に放送された第5話は平均視聴率25.5%で、相変わらず怪物じみた視聴率を叩き出している(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。『半沢直樹』といえば、登場人物たちの丁々発止のやりとりが大きな魅力。第2シーズンに入り、いわゆる“パワーワード(インパクトのある言葉を意味するネットスラングのこと)”的なセリフや“顔芸”もパワーアップしたようだ。 大和田(香川照之)の「お・し・ま・い・death!」や伊佐山(市川猿之助)の「詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ詫びろ半沢?!」など次々と名シーンが生まれて、視聴者によるTwitter上での“実況”が盛り上がっている。 先述した香川照之と市川猿之助の他にも、『半沢直樹』には片岡愛之助や尾上松也たち歌舞伎俳優が多数出演している。彼らの声を張り上げ、表情筋を駆使した熱演は、視聴者から「もはや歌舞伎」と冗談めかして称賛されている。「半沢直樹から歌舞伎に興味を持った」や「半沢直樹を歌舞伎化してほしい」という声もあるようだ。『半沢直樹』に出演する歌舞伎俳優たちの“濃い”演技は、どこから生まれるものなのか? 歌舞伎ライターの仲野マリ氏は、このように解説する。「歌舞伎というと、派手なメイク(隈取=くまどり)や大げさなポーズ(見得=みえ)などを思い浮かべる方が多いでしょうが、実は昔から『一声二顔三姿(いち・こえ、に・かお、さん・すがた)』といって、役者はまず声が一番大事とされています。大きな劇場で4階の一番奥のお客様にもマイクなしで大きな声を届けないといけないわけですから、オペラ歌手と同じです。 一見大仰に見える“顔芸”だって、舞台から遠い座席のお客様にも登場人物の心情を届けるための技術。こうした演技がテレビでアップになると『リアリティがない』『あざとい』と敬遠された時代も過去にはありましたが、マンガやアニメのデフォルメされた表現になじんだ今は、逆に共感しやすいものなのかもしれません」※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)『半沢直樹』から歌舞伎に興味を持った人々に向けて、仲野氏がお勧めする演目は?「8月26日まで、東京の歌舞伎座では愛之助さんが『連獅子』、猿之助さんが『義経千本桜?吉野山』という演目に出演しています。どちらも舞踊劇ということで、『半沢直樹』とは全く異なる、歌舞伎俳優の“ダンサー”、“アスリート”としての側面にびっくりしますよ! また、8月21日からのシネマ歌舞伎『連獅子/らくだ』(中村勘三郎一門出演、27日まで)もお勧めです。“シネマ歌舞伎”は、全国の映画館で上映されるプログラムなので、歌舞伎座など舞台の敷居が高く感じられる人でも、気軽に楽しむことができます」 8月1日から約5か月ぶりに営業を再開させた歌舞伎座。新型コロナウイルス感染拡大の影響で演劇界全体が厳しい状況に置かれる中、世間と“歌舞伎”をつなぎファンを増やす効果も期待される『半沢直樹』の果たす役割は大きいのかもしれない。●取材・文/原田イチボ(HEW)■絶好調『半沢直樹』、視聴者心理に働きかけるカット割りの妙■『半沢直樹』妻役の上戸彩、新婚時代と現在の演じ方の違いは■『半沢直樹』再放送で再燃する『あまちゃん』続編への期待■【動画】上戸彩 グラビア写真5枚 2013→2020 若返ってる…!■堺雅人の「半沢様式」 視聴者を待たせて「倍返し」に成功

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    半沢、わたナギ…夏ドラマでクセになる「幻想おじさん」の楽しみ方

    上村由紀子(フリーライター) 気づけば8月も終わり、9月を迎えるも季節は依然として夏を感じさせる。「夏といえば恋愛ドラマ」だったのはいつの頃までだっただろうか。 反町隆史と竹野内豊の『ビーチボーイズ』や、明石家さんま主演の『男女7人夏物語』、常盤貴子と豊川悦司の『愛していると言ってくれ』など、強い日差しと波の音、セミの声とともにそれらはいつも私たちのテンションを上げてくれた。 「恋っていいなあ、人を好きになるのってステキだよね」と、ブラウン管を眺めていた甘酸っぱい夏の思い出の日々。 そうやって遠い目になりながら、令和2年8月のラテ欄を改めて眺めてみる。地上波のプライムタイムでオンエアされているのは医療ドラマに刑事もの、そしてビジネスの世界を描いた作品ばかりで、恋愛に特化したドラマは見当たらない。 海岸を走りつつ恋する2人が「あはは~」「うふふ~」と笑う世界も、雨に打たれ、「お前が好きだ」と絶叫するシチュエーションも令和の夏には存在しないのだ。 では今、ドラマの世界でキーワードとなっている存在は何か。そう、それは「おじさん」である。今年の夏のヒットドラマは「おじさん」に支えられていると言っても過言ではない。さて、詳しく見ていこう。  今季、おじさんが登場するヒットドラマは「戦闘型」と「癒やし型」の大きく二つに分類される。前者の「戦闘型おじさん」の代表格はTBS系の『半沢直樹』で間違いないだろう。7年ぶりの製作となった『半沢』だが、初回から毎回20%超えの視聴率を誇る大人気ドラマだ。放送中には出演者だけでなく、そのキャッチーなセリフがSNSでトレンド入りするなど、話題性はぶっちぎりだ。 前作で東京中央銀行から子会社・東京セントラル証券への出向を命じられた半沢直樹(堺雅人)。新たな職場ではIT企業の買収案件で銀行側の伊佐山(市川猿之助)や副頭取の三笠(古田新太)から妨害され、宿敵である大和田(香川照之)と一部手を組み、事態をまとめるべく奮闘する。俳優の堺雅人(前川純一郎撮影) その功績により、古巣である東京中央銀行へと返り咲いた半沢だが、そこには新たな魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが控えていた。負債を抱える帝国航空、そしてその負債を銀行に放棄させようとする政府の関係者。 前半では香川照之、市川猿之助、片岡愛之助、尾上松也といった歌舞伎俳優たちによる「顔芸合戦」が話題となったが、後半にも柄本明、筒井道隆、木場勝己、石黒賢などクセのあるおじさんたちが山盛りである。正直、暑苦しい。だが逆にあの濃さがクセになって画面から目が離せない。多種多様なおじさんたち そして『半沢』の対(つい)となる「癒やし型おじさん」が登場するヒットドラマといえば、先日ついに最終回を迎え、あとは特別編を待つのみとなったTBSテレビ系火曜ドラマの『私の家政夫ナギサさん』である。このドラマは、製薬会社のMR(医薬情報担当者)こと相原メイ(多部未華子)と、彼女の家にやってきた派遣型家政夫の鴫野(しぎの)ナギサ(大森南朋)との交流が柔らかなタッチで描かれた。 大森南朋といえば、NHK総合で代表作の経済ドラマ『ハゲタカ』では、外資系投資会社の「ハゲタカ」鷲津政彦として日本企業の乗っ取りに暗躍するビジネスマンを演じ、小栗旬主演のドラマ『BORDER』では子供を殺害することに全く罪悪感を覚えない男・安藤周夫(ちかお)役で視聴者を震え上がらせた。 そんな彼が『わたナギ』では他者の痛みや悩みに敏感で家事全般が万能、夢は「お母さんになること」という家政夫を演じるのだが、これが全く違和感がない。視聴率も右肩上がりで、最終回に19・6%をマークするなどかなりの好調ぶりである。 さらに、SNSなどで話題を呼んでいる「癒やし型おじさん」ドラマが、眞島秀和主演で読売テレビ製作の『おじさんはカワイイものがお好き。』である。深夜枠であるものの、眞島をはじめ、今井翼や桐山漣といったシリアスもコメディーも両方イケる俳優陣をそろえ、今季ドラマの台風の目となっている。 見どころは、一見クールにキメているおじさんたちが、キャラクター商品や猫などのかわいいものにアツい視線を注ぎ、ビジネスでの顔と趣味に走る姿との激しいギャップを見せる様子だ。特に、温和だがクールに仕事をこなす小路三貴(おじ・みつたか)こと、「おじ課長」を演じる眞島の振り切れた芝居が面白い。ある時期までどちらかというとシリアスな役柄が多かった眞島だが、『おっさんずラブ』以降、真面目にやればやるほどおかしいという演技で新たな一面を魅せている。 さて、ここまで令和2年の夏ドラマでハジけるおじさんたちについて触れてきたが、あなたはお気づきだろうか。それは、今季のヒットドラマで描かれるおじさんたちに「恋愛要素がほぼ皆無」であることを。 『半沢』は言うに及ばず、『わたナギ』でも主人公メイの、ほのかな気持ちは表現されるが、ナギサさんは草食おじさんを超えた「お母さん」なので急展開はない。さらに『おじカワ』に至っては、彼らが恋する対象は「キャラクターと猫」であり、「人間」ですらない。俳優の大森南朋(左)と眞島秀和 また、3作のヒット&話題のドラマに登場するおじさんたちはどれも過剰といえるレベルでデフォルメされており、全くリアルな存在でない。かたや銀行で時代劇を繰り広げるバンカー、一方ではコワモテなのに家事が完璧な家政夫、人間より犬のキャラクター・パグ太郎に執着するビジネスマン。 そう、ドラマのメイン視聴者である女性たちは、もはや「リアルなおじさん」を欲してはいない。彼女たちは会社や家庭でおじさんたちの対応に追われ、せめてテレビ画面の中では現実とかけ離れたファンタジーとしてその存在を愛(め)でていたいのだ。悲しいかな、リアルおじさん、受難の時代である。

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    「ベテラン斬り」コロナを言い訳にできないテレビ界の黄昏

    縮小したり、編集責任者であるデスクに複数番組をまとめて担当させている。 ただ、その中で高額なギャラの芸能人をリストラするのは、最もハードルが高い。毎度話題にはなっても実際に決断されないことも多く、かなり詳細な話でなければ、スタッフ間では「またか」との感想を抱きがちなのである。高報酬もらえない「お決まり」 テレビ界で、ベテラン芸能人やキャスターが視聴率に見合わなくても高額ギャラをキープできる理由がある。基本「ギャラ相場」は上げることはあっても下げることがないのが、業界の不文律だからだ。そして、一度定まった相場は、各局で密かに情報交換され、足並みを揃える習慣もある。 「ギャラの管理は番組ではなく、経理が行いますからね。番組で初めて起用するタレントには、タレント側の芸能プロダクションよりも、まず経理に『過去いくらでした?』と聞くか、他局にいる知人に教えてもらうので、自然と相場が出来上がるようになるんです」と、あるバラエティ番組のプロデューサーも習慣の存在を裏付ける。 実は、この慣習こそ「日本型雇用」の代名詞である終身雇用や年功序列からきているものでもある。成果を出す若手社員がいても、それに見合う報酬はすぐには得られず、いわゆる「後払い」要素が強い。人事評価にもキャリアが含まれていて、長期間務めてきた人の報酬アップが優先される。 テレビ界でもこれに近いものがある。若いタレントにどれほど人気が出ても、すぐには高報酬を得られないのが芸能界の「お決まり」であった。 つまり、「若手時代では安い給料に見合わない仕事量でも、長くこなせるようになれば、将来報われる」という日本の一般社会と同様の概念がある。小倉は「絶対に局側から辞めてくれとは言えない方」と断言する『とくダネ!』の元ディレクターが理由を次のように説明している。 「とくダネは現在の情報番組の基本スタイルを作った草分け的存在で、それまでビッグニュースを1時間かけてやっていたのを、ネタを細かく分けて矢継ぎ早に放送する画期的な手法で視聴率を伸ばしたんです。今では他局の情報番組もこぞって真似するようになり、それは当時のスタッフ全員の功績でもありますが、その方向性で司会をこなしてくれた小倉さんも当然大きな功労者です。大幅な経費削減の役目を担った宮内正喜前社長は、『局員の給与を見直す』とまで公言しましたが、あの方でさえ小倉さんの肩は叩けなかった」タレントの小倉智昭=2017年12月 ただ、一般社会では近年、長期雇用に対する信頼性が崩れ、若い人材が「10年先には報われる」などという気の遠い目標に我慢できなくなってきている。企業でも、スピードアップした成果主義により、即戦力になるなら新入社員でも高く買った方が得だという考え方が増えている。そうでもしなければ、優秀な人材を確保できなくなるからだ。 これはテレビ局にも同じことがいえる。ベテランタレントの多くが一定の視聴率こそ取れていても、高額のギャラに見合うとは必ずしも言えず、過去から積み重なった「功労金」込みとなっている芸能人が大半だ。それにベテランに頼りきりでは、番組は若い人気タレントの確保に遅れをとってしまう。「お役御免」 日本のテレビ局は基本、放送法や電波法などによる免許制の下で「電波利権」が守られ、大きな収益が保証されてきた。だから、割高に思えるギャラであっても許されてきたわけだ。 ところが、インターネットの普及という時代の波にテレビも押され始め、ついには広告費もネットに首位を明け渡すほどのビジネスモデルの変化をもたらし、新型コロナ禍がダメを押した格好だ。背に腹はかえられなくなった各局も、どこかで区切りを付けることを余儀なくされている。 7月末、タレントの上沼恵美子が放送25年を迎えたばかりの長寿番組『快傑!えみちゃんねる』を放り投げるように突然終わらせてしまったのも、例外ではなかったといえるだろう。 一部では、他の出演者とのトラブルが原因のように伝えられているが、筆者が関係者から聞いた話では「番組の将来についての話を切り出したところ、上沼さんの逆鱗に触れた」というものだった。この先、番組の終了やリニューアルにあたって何らかの提案をしたが受け入れてもらえず、「だったらすぐ辞める」となってしまったのではないか。 安藤も5年前に夕方の報道番組『スーパーニュース』の終了が取り沙汰された際、経費削減のあおりを受けて「BS番組に移るらしい」などという噂が立った。このときは、さすがにフジ報道の功労者だったこともあり、新番組『グッディ!』へのスライドにとどまった。 これは報道に限らず、あらゆるジャンルの番組で見られる傾向だ。お笑い芸人やジャニーズアイドルでも、ギャラの適正化を促すように「高いベテラン」より「若いタレント」を起用する話があちこちで聞かれるようになった。安藤にしても「お役御免」の判断を下されたというより、方向性の変化といえる。ABCラジオ「上沼恵美子のこころ晴天」の放送を終え、車で朝日放送を出るタレントの上沼恵美子=2020年7月27日 約2年前、筆者が『グッディ!』に出演した際に目の当たりにしたのは、安藤の「番組采配」の妙だ。台本に頼ることなく臨機応変に進める姿に、さすが33年にわたってフジの報道・情報番組で一線を張ってきた凄みを感じた。このように、ベテランタレントのスキルには他に代えがたいものがあるから、ギャラなどの条件さえ合えば、活躍の場はあるだろう。 ただ、テレビ界では、ギャラをいきなり半額に値下げして交渉するような習慣がないため、下手をすると突然画面から消えて、一切姿を見なくなることもある。最近は大手プロダクションから独立して個人事務所を設立する芸能人も増えているだけに、直接的な条件交渉の方がやりやすいタレントなら生き残れるかもしれない。 それも無理なら、ネット番組やユーチューブで最後の勝負に出るということもあるだろう。ただ、ネット番組はテレビと違って成果主義の傾向がより強いため、プライドの高い芸能人ほど勝負するには勇気が必要になることを忘れてはならない。

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    須東潤一手記「コロナ禍ゆえに伝えたい、今しか描けない線」

    須東潤一(詩画アーティスト・タレント) 「明日やろうは、バカ野郎」「今日できることは、今日やろう」など、僕の世代ではよく言われてきた時代がありました。 ですが、特にこの新型コロナウイルスとの共存を余儀なくされた今、これらが当てはまらないことが多いようです。現在は、ニューノーマルという言葉が使われるほど、全く未知の新しい生活様式が始まったと言えるからです。 こうした中、「明日やれるか、バカ野郎」「今日やりたくても、今日できない」そんな状態ではないでしょうか。これまでは、時間だけが平等だと思っていましたが、そうではない時代が来たんだなと感じています。 僕の仕事にも平等に影響がありました。僕は詩画アーティストとして活動し、タレントとしてテレビにも出演しています。しかし、コロナの影響で、仕事はキャンセルが続いていました。展覧会の延期や、テレビでは時々リモート出演をさせていただきましたが、それでも影響は大きいです。 こういうときだからこそ、「今しかできないことをやる」意味があり、僕にとって「今しか描けない線を描く」意味があるんだなと知りました。この「今しか描けない線」とはどういうことなのか。 元々、僕が絵を描き始めたのは、小学3年の頃で、そのときはまだ詩画ではなく、絵が好きで絵だけをとにかく描いていました。学校で賞などもらえても、それで満足することもなく無邪気に描いていました。須東潤一氏(シンクバンク提供) その頃はもちろんこんな日が来ることなど考えもしていないので、いつでも好きなときに好きなだけ絵は描けるものだと思っていました。中学に入ると書にも興味がわき、墨を使い始めました。そして今の仕事である詩画というジャンルで描き始めたのは高校を卒業した後すぐで、そのきっかけが僕の大好きなアーティスト、長渕剛さんの影響です。 そもそも詩画というのは簡単に言いますと、墨絵とその絵に合わせた詩(言葉)を組み合わせた芸術作品です。絵だけでは成立せず、言葉だけでも成立しない、二つを一枚の紙にガッチリ出会わせることによって完成する世界です。過去にも感謝 絵を見ただけで分かるようでは、添えられる言葉はただの説明になってしまい、言葉だけで分かるようでは、絵はただ邪魔なだけです。まるで文句を言い合っていてもお互いなくてはならない熟年夫婦のようなものです。 あるいは2ピースだけのパズルのようなものです。そんな詩画の世界を初めて知ったのが、長渕剛さんが描くとんでもない詩画を見たときでした。 パワーというか、力が強すぎて正面から受け止めるのに必死でした。僕も絵は好きで描いていましたし、書は好きで書いていましたが、それを一緒に組み合わせて二つの表現から放たれる力をギュッと一つにして、持っている可能性を最大限に生かす詩画という世界を知りすっかり虜になりました。 それ以来、描いて書いて描きまくっていきました。それから考えると詩画を描き始めてもう20年以上になります。経験上、絵も書も上手い下手というよりも、いろんな意味を含んだバランスが一番大事なんだと痛感しました。 伝えたい想いがそのバランスで合っているのか、そこが本当に気を遣う部分です。それは生きていくうえでも同じことだと思います。積み上げた経験や実績も、バランス感覚が崩れると一気に崩れ落ちます。上に行けば行くほど、積み上げてきた足元のバランスを見直す時間が絶対に必要ではないでしょうか。 詩画も描いて終わりではなく、描いてきた作品を見直して、次なるステップへ進んでいく。そんな繰り返しをしていると、自分の成長やその当時に描いたときの感情や想いが今の自分を作っているんだなと実感します。過去を振り返るのではなく、歩んできたどんな過去にも感謝をする時間を設ける。それが今を生きることなんだと思います。須東潤一氏の作品(シンクバンク提供) そんな今の自分の想いを書でストレートに書き、自分が想い描く絵をストレートに描くというそれ自体は現在も変わっていませんが、変化してきたのは絵や書のクオリティーです。より自分の想いの伝え方を試行錯誤しながら自分だけのスタイルを自分で作っていきました。 それは独学ですべてやってきているからこそ、絵にも書にもこだわりを持って必死に腕を磨いてきました。答えは僕の中にしかありません。今でこそ僕の詩画がおかげさまでファンのみなさんや芸術関係者の方々に喜んでいただけていますが、スタイル模索の旅の途中では、独学だけにいろんな人に絵や書をバカにされたことも多々ありました。 それでも描き続けてこられたのは、家族やファンの存在が大きく、そして何より自分の未来を絶対に悲観しなかったからです。でも、決して僕は強い人間ではないので、迷うことも悩むことも多々ありますし、ヘコむこともあります。自分なりに自信を持ってやっているからこそ、自信を失うこともよくあります。「自信が確信に」 ですが、そのときの自分ができる精一杯な力を注いで描いていたので、今は認められなくても、今しか描けない詩画がまだこのレベルだっただけであって、未来の自分にしか描けない詩画はもっと違うはずだと自分に言い聞かせていました。そんな自分自身にも向けたメッセージでもあります。 そして今になってそんな独学でも、2019年に人生で初めてチャレンジした公募展「第26回雪舟国際美術協会展」にて初入選し、東京・六本木の国立新美術館で詩画が展示されたときには一人泣きました。やっぱりいろいろ怖かったんだと思います。 だからこそ見に来てくれる方への感謝や、僕の詩画へのみなさんの反応も見たくて、その期間は毎日美術館に通いました。いろんな先生方とも知り合いになれたり、協会のスタッフさんにも顔を覚えてもらえたり、さまざまな美術の世界の話も聞けて、美術学校などには環境的に縁がなかった僕にとってはお金には替えられない現場での勉強の場になりました。 さらにその展覧会でオーディエンス賞までいただけて、初尽くしの思い出深い経験をすることができました。実はその展覧会は日本画、水墨画、書の公募展なので僕のような詩画は一枚もなかったんです。 しかし、僕の存在を見つけてくれた担当キュレーターさんが僕の詩画を「これからの墨絵の新しい可能性を感じた」と言ってくださり、僕は「松坂世代」なのでまさに、「自信が確信に変わった」瞬間だったと思います。須東潤一氏の作品(シンクバンク提供)  今年、2020年には、フランス・パリのギャラリー展へ(コロナの影響で6月開催から11月開催予定に延期になってしまいましたが)新しく描いた詩画の展示も決定しています。昔から海外に興味があった僕としては、海外の人たちが僕の詩画を見てどのような反応をしてくれるのか、チャンスでもありピンチでもあります。 どっちにしても結果ではなく、チャレンジ自体が自分を成長させてくれると考えているので、今の自分では無謀だとしてもどんどん今度もチャレンジしていこうと思っています。強い人間ではないからこそ、逆にチャレンジを続けられるんだと僕は自分を分析しています。 思えば、僕の歩んできた道はチャレンジの連続です。現在の仕事の一つでもあります長野県のテレビ番組でレギュラー出演を勝ち取ったのも、当時の自分からすれば無謀だったと思います。「生きた詩画を描く」 当時36歳だった僕は自叙伝本を書き、出版社から発売され、その本がきっかけで長野県のテレビ番組への出演が決まり、その後レギュラー出演となり今も続いています。若干36歳にして自叙伝本出版というのも、今まで誰もやっていないチャレンジだと思います。そしてもちろん詩画もチャレンジの塊です。 満足する自分スタイルの詩画という完成はまだまだです。それが本当の意味で完成するときは、最後の詩画を描いたときです。それはなぜなら今回のテーマであります「今しか描けない線」が常に存在するからです。それがある限りそこにチャレンジし続けていかなければいけないからです。自分が自分であるという意味のために。 絵も線の集合体ですし、書も線でできています。その線は、そのときその瞬間の自分でしか表現できません。今までの絵も、書も、詩画も、そのときにしか描けない線がありました。昨日の線は今日描けませんし、明日の線も今日は描けません。つまり同じ線は二度と描けないんです。 書の先生ともなる人は、書いてある一本の線を見て、その線を書いた人の年齢などが分かるそうです。 ただ正直、コロナの影響が出始めた頃、その線を描くことへの自分の心の動きにとても敏感になっていました。 こんなときに自分は線を描き続けられるだろうか、こんなときに自分は何ができるのか? この自粛期間中に改めて気づかされました。今の自分が描ける線は今しか描けない、これが生きた詩画を描くということだと。 だからこそ今しか描けない線を描くことに意味があるんです。それは行動も同じことだと思います。生きた行動をする。今しかできないことを今やるから意味があるんです。須東潤一氏の作品(シンクバンク提供)  コロナの感染が始まったころ、マスク不足が大変な問題になりました。僕は微力ながら、自分の持っていた数十枚のマスクを封筒に小分けして入れ、医療従事者やお世話になっている方々へ送りました。最近のように比較的買えるときではなく、不足して困っているときだったからこそ相手方にとっても意味があったんです。 そしてその中に言葉を一枚一枚描いてみなさんに同封しました。そのときの自分でそのときにしか描けない線があったからです。今しか描けない線、今しかできない行動、そんなことが多い今の世の中で今できる目の前の事を一生懸命やっていれば、線が円になり、その円が縁を結び、人生という一枚の最高の詩画が描けるんだなと信じています。 みなさんが「今しか描けない線」は、どんな線ですか?

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    TOKIO長瀬も退所、帝国弱体説を覆す「滝沢ジャニーズ」の本領

    、選択肢に「次」という意識も芽生えるのは当然だ。(イラスト・不思議三十郎) 独立や退所という選択肢は芸能人に限らない。起業や開業を志すエリートもたくさんいる中で、珍しいことではないからだ。「ワケあって辞めました、辞めさせられました」は別として、嵐の大野智や長瀬など、立場や環境が違えど、思うところはほぼ同じだ。「中年大国」のジャニーズ 嵐ではない自分作り、TOKIOとは違う自分の人生、歳は中年に差しかかろうとしている時期に一般の人でもそれなりに「今とは違う将来や展望」をいろいろと考えるものだ。特に成功して資産(有名著名)と財産(預貯金など)があり、それが余裕であるならば、あと欲しいのは時間と自由だ。 もちろん、ジャニーズに残ることで得られるものもあるだろう。しかし、大手プロダクションならではの立場からできない、やり辛いことも多々あるのも事実だ。NEWSの元メンバー、手越祐也が会見で語っていたように、「スピード感」も重要だ。 手越曰く「もう32歳、自分の責任でできることがある」、そういった理由からも思い切った行動として大きな変化を求めるためには今を作り替えるか、または壊して新たなる道を探るのも人生だ。 事務所も個人もこの「余裕」があるため、いや「余裕があるうち」といった方が正解だろう。こういった現況変化に十分対応できるところがポイントの一つだ。事件や事故を起こされたり、倫理的に反した行動や不祥事に目をつむったりすることができないのは当然だが、解雇や活動停止など告げるのも、それを受けて辞めていく者にも多少なりとも余裕が感じられ、これもジャニーズアイドルならではだろうか。 もっともジャニーさんがいたらと思えば多少なりとも「まだ」というのもあったかもしれない。恩義を残して提携的な独立に成功したSMAPの中居正広はよい例だが、ジャニーさんの有無に関係なく大野や長瀬は自らの意志で道を大きく変えていた。時間次第と言われていた長瀬については、説明さえ不要で、母体であるTOKIOの音楽活動が全くないのなら自らの居場所がないのと同じだ。 人生を見つめたら「このままでいいのか?」と先行きと展望を踏まえて「(余裕がある)動ける今」しかないという一念発起も疑うことはない考え方だろう。このまま飛躍していくのか、進化や変化を遂げて大きくなっていくのか、はたまた安泰と安定を求めて無難に送りたいのか、それは性格の問題であってジャニーズがどうこうということではない。(イラスト・不思議三十郎) そもそも、ジャニーズがアイドル帝国とはいえ、年齢的にはほぼ全員が大人である。むしろ中年大国でもあるくらいだ。その社会人たちが従事している仕事がアイドルや歌手、俳優というだけで、人間的な考えや思いは変わらないが、有名著名人という立場においては制限や制約が厳しくなるのは当然のことである。 それが足かせとなって邪魔に思うこともあるだろうし、またそれがあるからこそ今の自分があるという感謝もまた然りだ。やりたいことがあるならできるうちに挑戦したいと、そう思うことは至って普通ではないか。そうするための変化を求めてステージを変えるやり方もまた不思議に思うことはないはずだ。「25年」の壁 以前「大人になったジャニーズたち」を題材に書いたことがあるが、「アイドル」や「少年」が基本のジャニーズタレントが大人になって結婚や子作りまでして、まだ活動を続けているというシチュエーションはおそらくジャニーさんもあまり考えていなかったはずだ。それを打破したSMAPから時代が大きく変わり、ジャニーズのグループが「解散」から遠のいた結果、今のような「オトナ社会」になってしまった。 10周年どころか20周年を超えて活動を続けてきただけでも奇跡的と言ってもいいだろう。それも第一線でのことだ。そろそろ「次」をカタチにしたいと思えば彼らの行動はむしろ妥当な考えだ。皆が子供のころと大人の今が違うようにアイドルたちだって大きく変化していくのである。 夢を追いかける子供と完成された大人、それは取扱いが全く異なるのも想像に難くない。それにしても、今の若い子たちは具合が悪ければすぐに休むし、都合がよくないとすぐ辞めるし、いわゆる「甘え」も存在しているのは事実だ。昭和にはなかった子供(大人)事情に天下のジャニーさんも晩年は相当、苦労したとみられるのはSMAP解散騒動でよく分かる。 結局のところ、彼らはそれだけ自由だということだ。それに気が付いて行動できるタイミングがいつなのかと考えた、それだけのこと。至極人間的な思想や希望に際した考えや行動は年齢との相談において図るのがやはり普通である。 今のままが心地よければそれでよし、もっと違うことや大きなこと、あるいはすべてリセットしたいなどもあるだろう。それぞれだが、それにしても「25周年」というイベントはなかなかうまくいかない。 実は、ジャニーズではデビューから25周年という記念的なイベントが開催されたことがないのだ。デビューから25年経った記念すべき年にモメて解散したSMAPより前は論外だが、ちなみに少年隊は38年という長い歴史はあるものの活動休止状態があまりにも長い。 今回クローズアップされたTOKIOについても、25周年を前にして山口達也の脱退、これにより音楽活動休止となり、アニバーサリーなる雰囲気も消滅した。実は「25年の壁」とも言える呪縛を打ち破るのはV6が初になる。2020年、まさに今年がちょうどデビュー25周年の節目にあたるのだが、新型コロナの影響でおそらくそれどころではない。ジャニーズ事務所=2019年7月、東京都港区 KinKi Kidsも23年目で大きく期待はされているが、次点の嵐は20周年を超えて活動休止宣言。とりわけ、おおよそ20~25年が活動の目安なのかと思いたくなる。メンバーそれぞれがほどよい年齢になったゆえに、人生を見つめ直したり、トラブルに見舞われたりするということだろう。 そもそもジャニーズはみんな「少年」であり、中年になりそうな時期に一旦止まって考えるだけだ。そういえば、関西テレビの人気バラエティー番組『快傑えみちゃんねる』も25年で終わりだとか…。

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    政治へのホンネを露わにした小泉今日子の気がかりな「新境地」

    メッセージだといえる。 小泉だけでなく、日本の俳優や歌手がこうした問題に意見を述べるたびに騒がれ、「芸能人が政治的発言をすることへの賛否」が持ち出される。ただ、その点への議論が深まることはなく、単に発信者の内容に対する極端な賛否だけがもっぱら注目されて終わってしまう。今回の小泉に対するネット上の反応を振り返っても一目瞭然だ。 「政治利用されている」「共産党に取り込まれた」などと小泉がまるで思考停止した広告塔と勝手に位置づけて批判する声や、「日本から出ていけ」と非国民扱いするものまであった。女優の小泉今日子=2018年9月 一方で反政権の意向を持つ人は、小泉が何者か、その職業に関係なしに「選挙に出てほしい」とか「純粋な思いで発言している」と支持している。このように、発言内容で物議を醸したのではなく、単に有名人が各自の政治信条を述べて、その影響力を含めて賛否を示しているだけなのだ。 三原じゅん子や今井絵理子、蓮舫のように現職だけとってもタレント出身議員は山ほどいるし、山本太郎は参院議員や政党党首に就き、東京都知事選に出馬した。このような現状で、そもそもタレントの政治的関心自体を議論することさえ無意味な話だ。型を破ったアイドル 中には「タレントが政治に首を突っ込むな」という国民の権利や民主主義すら否定する人もいる。しかし、こんな主張は「ではどんな職業だったら政治の話をしていいのか」という反論で一蹴されるのがオチだ。 結局、小泉の政治的発言は、彼女のスタンスに対して好き嫌いを明確にさせただけだ。 そうなると、人気商売の芸能人にとって、国民を分断する論争に積極参加することは、本来得策ではないといえる。多くの芸能プロダクションが所属タレントに政治的発言を控えるようにクギを刺すのは、むやみに嫌われたり、好感度を下げることでCMなどの出演オファーから外されることを恐れるためだ。 事務所の求めに従う芸能人にしても、「ビジネス上の中立」を見せているにすぎず、選挙になれば与野党のいずれかの候補には投票している。米国では、タレントの政治的発言そのものが賛否を巻き起こすことはなく、戦時に反戦を訴えた女性カントリー歌手が保守層の多いファンから猛批判を浴びたことで謝罪した例があったが、こちらもビジネス上の損得を考えた上で撤回しただけだった。 小泉の場合は、急に政治色を強めたようにも見える。だが、もともと彼女はアイドル時代、従来の着せ替え人形のような、それまでのアイドルのステレオタイプから脱却し、自己主張を強めたキャラクターでさらなる人気を得た女性である。 これまで政治的発言が目立たなかったのは、大手事務所に所属していたことが大きい。2018年2月に独立し、自由に発言できる立場になって「たとえ仕事を失ってでも自己主張はやめない」という姿勢を本当にとっているのだから、自己主張キャラはむしろ本物といえるかもしれない。女優の小泉今日子=1984年7月撮影 先ごろ、大手事務所から独立した途端、種苗法改正案に関して言及して物議を醸した柴咲コウも同様である。今後は独立して事務所に縛られずに自由な発言をする芸能人が増え、その言葉に対する好き嫌いの感情を露わにした人たちが支持と批判を繰り返すのだろう。その裏には、19年に芸能事務所を退所したタレントの活動を一定期間禁止するような、事務所が強い立場を利用した契約は許されないと公正取引委員会が判断したことも後押ししている。 しかし、当たり前だが、日本国民として政治的発言は言論の自由であり、何ら問題のない話である。ただ、芸能人という職業を「プロフェッショナル」という視点から捉えればどうだろうか。 お笑いコンビ、ウーマンラッシュアワーの村本大輔は政治的関心を強めるあまり、本業の芸にまでその色を持ち出したため、「笑い」という観点では以前より面白くなくなったとの声が多々ある。もちろん何をしようが彼の自由だが、今や人を笑わせる漫才師というより、評論家に転身してしまったかのようだ。「本業」にはプラス? ただ、ビートたけしのように政治もネタとして扱いながら芸人の枠を超えたスターになった成功例もあるだけに、方向性を間違ったとはいえない。ただ失敗すれば、本業に徹することができない「芸能人の出来損ない」と見られるリスクがある。 独立後、プロデューサー業に専念しているとはいえ、小泉の本業は女優だ。「さまざまな役を演じる」ことが仕事であり、その道のプロとして見れば、わざわざ素のキャラを見せて反政府的な色を付ければ、今後の演技に影響が出ることは否めない。 フーテンの寅さんを演じた渥美清のように、演じる役に感情移入してもらうため、つまりは自分の芸を守るために私生活を見せないようにしてきたプロはたくさんいる。 亡くなるまで家族が笑えるコントで勝負し続けた志村けんは、自ら生み出す笑いに邪魔になるような無駄な主張は控えてきた。ある大物俳優は私生活では熱心な自民党支持者だったが、そのことを公言したことは一度もなかった。 小泉が人として何を主張しようが自由だし、彼女の政治信条を支持する人もたくさんいるはずだ。その中に、彼女の本業である女優としてプラスになるかどうかを考えている人がどれだけいるだろう。これから何を演じても政権批判している素の表情がちらついて、ドラマや映画に集中できない視聴者や観客が出てきたらどうか。 また、この上ないキャリアを築いた大女優として見れば、主張に物足りなさを感じるところもある。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、多くの芸能・演劇関係者が苦境に陥り、政府に俳優や声優の公的支援を求めたことが話題となった。「赤旗」でもこの話を取り上げ、支援のある海外の事例を語って「日本だってやればできるはず」と主張している。タレントの志村けんさん=2016年9月撮影 芸能という娯楽は大衆文化でもあって、必ずしも公的支援を受けなければ成り立たないものではない。プロスポーツでは無観客興行やクラウドファンディングで運営資金を募るなど、知恵を絞って自主努力を進めている。 小泉ほどの立場にある大物女優であれば、同業者の緊急事態に「政府はもっと支援しろ」というのが最初の主張なら少々残念な話だ。それに、彼女の興味が演技から政治にシフトしているという証でもある。 純粋に彼女の芸に惚れてきたファンなら、単に「そんなことよりも、よい演技と歌を見たい」と思っていることではないだろうか。

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    「大人ぶった子供」手越祐也のヤンチャキャラに滲む一抹の不安

    時間、まさにしゃべりまくった独壇場といえる会見だったが、総じて感じた印象は「大人ぶった子供」である。芸能界しか知らない32歳にしてはがんばったと思うが、自分を守りたいという意思ばかりが際立った。 同時に手越のキャラである天真爛漫さとサービス精神が生かされた面もあり、本人的にはセーフティーに進めることができたと、安堵しているのではないだろうか。 ただ「手越祐也」と自らの名前を連呼しながらビジョンを熱く語り、今後の活動を宣伝するかのような必死さはファンから見て痛々しかったのではないだろうか。また、冒頭で強調した「円満退社」と事務所や番組のスタッフに向けた感謝のメッセージも「飾り」としてうまく使おうとした意図が滲み、マイナスだったかもしれない。 会見で明らかにした「ジャニーズ側から突然、弁護士を立てられた」「藤島ジュリー景子社長と滝沢秀明副社長には会ってもらえなかった」、この二つ(対話はなく交渉は弁護士同士のみ、最上層部とは会ってもらえなかった)が証明しているように、決して「円満」ではないことが逆に浮き彫りになった。 このように、ジャニーズと揉めている関係性が印象付けされてしまえば、今後の芸能活動に多大な影響を及ぼし、業界から干される恐れが増してしまう。また「契約」による決まり事で悪くは言えないのも分かるが、あざといくらいに健全さをアピールしている様子にあきれる視聴者も少なくなかったはずだ。 前日からテレビやスポーツ新聞で「会見」の予告が報じられ、その宣伝効果もあってなのか、一時的には130万人を超える視聴者を獲得したが、次第に減少して50万人以上が途中で離脱して終わった。 会見時間が長かったことに加え、しつこいぐらいの自己アピールを嫌ったのか、会見の「核心」、つまりジャニーズとの確執的な部分で明確な回答が得られず期待に反したことも要因だろう。記者会見を終え、得意のポーズを決める手越祐也=2020年6月23日、東京都千代田区 いずれ辞める、いつか辞める、そして間違いなく辞める、と言われ続けてきた手越の退所そのものは突然発表されたという雰囲気だが、実は「方向性」としてかなり前から準備されていた。本人も言うように、遅くとも3月には決めていたところ「やりたいことをやる」「ジャニーズにいたらできない」に集約してこれを実行したにすぎない。 手越が言う「やりたいこと」は、本来ならジャニーズに所属していてもできることが多い。ジャニーズと言えども、それなりに自由な面はあり、数々のスキャンダルを起こした手越が、ジャニーズで活動を続けていたことが何よりの証左だ。底をついた信用 ただ、自由に楽しく謳歌しすぎたのか、ビジョンが広がりすぎて足元が見えなくなってしまったのか、歯止めが利かなくなったタレントに危機感を覚えるほどになれば、事務所が勧告するのも無理はない。それでも変わらないのならば罰を与えるのは当然であり、致し方なく関係を断ち切ることもある。 素行不良で解雇された田中聖(元KAT-TUN)と異なる部分は、手越の人気と性格が大事にされていた点だ。それでも「行き過ぎた行動」においては簡単に目をつぶることができなくなったということだろう。 業界最大手となれば影響力も大きいことから、ある種の「お手本」的な立場でないとならない使命感があり、厳しく対処せざるを得ない。冒頭で記したように、32歳の社会人として考えや行動が子供すぎた結果にほかならない。 要するにキーワードは「自粛」である。これができないのならば出て行って構わないという事務所の姿勢と「不要ではない急なる用事」で「法を犯しているわけではない」「事前にマネジャーに報告している」といった強気の手越の意見が対立したことが悪い方向に転がったというところだ。これまでのスキャンダルも含めて事務所からの信用が底をついた結果でもある。 事務所の上層部からすれば、前社長のジャニー喜多川氏が亡くなった昨年7月9日の前日、飲み会でドンチャン騒ぎしていたという事実は許せない所業だ。最大の恩人が危篤で苦しんでいる最中のことであり、ジャニーズの所属タレントにとっては「家族」である。 特に病室で見守り続けた滝沢秀明や東山紀之あたりは「こんなときに…」という思いが強く残っているはずだ。 こうした思いを募らせていた中で発覚したコロナ禍での不謹慎な行動で、それが決定打になったのが真相であり、「円満」な部分はどこにも見当たらないのは誰の目にも明らかだ。にもかかわらず、マスコミを前にサービス精神満載で健全さをアピールすることで「今後の手越」をかなり押し出した感がある。 会見でしきりに繰り返したのは「今後」だ。手越曰く、これも「パフォーマンス」なのだろうが、倫理的な解釈が一般的な感覚と大きくズレていることの表れであり、そこを本人が理解できていないのはイタイ部分だ。 一方、天真爛漫で猪突猛進というだけで、悪人ではないことが分かるだけでなく、才能豊かなタレントと評価されているのも事実。それだけに、今回の「失敗」の始末の行方やファンがついていけるかどうかは不透明だ。トークイベントに登場した歌手の赤西仁=2016年6月、東京・表参道ヒルズ ジャニーズを退所したことが、失敗ではなく成功との見方もある、SMAPの元メンバー3人による「新しい地図」や、元KAT-TUNの赤西仁などの独立でさえ、ジャニーズに所属していたときに比べファンは半数以下でしかなく、それもさらに減っているのが現実だ。それを恐れていれば「やりたいこと」は何一つできないわけだが、若い今だからこそ行動することについては賛成だ。ジャニーズ所属でこそ ただ「ジャニーズ」の所属かどうかで、全く異なる環境に感覚が慣れるまで違和感に苛まれることは避けられず、それを突破できるだけのテクニックが重要だ。ジャニーズでない手越、NEWSではない手越、これを定着させられるかどうかで先行きは決まっていくが、ファンの心理は全く別のところにある。 手越やNEWSのファンと言っても、それはジャニーズのファンである。言い換えればジャニーズでなければ興味がないといファンはかなり多い。たとえ同じモノであっても「似て非なる」ものであり、ファンは素直に受け入れてはくれない。 ライブハウスですぐ近くの目の前で歌う手越より、遠くて小さくしか見えないドームやアリーナで無数の歓声に包まれている「王子様」に魅力があるのだ。 それはこれまでに退所したタレントが証明している。ドームを幾度となく満タンにしたスーパーアイドルもジャニーズを出た後、同レベルのステージに返り咲くことは一度もない。もちろん光GENJIやSMAPの元メンバーでさえ同じだ。米国で成功を収めたとされる赤西でも現実はそんな気配さえない。 変わらないステータスを維持しているジャニーズ出身の最も成功した例は、郷ひろみだが、時代も形態も異なるので比較はできないだろう。最初からソロの田原俊彦(トシちゃん)も「たのきん」では可能だった球場コンサートも一人ではできないし、ヒット曲でさえ見当たらない。 ファンの数や会場の広さがすべてではないが、ジャニーズかどうかの違いだけで大きく立場は変わるということだ。「これまでと変わらぬご支援をよろしくお願いします」と言ったところで、全く通じない。そもそも、ジャニーズではない手越に需要があるのかどうか問われ「ある!」と言えるのかどうか、その答えはすぐに分かるだろう。 会見での手越の言葉を踏まえれば、タレントであり、アイドルであり、アーティストであり続けたいという願望は、持ち前の対応力である程度は実現するだろう。中身はどうであれメディアを活用したパフォーマンスやライブなどの活動に制限がなくなるだけに、自由な展開が可能になり、また自慢でもある「プレーン」との共存において一定の成功は可能だ。 とはいえ、再度強調するが、ジャニーズであるかないかで芸能界での立場が大きく違うのだ。同じ人間が同じことをやっても「認められない」ということなのか、あるいは需要や「価値」そのものが失われてしまうか、改めて思えばジャニーズのチカラというのは絶大であり絶対的なものなのだと感心する。 トシちゃんが「地上波復帰」とか、最近では今井翼(タッキー&翼)に連ドラが決まるとか些細なことが話題になるくらい恵まれない環境に陥る元ジャニーズ組。手越は「落ちた」と言われたくないと逆に邁進して向上してやるという勢いだが、芸能界には見えない壁と深く長い溝が自分を囲っていることを目の当たりにするはずだ。 そんな厳しい環境下でも、手越に可能性があるとすれば、立ち居振る舞いの器用さが武器になり、人脈の使い方や用意周到さなどの行動力だ。それ加えて、ルックスとポジティブな性格も才能の一つといえよう。会見に臨む手越祐也。右は高野隆弁護士=2020年6月23日、東京都内(蔵賢斗撮影) これまでにないジャニーズアイドルというポジションと、またこれまでにない脱退・退所の方法と新しいスタートスタイルがどう影響していくのか。賛否両論はあり、私は評価できないが、ファンや世間からみれば、初めの一歩としては、あの会見はどちらかといえば成功なのかもしれない。

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    ナイナイ岡村「風俗嬢」発言を後押しする日本社会の悪循環

    いう社会現象が、日本社会には歴史的に存在したのである。 この歴史から推測できることは、今回問題化した芸能人発言だけではなく、同じように思っている男性が実は日本社会には一定数存在するのではないかということである。仮に「あなたも同じように思っていますか」というアンケートをしたとしても、性的な話題について本音の回答を得られるかどうかはおぼつかない。インタビューに答えるお笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史=2016年10月、東京都世田谷区(川口良介撮影) だが、「ほんまはそう思てる男性いっぱいおるよね」という無言の後押しがなければ、メディア出演を仕事とする著名な芸人が、ラジオであのような無防備な発言はしないと思われる。私は彼個人よりも、彼の発言を潜在的に後押ししたと思われる「岡村予備軍」ともいうべき日本男性の心性的慣習を問題視したい。 発言者の意識を推測してみると、性的な話題が「笑い」とみなされ、場を和ませる肯定的要素として受け止められた歴史があったため、お笑い芸人という本業から、新型コロナ感染拡大下の沈うつな社会を和ませるサービス精神が出てしまった、つい「笑い」をとりにいった、悪気はなく逆にウケると思っていたとも想像できる。蔓延する大いなる誤解 であれば、「本気の謝罪」になりにくいのも必然である。私は決して、歴史的背景に照らして、岡村発言を擁護するつもりはない。逆に、「表で言ったからアカンのやろ、どうせ同じことを思っている男はこの世にいっぱいおるはずやから、まあ表向き謝罪しといたらええわ」というような発想を生み出す社会的、歴史的背景をこそ、問題にしたいのである。 上記のような歴史的背景から、現代社会では、水商売の女性や女性の容姿をネタにして笑うことを女性に対する侮蔑であると認識できず、むしろサービス精神だととらえる大いなる誤解が蔓延している。 しかし、このことは、セックスワーカーに対する偏見でもあり、女性を容姿で判断するというあからさまな過ちという意味でも、二重に問題をはらんでいる。こうした文化的慣習からくる日本社会の女性観、女性についての認識自体を根本から改めなければ、再発は永遠に防止できない。 ラジオという公共の電波で発言したから悪い、プライベートではこういう発言も許される、というようにこの問題を矮小化するべきではない。 では、江戸時代なら許されて現代はだめなのか、という疑問が生じるであろうが、江戸時代の「笑い絵」は、女性も男性も鑑賞するものであり、実は春画には遊女の姿は少ないのだ。 夫婦の営みや恋人の関係が主として描かれる春画の場合、性の歓びを女性も男性も謳歌する要素が強く、好意もない異性に経済的困窮から仕方なく性的サービスを提供する遊女たちの苦痛に満ちた性はモチーフになりにくいのである(筆者共編著『浮世絵春画を読む 下』の「春画と遊女」、筆者著書『「愛」と「性」の文化史』)。 しかし、明治の近代化以降、西洋文明の影響下で、ストイックな近代的性道徳が女子教育を通じて主流化し、江戸以前の「笑い絵」の文化が否定されるとともに、女性は「貞操」や「処女」性を重視され、清く、正しく、美しくあることを求められるようになった。展示された歌川国貞の肉筆春画「金瓶梅」=2015年9月、東京都文京区の永青文庫 ところが逆に男性については、江戸以前と同様、遊廓に通って先輩後輩の絆を深めたり、場を和ませる手段としての猥談をしたりすることが、一種の社交手段として許容され続け、セクシュアリティをめぐる女性と男性をめぐる非対称性、ダブルスタンダードが明治以降に強化されて今日に至る。 女性たちの多くもまた、明治の近代教育における夫や息子に従属すべきという儒教的規範を内面化して、男性の猥談を許容したり、性的な嫌がらせを我慢し続けたりしてきたのである。求められる意識改革 だが、こうした性のダブルスタンダードは、ジェンダー平等の実現を目指す現代社会では当然不適切であり、これまでは当たり前と思われていたからこれからも当たり前、という男性中心の性文化の発想をまずは根本から転換する必要がある。岡村発言のみを批判してことたれりとするのではなく、その背後にある過去の日本男性の「性的常識」自体の根本的意識改革こそが、これを契機に求められているのである。 岡村発言の背景にある日本社会全体の問題は、女性と男性の経済格差としても存在する。国際比較上、女性と男性の収入の格差は、日本では男性に対して女性が7割程度を推移してきたが、欧州などは8~9割程度の地域もある。 男性の収入で妻と子供の一家全員の生計をまかなう「男性一人稼ぎ手モデル」が、この格差に影響しており、男性を主たる生計の担い手として位置づける社会的認識が、特に高度成長期に主流化した。 このため、男女の収入の格差はむしろ助長され(男性の収入を増やすことが家計全体にプラスと判断されがちになるため)、配偶者の収入が一定額を超えると扶養控除がなくなるという税制もこうした傾向を助長する。配偶者、特に女性の側に収入があることはいけないことではないか、配偶者よりも稼ぐことは男性の面子をつぶしてしまうのではないか、という間違った倫理道徳観さえ、そこから派生してしまう。 経済の低成長時代を迎え、男性一人稼ぎ手モデルが自明ではなくなり、専業主婦の数はデータ上、減っているとはいえ、長時間労働、ワークライフバランスの解消が前に進まないこともあり、日本女性の労働市場への参画は十分に進まない。 また、昇進すると責任が増えたり、ハードワークになる危惧があったりするため、あえて出世を望まない場合もあり、管理職への女性の進出も進まず、男女の賃金格差も解消されないという悪循環を生む。 結果として、女性がまとまった収入を得るために、いわゆる水商売に走るという戦前のような発想は、現在も隠微に存在している。女性の職業選択肢は明治末から大正期にかけて増え、地道に働いて収入を得る手段も皆無ではないが、現代では長時間労働や遠距離通勤もあり、女性男性を問わず日本の組織は負担が大きいために、まとまった収入を得るためには水商売に行くしかないかとの発想を女性が持ってしまうことにもつながる。 男女共同参画や、女性「活躍」というスローガンが掲げられて久しいが、世界経済フォーラムによる日本女性のジェンダー平等指数の順位は、国際比較上、上昇しているどころか、近年は下降している。「すべての女性が輝く社会づくり推進室」の看板をかける安倍晋三首相と有村治子女性活躍担当相(当時)=2014年10月、内閣府(代表撮影) ジェンダー・ギャップ指数は欧米基準だとの批判もあるが、2019年には153カ国中121位と下位の記録を更新、むしろ2010年代までの方が、80位(06年)、98位(11年)と、90位台から最低101位を推移しており、日本のジェンダー状況は進化するどころか退化している。女性にも求められる発想の転換 なぜなのか。明治女性の労働参画を研究していて明らかなことは、近代化初期の女性の労働参画は、自己実現のためというよりも、生計を担う覚悟で責任を持って働くことが求められたということである。 明治の女性労働としては『女工哀史』がよく知られるが、労働する当事者としての彼女たちは、少なからず、家計を助けて働くことに誇りと責任感を抱いていた(サンドラ・シャール著『女工哀史を再考する』)。 ところが、昨今の女性「活躍」という表現は、テレビドラマの主人公のように、医師や弁護士など、あたかも「華やかに活躍」しなければ女性労働には意味がない、との誤解を生みかねず、地味な仕事について生計のために苦労するくらいなら、安定収入のある男性と結婚するのが人生の「勝ち組」であると判断する若い女性も出てきてしまう。 職業に貴賎はない。表面的憧れにとらわれることなく、女性も地道に生計労働をする覚悟を持てば、新型コロナ終息後に生活に困ったため風俗業に走る、という短絡的発想も解消されるはずである。 女性にもまた、生計のためには「外に出れば七人の敵がいる」という、どのような職場にもある悩みに臆することなく、風俗以外の業界で生きるという発想の転換が必要なのである。 お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志が、ホステスなどに対する税金による支援について疑問視する発言(4月上旬時点)があったが、その意味では正論である。女性の働き口をそうした業界以外にも広げる工夫をする方が、広い視野で見て、男性一人稼ぎ手モデルを構造改革する日本社会の転換につながるのである。新型コロナウイルス感染拡大で風俗店などの休業が相次ぐ歌舞伎町=東京都新宿区 ただし、同時にこの発想の転換が、セックスワーカー全体の差別につながることがあってはならない。ぎりぎりまで選択肢を考えた上で、なおかつその業界に足を踏み入れざるを得ない女性たちはやはり存在するし、性に携わる女性をやみくもに蔑視することも明らかに差別である。 岡村発言の背後にある日本社会の構造的問題を改善し、過去の「性文化の常識」の悪い面を改めることこそが、現代社会には求められている。これこそが再発防止のあるべき方向性である。

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    ナイナイ岡村「風俗嬢」発言と日本社会の現実

    ナインティナイン、岡村隆史の「風俗嬢」発言について、女性蔑視などとの批判が相次いだ。新型コロナ禍で生活苦になった女性が風俗業を余儀なくされ、それを楽しみにするといった主旨だけに批判は免れない。ただ、この問題の根本は個人批判だけでは見えてこない。今回は、浮き彫りになった日本社会の現実と課題を直視する。

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    独身貴族の岡村隆史は、こうして「女嫌い」をこじらせた

    水島新太郎(同志社大嘱託講師) 2020年4月23日、ニッポン放送「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で、パーソナリティーを務める岡村隆史が風俗に関する発言をし、物議を醸している。新型コロナウイルスによる外出自粛のため、風俗に行くことができないと嘆くリスナーに対し、岡村は次のように発言した。 「コロナ明けたら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります。これ、なぜかと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなったときに今までのお仕事よりかは。これ、僕3カ月やと思っています。苦しいの、3カ月やと思います。(中略)この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう」 これは発言の一部に過ぎないが、新型コロナによる失業で生活困窮者が風俗に流れ、最低3カ月間はかわいい風俗嬢の数が増えると、推考していることからも分かるだろう。岡村発言は、個人の発言としては具体的であり、皮肉るならば、風俗を熟知した人間の哲学的思想のようにも見える。 リスナーに諭すように語りかける彼の口調からも、それは一目瞭然である。本稿では、ジェンダー研究者の立場から、岡村発言と、翌週の番組で「公開説教」した相方、矢部浩之の発言を批判的に分析し、生物学上同じ男性としての立場から、岡村が今後取り組むべきことについて述べたい。分析に必要なキーワードは、「ミソジニー」(女性蔑視)、「ホモソーシャル」(従来型の男性同士の絆)、「オン・オフ問題」、そして「アローン」(おひとりさま)だ。 依然、日本列島が新型コロナによる自粛ムードの中、岡村は自ら発した風俗発言によって窮地に立たされるわけだが、実は、同じ日にジェンダー失言をした人物がもう一人いる。スーパーでの密閉、密集、密接の「3密」回避案を、自らの主観だけで語った大阪市の松井一郎市長だ。 松井氏は、男性は決められたものだけを買うから、女性よりも買い物が速い、と独自の「解決策」を掲げ、その後、主婦たちからの猛反発にあう羽目となる。2人とも新型コロナ禍が深刻化する中、女性を蔑視する失言をし、猛反発にあっている。 ただ、今のような国難でなくとも、彼らの発言は時代の変容に追いつけないまま現代に至る男性の本音であり、批判は免れない。特に、女性を性的搾取の対象として蔑視する岡村発言は、タレントのMattをはじめとするジェンダーレス男子たちが体現する、意識と生活スタイルが多様化した今日において、時代を逆行していると言わざるを得ない。会見する大阪市の松井一郎市長=2020年4月(安元雄太撮影) 公開説教で、矢部が「風俗キャラ、それがキャラクターになっていたから」と述べているように、風俗猥談(わいだん)を好む岡村を以前から知っている筆者は、岡村のことを典型的な「女嫌いな男」であると考えてきたが、今回の発言でこの考えに確信を持つことができた。 一般的に、女性との性行為を思い巡らす者は女好きな男であると考えられがちだが、ジェンダー研究において、女好きな男と女嫌いな男の間に大きな違いはない。ここでの「嫌い」は「蔑視」と同義の言葉として考えてほしい。両者は女性を性的搾取の対象としてとらえ、時として、岡村のような風俗発言を、後先考えずに行う。つまり、女好きな男ほど、女嫌いなのである。変われる余地はある 岡村発言を「男性の本能」と一笑に付す歌手のMINMIや、「速やかな謝罪をすれば許す」とする番組スポンサー、「高須クリニック」の高須克弥院長など、岡村を擁護する声が多数ある。その一方で、インターネット上の署名サイト、Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)では岡村のレギュラー番組降板を求める署名活動が展開されるなど、意見は二分化している。 フェミニストの中には、女性を蔑視する男性を容赦なく批判し、中には社会から徹底的に抹殺しようとする人も確かにいる。だが、筆者は相方・矢部の公開説教に対する彼の受け答えを聞いていて、岡村には変われる余地があると思えた。 2人は大阪・茨木西高のサッカー部の先輩後輩であり、コンビ結成まで後輩の矢部は岡村に敬語を使っていたらしいが、結成後にやめたと言っている。そして、今回の件で、岡村は矢部の一言一言に、力なくではあるが応じ、自分を客観視する機会を得てもいる。 岡村にとっては、よい自己反省の場となったことだろう。しかし、2人の会話の節々から、互いを思う男性同士のホモソーシャルな絆を感じずにはいられなかった、というのが筆者の正直な感想である。 前述したミソジニストな男たちの多くは、男らしく群れる、つまりホモソーシャルを好む男たちといえるだろう。女性の権利を訴えるフェミニズムにおいて、ホモソーシャルという言葉は、一人の女性を性的に搾取、共有する2人の男の絆を指す「対女性的言葉」として、しばしば批判的に用いられる。昔のハリウッド西部劇映画などには、「お前は俺の認めた男だから、今夜だけは俺の女と寝てもいいぞ」と粋がる主人公がよく描かれたものである。 話を戻すが、ホモソーシャルな男たちの関係において、2人の男は主従関係をベースに男同士の絆を強化していくことになる。先輩である岡村と後輩である矢部の関係を思い浮かべてもらうといいだろう。 いまだに矢部が「岡村さん」と呼んでいることからも分かる通り、敬語使用をやめた以降も、両者の間にはある種、無意識的な権力関係が存在しているといえる。また、ジェンダー研究において、ホモソーシャルという言葉が、男のパワーゲームを表す形容詞としてしばしば使われていることも知っておいていただきたい。ナインティナインの矢部浩之(左)と岡村隆史 ミソジニーの解説でも触れたが、ホモソーシャルな絆において、男たちは女性を性的搾取の対象としてだけとらえ、彼らは女を侍らせ、男らしく群れることを好む。 例えば、男同士の飲み会で酔いも回ってくると、女性にまつわる下ネタが重宝されることがないだろうか。『男の絆』(筑摩書房)で福島大の前川直哉・特任准教授が述べているように、男同士の絆において、「猥談をぽろっと出すと、一気に『話せる奴』」として認められるのだ。 岡村と矢部の関係以外に、彼とスタッフ、さらにはリスナーとの関係性が、まさに本稿で言う、ホモソーシャルな絆という言葉に集約できる。事実、岡村の猥談を笑うスタッフの声がマイク越しに聞こえたし、男性リスナーからの擁護発言もネット上で散見される。「身内」で完結する危険性 こうした男性主導を基盤にしたホモソーシャルな関係は、芸人の世界ではよく目にする関係である。そういえば、お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志は、新型コロナの影響で生活難に直面する後輩芸人に100万円を無利子・無担保で貸し付けるプランが報じられたし、昨年の吉本の騒動でも、明石家さんまの後輩思いな面が改めてクローズアップされた。 つまり、芸人の世界は主従関係、つまりホモソーシャルが中心で成り立っているといって過言ではないだろう。ただ、筆者は、決して芸人世界の先輩・後輩という主従関係が悪いと言っているわけではない。 先に、矢部の公開説教を例に、先輩後輩の主従関係の逆転について触れたが、この点において、岡村発言および矢部による公開説教を擁護できない点が多々ある。それは、まず第一に、この後輩による説教が、自分(岡村)にとって最も近しい後輩(兼相方)によって成されたものであるという点である。 現に、矢部は説教の最中、岡村に対して「身内」という言葉を繰り返し使っている。このことについて、5月3日放送のTBS系『サンデージャポン』では、同じ芸人のカズレーザーが鋭い指摘をしている。今回の件が当該者である女性たちではなく、説教という形でコンビ間で完結してしまっていると危惧しているのだ。 たとえ先輩後輩の立場は逆転しても、結局のところ、2人の関係はフェミニストの女性の多くが敵視する、ホモソーシャルな関係のままなのである。筆者は、矢部が優しく相方を諭す声をラジオで聴いたとき、深く同情した自分自身の内にもホモソーシャルな規範があることを実感した次第である。 プロフェミニスト(女性擁護者)を装うことなく、男としての本音を吐露する岡村が、もう少し今日のジェンダー問題、たとえば「#MeToo(私も)」運動などに関心を持っていたなら、フェミニズムが求める、女性の政治的、社会的、経済的平等の理論を無視した今回のような発言はしなかったはずだ。 相方の矢部は、公開説教の中で、2010年に体調不良で休養した岡村が復帰における謝罪に言及し、自分はきちんと謝罪をしてもらっていないと語っている。矢部は岡村について、番組など「オン」の状況下では素直に謝るのに、そうでない「オフ」では決して謝らないと、岡村の怠慢さに触れているが、これは的確な指摘だと言える。 岡村にとって、「オン」が自己を演じる場であるのに対し、今回のラジオは、仕事とはいえ、少人数のスタッフ以外とは顔を合わせなくてよい「オフ」な場になっていたのだ。現在、テレワークを余儀なくされているみなさんの中にも、「オフ」な状態がゆえ、つい気が緩んでしまう瞬間を経験された方がいるのではないだろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 現在、大学生を教える立場の筆者は、コロナによる自宅待機のため、4月中旬から「オフ」状態が続いている。普段、学生を前に教師を演じる「オン」の状態から、オンデマンド型の授業という「オフ」の状態でいると、やはり、顔と顔を向き合わせていないせいか、血の通った人間関係を実感できず、仕事に身が入らない日が正直ある。 声のみでの交流に軸を置いたラジオは、対面という「オン」の状態で自己を誇示する面を持つ岡村にとって「オフ」な状況を意味していたのかもしれない。今回、われわれが「オフ」の岡村を知ることができたのも、ラジオの内容が即座にネット上に公開される今日であるからにほかならない。今後、岡村は「オフ」でどう行動していくかを見せることで自分自身と向き合っていく必要がある。「独身貴族」ゆえの浅はか さて、吉本興業所属の芸人の間に、「アローン会」なるグループが存在しているのをご存知だろうか。名誉会長に坂田利夫、最高顧問にさんま、会長に今田耕司を据え、岡村は部長職にあるらしい。全員、芸人世界では名の知れた独身貴族である。 独身男性にまつわる話に関連するが、矢部による公開説教の中で同調できた部分が一つある。それは、矢部が「景色を変えた方がいい。結婚が偉いとかではなく、全く変わるから」と、岡村が独身であることに言及し、今回の失言の要因が独身であることに起因していると指摘した点である。 ネットで散見される数々の記事に目を通すと、ほとんどがこの指摘を否定するものだった。だが、矢部の言う「結婚して子供にも恵まれて、より(女性への)リスペクトが増していった」という言葉に、筆者の心は打たれた。 筆者はこれまで、市民講座などで頭の固い(ように一見みえる)おじさんたち相手に、女性の立場を体験してみませんか? と語りかけたり、『週刊SPA!』で「男性記者が実体験―オンナは大変だった!」特集に参加したりしてきた。このような他者体験を勧めてきた身だけに、反対意見はあるだろうが、矢部の発言には一理あると考える。 特に、このような失言を生んだ浅はかな考えの背景には、大河ドラマやレギュラー番組を抱え、お金に何不自由なく、配偶者を養う責任もなく、好きな時間に好きなことのできる順風満帆な人生を送る、「独身貴族」というカテゴリーだからと言えなくもない。そう考えれば、一般独身男性と同一視すべきではない。 ジェンダー研究において、今回の岡村の男性観は、学びの例としては教科書に載せるに堪えうる全ての条件を兼ね備えているといえる。対面授業が開始された折には、ディスカッションの題材として活用したいくらいである。 ミソジニストな男が、ホモソーシャルな関係を好み、何不自由ないアローンな状態で自己陶酔型な人生を謳歌(おうか)した結果、時代に逆行するKY発言で打ちのめされ、新たな行動を注視される状況に追いやられる。このような話は、依然、日本に古いジェンダー観を持つ男が多く存在していることを説く一つの教材であり、そんな男がどうすれば変わることができるか、議論の余地すら与えてくれる。社会学者の上野千鶴子さん=2019年6月 ホモソーシャルの話の中でも少し述べたが、金や地位が男に一種の主従関係や権力を与えるのなら、そのような権力を持った男の「おひとりさま」以上に怖い者はこの世に存在しないのかもしれない。 日本のフェミニズムを牽引(けんいん)してきた社会学者でフェミニストの上野千鶴子さんは、自著『男おひとりさま道』(文藝春秋)で「『弱さの情報公開』のできない男同士の関係では、困ったときの助けにならない」と、強がる男たちに叱咤(しった)激励を送った。上野さんの叱咤のように、今回、後輩で相方である矢部に弱さを見せることができた岡村には一度、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られ、新しい人間としての再スタートを切っていただきたい。

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    矢部浩之の説教力 ”じゃないほう芸人”の劣等感は響いたか

     ナインティナイン・岡村隆史(49才)をラジオで公開説教した相方・矢部浩之(48才)のぶっちゃけ発言が、世間だけでなくお笑い関係者たちをもざわつかせている。その理由は、岡村の日常での勘違いぶりなどにまで容赦なく糾弾したことだけでなく、矢部が自らコンビの実力にまで言及したからである。 まず、騒動を振り返ろう。4月23日放送のニッポン放送「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」で、「コロナが明けたら美人さんが風俗嬢やります」と発言して、大炎上した。3月には、今年のNHK紅白歌合戦の司会候補にまで名前が挙がり、パブリックイメージは最高潮だった岡村は一転、奈落の底へ落ちた。 大ピンチの中、1週間後の4月30日の放送には、途中から矢部が登場。驚き、詫びる岡村に、1時間20分の「公開説教」をした。矢部は「ええ機会やから」と、件の失言だけではなく、岡村の周囲への態度や考え方などについて追及。例えば、・2010年の体調不良による長期休養(通称・パッカーン事件)明けに、矢部にはメール1行「全て笑いに」と送るだけで、謝罪の一言も無かったこと・コーヒーを持ってくるADへ「ありがとう」も言わないこと・目上の人に誘われても、楽屋に戻ってからマネジャーに断らせる逃げ癖・妊婦のマタニティマークを不要と主張したり、妻に謝罪や感謝の言葉を述べる矢部に「白旗上げたか」と発言するなどの、日常的な女性への気遣いの無さ・ヘアメイクやスタイリストらに「ケチ」と陰口されている事実 など、長年相方として見てきた岡村の言動について、具体的に批判したのだ。芸歴と人気を得て、いつの間にか偉くなり、誰も注意してくれなくなったぬるま湯の環境にあぐらをかいていた結果だと指摘した。 さらに、岡村が長らく女性にコンプレックスを持ち続ける「かわいそうさん」と厳しい分析をして、「だからほかのタレントさんが言ったら炎上することも、あんたが言っても(これまでは)炎上しなかった」と語った。 ただし、矢部は、岡村を叱るだけではなかった。「俺は自分のことおもろいと思ったことない。最初から今まで、岡村隆史のビジュアル個性はなかなか突き抜けてんのよ、それやからコンビが成功したのは」と、自らの“お笑い能力”の低さと、ナイナイが売れた理由までぶっちゃけた。あるベテランのお笑いテレビ番組関係者は、そこに驚いたという。ナインティナインの矢部浩之 「矢部さんは岡村さんだけに恥をかかせなかった。自分の“じゃないほう芸人”としてのコンプレックスまで、初めて明言したんです。しかも、自分たちが売れたのは、漫才やコントのネタ力ではなく、何をやってもコミカルに映る岡村さんの見た目のおかげとまで言い切った」 お笑い界の頂点の一角に立つコンビなのに、自ら価値を落としかねないような本音を吐露したのだ。 「そこに覚悟を感じました。倒れるときは1人にさせない。死なばもろともという、矢部さんのコンビ愛、相方愛が言わせたんだと思います」(前出・番組関係者)コンビの「危機管理の鉄則」 別のあるバラエティー番組ディレクターは、こうも話した。 「ここ1年は、ベテランコンビの“看板芸人”のほうが、失態を続けています。雨上がり決死隊・宮迫博之さん(50才)、チュートリアル・徳井義実さん(45才)、TKO・木下隆行さん(48才)、そして岡村さん。どちらかといえば、コンビで“目立つほう”が世間を悪い意味で騒がせてしまっているように見えます」 矢部は、放送の中で「徳井なんかにせよ、一瞬そういうの入ったと思うねん。誰にも注意されへんしって、そしてドンや」と言及した。“裸の王様”になったからの失態だと、指摘した。前出のバラエティー番組ディレクターが続ける。 「看板芸人は、売れていることが“自分の力だ”と実感し、調子に乗ってしまう。今回の矢部さんは、“じゃない方芸人”の代表として、蛍原(徹)さんたちも言いたかったことを代弁したと言えるんじゃないでしょうか」 世論以上に身内が厳しく接するのが、危機管理の鉄則といわれる。実際に、世間のムードも、矢部の説教で終息に傾いてきたように見える。 「物事が冷静に見えていてコンビ愛のあった矢部さんのファインプレー。ただ、あれだけ容赦なく言えたのは、それだけ岡村さんに溜めていた思いがあったからでもある。ここからが、ナイナイさんの正念場です」(前出の番組ディレクター) 岡村が、矢部の忠言をどう受け止めるのか。「岡村さんの改心が見えてくれば、風向きは必ず変わります。ここからは岡村さん自身の問題です」(同前) 4月30日の放送終了後。わずか3分で出口に出てきた矢部はタクシーに乗り、岡村より先に走り去った。岡村はいつもの自家用車ではなく、スタッフに連れられて大型車で帰宅した。今度こそ岡村は、カメラの回らないところでも矢部に個人的な謝罪ができたのか。 どん底からの再スタートの第一歩は、5月7日のラジオで明らかになる。関連記事■ナイナイ岡村隆史 松本人志との会談を求めたことの衝撃■北川景子とDAIGO、「神社で安産祈願」写真6枚■【動画】矢部浩之の1800万円高級車生活 プライベートショット4枚■長澤まさみ&斎藤工、マグロ解体と飲み続けた9時間■森高千里「オバさんになってない」奇跡の51才白シースルー姿

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    正念場の新型コロナ禍、身をもって演じた志村けん「最期の芸」

    杉江義浩(ジャーナリスト、放送プロデューサー) それは昭和の光と、令和の闇が交差した瞬間でした。笑いの神様のような志村けんさんが、よりにもよって新型コロナウイルスで亡くなるなんて、ふざけた作り話ではないか、というのが訃報を知らされたときの私の第一印象でした。 それが信頼できるソースを元にしたニュースであることを確認すると、私は新型コロナウイルスが、急に身近なものとしてヒタヒタと忍び寄るのを感じました。名も知らぬ誰かがコロナで亡くなっても、そのニュースは客観的に捉えられますが、自分の家族や友人に犠牲者が出ると、もはや傍観者ではいられません。 志村さんの訃報を聞いて、身内のことのように感じたのは私だけでしょうか。還暦を迎えた私たちの世代にとって、志村さんはコメディアンというよりも、ブラウン管の中の愉快な友達でした。小学生のとき、お茶の間で志村さんの出演するテレビを見て、ゲラゲラと腹を抱えて笑った記憶は、大人になった今も強烈な原体験として残っています。 仕事でバラエティー番組を担当するようになって、さまざまなお笑い芸人さんとご一緒させていただきましたが、私は志村さんに出演交渉するなどというアイデアは一度たりとも思いつきませんでした。 私なんぞが近づいてはいけない別世界にいると感じていたからです。私にとって志村さんは遠くから憧れて眺める対象であり、自分が小学生時代に戻ってバカ笑いできる数少ない存在だったのです。 小学生の頃の私は、無邪気に『8時だヨ!全員集合』を見て、ドリフターズというのはなんて面白いのだろうと深くのめり込んでいました。大人がバカバカしいことをやっている。それがコントという芸であるとも知らず、本当に面白いお兄ちゃんがいるものだと、信じ切っていました。当時の小学生にとって、志村さんが面白いのは、仮面ライダーが強いのと同じく、当たり前のことでした。 成長して自分がテレビ番組を作る裏方となり、志村さんの生み出す笑いが、コメディアンというプロフェッショナルの、努力と類い稀(まれ)なる才能の産物だと知ったとき、私は畏敬の念を禁じ得ませんでした。そのときすでに志村さんは私の手の届かない高みにいて、相変わらず子供たちを笑わせ、若者から高齢者まで日本中に愛されていました。 私が最近になって最も驚いたことは、ドリフターズの番組を見たことがあるはずのない今の世代の子供たちも、「バカ殿」や「アイーン」といった志村さんのギャグを知っていたことです。令和の小中学生を相手に、私が「バカ殿」を人形劇でやらないか、と提案したところ、「やろうやろう、それ知ってます!」という返事だったのです。「アイーン」のポーズでおどける志村けんさん=2014年12月(矢島康弘撮影) 「君たちドリフのコント見たことあるの?」と聞いたら、「バカ殿は知ってます。アイーンの人だよね」とひじを曲げて首に手をやりました。まぎれもなく「アイーン」のポーズでした。「ひげダンスの人だよね」と言う子供もいました。志村さんのギャグは、志村さんの手を離れてそれぞれ一人歩きし、世代を超えて愛される存在になっていたのです。強烈なインパクト そんな志村さんがNHKの朝の連続テレビ小説『エール』に俳優として、作曲家である山田耕筰の役で出演すると知り、楽しみに放送開始日の朝を待っていました。そんな朝に飛び込んできたニュースが、前夜に志村さんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなっていたというものでした。 東京都は毎日のように速報で、新型コロナウイルスの新たな感染者と犠牲者を発表していますが、男性か女性か、年齢、職業といった情報に限って個人情報を出しています。ただ、発表された犠牲者の中に、職業欄が空欄の人が2人いました。その2人のうちの1人が志村さんだったのです。 死亡者は男性で70歳、職業はタレント、と公表すればマスコミが黙っているわけがありません。それを避けるための、東京都職員の苦肉の策だったのでしょう。 しかし、このショッキングなニュースは日本列島を駆け巡りました。続けて劇作家であり人気タレントでもある宮藤官九郎さんが、新型コロナウイルスに感染していることも発表され、国民の間に衝撃が走りました。 明日はわが身、という実感を持って、私たち一般人が新型コロナウイルスに真剣に向かうきっかけを与えてくれたのは、皮肉なことに彼ら有名人の感染でした。コロナの犠牲者が有名人か一般人かは、命の重さとしては、全く差はありません。しかし、私たちはテレビなどで見知った人気者に、友達のような親しみを覚える傾向にあります。 その意味で志村さんの死は無駄ではありません。まるで家族や友達が新型コロナウイルスにやられたような、強烈なインパクトを多くの日本人に与えました。志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため死去したことを伝える大型モニター=2020年3月30日、東京・秋葉原 学校が休校になって暇をもて余し、原宿あたりで遊んでいた子供たちも、志村さんの死をきっかけに我に返って行動を慎むようになりました。それまで男女別と年齢、地域で表現されていた統計的な数値でしかなかった新型コロナウイルス感染を、リアルな個人名として見せつけてくれたのです。 志村さんは新型コロナウイルスを相手に、「だいじょうぶだぁ〜」とおどけて見せて、「アイーン」と首に手をやり、大げさにズッコケてくれたようなものです。私たち日本国民がズッコケないように、志村さんは自らの命と引き換えに、大切なことを教えてくれたように思います。「今は前を向きたい」 昨日、今日のニュースによる新型コロナウイルス感染者数を見ると、日本も今まさに感染爆発に突入したと言うべきです。私自身もいつ感染してもおかしくない環境で仕事をしています。コロナから逃げられる人は今すぐ自宅内に逃げてください。人混みを避けましょう。医療関係者など逃げられない人は、力を合わせて一緒にコロナと闘いましょう。 志村さん最期の捨て身の「芸」ともいえる「新型コロナウイルス死」を無駄にしないためにも、私たち一人ひとりができることを、今一度よく考え徹底しようではありませんか。21世紀の世界は、今世紀最大のピンチを迎えていますが、志村さんの死が日本人の意識を変えてくれた効果は大きいです。 日本人は元々潔癖症と非難されるくらい衛生観念が発達しています。イタリア人などラテン系の方々は男女を問わずすぐにハグをする習慣がありますが、日本人はハグどころか握手もしません。離れてお辞儀をするのが日本流です。 こういったことが感染拡大を抑えるのに役立ち、世界の中で最も早く新型コロナウイルスを押さえ込むことができたとしたら、日本人はまだまだ捨てたものじゃないと胸を張れます。 半年後になるか1年後になるか見当もつきませんが、人類はやがてこの災厄との闘いに勝つでしょう。ポスト・パンデミックの世界情勢は、それぞれの国がどのように新型コロナウイルスに対応してきたかを、検証することから始まるとも言えます。そのときに日本が名誉ある地位を得ることができるのか、国民の意識の持ちようが問われます。 志村さんの死は個人的に強烈なショックでしたが、今は前を向きたいと思います。志村さんが死をもって私たちに教えてくれたのは、誰でも新型コロナウイルスの犠牲者になり得るということです。そして志村さんのように財力もあり存分に医療を受けられる人でも、コロナの脅威には無力だったということです。インタビューに答える志村けんさん=2014年12月、東京都新宿区(矢島康弘撮影) このことで私たちの意識と行動が変わり、今までより真摯に新型コロナウイルスに対処するようになったとしたら、それは有意義なことです。 志村さんのご冥福をお祈りするとともに、これが大きな啓蒙効果となってコロナ対策が国民の間に浸透し、一日も早い感染の終息につながるよう心から期待しています。

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    米倉涼子の円満独立で分かった芸能界に「寄る年波」

    優の米倉涼子が3月24日、27年間所属してきたオスカープロモーションを3月末で退社することを発表し、芸能界に衝撃を与えた。「新しい活動については、近日中にご報告をさせていただきます」と後日改めて発表があるようだが、関係者によると「他に移籍するのではなく、個人事務所でやっていくと聞いている」という。 近年、大手の芸能事務所を退所する所属タレントが増えた。公正取引委員会(公取委)が、芸能プロダクションとタレントの専属契約に違法性があると見て、移籍や独立を阻む問題の調査に乗り出したことが大きい。公取委はこのような事務所が強い立場を利用した契約が独占禁止法に当たるとの見解をまとめ、原則禁止している。 かつて日本の芸能界を暴力団が仕切っていた名残で、以前は独立したタレントが干されるということも当たり前だった。背景には、芸能プロがテレビやスポーツ紙をはじめとするマスコミに強い影響力を持ってきたことにある。不自然に出演アーティストが決まってしまう『NHK紅白歌合戦』も、このゆがんだ構図の産物だといえる。 いまや、そのことを多くの人が感じているから、世間では「事務所からの独立」はタレントが「巨悪」と戦っているように見えるだろう。ただ、芸能プロの圧力が強いほど、当のタレント自身が得をしてきたのも事実だ。 長くヒット曲のない歌手でも紅白に出場できているし、ちっとも面白くない芸人が、他の人気タレントと同じ事務所所属という理由だけでバラエティー番組のひな壇に座っていられる。情報番組のコメンテーターやドラマのヒロインも、実力通りなら人選は全く違うものになるだろう。 プロダクションのプッシュを最も必要とするはずの芸能人が事務所から出たがる、その理由は一般社会の離職や転職と大差ない。ただ、優先順位が違うだけなのだ。女優の米倉涼子=2019年10月(桐原正道撮影) 一般社会では、「会社を辞める理由」で上位を占める回答といえば、「給与が安い」「休日が少ない」「将来への不安」といった待遇面における不満だ。加えて、上司のパワーハラスメントなどの「人間関係」、そして「やりがいを感じない」という仕事内容への不満がある。それでも人気タレントが独立するわけ これまで芸能界を約20年取材してきた経験で言えば、待遇面での不満は、芸能界の場合だと新人など若いタレントや中堅に多い。逆に言えば、どんなに待遇の悪い事務所であっても「一発屋」でもない限り、実績を積み重ねていけば相応に報酬は上がる。 5本のCMに出演しているのに、1本分しかもらえないケースなど聞いたことがない。吉本興業所属の芸人が「ギャラが3千円だった」と愚痴を言うのは、そもそも駆け出しのころのエピソードだったり、ブレイクしないままくすぶっているからだ。 人気が急上昇した若手が「もっともらえてもいいのでは…」と不満を抱くこともあるが、主演作や冠番組に困らないタレントになれば、よほどタチの悪い事務所でない限り、一般人がうらやましがるレベルの報酬が手に入るものだ。休みがないという多忙なスケジュールへの不満があっても、むしろ「うれしい悲鳴」であり、「だから、辞めます」ということにはなりにくい。つまり、人気タレントが独立する理由に、待遇面での不満が挙がることは決して多くはないのだ。 それを証明する動きが続いているのが、ジャニーズ事務所だ。近年退所したタレントの多くが、「コンサートで歌って踊り、ファンクラブの会員を増やす」本業に嫌気が差した者たちだからだ。 KAT-TUNの赤西仁は音楽活動での海外展開を志向し、在籍中からソロ活動を始めていた。KAT-TUNの田口淳之介や、関ジャニ∞(エイト)の渋谷(しぶたに)すばるもシンガー・ソングライターを目指し、ジャニーズを去った。 元SMAPの稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の「新しい地図」の3人にしても同様のことがいえる。SMAPでは、敏腕マネジャーの飯島三智氏が事務所の方針に反してまで、バラエティー番組に積極的に売り込み、さらにドラマやソロ活動を展開したことで、SMAPは国民的アイドルの地位を築くことができた。メンバーが飯島氏への信頼を厚くするのは当然で、極論だが、事務所の「王道路線」に背いたことが退所の発端といえなくもない。 ただ、彼らが実際に離脱にこぎつけたのは、皮肉にも高待遇であったからだ。つまり、アイドルのうちに十分貯蓄できていたからこそ、自分の「やりたいこと」にシフトできたわけである。 嵐の大野智が退所覚悟で休業宣言したのも、中居正広が3月末での独立を決めたのも、自分のペースで選んで仕事をしたいことが最大の理由だ。これは一般社会で言う「やりがい」の理由と合致する。公正取引委員会から注意を受けたジャニーズ事務所=2019年7月、東京都港区 米倉の場合、所属のオスカーのスタッフがテレビ局に頻繁に通い、まるで映画パンフレットのような出来のプロモーション資料を担当者の机の上に置いていく強い営業力で知られる。女優の剛力彩芽がこの上なく「ゴリ押し」されたのも営業力の結果だ。 タレントからすれば、神様みたいに有り難いバックアップだから、やはり待遇面の不満は生じにくい事務所だ。所属女優には、飯島氏のように自分をスターにしてくれた担当マネジャーを付けてくれる。高齢化「世代交代」の弊害 ところで現在、こうした大手事務所に続発しているのが、トップの高齢化による世代交代だ。しかも、世襲が多いせいで、創業者を継いだ2代目が、先代ほどの実力がないにもかかわらず、態度だけはボス気取りという人間が少なくない。結果、一般社会でもよくある「二頭体制」の弊害が出てくる。 オスカーは以前からそんなウワサが聞こえていた事務所で、近年、スタッフが次々と辞めていた。フリーランスの筆者にも笑顔で接してくれた人物も、業界でかなり評判が良かったのに、少し前に「仕事は好きですが、オスカーではもうやれない」と意味深な言葉を残して、他の業界へ転出していった。 タレントにとって、担当スタッフは「最大の味方」だ。必死に仕事を取り、会社との間に入って自分の意向を伝えてくれ、体調の気配りもしてくれる家族のような存在で、「新しい地図」が飯島氏の後に続いたのも、そのような心理が働いたといえる。 最大の味方が辞めるとなれば、タレントの事務所への忠誠心はかなり低下する。オスカーのスタッフが消えるにつれ、女優の草刈民代や忽那(くつな)汐里、モデルのヨンア、タレントで女優の岡田結実と、所属タレントが続々退社していった。もちろん、公取委の方針が後押しになったのは、言うまでもない。 中居が既存の事務所に移籍せず、個人事務所「のんびりな会」の立ち上げを選んだのは、彼にはもう大手芸能プロの力が必要ないからで、米倉にも同じことがいえる。しかも、米倉は出演ドラマの打ち合わせで、テレビ局に足を運ぶことを苦にしないから、仕事は自分でも取れるし、十分な貯蓄もある。 プロモーション資料に常にトップ掲載されてきたオスカーの看板女優だが、もう後押しがなくても自由にやれる。「演劇以外のCMなどは積極的にやりたがっていなかった」とも聞くから、むしろ今後はさらに仕事を選べるだろう。 一部では交際するアルゼンチンダンサーの男性に、事務所が猛反発したという話も伝わるが、それが長年第一線でやってきた超一流のプロフェッショナルに起こった独立問題の核心であるわけがない。女優でタレントの岡田結実。2020年3月末で所属事務所を退社した=2019年9月 一般社会では、従業員の平均勤続年数が短くなってきているというが、ある程度稼いだ芸能人が独立の選択肢を取るケースは今後も増えるし、プロダクション側も殿様商売をしていられなくなるのは時代の流れだ。一般企業でも、パワハラ上司に我慢して働くのは愚かだという認識が広まり、有能な人材なら「自分で起業した方が早い」と考える。 芸能界でも、タレントのフリーランス化が進み、個人で有能なマネジャーを雇うようになる。大手芸能プロがどんなに「育ての恩」を語り、「圧力の壁」を築いても、合理化と適正化の波は止められないだろう。

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    「敵なし」の中居正広がジャニーズ退所後に目論む大仕事

    な仕切りと話術が物語っている。その能力こそが、伝説の国民的アイドルとしての「SMAP」の背景にあり、芸能史上稀に見るリーダー像を確立したといえる証左だろう。 紅白の司会はジャニーさんの悲願であったとはいえ、実は中居自らが司会業を極めたいとジャニーさんに懇願していた。それを二人三脚で確たるものとして成しえたからこそ、退所会見でジャニーさんへの感謝を強調したのだ。 この二人三脚は見事であるが、やはり評価すべきはジャニーさんの優れた先見として見いだした「中居のリーダー性」である。光GENJIのバックで踊っていた「スケートボーイズ」からSMAPを形成する際、選出したメンバーは中居と木村拓哉(キムタク)の2トップから構成されたが、単なる年長者だからといってリーダーに任命したのではなく、最も適しているとの深い思慮から生まれたものだ。(イラスト・不思議三十郎) バブルが弾けた90年代前半、時はバンドやトレンディ俳優と呼ばれる「アイドル以外」が席巻して人気を博した。その半面、不毛のアイドル期となり光GENJIや男闘呼組、忍者の「少年御三家」から受け継いだSMAPも当初は「今一つ」感がぬぐえず低人気で、ジャニーズの一時代が終わったと思わせる事態でもあった。 低人気とはいえデビュー曲のCD売り上げは15万枚超で、あくまでも「ジャニーズとしては」の範疇だが、SMAPのデビュー期は懸念を募らせていた。テレビから音楽番組が減り、バラエティが倍増してきた時期とも重なり、「出番」も失われたことからジャニーさんが起死回生策を打ち出したのだ。嫌々だった「ドリフ」化 その一つが、当初のイメージにはなかったジャニーズアイドルの殻破りとして、SMAPの「ドリフターズ」化だ。すでに有名になったが、ジャニーさんの「YOUたちはドリフになりなよ」である。 これは事実上アイドルをやめて、お笑いの道に進出させる「実験」でもあったが、この後の成功は誰もが認めるところだろう。当時、吉本興業や太田プロがテリトリーの侵害に相当な嫌気を示していたが、ジャニーズを見習って「芸人のアイドル化」で逆襲した経緯もある。 ジャニーさんのドリフ化策は、「国民的」なシェアで知名度を上げ「面白いアイドル」としてSMAPを創造していった。その裏では、歌って踊れる格好よさにあこがれたメンバーたちは拒否しつつ、ジャニーさんだからこそ不本意ながらも指示に忠実になったことが成功への原点となった。 ドリフのいかりや長介こそ国民的な「リーダー」であったが、これを中居に置き換え、言わずと知れた国民的なスーパースター、志村けんをキムタクに見立てた。そして主戦場はコントである。歌って踊って面白ければ「YOUたち最強だよ」というセンスを信じ、少年隊にあこがれていた中居も嫌々ながら必死に研究したという。 このドリフ化策を成功させるカギとして、ジャニーさんが認識していたのは、中居が動けば他のメンバーは従うという勝算だ。森且行や稲垣吾郎はSMAPとしてより個々に俳優として頭角を現していた真っ只中、一旦は懸念を示すも「中居がやるなら俺も」となり、最大の理解者で女房役のキムタクのサポートが起爆剤にもなった。 このように、中居のリーダーシップに裏付けされた「行動力」を認めない者はいない。リーダーとして現場に入ればスタッフとの打ち合わせと確認をメンバーに伝え、まとめながら進行していくスタンスは現在「番組」を仕切るMC(司会)への布石にもなっている。 メンバーの言葉や共演した者たちの感想を聞けば、やはり中居をリスペクト(尊敬)しない者はいないのだ。当時『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でSMAPと同じ楽屋だったロックバンド「コルベッツ」の松本邦彦は中居のリーダー的な仕事ぶりに驚いたというエピソードがある。コルベッツ=1993年6月 「アイドルと一緒かよ」と思ったのは楽屋に入る前までのこと。中居が動けば、SMAPの他のメンバーがそろって動く、その「仕事ぶり」を目の当たりにし、印象が一変したという。現場では常にスタッフと打ち合わせしながら確認の繰り返しと決まり事項をメンバーに指示し、ジャニーさんに伝えていくというまさに敏腕マネジャー的な動きだ。 そもそもこういった現場の「演出」的な業務はジャニーさんが担っていたことで、マネジャーは制作が決めた事案を受け取ってメンバーに知らせるだけだった。だが、SMAPはデビューの前後から中居が「現場を理解」してメンバーを動かすといった「ジャニーイズム」を見て学び実践していた、ジャニーズの歴史の中でこれまでにないグループだった。中居は日本一の「リーダー」 中居を見ていると、リーダーという仕事は「才能」だと思う。誰かに言われてなるものではなく、然るべき者が立つポジションであることをジャニーさんが見いだしたことこそ、SMAP成功のカギとなったのは確かだ。 数少ない歌番組とコントを中心としたバラエティにアイドル番組などに加えてコンサートステージで培った技が、SMAPをオンリーワンへと押し上げて、なおかつ中居という日本一の「リーダー」をコンプリートしたといえないか。 また、中居はメディアの人間であり「みなさんと一緒で仲間」という共存的な印象を与えたことも歓迎された。だが、中居は『SMAP×SMAP』のコントで知られる「計算マコちゃん」のような算段はしていないはずだ。これが自分のあるべきスタイルであり、演出や効果を台本にしない自然性と才能だけで作り上げる。 中居は退所会見で「ジャニーさん、力くれ」という思いで遺骨を持ってきたことを明かしたが、ジャニーさんをよく知る僕としては、「YOUなら一人でできるよ」という声が聞こえてきそうな「独演会」だった。本来なら、ジャニーさん亡き後のジャニーズ事務所に見切りをつけたなどと、スキャンダル的になりがちな「退所」を華やかなステージにした演出は、中居とジャニーズ事務所の成せる技だろう。 では、今後の中居についてだが、「新しい地図」(事務所はカレン)との合流はないとし、個人事務所で独立する形は以前から決めていたと明言した。ただ、ジャニーズの至宝といえる中居を失う痛手が大きいのは間違いないが、事務的な交渉が成立したことで双方の善処たる要点だけ担保して進められたようだ。 つまり、独立は悪いことではなく、本来なら門出を祝う歓迎されるイベントでもあろうと、そういう姿勢がジャニーズにも表れており、今のところ「敵」は見当たらない。中居にしてみればこれが当たり前で、つまらない争いや疑いは誰の利益にもならないのを知っているのだ。 その「敵」こそ、本来ならマスコミであったが、上手に手なづけた中居に誰も批判的でないのは、今後の動きも意識しているからだろう。マスコミとは仲良く共存すべきというのはジャニーさんの教えでもあり、また「新しい地図」の所属事務所代表の飯島三智氏もジャニーズ時代とは違って上手に付き合っている様子も参考になっているようだ。ジャニー喜多川さんの死去を伝える街頭テレビ=2019年7月、東京・有楽町 また、テレビ朝日での会見には憶測と疑問を残して蜜月的な関係がいささか話題ともなっているが、僕らの感覚では「ジャニーズと言えばテレビ朝日」(ジャニーズのレッスン場はテレ朝)なので、事務所以外で使おうとすれば「やっぱりテレビ朝日かな」とは思う。 そこになんら不思議な印象は生じないものの「新しい地図」の活動場でもあるAbemaTVの出資者であるテレビ朝日との関連から「無関係」は信じがたいなどといった言葉が散見されるが、ある意味では中居本人の活動におけるバックアップ的な存在であることはレギュラー番組など現状を踏まえれば垣間見えるだろう。期待される「ニュースキャスター」 ただ、中居が言う「今後」に大きな転換が行われるとしたら司会から「キャスター」という道なのかとも勘ぐられる。単なる僕の勝手な想像だが、中居が残した「含み」を膨らませて考えるとそれもアリではないかと思えてならない。  TBSから独立した久米宏、テレビ朝日から独立した古舘伊知郎を起用してゴールデンのニュース番組を成功させたテレビ朝日の『報道ステーション』(旧ニュースステーション)のキャスターも中居ならと思わずにはいられないのは僕だけだろうか。 キャスターの経験も多くあるとはいえ、本格的なニュース番組に飛び込むのは辛いだろうが、いずれにせよ中居の面白さは無限大である。期待が大きいSMAPの再結成もあれば、個人の飛躍的な活躍も大いなる喜びとなって「国民」を湧かせてくれることだろう。 もう一つ、期待できるとすれば「自由」さと「共演」だろう。ジャニーズを出たタレントは現役所属者と共演できない暗黙ルールがある。「ビストロスマップ」に出たいと懇願してやまなかった田原俊彦が、その夢を打ち砕かれており「共演」は非常に難しいとされているのが現実だ。 かつて、薬丸裕英(シブがき隊)が司会を務めた『はなまるマーケット』に同期の東山紀之(少年隊)が出演したことがあり、この特例を除くと同じドラマの「回違い」や最年長ジュニアだった佐野瑞樹が舞台で現役たちと共演するなど、全くないわけではないが「目立って」は見当たらない。 せっかく立ち上げた「のんびりな会」で、企画を含めて制作にも携われる番組参加をも目論んでいるだろうから、中居が考える「普通」においてあらゆる場面や共演は十分に考えられるし、また中居が「SMAP30周年特番」をやりたいと、どこぞの局に企画を投げれば全国の局が挙手するにちがいない。 デビューから30年は来年だ。ジャニーズに残るキムタクにオファーしたとしてキムタク本人もジャニーズ事務所もこれに対して首を横に振れるだろうか。政治ではないけれど「民意」を思えば、エンターテイナーとして動くのは当然必至とも考えられる。東京・赤坂にあるジャニーズ事務所=2019年7月(戸加里真司撮影) 想像と勝手な期待を記した僕の言い分だが、それも決して「0%」ではなく、また「100%」でもないということだろう。 この数年で時代もジャニーズも大きく変わった。とはいえ、中居本人はそんな壮大で面倒なことは考えていないのかもしれない。しかし、中居にはその「力」が才能として自然に宿っている。そんな愛弟子の活躍ぶりを天国のジャニーさんは楽しんでいることだろう。

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    吉本パワハラ体質 家父長型からインフラ型へ組織改革が急務

    に上梓した著書『仕事人(しごとじん)と組織』(有斐閣/1999年)の中で、吉本興業も例に挙げながら、芸能事務所にはプロスポーツの組織や大学、法律事務所などと同じように個人に活動の場を提供し、側面からサポートする「インフラ型組織」が相応しいと述べた。分かりやすくいうと従来のピラミッド型組織を逆さにして、主役である芸能人やスポーツ選手、専門職をマネジャーや経営層が支えるといったイメージである。 今回の芸能人による不祥事を受け、コンプライアンスの徹底を理由に家父長主義による管理が一層強化されるとしたら本末転倒である。関連記事■吉本辛辣批判 ハリセンボン春菜に事務所幹部が面談要請■宮迫博之vs吉本興業 この後に待っている「違約金」の綱引き■宮迫博之の息子が芸人になっていた 「将来有望」の評価■ファンキー加藤 宮迫謹慎で「不倫騒動トラウマ再発」の理由■宮迫らに喝、千原ジュニアは「闇営業芸人を軽蔑してる」の評

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    ちぐはぐ経済再生で日本も染まる『ジョーカー』の世界

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 映画の祭典、第92回米アカデミー賞の各賞候補が先ごろ発表された。日本でも話題になっている韓国映画『パラサイト 半地下の家族』や動画配信大手、ネットフリックスのオリジナル映画が作品賞にノミネートされた。 特に「ジョーカー」は最多11部門で候補に挙がり、改めて注目を集めている。『ジョーカー』は暴力シーンが多いため、R指定(日本ではR15+)を受けたが、そのハンディを乗り越えて、世界興行収入で1100億円超、同時に封切られた日本でも50億円を突破する大ヒットとなっている。 題名となったジョーカーは、アメリカンコミックや映画、アニメなどでなじみ深い正義のヒーロー、「バットマン」最大の敵役の名前である。この映画ではバットマンは出てこない。ある男がなぜ凶悪なジョーカーに変貌したかが描かれている。しかし、単純な善悪の構図を描いていないのが、この映画の最大の魅力だ。 名優ホアキン・フェニックスが演じるのは、障害のある売れないコメディアン、アーサー・フレックで、普段はピエロに扮装(ふんそう)し、小規模店舗の宣伝などをして日銭を稼ぐ男だ。年老いた母親を介護しつつも、職場で疎外され、付き合う人はほとんどいない。アーサーはまさに孤絶の生活を送っていたのである。 この映画は評価が分かれており、それも「絶賛」か「嫌悪」かという両極端に集中している。おそらくこの孤絶した境遇の彼がジョーカー、つまり殺人を犯す非道の人物に変わりながらも、やがて街で暴動を起こしている群衆のヒーローとなっていくことに、評価が割れる理由が求められるだろう。 ところで、映画の中で路上で暴動を起こしている人たちは、富める者やその代表としての政治家たちに反抗していた。米メディアでは、『ジョーカー』で描かれている世界は現実世界の「写し絵」であり、同時に現実世界にも影響を与えていると解説しているものもあった。 例えば、南米チリで暴動が起きたことは記憶に新しい。地元の代表的な新聞社が入っている高層ビルが炎上するなどの被害があった。 チリでの暴動やデモは、一向に解消されない経済格差や失業の増加などを背景にした若者中心の過激な抗議であった。このとき、多くの若者たちが『ジョーカー』に触発されたピエロのメークをしてデモに参加していたことに、米国のメディアが注目したわけである。2019年9月、第76回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した「ジョーカー」のトッド・フィリップス監督(左)と主演のホアキン・フェニックス(ロイター=共同) 確かに、『ジョーカー』に描かれた暴動と現実は限りなく接近している。経済格差や貧困、社会での疎外からの自由を訴えた大衆の抗議活動は過激なものになった。チリだけではなく、同じく南米のベネズエラ、「黄色いベスト」運動のフランス、そして「一国二制度」の危機を訴える香港のデモなど、世界では「ジョーカー的」ともいえるデモの動きが加速しているようにも思える。トランプと左派政治家の共通点 特に注目したいのは、やはり経済格差や経済的困窮を背景にした大衆の抵抗だ。この動きを後押しする政治勢力も欧米を中心に活発である。 大統領選イヤーを迎えた米国では、サンダース上院議員が民主党大統領候補として有力な位置につけている。また、同党急進左派のオカシオコルテス下院議員も若者を中心に人気を集めている。 この2人は大衆の貧困や経済格差を解消する政策を特に打ち出し、いわゆるポピュリズム(大衆迎合主義)政治家として知られる。ポピュリズムは大衆の支持のある政策を志向することで、一般的にはマイナスのイメージが付きやすい。だが、現代のポピュリズムの背景には、社会の分断や対立を緩和する動きもあり、一概に否定すべきではないと思う。 特に、今列挙した代表的なポピュリズム政治家たちは、経済政策の観点から共通した立場を採っている。それを「反緊縮政策」という。 これはもちろん、緊縮政策の対抗軸として打ち出されたものだ。「反緊縮政策」の目的は雇用を回復し、経済成長の安定化を図ることである。 上記のサンダース、オカシオコルテス両議員ともにその政治信条は左派的だ。だが、雇用を重視する点においては、真逆の政治的な立ち位置のトランプ大統領も同じである。2020年1月21日、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で笑顔を見せるトランプ米大統領(AP=共同) トランプ政権の経済政策は、ラストベルト(衰退した工業地帯)や農村部の利害が中心だと見られることがあるが、筆者はそうは考えていない。トランプ大統領は、国内的には連邦準備制度理事会(FRB)に積極的な金融緩和を求め、対外的には中国を筆頭に2国間の貿易交渉を迫っている。 これらの政策は、ともに米国の雇用を回復させることを狙っていると筆者は見ている。その意味では「反緊縮」であって、雇用重視では従来のリベラル型の経済政策だと思う。 次の図では米国の労働参加率の動向が描かれている。この図からもわかるように、リーマン・ショックによる労働参加率の落ち込みから回復していない。図:米労働参加率 おそらくトランプ政権の当面の目標は、この労働参加率がリーマン・ショック前まで戻り、さらに賃金などが安定的に上昇していく過程を想定しているに違いない。『ジョーカー』で描かれた情景は、あたかもトランプ政権下の経済状況に対する批判としても解読できる。ある意味で、映画(虚構)と現実には大きなズレがある、と筆者は思っている。「緊縮」「反緊縮」政策の違い ところで、肝心の緊縮政策と反緊縮政策の中身についてもう少し詳しく説明したい。 緊縮政策は、不況もしくは不況から十分に回復しない段階で、財政政策では増税、公的予算削減など政府から出るお金を引き締める政策だ。景気対策のもう一つの軸である中央銀行が実施する金融政策も、財政政策に合わせてお金を引き締めるスタンスになる。 不況のさなかに、なぜ政府や中央銀行はお金を絞る政策を採用するのか。緊縮政策を主張する人たちは「清算主義」という考えにとらわれている。 不況によって、経営がでたらめな企業が倒産したり、怠けて技能を向上させない労働者が職を失うことがあるが、この状況を経済の非効率的なものが「清算」されたと考えるのだ。本来であれば、企業は困難に打ち勝つアイデアや組織作りに励む。労働者も、職を得るために自らの技能を磨き、より高度な教育を受けようとするだろう。 このような民間部門の自助努力が経済全体をより高みに持ち上げる、と緊縮政策を支持する人の多くは考えている。「破壊なくして創造なし」なのである。 反対に、反緊縮政策は不況もしくは不況から十分に回復しない段階で、減税や公的予算の増加といった財政拡張政策や、金融政策は出来るだけお金を出すというスタンスを支持する。反緊縮政策を行わないと、民間の自助努力だけでは、いつまでも経済はよくならないと考えている。これは「合成の誤謬(ごびゅう)」としても説明することが可能である。 例えば、不況においては、商売の売り上げも落ち込んでしまう可能性が高まる。多くの経営者たちはやむを得ず、従業員の給料をカットしたり、新規採用を控えたり、さらにはリストラを断行するだろう。不況下では、致し方がない経営者の合理的な態度だといえる。この姿勢を批判しても始まらない。 ただ、不況の中で、リストラに励む経営者が多く出始めたらどうなるだろうか。給料がカットされたり、職を失った人たちは、なおさらお金を使わなくなる。つまり、経済全体では不況がさらに加速してしまうのだ。12月の日銀短観では、企業の景況感の悪化が鮮明になった=2019年12月、東京都中央区の日銀本店 本来、不況下では正しい個々の経営努力も、経済全体では不況をさらに深めることで、かえって個々の経営者や労働者をさらに苦境に陥らせる。これを「合成の誤謬」というのだ。 先の緊縮政策では、不況下でのリストラはむしろ肯定的だったが、反緊縮政策では社会的な害悪そのものになる。民間の経営者や労働者の努力ではどうにもならず、むしろ景気をさらに悪化させかねない。そのため、政府や中央銀行が積極的な景気対策を行う必要が出てくる。これが反緊縮政策の考え方の基本である。ノーベル賞学者も批判 「不景気になれば、政府は景気対策をしているではないか?」と多くの読者は思われるかもしれない。だが、少しでも考えれば、現実はそうとも言い切れないことがわかる。 現在の日本経済は、米中貿易戦争の影響で落ち込み始めている。このタイミングで、昨年10月に消費税率の10%引き上げを実施した。これでは、世の中にお金が出回らない緊縮スタンスになってしまう。ただし、日本の経済政策が総じて緊縮志向かといえば、そうとは言い切れない。実にちぐはぐな対応をしているといえる。 1月20日に通常国会が召集されたが、安倍晋三首相は衆参本会議で行った施政方針演説で、「経済再生なくして財政健全化なし」という基本方針を示した。経済再生が最優先されるのだから、日本経済が不況に陥らないことが第一となるはずだ。 だが他方で、あれほど強調していたデフレ脱却が後景に退いてしまった。日本のインフレ率は、まだ目標の2%のはるか手前だ。景気の下降は既に一昨年の段階から進んでいる。経済の先行きを示す景気動向指数(CI、先行系列の6カ月前・対比年率)を参照すると、2018年7月から経済の先行きのボリューム感がマイナスに転じ、それは徐々に拡大しながら今日に至っている。 今国会では、補正予算案や過去最大の予算が組まれようとしているが、少なくとも景気下降を長期間放置していたことは明白である。その中で景気に悪影響を与える消費増税を実行したのだから、経済再生最優先を採用しているとは言い難い。 ただし、安倍政権の経済政策を全て否定するつもりなど筆者にはない。「今の安倍政権は史上最悪の緊縮政権だ」と発言する奇妙な人たちがいるが、全くおかしな話である。それほど厳しい緊縮政策なら、そもそも補正予算も編成しない。 よほど政治的なイデオロギーで目が曇っていなければ、雇用の改善は明白である。失業率は政権発足時の4・4%から2・4%に下がり、就業者数も400万人も増加した。失業率は自殺者数と連動していることが知られている。失業率の大幅な低下と自殺対策への予算増加の貢献で、昨年はついに自殺者数が2万人を下回った。 この数字を虚構だとして批判するおかしな人たちがいるが、経済評論家の上念司氏がフェイスブック上で痛烈に批判しているのでぜひ参照されたい。つまり、安倍政権の経済政策は、元々は反緊縮政策なのだ。日本銀行の大胆な金融緩和はそのコアを成す。反緊縮は雇用を守るだけではなく、人命も守るのである。衆院本会議で施政方針演説に臨む安倍首相。左は麻生財務相=2020年1月20日 だが、既に指摘したように、今の状況が実にちぐはぐしていることは確かだ。最近、「文春オンライン」で、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン米ニューヨーク市立大教授が、消費増税は緊縮財政だとして、インフレ目標に達して好景気になるまで待たなかった安倍政権の経済政策を「首尾一貫しない」と批判しているのは、この点を突いている。もちろん、クルーグマン教授の発言を持ち出すまでもなく、消費増税と「アベノミクス」は整合的ではない。 経済政策で首尾一貫せずに、失業率の再上昇などで長期停滞に完全に戻ってしまえば、『ジョーカー』のような極端な思想に振れた人々が過激な活動を始めてしまうかもしれない。既にネット上では、全否定か全肯定かでしか考えられない人たちを多く見かける。それを受け入れる悪しきポピュリズムの動きも政治の中で見られる。その動きの本格化を防ぐには、まっとうで首尾一貫した反緊縮政策を推し進めるしかないのである。

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    吉本芸人がギャグにできない「闇営業」をおしまいにする三原則

    川上和久(国際医療福祉大教授、吉本興業「経営アドバイザリー委員会」座長) 大みそかの風物詩『NHK紅白歌合戦』、坂本冬美の歌唱前に登場したビートたけしをたまたま眺めていたときのことだった。たけし恒例の「表彰状ネタ」で、ちょうど紅白にゲスト出演した際のエピソードに入ったところだ。 「本番で出ていった瞬間に『残り10秒』というカンペを出されてしまい、わたしはそのまま闇営業に行こうかと…」とたけしが口走ると、総合司会の内村光良に「やめてください、生放送です!」と突っ込まれ、会場は笑いに包まれたのである。それだけ「闇営業」という言葉を誰もが知っており、2019年を象徴する言葉であることを印象付けたシーンだった。 恒例の「2019ユーキャン新語・流行語大賞」で、年間大賞には、ラグビーワールドカップの盛り上がりで「ONE TEAM」が輝いた。それでも、トップ10に「計画運休」「軽減税率」「スマイリングシンデレラ/しぶこ」「タピる」「#KuToo」「◯◯ペイ」「免許返納」「令和」と並び、「闇営業」が選出されている。 思えば、吉本興業に所属するタレントは、世相を反映させる数々の流行語を生み出して、新語・流行語大賞の受賞対象となってきた。2008年にエド・はるみの「グ~!」が年間大賞に選ばれたのをはじめ、レイザーラモンHGの「フォーー!」(05年)、楽しんごの「ラブ注入」(11年)、とにかく明るい安村の「安心してください、はいてますよ」(15年)がトップ10に入っている。 「闇営業」という言葉も、それまで国語辞典にも載っていなかった、いわば造語だ。しかし、吉本のタレントが自らの芸を磨きながら創り出し、世間にアピールした言葉ではない。 吉本のタレントによる、週刊誌が暴き出した「不祥事」を象徴する言葉として流行語になったことは、会社としては不名誉な事態であった。2019新語・流行語大賞では「ONE TEAM」が年間大賞を受賞したほか、「闇営業」がトップ10に選ばれた=2019年12月2日(鴨川一也撮影) 発端は2014年12月に、詐欺グループに関わっていた人物が代表を務める団体の忘年会に、吉本のタレントらが参加した様子が、19年6月になって週刊誌に掲載されたことだった。その時点で、親会社の吉本興業ホールディングス(HD)では、当該タレントの処分以外に、こういった問題を今後起こさないためにどうしたらいいか、組織としての対応が検討されていたのも当然の話である。 その延長線上に「経営アドバイザリー委員会」構想が浮上した。そして、私がこの委員会の座長をお引き受けすることになった。三つの優先課題 なぜ、私が座長をお引き受けすることになったか。同社の岡本昭彦社長と旧知であったということもあるが、似たような状況で委員を務めた経験があったからである。 2007年に、第1次安倍晋三内閣で「タウンミーティング問題」が浮上した。小泉純一郎内閣の下で始められた政治対話集会であったが、予算の不適切な使い方や参加者の動員、やらせなど、マスコミによる批判が高まりつつあった。 このときには、当時内閣府副大臣だった林芳正参院議員を委員長とする「タウンミーティング調査委員会」が立ち上げられた。林氏を含む2人の国会議員と、2人の弁護士、そして行政広報の学識経験者として私、この5人の委員で会合を重ね、タウンミーティングの改善を答申した。 今回の事例では、この方式がふさわしいのではないか、という思いがあった。 よく、経営アドバイザリー委員会を第三者委員会に擬する向きもあるが、第三者委員会は外部の人間が特定の不祥事に対して、徹底的にその原因を追及する。経営アドバイザリー委員会は、特定の不祥事ではなく全体として、不祥事が起きないようなシステムづくりを考える、手術の事故の原因究明委員会と、予防医学の違いのように考えればいいだろう。 吉本側から示された諮問事項は、「反社会的勢力との決別」「契約のあり方」「コンプライアンス」「ガバナンス」であり、吉本が健全な企業として発展を遂げていくための不可欠の課題が挙げられていた。委員も、こういった課題を議論するにふさわしい7人が選出された。 その中でおのずと優先順位が定められた。第一の優先課題とされたのが「反社勢力との決別」である。闇営業という言葉が端的に示すように、今回の騒動のそもそもの発端は、タレントが吉本に断りなく、詐欺集団と関わっていたことから始まっている。2019年7月、「闇営業」問題など一連の騒動に関する会見で、涙をぬぐった吉本興業の岡本昭彦社長(尾崎修二撮影) だが、コトはそう簡単ではない。吉本が企業などと取引する際には、相手先の企業が反社勢力と関わりがないか、属性調査を行っている。上場企業ではきちんと行っているが、吉本は上場企業から非上場となってからもこの属性調査を徹底して行っていた。 一方で、吉本のタレントが無届けで仕事を請け負ってしまえば、属性調査のやりようもない。ルールと報酬の「透明化」 そこでまず、タレントが自分で直接仕事を請け負うことを「直営業」とした。結果的に反社勢力と関わる直営業は闇営業であって、より幅広い意味で直営業という言葉を用いることにしたのである。 そして、直営業の場合にはルールを設け、報酬の有無にかかわらず届け出る形を取ることが望ましいとした。吉本側の属性調査は膨大になるが、これによってある程度タレントを守ることができる。届け出ることで、より適切な税務申告の方法を指導できるわけだ。 また、仕事以外でも反社勢力に接触してしまう場合もある。タレントには「反社勢力とは関わらない」という意識を、コンプライアンス研修を充実・強化するなどでしっかり持ってもらうことが肝要となる。 しかも反社勢力は、政府自体が「定義が難しい」としているように、半グレや詐欺集団など多岐にわたる。会社もタレントも、「怪しい臭い」に敏感になることが求められる。委員会の中では、マネジャーをはじめとする現場がそういった感覚を研ぎ澄ませたり、従来あるホットラインを充実・強化したり、メンタルケアを手厚くすることなども議論された。 第二の優先課題は「契約の見直し」だ。直営業などでルールを作る以上、ルールを守る、破ったらペナルティーを科すことも必要になる。 だがこれまでは、口頭契約(諾成契約)で「こういったことを守らなければこういうペナルティー」ということも明確でない部分があった。それについては、吉本のタレントと、最低限「所属覚書」という形で、反社勢力との関わりを持たないなど、守らなければならないルールをいくつか明確化した。 吉本が社会から評価される企業であるために、「タレントが反社勢力と関わりを持たない」という意識を徹底させる端緒になったのではないかと思っている。2019年7月、「闇営業」問題などについての記者会見を終え、頭を下げる雨上がり決死隊の宮迫博之(左)とロンドンブーツ1号2号の田村亮 契約についても、吉本は膨大なタレントを抱え、その中から「M-1グランプリ」を制覇して売れっ子になっていくタレントもいれば、アルバイトをしながら劇場出演が年間数回にとどまるタレントもいる。そこで、それぞれのニーズに合わせて「専属エージェント契約」「専属マネジメント契約」「所属覚書」という形で契約を交わす。 報酬についても従前よりも透明化し、テレビ出演であれば、テレビ局から支払われた額と、その中から自分の取り分がどれだけあるか、ということが明確になるような方向性をアドバイスした。透明化されることで、タレントにとっては、自分自身の評価が明確になるわけだ。「ピンチはチャンス」 どんな組織でもそうだが、制度としては設けていても、それを守ろうとする人の「思い」がなければ、制度が機能しているとは言えない。 第三の優先課題は、直営業にしても反社勢力との決別にしても、「設けたルールを守ろうとする意識を醸成していく」ことだ。その意味では、従前からコンプライアンス研修を行っていたが、コンプライアンスの順守が企業を守り、ひいては自分自身のタレントとしてのパフォーマンスを発揮できる基礎になることを一人一人が理解し、納得しなければならない。 今回の不祥事で、「流行語大賞」でトップ10に入ったレイザーラモンHGは謹慎、楽しんごは契約解除となった。芸人の世界は浮き沈みが激しいと言われる。それでも、委員会の発言の中で印象的だった言葉がある。「知識を意識にしていくことが大事だ」という言葉だ。 タレントは企業の社員とは違う。自らよって立ちながら、パフォーマンスを発揮して社会的評価を得ることで、吉本という企業とも「WIN-WIN」の関係を構築することができる。そのために最低限必要なことは何なのか、見失いがちだったことから今回の事件が起きたと言えよう。 12月20日、経営アドバイザリー委は中間とりまとめを行うことができた。優先課題として取り上げた点以外にも、諮問されたガバナンスの問題など4回の委員会を開催して闊達(かったつ)な議論を行い、2019年の区切りに、まずはこれからなすべきことについて一定の方向を示すことができたと思っている。ご関心のある向きには、同社のホームページにも掲載されているのでぜひご覧いただきたい。 この中間とりまとめに対し、吉本HDの大崎洋会長と岡本社長の連名によるコメントも頂戴している。2019年12月20日、吉本興業の経営アドバイザリー委員会の中間とりまとめ報告をした川上和久座長 不名誉な週刊誌報道で流行語大賞にノミネートされるのは、これで終わりにしなければならない。そのために経営アドバイザリー委員会があったのだから。タレントが自らの創意工夫で最大限のパフォーマンスを発揮し、今年の流行語大賞でも旋風(せんぷう)を巻き起こしてもらいたい。 吉本興業は、笑いを基軸としてエンターテインメントを世間に提供しながらも、さらに幅広い飛躍を目指している。そのためには、今回のことだけでなく、さまざまな問題が起きた際に、単にその問題を解決するだけでは済まない。 問題の背景を読み取ることで、ピンチをチャンスにし、発展につなげていく強靱(きょうじん)なガバナンスが求められているといえよう。

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    泥沼NGT騒動が水を差す、AKB『紅白世界選抜SP』と東京五輪

    【編集部より】 2019年12月25日に掲載しました「泥沼NGT騒動が水を差す、AKB『紅白世界選抜SP』と東京五輪」の記事について、執筆者の推論部分の一部に、真実ととらえられかねない表現がありましたので、記事を削除しました。

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    「次は誰だ」ク・ハラ自殺でも終わらない韓国ネット民の狂乱

    きいものとなった。 ク・ハラさんは1991年、韓国西南部・光州生まれ。2008年にKARAに加入し、芸能界デビュー。2016年までシングル12枚、アルバム5枚を発表。韓国と日本で活発な活動を繰り広げた。この時期、「少女時代」「東方神起」らと共に「第二次韓流ブーム」の中心となった。2016年にKARAが実質上解散した後もバラエティー番組や音楽番組などで高い人気を誇っていた。 ク・ハラさんは日本でのライブツアーを終え、22日に韓国に帰国した。自宅に到着した時刻は24日午前0時35分だったとみられている。24日の午後6時になって、家政婦が自宅の1階で冷たくなっているク・ハラさんに気付き、警察に通報した。警察は6時9分にク・ハラさんの死亡を確認している。ク・ハラさんは前日の23日には写真共有アプリ「インスタグラム」に自分の写真を掲載し、写真とともに「おやすみ」という書き込みを残していた。予期されなかった自殺であったため、衝撃は大きかった。 警察の捜査によると、監視カメラの映像を分析した結果、ク・ハラさんが帰宅してから、同日の午後6時まで、外部の人物が訪ねてきた痕跡はなかったとしている。他殺の可能性がなかったことから、遺体の解剖は行われなかった。 当初、彼女の死因についての詳しい報道はなかったが、その後、自筆メモが発見され、自殺の可能性がささやかれ始めた。このメモは自宅1階の居間のテーブルの上に置かれていたもので、短い内容であったが、自分の身の上を悲観する内容であったと言われる。その内容は公開されなかったため、自殺の原因についてさまざまな臆測がなされることになった。 まず、原因と目されたのが、「アクプル」と呼ばれるネット上の書き込みである。「アク」は「悪」の韓国漢字音、「プル」は「reply(リプライ)」の略。要するに他人を誹謗(ひぼう)中傷するアンチ・コメントのことである。再始動第1弾シングル「Midnight Queen」の発売記念トークショーを行った歌手のク・ハラさん=2019年11月8日、東京・東池袋のサンシャインシティ噴水広場 韓国のネットニュースには、配信元を問わず例外なくコメント欄が設けられている。日本同様、注目度の高いニュースには数百、数千のコメントが書き込まれる。韓国はネット・インフラの整備がアジアで最も早く進んだことから「ネット先進国」「オンライン強国」を自負しているが、残念ながら、ネット利用者の意識やモラルはお世辞にも先進的とは言えない。 人種や特定地域に対する「ヘイトスピーチ」顔負けの酷(ひど)い書き込みが行われることなど日常茶飯事だ。時には政治的な目的や商売上の利益のために、アルバイトを雇って大量の書き込みを行い、世論を誘導しようして発覚するという「事件」もたびたび発生している。悪質コメントの中身 ク・ハラさんの死後、韓国の公営放送KBSは、彼女の関連記事に書き込まれたコメントの内容を分析している。韓国の大手ポータルサイト・ネイバーに書き込まれたク・ハラさんの私生活と関連した記事5件を選び、記事に書き込まれた1万3700件の書き込みをすべて分析したものである。分析の結果、全体の19%に当たる2600件が「悪質コメント」と見なされるものだった。 韓国ではさらに、こうした根拠があやふやな書き込みをネタとして報道する慣習がある。もちろん元ネタに対する事実確認などはなされない。あくまで「ネットニュースにこうした書き込みがなされた」との「事実」を報道しているだけ、という言い訳が通るからだ。結果として、事実無根の「流言飛語」がニュースとして再生産され、拡散する悪循環を招く。もちろん、こうした悪質な書き込みや報道は刑事事件や裁判沙汰にもなっており、警察庁の統計によると、ネット上の名誉毀損(きそん)・侮辱に関する事件は2012年に5684件、14年に8880件、16年は1万4908件と急増している。 KBSの調査によると、ク・ハラさんに関する悪質コメントには「顔」「整形」「手術」など、主に容貌を卑下する用語が用いられていた。中には「整形に失敗して自殺を試みたのではないのか」といったものもあったようだ。これは、昨年に彼女が受けた眼科手術をネタとしたものだ。彼女の自殺未遂をネタとした悪質コメントもあった。実は、ク・ハラさんは去る5月にも自殺を試みたことがあり(この際にはマネジャーが早くに発見したため、大事には至らなかった)、この事件の後、悪質コメントの内容はさらにエスカレートしていく。その中には「次は自殺に成功しろ」という人格を冒瀆(ぼうとく)する内容もあった。 また、彼女が光州出身者であったことも、攻撃の対象になった。日本ではあまり知られていないが、韓国国内には、光州が位置する全羅道に対する根強い差別意識がある。 例えば、韓国のネット上では全羅道出身者を「ホンオ(紅魚)」と呼ぶ。これは、発酵させたエイ(「紅魚」)を食べる全羅道地方の人々を罵(ののし)る地域差別用語である。もちろん、タブーとされる表現だが、いかなる差別や罵倒も許されるネット空間では使い放題。韓国のネット上で「ホンオ」を検索してみれば、韓国における全羅道差別がいかに酷いかが瞬時に理解できるだろう。ク・ハラさんもこうした差別感情の標的になった。書き込みの中には「全羅道出身者を排斥するのがグループの生きる道」といった心ない内容もあったようだ。 こうした悪質な書き込みに対して、生前のク・ハラさんは「私の精神的健康のためにも、皆さんが美しい言葉、きれいな視線を持つ方々だったら、と思います」「悪質コメントに対する善処はありません」などというコメントを寄せてもいる。韓国の女性グループ「KARA」の元メンバー、ク・ハラさん(聯合=共同) こうした悪質コメントはク・ハラさんの死後にも続いている。あきれたことに、彼女の死を自分の動画の視聴者数増加や、商売に利用しようとする輩(やから)も登場。ク・ハラさんの死後、韓国の大型掲示板サイトには「ソルリ、ク・ハラの次の打者は誰だ」とのタイトルの書き込みがなされたが、これはオンラインゲームの広告を目的としたもので、ネット上で耳目を集めるために2人の死が利用された(この書き込みはネットユーザーの非難を受けてすでに削除されている)。元交際相手との裁判 ユーチューバーたちも負けてはいなかった。ク・ハラさんの死亡原因に対する「分析」「陰謀論」をネタにして、注目度を上げ、アクセス数稼ぎに熱を上げていた。「故人をアクセス数稼ぎに利用するな」という批判も、視聴者数が収入に直結しているユーチューバーには大した効果があったようには見えない。ソルリさんの死後には、彼女の交際相手を自称するユーチューバーの動画や、ソルリの霊が降臨したと称する霊媒のユーチューブ映像が批判を浴びたが、結局同じことが繰り返された形だ。 ク・ハラさんの自殺に関連して、悪質コメント以外の原因として指摘されているのが、元交際相手による暴行・リベンジポルノである。 ク・ハラさんは昨年9月、元交際相手に暴行され、リベンジポルノを公開するといった脅迫を受けたとして、元交際相手であった男性を刑事告訴。法廷での攻防の末、今年の8月29日、ソウル中央地方裁判所は、この元交際相手に対して懲役1年6月、執行猶予3年を言い渡した。元交際相手は判決を不服として、高裁に控訴している。 これは暴行に対する判決であって、リベンジポルノに対しては「性関係のある両人の合意のもとに撮影された」として、無罪が言い渡された。この男性は有名美容師で、裁判の最中に自分の美容室を開業している。ク・ハラさんが自殺未遂を起こしたのはその直後のことだ。 この裁判に対しても数多くの悪質コメントがネット上で書き込まれ、ク・ハラさんは自分の会員制交流サイト(SNS)に「辛(つら)くても辛くないふり」「一言の言葉が人を生かすこともできるし、殺すこともできる」「幸せなふり、大丈夫なふりは、もうやめたい」といった真情を吐露している。 この裁判に対しては、去る11月29日、女性団体が裁判所の前で一審の判決に抗議する集会を開いている。リベンジポルノを公開するとの脅迫を裁判所が無罪としたことに対する抗議であるが、司法判断を糾弾して済む問題ではない。 この裁判を散々ネタにしてきたイエロージャーナリズム(扇動的なニュースを売り物にする報道機関)、それを面白がって大量の悪質コメントを書き込んでいた一般大衆も同じく糾弾の俎上(そじょう)に上げられるべきだろう。彼らがク・ハラさんを死に追い込むのに一役買ったのは、厳然たる事実だからだ。 実は、ク・ハラさんの自殺が報じられた後、元交際相手が公開を予告していたリベンジポルノをネット上で販売するとの書き込みがあちこちでなされた。彼女の死後にも、故人の死をネタにして、モラルの欠如した大衆相手に金もうけをたくらむ輩が存在したのである。第40回ベストドレッサー賞2011発表・授賞式。元KARAのク・ハラ=2011年11月30日、東京・渋谷のセルリアンタワー東急ホテル(戸加里真司撮影) 今回のク・ハラさんの自殺の原因を巡っては、この他にもさまざまな臆測がささやかれている。その決定的な原因が何であれ、無責任な報道と、その報道に扇動された大衆、そしてその大衆を相手に一儲けを企む輩が、手を組んで起こした「社会的殺人」であったことに疑いはない。 ク・ハラさんの自殺後、韓国国内ではその死を悼む声が大きいが、彼女が死に至った過程を徹底して検証し、報道の在り方とその受け止め方を真摯(しんし)に自省しなければ、第二、第三のソルリ、ク・ハラが生まれるのは必定(ひつじょう)であろう。謹んで彼女の冥福をお祈りするとともに、こうした事件が再発しないことを切に祈りたい。

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    7年の沈黙が物語る沢尻エリカ「薬物逮捕」の本質

    ッチしていたメディアの話に真実味が増してくるのも当然の流れだ。 この衝撃的なゴシップは本来であれば、芸能マスコミが競って後追いすべきビッグなネタだが、相手が大手事務所だけに一様に無視していた。しかし、逮捕された沢尻が供述で「10年以上前から使用していた」とあっさり常習を認めており、まさに過去にさかのぼって取材すべき問題と化している。 ところで、タレントのラサール石井が「政府が問題を起こし、マスコミがネタにし始めると芸能人が逮捕される」とツイートしていた。「桜を見る会」の私物化問題の火消しに追われる政府のスキャンダル隠しに使われたようなニュアンスだったが、冗談じゃない。権力者大好きタレントや後援者の集まりという役得への嫉妬問題より、この事件の方が日本社会にはずっと危険であり、人権問題として見ても重い。 そもそも、社会を大きく揺るがすほどの重大な疑惑につながりかねない事件を話題そらしに使えるわけがない。それよりも、メディアに出演している芸能人が一様にエイベックスの「エ」の字も口にせず、「これで仕事を失うのは本当にもったいないですよねえ」などと毒にも薬にもならないコメントをしている方が、よほど本質そらしだとはいえないか。 ここで気になるのは、警視庁組織犯罪対策5課が約1カ月前に情報提供を受けて、内偵捜査を続けていたという話だ。入手先が渋谷区のクラブだった可能性もあるそうだが、話をリークした情報提供者がいることは事実だろう。送検のため沢尻エリカ容疑者を乗せ東京湾岸署を出る車=2019年11月17日午前 巨悪の存在説が本当に正しければ、リーク元がその敵対勢力という可能性も出てくる。もちろん「エリカ様」への個人的恨みである可能性もあるが、それでも警察に情報提供するとなれば、確度の高い話がないと採用されないわけで、顔見知り程度の間柄ではどうにもならないだろう。 いずれにせよ、沢尻の逮捕で、週刊誌を中心とするメディアにとっての最大の焦点は先に報じられてきたエイベックス界隈の話になるだろう。筆者もそのポイントを前提にした取材に集中するが、核心をそらそうとする動きにだまされないことが重要だ。

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    チュート徳井でわかった「想像を絶する」芸人の蓄財術

    上していた徳井のケースと多少温度差があるのは否めない。 とはいえ、この社会上の処分で済まなかったのが芸能活動だ。NHKを含め、テレビ局はできる限り事なき方向に持っていこうとしたが、「ルーズな性格で納税できなかったんです」という弁明では、社会的制裁は止められなかった。俳優や歌手「不倫」何が違う? この点は、不倫が発覚した芸能人が活動自粛になったケースと同じだ。ただ、テレビ業界が「このぐらいは大目に見ましょう」と済まそうとした感覚は、芸人やタレントという職業カテゴリーに良くも悪くもルーズなイメージを抱いていたともいえる。 同様の問題を報道番組の司会者が起こしていたら「ルーズだったんです」の言葉で済まされたとは、テレビマンたちもさすがに思うはずはない。番組に大きな損失が出ることを分かっていても、これまで通りの出演継続を模索するのは相当難しかっただろう。 報道番組に比べると、お笑い芸人は私生活の失敗も「芸のうち」と見られる傾向が強い。海外でも、ロック歌手やラッパーなどの素行の悪さをキャラクターのうちと見るところがあるため、暴行事件を起こして裁判を待つ身にもかかわらず、コンサートに出る者も珍しくない。 米国では日本より仕事と私生活を区別する意識が強いから一様には比較できないが、今年亡くなったロック歌手の内田裕也が交際女性への強要容疑で逮捕(不起訴)されたとき「ロックに免じて勘弁してください」と言ったのも、本場のロッカー同様に破天荒な生きざまの一つと思ってほしかったということなのかもしれない。 5月、千原兄弟の千原せいじの不倫が報じられた際は、本人がテレビ番組で事実を認めて謝罪したものの、バッシングも受けず大した騒動にもならなかった。不倫の影響についてイベントの会見で「ロケが1本なくなった程度」と言っていたが、同じ不倫騒動でも、矢口真里やベッキー、斉藤由貴らが謹慎に追い込まれたのとは正反対だった。 文筆家の乙武洋匡や元「FUNKY MONKEY BABYS」の歌手、ファンキー加藤への批判が強まったのは、それまでの彼らの言動に高潔さや正義感があったことの反動だ。俳優の渡辺謙や原田龍二、田中哲司、元音楽プロデューサーの小室哲哉にも一定の批判が集まった。対して、ダウンタウンの浜田雅功や三遊亭円楽、木村祐一、千鳥の大悟らになると、いつの間にか笑い話になって終息してしまっていた。「闇営業」問題などで記者会見し、謝罪する雨上がり決死隊の宮迫博之(左)とロンドンブーツ1号2号の田村亮=2019年7月20日 2年前、不倫疑惑で「文春砲」を食らった雨上がり決死隊の宮迫博之も「オフホワイト」発言で笑いを取ろうとしたのは、ある意味で「プロの芸人」だ。反社会的勢力との付き合いが問われた闇営業問題では、さすがにそれを貫き通せるわけもなく、活動自粛が続いている。今、著名人の多くが反社との関わりにかなり神経質になっている中で、芸人たちばかりが問題を甘く見ていたのは、日ごろの緩い空気が原因だろう。 なにしろ、お笑い芸人には、伝統芸能にも息づく「女遊びも芸の肥やし」と言われるような、女性に対する「だらしなさ」も付き物だという価値観が昔からある。「紳助さんはこうしてる」 この認識は、筆者がかつて在籍したプロレスの世界も似ている。両国国技館の興行で、東西南北の座席にそれぞれ愛人を座らせたことを自慢していた有名レスラーが先輩にいたが、罪悪感などまるでなく、むしろ舞台裏で武勇伝としてひけらかすほどだった。このレスラーは大相撲出身だったので、既に力士時代からそういう価値観があったことも伺えた。 後輩に動物のモノマネをさせてエアガンで撃ったり、地方興行の宿泊先で仲居をトイレに連れ込んだり、「ファンの女性と次々関係を持ってたら、後楽園ホールの最前列に6人も座っていた」といった話が控室で交わされていたのは、そこに「プロレスラーはヤンチャでいい」という価値観があったからだ。「仲間で大酒を飲んで大暴れして、居酒屋1軒をぶっ壊した」なんていう話も、当時は武勇伝にさえならなかったが、現代なら大ヒンシュクを買って、インターネットで即炎上しそうな話だから、時代が変わったという考察もできる。 過去、筆者が出演していたバラエティー番組で、レギュラー司会者が不在の際、徳井とともにコーナー進行役として収録に臨んだことがある。残念ながら諸事情でカットされて放送されることはなかったが、アドリブをあまり挟まずにキビキビ進行していた司会者と違って、徳井との掛け合いからは柔らかさを感じた。 高い集中力が求められ、テレビの印象よりも神経質な芸能人も少なくない中で、柔らかさは徳井の持ち味でもあったともいえる。ただし、その柔らかさがルーズさにつながったのか、当時の楽屋では節税やカネの話題でもちきりだった。事実、「徳井さんが自分の会社を作った」ことは7年ほど前から既に舞台裏で伝わっていた話だ。 口八丁手八丁で抜け目のない人間が多い芸能人にとって、関心が最も高いのがカネの話というのは、当然というべきか。財テクに長(た)けていることで有名だった島田紳助が現役だったころ、「紳助さんはこうしてるんだって」という話を若手芸人の口から何度聞いたことか分からない。 徳井が会見で、節税対策の個人会社を作ったきっかけを「いろんな人からアドバイスされた」と言っていたが当然の話で、ブレークすれば節税の話が耳に入ってくる。過去のラジオ番組で「将来は税金のかからないドバイに移住したい」などと突拍子もなく言い出したのも、誰かの受け売りだろう。2011年8月、会見で芸能界引退を発表する島田紳助(桐山弘太撮影) 実際、筆者が昨年、マレーシアにオフィスを持ってから聞こえてきたのが「海外に資金を逃がしている芸人」の話だ。「仲間の金を動かしていたけど、最近は世界中の銀行間で口座情報を共有するCRS(共通報告基準)制度の導入で、国税が対策をとるから、より巧妙な手口を取るつもり」。そんな話が舞台裏には転がっている。 こうして、世間が芸人に甘い空気を作っていた中で、徳井よりも資産を巧みに逃している芸人がいるわけだ。それは結局、大手企業もやっているセレブたちの常套(じょうとう)手段なのだろう。 だが、そういう話を聞くと、ズルい方法を「見つけたもん勝ち」という中で、楽に見つかっちゃったマヌケだけが仕事を失ったという気もしてくる。テレビタレントたちは決して表舞台では言わないが、ほとんどが内心「ああ、もっとうまくやる方法があるのに…」と思っていたに違いない。

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    元SMAP圧力報道で表沙汰、芸能界「暗黙のルール」は必要悪か

    サービスは扱いませんし、スポンサー企業の意に反するテレビ番組はご法度です。 また、番組に出演している芸能人やCMに活用している芸能人が不祥事を起こした場合には、その番組やCMのスポンサー企業のイメージも傷ついてしまいます。そのため、テレビ局側や芸能事務所側には不祥事を起こした場合の多額の違約金が予定されています。 要するに、民放テレビ局はスポンサー企業の意向には逆らえないわけです。とりわけ、このスポンサー企業に対するジャニーズ事務所の影響力が半端ではないということです。 なぜなら、ジャニーズ事務所所属のタレントが出演しているCMの好感度やCM商品の購買力は相当高いでしょうし、また、ジャニーズ事務所所属のタレントが出演しているテレビ番組の視聴率も高いわけですから、スポンサー企業にとってジャニーズ事務所「様様」であり、このような「ジャニーズ事務所を大切にしているスポンサー企業」に民放テレビ局は逆らえません。 したがって、「ジャニーズ事務所を大切にしているスポンサー企業」の意向に逆らうかのような報道はできないということです。ジャニーズ事務所=2019年7月17日夜、東京都港区 最近ではジャニーズだけでなく、芸能人と事務所の契約問題が取りざたされています。「事務所を辞めたら数年間干される」という慣習への批判も散見されますが、個人的に思うところがあります。一人前までにはカネがかかる そもそも、ジャニーズに限らず、歌唱力や演技力、人を笑わせる能力といった「自らの芸能を商品として稼ぐ方々」、すなわち「芸能人」と呼ばれる方々と、彼らをマネジメントする、いわゆる「芸能事務所」という団体との間では、(1) 芸能事務所が芸能人に対し、テレビに出演したり、コンサートで歌ったりするタレント業務を依頼し、その対価として報酬を支払う(2) 他方で、芸能人は芸能事務所に対し、自らの芸能の育成やマネジメントを依頼するといったことを内容とする双方向的な依頼関係があります。これらが、よく世間で「タレント・マネジメント契約」「専属契約」と呼ばれているものです。 この種類の契約では、芸能人は芸能事務所から「今度、こういうコンサートで歌ってください」「このドラマに出演してください」という依頼はありますが、「こういうふうに歌ってください」「こういう演技をしてください」といった指揮命令を受けることはありません。 なぜなら、芸能人は「芸能」という自らの能力で商売をしているわけですから、歌手でいえば「歌い方」、俳優でいえば「役づくり」に対し、いちいち指示を受けることは本末転倒だからです。 もっとも、ジャニーズに限らず、スカウトやオーディションによって芸能事務所に所属したばかりの芸能人の「タマゴ」たちは、ろくに歌も歌えませんし、ダンスや役作りもできません。 そこで、芸能事務所は1人、または1組の芸能人を世に売り出すまで、お金をかけて歌い方やダンスを教え、演技を指導し、そして、一定のコンセプトをもってメンバーを選定した上でテレビや雑誌などに営業活動を行い、彼らの知名度を上げていくといった「事前の投資」を行います。相当のお金がかかることでしょう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) そのため、芸能事務所としては、カネをかけて育てた芸能人をもって投下資本の回収を図らなければなりません。しかし、ここに至って「自分たちは十分に育ててもらいました。『売れた』ので独立します。あとは自分たちでやります」というのは、例えば、「一般企業において、仕事のやり方を覚えたので独立します」という場合と異なり、相当程度、制約されなければならないと考えるべきでしょう。 というわけで、芸能界という特殊性に鑑みれば、独立後数年間は「干される」のも、芸能界という世界に内在する自己防衛システムとして、一定程度は許容してあげても良いと思います。■ 元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴■ モデル西山茉希「13年間の奴隷契約」に通じるヤクザな慣習■ 元SMAPメンバーは「労働者」と言えるのか

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    ジャニーさんだけが知っていたスターの本質

    からおよそ1週間が経過したが、彼の死を惜しむ声が途切れることはない。数々の国民的アイドルを生み出し、芸能界に絶大な影響力を持ち続けたジャニー氏。「ジャニーズ帝国」を一代で築き上げた比類なきプロデュース力をさまざまな角度から検証する。

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    ジャニーさんには「家族葬」があまりにも似合い過ぎる

    戸部田誠(ライター) ジャニー喜多川ほど「謎」の人物であり、よく知られた人物は珍しい。 ほとんどメディアに登場することはないから、彼の人物像をわれわれが知ることは難しいはずだが、バラエティー番組でジャニーズ事務所のアイドルたちが口々に語るエピソードで漏れ伝わってくるのだ。 そこで語られる「ジャニーさん」は、いつだってちょっとおちゃめ。愛すべきおじいちゃんだ。タレントたちを「YOU」と呼び、突然電話をかけ、唐突に「YOU、やっちゃいなよ」と促す。 もちろん、テレビでは明かせないような僕たちが知る由もない部分もあるだろうが、それらの語り口を聞いて確かに感じ取れるのは、ジャニーズアイドルから強く愛されていることだ。既に移籍、独立したタレントたちからも変わらずジャニー喜多川への感謝やエピソードが語られるのもそれを物語っている。 2006年から始まった滝沢秀明主演のミュージカル「滝沢演舞城」は、ジャニー喜多川が作、構成、総合演出を担当した舞台だ。最新技術を駆使し、火や水、バンジー、フライング、マジックなどのド派手なパフォーマンスを盛り込んだものだった。それが2010年からの滝沢秀明自身が演出を担当する「滝沢歌舞伎」につながっていった。 この「滝沢演舞城」で一度、大きな問題が起きたことがある。最初の年の公演で、上演中に火事が発生し、公演を一時中止せざるを得なくなってしまったのだ。滝沢秀明氏(イラスト・不思議三十郎) この時のジャニー喜多川の対応が彼の哲学をよく表している。彼は総合演出だが、多くの人の前で何かを言うというようなことはめったにないのだという。けれど、この時ばかりは、全役者を集めて言った。国分太一の「秀逸な批評」 「(舞台装置の)機構が動かなくても役者のみんなが熱量込めたらファンの皆さんには伝わるから、皆さんが機構以上の動きをしてください」 「君たちが衣装で君たちが照明なんだよ」 この言葉で役者陣の士気が一気に高まったのだという(『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)2017年2月26日)。 「僕らの仕事はお客さんを選んじゃいけない」とジャニー喜多川はよく語っている。たとえ、言葉の通じない海外の人であっても目で楽しませなければならない。そのためには「普通」であってはならない。時に奇抜とも思えるような演出も、ジャニー喜多川にとって不可欠なものなのだ。 堂本光一が実質的に演出を任されているミュージカル作品シリーズ「SHOCK」。そこでジャニー喜多川と意見がぶつかったことがあったという。それはクライマックスで暗く切ない曲を流そうとしたときだ。それを見たジャニー喜多川は「信じられないよ」と帰ってしまったという。彼のモットーは「悲しい時ほど明るい曲をやる」なのだ。 「この顔、一番ジャニーさんが嫌がっていると思うんですけど…」と『ビビット』(TBS)のスタジオで号泣しながらTOKIOの国分太一はジャニー喜多川の訃報を伝えた。そして野球好きだったジャニー喜多川にかけて、彼を「2軍の監督」だったと評した。「1軍」ではなく若手が中心の「2軍」だと。 「基礎だったり精神論というものをまず2軍で学び、そして1軍でデビューする。その1軍になった時にはもうプロフェッショナルになっていると思うんですよね。プロフェッショナルになっている僕たちには、あとは自分たちの考えでやりなさいっていうような精神を教えてくれた」。「若い子、ジュニアとかをどうやって世に出すかということに命を懸けていた人だと思う」と。 間近で見てきたからこその秀逸な批評だ。実際に上記の舞台でもコンサートでも、ある時期を境に演出をタレント本人に任せている。これはなかなかできることではないだろう。ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの死去を伝える街頭テレビ=2019年7月10日 そして、彼の少年を見る審美眼の鋭さは、もはや言うまでもない。数多くのアイドルを生み出し、ヒットさせた。「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」としてギネスにも認定された。そうした記録以上に、彼が、日本独自の男性アイドルグループを愛(め)でる文化を作った功績は大きいはずだ。アイドルを続ける「資質」 珍しくラジオ出演した際(『蜷川幸雄のクロスオーバートーク』2015年1月1日)、対談相手の蜷川幸雄に「感心してるのは、ジャニーさんとこは懐深いね。ああいう森田(剛)くんとかさ、変わった子を」と切り出され、「ああ、顔だけでは選ばないということですね」と答えた。 「人間はやっぱりそれぞれみんないいところがあるの」「ハートがやっぱり伝わってくるんですよね。みんなそれぞれ、若い人って本当に気持ちがありますよね」 アイドルを続ける資質を問われると「真面目なこと」だと答える。「アイドル作りは人間作り」だと。 さらに蜷川に「いい子だと思って残しといたら、ちょっとも成長しない子もいるでしょ?」と問われたジャニー喜多川は食い気味に「いない」と即答した。 「僕は失敗はないと思いますよ。やっぱり人間を扱ってるから、間違いがないですよ。どの子だってみんな人間の美しさってあるんです」。こうした言葉から感じられるのはジャニー喜多川の懐の深さだ。 というよりも、比喩以上に「親」と「子」の関係なのだろう。成長を見守りながら、「YOU、やっちゃいなよ」という言葉で彼らの背中を押し続ける。 速水健朗は、『大人のSMAP論』(宝島新書)の中で、ジャニーズの本質は「家族」だと評した。事実、ファンクラブの名称も「ジャニーズファミリークラブ」だ。「家族」だからその絆が途切れることはない。 ジャニーズ事務所は、ジャニー喜多川の通夜、告別式について、「ジャニーの子供でございますタレントたちとJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきます」と発表した。ジャニーズ事務所がジャニー喜多川社長が死去したことを知らせる文書 家族葬。それはあまりに象徴的で、あまりにもぴったりなジャニー喜多川の弔い方だ。願わくは、「哀しい時ほど明るい曲」を流すことをモットーとした彼の思いの通り、ごきげんなジャニーズナンバーで送ってほしい。■ 僕だけが知っている「帝王」ジャニーさんの素顔■ 養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■ 元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

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    「雄=オトコとは対極」ジャニーさん成功の鍵をひも解く

    れ、病に倒れられるまでその創作意欲が衰えることはなかった。しかし、日本人にとってジャニー氏といえば、芸能界に「男性アイドル」という新たなジャンルを開拓し、「ジャニーズ帝国」と呼ばれる一大勢力を築き上げた人物として記憶に残ることだろう。 もちろん、それまでも「御三家」といった絶大な人気を誇る男性芸能人は存在していた。しかし、ジャニー氏が世に問うたのは「少年たち」によるグループというスタイルだった。あの「ジェット団」らは早くも1969年、ジャニーズ創成期の4人組グループ「フォーリーブス」によってその名も『少年たち』というタイトルのミュージカルに生まれ変わり、上演された。今年の3月には50周年記念作品として映画化もされている。逝去に関する事務所発表で「子供たち」と表現されているのは、この原点から始まった「少年たち」に他ならない。米ニューヨークのタイムズスクエア(ゲッティイメージズ) では、この「少年たち」の特徴とは何か。それはまず、年齢的に「若い」ということだ。ただし、故西城秀樹氏もデビュー時17歳であったし、それは嵐のそれとさほど変わらない。そして、30歳後半となった今も「嵐」はある意味、「少年たち」であり続けている。「雄=オトコ」の対極 つまり、生物学的年齢と関係のない永遠の「少年らしさ」。それはまた、「雄=オトコ」といったセックスアピールとは対極の清廉潔白な無垢(むく)さともいえよう。これは女性だけの「宝塚歌劇団」の「清く正しく美しく」と通じる日本人独特の「美学」と考えられる。 チャッキリスらの「シャーク団」がどこかマッチョなアメリカ人好みの若者たちだったのに対し、ジャニーズの「少年たち」はまさに対極的な美の体現者たちである。しかし、ジャニー氏は自らのポリシーを終生変えることはなかった。 世界を席巻したK-POPがコンテンツの輸出先に適合したスタイルで成功を収めたのとはまったくスタンスが違う。韓国人歌手PSY(サイ)の「江南(カンナム)スタイル」はコミカルなダンスとウイットの効いたメッセージによって欧米で爆発的人気を博し、日本では「東方神起」の憎いまでの心配りの癒やしが女性たちを魅了した。それに対し、ジャニー氏は自らのスタイルが世界に通用するよう日々精進を怠らなかったのである。 それは、氏が布教のため異教の地へと派遣された仏僧の家の出であることと無縁ではなかろう。あくまで教義をゆがめることなく、それを異文化の現場で伝えることは並大抵のことではない。時間をかけた地道な活動が必要とされる。 そして、時は満ち、近年、マンガ、アニメといったコンテンツが世界中で人気を博し、「カワイイ」は世界基準の価値観となった。こうした変遷は、「オリンピック」と「万国博覧会」が再びそれぞれ日本の同じ都市で開催されることに象徴されよう。前回のイベントが戦後復興から日本が「欧米」の世界水準に追いついたことを内外に知らしめたのに対し、今回の開催はまさに「日本的なもの」が世界基準となったことを証明するものである。例えば、「和食」はフランス料理などと並んで世界遺産として世界中でもてはやされている。ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの死去を伝える街頭テレビ=2019年7月10日 2011年、ギネス認定の際、必要に応じてジャニー氏は写真を公開した。裏方に徹し、自分の写真を決して公にしない人物として知られていたにもかかわらず、だ。確かにキャップをかぶりサングラス姿のその写真は余りに謎めいてはいるが、それはひとえに世界進出のためと言われている。ジャニー氏もまた、「少年たち」が世界に通用する日が近いことに気付かれていたのであろう。そこに至るまで半世紀もの時間が費やされたのだった。ジャニーズの特殊性 では、ジャニーズの「少年たち」が体現する世界に通じる「日本的なるもの」とは何か。それは「たち」の文化と言えよう。西洋の個人主義に立脚したグループはあくまで「個」の集団化に他ならない。切磋琢磨(せっさたくま)といえば聞こえは良いが、一方で常に競争にさらされ、弱肉強食の世界観と言える。これはまたK-POPにも通用し、練習生の中から生き残った者のみがデビューの日の目をみる。 それに対し、ジャニーズのスターシステムは、ジュニアとして加入したその日からバックダンサーとはいえ舞台に立つことさえあり得る。ファンもまた、お気に入りのジュニアをいち早く見つけ、彼らが成長しデビューするのを願って一緒に応援して行くのだ。完成品を提供するK-POPに対し、育てるスタイルのアイドル。これはAKBなど女性アイドルでも行われている。 また、確かにそうしたジュニアの中からジャニー氏はグループのメンバーを選抜することになるが、一概に人気順、成績順といったわけでない。あくまでそれぞれのグループのコンセプトにとって必要なメンバーを絶妙なバランスで選ぶのだ。 年長、年少の世代間の縦のコントラストと年長組がちょっとヤンチャな年少組をいとおしく見守るのが魅力の「V6」、テレビ全盛時代、ドラマとバラエティーというそれぞれのジャンルに才能を開花させたメンバーを横断的に配置した「SMAP」、そして極め付きが、一人一人は抜きんでて突出しているわけでないが、5人揃ってグループとして活動するとその相乗効果は老若男女を問わず誰をも惹きつけるものがある日本の顔とも言うべき「嵐」。これこそまさに少年「たち」による「和」の力ではないだろうか。 そして、その中で個人は決して集団に吸収されるわけでもなく、それぞれの個性をのびのびと発揮し、それがさらにまたグループの人気を高めることになる。個人主義でもなく、全体主義でもない。これまた、個性豊かなキャラクターが多々登場するも、つぶし合うことなく、互いが互いにその世界を豊かにしてゆく日本のアニメと共通しているのではないだろうか。ジャニー氏「成功の鍵」 こうした「少年たち」のプロデューサーとして、ジャニー氏の評価は高い。しかし、その成功の鍵はまさにジャニー氏自身が「少年たち」の一員であり、しかも、すべてのグループに共通の「少年」として存在していたからではないだろうか。つまり、タレント=「現われ」としての「少年たち」は「存在者」であり、その「存在者」を根拠づける「存在」としての「少年」が他ならないジャニー氏だったのだ。 こうした究極の存在は「一者」であり、永遠の一者は「神」である。しかし、人として生を得た限り、必ず「老い」さらに「死」は到来する。半世紀以上にわたり、「少年たち」と共にあったジャニー氏も次の「少年」にバトンタッチする必要を感じたのではないだろうか。そして、その適任者こそ、ジュニア時代からひときわ「ジュニアの中のジュニア」として抜きんでた才能を発揮していたタッキーこと、滝沢秀明氏である。 彼に「特定」の少年「たち」とのグループ化は似合わない。彼は「すべて」の「少年たち」と共に在る「少年」、まさにジャニー氏と同じポジションがふさわしい。伝わるところによると、ジャニー氏はジュニア時代から、滝沢氏に自身の仕事ぶりを見せていたという。これもまた、氏の先見の明に他ならない。 時代の流れの中で、昨年、ジャニーズはユーチューブに「ジャニーズJr.チャンネル」を開設した。現在、サイトではジュニアによる五つのユニットの映像が公開されている。その中の一つ、「SixTONES(ストーンズ)」が昨年11月、滝沢氏プロデュースによるミュージックビデオを公開した。その曲が「JAPONICA STYLE」であったことも、ジャニーズが世界基準の「日本的なもの」を発信している証しではなかろうか。 ジャニー氏は来年に迫ったオリンピック、さらには2025年の万国博覧会にもさまざまなイベントのアイデアを持っていたに違いない。あえて公開したご自身の写真の背後に滝沢氏を隠すことで「裏方」としての在り方をもっと学んでほしいと思っていたに違いない。東京都港区のジャニーズ事務所 それにしても、運命とはかくも残酷なものか。死が突然訪れることとなってしまった。しかし、ジャニー氏はこうしてまさに「永遠の少年」となったのである。そして、日々成長していく「少年たち」と共に在り、また私たちとも共に在る。 心よりご冥福をお祈りいたします。■ 僕だけが知っている「帝王」ジャニーさんの素顔■ ジャニー喜多川もお手本にしたヒデキのアイドル道■ 元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

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    ジャニーさん亡き後だから、あえて贈る事務所への「忠告」

    活動休止表明。特に、ここ2、3年で、ジャニーズ事務所は幾度も「荒波」にもまれながらも、長年築いてきた芸能界のポジションを守り続けてきた。 しかし、事務所の創業者として大黒柱を担い続け、多くの所属タレントに慕われてきたジャニー喜多川社長の訃報は、事務所の今後の運営と発展という面においては、比較にならないほど大きな衝撃と影響を与えうるものであることは想像に難くない。 ジャニーさんの死去で失われるものは、あまりにも多い。まず、ジャニーさんに見いだされたことを恩義に感じているタレントが非常に多いということだ。ジャニーズ事務所では、自薦他薦による入所志望の可否判断をジャニーさんが一手に引き受けていたことは、よく知られている。 所属タレントとすれば、「ジャニーさんに見いだされた」という思いがあるゆえ、たとえ事務所のマネジメントや会社のあり方に不満があったとしても「ジャニーさんのために耐える」という心理になりやすい。事務所を否定することはジャニーさんを否定することでもあり、ひいては自身の価値、アイデンティティーにかかわるからだ。 その意味で、不平不満のはけ口となりうる「一つの大きな恩義」を失ったといえる。もし今後、新たな退所者が出るとすれば、これは大きな背景にもなるだろう。 二つ目は、事務所としての危機管理能力である。事務所のトップとしての行動として、有事の際に最終的に記者の質問に答えることは、当たり前といえば当たり前に思われるだろう。ただ、一方で撮影や録音はしないという合意が前提ながらも、時に記者の質問にNGなしで取材を受け、混乱を収める姿勢を見せたことは、事態収拾への道筋を作っていたと思われる。米ニューヨークのタイムズスクエア(ゲッティイメージズ) さらに、エンターテイナーとしてのロールモデル(手本)を失った。ジャニーさんは徹底的な現場主義としても知られ、生涯現役を貫いた。戦争を経験した彼は、「平和があってこそ芸能が成り立つ」との理念のもとに、米国のショービジネスへ触れたことをきっかけに事務所を興した。絶大な「ガス抜き能力」 「時代を追う」のではなく、「自分が時代を創る」という姿勢は、芸能に身を置くタレントにとっても、生き残りを図ったり、自己発揮していくための見本であり、道しるべであっただろう。だが、調子がよいときはともかく、問題はタレントが道に迷ったときである。ジャニーさんが亡くなったことで、大きな道筋を示せる存在はもういないからだ。 また、他者の敬服を前提に、「ジャニーズ事務所が地位を維持し続けるためのシンボル」としてジャニーさんは存在していた。ジャニーズの所属タレントのみならず、他事務所のタレントや関係者からも一目置かれ、先人としての敬意を持たれていたことは、訃報を受けた反応を見るに、齟齬(そご)はない。 とはいえ、弱肉強食の芸能界において、シンボルを失ったことによって潮目が変わる可能性がある。これを一つの区切りとして、同業他社がジャニーさんに気兼ねなく新たな事業を展開するという局面もあり得るだろう。 新人の発掘やスターの育成能力は、彼ならではであっただろう。履歴書の写真を見ただけで10年後の少年の姿が見えるとされた逸話があるように、彼がプロデュースしたタレントは例外なく売れた。 もちろん、希代の国民的スターに育ったSMAPには飯島三智マネジャーがいたように、敏腕スタッフが側近にいたことも大きい。しかし、原石を発掘し、「推し」を決めたのはジャニーさんだとされており、その眼力は結果を見れば明らかである。果たして、今後その役を担える人材は存在するのだろうか。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) また、ジャニーさんには上手な気配り、つまり「ガス抜き能力」があったように見受けられる。彼は所属タレントからも社長ではなく「さん付け」では呼ばせたり、タレント同士も「君付け」で呼び合ったりするなど、日本的な上下関係を嫌った。 これは、人間関係の中で生じるネガティブな壁を排除し、集団としての凝集性を高めるためでもあったと思う。また、一部のタレントにタメ口で接することを許していたのは、芸能界という厳しい環境にあって、事務所の社長でありながら家族的存在として支えていたと考えられる。 殊に、人が悩みや不安を抱えた際、一番の助けになるのは、専門家以上に家族の存在が大きい。いざというときに率直に相談できたり、支えられたりする関係性を普段から作っていたことは、年少のタレントをマネジメントしていく上で、目には見えないリスク管理であったと思われる。事務所への「忠告」 その意味でいえば、ジャニーさん亡きあと、事務所が決して行ってはならないのは、タレントとの関係性が極端にビジネスライクになることである。要するに、事務所関係者が所属タレントに「この事務所は大きく変わってしまった」と思わせないようなマネジメントが重要である。 そして一番大きいのは、精神的な支えを失ったことに尽きる。 ジャニーさんが多くの所属タレントにとって、精神的支柱になっていたことは想像に難くない。では、具体的にどのような形で精神面を支えていたかといえば、「人をその気にさせる力」があったということである。 組織内において、特に新人や若手のやる気を高めるには、本人のモチベーションに加えて、他者のエンパワーメント(後押し)が必要である。ジャニーさんはそれをよく理解していた。 ジャニーさんのエンパワーメントは、端的にいえば、所属タレントを愛し、認め、肯定的な評価を伝えることである。 中でも、人を認め、肯定的な評価を本人に伝わる形で発信するという面においては、類いまれなセンスを持っていたことを感じさせる。ジャニーズ事務所=2019年7月9日夜、東京都港区 言い換えれば、「人を褒め、やる気につなげる」ということであるが、心理学的には大きく三つの方法がある。具体的には、「直接的に行動や業績を褒める」「その人の存在自体、ならではの良さを認める」「間接的に褒める」であり、ジャニーさんはこの三つの方法を自然に駆使していた。 「直接的に行動や業績を褒める」ことは、一般にそれほど難しいことではない。やるべき何かをやったら褒め、認めるし、やらなければ認めない、褒めない、という単純な方法だからだ。ただ、これだけで人は育たない。「間接的に褒める」効果 「その人の存在自体、ならではの良さを認める」ことと「間接的に褒める」ことは学校や会社など、一般社会でも組織内マネジメントに活用されているとは言い難い。しかし、実は非常に大きなパワーやモチベーションにつながる方法なのである。 ジャニーさんは、「YOU(ユー)、やっちゃいなよ!」「ユー、来ちゃいなよ!」「出ちゃいなよ!」とたびたびタレントに伝えていたといわれる。しかも、いまだデビューもしていないタレントに対しても、である。これは、言い換えると「君ならできるよ」という、その人そのものを認めるメッセージであり、それを意気に感じない者はいなかったのではないだろうか。 そして、各人のキャラクターを認めた上で、おのおのが得意だったり、できそうな発揮の仕方を教示し、導いているようにも見える。これも、まず対象のタレントそのものの「良さ」を認めていて、その前提があってこそである。 また心理学的に、間接的に褒めることは、時に直接褒める以上の影響力を持つことがある。「あなたのこと、〇〇さんが褒めていたよ」と言われることが、直接褒められるよりも何だかうれしかった経験は、誰にでもあることだろう。 ジャニーさんは主にメディアを通じて、それを行っていた。滝沢秀明が引退、育成・プロデュース業への専念を発表したときに出された「社長メッセージ」は、最たるものだろう。本人以外の人間やメディアに対して、肯定的評価を発信することは、その本人のみならず、集団としてのモチベーションアップにつながることを、彼は知っていたのだと思う。 「社会人でプロならば、自分自身でモチベーションを高めてしかるべし」という見方もあるだろう。しかし、それだけでは、やはり限界がある。本人が持っている能力をさらに高めつつ、実際に発揮するためには、他者の介在が欠かせないのである。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 一般社会の組織マネジメントにも通じる一つのモデルを、ジャニーさんは生き方を通して世の中に提示していたように感じるのだ。なお、これらのジャニーさんの行動に効果があったかどうかは、倒れた際や訃報に際しての所属タレントの言動を見れば、言わずもがな、である。 ジャニーさんの座右の銘であった「SHOW MUST GO ON(ショーは終わらない)」が貫き通せるかどうかは、彼に育て上げられたタレントが改めて価値を発揮できるかにかかっている。ジャニーさんのご冥福を心よりお祈りしたい。■ 僕だけが知っている「帝王」ジャニーさんの素顔■ 養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■ SMAPと嵐を失っても「ジャニーズ帝国」が没落しないワケ

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    夢は米国のジャニー社長「実はダメだったメンバーはいない」

    出すること。嵐がデビュー会見した場所がハワイだったことも、全米進出への強い思いの表れだと思います」(芸能関係者) 全米進出を夢見るジャニーさんは、「ポスト・ジャニー」についてどう考えるのか。『AERA』(1997年3月24日号)のインタビューでジャニーさんはこう語っている。《ジャニーが死んじゃったら、あとはないんじゃないかって言う人がいるの。マネジャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。まだ、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。ボクいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ》 生涯現役を貫くジャニーさん。彼が作り上げた少年アイドルとともに見つめる先には、今なお未知の世界が広がる。関連記事■ジャニー社長、中居正広やマッチに灰皿を投げた厳しい一面も■ジャニー社長の珍逸話の数々と、口癖「YOU」の理由■ジャニー社長が苦悩した郷ひろみ脱退、窮地救ったたのきん■ジャニーズ事務所が所有する不動産 資産価値は500億円超か■ジャニーズ“年功序列”リスト グループまたぐ複雑な上下関係

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    ジャニー社長、中居正広やマッチに灰皿を投げた厳しい一面も

    マッチや元SMAPの中居正広さん(46才)は、灰皿や電話機を投げつけられたこともあったといいます」(芸能関係者) さまざまな素顔を持つジャニーさんが、日本の芸能界の屋台骨を支える人物であることは間違いない。 木村拓哉(46才)は中学2年生の頃、親戚が勝手に事務所に書類を送った。それを見て、「ぜひお会いしたい」と申し入れたジャニーさんの依頼を木村は4回も断った。 だが5回目に親戚から、「(アイドルを)やりたくてもやれない人がいるから、(レッスンに)1回行ってみなさい」と言われて、木村はジャニーさんに会うことを決意。その時、Jr.が300人以上いたがジャニーさんの審美眼にかない、今に至る。 そんなジャニーさんだけに、タレントからの信頼は厚い。例えば嵐の大野智(38才)は、少年隊以来、歴代のジャニーズアイドルが受け継いだミュージカル『PLAYZONE』の東京公演が終了した際、こう心境を吐露した。「最初に“いい”って言ってくれたのって、ジャニーさんだったのね。夜中に少年隊とぼくとで通し稽古をした時“すごくいい”って言ってくれて、ジャニーさんが言うんだからいいんだなって」 ジャニーズのアイドルたちはみな、大野と同じ気持ちでいるはずだ。関連記事■ジャニー社長の珍逸話の数々と、口癖「YOU」の理由■嵐、ジャニー氏入院5日後にもお見舞い 大阪から直接病室へ■ジャニー社長が苦悩した郷ひろみ脱退、窮地救ったたのきん■ジャニーズ事務所が所有する不動産 資産価値は500億円超か■【動画】ジャニーズ事務所の圧倒的経営力 年商は1000億円超か

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    『あなたの番です』原田知世が女優として大損したワケ

    上村由紀子(フリーライター) 俳優ってつくづく因果な商売ですよね。なにがキツいって、演じている役柄がそのまま本人のイメージと重なってしまうこと。例えば現在、NHK-BSで再放送中の昭和の朝ドラ『おしん』。 本放送中には、今で言うところの毒親キャラ=おしんの父、作造役の伊東四朗の自宅まで押しかけて抗議をするやからが現れたり、「史上最凶の姑(しゅうとめ)」役、高森和子に「佐賀のイメージが悪くなる」と抗議の電話が殺到したりと、現実と画面の中の区別がごっちゃになる視聴者が続出。それだけ俳優の演技が真に迫っていたということなのでしょうが、現実とフィクションの区別がつかなくなるってどんな生活してるんだ。まずはタフマン飲んで落ち着いていただきたい。 まあでも、役のイメージが演者の好感度に影響するのも世の常といえば常。そういえば4月から6月にオンエアされた春ドラマでも、役によって「得した俳優」「損した俳優」がパッキリ分かれた気もします。まずは「得した俳優」から振り返ってみましょうか。『わたし、定時で帰ります。』吉高由里子&向井理 そのタイトルからお仕事コメディードラマでは?と思わせて、実は「働き方改革」や「ワークバランス」といった社会的テーマにも斬り込んだ『わた定』。これまでぶっ飛んだイメージも強かった吉高由里子が芯の強さをたたえながら、チームを柔らかくまとめる東山結衣役を好演し、オフィスでのファッションやメークもかわいいと女性からの好感度も急上昇。吉高さん、この後CM増えそうです。さらに昨年、同じくTBSの火曜10時枠で放送された『きみが心に棲みついた』で、主人公に執着する上司役を演じ「気持ち悪い」「怖い」と散々な評価を受けた向井理が『わた定』ではそのイメージを好反転。ワーカーホリックでありながら、さりげなく結衣をサポートし、イケメンモードとスタイルの良さを隠した無頓着キャラが逆に萌えを誘発するという現象を巻き起こし、SNSでも大きな話題を呼びました。『集団左遷!!』香川照之 完全に「働く中年男性」をメインターゲットに据えたTBSの日曜9時枠。銀行を舞台にした『集団左遷!!』で得した俳優といえば香川照之。『半沢直樹』や『新しい王様』で見せた、トムヤムクンの中にハバネロをブチ込んだかのようなアクの強い芝居ではなく、福山雅治演じる銀行員、片山洋を穏やかにサポートする真山徹役をストレートに演じて「ああ、香川さんって普通のキャラクターもできるんだ」と、視聴者に日本茶のような味わいを残してくれました。お茶の間の評価も上がったところで、この夏は安心して虫取りにいそしんでいただきたい。俳優の香川照之=2014年2月、東京都新宿区(撮影・吉澤良太)『きのう何食べた?』内野聖陽 テレビ東京系列の深夜ドラマということもあり、視聴率は3%台と振るわなかったものの「視聴熱」は常に高く、見逃し配信サイト「ネットもテレ東」において歴代最高のPV数を記録した『きのう何食べた?』。主役2人の原作再現性の高さも秀逸で、特にゲイの美容師ケンジ役、内野聖陽のかわいらしさやいじらしさは女子のハートを撃ち抜きました。大みそかにケンジがひとりでサッポロ一番を食べながら「ジャニーズカウントダウンライブ」を見てニヤニヤするシーンはもはや伝説。最終回のアドリブっぽいエビのくだりは…うん、とても生々しかったです…。野性味あふれる刑事から小指を立ててケーキを食べるキュートな男子まで完璧に演じきる内野聖陽。この作品でさらに「演技派」の冠に磨きをかけたのでは。「損した俳優」は? では「損した俳優」といえば誰でしょう。『東京独身男子』高橋一生&滝藤賢一 春ドラマで期待値の高さを1番裏切ってくれたのが、テレビ朝日系列の『東京独身男子』。AK=あえて結婚しない男子、とのことで、これを流行語にしたかった広告代理店と制作サイドの大人の事情とあざとさが見え隠れ。そしてなにより高橋一生、滝藤賢一のキャラクター設定が大失敗でした。クセが強く、周囲から逸脱したキャラクターを演じて輝くこの2人を、バブル時代を思わせるマンションに住まわせ、なにかというと集まって「アジェンダ」を語る男性版『SEX AND THE CITY』にしたことですべてが水の泡。主軸3人のうち、遊び人だが根は純粋というキャラクターをまっとうした斉藤工のみがなんとか逃げ切った印象です。『ストロベリーナイト・サーガ』二階堂ふみ この件に関しては二階堂ふみに一切の罪はないと断言したい。9年前の同じくフジテレビ、竹内結子主演版の印象がいまだ強い上に、今回のサーガでは、前半にオリジナル版のエピソードを撮りなおして放送したことで視聴者の「コレジャナイ」感が爆発。二階堂ふみの地に足のついた演技も良かったし、姫川班の面々をはじめ、周囲のキャラクターもきれいすぎるガンテツ役の江口洋介を除き破綻はなく、非常にもったいなかったです。原作にとらわれず、ドラマオリジナルのエピソードを足せば良かったのかも。『あなたの番です』原田知世 通常1クール=3カ月でドラマが終了する中、半年間の放送を決めた日本テレビ『あなたの番です』。メッセージも哲学も最初から捨て、マンション内の交換殺人という、謎解きとインパクトだけ楽しんでくださいという、分かりやすい企画と構成が潔いっちゃあ潔い。『おっさんずラブ』でかわいいキャラを会得した田中圭が、そのまま大型犬さながらの芝居を見せる中、昭和の角川映画『時をかける少女』『早春物語』とまったく同じテンションで登場する12歳年上の妻役・原田知世。が、彼女を知らない世代にとっては「あの変なワカメちゃんみたいな髪型の人誰?」と結構な言われようです。今年もブレンディのCMは流れるのでしょうか。今や夏の風物詩ですね。女優の原田知世=2014年9月、東京都(南澤 悦子撮影) こうして「得した俳優」「損した俳優」を並べてみると、そのキーワードが「イメージの転換」であるのが分かります。これまで自分が得意としてきた役柄からうまくシフトチェンジができた「得したチーム」と、「イメージの転換」に失敗し大けがを負うか、過去の自分のイメージを守り過ぎてイタくなってしまったかの「損したチーム」。こうなると、もらい事故感が強い二階堂ふみが非常に気の毒ではありますが。 現在動き出している夏ドラマでは、杏、石原さとみ、深田恭子、上野樹里、黒木華と女優メインの作品が目白押し。こちらのアレコレも秋に向けてチェックしていきたいと思います。■朝ドラ『なつぞら』女優ポーズを崩さない松嶋菜々子が浮いている■NHK『トクサツガガガ』私が一瞬、涙目になったワケ■LGBTドラマから学ぶ、ゲイを「カミングアウト」しない生き方

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    僕だけが知っている「帝王」ジャニーさんの素顔

    ざまな事務所のスタッフやタレントたちとの調整などをテキパキとこなす姿が印象深かった。 ジャニーさんが芸能界に入った当時は渡辺プロダクション(ナベプロ)のスタッフだったことから、ナベプロのタレントたちとのやりとりが多く、ジュリー(沢田研二)と会話している姿を間近で見られたのは至福の喜びだった。そもそも、僕はキャンディーズとジュリーにあこがれて芸能界を目指しただけに、そんな夢のようなことがジャニーさんといると日常的だった。 ちなみにナベプロでジャニーさんが初めて手がけたタレントは、実は森進一だ。スカウトから育成まで担い、世に送り出した。だから森進一の息子のTaka(現ONE OK ROCK)を預かったことがあり、親交はずっと続いていた。 森進一を手掛けた後、「ジャニーズ」(4人組)をナベプロからデビューさせて独立し「ジャニーズの事務所」という意味で「ジャニーズ事務所」を設立した。自らの完全マネジメント「フォーリーブス」で大当たりし、郷ひろみでソロの成功、川崎麻世やたのきんトリオと、複数のトップアイドルを生み出し、手腕を発揮した。 同時に「リアリスト」(現実主義)のジャニーさんは、音楽への取り組みは素晴らしくステージは常にバンドによる生演奏にこだわっていた。テレビより「舞台」や「コンサート」に重点を置き、「生」の素晴らしさへの熱意は人一倍。世界一の記録保持者である動員や回数など実績が証明しているように、「生」の迫力を追求してきた結果がジャニーズだ。一時期は「口パク」とか「カラオケ」とか揶揄(やゆ)されてきた時代もあったが、ジャニーさんはステージでは常に本物のビジュアルと音楽で勝負してきた。 現場に足を運び、設営から音響や照明を必ず自らチェックするのは当然だが、ステージに立ちキャストが数十人からなる構成でも全体の動きを詳細に把握する能力はずば抜けていた。「ユー、間違えたでしょ」「ユー、落ちたでしょ」とかよく言われたが、大勢が舞台にいるのになぜ分かったのか不思議だった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) その感動を実体験した人は魅了されて虜になり、決して離れられないジャニーズワールドにハマってしまう。ジャニーズのステージを見たことがない人たちに言いたいが、テレビや雑誌のレベルで知り得たのは本物ではなく、真実は舞台にあり、これを見ずして判断してほしくはない。だからこそ、その強い意志を継げるのは、ジャニーさんが舞台演出のセンスと実績があるとして後継指名した滝沢秀明なのだ。すべてはジャニーさんの意志 また、ジャニーさんの机の上には、常に台本や脚本などが積まれ、ジュニアたちの写真も並べられていた。後になって分かったことだが、ジュニアたちの写真はグループの編成を構想するために使っていたようだ。写真を並べてグループの結成にふさわしいビジョンを机上で描いていたのだろう。 ただ、ジャニーさんは好き嫌いがハッキリしていることでも有名だった。好きなものはとことん推すが、嫌いになったら存在すら認識しない「白黒のスペシャリスト」でもある。幼き僕らもそれは理解でき、レッスンやリハーサルのときにも好きな子は踊れなくても前、嫌いな子には無視か酷いときには「ユー、来ちゃダメ!」という厳しい言葉もあった。単純明快で好かれる(認められる)=デビューできるのが、すべてはジャニーさんの意思で決まるだけにジャニーさんに気に入られることは重要だった。 好き嫌いで決まることは多いとはいえ、これまで記したようにジャニーさんの僕たちタレントに対する熱意はあまりに大きく、ジャニーさんが多くの所属タレントに慕われていたゆえんだろう。 だが、人気が出て稼げるようになると、勝手な行動に出るタレントも少なくないのが今の風潮だ。ジャニーさんからすれば、「親子」の感覚で、一生懸命育てた子が、活動休止や解散など、数年前から頻繁に起こる事態は辛かったにちがいない。 SMAP解散騒動の際には「僕もこんな歳だから気持ちを理解してほしい」とメンバーたちに懇願したのも記憶に新しい。また、「東京オリンピックまでは元気でいたい」と話していたといい、倒れる直前まで大きな目標を掲げていたという。2016年5月、都庁の第1本庁舎壁面に掲示された2020年東京五輪の新たな公式エンブレム「組市松紋」の大型パネル(山崎冬紘撮影) 自身の最期を悟っていたのか、「僕はもういないから」と東京五輪以降の予定には関与しておらず、すべて副社長の藤島ジュリー景子氏やスタッフに委ねていたといい、東京五輪への思い入れは計り知れない。自らが育て上げたタレントたちが、東京五輪という最高の舞台で演じるパフォーマンスを見届けたかったのだろう。それだけに、冒頭で記したように、せめてあと1年少々元気でいてもらいたかった。僕はこれだけが残念でならない。 14歳の僕を抱きしめてくれた「優しきオジサン」は、いつしか日本を代表するスーパープロデューサーとなり、その名を歴史に刻む功績を無数に残して天に召された。偉人となった晩年は多くの反乱や裏切りに見舞われ、幸せだったかどうかは本人の気持ち次第だが、1千万人を超える人たちに幸せを提供してきたことはまちがいなく、ジャニーさんの功績は永遠に語り継がれるだろう。■ 嵐「2023年復活」ではじくジャニーズの皮算用■ ジャニー喜多川もお手本にしたヒデキのアイドル道■ 元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

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    雨上がり宮迫のウソより怪しい吉本「闇営業」の言い訳

    。今月4日にはお笑いコンビ、カラテカの入江慎也さんの契約が解消されて話題になりましたが、今回の発表で芸能界にそれ以上の衝撃が走りました。 謹慎処分の理由は、5年ほど前、振り込め詐欺(最近は特殊詐欺と呼ぶことも多い)などを行う反社会的勢力グループの忘年会に参加し、吉本興業を通さずに金銭を授受していた、つまり「闇営業」をしていたことのようです。 吉本興業は「反社会的勢力主催の会合であるとの認識はなく、また、報じられていたような金額ではありませんでしたが、会合への参加により一定の金銭を受領していたことが認められました」と説明しています。今回の件で話題になっている「闇営業」と「反社とのつながり」の実態について、芸能界の問題に携わってきた経験から述べたいと思います。 闇営業とは、芸能プロダクションに所属しているタレントが、プロダクションを通さず営業(芸能)活動を行い、独自に報酬を得ることをいいます。この闇営業は、タレントがプロダクションに負っている専属義務に違反しています。 通常、芸能プロダクションとタレントの間では専属マネジメント契約が結ばれています。この専属マネジメント契約はなぜ必要なのでしょうか。お笑いコンビ「カラテカ」の入江慎也さん=2012年2月28日、大阪市浪速区の大阪府立体育会館(寺口純平撮影) それは投資回収のためです。芸能プロダクションは、所属するタレントに投資をし、芸能活動の場を提供します。そしてタレントが芸能活動から得た報酬を芸能プロダクションがいったん回収し、その報酬をプロダクションの売り上げ、タレントへの報酬、他のタレントへの投資、スタッフの人件費などへ分散するというビジネスモデルで運営が成り立っています。 専属マネジメント契約書は、芸能プロダクションとタレントの間の①お金関係を明確にする②権利関係を明確にする③タレントを当該プロダクションに縛る(他のプロダクションに移籍させない)、という役割を持っています。怪しい「反社との関係」 6月始めのテレビ番組で、吉本興業に所属する加藤浩次さんと近藤春菜さんが「吉本興業との間で契約書を交わしていない」と発言していたことから、吉本興業は所属する芸人との間で契約書を作成していない可能性があります。 しかし、口頭での契約でも契約としては有効であり、一般的にタレントは、上記①に関連し、専属義務条項に合意しています。「所属事務所を通さずに芸能活動を行い、報酬を得てはいけない」や、「タレントは所属事務所の専属タレントとして、本契約期間中、事務所の指示に従い、芸能活動を行うものとする。タレントは、事務所の事前承諾なくして、第三者のために芸能活動をしてはならない」といった条項です。 この専属義務条項は、芸能界では当然の業界ルールであり、常識です。  つまりタレントが闇営業を行う場合、すなわち、プロダクションを通さず、報酬を受け取る場合、この専属条項に違反しているわけで、芸能プロダクションは投資の回収ができず、ビジネスモデルが崩れることになるのです。なので、専属義務条項に違反した場合、契約が解除されるケースも多くあります。 今回のケースは、吉本興業の芸人が専属義務条項に違反してしまったということも問題ですが、さらに問題なのが、闇営業として出席していたのが次に述べる反社集団の会合だったという点です。 吉本興業の芸人が出席していた忘年会は振り込め詐欺を行っていた犯罪集団だったという情報があります。2015年に、警視庁が特殊詐欺を行っていた大規模詐欺集団のメンバーを40人近く逮捕しましたが、芸人が出席した忘年会がこの大規模詐欺集団の会合であり、主犯格の男や架け子や受け子もいたとの情報もあります。謹慎処分となった雨上がり決死隊の宮迫博之さん 芸能界は昔から反社とのつながりが強いと言われています。吉本興業の場合、2011年に島田紳助さんが反社関係者とメールのやりとりをしていたとし、同氏は芸能界を引退することになりました。当時、吉本興業は「反社会的勢力との関係を断ち切る取り組みを一層強化していく」と言い、行動憲章でも法令の遵守や反社の排除を掲げていましたが、わずか3年後の2014年頃に今回のケースが起こってしまっていたわけで、芸人への教育不足や監督不行き届きを追及されるのは必至です。 吉本興業は今回「反社会的勢力主催の会合であるとの認識はなく」と弁明していますが、吉本興業の内部を考えてみますと、各芸人にはマネジャーがついています。11人もの所属芸人、しかも宮迫さんレベルの芸人が本当にマネジャーやスタッフも知らない状況で忘年会に出席したのかという意見も出てくると考えられます。騒動の代償 テレビや各種メディアに出てくる芸人と反社との間につながりがあったということは大問題です。 筆者が所属している弁護士会の民事介入暴力特別委員会では、特殊詐欺についても研究しています。特殊詐欺では、高齢者など老後の生活のために貯蓄していた金銭を詐取するケースが多く、7000万円以上を詐取された例もあります。詐取された金銭が手元に戻ってくることはまずなく、さらに一度詐取された被害者はカモと認定され、複数回、詐欺被害に遭うこともあるという凄惨(せいさん)な実態があります。 特殊詐欺の撲滅を目指し、国や捜査機関、企業など、各関係者で対策を講じている中でこのような事件が起こったわけで、芸人や吉本興業の信頼の失墜は避けられないでしょう。 これまでにも件(くだん)の芸人がMCを務めるバラエティー番組について、スポンサーだった複数の企業がスポンサーから外れたという報道がありました。NHKは今月19日の時点で、忘年会に出席していた芸人が出演する番組の放送を取りやめたと説明しましたが、他局でも今後、番組を打ち切る局が出てくるかもしれません。 加えて、忘年会に出席していた芸人が出演するCMがお蔵入りすることもあり得ます。CMの場合、通常、①広告主と芸能プロダクションとを仲介する広告代理店の間で仲介契約②広告代理店と芸能プロダクションで広告出演契約、を結んでいます。広告出演契約では、「芸能プロダクションがタレントのイメージを保持させなければならない義務」条項が規定されています。 今回、吉本興業の芸人が忘年会に出席していた事実について、吉本興業は「タレントのイメージを保持する義務」に違反したとして、広告代理店に損害賠償の支払い義務や、違約金の支払い義務を負うことになります。安倍首相(中央)は吉本新喜劇に出演した=2019年4月20日、大阪市中央区の「なんばグランド花月」(安元雄太撮影) 入江さんの契約解消、要はトカゲのしっぽ切りで終わらなかった今回の騒動ですが、今回の吉本興業のプレスリリースを法律家の観点から見ますと、個人的には疑問が残ります。 それは謹慎の根拠が曖昧であり、芸人の立場がないがしろにされていないかという点です。吉本興業が「反社会的勢力と知らなかったがそのような会合に参加し金銭を受領したこと」をもって時期未定の謹慎処分を下したというのは、非常に曖昧な言い分ではないでしょうか。 というのも、今回の報道で「金銭を受領していたこと」が決め手のようにフォーカスされていますが、仮に闇営業に対する処分を考えた場合、継続して闇営業をしていたか、金額の規模などの点を考慮し、まずは厳重注意をするのが一般的です。今回のケースを考えれば、単発の闇営業だけをもって謹慎とするのは処分が重すぎます。 そこには「反社の会合だった」ことが加味されていると推測できるわけですが、一方で「反社とは知らず=関係はない」ことを吉本興業と11人の芸人が口をそろえて表明しています。これこそ吉本興業が最低限守りたいラインなのでしょうが、そのせいで処分の根拠が曖昧になってしまっています。 また、仮に吉本興業と芸人の間の契約が業務委託契約で芸人が個人事業主だった場合、本来は対等な立場にあるにもかかわらず、プロダクション側から一方的に芸能活動を停止させる処分が行われたことになります。生活に困る芸人やその家族も出てくるかもしれません。  芸人11人を謹慎処分したことをもって、今回の騒動が鎮火するかは甚だ疑問です。近年、吉本興業は政府や自治体など公の仕事に積極的でした。安倍晋三首相が4月に「吉本新喜劇」に出演し、6月6日には吉本所属の芸人が安倍首相の出演御礼のため、官邸に表敬訪問していました。今回の問題がどこまで波及するか気になります。■天下を取った女芸人「山田邦子」復活の道は一つしかない■山里亮太「テラハ婚」辛酸なめ子にはお見通しだったワケ■『バイキング』で王道をあえて外す司会者、坂上忍が見せた弱み

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    LGBTドラマから学ぶ、ゲイを「カミングアウト」しない生き方

    吉田潮(ライター・イラストレーター) 知人男性Aは、物腰の柔らかい二枚目で、着ている服も持ち物も、持ってきてくれる土産物までおしゃれ。話も面白いというか、80年代女性アイドルも妙に詳しい。そのほかにも「これは…」と思う言動が多々あったので、初めて会ったときからゲイだと思っていた。 Aがゲイであろうとなかろうと人間関係に変わりはないのだが、実は私の女友達がAに恋心を抱いている、という背景がある。余計なお世話と思いつつも、Aに何度か尋ねてみたのだが、「違うよ」と否定した。女友達は女友達で、Aをただ単に煮え切らない異性愛者だと思っていて、諦めきれない様子。女友達には幸せになってほしい(彼女は結婚を望んでいる)ので、Aにその気がないなら気を持たせるなと思ってしまった。まあ、ちょっと背中を押しにくい、貸借の関係がふたりの間にあるので、つい女友達の肩を持ってしまうのだが。 幸いなことに、今期はLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチョニング)、特にゲイのドラマが多かった。なんとなくヒントをもらった気もする。独りよがりだったかなと反省する点もあれば、このふたりにも「新しい人間関係の構築」があるのかなと思ったりして。勝手に決めつけず、視野狭窄(きょうさく)にならないためにも、とても役立ったので感謝している。 『腐女子、うっかりゲイに告る。』(NHK)は、ゲイであることを友達にも親にも隠している男子高校生(金子大地)が主人公だ。妻子がいる年上の男性(谷原章介)が恋人で、性生活は謳歌(おうか)しているように見えるが、その苦悩は想像を超えるものだった。日常で異性愛者の友人(小越勇輝・内藤秀一郎)や、シングルマザーで育ててくれた母(安藤玉恵)との会話や行動で、「普通の男子」として振る舞わなければいけない息苦しさ。明朗快活だが、腐女子であることを隠しているクラスの女子(藤野涼子)と付き合うことになったのも、「普通」を手に入れたかったからだ。そこには、「ゲイである自分を認められない」苦しみがある。 腐女子とゲイの交際は、一見「アリ」じゃないかと思わせたのだが、あるきっかけでゲイであることがバレてしまう。クラスメイトに白眼視された金子が、教室のベランダから飛び降りるという衝撃的な展開もあった。実際に同様の事件が起きて、男性が亡くなったことも知っていたので、胸が締め付けられた。ただ、金子は命を取りとめ、藤野や小越の配慮と優しさと素直さに励まされ、生きていく決意を固める。学校内でもゲイであることをカミングアウト(まあ、半ば藤野の演説による暴露「アウティング」なのだが)して、前に進んでいくのだ。「腐女子、うっかりゲイに告る。」に出演した藤野涼子(大西正純撮影) 最終的に、金子は藤野と別れる。「知らない人たちの中でこれまでと違う生き方ができるかどうか試してみたい」と話し、大阪へ引っ越す。もちろん、谷原とも別れる。谷原は「既婚のゲイ」である自分を鳥でもケモノでもないコウモリに例えて話す。「男しか好きになれなかったが、家族が欲しかったから結婚した。卑怯(ひきょう)と呼ばれても、ゲイであることを隠し通して生きていく」と断言する谷原。金子は寂しさと切なさと諦めを、ないまぜにした表情を見せ、爽やかに別れを告げる(その直後に泣き崩れるのだが)。 そして、ラストシーンが印象的だった。大阪に引っ越し、大学に進学した金子。初めての授業で自己紹介をする。「僕は…」と話したところで、ドラマは終わった。「僕はゲイです」と言ったかどうかは、視聴者に委ねたのだ。ゲイのカミングアウトするかしないか ゲイであることを周囲に言うか言わないか、それは本人が決めることだ。誰かに強制的に言わされるものでもないし、カミングアウトしなければいけないわけでもない。 くだんのAもそうだ、そうなのだ。彼には彼の生き方がある。もしかしたら、私の女友達とは本当に気が合っているので、結婚や恋愛ではないパートナーシップを築けるのかもしれない。それを外野の私が言うべきことではなかったと反省している。金子大地と谷原章介のおかげだし、自分は藤野涼子にならなくてもいいのだと思った。 また、話題となっているドラマが『きのう何食べた?』(テレビ東京系)だ。西島秀俊と内野聖陽という、二大肉体派「渋メン」俳優のふたりがゲイカップルを演じているからだ。職場にはカミングアウトしていない弁護士の西島と、全方位にカミングアウトしている美容師の内野が織りなす日常には、些末(さまつ)だけど大切なパートナーシップの要素がぎゅっと詰まっている。相手を思いやる気持ち、自己主張のさじ加減、ゲイであることへの肯定感、一緒に食べるご飯や過ごす時間の尊さなどなど。 ここでも、西島から「カミングアウトしない生き方」を学んだ。学んだというか、そこにまつわる苦労に気づかされる。両親(志賀廣太郎・梶芽衣子)にはカミングアウトしているのだが、彼らが理解しているとは言いにくい。「一過性のもの」「好みの問題」としてとらえているフシもある。 その面倒臭さに耐えがたく、老いた両親とは少し距離を置いている西島。一方、内野は、テンションが高い母や姉とは仲良しで、姉には子供もいる。ただし、父親とは音信不通。よそに女を作り、金をせびり、暴力をふるった父親を断ち切った過去があり、今も生きていて生活保護を受給していることだけはわかっている状態。ゲイに理解はなくても仲の良い両親に対して、愚痴をもらす西島を諭す。「もうちょっと感謝してもいいんじゃない?」と。ドラマ「きのう何食べた?」に出演した西島秀俊(三尾郁恵撮影) ドラマとしては、日常茶飯事を通して、ふたりの考え方の相違やズレをお互いにちょっとずつ譲歩していき、パートナーシップを深めていく構図に。惚れた腫れたの、その先を淡々と描いていて、これは異性愛だろうと同性愛だろうと性的志向に関係ない、全人類に共通する人間ドラマになっている。男女の恋愛ドラマが表層的なことしか描かず、いまいち心の深部に浸透しないこのご時世、ゲイカップルに教わることがたくさんあるというのは、救いでもある。放っておいてほしい人もいる このふたつの作品から共通して学んだのは、「ほうっておいてほしい人もいる」ことだ。LGBTQであることを言えずに苦しんでいる人に勇気を与える一方で、なんでもかんでも言えばいいってもんじゃない、と思う人もいる。もしかしたら「主に、異性愛者の女性たちに、自分たちの日常や苦悩を萌え対象にされて不愉快だ」と思う人もいるかもしれない。正直、私自身も、金子大地の青臭い透明感に萌えたし、内野聖陽の乙女心に心撃ち抜かれた。 妻子に内緒にしている谷原章介や、職場には内緒にしている西島秀俊に、歯がゆさを覚えたりもした。それでも、二作品のどちらにも「カミングアウトしないという矜持」が描かれていたので、気づかされた。その思いや生きざまも含めて、考えるべきだと。 Aはゲイではなく、バイセクシュアルかもしれないし、もしかしたら性的志向が決まっていない、あるいは迷っている「クエスチョニング」かもしれない。その線引きを私がするべきではないし、そもそも線引きする必要もない。ドラマが教えてくれることはたくさんある、と改めて痛感したクールだった。 と、終わりにしようと思ったが、もうひとつ『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ系)があった。古田新太演じる女装ゲイが高校教師となって、生徒も先生も親も巻き込んで「生きるとは何か?」を伝えていく。生意気で残酷、あるいは葛藤を抱える生徒たちが次第に心を開き、古田を慕っていくのだが、どうやら古田は膵臓(すいぞう)の病気で余命宣告されているっつう話だ。「腐女子、うっかりゲイに告る。」の原作小説 『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(KADOKAWA刊) サイケな女装で、はちゃめちゃだが芯の通った言動のヒロインに、もれなく感動を呼ぶ病気をセット。エンタメと痛快とほろりを入れこむ学園モノは、日テレの十八番。偏見クソくらえの精神で、生きづらさをパワーに変える古田の姿が、若者の心をつかんでいるようだ。 が、仕掛けに満ちた課外授業が多く、エンタメ性が強すぎて、古田本人のバックボーンにいまいち焦点が当たらない。もう少し早く、そして濃く、古田の背景を見せてくれていたら、『きのう何食べた?』と『腐女子、うっかりゲイに告る。』と並べたいのだけれど。まあ、古田を主人公にした意義はあると思う。世の中、見目麗しいゲイだけではないから。 LGBTQを主人公あるいは主題にしたドラマが好調というのは、いい兆しでもある。テレビ局が丁寧に、そして真摯に作ろうと心がけるようになった気もする。「流行りだから入れとけ」という雑な作品は正直、見向きもされない。テレビ局も視聴者も成熟した時代に突入した、と思いたい。■あえて振り返る俳優「ピエール瀧」とは何だったのか■NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった■私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない

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    山里亮太「テラハ婚」辛酸なめ子にはお見通しだったワケ

    うずまく番組なので、周りの人の恋愛の発展にも貢献しています。 山里さんが会見で、蒼井さんのことを、「芸能界一のモテ女優」とか「魔性の女」と呼ばれて、そうじゃないとかばった発言が男らしいと評価されています。個人的に魔性の女というのはそんなに悪いイメージがなく、むしろ魅力的で憧れるのですが、そう言われてばかりの当事者としてはうんざりしていたのかもしれません。 「『魔性』っていう単語使ってるけど、僕はそんな人間じゃないっていうのを一緒にいてずっと見てたんで、みなさんが思う、その『魔性』から発生する心配ってのは一切ございません」ときっぱり言い放った姿が男らしかったです。 「魔性」の定義もいろいろですが、周りを翻弄(ほんろう)する女性、という意味では、軽井沢を舞台にした前シーズン、『TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS』に出演していた女子大生、優衣さんはかなりの逸材でした。男性と交際経験がないという色白でおとなしそうな女子大生の登場に、スタジオメンバーは「かわいい」とか「天使」とかすっかりだまされていたのですが、徐々に本性が明らかに…。 山里さんが「俺同じ性格だから分かる」「MVP」と言うほどでした。優衣さんは、振られたばかりの女子に笑いながら優位性を見せつけたり、男子の前で泣いて相談して相手を悪者にしたり、女子2人にそれぞれ悪口を言っていたと吹聴し仲を悪くさせたり、陰で男子と深い仲になっていたり、天然でやっているとしたら恐るべき魔性ぶりでした。入籍会見でフォトセッションに臨む蒼井優(右)と南海キャンディーズの山里亮太=2019年6月5日、東京都新宿区(納冨康撮影) 言わなくてもいいことをわざわざ密告して、年上でモデルの利沙子さんを皆で責めて泣かしたのが「靴下事件」。利沙子さんがキャラクターものの靴下をお土産にあげるときに、「あなたのことは信用しているからあげる」と言って、別の子については「信用していないけどしかたなくあげた」と言ったとか言っていないとかどうでもいい事件です。さらに、利沙子さんが陰でやらせの恋愛を提案していたとか、デートに誘われて面倒くさがっていたとか、本当かどうか分からないですが、この時優衣さんによって暴露されていました。山里「地獄…」と呟いたワケ 優衣さんは優衣さんで、「うるせぇババア」と罵倒していたという本性が明らかに。彼女たちに比べたら、蒼井優さんは全然魔性ではありません。大人の常識人です。 この時、女子同士のもめ事を、山里さんはうれしそうに眺めていました。おそらく蒼井さんとは交際前でしたが、その責め立てられていたモデルの利沙子さんは、少し蒼井さんに雰囲気が似ていました。 その利沙子さんに恋心を抱き、支えていたのがミュージシャンの理生さんです。「ゲスの極み乙女。」のメンバーで既に成功しているセレブですが、ぽっちゃり系でメガネというルックスで、山里さんに「僕のアバター」と言われていました。理生さんは自分のライブ終わりに利沙子さんに告白するも、玉砕。その時、感情移入していた山里さんは、潜在意識下で自分がリベンジしたいという思いになっていったのかもしれません。 この番組は、視聴者も恋愛の疑似体験ができたり、学ぶことが多々ありますが、山里さんも若者の恋愛模様を観察しながら、自分のモチベーションとスキルを高めていったのでしょうか。「自然にキスに持ち込む方法」「いい人で終わらないためには」など、スタジオメンバーに真剣に相談する姿も見られました。 「若くてかわいい子がキスしていいですか、って言うのはすごいかわいいと思うんだよね。でもおじさんが…」というYOUさんの言葉に「やめて、死んじゃう」と悲鳴を上げていた山里さん。「いい人で終わる問題」に対して、トリンドル玲奈さんとYOUさんが「生理的なものだから」「どうしようもない」と言うのに対しては「地獄…」と呟いていました。入籍会見に臨む蒼井優(右)と南海キャンディーズの山里亮太=2019年6月5日、東京都新宿区(納冨康撮影) 時には厳しい意見に鍛えられながら「テラスハウス」で誘い方やアプローチ法を学ばれていった山里さん。リアリティードラマの番外編が現実世界でも続いていくのでしょう。テラハカップルの誰よりも円満で幸せになることを祈ります。 ■天下を取った女芸人「山田邦子」復活の道は一つしかない■元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑■あふれ出すSPEEDのカルマ『Body & Soul』の愛欲が止まらない

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    磯野貴理子と離婚した年下夫を責められないオンナはつらいよ

    鈴木涼美(社会学者) 24歳年下の男性と婚姻関係にあった磯野貴理子さんが、テレビ番組で離婚したことを打ち明けた。自身にとって2度目の離婚となったが、何より元旦那から告げられたその理由が「自分の子供が欲しい」という内容だったことが、一部で物議を醸している。 磯野さんは現在50代、元旦那は30代。女性の方が現実的に子供を授かるのが難しい年齢であるため、その離婚事由は多くの女性から「残酷すぎる」「わかっていたはずなのに無責任」「あまりに悲しい」などの反応を引き出したし、30代後半の未婚女性である私にも、そのニュースはずっしり重く響いた。 この男性について、冷酷である、と攻め立てることは容易ではある。少なくとも常識的に考えて結婚する際には添い遂げることを想定するはずなのに、彼女の年齢を考えて答えを出したはずではなかったのか。経済面での援助を期待していたのではないか、などと臆測を立てることも簡単だ。 ただ、そんなことを言ってもどんな夫婦にも離婚の事由はあるわけだし、女性が一定の年齢を越えれば子供を作るのが現実的でなくなるのも事実だし、人の気持ちがそうそう一貫していないことも責められないし、彼を責めたところで少なくとも私は救われた気がしない。 大体、当該夫婦が24歳も年が離れていたことが必ず合わせて報道されるが、旦那のこのような選択は、実は磯野さんが同い年の男性と結婚をしていたとしても起こり得ることなのだ。 男性は50代だろうと70代だろうと新たに「自分の血のつながった」子供を作れる可能性がある。同い年の男性と、自分がまだ子供を作るのに適した年齢の頃に結婚したところで、子宝に恵まれなかった女性が、40代50代になった時に、磯野さんと同じような理由で離婚を言い渡される可能性は十分あるし、実際にそのようなことを経験して傷ついた女だって少なからずいるだろう。 以前、大変年の離れた男性と結婚した女性政治家が、やはりテレビ番組で男性側の「普通の家庭を作り子供を育てる可能性」を奪ったなんて言われたことがあるが、男性の生殖機能を考えれば年齢差が大きく関係しているとは言いにくく、そんなことを言ったらすべての高齢女性はどんな年齢の男性とも結婚を許されない、あるいは身体的な理由で不妊となった男性しか選べないということになるので見当違いな批判だと言って良い。 では、そもそも磯野さんの旦那の選択の何が「残酷だ」と感じさせるのだろうか。左から『おそく起きた朝は…(現在のはやく起きた朝は…)』に出演する森尾由美、磯野貴理子、松居直美=大西正純撮影 年齢の離れた女性と結婚しておいて今さら気持ちが揺れたことだろうか。女性の気持ちより自分の願望を優先したことだろうか。そもそも年齢的にある程度制限のある女性と結婚したことだろうか。夫婦の形を壊さないまま養子縁組などの解決策を探さなかったことだろうか。妻にだけ子供ができない責任を押し付けたことだろうか。 では、子供が欲しいからという理由で別れを告げられるのと、夫婦関係を維持したまま、外で子供を作られるのと、女性はどっちが酷だと感じるだろうか。男性に求められること 私が大学院生で銀座の小さなクラブでバイトをしていた頃、結婚して15年以上たつ某有名企業の社長から相談をされたことがある。彼は若い時に3歳年下の女性とお見合いに近いかたちで結婚をしたが自然に子を授かることはなかったという。そのことについてはものすごく悲観しているわけではなかったし、妻を大切にしてきたが、せっかく築き上げた財産や会社のことを思うと、50歳が見えてきた頃、やはり自分の子供が欲しいと思うようになった。養子をきちんと愛して育てる自信はない。妻と離婚しようとは思わないが、外で子供を作ろうと思っている。ついては私にそういった子作りに興味がないかを聞いてきた。 彼は「物分かりの良いうちの妻はきっと理解するだろう」と楽観視していたが、自分の授かることのなかった子供を別の女性との間に作る旦那を見て、何も感じないとは考えにくい。就職活動中だった私は彼の申し入れを真剣に考えることはなかったため、その後彼がどんな選択をしたのかは当然知りもしないが、もし彼が想定していたように子供を作っていたとして、彼の妻が感じたことと、磯野さんが感じたこと、想像を巡らせてもどちらが重くどちらがマシかなんてわからない。人の心理を勝手に決めつけることはできないが、少なくとも、私だったら傷ついたと思う。 「産まない自由」も「性別による役割からの解放」も叫ばれて久しい。それについて異存を唱えるのはもはや難しいが、産まない選択の傍らで、子育ての苦労や負担を感じている人がいて、そういう人によって社会がある程度の人口を維持し、人口がある程度維持されることを想定してデザインされた社会がその形を保っているのも事実だ。 「自分の子供が欲しい」と離婚を決意した男性は、たしかに結婚生活について責任を全うしなかったという批判を受け付けるが、社会の維持についてはむしろ責任を全うしようとした、とも解釈され得るわけで、安易な攻撃が無効化されるのは目に見えている。 そんな事情がある以上、圧倒的な説得力を持って彼の決断をやめさせることはできないだろうし、今後も彼のような選択をする男性が出てくることも否定しにくい。女性にとってそれがどんなに冷酷に思えても、今の時点で止めるのは、離婚を禁止にするか、女性の身体を根元から改造するか、と非現実的かつ不自由な方法しか私には思いつかない。※写真はイメージです(GettyImages) たしかに社会制度や医療は変化していくが、絶対に変わらないのは、私たち女性の身体が男性の身体とは違うかたちをしていることと、男性が「自分のオンナの」身体を交換することは離婚制度や再婚などによって可能だが、私たち女が「自分の女性としての」身体を新品と交換することはできない、ということだ。最も普遍的かつ、実は最も残酷なのはその事実なのだと私には思える。 私たちは交換できない身体を抱えて、時に冷たく時に過酷な現実を生きる覚悟と精神力こそ持たなければいけないのだろうし、男性に求められるのは、彼らが愛したり別れたりする相手の女が、そういった現実と向き合っていることに対する想像力くらいのものだろう。想像なんて、と思ってしまうけれど、それでも心のどこかで痛みを想ってくれるなら、私としてもちょっと救われる気がするのだ。■「愛なき結婚は不幸」松居一代が教えてくれた現代ニッポンの幻想■『週刊SPA!』を謝罪させた女たちは一体何にムカついているのか■上沼恵美子M-1騒動「更年期障害」でオンナは傷つきません

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    元メンバーの「悪行」が分けたKAT-TUNとSMAPの明暗

    メンバー、田口淳之介が大麻取締法違反容疑で逮捕、起訴された。例によってマスコミは大騒ぎをしているが、芸能人の薬物問題など今さら珍しくもないだろう。 少々目を引いたのは「元KAT-TUNの田口淳之介」というマスコミの表記だ。逮捕のニュースが流れた当初は「アイドルグループの元メンバー」だったが、各社が突如として「KAT-TUN」を使った報道に変えた。ジャニーズへの配慮もあって「元KAT-TUN」は使いづらいのが本音だが、田口と言われてピンとくる人はファンぐらいだけに、使わざるを得なかったのだろう。 もう一つ気になるのは、大麻取締法違反容疑による元メンバーの逮捕は、田中聖(後に不起訴処分)に続いて2人目という点だ。さらに、この2人以外にも、女優の黒木メイサと結婚したことで知られる赤西仁も脱退している。もちろん赤西については事件などの不祥事はない。 このように、結成時に6人だったKAT-TUNは、すでにメンバーの半分が脱退しているのだ。それでも解散や活動休止に至っていないのがKAT-TUNたるゆえんでもある。 そもそもKAT-TUNは、堂本光一(KinKi Kids)のバックダンサーとして結成され、グループ名は、脱退した3人を含む、現メンバーの亀梨和也、上田竜也、中丸雄一計6人の頭文字を並べたものだ。 ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏は2001年の結成当時、このKAT-TUNに大きな期待を抱いていた。ジャニー氏の先見通り、06年の正式デビュー前からドーム公演を満員にする偉業を達成したほか、楽曲のシングル27曲がすべて1位を記録。これはKinKi Kidsの記録に次ぐ歴代2位で、ジャニーズのアイドルグループの中でも、かなりの実力だと言える。 それだけに「KAT-TUNによるKAT-TUNのためのKAT-TUNのレーベル」として「J-One Records」(デビュー当時)を設置するなど、これは嵐以来の待遇だ。また、ソロ活動も豊富なグループとしても知られており、亀梨、赤西、上田はソロコンサートも開催するなど、これも嵐に似たマネジメント手法だった。 こうした輝かしい実績とは裏腹に、元メンバーが2人も薬物事件で逮捕されるといった黒歴史を刻んできたのもKAT-TUNなのだ。ただ、これだけ負のイメージがつきまといながらも、グループが存続している理由は、繰り返しになるが、ジャニーズのアイドルグループの中でも稀有な実力を持ち、根強い人気を誇っているからだ。逮捕された元KAT-TUNメンバーの田口淳之介容疑者=2019年5月、東京都千代田区(納冨康撮影) では、なぜKAT-TUNは稀有な実力を持ち合わせていると言えるのか。その一方で、KAT-TUNならではの黒歴史はどのように刻まれてきたのか。脱退したメンバーも含めて軌跡を追ってみよう。 そもそも、現メンバーである亀梨は、ジャニーズ所属タレントの人気投票で2連覇している。端正な顔立ちやスタイルはもちろん、ステージパフォーマンスの技術、さらに出演番組での扱いなどから、幅広い年齢層に圧倒的な支持を受けている。スポーツ(特に野球)番組での丁寧でストイックさもさながら、脱退騒動が相次ぐKAT-TUNを最後まで守ろうとする姿勢も人気を支える要因と言えるだろう。 一方、現メンバーながら、KAT-TUNの活動以外の舞台でも高い評価を得ているのが上田だ。他のメンバーがいろんな意味で「濃い」だけに、一般的には印象が薄いキャラだが、作詞や作曲も手がけるアーティストで、ソロコンサートで5万人を動員する実力派でもある。ビジュアル系のようなスタイルが「やや難」だが、現メンバーの中丸と並ぶ年長者で、意外にもシッカリ者として知られ、KAT-TUNを引っ張ってきた。異質なメンバー そして最年長の中丸だが、彼は安定的に露出が最も多い。コンスタントに出演しているドラマのほか、情報番組のレギュラーまで自らのポジションをそつなくこなし、イラストデザインの才能もある。 また、アイドルとして活動しながら5年もかけて早稲田大の通信教育課程を卒業した努力家で、人間性も高くメンバーのまとめ役でもあった。それだけに、メンバーの相次ぐ脱退に最も苦しんでいたようだ。 次は脱退したメンバーだ。 「世界で最もハンサムな顔100人」や「最も影響力あるアーティスト賞」などを手中に収め、世界を舞台として活躍しているのが赤西だ。メンバー時代は、亀梨とのツートップでKAT-TUNのデビュー前からの爆発的な人気の立役者だったことはまちがいない。 だが、デビューの年から突然渡米し、活動を休止するなど「異端児」ぶりを発揮する。結果的に最初に脱退したのが赤西で、立役者である反面KAT-TUNメンバーの「脱退ドミノ」のきっかけを作ったのも事実だ。 異端児と言えば、田中もそうだろう。度重なる事務所のルール違反を理由にジャニーズを追われる形で脱退したが、このような理由で契約解除されたのは、後にも先にも田中だけ。太り過ぎてポジションを奪われた「忍者」の古川栄司という面白い過去もあるが、田中のケースは異例中の異例だった。大麻の所持量が微量だったため、結果的に不起訴処分となったとみられるが、ジャニーズが先に契約解除していたのは、まさに「先見性」と言えるだろう。 そして、田中と同い年で、今回逮捕された田口だ。KAT-TUNを脱退する際は「何のビジョンもなく白紙」として確たる理由もなく去っていったが、10年以上の交際を続けてきた元女優の小嶺麗奈(大麻取締法違反罪で起訴)との関係が原因とも言われていた。逮捕された元女優の小嶺麗奈容疑者=2019年5月、東京都千代田区(納冨康撮影) 一部報道でもあるように、田口の大麻使用は「10年前から」とされており、真相は今後の捜査などで明らかになると思うが、小嶺とのつながりが転落の始まりと言ってもいい。ジャニーズからすれば、胸をなでおろしていることだろうが、昨年末にレコード会社も契約解除されていることから見ればその「危険性」は高まっていたとみるべきだ。 このように見てくると、KAT-TUNがいかに異質なメンバーで構成されたグループであることが改めて実感できただろう。 ただ、KAT-TUNについては、逮捕者まで出る不祥事とはいえ、いずれも脱退後の話だ。よくよく考えてみれば、「国民的アイドル」として伝説と化したSMAPは、2001年に稲垣吾郎が道交法違反容疑などで逮捕され、草彅剛も09年に公然わいせつ容疑で逮捕されている。 逮捕容疑に違いがある以上、単純比較はできないとしても、KAT-TUNとSMAPの「罪深さ」にさほど差があるとは思えない。一方で、メンバー個々人の実力もこの二つのグループに大きな差はなく、相次ぐ脱退やその後の事件などがなければ、KAT-TUNもSMAP同様に国民的アイドルの地位を得ることができたかもしれない。 SMAPの解散、そして嵐の活動休止のように、ジャニーズの大御所グループが一線を引く風潮の中、元メンバーの所業とはいえ、負のイメージがぬぐい切れないKAT-TUNにどのような「終末」が待っているのだろうか。■文春砲「関ジャニ錦戸脱退」にジャニーズが沈黙を続ける理由■あえて振り返る俳優「ピエール瀧」とは何だったのか■AKBに「トドメ」を刺すのは韓国かもしれない

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    天下を取った女芸人「山田邦子」復活の道は一つしかない

    本の記事である。彼女は4月27・28日に歌舞伎座で行われた「長唄杵勝(きねかつ)会」に出演していた。芸能生活40周年の記念の年に長唄杵勝会の名取「杵屋勝之邦」を襲名するという特別な公演だった。この公演に関して彼女はブログで以下のように書いていた。 39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした。この事は新しい令和の年に向けいろいろ整理が付く、出来事にもなりました。残念です。 事務所のスタッフが誰も見に来なかったことに苦言を呈したのである。これを受けて、『女性セブン』では直撃取材を受けた彼女がコメントをしていた。20年ほど前に社長が代わってから事務所の様子が変わり、自分のマネジャーが動いていない状態に陥ってしまったのだという。その後の報道で彼女の「独立説」までささやかれた。 5月21日の囲み取材で現時点での独立は否定したものの、彼女と事務所が実際にどのような関係にあるのかは分からない。かつては屋台骨として事務所を支えていた彼女が、現在では事務所に見放されて軽く扱われている、ということなのかもしれない。太田プロダクションからの独立騒動について、「ない!」と完全否定した山田邦子=2019年5月21日、東京都(森岡真一郎 撮影) 90年代前半頃の山田の勢いはすさまじいものだった。全盛期には週14本のレギュラー番組を抱え、8社のCMに出演。映画やドラマの出演も多数、CDや小説を出せば軒並みベストセラーに。NHKの「好きなタレント」調査では8年連続で女性部門1位を獲得。本人の話によると、当時の月収は約1億円だったという。女芸人の質・量ともにかつてないほど充実している現在でも、全盛期の彼女の実績を超えられそうな人材は見当たらない。 なぜ山田はそれほど圧倒的な人気を誇っていたのだろうか。その最大の理由は、彼女のキャラクターが当時は斬新だったということだ。山田は学生時代から成績がオール5の優等生だった。芸人でありながら、演技ができて、歌がうまくて、独特のファッションセンスがあり、文章も面白い。彼女が芸人の枠にとどまらないマルチな活躍ができたのは、そもそも優等生タイプの新しい女性芸人だったからだ。山田邦子「唯一の活路」 当時は今よりもずっと「笑いは男の仕事」という風潮が強かった。そのため、女性芸人自体があまり目立っていなかった。今でこそ、女性芸人がドラマに出たり、本を書いたり、ファッションセンスを評価されたりするのは珍しいことではない。だが、当時はそういう女性芸人がほとんどいなかったため、山田の存在感は際立っていた。派手なファッションで明るいキャラクターの彼女は、バブル期前後の浮かれた空気に似つかわしいタイプの芸人だった。 だが、日本の景気低迷に伴って、彼女の人気もどんどん落ちていった。山田以外の女性芸人も続々と世に出てくるようになり、あぐらをかいていられる状態ではなくなってきた。優等生だった彼女はこれまでどんな女性芸人も達したことがなかったような高みにまで上り詰めてしまったため、そこから落ちていくときの勢いもすさまじく、地道に撤退戦を戦い抜くことはできなかった。   最近、山田をテレビで見かける機会が少ないのは、彼女が一度は頂点を極めてしまった芸人だからだろう。彼女は全盛期には自分の番組をたくさん持っていて、司会を務めていた。自分が仕切ることに慣れているので、いまさらひな壇に座って大勢いるゲストの1人という立場に置かれても、そこでうまく立ち回ることができないのだろう。 テレビタレントは、時代の移り変わりに合わせて自分のキャラクターをマイナーチェンジしていく必要がある。また、年齢を重ねることで世間から求められるものも少しずつ変わってくる。山田は良くも悪くもキャラクターが若い頃からずっと変わっていないようなところがあるため、それが時代の空気や自分の年齢に合わなくなってきたのではないか。 ただ、逆に考えると、最近の山田が事務所と何やらもめているというのは、必ずしも悪い話ではない。なぜなら、何も話題にならないよりも、たとえネガティブであっても話題になっている方がタレントとしては望ましいからだ。芸能人物、派手なチュウリップスカートで”新恋人”?のRYO(右)と新曲「涙の贈り物」を披露する山田邦子=1993年2月 キャリアが長く、いまさら守るものもない彼女は、芸能界で起こったことに関して気兼ねなく好きなことを言える立場にある。坂上忍や梅沢富美男の最近の活躍ぶりを見れば分かるように、臆することなく自分の意見を発信できる「ぶっちゃけキャラ」は今のテレビでは重宝される存在だ。山田がテレビタレントとしてこれから復活することがあるのだとすれば、そんな「ご意見番」路線しかないのではないかと思う。■『バイキング』で王道をあえて外す司会者、坂上忍が見せた弱み■元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑■剛力彩芽はきっとZOZO前澤友作氏を踏み台にする

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    三原じゅん子手記「がん公表、私の思い」

    日本人の死因トップは依然がんである。2人に1人が罹患するとされ、関心が高いだけに著名人の相次ぐ「がん公表」は反響も大きい。こうした中、10年前、報道によってがん公表に至った元女優で参院議員の三原じゅん子氏がiRONNAに手記を寄せた。誰もが当事者になり得るがんだが、著名人の公表にどう向き合うべきか。

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    三原じゅん子手記「著名人のがん公表、私はこう思う」

    三原じゅん子(参議院議員) 私が子宮頸がんを患ったのは今から約10年前、芸能界で活動していたときでした。人間ドックをきっかけにがんが見つかったときは、ショックで頭が真っ白になりました。 私は当初、自分ががんであることを隠していました。今では、芸能人によるがんの告白は珍しいものではありません。しかし、当時はがんへの理解や医学的進歩も今ほど進んでいませんでしたし、私の周囲でも、がんを公表する方はほとんどいませんでした。 私ががんを公表しなかった一番の理由は、仕事がなくなってしまうからです。レギュラー番組は取れなくなり、健康ではないイメージがつく可能性があることから、コマーシャルの仕事も受けられなくなることを恐れたのです。女優という仕事柄、イメージを固定したくないという気持ちも強くありました。 しかし、マスコミによって、子宮頸がんであることを公表されてしまったのです。もちろん大変、憤りました。繰り返しますが、がん告知は今と当時とでは大きく違います。当時は、本人や家族にさえ告知されないケースも多かったのです。 がんの公表によって、私に対する周りの目が変わり出しました。腫れものに触るような態度。私も知らない間にこうした態度を取っていたかもしれないと反省しました。 公表されてからは心を入れ替え、がんと闘っている方々とどんどん接触し、友人となっていきました。私より、ずっと苦しい病と闘っている方々が元気にがん撲滅の活動をしている姿を見て勇気をもらいました。 もう泣いてなどいられません。立ち上がるべきときは今だと思いました。そのころ私は介護施設を運営していましたが、芸能界を引退し、政治家として、がん対策と介護・福祉について取り組んでいこうと決意しました。なかなか、一気に進むわけにはいきませんが、それでもライフワークとしてこの政策を続け約10年。今後もずっと、がん対策に取り組んでいきます。自民党の三原じゅん子参院議員=2017年4月17日、東京・永田町の参院議員会館(酒巻俊介撮影) 有名人のがんに関する情報発信については、良い面と良くない面があると考えています。まず、良い面としては、同じ病の皆さんに勇気を与えることができることと、情報をお伝えできること。 患者は孤独になりがちなので、闘病の励みとなることはプラスの面としてあると思います。ただし、あくまでも参考情報としてのレベルと思っていただきたいのです。 病気は個人差があるので同じがんの同じステージでも治療法は異なってきます。ですから、有名人が治療しているからといって、その治療法がすべて正しいわけではないということです。治療の時期も体力もさまざまです。人と比べて一喜一憂しないことが大切です。がん治療と仕事の両立 がん検診の受診率が低いことも大きな課題です。とりわけ女性特有の病気は分かりにくいため、啓発活動もあまり進んでいない現状があります。たとえば、子宮内膜症、子宮筋腫、子宮頸がんなど子宮にはいろいろな病気があります。一時的な身体の不調なのか、病気なのか、素人判断ではなく、一日も早い病院での検診が重要であると考えます。 私の場合は、43歳の頃に腰と胃に不調を感じ、たまたま知人に勧められた人間ドックを受けることにしました。40歳を過ぎていたので、せっかくの機会だからというのが検診のきっかけでした。 特に自覚症状はありませんでしたが、オプションで子宮頸がんと子宮体がんの検査も受けたところ、子宮頸がんが見つかりました。当時は、子宮頸がんに対する知識も皆無でしたし、自覚症状もありませんでしたので、やはり検診の重要性を痛感しました。 私のこれからの決意として、がん検診促進、がん患者の皆さまの就職支援、がん教育の推進。この3点に取り組んでいきたいと考えています。 子宮頸がんの検診率は、欧米では70~80%ですが、わが国では20~30%と先進国の中でも極めて低い状況にあります。 早期発見は早期治療に直結します。私も何となくチェック印を付けた子宮の検診で、がんが見つかったわけですから、専門家の検診は何より大切なものです。 また、医学的知見に裏打ちされているワクチンの接種も、がん予防の観点から必要なものといえます。国内外の医学者から縷々(るる)指摘されていますが、日本ではHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの接種が世界で例を見ないほど少なく、極めて残念なことにわが国では子宮頸がん患者が増加し続けています。 また、がん患者の皆さまの離職防止と再就職支援にも取り組んでいきます。がん治療と仕事の両立は深刻で、なかなか上司や同僚に理解されないのが現実です。私がこの活動に参加してからもう10年、全く変わりません。勤務者ががんと診断されたのちに、その34%の方々が、依願退職や解雇に追い込まれているというデータもあります。 がん治療と仕事の両立も、私自身の経験からきている願いでもありますし、がん患者会の皆さまとも共有した思いです。そして、これら2つを包括したがん教育も大切です。がん検診率の低さや、がん患者の皆さまの離職問題も、やはり社会の理解不足が根幹にあると思います。※写真はイメージです(GettyImages) 今では放射線療法や科学療法も著しく進化していますし、ゲノム医療や創薬の発展により、がんは治る病気となりつつあります。しかし安易に自己判断や油断はせずに、しっかり検診と体調管理に努めることが大切です。人生100年時代、そして女性活躍時代に向けてまい進していきましょう。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる