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    愛知リコール不正署名の「元凶」に迫る

    愛知県の大村秀章知事へのリコールを巡る不正署名問題が混迷を深めている。署名を主導した高須クリニックの高須克弥院長と、支援した名古屋市の河村たかし市長は関与を否定するが、何者かによる大掛かりな不正は決定的だ。ただ、真相究明は重要だが、こうした事態を招く「元凶」があることも直視しなければならない。

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    元凶はここにある!愛知県知事リコール不正署名騒動の核心

    れたカジノを含む統合型リゾート施設(IR)誘致をめぐる横浜市長のリコール署名などの経緯を見ていくと、地方自治の直接請求制度の根底に構造的な問題があるのではないかと思わざるを得ない。 地方自治における直接参加の民主主義のシステムが時代遅れになってしまっていて、それがこの署名偽造問題の背景になっているのではないだろうか。 まずは直接請求制度の基本的なシステムについて軽く説明したい。この制度は、条件を満たせば強制的に首長の解職や議会の解散を行うことができる。ただし、その仕組みは複雑である。 愛知県知事のリコールでも勘違いしている人がいるようだが、このリコールのための署名といわれているものは、正確には「リコールそのものを決める」署名ではない。「リコールの可否を問う住民投票を行うことを求める」署名である。 よって、実際に地方自治体の県知事や市長などが解職されるまでには、2段階の署名と投票行為が必要となる。1段階目の署名でまずリコールのための住民投票を行うことを決め、そして2段階目で初めてリコールを決める住民投票が行われるのだ。 さらにこの署名の数が問題だ。リコールのための住民投票の実施を求める署名は、有権者の3分の1が必要とされている。この3分の1というのは、人海戦術でボランティアなどが一人ひとり自署を集める仕組みを考えれば、大都市の場合だと非現実的かつ実現困難な数字になる。愛知県の大村秀章知事のリコールを求める署名を選管に提出する「高須クリニック」の高須克弥院長(右端)=2020年11月、名古屋市千種区役所 例えば東京都で、都知事をリコールするために署名を集めるとすると、約1100万人(2020年6月実施都知事選の有権者)のうちの3分の1は約380万人だ。そんな膨大な署名数を一人ひとり集めていかねばならない。しかも対面で本人が書き、そこには自署も押印も必要なのである。 さすがにこの380万人という数字は非現実的といえるのではないかということで、地方自治法第76条第1項では、ある一定の有権者数を超える地方自治体はその数が緩和されることになっている。 この緩和された数で東京都の首長のリコールに必要な署名数を計算すると、約150万人の署名が必要になる。署名の個人情報 これを愛知県にあてはめて計算すると、有権者数は約610万人で必要署名数は約87万人分。横浜市だけでも有権者数約310万人で必要署名数は約49万人分にものぼる。これを対面で集めていくというのは並大抵のことではない。 そして、この数を人海戦術で集める期間はわずか2カ月間である。署名を集める人は「受任者」と呼ばれているが、これも事前登録が必要だ。ここまでくると政党レベルかそれ以上の組織力がなければ、大都市だとリコールのための署名数は事実上不可能ともいえる。 この署名の法定数が集まった後に、今度は自治体の選挙管理委員会(選管)によって第2段階の本格的な住民投票が行われ、ここで過半数を取ることでやっと解職となる。 このような膨大な署名を対面で集めなければならないために、これまで大都市と呼ばれる自治体でリコールが成立したケースはあまりない。自治体の首長がこのようにして直接請求でリコールされたのは、地方の町長や村長がほとんどである。 なお、唯一の例外といえるのは2010年の名古屋市議会の解散請求で、これは画期的なことだった。そのときのリコール運動を主導したのは、河村市長である。河村市長は大都市でのリコール運動の成功事例の経験とノウハウがある第一人者と言うこともできる。 もっとも河村市長いわく、今回の愛知県知事リコール運動は応援団にすぎず、リコール運動のノウハウがある河村市長の選挙事務所のスタッフも今回のリコールの実務からどういうわけか遠ざけられていたという。 そうすると、あまりにも幼稚といえる偽造方法の数々も、リコール運動のノウハウを知った河村市長のスタッフがいなかったから…という理解もできなくはないが、まだこちらはやぶの中。実態が明らかになるまで待つことにしよう。 このように、現在リコールの直接請求制度であると大都市ではそれが成立することは難しい。しかし地方の市町村では規模が小さいため、活発に直接民主制が機能するときもある。 2000年以降の実績では、リコール署名と住民投票の末に解職された市町村の首長は、群馬県富士見村長(03年)、滋賀県豊郷町長(同年)、長崎県香焼町長(04年)、福井県鯖江市長(同年)、香川県三野町長(同年)など、18人がリコールされている。 最近では昨年、群馬県草津町の女性町議が現市長から性的な被害を受けたと訴えたことに対し、それが虚偽であるとの理由などで町議に対するリコール運動を逆に起こされ、署名と住民投票ともに成立して失職するという一件があった。 このように、規模が小さい市町村ではそのリコールに至る理由は別として、比較的直接請求が機能しているといえる。ところが、その小さな市町村ではまた別に問題がある。 「徳島みたいな小さい町などでは、誰それが署名したとか(署名集めのボランティアである)受任者をやっているというのは仕事に直結してしまうんです。(署名に協力したら)仕事出さんぞとか、そういうことになりますから」 このように語るのは、現在徳島市の内藤佐和子市長に対するリコール運動を準備している「徳島の未来を守る会」の担当者が筆者の取材に答え、その問題点を教えてくれた。 この団体は、最年少女性市長ということでも話題になり、昨年4月に就任した内藤市長が保育園施設の整備事業を取りやめたとしてリコールを目指している。 この団体の担当者によると、小さな町や村では首長やその支持政党などとの利害関係があるため、それが知られてしまうと、近所づきあいのレベルから仕事の取引まで影響が出てくる可能性があるということだ。_林文子・横浜市長のリコールを目指した署名活動の結果を報告する市民団体「一人から始めるリコール運動」の広越由美子代表(左端)ら=2020年12月、横浜市 そのため、この徳島の未来を守る会では、受任者の個人情報もPマーク取得企業(個人情報の取扱いが適切であると認定された企業)にそのまま委ねて管理してもらう予定なのだそうだ。これだと確かに、個人情報が漏れるリスクは少なくなる。 しかし、署名が集まり自治体の選管に提出したあと、署名の原本は有権者に公開され、誰でもこれを閲覧することができる。これを縦覧制度という。 「署名の縦覧制度だけはなんとかしてほしいですねえ」と、同会の担当者はため息をつく。「バレたらどうしようと不安に思っている人はいますから…。田舎だと特にしり込みしますよ」と、不安げに話した。署名妨害行為は実際にありえる 徳島市はかつて地方自治制度を利用した署名と住民投票により吉野川可動堰計画をストップさせた歴史もあり、その他も含めて直接請求は過去何度か行われ、成功している。 そういうことから直接請求にはある程度の理解がある自治体ともいえるが、それでもやはり個人情報という面には不安があるということだ。 署名の縦覧制度とは、集まった署名を選管が審査した後に、住民の請求により7日間閲覧させる制度である(地方自治法74条)。これによれば、集められた署名は「予めこれを告示し、且つ、公衆の見易い方法によりこれを公表しなければならない」とされている。そのため、住民であれば誰でも署名を見ることができることになる。 ただし、個人情報保護の観点からだろうが、この縦覧をどのように行わせるかについては地方自治体ごとの解釈がそれぞれちがう。 例えば横浜市選管に聞いたところだと、署名を閲覧できるのは自分の名前が記載された署名用紙だけとのことで、署名簿全体を請求されても、特段の理由がなければお断りするとのことだ。自治体の署名の縦覧の規定を見ても、そのようにしているところは多い。 だが、そうでないところもある。というか、そちらのほうが地方自治法の規定には忠実であったりする。 調査報道のNPO法人「インファクト」によると、愛知県は署名の縦覧については署名簿全体を見ることは拒否する方針だったが、のちに管轄省である総務省との協議の結果、全体の閲覧を可とする判断をしたという。 インファクトも、これについて個人情報保護の観点から疑問のある措置としている。また、署名簿が閲覧された結果、その署名を取り消すように働きかけなどがあった事例を挙げている。実際、第三者による「誰が署名したか分かるんだぞ!」というような署名活動の妨害行為はよくある話だそうだ。 高須院長や河村市長のこれまでの行状に対してリコール反対派の立場の人々から、「署名活動に参加した人の県の広報で個人情報が公開される」だとか、「受任者の引き受けた人の個人情報が県の広報で公開されている」という趣旨のことを著名なリコール反対派のお三方らがツイッターで発信した。 すると高須院長はこの3者を選挙妨害として、愛知県警に地方自治法違反罪で刑事告発した。確かに、この3者のツイッターでの発言は事実関係としても正確ではなく、残念ながら勇み足としか言いようがない。署名者と受任者の情報は縦覧期間には確かに公開されるが、県の広報には掲載されない。さらに掲載されるのは受任者ではなく、限られた請求代表者のみである。 これが事実関係としても間違っているばかりではなく、個人情報がバレるから署名に行くなというのは事実としてその危険性を伝えたとしても、よくあるリコール署名つぶしと同じことをやっていることになる。この辺は、3者とも慎重になってほしかったと思う。 愛知県知事のリコール運動が進むにつれ、高須院長やその支持者の間では陣営内にスパイがいるなどの発言が繰り返されるようになり、挙げ句に「事務所に盗聴器があった」との発言まで出てきた。 これが本当なのかは明らかではないが、過剰な情報統制やボランティアが票の集計などの運営から遠ざけられていたこともあり、何かを隠しているのではないかと疑う向きもある。愛知県の大村秀章知事のリコール運動を巡る、署名偽造のアルバイトが集められた貸会議室がある建物=2021年2月、佐賀市 大量の偽造署名の存在を告発した右派有志も、この点を昨年の段階から指摘しており、この情報統制や秘密運営の影で何かが行われていたのではないかとの見方もある。 偽造署名についても、提出された約43万の署名のうち8割以上が不正なものとされている。そうすると30万以上の署名がリコール事務局の関与なしに持ち込まれることは不可能であり、そのような事情から秘密主義でスパイなども疑うような厳戒態勢になっていったのではないかという声もある。 だが、直接請求の署名運動に携わる人から言わせれば、実際に署名運動を妨害する目的で反対勢力が介入することは大いにあり得るとのことだ。署名偽造はチェックできるか 「愛知のリコールみたいにネットで人集めしして、ガバガバな運営をしてると反対勢力が入ることはありえますよね」と話すのは、前述のリコール運動の担当者である。 「例えば、受任者にしても大量に反対勢力が入り込むこともありえます。そうすると過大な受任者が集まったのに、それが署名活動を実際にしなければ、それだけで署名活動を混乱させることもできます。わざと偽造した署名を紛れ込ませることもできるでしょう」とのことだ。 スパイがいるかもしれないと連呼していた高須院長だが、こうした話を聞くとあながち的外れでもない。 愛知県のリコール署名で最もあからさまな問題になっているのは、河村市長によれば名簿業者から買ってきたのではないかとされるどこからか調達してきたリストを元に、大量の署名をアルバイト動員して偽造した件だ。 正直、こんな幼稚なことは考えればすぐダメと分かるものだろうと思うのだが、ここには事情を知っている人だけに分かる裏がある。これについて念のため横浜市の選管にも聞いてみたが、やはり事実だった。 署名の審査に際して、基本的に選管は筆跡鑑定のようなことはやらないのである。チェックするのは、選挙人名簿に照らし合わせて、名前と住所と生年月日が正しいものかチェックし、あとは印章やそれの代わりになる母印があるかどうかだけ。その必要条件が満たされていれば、それ以上は特に審査の対象にしないという。 逆にこの必要項目に関しては、誤字や住所の誤表記なども含めて厳格に確認するそうだ。ちなみに、前述の2010年の名古屋市議会リコール運動では、集めた署名約46万筆のうち、4分の1にあたる11万筆がこれらの条件を満たさない不備署名とされた。 さすがにこれは厳しすぎるのではないかということで、多少の住所の誤記や書類提出上のミスなどは、署名縦覧期間に訂正されて有効扱いされたという経緯もある。なお、このときは署名の不法な偽造ということは問題にされていない。 この署名の有効とれさる要件さえ厳格に守っていれば、筆跡と押印はチェックされないという事実を知っていたものが、今回の署名偽造を行ったのではないかという予測ができる。だが、今回はさすがに露骨にやりすぎた。 河村市長は偽造が選管で分かった理由を、筆跡うんぬんで偽造が明らかになったというよりは、住所表示があまりにも整然としており、住民基本台帳や選挙人名簿などのように住所表示の通りに抜けなく整然と並んでいたからではないかと述べている。 もちろん、これまでにボランティア有志から告発までされていたわけであって、しかも「いくらなんでも」というような、あからさまな偽造であるだけに、さすがに選管も偽造と認めざるを得なかったというのもあるだろう。 ちなみに高須院長は、不正と思われる署名でもそのまま選管に提出することを厳命したと自らツイッターで語っていた。有効か無効かを判断するのは選管だという理屈である。 そして実際に提出した後に、「不正があるため調査する」と選管が動き出すと、今度は署名を調査する権限は選管にはないと不思議な主張をした。こうした高須院長の行動はまったく不可解なのだが、この辺の理由も後に全て明らかになるかもしれない。 そのほか署名の情報管理や、河村市長も認める受任者の名簿が違う目的で利用されている件も問題ともいえる。しかし、もうそれ以上にこの直接請求における署名制度が前時代的なものになっているのは間違いなかろう。愛知県選管の調査を受けて会見する高須院長=2021年2月4日、愛知県庁 「この制度自体、もうどんづまりなんですよ」と語るのは、徳島の未来を守る会の担当者だ。 そのどんづまりの直接請求制度の盲点を利用したのが、今回の愛知県知事を巡るリコールにおける偽造署名なのである。こうした現状を踏まえれば、やはり根本的にこの制度を見直すことが必要ではないだろうか。 もちろんリコールが乱発されて、地方自治が機能不全になるのは困るが、これだけネットが普及し、今や印鑑も廃止されようと政府が取り組む時代である。今後、直接請求制度はさまざまな見直しが行われることになるだろうし、そうでなければならないとも思う。

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    「トモダチ作戦」は最大の備え、米軍との関係構築が災害大国を救う

    軍が日本の災害に対応する上で必要だと証明はされた。しかし、それまでは在日米軍が自衛隊を除く国の機関や地方自治体レベルでの協力が、政治的な理由で事前調整および協力支援が妨げられていた。 もっとも興味深いことに、この震災によってかつてないほど米軍と自衛隊間の緊密な関係もまた進展した。陸海空のそれぞれの自衛隊と米軍とで、かつて存在していなかったほどの統合運用の気概が醸成(時には強制)されたのだ。 提言書では、以下に述べる内容が重要だ。それは災害時には最も被害を受けるだろう地域が、災害前から在日米軍との事前の連携を訴えているケースをくみ取り、現実的な政策に落とし込むことだ。 互いを知り、互いのコミュニティー(米軍の場合は基地や部隊)を訪問し、双方の強みや弱み、懸念や疑問を発見する必要性をこの提言書では強調している。「トモダチ作戦」を終え、島を離れる前に上陸用舟艇(LCU)に乗り込む米軍海兵隊隊員らに握手を求める住民ら=2011年4月6日、宮城・気仙沼市大島(大西史朗撮影) もちろん、米軍は適切な公式ルートを通じて依頼されれば救援活動や支援を行う。一方で地方自治体の首長たちやカウンターパートとの協力関係を持ち、相互の信頼関係が確立されていれば、より効果的な対応が可能となる。 日本が今後直面するであろう潜在的災害地域には、沿岸部や山間部の孤立した地域が数多くある。そのため自衛隊や地方自治体が今後、トモダチ作戦のような共同運用をするには事前に在日米軍との連携が必要不可欠だ。広がる自治体連携 さらに言えば、日本の国防を第一に担う自衛隊は11年の災害対応でもそうだったが、予備役が招集されても同時に複数地域へ出動可能な数的余裕はない。 もちろん、災害支援には政府関係者を含め警察や消防、ボランティア、国内外のNPO(非営利団体)やNGO(非政府団体)、民間企業などさまざまな人々が関与する。 それぞれに欠かせない役割があるとはいえ、最初の段階で最も重要な役割を果たすのは軍事的組織が有する、迅速かつ大規模な対応能力であり、上記の組織が取って代わることはできない。この詳細については、拙著『トモダチ作戦 気仙沼大島と米軍海兵隊の奇跡の“絆”』を参照されたい。 端的に言えば、東日本大震災が良い例だが日本に駐留する在日米軍であれば、大規模災害時における自衛隊の能力を補填および支援する役割が果たせる。 現状、静岡県から果ては九州の宮崎県までの沿岸地域に被害を与えるとされる南海トラフ地震のシナリオでは、津波に襲われた後の空港の滑走路で自治体と米軍が名刺交換をするのでは手遅れだ。だからこそ、事前に協議を通じて取り決めをしておくことが肝要である。 06年に私が上記の提言をした際は、残念ながら顧みられることがなかったものの、11年以降は私が沖縄県の政務外交部次長を務めていた際に米海兵隊との間で、静岡県や愛知県、高知県をはじめ南海トラフの影響を受ける地域において、さまざまな関係者や組織団体との関係を築くことができている。 そもそも次の大規模災害は、いつ発生するかは分からない。だからこそ、こうした関係を広げ、発展していくために一日一日を大切にしなければならないが、時の経過、特に被災地の復旧・復興が進むにつれて、日本では災害への緊張感が薄くなったと感じている。まだまだ行わなければならないことはたくさんある。この部分の詳細については、拙著『次の大震災に備えるために―アメリカ海兵隊の「トモダチ作戦」経験者たちが提言する軍民協力の新しいあり方』を参照してほしい。 多くの人は、大規模災害が自分の地域で発生しなければ問題ないと思うかもしれないが、それは違う。震災などの影響は、直接的そして間接的に及ぶということを理解しなければならない。決して人ごとではないのだ。 言うまでもないが、大規模災害は経済的な影響が大きく、国内のサプライチェーンや生産、流通、販売などが寸断もしくは中断される可能性が高く、商品などのコストの上昇が考えられる。 首都直下型地震や東南海地震の場合は、被害が特に深刻になるだろうし、被災地の復興のための増税もあり得る。また、人的被害も深刻になるだろう。震災に家族や親戚、友人や同僚が巻き込まれる可能性もある。被災した青井阿蘇神社の前で、集められたごみなどを撤去する自衛隊員=2020年7月、熊本県人吉市 ほかにも避難者など国内難民の問題も考えられる。日本一の人口を抱える東京に関しても例外ではなく、首都直下型地震が起きれば、コロナ禍を機に増え続ける郊外への人口流出傾向は加速するだろう。 東京都は人口密度が非常に高いうえ、人口自体も日本最大の1千万人を超える。食糧やインフラコストの維持が莫大であるため、支援が行き渡る可能性が低く、避難者や難民が大勢生まれるのは容易に予想できる。複合的災害に備える 南海トラフ地震では、12年に公表された内閣府の防災会議にて最大32万人が犠牲になると報告されている。その後より少ない数に修正されたものの、最悪の最悪を想定しておくべきであることは、まさに10年前の教訓である。いずれにしても、恐らく最大でその5倍近くの避難者ないし移住者が発生すると考えられる。 一度津波被害が発生すれば、住宅に住めなくなったり、低い地形の地域にこれ以上住めば危険であることが認識されるからだ。政府としても、すぐには150万人規模の仮設住宅は作れない。 そのため私の提言では、あらかじめ被害が少ないであろう内陸地域や都市郊外での空き家や地域住宅の活用を提案している。これによって「空き家問題」と「大災害の支援」両方の対応ができ、一石二鳥だ。災害後の対応の素早さは、災害前の準備次第である。 また、昨今の自然災害は、複雑かつ複合化している。例えば東日本大震災は、巨大地震によって引き起こされた広域にわたる津波と、それによる原発事故があった。 地震と津波、原発被害という3つの深刻な災害が起きたが、それに加えて3月の東北には耐え難い寒さと雪もあった。16年4月の熊本地震では、大きな地震の後にとてつもない本震に見舞われた。2度の地震の後者を本震と呼ぶようになったが、当時はみなその地震の揺れと被害に衝撃を受けた。 なお、私が東海地方の大学に招聘(しょうへい)されて行った授業では、自分たちが住む東海地方に東海地震および津波が発生したという想定で、どう対応すべきかとの課題を与えた。そして進行中に突如、震災2日後に伊勢湾台風並みの台風が接近していると参加者に伝え、救援活動のシナリオをさらに複雑化させた。 季節にもよるが、地震と津波に加え台風の接近もあり得る。これまでの防災訓練では、そうした複合的視点は盛り込んでいない。だが、現実を考えれば台風のほうが地震より発生機会は多いのだから、地震と津波、台風の複合災害は想定外ではなく想定内と言えるだろう。 また、現在進行中の新型コロナも救援活動に大きな影響を与えるだろう。ボランティアが集めにくく、避難所の運用も難しくなる。昨年の熊本豪雨では、コロナ禍中での最初の大きな自然災害だったが、マスクやアルコールの手配、ソーシャルディスタンスの確保などで大変だったようだ。豪雨災害に見舞われた人吉市市街地、右は球磨川=2020年7月、熊本県人吉市(産経新聞ヘリから、彦野公太朗撮影) 以上述べてきたように、日本の防災政策にはまだまだ課題が多い。今後も、次の大震災に備えるために、緊張感を持って取り組まなければ、再び「想定外」という言い訳で責任転嫁に終始するではないかと懸念している。 東日本大震災から10年を迎え、私自身、犠牲者のことを本当に思うなら、今後犠牲者が出ないように一人ひとりがどう行動しなければならないのか、この「3月11日」が考える機会になればと思っている。

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    西東京市の「ムラ社会」的選挙が妨げる、第三極保守政党という新風

    得ていない。 現時点において、保守的な心情を有する新参者が地方政治に自らの声を届ける術は存在しない。地方自治体の首長や議員の選挙における投票率が向上しないのは、そのためだ。 もし、自民党の地方組織が新参者の声を拾い上げる努力をしたり、立憲民主党の地方組織が保守層に羽を広げる努力を行ったりすれば、新たな支持層とすることができるだろう。しかしながら、両党の現状を見る限り難しいと言わざるを得ない。神奈川県逗子市長時代の平井竜一氏=2014年2月 こうした状況が続いてきたのは、サラリーマン家庭においては健康保険や年金に関する手続きが勤務先を通じてなされているため、市区町村とやりとりするのは自分の子を保育園や幼稚園、さらには公立の小中学校に通う時ぐらいであり、地方行政の実態に触れることが少なかったからだ。そのため、学生や単身者、あるいは結婚していても学齢期の子どもの居ない者が地方自治体のことを意識する機会はほとんどない。 けれども、コロナ禍に端を発する在宅勤務の普及や外出自粛の風潮により、人々は自らが生活する場の環境を重視するようになった。当然のことながら、地方自治体の運営に関心を抱く者も増えていくに違いない。そうした動きに首長や議員、さらには職員が真摯(しんし)に向き合おうとしなければ、議員定数の削減は言うに及ばず、地方自治体の在り方そのものに疑いの目が向けられることになるだろう。

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    転がり続ける反対派、横浜カジノ闘争は「複雑怪奇」なり

    ことでもよく分かる。こうして今後もしわ寄せは市民に押し付けられることになってしまいそうなのだ。 他の地方自治体であれば、インバウンド(観光目的の訪日外国人)需要を追い風にしていくための施策もあるのだろう。だが、観光都市としての横浜には弱点がある。それは横浜のそもそもの成り立ちに由来する「歴史」の不在だ。 「横浜の歴史には近代しかない」と言ったのは横浜の下町を愛した評論家、平岡正明氏だ。幕末の動乱の中で、いわば出島のような人工都市を中核にできた横浜には、残念ながら海外から人を誘致するような魅力のある歴史遺産や文化施設が欠けている。近代だけの150年が圧縮された横浜の歴史遺産は、日本人にはモダンでレトロな魅力となるだろうが、海外の人たちからすれば自国のどこにでもある日常風景である。IRの建設候補地として有力視されている山下埠頭=2014年10月、横浜市中区 横浜市が観光の目玉にしている明治のモダンな洋風建築も、上海にもシンガポールにも香港にもヤンゴンにもカルカッタにも、横浜の数倍の規模で今でも立ち並んでいる。アジアのグローバルな視点から見ても、観光地としては劣るのだ。 そのために横浜の観光は国内需要の日帰りがもっぱらだ。日本全体のインバウンドに占める割合はなんと1%未満。インバウンドの実数からしても東京は横浜の27倍、大阪は15倍の集客をしている。要するに横浜はインバウンド需要をまったく取り込めていない。 元来、横浜は外国人のためにつくられた街であった。幕末と戦後の占領期、日本の歴史にのこる激動期に外国人を受け入れて光を放ってきたのである。乗り遅れた観光政策 しかし、そこに罠がある。そんな横浜にとって外国人は勝手にやってくるものだった。こちらから来てくださいとお願いするものではない、というのが横浜の常識であり、プライドであった。こうして日本の成長戦略の目玉であるインバウンド誘致政策から横浜だけが乗り遅れてしまっているのだ。 カジノ誘致に飛びついたのは、こうした危機感があるからだ。 横浜市が想定するカジノ誘致の経済波及効果は年間7500億~1兆2千億円。税収増の効果は年間820億~1200億円としている。本年度の横浜市の一般会計予算が8440億円であるから、この数字は大きい。いわば打ち出の小槌である。 もちろんこれは現在の想定数値であり、この通りに行くとは限らない。カジノ反対派のこれに対する批判はさまざまなものがあるが、一番説得力があるものは世界のカジノ市場の供給サイドは飽和状態になっており、いまさら日本でつくっても経済波及効果は計画通りにはいかないというものだ。 さらに、アジアのカジノ市場が中国の富裕層によって成り立っている現状がある。その裏側には、その独特の換金システムが隆盛の裏にある。中国の富裕層は、大陸の莫大な資産を海外に持ち出す手段としてカジノの換金システムを利用しているというカラクリだ。そして、そのような資産移動の手段としてのカジノは、日本ではもちろん不可能である。 静岡大の鳥畑与一教授によれば、海外からの観光客を呼ぶ目玉と言うならば、外国人専用のカジノにすればよいのだが、それをしないのは、そもそも日本人の需要をあてにしているのではないか、と疑問を投げかけている。鳥畑氏の著書『カジノ幻想』(KKベストセラーズ)では、日本のカジノの顧客の外国人比率は3分の1にすぎないというゴールドマンサックスの試算を紹介している。 さらに実際にカジノの運営を行うライセンス事業者が海外の企業に独占されるのではないかという危機感もある。 横浜のカジノ誘致をめぐっては次のような動きもあった。「ハマのドン」と呼ばれ、横浜の港湾産業のみならず政財界に強い影響力を持つ横浜港運協会前会長の藤木幸夫氏が反対の意向を示し、独自の反対の論陣をぶち上げた。このとき、横浜の政財界やカジノ誘致に関わる人たちに衝撃が走った。記者会見でIR誘致に反対の意を強調した「横浜港運協会」前会長の藤木幸夫氏=2019年8月、横浜市 カジノの予定地である山下埠頭をはじめ、横浜の主要な港湾産業を親子2代にわたりリードしてきた横浜経済界の「ゴッドファーザー」ともいえる実力者の反対だ。本来ならば、とっくの昔に話がついているはずの人物がなぜという疑問と同時に、カジノ誘致反対派にとっては強い援軍の到来と見えただろう。ただ、これには裏事情があるようだ。 「結局、国内や地元の事業者が排除されているのかのようなところが、頭越しに決められたという怒りを買ってしまったのではないでしょうか」と、横浜の商工関係者の一人はこう話す。 カジノ事業者のライセンスは非常に厳格で、今回の事業では日本の事業者の許認可は難しいのではないかという声もある。ちなみに、現在最も公然のカジノ参入の意向を示し、地元密着の活動を始めているのはマカオのカジノ王直系企業のメルコリゾーツ社だ。 メルコリゾーツは、すでに地元の横浜マリノス社とスポンサーシップ契約を結んでいたり、地元の商工関係のイベントなどにスポンサーや寄付などを積極的に行っている。私の地元である横浜の下町のハロウィンイベントでも、昨年から参加者の賞品に、メルコリゾーツが提供する宿泊券付きのマカオ旅行券が加わったりしたのも、その一例だ。 そんな外国企業が先行する状況に苦々しい思いをする藤木氏だが、その先代、港湾荷役会社「藤木企業」の創業者である藤木幸太郎氏は、戦前には山下港周辺で賭場経営に関与していた時期があったと記録されているうえ、港湾関係のつながりで、反社会的勢力と関係があったことも別段隠そうとしていない。 横浜には戦後も賭場は多数あったし、現在でも夜の街では違法なギャンブルが、公然とまではいえないが、誰もが皆知っているというお約束のものとして商売を続けている。カジノ構想は商売敵になるという人たちの声を藤木氏が代弁しているのではないかという口さがない噂もあるくらいだ。 ただ、もともと藤木氏はカジノ誘致に賛成だった。「横浜でカジノをやるならばオレにやらせろ」と発言していた。これが一転したのは、藤木氏曰く「トランプ大統領に安倍晋三前首相が米国のカジノ財閥のラスベガス・サンズの横浜進出を約束してしまったからだ」とのこと。 その意を受けた当時官房長官だった菅義偉(すが・よしひで)首相が、その進出をバックアップしていると、藤木氏は批判する。横浜の政財界のゴッドファーザーの暴露であるからには、それなりの信憑性はあると考えてもいいのだろう。そこから転じて、カジノの有害性やビジネスとしての持続性に疑問を持って反対派になったと本人は言う。「ハマのドン」カジノ反対の真意 藤木氏は常々自らを経済ナショナリストと公言している。「横浜ナショナリズム」とも冗談混じりで言うこともある。それに加えて、もちろん自身のリーダーシップも発揮したいというところだろう。 「要するにオレにやらせろということでしょ?」と、古株の地元民の中には藤木氏の反対運動に冷ややかな目を向ける人も少なからずいる。 藤木氏が横浜でドンとして君臨しているのは、先代の幸太郎氏から父子につながる一筋縄ではいかない横浜の基幹産業である港湾産業と労働者への貢献があるからだ。 そこには長年、港湾労働者のリーダーとして残した、先代の幸太郎氏の力強い功績があり、それを発展させた藤木氏のリーダーシップがあるのは誰しも認めるところだ。 余談だが、日本最初の労働団体によるメーデーは1920年5月2日に上野公園で行われたものとされているが、実はこの前日に横浜の港湾労働者団体によるメーデーの催しが行われている。この労働運動に噛んでいたのが幸太郎氏である。港湾労働者の待遇改善や生活環境の補償やバックアップのために活躍してきたことでも知られているのだ。そのため戦前の社会主義者や戦後の旧社会党系の人脈も強くあった。 そういう側面について積極的に評価する人もいる。横浜市議会の野党と各種の市民運動団体の横断組織でカジノ誘致反対の住民投票を進める「カジノの是非を決める横浜市民の会」の政村修センター長はカジノ反対に転じた藤木氏についてこう語る。 「もともと港湾労働者に賭博はつきものでした。横浜でもそうです。昼休みには花札をして、仕事が終われば日払いの賃金を握ってまた賭場に向かう。雨の日で仕事がなくなれば朝から賭博場です。実はそういう港湾労働者を賭博の風習をやめさせて、スポーツや他のレクリエーションをさせるように取り組んできたのも藤木さんですよ。カジノ反対を公言するのは、そういう思いもあるんじゃないですかね。横浜の港の歴史と共にあるのが藤木さんですから」 「ギャンブルには悲しい歴史、現実があるということを皆見ようとしない。ギャンブルというものは目に見えないところでいろんな人が泣いているんだ」とは藤木氏がカジノ反対をぶちあげた記者会見での言葉だ。昨今では横浜の障害者支援や子供たちの活動へのボランティアにも藤木氏が積極的なもの横浜ではよく知られている。この藤木氏の「転向」は本物なのかもしれない。 横浜市民の中で、カジノ誘致反対の機運が盛り上がっている何より大きな理由は、このようなカジノの反倫理的な側面だ。さらにはギャンブル依存症の問題もある。 国や横浜市は、ギャンブル依存症対策や入場規制などでそれは防げるという。カジノで発生するリスクはゼロでないが、それをさまざまな方策で世界のカジノ関連施設はクリアするべく努力してきたし、実際に成功してきているというのだ。 だが、それを一概に信用できないという人々が多数いるのも自然なことだろう。 現在、横浜市議会は自民と公明の与党が安定多数を占めており、財界の支援も含めて林市長はカジノ誘致を進めている。これに対して、神奈川新聞による今年6月の横浜市民の意向調査によると、反対は約67%にのぼり、逆に賛成は約22%にとどまっている。カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致に向けた調査費など4億円を盛り込んだ予算案の採決が行われた市議会に臨む林文子市長(最前列右)ら=2020年3月、横浜市役所 市民のカジノ誘致反対が大勢を占める状況は当初から変わらないが、推進派がさらに追いつめられている展開となっているのは、林市長によるカジノ誘致白紙発言である。2017年の横浜市長選で再選を目指していた林市長は、カジノ誘致について白紙としてこれまでの推進の立場を見直すとして、カジノ誘致問題争点化を避けて当選した。そしてそこから一転して、またもカジノ誘致を進めるということになった。 これに不信感を抱いた横浜市民の間では、さまざまな反対運動が始まった。 例えば、早くから横浜にカジノはいらないと主張する運動を開始していた「カジノ誘致反対横浜連絡会」は、2014年に18ある市民団体の連絡組織で、早々と運動を開始していた。混乱続く「反対派」運動 同会の菅野隆雄事務局長によると、林市長のカジノ白紙発言から一転して、誘致の動きが始まったころに、さらに大きな枠組みでの運動が始まり、それに合流したという。 それが市政への直接請求によるカジノ誘致反対を行う統一運動の「カジノの是非を決める横浜市民の会」である。 横浜市議会の野党である、立憲民主、共産、れいわ新選組、社民などの政党と市民団体の連合からなるこの運動は、横浜市民に対するカジノ誘致の是非を問う住民投票を行うことを目標とし、署名運動を展開している。(以降、「カジノの是非を決める横浜市民の会」を「住民投票推進派」とする) ところがこの市民運動の分裂があって、若干の混乱が見られている。 「一人から始めるリコール運動」(以降、「リコール運動推進派」)は、無党派組織でほとんど数人の運動から始まったものだ。JR東戸塚駅前で、リコールの署名を集める受任者の受付をしている広越由美子代表に話を聞きに行くと、事情を説明してくれた。 「リコールで50万人を集めれば(市長を辞めさせる)法的な拘束力があります。住民投票だと難しいと思っています」 広越氏によると、住民投票はカジノ誘致を止めるにはほとんど意味がないと言うのだ。なぜかと言えば、市長とカジノ推進が多数派の市議会がある限り、結局カジノ誘致は進められてしまうからだ。 この住民投票の請求は市議会にかけられるが、必ずしも請求を受け付けなければならないわけではなく、否決することができる。おそらく、現在の自民と公明のカジノ推進派の与党の市議会では、これが否決されてしまうだろう。 仮にこの住民投票条例が市議会で可決されたとしても、その住民投票には法的な拘束力は実際のところはない。住民投票の民意を無視してカジノ誘致を進めることも可能なのだ。 そうすると、おおよそカジノ誘致に賛成となっている横浜市の政財界と横浜市議会を相手にしてカジノ誘致をストップさせるには、住民投票では意味がなく、市長をリコールすることが必要だということになる。これが広越氏とリコール運動推進派の主張である。リコール後に選ばれる市長は、もちろん民意を受けてカジノ反対の市長となるだろうから、一挙にカジノ推進の動きを止められるということだ。 「でも(住民投票推進派は)リコールは無理だと思っているわけですよ」と広越氏は言う。 地方自治法によれば、市長の解職は有権者の数に応じた解職請求が必要で、横浜市の場合はその必要署名数はおおよそ50万人。これはかなりの署名が必要だ。そして解職請求が規定数に達すると、正式に解職の是非を問う住民投票が行われる。ここで投票数の過半数が解職に賛同すればリコールが成立する。 これについて住民投票推進派の関係者に聞いてみると、まずリコールは無理だろうとのシビアな反応が返ってくる。 「その数が多いので残念ながら現実的とはいえないですね。2011年に名古屋市で過去にリコールが成立した例はありますが、大きな市町村区や都道府県レベルでリコールが成立した例はほとんどないですから」と、前出の政村氏。「私たちもリコールという手法自体は否定していませんが…」と歯切れは悪い。 「客観的に見てもリコールは難しい。そして、もし市長のリコールが否決されると、かえって林市長の政策が信認されたという解釈されることになりかねない」とは、住民投票推進派である横浜市議会の某政党関係者の意見だ。リコールの失敗がオウンゴールになるのでないかということだ。 とはいえ、この議員もリコールの手法や運動自体を否定するつもりはなく、その議員自身も住民投票の署名とあわせてリコール署名を集めて協力しているという。市民グループが開始した、IR誘致の賛否を問う住民投票条例制定を求める署名活動=2020年9月4日、横浜市 それでもこれにイラついているのがリコール運動推進派である。やらなければ分からないだろうということだ。なるほどその志やよしとも思うのだが、実際どうなるのだろうか。住民投票推進派はあまりにも政党色が強く、結局は選挙目当てで反対のポーズはしているだけではないのか、とネットでは広越氏自ら批判を繰り広げている。残念ながら両派の分裂の収拾はつかない模様だ。 リコール運動推進派の発表によれば、11月4日の時点で署名は4万人弱。先にも触れたが、リコール成立に必要な署名数は約50万人。リコールのための法定投票期間は残り1カ月を切っている。メルクマールは市長選 今度は住民投票推進派の思惑を聞いてみる。 住民投票の請求は、横浜市の有権者の50分の1にあたる約6万2500人を上回る署名が必要だ。そしてこの後に横浜市議会で住民投票を行うか否かが議会で採決されるが、住民投票の請求が議会で否決されたとすれば、自民・公明の議員はカジノ誘致に賛成だという意思表示を選挙民にすることになる。そうすると、カジノ誘致の是非を明確にしなかった横浜市議会与党の市議は有権者にこれまでの説明がつかなくなる。 そして、来年の8月には林市長の任期満了にともなう市長選がある。失敗の可能性が高いリコール運動ではなく、本丸はここではないかということだ。ここで落選させるための前段階としての住民投票というわけだ。 これならば確かに理屈は通る。だが、リコール運動推進派は、その来年8月までにカジノ誘致が林市長と市議会与党によって進められてしまい、国への申請が行われてしまうのではないかとも危惧している。だからリコールなのだ、と。 しかし、住民投票推進派の横浜市議の古谷靖彦氏に聞くと、その点については心配なさそうだと説明してくれた。 「仮に市長選の前に国への申請や、それに伴う契約があったとしても申請の撤回や契約の破棄は可能です。なんらかの契約した場合の違約金のようなものも発生しないだろうと考えています」 こうして、11月4日には、リコール運動推進派の孤軍奮闘の苦戦を横目に、住民投票推進派の署名は20万人を突破。法定必要数の3倍の署名を集めることに成功している。横浜市議会のカジノ推進の与党は、これに正式に対応しなければならなくなった。 さて、この取材を進めている最中にさらに動きがあった。 これまでカジノ誘致のための国への申請期間は来年の2021年1~7月とされていた。そのための申請の具体的な方針も今年の年初に発表される予定だった。だが、これが新型コロナの混乱によるものか、いまだに音沙汰がないままだった。これがやっと10月9日に観光庁から発表された。 それによると、地方自治体からの誘致提案の申請期間か延期となったという。来年1月に開始される予定だったのが、10月開始とのことだ。これはカジノ誘致反対派にとって非常に大きい。 その理由は、来年8月の横浜市長選を経てからでなければ、カジノ誘致提案の申請ができないということだ。そうすると、市長選は自ずとカジノ誘致が争点となる。これまでリコール運動推進派が懸念していたように、市長選で民意が問われる前にカジノ誘致の国への申請が進められてしまうということはなくなったわけだ。 林市長は現在3期目で11年にわたって市政を担ってきた。しかし、中学の給食未支給から端を発した「ハマ弁」問題や、新型コロナ対応も含めて、長期政権に横浜市民の不満が高まっており、4選は厳しいのではないかというのがおおよその世評である。IR誘致について答弁する横浜市の林文子市長=2019年9月 また、これまで林市政に対するスタンスがまとまらなかった野党側も統一候補を立てる動きがカジノ誘致問題を機運にして高まっている。そうなると、リコールや住民投票の動きと相まって、林市長には非常に厳しい展開になりそうだ。 このように横浜市のカジノ誘致の反対運動は、まるで転がる石のような状況だ。石が転がり続けていくうちに、地盤までをも揺るがすように雪崩になりつつある。まずは来年8月の市長選、どうやらここがメルクマールになることは間違いないだろう。 だが、カジノ誘致を唱える林市長が市民からの信認を得られるかは容易に想像がつく。そのとき、カジノ誘致構想はどうなるのだろうか。

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    政府VS東京「GoToトラベル」紛争の果てに見る共倒れの日本経済

    愛知県豊田市のトヨタ自動車高岡工場に向かう作業員=2020年4月3日 産業界各社が、政府、中央官庁、地方自治体(国会議員、地方議員も含む)と根本的に違うのは倒産するというリスクを背負っているところである。政府(国)にはデフォルト(債務不履行)というリスクがある。だが、企業倒産と違って国のデフォルトはそうたやすくは起こらない。産業界各社は、積み増してきた内部留保を取り崩しながら倒産を避けるサバイバル(生き残り)戦に事実上入っている。産業界各社も必死で深刻な現状に直面している。「withコロナ」という不条理 業種によって異なるが、産業界各社からすれば、コロナ禍の新年度(2020年度)は20~25%の減収減益、最悪では30%内外の減収(損益は大幅減益~赤字)は覚悟している。だが、それ以上の減収減益、例えば40~50%の減収(損益は大幅赤字)などは危険ゾーンになりかねない。したがって国内での休業は長期では続けられない。収益などの全ての源泉である売り上げが立たない。その点、5月連休が緊急事態宣言の日程に編入されていたことは恩恵だった。 産業界各社は、倒産リスクを回避してサバイバルを果たさなければならない。新型コロナでクラスター感染などを起こせば、予期せぬ休業が避けられなくなる。産業界各社としても新型コロナ感染防止は全力を投入している。それは徹底して防衛している。ただ、売り上げは確保しなければならない。どこかでギリギリの線でリスクをとる必要も抱えている。つまり産業界各社は、最初から新型コロナ対策と経済活動の両立で走っていた。 産業界のみならず、民間というものは倒産リスクがあるのだから両立で走らざるを得ない。工場の生産ラインや建設会社の建設現場だけではない。小売店、飲食店、保育園、新聞・テレビといったメディアなどあらゆるビジネス現場は新型コロナの感染リスクと闘いながら稼働している。 ホストクラブ、キャバクラ、銀座の高級クラブなど「夜の街」関連を含めて、民間は両立路線を走るしかない。政府、中央官庁、自治体は倒産リスクがない。給料・ボーナスがきちんと出る。民間と役所の根本的な違いがそこにある。 6月初旬に取材したオフィス、マンションなど建設設備工事会社は、「建設大手なども5月連休などを組み込んで休業したが業績を大幅に悪化させるものにはなっていない」と説明。つまり産業界各社は緊急事態宣言下でも新型コロナと経済の両立、いわば新型コロナに四苦八苦しながらも何とかコントロールして売り上げを確保している、という解説だった。 産業界各社から小売店、飲食店、「夜の街」関連まで民間経済サイドは、休業要請に精一杯従った。だが、人件費、家賃など固定費の支払いは重たい。固定費補償などは十分ではないのだから、売り上げに直接関連するところは長期には休ませられない。新型コロナを徹底的に封じ込めるまでの休業はできない。新型コロナ感染源はどうしても残存することになる。その残存した新型コロナが6月後半を起点に7月の感染再爆発につながっている。 民間経済に従事している産業界、小売店、飲食店などに責任を押しつけるわけにはいかない。民間経済は、政府、中央官庁、地方自治体と違ってサバイバルが使命であり、倒産するわけにはいかない。倒産すれば従業員は失業し、取引関係先などに被害が及ぶ。新型コロナ感染対策は、第一義には専門家分科会を含む政府に責任あることはいうまでもない。さらに新型コロナ対策の現場執行の役割を担っている地方自治体も責任を免れない。記者会見する東京都の小池百合子知事=2020年7月22日、東京都新宿区 米国は検査を徹底したニューヨーク州で感染者減となっているが、経済再開を焦り気味に行ったカリフォルニア、フロリダ、テキサスなどいくつかの州で新型コロナ感染拡大を招いている。日本は新型コロナ感染がぶり返す中で、東京を除外したが「GoToトラベル」を実行した。人が動けば新型コロナが感染を増殖させる。 東京都など首都圏から全国に再び新型コロナ感染が波及していく現実が迫っている。新型コロナと経済の両立という、バランスが難しいシーソーのような政策が継続されている。A・カミユの『ペスト』ではないが、「withコロナ」という不条理とともにこの夏を迎えていることは紛れもないわれわれの現実である。

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    あいちトリエンナーレ、なぜ私は負担金「不払い」に賛同したのか

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」は、公的な文化助成のあり方を再考する機会となった。筆者は名古屋市から依頼を受け、「あいちトリエンナーレ名古屋市あり方・負担金検証委員会」の委員に就いたが、3月27日の第3回会合で報告書をまとめることができた。 内容は、「あいちトリエンナーレ実行委員会」に対して、名古屋市は留保していた負担金を支出しなくてもやむを得ないとするものだった。また、あいちトリエンナーレへの今後の取り組みについても、名古屋市に対して積極的な提案を盛り込んだ。 ただ、報告書案の採決は3対2と票が割れた。賛成したのは、元最高裁判事の山本庸幸座長と大東文化大副学長の浅野善治委員、そして筆者だ。反対は美術批評家の田中由紀子委員と、弁護士で元名古屋高裁長官の中込秀樹副座長だった。 3回にわたる会合でも、意見が完全に二つに割れ、その間を埋めることができなかった。まさに、この問題が招いた社会の分断の縮図を見るようだった。 同日、同市の河村たかし市長は報告書を尊重する形で、負担金の未払い分約3300万円を支出しないと表明した。報告書案に賛成した委員として当然だが、筆者は市長の判断を全面的に支持する。 簡単ではあるが、報告書の要旨は次の通りだ。まず、委員会の目的は「名古屋市が負担することが適切な費用の範囲について検討する」とともに、「次年度以降の名古屋市のあいちトリエンナーレへの関わり方について検討する」ものであった。市民からの税金をどのように利用するか、その適切な利用をめぐる問題が大きな焦点だった。そして、主に「表現の不自由展・その後」をめぐる三つの事実を指摘する。(事実1)予め危機管理上重大な事態の発生が想定されたのにもかかわらず、会長代行(河村たかし市長)には知らされず、運営会議が開かれなかったこと。(事実2)「表現の不自由展・その後」の中止が、事前に会長代行には知らされず、運営会議が開かれないまま会長(愛知県の大村秀章知事)の独断で決定されたこと。(事実3)中止された「表現の不自由展・その後」の再開が、事前に会長代行には知らされず、運営会議が開かれないまま会長の独断で決定されたこと。 詳細は近く名古屋市のホームページ(HP)で公表される報告書を参考にしていただきたい。企画展「表現の不自由展・その後」を開催した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」をめぐる2回目の検証委員会。手前右から2人目が筆者=2020年2月14日、名古屋市役所 ところで、名古屋市はあいちトリエンナーレ実行委に負担金を支払うべきという「債務」を負っている、と認識している人たちが一部いる。しかし、この認識は妥当ではない。報告書では、その点でも解釈をきちんと提示している。 名古屋市は、そもそも実行委員会に対して、既に通知した「あいちトリエンナーレ実行委員会負担金交付決定通知書(以下「交付決定通知書」という。)」に記載した通りに負担金を全額交付すべき債務を負っているか否かを検討する。結論から言うと、交付決定額171,024,000円を全額交付すべき債務はないと考えられる。なぜなら、交付決定通知書に記載した負担金の交付は、実行委員会に対して、3回に分けて各回これだけの金員を支払うつもりであるという意思を一方的に通知したに過ぎないと考えられるからである。「報告書」2ページ「不自由展」がもたらした社会の分断 また「市長は、負担金の交付決定後、事情の変更により特別の必要が生じたときは、負担金の交付の決定の全部若しくは一部を取り消し、またはその決定の内容若しくはこれに附した条件を変更する場合があります」という留保条件にも注目した。この「事情の変更により特別の必要が生じたとき」があったか否かについて、主に先述の三つの事実に依拠しながら、検証委は次のような結論を提起している。 そこで、会長によるこのような実行委員会の不当な運営に対して、事情変更の効果として、3回目として当初予定していた負担金の不交付という形で、名古屋市が抗議の意志を表すということは、必ずしも不適当とはいえず、他に手段がない以上、当委員会はやむを得ないものと考える。「報告書」7ページ 繰り返すが、河村市長がこの報告書の判断を元に、未払い分を支出しない決定を下したことに、報告書を可決した委員として当然だが、全面的に支持したいと思う。 以下は、報告書自体には直接に関係ない、この問題についての私見である。特に、報告書にかかわる個別意見は、報告書に付帯したので、名古屋市のHPに公開された際に参照してほしい。 報告書は、何よりも法的な根拠がしっかりあるものでなければいけない。個人的には残念なことだが、今まで支払った分の返還請求が法的に難しく、断念した点である。 あくまで筆者個人の思いとしては、実行委側は今まで受領した負担金を自主的に返還すべきだと考える。あいちトリエンナーレにおいて「表現の不自由展・その後」がもたらした社会の分断は深刻なものであり、それはまさに「政治的な対立」そのものだからだ。 また、この「社会の分断」や「政治的な対立」は、「事前に」十分に予想できる警備上の深刻なリスクをもたらした。これは事後に起きた脅迫行為などを言っているのではない。あくまでも事前に予測可能なリスクの話である。 私見であるが、警備上の深刻なリスクが生じる作品群を、あえて公的な支援の下に市民に鑑賞させるのは不適切だと思っている。当たり前だが、市民は政治的なリスクを担いながら、美術作品を鑑賞しにきているわけではないからだ。このリスク面については、報告書の個別意見や会議の場でも詳述した。 ところで、劇作家の山崎正和氏が読売新聞の論説「あいちトリエンナーレ 表現と主張 履き違え」(2019年12月)で指摘した通り、「表現の不自由展・その後」で議論の焦点になった少女像や天皇陛下の肖像を用いた作品を燃やした動画などの展示行為を、「背後にイデオロギーを背負った宣伝手段の典型」と評したが、筆者もこの言葉に賛同する。愛知県の大村秀章知事(左)と名古屋市の河村たかし市長=2020年3月 今回の報告書はあくまで公金の使途をめぐる法的解釈が中心であり、展示の解釈には立ち入るものではない。だが、この山崎氏の批評は、この展示の性格について追加の言葉を不要にするものだ、と確信している。 今後、このような社会の分断をあおる政治的イデオロギーに偏った展示が、少なくとも公的支援の下で安易に行われないことを願っている。

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    「拝金主義」維新が天王寺動物園をぶっ潰す?

    上西小百合(前衆院議員) 今、何かと問題が取り沙汰されている大阪市立天王寺動物園は、大正4(1915)年1月1日に開園した日本で3番目に長い歴史をもつ動物園で、面積は約11ヘクタール(甲子園球場の約3個分)の園内に、約200種1000点もの動物たちが飼育されている都市型の動物園である。 最近、「天王寺動物園」という言葉を聞くとハラハラしてしまう。今度はどの動物がどんな目に遭ったのかと。  今年11月3日にワライカワセミが逃げ出したことは記憶に新しいが、9月11日にはシマウマが事故死、同16日にアムールトラが原因不明の急死、同27日にアシカが行方不明になるなど、飼育動物の管理状態を疑問視せざるを得ない状況が連発しているのだ。 私は大阪府で生まれ育ち、小中高を大阪教育大附属天王寺で過ごしたので天王寺動物園は家族や友人で行くほか、遠足などでも頻繁に出かけた思い出深い場所だ。私同様そんな大阪府民も多いのではないだろうか。 天王寺動物園で多くの学びを得た子供たちも多いはずだ。「大阪府民の愛すべき場所ベスト3」に入っていてもおかしくないと、私は本気で思う。だが今、そんな以前の「楽しい憩い・教育の場所」というイメージが姿を消し、「事故多発動物園」へと変貌を遂げているのが非常に嘆かわしい。 しかし、園長や飼育員の方々は昔から変わらぬ愛情を動物たちに注いでいるし、さまざまなアイデアで園の維持向上に懸命に努めている。原因は施設、備品の老朽化や人員不足などであろう。要は金(予算)が無いということだ。教育と大阪文化を背負う天王寺動物園がここまで追い込まれてしまう背景を考えねばならない。 大阪維新の会が旋風(せんぷう)を起こした平成22年頃から当時大阪市長だった橋下徹氏は水道事業をはじめとする二重行政や天下り解消などコストカットを強力に進めてきた。しがらみのある誰かを雇用することが目的で府民の税金が無駄に支出されることなどは許されざることなので素晴らしい実績だ。 ただ、橋下氏は「特別秘書」に自身の後援会会長の息子というしがらみだらけの人を税金で雇用するなど、「桜を見る会」で後援会関係者を招いたと報じられた安倍晋三総理や閣僚でさえ啞然(あぜん)とするほどに自分には寛容な人でもあるので、どこまでの信念があったのかは分からないが…。 ただ、そのコストカットがじわじわと日本の歴史や大阪の文化にもやってきたことは胸が痛かった。財団法人「文楽協会」への補助金見直し騒動のとき、橋下氏は「劇団四季のライオンキングを鑑賞した。3時間の公演。面白かったし楽しかった」「文楽界はしっかりと学ばなければならない」などとツイートしていたが、全体を俯瞰(ふかん)する能力が欠如していると言わざるを得ない。行方不明後、4日ぶりに園内の下水施設で発見されたカリフォルニアアシカのキュッキュ=2019年10月1日、大阪市天王寺区(柿平博文撮影) 例えば、伝統工芸の中にも時代の流れの中で技術の進歩により需要が少なくなってきて、職人がその収入だけでの生計が立てにくいものもあるが、それでも日本古来の伝統や文化を守るためにどれだけの人が歯を食いしばって努力をしていることだろうか。 伝統工芸同様に外国から映画、音楽コンサートやテーマパークなどさまざまな娯楽が流入する中で、動物園の観客が減少することは当然のことだ。しかし、文化を守るためには後継者育成のための経費はこれまで同様に必要である。橋下氏が有料化を断行 平成25年9月に大阪維新の会のタウンミーティングにおいて、当時大阪府知事だった松井一郎現大阪市長が仁徳天皇陵の世界遺産登録について「宮内庁がどう言うかはあるけど、イルミネーションで飾ってみよう、中を見学できるようにしようと、いろんなアイデアを出して初めて指定される」と発言。隣に着席していた橋下氏もうなずきながら同意を示すということがあった。そうすれば観光客が増えて経済的利益も得られると松井氏は言いたかったのだろうが、天皇陵に電飾をつけるなど日本の歴史と天皇制を冒とくしていると感じざるを得ないし、度を越した拝金主義だ。 お金だけでは考えられないものもあり、お金を支出してでも守るべきものがある。時代の流れの中で文化を守り、子供たちに継承していく教育環境を整備していくことは政治家の役割のひとつであろう。 天王寺動物園について話を戻そう。私も幼い頃、祖母にもらった100円で買った餌のイワシをアシカがいるプールにもったいぶって投げ込んだのを覚えているが、昔から多くの子供たちにとって「生きるということは他の生物の命をもらっていることなのだ」といった多くのことを学ぶ場となっているのだ。 ゆえに小中学生は入場料が無料だったのだが、橋下市政の中で、平成25年4月から大阪市外に住む小中学生は有料となってしまった。補助金を減らすために、関西でも有数の動物園を広く教育に使ってもらうことを止めてしまうというのは何とも寂しい気持ちになる。 大阪市の経営で、大阪市民の税金で成り立つのだから大阪市民以外はお金を払えという理論は分からなくもないが、大阪市で線引きをしてしまうということは、維新のお題目である「ワン大阪」という大阪をひとつにする大阪都構想を目指す党として甚だ矛盾しているのだ。 政府は増税分を教育・福祉にまわすとして、給付型奨学金や幼児教育無償化などと国民が「これで教育費は1円もかからないのだな」と勘違いしてしまうような、聞こえのいいキーワードを並べてはいるものの、実際は負担が増えたり、高齢者の社会福祉に多大なしわ寄せがきたりという事例も生じている。これがまさに大阪で維新がしていることも同様の張りぼてなのだ。 維新議員たちは事あるごとに「大阪市営交通局ではトイレがきれいになりました」とアピールし、最近は大阪御堂筋線中津駅でライトアップ工事などを行っている。利用者はきれいになったと単純に喜んでしまいそうなのだが、見栄えだけを取り繕う前に安全性を高めるために一刻も早いホームドア設置などが優先されるべきだ。 子供、高齢者や障がい者を思いやる気持ちが感じられない維新の張りぼてのまちづくりでは東京に追いつくことなど到底ないだろう。天王寺動物園も見栄えだけじゃなく、子供たちの教育や動物を管理する環境を最優先するべきだ。天王寺動物園のヤギのメイちゃんらと記念撮影する橋下徹・大阪市長(当時・中央)=2014年12月26日、大阪市北区の市役所(村本聡撮影) 私は大阪市がここまで追い込まれた天王寺動物園にさらなる予算をねん出しないのは「天王寺動物園(博物館)なんてなくなってしまった方が金儲けになる」「動物園なんかより、観光客を呼び込めるIR(統合型リゾート施設)を誘致してお金にしようぜ」などと維新が考えているのではないかと危惧している。お金で買えないものだってあるんですけどね。政治家に必要なことは拝金主義ではなく、思いやりの気持ちです。

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    千葉県をとやかく言えない「全国を敵に回す」ニッポンの防災力

    青山佾(明治大名誉教授、元東京都副知事) 「他県の電気設備工事会社が千葉を走り回っているというのに、千葉では案内もつけず、被害状況も自分で把握していないのか。全国を敵に回すぞ」。台風15号による被害が相当に大きいことが明らかになり始めたころ、教え子である千葉の政治家の一人に、私は電話でそう忠告した。 千葉県のある市長が東京電力の復旧見通しの甘さを批判しているのを、テレビのニュースで目にしたからだ。その後、「千葉は全国を敵に回した」というコメントが会員制交流サイト(SNS)に散見されたが、その投稿は私ではない。 日本の災害対策基本法は、市町村に対して被災状況を速やかに都道府県に報告することを求めている。被災した市町村の職員が不足する場合は、都道府県が職員を派遣することも定めているし、当然都道府県に支援義務がある。 そもそも避難勧告は、一次的には市町村が発することになっている。これを講学上は「市町村第一主義」「自治体第一主義」という。 このように定めたのは、1959年の伊勢湾台風で5千人を超す死者・行方不明者を出したことが契機となった。日本中が衝撃を受けた被害を受けて、地域を熟知する市町村を災害対策の主軸においたからである。 道路は自治体にとって基本的な財産である。自治体の経理を市民に分かりやすく見せるためバランスシートをつくるが、自治体では所有財産の大宗を道路が占める。停電が続く千葉県鋸南町では、住民らが工面したガソリンと発電機でともした明かりに人々が集まっていた=2019年9月12日 道路は数十年、数百年かけて資産形成してきたものだ。ただ、価値は大きくても売ることができないのでバランスシートから除かないと、実態が分からない。 自治体の被災状況の把握にとっても、復旧の見通しにとっても、道路の被災状況の把握は出発点であり、基本である。電力会社任せにはできない。自治体はお客さまじゃない 2000年、伊豆諸島・三宅島(東京都三宅村)の雄山で大規模な噴火が起きたとき、私は東京都副知事を務めていた。9月に全島民が島外へ避難したあと、政府高官から年内に一時帰島できるような発言が飛び出し、大きなニュースになったことがあった。 だが、石原慎太郎知事は不用意な発言だとして、直ちに打ち消した。災害対策本部で指揮を執っていた私たちは、大量の降灰が降雨のたびに泥流・土石流と化して道路を破壊している現地の状況について正確に把握していた。 当時、副知事は2人しかいなかったが、私は東京の島嶼(とうしょ)部で噴火や地震、土砂崩れといった災害が発生するたび、島に飛んだ。議会の本会議があっても、それを休んで島に行くことに努めた。 欠席をとがめる議員はおらず、むしろ一緒に来てくれるほどだった。各政党の伝(つて)で、大臣や政党幹部を現地に呼んでくれた。 島の道路は都道か村道であり、それが壊れて停電や電話の不通が生じた場合、電力会社や電話会社が復旧の当事者になるが、道路を所有・管理する自治体もまた当事者である。私たちはそういう意識だった。 公有であろうと私有であろうと、倒木によって電力や通信の設備が壊れたら、自治体が当事者となる。復旧見通しというのは、自治体が道路の被災状況を把握し、道路や橋を回復する見通しを立てた上での話であるからだ。2000年9月、三宅村の長谷川鴻三村長(右)の案内で、三宅島噴火による土石流被災地域を視察する東京都の石原慎太郎知事 自治体はお客さまではない、当事者だ。自治体にそういう責任感があるから、世界に冠たる日本社会の安定が成り立っている。 電線絡みの倒木処理は電力会社に依頼するが、そうではない道路の倒木を片付けるのは自治体の仕事である。だから、自治体が電力会社の復旧見通しをとやかく言うこと自体に違和感を覚える。見通しが甘いと思ったならば、直ちに訂正する「実力」が自治体に求められる。弱まっている「防災力」 災害対策基本法ができた1961年当時の市町村数は4千近くあった。今では1700くらいしかない。 広域合併の結果、地域の実態からかけ離れた市町村が増えたということだろうか。2000年前後の構造改革によって市町村の職員数も減っている。 被災状況に限らず、避難勧告についても、近年は勧告を出さずに多くの犠牲者が出たり、数十万人に対し一括して避難勧告が出されたりする例が目立つ。これでは、市町村が基本法の期待する防災機能を十分に果たしていない。 つまりは、自治体の「防災力」が弱くなっているのではないか。私たちが先ごろ、若手の研究者や自治体の実務家を糾合して「令和防災研究所」を設立したのも、そういう問題意識に基づいている。 それに、「死者が出ないと大きな災害ではない」という感覚を持つ人がいるとしたら間違いだ。屋根の一部が飛んだ家が1万戸を超えたというのは、市民や自治体の感覚からいえば、未曽有の大災害である。 屋根の一部が飛んで雨風が吹き込んでしまえば、日常生活の継続は困難と考えるのが生活者の感覚だ。2000年の三宅島噴火は今日の中学校教科書にも登場する大災害だが、死者を一人も出すことはなかった。それでも、しばらく島に住めなくなったのだから、国民レベルでは大災害なのだ。台風15号の被害にあった千葉県館山市内の住宅で、屋根にブルーシートなどを張る作業をする地元建設業者やボランティアの人たち=2019年9月14日 一部損壊住宅では、被災者生活再建支援法の対象にならず、再建に公費が支給されないというのも現実的ではない。支援法では、半壊し、大規模補修を行わなければ居住困難な住宅を対象としている。2000年の三宅島噴火では、全島避難のため自宅に住むことができないので、物理的に壊れていない住宅でも、全戸適用対象になった。 もともとこの制度は、阪神・淡路大震災のあと、政府としては個人財産形成の補助はできないということで、国会において議員立法で成立し、支給のための財源も自治体側が基金の半分を拠出している。被災者の生活支援という立法の精神に沿うよう運用すべきだ。自治体の「努力」は足りているか 他にも課題は山積している。東電が近年、送配電設備への投資を大幅に減らしていると報じられた。東電に限らず全国の大手電力会社では、来年から発電と送配電が別会社となる。 送配電設備は道路と同じで、市場原理とは馴染(なじ)みにくい、基本的なインフラである。今後は、送配電に必要な投資が継続して行われるよう、公的な監視の強化が望まれる。 千葉県の杉の4分の1を占める特産の「山武杉」に、幹が腐って空洞となる病気が流行(はや)っていて、中折れした幹が電線に引っかかった例が多いという報道もあった。電力会社の努力も望まれるが、森林経営管理法によって所有者に伐採を命じられるようになった自治体の努力も求められる。 携帯電話の基地局の電源が失われ、通信が途絶したことも、被害状況の把握や復旧への障害となった。東日本大震災のとき、私たちは現地に支援に入ったが、通信途絶に大いに困った記憶がある。 令和防災研究所では、現地からの個別情報を研究所のホームページに掲載し、支援する側のために役立たせようと計画している。だが、基地局の非常電源が充実しなければ、この計画はなかなか実現しない。 今年の台風15号による甚大な被害を受けたのは、千葉だけではない。東京の島々でも屋根が飛んだり、農業用ハウスのビニールが飛んだりするといった被害が多かった。家屋の損壊戸数も1千戸を超えるという。これは2000年に噴火と地震が頻発したときより大きい数である。倒れた千葉県君津市にある送電線の鉄塔=2019年9月9日(共同通信社ヘリから) そこで私は、東京都の被害把握が不十分ではないかと批判しようと、都庁に電話してみた。すると、知事が既に厳重注意し、知事も都議会議員も現地を回るという返事を聞いて、批判を抑えることにした。 こういう場合は何はともあれ、自治体のトップには先頭に立って現地に立つことが求められる。防災服を着て役所の中で会議し、国に要請に行くだけではなく、政府高官を現地に迎えた方がいい。災害対策を行うには、現地の生活実感に基づくことが必要なのである。

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    横浜カジノ反対にキレて悪目立ちした林文子市長の「ジジ殺し出世術」

    若林亜紀(ジャーナリスト)  今年8月、横浜市の林文子市長が会見でカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致を表明した。会見の場には反対派が陳情に訪れていた。市長は無視を通すも、会見終了後に書類を放り投げる荒れた影をTBSのカメラが捉え、報道されてしまった。 林市長は、ダイエー会長などを歴任して市長に転進、与野党の支持を取り付け、オール与党の市議会を運営する3期目である。本来は余裕があるはずだが、それに合わないぶち切れぶり、何があるのか。 林文子市長は、一貫して「上からの引き立て」で今の地位に上り詰めてきた。 氏は1946年生まれの73歳。1965年、高校を卒業して繊維会社に就職するも、電器メーカーに転職して事業部長の秘書となり、実力者への気配りを身につけた。20代はお茶くみなどの雑用事務が仕事だったそうだ。 その後、77年、31歳で車の販売員に応募。「一日100人の人に会い」トップ営業に昇りつめた。87年、41歳で外車ディーラーに転職。外車が飛ぶように売れたバブル時代、93年に上司の引きで支店長になった。99年に別の外車販売会社の社長になる。 04年には米国から「引き立て」を得た。同年にウォールストリート・ジャーナル誌で、「注目すべき世界の女性経営者50人」に選出された。小泉構造改革で日本市場の外資への開放が進む中、その仲介の役割を期待されたのかもしれない。 05年には経営再建中のダイエーの会長に就任。08年には東京日産自動車販売の社長となる。そして、09年に中田宏前市長の辞任に伴う横浜市長選挙で、民主党から出馬する。これも「上の引き」だった。当時、民主党の横浜市議団は元自治省官僚で当時副市長であった男性を候補に推していた。けれども、民主党の神奈川県連が林氏を連れてきて、いわば「上から」候補に据えた。 選挙は民主党躍進の波に乗り、氏も当選した。ただし、無所属で出馬した実質自民の新人候補と接戦の末の辛勝だった。 しかも、市議会の与党は自民党である。林市長は、元横浜市議で神奈川自民の大物であり、2012年に官房長官に就任した菅義偉氏に近づき、引きを得る。 2013年の2期目をかけた市長選では、菅官房長官が林氏の応援に入り、自民も公明も対立候補を出さない無風選挙となった。しかし、市民はしらけて投票率は29%の低さだった。 しかし、この無風選挙の代償が、カジノ誘致だった。 2013年ごろから日米のカジノ業者が自民党の国会議員のパーティー券を買い始める(週刊文春報道より)。2016年にはIR整備推進法が通った。米国企業の資本であるシンガポールのマリーナベイ・サンズをモデルにした、カジノを含む総合リゾート施設の整備を推進するというものだ。IR誘致方針を発表する横浜市の林文子市長=2019年8月25日、横浜市役所 林市長も誘致に前向きであると表明した。横浜では、菅官房長官はじめ、商工会議所も、またカジノ予定地にある横浜港運協会も賛成だった。 しかし、2017年の林氏の3期目をかけた選挙前に、ほころびが生じた。通称「浜のドン」、横浜港運協会の藤木幸夫会長が突然反対に転じたのだ。 「MICE(国際会議場、展示場、併設の商用宿泊施設)で行く、そして、その開発は外資ではなく、自分たち港湾事業者が自ら行う」と主張している。カジノ利権をめぐる仁義なき戦い 横浜は貿易港で、世界各国からやってくる外国貨物船の荷揚げに、日雇いの港湾労働者が従事してきた。彼らを束ねてきたのが藤木氏の父が始めた港湾荷役業だ。 今は港運協会会長として、開発予定地の山下埠頭(ふとう)の倉庫や事務所をもつ企業を束ねている。今の貨物はコンテナが使える大黒埠頭などに主流が移り、また、輸出港としては東京や中国に株を奪われ、勢いは衰えているため、藤木氏らも生き残りに必死だ。 当初は藤木氏ら港湾関係者もカジノ利権にあずかれると思われたが、外資と国の主導で地場企業に得がないことを知って反対に転じたとみられている。 横浜に関心を示しているのはトランプの支援者である米国のカジノ業者であり、だからこそ自民党も菅官房長官も仲介に熱心なのであるが、米国は贈賄防止法が厳しく、外国の政治家や公務員、港湾関係者に対し、不当に利益を供与すれば、巨額の罰金を科せられるからだ。 17年の市長選はカジノ誘致が争点のひとつになった。市長は、藤木氏らに配慮し、カジノ誘致をいったん白紙にし、公約には「カジノは慎重に検討」として臨んだ。また、旧民主系は反対なので、支持母体である連合の推薦を得るためにも玉虫色の公約にしたのだ。 林市長以外の野党候補はカジノ反対を唱えたが、野党は林氏を支持する連合(大企業・公務員労組)と郊外の無党派市民層を支持基盤とする立憲民主系、旧小沢派系と分裂選挙になり、投票率も低かったため、林氏が自民公明連合の組織票で3選を果たした。 そして18年、IR実施法が成立した。国内で最大3カ所に誘致、資金は外国資本をあてにし、主なターゲットは外国人旅行者。ギャンブル依存症対策として、日本人は入場料6000円で週に2回までしか入れないという条件を設けている。 そして今年8月、林市長が正式に誘致を表明、藤木氏は「立ち退きには応じない、俺を殺してから来い」と徹底抗戦を宣言した。 9月になるとカジノ反対の「市民による」署名運動が始まったが、今のところ、市民運動というよりは、林氏の政治的な対立陣営主導のものである。 そんなイライラが、林市長の「書類放り投げ」につながったのではないか。菅長官の言うことを聞いてカジノを推進してきたのに、港湾業者の反対運動を押さえ込まない「上役」菅長官へのいら立ちだろうか。はたまた、菅長官の不興を買い、将来の大臣への引きといった褒章を失うことへの恐れか。会見でIR誘致反対の意向を示す港湾事業団体「横浜港運協会」藤木幸夫会長=2019年5月15日、横浜港運会館 本当は、菅長官に頼るのでなく、自ら利害調整を図るのが市長の仕事なのであるが、いずれにせよ市民不在の利権争いである。 物語の中の王様やお殿様は、よい政策を考え出して国や地方をよきに導く。だが、現実の政治家は、選挙のときだけ有権者におもねり、当選後は献金をくれる既得権者の利害を調整して税金を配るだけだ。いや、昨今の低投票率では、選挙のときも組織票を束ねる有力者におもねるだけだ。 73歳、3期目の林市長が、これまでのように上におもねって引き立ててもらうのでなく、市長のリーダーシップを発揮して横浜市を変えてくれることを期待したい。■カジノ法案成立で最も損をするのは誰か?■韓国よりも生ぬるい「ギャンブル依存症」対策で大丈夫か?■カネの流れが経済の原点 カジノに勝る「特効薬」はこの世にない

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    ちょっと待った! ヘイトスピーチ罰則化

    ヘイトスピーチ解消法の施行から3年。川崎市がヘイトスピーチに刑事罰を盛り込んだ全国初の条例制定手続きを進めている。そもそも解消法は、賛否が渦巻く中で罰則のない「理念法」として制定された。「法律の範囲内で条例を制定することができる」とする憲法94条違反への懸念もあり、山積する課題を乗り越えられるのか。

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    「試行錯誤が足りない日本」ヘイトスピーチ罰則化の理想と現実

    奈須祐治(西南学院大法学部教授) ヘイトスピーチ解消法が施行されて3年が経過し、国・地方自治体によるさまざまな取り組みがなされてきた。しかし、日本のヘイトスピーチ対策は全く十分とはいえない。 そもそも、ヘイトスピーチに関わる法的施策が本格的に展開されるようになったのは、2000年代の終わりごろに排外的な活動が活発化して以降である。諸外国では何十年も前から(欧米諸国では戦前から)法規制のあり方が議論されてきた。ヘイトスピーチの規制は技術的に極めて難しく、長期にわたる試行錯誤が求められるのである。 規制が難しい最大の理由として、ヘイトスピーチの多様性が挙げられる。規制の対象になるヘイトスピーチを捉えきれないと、政治や政策に関わる議論などの、本来保護すべき表現まで規制の網に入れてしまったり、そうした表現を萎縮させてしまったりする。 まず、ヘイトスピーチの形態の多様性を指摘できる。例えば、同じヘイトスピーチといっても、○○という民族に属する特定の個人を名指しするのか、○○人全体に向けるのかで大きく性格が異なる。 道路や公園など公共の場でのヘイトスピーチのように、標的となる○○人の1人がいるかもしれないと承知で発するときと、そうでないときも区別できよう。ここではそれぞれを、特定型・不特定型、面前型・非面前型として区別しておきたい(表1-A・表1-B)。【表1】 ヘイトスピーチが生む害悪に着目した分類もできる。ヘイトスピーチを犠牲者が直接耳にして名誉感情などが傷つけられる場合と、犠牲者とは無関係な第三者(多数者としての日本人など)の差別感情をあおることにより、後にその第三者のなかの誰かが犠牲者に暴力をふるったりする場合を区別できる。前者は言論と害悪の間の因果関係が直接的なので「直接型」と称し、後者は第三者を媒介するので「間接型」と称する(表2-A)。 また、生まれる害悪が突発的・即時的であるか、後に時間がたってから生じるかによって類別できる。後者の場合について、短期的なものと長期的なものを分けることもできる(表2-B)。 あるいは、ヘイトスピーチが名誉感情や生活の平穏など個人の利益を害する場合と、差別を蔓延(まんえん)させたり秩序を破壊したりして社会的利益を害する場合を区別できる。法律用語では、法益(法的に守られる利益)という言葉が使われるので、それぞれを個人的法益・社会的法益と称しておく(表2-C)。 この法益を例示的に列挙したのが表2-Dである。左から二つ目までは個人的法益、その他は社会的法益として性格づけられる。 【表2】 ヘイトスピーチを伝達方法によって分類することも可能だ。同じ内容のヘイトスピーチでも「殺せ」のような過激な言葉を使う場合と、オブラートに包んで伝える場合では性格が異なる(表3-A)。表3-Bはヘイトスピーチの伝達に使われる主要な「媒体」の例を挙げたものである。 【表3】限定なら違憲にならず このようにヘイトスピーチが多様な形態をとることから、用いられる施策も必然的にさまざまだ。表4-Aは世界各国でヘイトスピーチに用いられている施策の例を挙げたものである。このうち、特に議論の対象になることが多い刑事規制については、表4-Bにおいてヘイトスピーチに適用しうる主要な犯罪類型を列挙した。【表4】 このほかにも、いくつかの視点から分類が可能である。例えば、規制の「主体」として、国・地方自治体・私企業・大学などを列挙できる。また、表4-Aの施策については保護する集団(人種、民族、宗教、性別、性的指向など)の点から分類を行うこともできる。 以上のように、ヘイトスピーチとそれに対するありうる施策は多様であるため、規制は可能か、規制は憲法21条の「表現の自由」を侵害しないかといった抽象的な問いには意味がない。個々のヘイトスピーチの性格を見極め、それぞれに適した施策を用いるべきである。その施策がヘイトスピーチの生む害悪にうまく適合していて、十分に限定されたものなら憲法に違反しないだろう。 他国のヘイトスピーチに関する施策について、筆者がこれまで研究してきた国を例に挙げて説明したい。 アメリカは規制に消極的な国として例外的存在である。アメリカは原則として不特定多数人に向けたヘイトスピーチを規制せず、特定の人に向けたヘイトスピーチのみを取り締まる点に特徴がある。表1-Aにいう特定型に特化した規制を敷いているのである。 アメリカでもかつては州や自治体レベルで不特定型の規制立法が設けられていたのだが、後に廃れていった。理由はいろいろあるが、最高裁が表現の自由を強く保障する法理を展開し、ヘイトスピーチにもそれがほぼそのまま適用されていったこと、全米黒人地位向上協会(NAACP)などのマイノリティー系諸団体が早々に規制反対の立場に転じたことなどを指摘できる。 一方で、アメリカでは特定型のヘイトスピーチは厳しく規制される。例えば、連邦と各州ではヘイトクライム法が整備されており、特定の人種集団のメンバーへの憎悪に動機づけられた犯罪行為は厳しく処罰される。 2017年の夏にバージニア州シャーロッツビルの極右集会で極右団体とカウンター勢力が衝突した際、白人至上主義者の男性が運転する車がカウンター側に突っ込み、1人の女性が死亡した。アメリカでは不特定型のヘイトスピーチは処罰されないため、このような集会自体は合法だが、運転手の男性はヘイトクライム法により厳しく処罰され、終身刑の判決が下された。 また、アメリカでは職場や大学キャンパスなどでハラスメントに該当するヘイトスピーチが厳しく規制されている。職場に関しては、ハラスメントを規制する公民権法第7編の定め(セクシャル・ハラスメントだけでなく人種差別的ハラスメントも対象とされる)に基づき、使用者に高額の賠償を請求することができる。困難極める「証明」 いわゆる環境型ハラスメントは、表1A・Bでいう不特定型+面前型のヘイトスピーチにあたるもの(職場の特定の誰かを名指しするわけでないが、差別的発言を職場内で繰り返す行為など)も含むが、この規制も憲法に違反しないと考えられている。ハラスメント法は職場から大学へと拡張し、多数の大学で公民権法第7編に準じる規制が設けられた。こうした点に照らすと、アメリカでは表4-Aにいう組織内での規律が厳しくなされているものと評価できる。 これに加え、アメリカでは憲法は原則として私人間に適用されないと考えられているため、企業・団体や私立学校などの民間セクターでヘイトスピーチを規制することは広く認められている。また、GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)などのIT企業がインターネット上のヘイトスピーチを自主的に制約しても憲法違反にはならない。トランプ大統領の登場以降はかなり様相が変わっているものの、アメリカでは社会全体でヘイトスピーチを非難する論調が日本よりはるかに強いということも、以前から指摘されてきた。 一方、カナダの法律はアメリカと大きく異なる。カナダは表1-Aにいう特定型はもちろん、不特定型の規制をも広く行っている。 しかも、カナダの刑法は、表2-Dにいう「差別や憎悪の助長」を規制の理由にしている。これは表2-A・Bでいう「間接型」の「長期的」な害悪、しかも表2-Cにいう社会的法益をターゲットにしていることを意味する。 このようなタイプの害悪を理由に規制することは、表現の自由の理論の点で大きな問題があると指摘されてきた。ヘイトスピーチを聞いてどう思うかは聞き手に任せるべきことだし、長期的にみて憎悪や偏見が醸成されたかどうかは証明が難しいからである。 また、カナダは表4-Aの施策でいうと、刑事規制に加え、人権法という人権保護に特化した法律による規制も行っている点で特徴がある。ただし、現在人権法で広くヘイトスピーチを規制しているのは西部のいくつかの州に限られる。 こうした規制のあり方は、憲法の中に多文化主義条項を含むカナダらしい対応だといえる。とはいえ、カナダも表現の自由に配慮していないわけではない。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) まず、各州の法務総裁(Attorney General)の同意がないと原則として刑法の規定による起訴ができないため、頻繁に法律を適用することは難しい。また、裁判所が刑法・人権法の規定の内容を限定する解釈を行ってきたため、表3-Aでいう態様の面で、過激で極端なものだけが制約の対象になっている。 さらに、先に述べたように、カナダはいくつかの州で人権法による規制を行っているが、連邦の人権法による規制は数年前に廃止された。インターネットのヘイトスピーチは主に連邦の人権法によって規制されてきた。州の人権法は存在するが、管轄の問題があってネット上のヘイトスピーチには適用されないという判例がある。したがって、現在カナダではオンライン上のヘイトスピーチに対する有効な法的規制が欠けている。表現の自由への配慮は? 結局のところ、刑法も人権法もかなり抑制的に解釈、執行されていることがわかる。また、カナダでは欧州諸国にみられる歴史的事実否定の罪(表4-B)は設けられていないので、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の否定は穏健な言葉を用いる限り、刑法により規制されない。 イギリスの規制についても若干触れておこう。イギリスはカナダと同様に、不特定型のヘイトスピーチを1986年公共秩序法などにより規制している。 イギリスに特徴的なのは、(法律の名称から明らかなように)秩序の維持を主たる目的とする規制をしてきたことである。表2-Dにいう法益について、カナダとは大きく異なるスタンスをとるのである。 そのため、リアル・スペースでのデモや集会など表1-Bにいう面前型のヘイトスピーチが主な規制の対象となり、マスメディアやインターネット上のヘイトスピーチが規制されることは少ない。また、カナダのようにマイノリティー保護を前面に出していないので、多数派のイギリス人に対する憎悪の扇動が取り締まりの対象になったことがある。 イギリスでも、カナダとよく似たかたちで表現の自由への配慮がなされている。まず、1986年公共秩序法によると、原則として法務総裁の同意がないと起訴ができない。この同意を得るのはかなり難しく、起訴されるのはまれである。また、公共秩序法の対象になるヘイトスピーチは、(少なくとも主要な規定については)ある程度過激なものに限定する解釈がなされている。 以上において、各国の規制の概要を見てきた。日本は刑法・民法等で表1-Aのうち特定型の規制は行っているが、不特定型を罰則付きで規制していない。この点で表現の自由を重視するアメリカに近い立場をとっているといえる。 表現の自由が民主制を支える権利であり、法的規制に対して脆弱(ぜいじゃく)であることなどを考えると、こうした立場にも十分な理由があるだろう。他方で日本とアメリカはいろいろな点で違いがあることを認識しなければならない。 例えば、上記のように、アメリカでは多くの主要なマイノリティー系団体が表現の自由保護を選択し、ヘイトスピーチの規制に反対してきたが、日本では現在多くのマイノリティー系団体が規制を支持している。また、アメリカはヘイトクライムやハラスメントを厳しく規制しているが、日本にはヘイトクライム法は全く整備されておらず、アメリカにみられるヘイトクライムの統計をとるための法律も設けられていない。 ハラスメントの規制はなされているが、アメリカほど厳しく規制されていない。民間レベルのヘイトスピーチ対策もまだ始まったばかりで、アメリカよりもはるかに手薄である。こうした点を踏まえると、不特定型のヘイトスピーチを規制しないという部分だけアメリカのやり方に倣うのは適切ではないだろう。 確かに、近時日本ではヘイトスピーチに対する踏み込んだ対策が行われている。ヘイトスピーチ解消法は純粋な「理念法」ではなく、あらゆる法令の解釈指針となるものと理解されており、実際に裁判所は民法の解釈指針として用いている。川崎市で開かれたヘイトスピーチの規制を含む人権条例制定について考えるシンポジウム=2018年9月 それによって、在日朝鮮人が集住する地区で予告されたヘイトデモを差し止める決定が下されたこともあった。これは表1-Aでいう特定型と不特定型の間のグレーゾーンのヘイトスピーチが問題となったものであり、アメリカでは類似の事例で差し止めが認められなかった。追いつかないネットヘイト対策 また、近時いくつかの地方自治体が、排外主義を唱える者らによる公の施設の利用に関してガイドラインを定め、場合によって利用の拒否を認めている。アメリカでは、こうした措置を憲法違反とした判例がいくつか見られる。ヘイトスピーチの規制に関して、日本の方がアメリカよりも踏み込んでいる部分もあるのだ。 しかし依然として、不特定型のヘイトスピーチが罰則付きで規制されていないという事実は重要である。最近は、排外的なデモや街宣で用いられる言葉遣いが穏健になったといわれるが、今でもこうしたデモは多数行われているし、デモでの発言内容自体もそれほど前と変わらない。 さらに、排外主義を唱えていた人々が選挙に立候補し、選挙運動の場を使って自らの立場に正統性の外観を与えるという現象も見られる。また、インターネット上のヘイトスピーチは、穏健なものから過激なものまで多数蔓延(はびこ)っており、事業者の対応が追いついていない。 以上に加えて、重要なことは、特定型のヘイトスピーチは刑法の脅迫罪や名誉毀損罪などで対応可能なのに、個人が標的になってもなかなか警察や検察が動いてくれないと報じられている。 こうした状況を踏まえると、今でもヘイトスピーチ規制論議がやまないのは当然のことである。それでは、今年6月に発表された川崎市の条例案は、どのように評価できるだろうか。 この条例案は、日本で初めてヘイトスピーチを刑事規制の対象にしようとするもので、論争を呼んでいる。この条例の具体的内容はまだ定まっていないが、6月に発表された資料によれば、「市の区域内の道路、公園、広場、駅その他の公共の場所」での差別的言動が刑事罰の対象になるとされる。 これはインターネットや書籍などにおけるヘイトスピーチを対象にせず、マイノリティーの人々が直接ヘイトスピーチに対面しうる状況を想定している。つまり、表1-Bの面前型のヘイトスピーチに対象を絞っているのである。 直接型の害悪を想定しつつ(表2-A)、主として個人的法益(表2-C)の保護を図っていると考えることもできる。上述したカナダやイギリスの規制と比べるとより明確な害悪をターゲットにし、保護法益も限定していることが分かる。 しかも、資料によれば、違反行為がなされた場合はまず勧告がなされ、それでもその行為が繰り返されたら命令が発せられ、その命令を無視して違反行為に及んだら氏名などを公表するとともに罰則を科すことになっている。川崎市が公表したヘイト禁止条例素案について、賛同の署名を呼びかける市民グループのメンバー=2019年8月、JR川崎駅前 また、罰則を科すまでに「差別防止対策等審査会」という有識者会議の意見を聴取することになっているし、行為者に意見陳述等の機会が付与されている。イギリスやカナダの法務総裁の同意という仕組みよりもはるかに慎重で、表現の自由に配慮したものと評価できる。表現の自由の観点から今回の川崎市の動きを警戒する声も出ているが、刑事規制という側面だけを捉えて表現の自由に対する脅威を主張するのは誤っている。  ここで紹介した各国はかなり前から規制論議を行ってきたが(例えば、アメリカでは法規制の議論は20世紀初頭から行われている)、まだ理想的な規制のあり方を確立しているとはいえない。冒頭に述べたように、日本のヘイトスピーチ対策はまだ始まったばかりだ。今後何十年にもわたって模索が続くと認識しなければならない。 繰り返しになるが、ヘイトスピーチの内容は多様であり、それに応じて法的措置も色々である。民間においても、自主規制を含めさまざまな対策が考えられる。規制できるかどうかという単純化した問いではなく、国や自治体、民間企業、そして市民がヘイトスピーチの多様性を直視しつつ、実態に即した対策をきめ細かく講じていくことが肝要である。■なんJ民のヘイト告発は「ネット言論の革命」になるかもしれない■メディアの「中韓叩き記事バブル」 映し鏡としてのヘイトスピーチ■百田氏の講演中止問題で剥がれ落ちた「護憲リベラル派」の化けの皮

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    川崎ヘイト条例で決して忘れてはならない「乱用の歴史」

    ついてどのように対応するか、あるいはしないかが注目される。 川崎市のように、罰則を科すことを検討する地方自治体は今後も出てくるだろう。その場合には、本稿が指摘したように、ヘイトスピーチをどのように定義するのかが課題となるだろう。2019年6月、川崎市役所で会見する「ヘイトスピーチを許さない かわさき市民ネットワーク」の崔江以子さん(中央)、神原元弁護士(右から2人目)ら 私見では、ヘイトスピーチというのは雑多な概念が含まれる言葉であるため、その外延を明確にすることはほとんど不可能である。「○○人はゴキブリだ」「○○人は日本から出ていけ」「○○人を殺せ」などを同じ概念として定義づけることにそもそも無理があるだろう。 つまり、ヘイトスピーチといってもさまざまなものがあるので、ひとくくりに考えないようにする。そうして、害悪や態様などを考慮して類型化し、それぞれ規制の可能性(あるいは規制の限界)を探るべきだろう。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「ヤンキーゴーホーム」はヘイトではない! 高江で見た基地問題の本質■ 国会でヘイトデマを追及します! 熊本地震で噴出した日本社会の病理

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    ヘイトスピーチ規制の急先鋒、西田昌司議員はなぜ逃げるのか

    山岡鉄秀(AJCN代表、「日本エア野党の会」代表) 「日本人は平和ボケしている」と日本人自身が自覚するようになったのは、いつごろだっただろうか。ずいぶん時間がたっているような気がする。 通常、「平和ボケ」という言葉は、主に安全保障に関して使われる。集団的自衛権を否定しながら日米安保条約に依存する日本人の態度は平和ボケを通り越して、「超自己中心的」と言われても仕方がない。日米安保条約は集団的自衛権の行使そのものである。 しかし、平和ボケはもちろん他の分野にも顕著に表れる。それを強く感じたのが、反ヘイトスピーチ関連の法律や条例だ。 既知の通り、2016年6月3日に、通称「ヘイトスピーチ解消法」が公布された。この法律の正式名称は、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」である。 明らかに、特定の外国人グループを日本人のヘイトスピーチから守ろうというという意図で作られた法律であることが分かる。特定の問題をピンポイントにして作られた法律というわけだ。 その結果、当時の少なくない人が感じたように、この法律は一方通行だ。守られる側(客体)だけが固定されている。 ヘイトスピーチをする側(主体)は日本人に限定されてはいないが、主に日本人を想定していることは明らかである。日本人が本邦外出身者からヘイトスピーチを受けるケースは想定していない。日本人をヘイトスピーチの被害から救うためには別の法律なり条例を積極活用しなくてはならない。 この法律を起草した人は、日本人を敵視しているか、よほどナイーヴである。言い換えれば、平和ボケだ。当然ながら、この法律は批判に晒(さら)されたが、それに対して以下のような「言い訳」が述べられた。(1)この法律は理念法で、罰則規定がない。(2)政治的な発言はヘイトスピーチではない。(3)この法律では日本人に対するヘイトスピーチも罰せられる。 まず、(3)は完全な間違いである。本当に勘違いしているか、意図的にミスリードしているかは、定かではない。しかし、あくまでも罰則規定のない理念法だからいいじゃないか、という説明が繰り返しなされた。 ところが、驚いたことに、この法律に罰則規定を加えた条例が作られようとしている。それが、「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」だ。参院法務委員会はヘイトスピーチ(憎悪表現)解消法案を全会一致で可決した =12日午後、国会・参院第41委員会室(斎藤良雄撮影) なんと、違反者、つまり不当なヘイトスピーチを行ったと思(おぼ)しき人物や団体に市長が警告し、3回目の中止命令に従わなかった場合は50万円以下の罰金を科すというのである。法律よりも条令の方が厳しいというわけだ。 これは、条例制定権を定めた憲法94条に違反するのではないのか。そこで、この条例(素案)の基となっているヘイトスピーチ解消法を作った政治家の一人である自民党の西田昌司参院議員に、私が代表を務める「日本エア野党の会」として質問をぶつけてみた。次項に全文を示す。なぜヤンキーゴーホームが許される?令和元年7月29日西田昌司参議院議員殿「(仮称)川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」及びヘイトスピーチ解消法に関するご質問初めまして。ネットで有権者を繋ぐ「日本エア野党の会」代表の山岡鉄秀と申します。この度は再選誠におめでとうございます。 ご存知の通り、現在、川崎市において、「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」の制定準備が進んでおります。この条例の大きな特徴のひとつは、本邦外出身者に対していわゆるヘイトスピーチを行った団体、または個人に対し、50万円以下の罰金が科せられるようになることです。罰則規定の追加は、この条例の元となっている「ヘイトスピーチ解消法」が理念法であった事実と一線を画するものです。私共は、このような条例が制定され、また拡散されていくことに危惧を抱いております。そこで、「ヘイトスピーチ解消法」制定の中心人物である西田先生にご質問させて頂きたく、是非、ご回答をお願い致します。 川崎市条例が法律の範囲を超えて罰則規定を設けることは、憲法94条違反であるとお考えですか? 先生は以前、複数の番組で、「ヘイトスピーチ解消法」が一方通行だというのは誤解で、日本人に対するヘイトも罰せられる、と発言していらっしゃいますが、その根拠をお示し頂けますか?(そのようには読めませんので) 先生は、共産党員などが沖縄県の辺野古で米兵に対して「ヤンキーゴーホーム」と叫んでも、政治的発言なのでヘイトスピーチにならないとおっしゃっていますが、米兵家族に対してそのように叫んでもヘイトスピーチではないとお考えでしょうか? 同様に、昨今の日韓関係に鑑みて、来日中の韓国人に「コリアンゴーホーム」と叫んでもヘイトスピーチにはならないというお考えでしょうか? 海外でも特に先進国では差別やヘイトスピーチを禁ずる法律は存在します。しかし、いずれも「何人も何人に対して人種、肌の色、宗教、出自」などを根拠に差別したり、ヘイトスピーチを発してはならない」という双方向(any to any)の形となっております。これは公平性の観点から当然のことです。多数者か少数者かは関係ありません。このような法律または条令において、「本邦外出身者に対する」として客体を固定する発想は、全ての市民を差別やヘイトから守るという趣旨に矛盾しています。また、そもそも「本邦外出身者」が「保護すべき少数者」であるという前提(思い込み)に立脚しているのもナイーヴと言わざるを得ません。現在、世界では移民の増加が主権を脅かす事態に繋がっており、移民を利用して浸透工作を実行する外国政府も存在します。移民が多数を占める街が治外法権のようになってしまう例も報告されています。日本でも、日本人(本邦出身者)が居住区における少数派となり、差別やヘイトスピーチの対象となってしまう可能性も否定できません。 当該法律や条令が「特定の集団に対して嫌悪感を露にした抗議活動を行う団体」をピンポイントで取り締まることを目的としていることは明らかですが、このような法律を作るのであれば、海外の例にならって、公平性と普遍性(any to any)を担保することが極めて重要であり、それなくしては、法律や条令自体が差別の原因になってしまうという矛盾をきたしかねません。また、「政治的発言なら許される」という定義も極めて曖昧だと言わざるを得ません。「ここに米軍基地を移設することには反対する」「在日韓国朝鮮人に特権を供することには反対する」は民族や出自を理由にしていないので、単なる意見の表出と見做しえますが、「ヤンキーゴーホーム!」「キル・ザ・ヤンキー!」「朝鮮人は出ていけ、虐殺されても仕方ない」と叫べば、政治的主張とは無関係なヘイトと見做されても仕方ありません。 西田先生の解釈に沿って、一部過激な嫌韓団体による発言がヘイトと見做されながら、共産党を含む極左活動家の発言は「政治的発言だからOK」になってしまえば、それ自体が公正さを欠く差別となってしまいます。そこに具体的な罰則規定が加われば、益々悪用されるリスクが高まります。 西田先生におかれましては、ヘイトスピーチ解消法制定の中心人物でおられます故、川崎市の条例にも多大なる関心をお持ちであると推察致しますところ、上記ご質問にお答え頂けますと誠に幸いです。 お手数ですが、8月2日までにご回答をお願いいたします。 もし、直接お目にかかってご説明した方がよろしければ、議員会館までお訪ねいたします。 何卒よろしくお願い申し上げます。日本エア野党の会会長 山岡鉄秀なぜ西田議員は答えられないのか 西田氏はこれまで批判に対して積極的に答えてきた。また、在日特権を許さない市民の会(在特会)のメンバーを自身の番組に招いたこともあるから、即時回答があると思ったし、私も番組に呼ばれるかもしれないと思った。 しかし、8月2日を1週間過ぎても回答が来ない。秘書の方にフォローをお願いしてもなかなか反応がない。とうとう2週間近くが過ぎた8月14日になってやっと秘書の方を通じて回答があった。・質問に対して正式にコメントを出すことはできない。・自治体条例であるため、国会議員として正式にコメントすることはできない。・自治体市長も議員も選挙によってえらばれているので、その判断に委ねる。・ヘイトスピーチ解消法に関して、罰則化は考えていない。・双方に対して罰則を求めず、柔らかいモラル法としている。・条例と法は異なるので、条例に関してはあくまでも自治体として対応すべきだ。 以上が西田議員からの回答である。一転して消極姿勢になっている。条例に関してはコメントできないとのことだが、私は西田議員の過去の発言についても質問しているのだから、答えられない理由はないはずだ。 ヘイトスピーチ解消法は最終的に自民党の政策調査会が認めたのだから、責任は自民党にあるという意見もある。しかし、起草者に意見を求めるのは自然なことだ。参院決算委員会 質問に立つ自民党・西田昌司氏=2018年4月9日、国会・参院第1委員会室(撮影・春名中) 想定しうる悪(あ)しき事態が現実になりつつある今、「法律と条令は違うからコメントできない」では無責任すぎると考えるのは私だけだろうか。矛盾して聞こえるが、「政治を政治家任せにしたらこうなる」という好例だ。日本エア野党の会はこの問題をうやむやにしてはならないと強く感じている。■「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■【百田尚樹独占手記】私を「差別扇動者」とレッテル貼りした人たちへ■「ヤンキーゴーホーム」はヘイトではない! 高江で見た基地問題の本質

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    在日、黒人、ムスリム…世界の差別問題に共通する「根っこ」

     日本でヘイトスピーチの主な標的となっているのは、在日コリアンや韓国の人たちだろう。そうした差別はなぜなくならないのか。同様の差別は日本だけの問題ではなく、アメリカやヨーロッパなど、今も世界じゅうで根強く残っている。その背景に何があるのか。『言ってはいけない』(新潮新書)、『朝日ぎらい』(朝日新書)などの著書がある作家・橘玲氏と、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)などの著書があるネットニュース編集者の中川淳一郎氏が語り合った。(短期集中連載・第7回)中川:在日コリアンや韓国の人たちを対象にヘイトスピーチを繰り返す人たちがいます。最近は以前ほど目立っていませんが、根強く続いているのが現状です。かつては「朝鮮人をガス室に送れ!」や「鶴橋大虐殺を実行します!」など過激な主張もありました。基本的には韓国がいかにひどい国かといったことをアピールするのですが、彼らが拠り所にするのが「テキサス親父」と呼ばれるアメリカ人男性やスペイン人のデモ参加者など、日本を褒め称え、韓国を批判する海外、特に欧米から来た“味方”の人々です。「日本人以外も我々の思想に共感しているし、韓国を批判しているんだぞ!」とばかりに、自分たちの意見が正しいということの証明に使おうとしています。エジプト出身のタレント、フィフィなんかも親日的な発言をするため、“味方認定”していますが、欧米系の人がより重宝されているような感覚があります。橘:それは明治維新以来の欧米=白人コンプレックスそのものですよね。その象徴が、日本在住の白人が書いた嫌韓本がベストセラーになったことでしょう。内容的にはこれまで言われ尽くされた話ですが、日本人はもちろん、インド人や黒人が書いたってあんなに売れるわけはない。日本では「保守」や「右派」を自認する人ほど、自分の正しさを白人に認めてもらいたいという皮肉な逆説があります。 戦後の日本人のアイデンティティは、アジアにおいて自分たちだけが経済大国だというプライドだったのですが、1990年代以降それが崩壊してきた。中国が世界の最貧国だった頃は、「日本の援助でもう少し幸せになれるようにしてあげましょう」と右も左も言っていたのに、経済規模であっという間に抜かれ「自分たちこそ経済大国」と中国が言い始めると許せなくなるんですね。 韓国に関しても同じで、私が大学生だった頃は「韓国に旅行してきた」なんてぜったいに言えませんでした。それは韓国が貧しくて、日本人の男が妓生(キーセン)を買うために行くところだったからです。中川:1991年、エイズ予防団体のポスターがありましたよね。目をパスポートで隠す背広姿の男性がいて、「いってらっしゃい エイズに気をつけて」というのが。つまり、海外で買春をする場合は性病に気をつけようと。あの時代ですか?※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)橘:それよりは少し前ですね。『深夜特急』で沢木耕太郎さんがバックパッカー旅行を香港から始めたのは、韓国からスタートできなかったからではないでしょうか。それは時代背景としてすごくよく分かる。隣国なんだから韓国から旅を始めたっていいわけですが、あの当時、自分探しの旅で韓国には行けなかったんです。 そんなステレオタイプを変えたのが、関川夏央さんが1984年に書いた『ソウルの練習問題』で、「韓国だって普通に旅できるんだよ」というのがものすごい衝撃だった。いまでは信じられないでしょうが、あれではじめて「韓国に行ってもいいんだ」と思いました。 その韓国も驚異的な経済成長を達成して、いまでは1人当たりGDPで日本に並ぼうとしています。嫌韓・反中の背景にあるのは、「日本はアジアで唯一の先進国」というプライドをずたずたにされたことでしょう。慰安婦や徴用工など歴史問題の影響はもちろん大きいのですが、2000年代初頭の『冬のソナタ』などの韓流ブームで、日本の女の子が韓国の男性に夢中になったことへの嫉妬心もありそうです。でもそれを認めるのは悔しいから、いろんな理屈をつけて韓国叩きをやっているのではないでしょうか。中川:以前、私が書いた原稿で、海外では日本人はもはや上客とみなされておらず、中国人と韓国人の方が客引きから声をかけられている、という一言を入れたら、ネットで猛烈に叩かれたんですよ。やっぱり変なコンプレックスがあるんですよね。橘:白人に対するコンプレックスと、アジア人に対する優越感というのが日本人のアイデンティティの核なんでしょう。これがネトウヨというか、嫌韓反中ブームの本質かなと思います。排除する人を「見つける」排除する人を見つけないとアイデンティティが成立しない中川:ただそう考えると、同じアジアでも何でUAE(アラブ首長国連邦)とかに対するコンプレックスが無いんですかね。だってドバイとか経済発展もすごいわけですよ。それでも、中国と韓国にばかり意識が向いている。やっぱり見た目が似ているというところも、ムカつくポイントなのでしょうか。橘:似ているから許せないんじゃないですか。中国人に対する違和感って、見た目はほとんど同じなのに、考え方が違ったり、予想外のことを言ったりやったりするというところにあるのでは。インドやUAEの人に対しては、外見から宗教まで違うので、「日本人とは違うんだからしょうがないよね」となる。中国人だと見た目で日本人と区別がつかないから、「なんで日本人と同じにできないんだ」となるのかなと思います。中川:リベラルの側は、日本は人種差別王国だって言うんですよ。ただ、ヘイトスピーチをする人たちの発言を見ていると、特に韓国人と在日コリアンへの差別っていうことに拘泥している気がする。じゃあ「スリランカ人とか、インド人に対する差別がどこまであるか?」って考えてみたんですね。私は毎週日曜日の夕方に散歩をしているんです。代々木公園を歩くのですが、先日もスリランカフェスティバルというのをやっていましたが、みんな楽しそうにしているんです。こうしたフェスとは関係ありませんが、スリランカ人のカレー屋店長が「お客さんが来ないです」って、ツイッターで嘆いたら、皆が行ってあげ、店長が感謝する、みたいないい話になる。ただ、韓国人の店主がそんなことをやったら、ネトウヨが叩くと思うんですよ。「こいつの店は潰れないのに、『潰れる潰れる詐欺』をしてオレ達を騙しやがって」となるでしょう。橘:人種差別問題というのは、ヨーロッパの反ユダヤ主義を別にすれば、白人と黒人の歴史問題のことで、黒人を奴隷としてアフリカから新大陸に「強制連行」したことが発端です。これが近代の最大の汚点で、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したのは1492年ですから、白人は黒人差別を500年もやっている。それに対して日本人が朝鮮半島を植民地にしていたのは35年間ですから、そもそも問題の根深さがぜんぜんちがう。慰安婦や徴用工を国際問題にできるのは、それが対処可能だからだと私は思っています。奴隷制で同じことを言いはじめたら、収拾のつかない事態になりますから。 アメリカ社会の「人種問題」は黒人差別のことで、イスラームへの差別ってあんまりないんです。よく言われるのは、ドイツでトルコ系が白人の警官から職質されると、たとえドイツ国籍を持っていても「トルコ人」と扱われるのに、アメリカだと国籍があるかどうかにかかわらず「アメリカ人」と扱われることです。私もアメリカでスピード違反で切符を切られたことがありますが、警官がアジア系アメリカ人だと思って話しかけてくるので、自分が日本人の旅行者だとわざわざ説明しなくてはなりませんでした。だからヨーロッパのムスリムは、みんな「アメリカの方が差別がなくていい」と言いますよね。 それに対してアメリカの黒人が書いたものを読むと、「ヨーロッパに行くとホッとする」というのがよく出てきます。たとえばアメリカの黒人が軍隊に入ってヨーロッパに駐留すると、ものすごい解放感を感じる。ヨーロッパにも黒人に対する差別はあるでしょうが、アメリカにいるときのように、「お前は黒人だ」と常に言われているような抑圧感がないそうです。そう考えると、差別の根底にあるのは、国民・市民をどのように規定するのかということなのかなと思います。「アメリカは白人の国」というアイデンティティを持っているなら、アメリカ国民とは「黒人ではない者」ということになる。ヨーロッパだと「キリスト教対イスラーム」というステレオタイプが強いので、“偏狭なムスリム”を排除することで自由で民主的な「市民社会」がつくられる。アイデンティティに関係ないから、アメリカはムスリムに寛容で、ヨーロッパは黒人に寛容なんでしょう。これを日本社会に当てはめると、日本人のアイデンティティを守ろうとすると、どうしても「日本人ではない者」が必要になる。それが「在日」で、だからスリランカ人はどうでもいいんでしょう。 いちばんの問題は、脆弱なアイデンティティしか持たないひとが、排除する相手を見つけようとすることです。このひとたちは善悪二元論の世界しか理解できないので、「俺たち」ではない者=敵を認定しないと自分が何者なのかわからない。アメリカでトランプ大統領が誕生したのは、白人が少数派になりつつあることで「白人の国」という神話が揺らいだからでしょうが、同じように日本では、中国や韓国の経済発展で「有色人種のなかで特別」というアイデンティティが大きく揺らいだ。こうして「日本人=在日じゃない人たち」というトンデモ説が広く流布するようになったのではないでしょうか。(続く)◆橘玲(たちばな・あきら):作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『言ってはいけない 残酷すぎる真実』『(日本人)』『80’s』など著書多数。◆中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):ネットニュース編集者。1973年生まれ。『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』『縁の切り方 絆と孤独を考える』など著書多数。関連記事■橘玲×中川淳一郎(第6回)弁護士懲戒請求、ウヨマゲドン… ネット右翼の思考回路とは■橘玲×中川淳一郎(第5回)冷笑系、DD論者… ネットで「現実主義者」が揶揄される理由■橘玲×中川淳一郎(第4回)Hagex氏刺殺事件はなぜ起きたか■橘玲×中川淳一郎(第3回)ウェブへの希望が幻滅へと変わるまで■橘玲×中川淳一郎(第2回)やっぱりウェブはバカと暇人のもの

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    「橋下イズム」は地方自治をバカにする?

    。元大阪市長、橋下徹氏が掲げた「大阪都構想」の是非を再び問う奇策だが、これには「選挙制度の私物化」「地方自治の危機」などと批判も根強い。「橋下イズム」の象徴たる二度目の奇策の成否やいかに。

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    いい加減「大阪都構想」3つのウソを直視せよ

    阪市政130年の歴史は自治権拡充を求める歴史でもあった。戦前からの大都市の特別市制確立運動は、戦後、地方自治法上で特別市が条文化されたものの、五大府県と五大市との激しい対立によって特別市制は実現せず、代ってその妥協の産物として1956年に指定都市制度が創設された。事務権限移譲の流れは、国から地方へ、府県から市町村へ、をキャッチフレーズとする分権改革の流れに沿って今日なお途切れることなく続いている。 大阪都構想はこの流れを逆流させようとする動きである。この逆流は、一度は2015年の住民投票で反対多数の結果となったことで解消したかに見えた。しかし、その後のダブル選挙で都構想を目指す知事、市長が当選したことで、再び大阪の地方政治はこの問題に政治的エネルギーと行政資源を注入することとなった。都構想3つの真実 なぜいつまでもこの論議が延々と続くのか。 都構想の深層がよく理解されないままに、その深刻さは軽視され、錯覚や誤解が渦巻いているからではないだろうか。 以下、都構想の真実をこの観点から3点に絞って論じることとしたい。 一つ目は、合併を「足し算」と例えると分割は「割り算」であり、この二つは全く次元の違う問題であるということだ。市町村の廃置分合には、①分割②分立③合体④編入、の四つのパターンがあるが、昭和の大合併、平成の大合併の実態は③か④であって、基礎自治体が解体され、複数の基礎自治体となった前例を知ることはできない。 ③と④はいわば「足し算」による合併であり、②は分家する「引き算」、①は「割り算」に例えることができる。 大阪市を廃止し4特別区を設置するということは、①の分割に該当し、しかも市を廃止し複数の市を設置する(前記②)のではなく、その事務権限を大幅に縮小した基礎自治体(市町村以下と言ってよい)に転換しようとするものである。前例のない分割であるが、特別区への分割は「ありえない」ほど深刻な分割問題であるという認識を共有することが、議論の出発点とならなければならない。 合併は合意形成など苦労の多い大事業であるが、合併するA市とB町・C村の間には、同じ基礎自治体としての「行政の同質性と連続性」が確保できる。国による交付税措置や法的バックアップもあった。 しかし、大阪市の廃止・特別区設置(分割)には行政の連続性や同質性はなく、大阪市のヒト・カネ・モノ・システム・公文書などあらゆる行政資源をそれぞれの特別区へと選別解体する作業をともなう。しかも合併のような財政支援もない。 この「割り算」作業が現実問題としてスムーズに実現するとは思えない。反対派の集会「大阪市をなくすな!5/10市民大集会」で会場に掲げられたのぼり=2015年5月10日、大阪市北区(安元雄太撮影) 特別区移行の日(設置の日となるXデー)まで大阪市政は、直前までの指定都市としての役割に加えて、特別区への移行作業を全組織をあげて担わなければならない。Xデーには選挙で選ばれる特別区長も区議会の議員もいない。選出される日まで大阪市長が職務代理者となり移行作業の指揮をとらねばならないのだ。この二重の負担に耐えうるのか。 一方Xデーには、解体される大阪市の職員は、前日までの職務を終結させて、全員が大阪府、4特別区、そして前例のない一つの自治体にも比肩するマンモス一部事務組合へと配置替え、大異動が行われる。前後して書類・備品などの移管が必要である。今どき配送業者がタイミングよく確保できるかも心配だ。分割にともなう財政負担も甚大である。 さらに、混乱する職員に輪をかけて困惑するのは市民である。混乱ぶりが目に浮かぶではないか。行政は1日の停滞も許されない。 Xデーが万博前ともなると、万博への大きな悪影響も避けがたい。「割り算」と「足し算」とは次元の違う問題であることが認識されなければならない。 上記は一つのシミュレーションだが、移行期間そして大阪市廃止後の長期にわたる混乱に思いの至らない構想は大阪市民をミスリードする政治的ゲームの道具以外のなにものでもない。市民を欺く説明 大阪市を一度解体するということは、再び大阪市に戻ることのできない「片道切符」の制度であり、特別区は仲間のいない孤独な「異端自治体」であることの覚悟も重要である。特別区を「中核市並みの自治体」であるとの説明も市民を欺くものだ。消防も水道も分担せず、課税権も制約された基礎自治体は並の市町村以下の自治体である。 二つ目は、東京都区制度と大阪都構想は似て非なる制度である点だ。大阪府市再編による大阪市廃止・特別区設置構想が大阪都構想と称されて久しい。だが、この構想は、府市関係が府・4特別区の関係に移行するだけで、そこに「都」は存在しない。東京一極集中の勢いにあやかろうとする市民を欺く詐称である。 大阪市というビッグネームはなくなり、大阪府北区(仮称)などと個性のない半人前の基礎自治体に変換されるわけである。一方的に「広域」と仕分けされた市内の事務事業は府に移管され、調整財源の配分の主導権も府に握られた状態で、府内人口の30%、面積で10%程度の特別区民の府議会での立場は常に少数である。東京都23特別区が70%近い人口割合を占めているのと対比しても格段の差があるのである。 また、東京と大阪では、戦前、戦後の自治制度についてそれぞれ独自の軌跡を歩んできたという歴史の重みを忘れてはならない。 戦前東京、京都、大阪三市の区は法的に法人区であったが、東京市の区が区会をもち自治区と学区(区が単位)の議決機関としての役割を果たしてきたのにたいして、大阪市では区内に多数の学区が存在(1927年廃止時点で65の小学校学区)したものの区に区会はなく、区は行政区であった。市政としての統一性と総合性が重視されてきたのである。 さらに忘れてはならないのは財政力の違いで、東京23区と大阪4区とでは格段の差があることは明らかである。東京都区は地方交付税の不交団体であるが、大阪は府・市ともに交付団体で地方交付税に大きく依存した財政であるという違いがある。大阪の特別区は、大阪府・市分として府に交付されたものが調整財源に組み込まれるにとどまり、地方交付税の財源保障と特別区財政との直接の結びつきはない。開票作業を行う職員ら=2015年5月17日、大阪市淀川区の同区民センター(恵守乾撮影) また、法人市民税、固定資産税、都市計画税、事業所税といった有力な都市的税目はことごとく府税に移譲され、この結果特別区が課税する税は住民税中心となるが、この点でも23区と大阪市では税収水準に大きな格差があることが知られている。 2018年の『個人所得指標』によると、人口1人あたりの住民税課税対象所得は、全国平均を100として、東京23区平均が163・2に対して大阪市は全国平均を下回る93・9の指数となっている。東京23区は大阪市を1・7倍強上回っている。 特別区になることで成長するといった単純な話ではない。二重行政は理由にならない 三つ目は感覚的な「二重行政」論についてである。かつて大阪の二重行政を象徴する事例として流布されたのは、狭い市域に府立と市立の図書館と体育館が二つ併存しているということであった。だが、今日これを口にする人は稀(まれ)である。 なぜ変わったのか。それが必要で大切な役割を果たしていることが広く認知されているからである。類似した行政と二重行政とは違うにもかかわらず、「為にする」二重行政探しが今日なお続き、改悪としか思えない統合・合併が進められ検討されている事例が見られる。 府県と市町村の役割分担の基本は地方自治法と個別の法令で定められており、自治事務の中にはある意味で類似行政が存在する。しかし、これらが直ちに非効率や無駄というわけではなく、「多々益々(ますます)弁ず」と評価されるものもある。その評価は、有用か無用か有権者市民によって判断されるべきものであって、政治的に仕分けすべきものではない。 かつて地方制度調査会は、1970年の「大都市制度に関する答申」において、現地実地調査を踏まえ、大阪府市について、「市は都心部の再開発に専念し、府は周辺地域についての市町村行政を補完し、都市の経営に当たっているという現在の行政体制は府市の二重行政という理論上の問題があるにもかかわらず、その運営の実態においては、地域的な機能分担を図りつつ、それぞれの大都市問題の効率的処理に努力している状況を認めることができる」と述べている。日本万国博覧会開催を正式に承認され、中馬肇大阪市長から国際電話で承認を喜びあう左藤義詮知事=1966年5月12日、大阪市 また、当時左藤義詮(ぎせん)府知事が語った行政哲学「内野・外野守備論」がある。大阪市は都心部の再開発に専念し、外野である周辺都市で府は先行的に都市整備を行って副都心を育て、多核心都市への成長に努める中で府市連携を図るというものであった。この府市の役割分担の基本は今日なお存続しているものである。 1970年万博の地元受け入れ体制は、左藤知事と中馬(ちゅうま)馨市長との府市連携のもと、万全を期し成功に導いた。 いずれにしても二重行政問題は軽々と感覚的に論ずべき問題ではない。二重行政を理由に、府市再編により大阪市を廃止する必要があるとの論理には飛躍があり、人々をミスリードするものだ。■大阪万博「経済効果2兆円」のまやかし■「橋下徹のしょぼい提案」をスケールのでかい構想に変える秘策がある■大阪が副首都になれば、日本はこんなにも変わる

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    「橋下政治」を終わらせてはいけない理由はこれだけある

    で住民生活の拠り所となる。そこを拠点に教育、医療、福祉、まちづくり、中小企業の支援など住民に直結した地方自治が営まれる。 これまでの大阪市の各出張所に過ぎなかった24行政区と違い、高槻市や豊中市並みの権限を持つ4特別区の誕生で市域に個性的なまちづくり競争が起こり、各区の自治体間競争によりもっと魅力的な大阪づくりが行われていく。図:大阪都構想(現行と対比) 一方で、広域行政の府市を統合すれば、大阪都知事を司令塔に大都市の一体性、リーダーシップが強化され、大規模インフラの整備や都市開発、成長戦略など大阪の方向性は明確になる。大阪全体で見ると、面積も狭く過密に喘いできた大阪市内だけでなく、他の42市町村も含め広い視野に立った広域政策が展開され、関西全体のけん引力が強化されよう。既に都知事一本化から70年経つ東京都政を見れば、そのことがよく分かるはずだ。 幸い今、大阪は上向き始めた。2025大阪万博、統合型リゾート施設(IR)の法整備など都市戦略を組む手立てもそろい始めている。残るはこれを実現できる統治の仕組みを変えるところにある。万博、IR、都構想の3点セットを三位一体で進める、これを「トリプルスリー構想」と呼んでよかろう。このネーミングは前大阪市長の橋下徹氏によるものだ。 万博、IRの2つにメドがついた今、残る大阪都構想も今回のダブル選挙を勝たせ、秋に住民投票の賛成で大きく前に進めたら、大阪は跳躍台に立つ。この流れを止めるべきではない。    「万博には賛成だが都構想には反対!」という意見もあるが、かつての大阪五輪招致の失敗など府市バラバラの政治で自滅してきた轍(てつ)を踏むべきではない。その時代に戻すことは、特定の業界や一部の政治勢力にとって利益かもしれないが、若い人たちを含め大阪市民、府民の全体の利益にはならない。経済界にとってもそうだ。  その点、今回の出直しダブル選は「住民投票をさせまいとする自公勢力との捨て身の戦い」という様相が強い。だが、残念ながら維新政治に代わる対案、大阪の都市経営、将来戦略があっての戦いではない。かつて郵政民営化を断行した際の小泉純一郎首相が唱えた「抵抗勢力」との戦いに近い。守旧派の抵抗の後に何が来るというのだろうか。 私は4年前の住民投票が「都構想」の最終決着とは見ていない。誹謗中傷も含め、流言飛語が飛び交う初の住民投票の現場を見ていた私にとって、あの結論はざっくり「誤差の範囲」「答えを出すには時期尚早」という住民の平衡感覚の証のように見えた。今回の出直し選で、4年前に全て決着がついた、終わったと喧伝する候補がいるが、統治の仕組みを変える大改革が一夜で成った歴史はない。少し冷静に過去の例を眺めてみたらどうか。 一つは明治期の廃藩置県だ。教科書的には明治4(1871)年に約300の藩が47府県に一夜にして統合されたかのように言うが、実際はそうでない。300の藩は同年に3府72県、5年に3府69県、6年に3府60県、8年に3府59県、9年に3府35県となった。「副首都」らしい大阪に しかし、ここで逆に面積が大き過ぎるとの地域紛争が起こり、一部の府県で分割が行われ、明治22年に3府42県(対象外だった北海道、沖縄県を除く)となった。18年間を要して今の47都道府県の区域割りができている。民意を問う住民投票などない時代だが、権力的な上からの再編でもさまざまな反対があり、これだけの時間がかかっている。 もう一つは昭和期の都制創設だ。昭和18(1943)年、戦時体制下で東京府と東京市の統合で東京都ができているが、大正デモクラシー運動の時期を除いてみても、大正12(1923)年の関東大震災時に改革が始まる。東京府内で約7万人も死者を出した関東大震災後、復興過程で東京市とその周辺の人口が急増するが、東京市と周辺町村はそれぞれ行政管轄が違い、包括行政ができなかった。 その打開のため、まず昭和7年に東京市と周辺82カ町村が合併し「大東京市」(35区)をつくる。これで東京府人口の約93%が東京市の帰属となり、府税総額の約96%も東京市民が納める形となった。 だが、府と市の所掌事務が異なり、なかなか復興も進まない。府市の分担を明確にする必要から大正12年に都制案が出てくる。都知事公選などを盛り込む斬新な案だったが、時の政府の反対で潰れた。 しかし、以後も都制導入の議論は衰えず、結局第2次世界大戦のさなか、二重行政解消、帝都防衛、生活物資補給、戦費捻出などを理由に府市合体が行われ、昭和18年に東京都が誕生している。都制度の提案から実に20年もかかっている。これだけ統治の仕組みを変えるのは難しい。大阪都構想が一度挫折したから「終わり」というのは、歴史からみても早計過ぎる。 今大阪は、都構想に一度「ノー」を突き付けた大阪市民も万博決定で賛成派が多数になってきているように見える。最近の世論調査(朝日新聞、4月1日付)をみても「賛成」(43%)が「反対」(36%)を上回っている。 大阪府市ではこの4年間、都市ビジョンが見えないとされた前回の反省を踏まえ「副首都ビジョン」を練ってきたはずだ。単なる都区改革ではなく、大阪を副首都にふさわしい風格ある大都市に育てていくための「都構想」であるという都市政策の視点から有権者に広く説明していくことが大事だ。東京都庁舎=2018年7月、東京・新宿区 最近、政府は安倍政権の長期化で弛んでいる。モリカケ問題、自衛隊の日報隠し、統計不正と目を覆いたくなるような事件が相次ぐ。日本の官僚機構そのものが肥大化し過ぎ、弛みが生まれ、官僚のムラ社会を政治がコントロールできていない。 これを変えるには、日本官僚制の組織規模の適正化を図ることが不可欠だ。東京一極集中是正のため、大阪都構想を実現し、大阪を副首都にする。そこに首都機能の3分の1を移す。併せて日本を47都道府県制から約10州への統治改革を進め、各州が内政の拠点になるよう大胆に分権化し、中央省庁はスリム化する。 日本の行政を「賢く、簡素で効率的な統治の仕組みに変える」その改革の先陣を切るのが大阪都構想だ。「改革なき政治」風土を一掃し、人口減時代にふさわしい新たな国のかたちをつくっていく。今回の大阪クロス選はそうした大きく深い意味を持っている。有権者の賢い選択に期待したい。■ 「橋下徹のしょぼい提案」をスケールのでかい構想に変える秘策がある■ 「大阪万博は夢のまた夢」スーパー南海地震のリスクも考慮せよ■ 大阪万博「経済効果2兆円」のまやかし

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    都構想の延命、大阪クロス選に打って出た「維新」のホンネ

    上崎哉(近畿大法学部教授) 2019年3月7日に行われた大阪都構想の制度案(協定書)を作る法定協議会が決裂したことで、大阪府の松井一郎知事(大阪維新の会代表)と大阪市の吉村洋文市長(維新政調会長)が辞職届を提出した。2人とも議会で不同意となったが自動失職し、統一地方選として予定されていた4月7日投開票の大阪府議選と大阪市議選に併せて、知事選と市長選の「ダブル選」が行われることとなった。 「都」構想を推進するには、法定協議会で協定書をまとめた上で、大阪府議会と大阪市議会の承認を得る必要がある。二元代表制を採用するわが国において、議会の支持を得るために、首長が必要な手段を講じることは否定されるものではない。 前回、府議選と市議選が行われたのは2015年4月のことだ。橋下徹氏が大阪市長を務めており、翌月に大阪市を廃止して特別区を設置することの是非を問う住民投票を控えていた時期であった。当時橋下氏が代表を務めていた大阪維新の会にとって、有利な条件が整っていたといえる。 4年前に比べて、今回の選挙はこうした条件に恵まれてはいない。ダブル選が選択されたのは、府議選と市議選にぶつけることで、少しでも状況を有利にしたいという狙いがあったのであろう。 また、「一丁目一番地」とされる「都」構想を公約として掲げるには、任期満了を待つよりも、このタイミングが望ましいという計算も働いたものと考えられる。任期満了選挙となれば、4年間で都構想を実現できなかった責任や理由を問われかねないが、今回の流れであれば、公明党に責任を転嫁することもできる。 このように、ダブル選をぶつけたそもそもの狙いは、府議選と市議選を有利に進めることにある。だが、両議会選で勝利を収め、一気に「都」構想の住民投票に持ち込むだけの自信はなかったのであろう。 府議会・市議会ともに過半数を獲得できるだけの手応えがあれば、純粋な出直し選を仕掛ければ済むことである。ところが、両議会で過半数を占めるまでの自信はない。2015年5月、住民投票後初の定例会見に臨む大阪市の橋下徹市長(門井聡撮影) かといって、「都」構想の芽はできるだけ残しておきたい。そこで、知事と市長が新たに4年の任期を得ることを狙いとして、松井前知事が市長選、吉村前市長が知事選にそれぞれ出馬する「クロス選」という戦術を採ったのである。 かつて、橋下市長の時代にも、公明党との関係が悪化し、「都」構想の住民投票の実現が危ぶまれたことがあった。ところが、2014年3月の出直し選で橋下氏が再選され、同年12月の総選挙で維新の党が強固な支持を見せつけたところ、公明党は住民投票の実施について譲歩を余儀なくされた。「都」構想にこだわる理由 今回のダブル選でも、2勝すればさらに4年の任期が与えられる。この間に潮目が変わり、公明党の支持を得る機会を再度うかがう作戦なのであろう。言ってみれば、大阪維新の会にとって、今回の「ダブル・クロス選」は「都」構想の延命選挙と位置づけられる。 大阪維新の会は、なぜここまで「都」構想にこだわり続けるのであろうか。それは「都」構想が、「敵を作り出して攻撃する」という維新の政治手法と親和的なことに加え、政治的支持を集めるためのスローガンとして、使い勝手が良いからである。 「都」構想が実現すると自分の生活がどう変わるかについて、具体的に想像できる人は多くないはずだ。具体的に実感しにくいだけに、「二重行政の解消」「府市合わせ(不幸せ)の解消」「既得権の打破」といったプラス評価の言葉とともに訴えかけることで、肯定的なイメージを抱かせることが可能となる。 だが、そもそも「都」構想は、2015年5月に行われた住民投票において、否決という民意が明確に示されたはずである。何度も何度も復活、延命させるだけの価値があるものなのであろうか。「都」構想の中身を評した上で、こうしたテーマが繰り返し争点化されることの問題点について論じてみたい。 「都」構想については、数多くの課題や問題点を指摘できるが、筆者がポイントと考える点が二つある。第一は、「都」構想が実現した場合には、大阪市が廃止されるということである。 どういうわけか、大阪維新の会はこの事実の否定に躍起である。「大阪市はなくならない。なくなるのは市長と市議会、市役所だけ」ということが、あちこちで主張されている。 だが、「都」構想とは、大阪市を廃止して、大阪市が持っていた権限や財源を、大阪府と新たに設置される四つの特別区に分配するものである。常識的かつ法律上の用語法に従えば、「大阪市」とは普通地方公共団体たる大阪市を意味するのであり、「都」構想の実現によって大阪市がなくなるのは確かである。2013年に「大阪維新の会」が新たに作成した大阪都構想に関するポスター これまで、このような形で指定都市が廃止されることはなかったが、市町村合併によってなくなった自治体は少なくない。「都」構想が実現しても大阪市がなくならないとすれば、2005年に堺市と合併した美原町もなくなっていないとでも言うのであろうか。 第二のポイントは、新たに設置される4区が「特別区」だということである。府に委ねられる財源や権限はあるものの、基本的に特別区は市に準ずる自治体として、区長が選挙で選ばれ、区議会が設置される。 仮に「都」構想が実現したとすれば、これまでは一つの大阪市であったものが、四つの区に分割されるだけでなく、24区の時代と比べて、各区の自律性は圧倒的に高くなる。その結果、隣接する区同士で厄介な調整の問題も生じるであろうし、府と区で意見が分かれた結果、対立に至ることもあるであろう。選挙は「戦」ではない これからも、大阪維新の会が常に府知事と4つの区長ポストを占め続けるのであれば、問題ないのかもしれない。しかし、「府市合わせ」よりも複雑かつ深刻な問題が生じることも十分に予想される。 このように、「都」構想はもろ手を挙げて賛成できるような代物では決してない。さらに、2015年の住民投票の結果が示す通り、民意が割れている問題である。果たして、こうしたテーマを公約に掲げ続け、改めて住民投票にかけようとすることが望ましいのであろうか。 「究極の民主主義」とする橋下氏の言葉もあるように、住民投票を無条件に礼賛する見解もなくはない。だが、国民や住民が二分されるようなテーマに白黒をつけようとする場合には、住民投票は必ずしも好ましい手段ではない。 政治や選挙について、戦(いくさ)にまつわる表現が用いられることは少なくない。なるほど、政治家にとって、選挙は勝つか負けるかであり、まさに「戦」としか言いようがないのかもしれない。 だが、本物の戦の場合、一方の死や滅亡で決着がつくことも少なくないのに対し、選挙や住民投票の場合には、結果がどうあれ、それらが実施された後も、人々は同じ国や地域でともに暮らしていかなければならない。 「都」構想が実現して大阪市が廃止されたとしても、「都」構想が否決されて大阪市が存続したとしても、現在の大阪市域で、人々は共存し続けなければならない。逆に、こうした共存が脅かされるほどに民意が割れる恐れがある場合には、争点化を避けるという選択肢もある。 例えば、福島県矢祭町は、「平成の大合併」の際に「合併しない宣言」を発したことで有名である。同町で合併が避けられた理由として、「昭和の大合併」の反省があるとされる。 昭和の大合併で前身の矢祭村が誕生したが、賛否を巡って肉親や親類をも引き裂くような分裂が生じ、しこりは後々までも残ったとされる。矢祭町では、昭和の大合併と同様の事態を引き起こしたくないという思いから、合併という選択肢の争点化を回避したのである。大阪ダブル選を控え、大阪市港区内に設置された、4枚並んだ選挙ポスター用の掲示板=2019年3月20日(前川純一郎撮影) 統治機構の変革に必要とされるエネルギーや労力の大きさを鑑みれば、大枠には手をつけずにそのままにしておいた上で、「取り組むべきことに取り組む」といった選択肢もある。矢祭町では、単独での生き残りを決めた上で、365日の開庁や、「矢祭もったいない図書館」の開設など、知恵と工夫を凝らした取り組みが進められている。その実現には、「都」構想をどうしても必要とすることが具体的に示されていない以上、現行の大阪府と大阪市の体制の下、大阪の発展を目指す方が現実的ではないだろうか。 大阪維新の会が府市の両議会選で圧倒的な勝利を収めれば話は別だが、今回の選挙後に「都」構想が大きく前進することはないであろう。今回の選挙は、「都」構想に対する賛否を正面から問うものではない。「都」構想の可能性を残して延命を認めるか、「都」構想を巡る長年の議論に終止符を打つか、有権者にはこうした審判が求められている。■ 「大阪万博は夢のまた夢」スーパー南海地震のリスクも考慮せよ■ 大阪直下地震で思い出す「増税なくして復興なし」のペテン■ 大阪万博「経済効果2兆円」のまやかし

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    橋下徹「大阪都構想は新たな政治行政を実現する切り札だ」

    の役割分担が適切ではない。 たとえば待機児童対策なんて、中央政府が実際に手掛ける問題ではありません。地方自治体に待機児童の解消を義務化する法律を制定すればいいだけの話です。 その代わり、権限も財源もすべて地方に渡し、保育所設置に関するルールも地方ですべて自由に決めさせる。責任を負わせる代わりに権限とお金を与えるのです。それが組織マネジメントというものです。中国全人代の閉幕式に臨む習近平国家主席=2019年3月、北京の人民大会堂(共同) トランプ大統領や習近平主席が、待機児童問題について語っていることを聞いたことがあるでしょうか? 国のトップが心血を注ぐべきは、外交・安全保障政策などであって、待機児童対策ではありません。 森友問題に関しても、安倍政権の対応は不誠実だったと思いますが、これもしょせん私立小学校の敷地をめぐる問題でしかない。仕事を抱え込みすぎる中央政府―本来であれば、日本中が騒然となるような議題ではなかったと。橋下 役所の不正や不適切な行為は徹底的に正さなければなりません。しかし森友問題が議論される場は、本来は地方議会であるべきです。近畿財務局が土地を抱えているからこうなってしまう。 これらの土地を大阪府庁の所管にするか、近畿財務局という組織そのものを関西広域連合の下に置くかしていれば、この問題は国会ではなく、大阪府議会や関西広域連合議会で議論されていたでしょう。―地方に任せるべき問題を国が一手に担っている。橋下 島国日本の政治指導者が、トランプ大統領、習近平主席、プーチン大統領などの大国の指導者と渡り合うためには、中央政府が外交・安全保障政策に集中できる環境を整える必要がある。 いまの日本は、安倍さんの頑張りで何とか国際社会において存在感を示せていますが、安倍さんは、不毛な議論が行なわれている国会に連日拘束されている。これだけ国のトップが国会に拘束される国は世界にも類を見ません。 その理由は中央政府があらゆる仕事を抱え込み、それがすべて国会で議論されるからです。しかし、島国日本の首相だからこそ、年間100日以上は外国に行けるような、そんな環境にしなければならない。 そのためには、いま中央政府が抱えている仕事のうち、内政問題はできるかぎり地方自治体の仕事に移譲すべきです。そして中央政府は外交・安全保障などの仕事に集中し、国会での議論を絞り込むべきです。2018年3月、「森友」決裁文書改竄問題で野党から連日追及を受ける安倍首相(左)と麻生副総理兼財務相(斎藤良雄撮影) 民間企業であれば、経営本部が行なう仕事と現場が従事する仕事がきっちりと役割分担され、そのような組織形態になっています。日本の統治機構も、中央政府と地方政府の役割分担を明確にできる道州制に改めるべきです。―現在の安倍政権は強固な体制を築いているようにみえますが、「ポスト安倍」の問題についてはどう見ていますか。習近平が日本の首相になったら橋下 そもそもリーダーシップは、個人の力で発揮されるものではなく組織に規定される、と僕は考えています。 たとえば習近平主席が日本の首相になっても、リーダーシップは執れないでしょう。習主席があのようにできるのは中国の政治組織だからこそです。 僕は大阪府知事・市長だったとき、「橋下は独裁者だ」と散々いわれてきましたが、そのような強烈なリーダーシップを僕が発揮できたのは、有権者から直接選ばれる知事・市長という立場で、大阪府庁・大阪市役所という巨大組織において人事権と予算権を握る仕組みに乗っかっていたからです。 まさに組織の仕組みによってリーダーシップが発揮できたのです。また大阪維新の会も、僕がリーダーシップを発揮できる組織形態になっていました。 僕が議院内閣制の仕組みである国政の場に行ったとしても、リーダーシップなど発揮できないし、政治家としてクソの役にも立ちません。組織に規定されるんです。―まず、リーダーシップを発揮できる体制を整える必要があるわけですね。橋下 リーダーシップや戦略は組織に規定される。僕が大阪都構想に取り組んだのも、大阪全体の政策を、大阪全体のリーダーが強力に実行するための組織、統治機構をつくるためだったのです。 大阪府庁・市役所がそれぞれ行なっていた行政を統括し、大阪が一体となって政策を実行し、大阪の活力と競争力を高める。東京に並ぶ2つ目のエンジンとして大阪が力をもてば、日本全体の大きな推進力になります。 大阪都構想、ひいては道州制を含む統治機構改革を進めることで、地方は自律的に創意工夫を凝らした行政を展開でき、中央政府は国の大きな舵取りに集中できる。写真:大坊崇 これこそが、激動する国際情勢を乗り切り、少子高齢化に突入しながら価値観がますます多様化する社会ニーズにしっかりと応える政治行政を実現する切り札です。 そして、このような統治機構改革は内戦に匹敵する凄まじい権力闘争に打ち勝たなければならず、政治家にしかできない仕事です。自民党にはそれをやる意思も能力もありません。ゆえに統治機構改革を実行してくれる野党の誕生を期待しています。関連記事■ 橋下徹「政策はぶれて当たり前」■ 橋下徹「野党は安倍首相とトランプ大統領に学べ」■ 気鋭の国際政治学者同士が激論!真のリアリズムに基づく国防とは何か

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    “地方政界のドン”になる条件は「知事の後ろ盾になる」こと

     4月に行なわれる統一地方選を前に、永田町が慌ただしい。国会議員の選挙マシンとなるのは、地元の有権者に密着する県議や市議たちだからだ。 かつて内田茂氏(80)が、「都議会のドン」と呼ばれたことは記憶に新しいだろう。こうした「ドン」は東京だけでなく、各地に存在する。地方政界のドンになると、議長や副議長ポストを配分することで議員を束ね、県や市の事業や役人人事に影響力を持って業界を仕切り、地元で「票とカネ(選挙資金)」を握ることで国会議員も逆らえないほどの力を持つ者が現われる。 大臣経験者はおろか、安倍晋三首相(64)や菅義偉・官房長官(70)ですら、そうした地元有力者の顔色を窺わなければならない。 当選9回を数える愛知県議会の実力者、水野富夫・県議(69)の事務所は早朝から門前市をなす。「水野さんの個人事務所は毎朝6時10分に開かれるが、その時間には列ができている。県議や県庁の課長クラスの職員から、中央官庁の役人や自衛隊幹部まで午前中だけで毎日30人くらいやってくる。『オレは隠し事はしない』が水野さんの口癖で、会って話をするのは全員一緒。人はどんどん入れ替わっていくが、座に加われば自然に県の情報が入ってくる。選挙になれば中央の大物政治家の為書き(*注)をもらってくれたり、困った時に泣きつくとなんとかしてくれる」(地元議員)【*注/候補者が支援者にもらう選挙応援ポスターのこと。選挙事務所に貼り出される】 隣の岐阜県にも12期、45年間県議を務める自民党の重鎮、猫田孝氏(79)がいる。小泉郵政解散の時には党本部の方針に反対して造反組の野田聖子氏を応援し、野田氏は頭が上がらないといわれる。「県議は200人、国会議員は1200人の党員集めを達成しなければ選挙で公認を出さない」というノルマを課して岐阜を「自民党王国」にした。 そうした大物地方議員にとって、統一地方選は書き入れ時だ。彼らがドンへとのぼる階段は、自分の手で知事をつくり出すこと。東京都議会の本会議=2019年3月28日午後 愛知の水野県議は大村秀章・知事をバックアップし、神奈川では、小泉純一郎・進次郎父子を支えてきた横須賀選出の竹内英明・県議(68)が黒岩祐治・知事を擁立することで「県議会のドン」にのしあがった。「知事を後ろ盾にする」のではなく、「知事の後ろ盾になる」のが、地方政界のドンたらしめる“条件”なのだ。週刊ポストでは、内田氏のほか「地方政界のドン」と言える50人の全実名を紹介している。関連記事■昭恵さんに呆れる安倍首相「離婚できるならとっくにしてる」■福岡知事選「麻生の乱」 県政のドンへの借りを返す目的あり■もし日韓戦わば… 軍事力の差は歴然だった■ドン・内田茂氏、影の司令塔として力を取り戻し小池都政追及■【動画】眞子さまと小室圭さんの結婚 長引くほど費用がかさんでいる

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    地方議員のなり手不足問題の解決策 いっそ「議会廃止」を

    報酬を増やす動きが出ている。さらに、自治体との請負契約がある企業役員との兼業や公務員との兼職を禁じる地方自治法の規定が立候補を阻む一因として、緩和を求める声が高まっているという。評論家の大前研一氏=2018年11月 だが、この問題はゼロベースで考えるべきである。すなわち、なり手不足の問題以前に「そもそも地方議会は必要なのか?」と問うべきだと思うのだ。 私が本連載や著書『君は憲法第8章を読んだか』(小学館)などで何度も指摘してきたように、日本の場合、地方議会にはたいした役割がない。普通、議会は法律を作るところだが、日本の地方議会は法律を作れない。憲法第8章「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」(第94条)により、国が定めた法律の範囲内で、地域の問題や実情に沿った「条例」を作ることしかできないのだ。つまり、立法府ではなく「条例府」なのである。首長と役人がいればいい そういう極めて限られた裁量権しかないのだから、その仕事はさほど意味がないし、面白くもない。だから過去に地方自治体で議会と行政府が対立したケースは、首長の失言、不倫、パワハラ、セクハラ、不適切な公用車の利用や飲食費などの支出といった低俗な問題ばかりで、条例の立案や制定でもめたという話は寡聞にして知らない。 結局、地方議会で議論されている問題の多くは、土木、建設、電気工事などをはじめとする公共事業に関するもので、平たく言えば、そこに予算をいくらつけるか、ということである。このため、多くの議員がその利権にまみれることになり、行政府の職員は、そういう議員たちの“急所”を握って利権を配分している。自分たちの仕事や首長が提案する予算案、条例案にいちゃもんをつけさせないためである。 その結果、議会は行政府の意向通りに運営され、どこの地方自治体でも議員提案の条例案は極めて少なく、その一方で首長提案の議案はほとんどすべて原案通り可決されている。 つまり、地方自治体は事実上、首長と役人が運営しているわけで、地方議会は政策提案機能はもとより、行政府に対するチェック機能さえ持ち合わせていないのだ。そんな地方議会は文字通り“無用の長物”であり、税金の無駄以外の何物でもない。百歩譲って都道府県議会は残すとしても、市区町村議会は原則廃止すべきである。 地方議会に代わる仕組みを作るとすれば、住民代表によるオンブズマン(行政監察官)機関だ。地方自治体は首長と役人がいれば運営できるわけだから、行政府がきちんと仕事をしているかどうか、“悪さ”をしていないかどうかを第三者が監視する機能さえあればよいのである。そのメンバーは、裁判員制度のように住民がランダム抽選の輪番制・日当制で務めればよい。希望者を募ると、手を挙げるのは利権絡みの人間ばかりになってしまうからだ。 総務省の研究会も昨年、よく似た新たな地方議会制度の仕組みを提言している。少数の専業議員と裁判員のように無作為で選ばれた住民で構成する「集中専門型議会」というもので、そのほかに兼業・兼職議員中心の「多数参画型議会」と現行制度の三つから選択可能にする。現行制度を維持するか、新制度のいずれを選ぶかは自治体の判断に委ね、条例で定めるようにするという内容だ。しかし、この提言が実現したとしても、地方議員が自分たちの“失業”につながる「集中専門型議会」の選択に賛成するはずがないだろう。 本来、私が提唱している道州制であれば、それぞれの道州に立法権があるから、地方に根ざした問題への対応策は独自の法律を作って自分たちで決めることができる。各地方が中央集権の軛から脱し、世界中から人、企業、カネ、情報を呼び込んで繁栄するための仕掛けを作ることも可能になる。4月の統一地方選で無投票や定員割れが起きた地方自治体は、改めて議会の存在意義を問うべきである。関連記事■地方議員 年間の実働時間が100時間を切る議員も珍しくない■議会で座るだけの地方議員 控室でブログ更新等の「政治活動」■東京都議は年収1525万円 地方議員の報酬は浮世離れの高水準■無投票当選が2割超 地方議員は就職活動がかなりラクな職業■新元号はもう決まっている! 立入禁止の秘密司令部に保管か

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    松井一郎手記「安倍総理は敵じゃない」

    大阪市を廃止して特別区に再編する「大阪都構想」をめぐり、逆風に立つ大阪府の松井一郎知事がiRONNAに手記を寄せた。今秋の住民投票実施は見送られたが、一度は否決された構想への抵抗感は強く議論は紛糾。安倍首相の発言も重なり、構想の先行きは不透明だ。渦中の松井氏は今、何を思う。

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    松井一郎手記「安倍総理は本心をごまかしている」

    松井一郎(大阪府知事) 政治行政に100点満点はありえない。政治家が目指すのは、現状よりはマシになるか否かだ。大阪都構想は大阪府と大阪市の二重行政をなくすための役所制度の見直しであり、大阪都構想によって、すべての住民が100%満足する行政を提供できるものではない。 そもそも、行政サービスの原資は国民の税金であり、税収の範囲で成り立つサービスを立案し実施するのが行政の基本だ。だが、現在の日本の社会構造では、少子高齢化などで多様化する行政ニーズは税収の範囲を大幅に上回る。 このような、行財政運営は将来世代にツケを回し、いずれかは我々の子孫がそのツケを清算することになるのは明らかで、次世代から無責任の誹(そし)りを受けることになる。 将来世代にツケを回すことなく増大する行政ニーズを受けた行政サービスを維持する方法を考えると、その手段といえば増税をするか行政経費を圧縮するしかないが、安易な増税は住民生活を直撃することになりかねない。 ならば、まずは「行政経費圧縮から取り組むべき」が我々維新の会の考えだ。この10年、我々は公務員の意識改革、行政の効率化による経費圧縮に徹底的に取り組んできた。 そして大阪において最大の行政の無駄といえば、都市の成長を阻害してきた大阪府と大阪市の二重行政だ。大阪府と大阪市の対立の歴史は古く、1940年代にさかのぼる。当時大阪府から大都市が独立する特別市制度を大阪市は進めていたが、これに大反対したのが大阪府であり、大阪市の独立は大阪府によって阻止されたのだ。 その後、1950年代に大都市に都道府県権限を付与する政令市制度が施行され、大阪市は念願の大阪府からの独立を果たした。このときから大阪市域の行政は大阪市が、大阪市域以外の広域行政を大阪府が担う「二元二重行政」がスタートした。  1950年代から70年代までは、戦後の復興と高度経済成長好景気の影響もあり、大阪市域と市域以外の行政需要にそれぞれが没頭するという、広域行政の役割分担が比較的上手く機能していた時代であった。しかし、これは大阪府と大阪市の政策施策を分断する壁を決定的なものにした時期でもある。日本維新の会の党大会で、あいさつする代表の松井一郎大阪府知事=2017年3月、東京都内のホテル 結果、狭い大阪エリアに大阪府と大阪市が、それぞれバラバラに成長戦略を打ち出すことになり、都市機能強化のためのインフラ整備も停滞、挙句にお互いのメンツやプライドによる高層ビル建設といった公共工事に走り、両者が失敗した。これで莫大な府民市民の税金が無駄になり、大阪の経済を低迷させ、いわゆる、府と市を合わせて「不幸せ」と揶揄(やゆ)されるきっかけになった。 この大阪府と大阪市の不幸な関係を解消すべきということは、大阪の政治家なら誰もが公約したことであり、歴代の知事、市長も解決のための話し合いを実施してきた。太田房江知事と磯村隆文市長の時代には、新たな大都市制度協議会なるテーブルも設置されたが、お互いの主張は平行線のまま全く交わらず、最後は相手を批判して終了となった。 そもそも大阪府と大阪市はあわせて10万人以上の職員を有する巨大な組織で、双方に何十何百という部局課があり、そこで働いている職員は自分たちの仕事に自信を持っている。公僕として公に奉仕してきた矜持(きょうじ)があり、職員が自主的にそれぞれの仕事を仕分けするのは自己否定となりまとまるわけがない。大阪に二重行政はない 職員から見れば二重行政だろうが三重行政だろうが、それぞれはがんばっているのだからいいでしょうと考えるのは当然かもしれない。だからこそ、政治家が大都市大阪の広域行政と基礎自治機能の最適化の方向性を示し実行しなければならない。 ゆえに、私が知事に就任してから6年半、今の大阪に府市の対立、「不幸せ」と揶揄される二重行政はない。2011年の大阪府知事選と大阪市長選のW選挙で橋下徹氏が市長、私が知事になり、まず府市の行政を一体で進めるための行政組織「府市統合本部」を立ち上げたからだ。 そして、知事が本部長、市長が副本部長に就任して府市の担当部局で合意できない場合は、両者が協議して本部長である知事が最終的に意思決定するというルールを定めた。 もちろん、私と橋下市長が目指す大阪の将来像に違いはなかったので、広域行政一体化は一致しているが、これまでそれぞれで実施してきた行政施策を現実に一体で実施するとなると、担当部局同士では具体的な予算の配分や人員配置で折り合わないことは頻繁にあった。 例えば、広域インフラである高速道路や鉄道、JR大阪駅前の再開発「うめきた二期」においては府市で一緒に整備する方向は私と橋下市長で確認していた。だが、うめきた二期開発の公園整備の財源負担となると、大阪府財政当局は大阪市が維持管理する公園に大阪府が財政負担する理屈がないと主張した。「うめきた2期」再開発地区(手前)=大阪市北区 さらに、大阪市を中心に放射線状の鉄道ネットワークを横につなぐ大阪モノレールの延伸については、その大部分が大阪市以外に路線建設されるので、大阪市が財源負担に難色を示すといった具合である。 このような場合は、知事、市長がそれぞれの事務方の言い分を聞いて話し合い、最終的に府市統合本部会議で意思決定する。うめきた二期開発公園事業と大阪モノレール延伸の財政負担は1対1とすることとしたが、これで事業の段取りが全て整ったわけではない。府市統合本部の意思決定はあくまで大阪府と大阪市の幹部の意思決定であり、最終的にそれぞれの議会の議決が組織の意思決定となる。 一方で、この6年半の間に、行政組織が合意しても議会の同意に長時間を要したり、同じ政党なのに府議会と市議会で意見が異なり暗礁に乗り上げている案件もある。 政府が進めていた国立大学の法人統合の議論もその一例だ。少子化によって大学生人口が減少するため、今後定員割れする大学が多数にのぼることが予想される。だが、言うまでもなく、大学はイノベーションの拠点であり、生み出された成果が経済成長に直結する。 だからこそ税金を投入して維持する値打ちがあるのだが、学生が減少し経営が逼迫(ひっぱく)すれば新しい研究もままならず、税金投入の価値はなくなる。これは国立や公立だけでなく、私学でも同様であり、大阪府と大阪市の府立大と市立大も例外ではない。府立大と市立大の運営負担金は年間百億円規模にのぼるが、世界の大学と競争できる環境とは言えない。 そこで、府立大と市立大を統合し公立大学として学生数最大規模、関西で唯一の獣医学部と医学部を有する希少価値の高い大学を目指すことにした。この再編は、2011年から議論をスタートし、18年4月から府立大と市立大の経営法人が統合することとなったが、この法人統合も同じ政党が府議会と市議会で考えが一致せず、長時間を要した。 府議会では17年9月議会で維新、公明、自民が賛成、民進(当時)と共産が反対したが、賛成多数で可決した。一方、大阪市議会は半年遅れの18年2月議会で可決成立したが、維新と公明が賛成、自民と共産は反対した。 この議決の会派の態度に象徴されるのが、大阪の自民の考えは府議会と市議会でバラバラだということだ。自民大阪府連合会という同じ組織に所属しながら、府議会と大阪市議会は意見をまとめられなかったのだ。都構想反対は安倍首相の真意ではない 大阪都構想は、行政制度と成長を担う広域行政組織と住民身近な基礎自治行政の役割を分担すると同時に議会の役割分担でもある。議会の役割も広域と基礎で役割分担することで府議会と市議会のねじれも解消でき、議会の対立による成長施策の停滞を防ぐことができる。 現在は、私と大阪市の吉村洋文市長が同じ方向を向き、府庁と市役所が協議決定できる「副首都推進本部会議」があるので、役所の意思決定がねじれることはないしスピード感を持って進めることが可能な状態だ。 ただ、これはあくまで人間関係による脆弱(ぜいじゃく)なもので、人が変われば元の二重行政「不幸せ」と揶揄された大阪府と大阪市に逆戻りする。過去の大阪に戻さない、議会のねじれによる停滞も解消する、これを制度として確立させるのが大阪都構想である。 大阪都構想は、言うまでもなく、地方制度の一大転換だ。ゆえに、大阪の自民党のように私たちのやり方に反発する勢力があるのも当然だろう。 本来、大阪都構想に前向きだった安倍晋三首相が、4月に行われた自民党大阪府連の臨時党員大会に出席し、「大阪都構想については、大阪自民党の考えを尊重する」と発言した。これで、大阪自民党のみなさんは拍手喝采、大いに盛り上がっているようだ。 ただ、首相が地方の支部大会に出席すること自体が異例であり、安倍首相が都構想に対する自身の考えをごまかさなければならないほど、取り巻く状況が厳しいことは容易に想像できる。党首討論に臨む安倍晋三首相(右)。左は立憲民主党・枝野幸男代表=2018年5月、国会(春名中撮影) 歴史を顧みれば、明治維新のとき、武士の身分がなくなるとなれば、刀や鉄砲を交える殺し合いとなった。現代に置き換えれば、選挙や住民投票がまさに戦(いくさ)だ。 大阪都構想は議会で決めるものではなく、究極の民主主義である住民投票が決戦の場となる。大阪が二重行政で府と市を併せて「不幸せ」と揶揄されることが今後なくなるよう、私の任期中に二度目の住民投票に臨み、勝利したい。

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    「橋下徹のしょぼい提案」をスケールのでかい構想に変える秘策がある

    上久保誠人(立命館大政策科学部教授) 大阪市を廃止して特別区に再編する「大阪都構想」の是非を問う2度目の住民投票について、大阪府の松井一郎知事(日本維新の会代表)や大阪市の吉村洋文市長(大阪維新の会政調会長)が、今秋実施の予定を先送りする可能性に言及した。その理由として、松井知事は月1回のペースで開催されている、都構想の制度設計を話し合う法定協議会(法定協)の議論が停滞していることを挙げた。 はっきり言って、大阪人は「大阪都」に魅力を感じていない。前回の住民投票は、橋下徹市長(当時)のカリスマ的な人気で、なんとか僅差の否決まで持ち込んだ。だが、橋下氏が政界引退した今、住民投票を実施したら、大阪都構想は大差で否決されてしまうだろう。 大阪都構想の問題は、まず「大阪都」というネーミングそのものにある。大阪都とは、大阪府と大阪市、堺市を一度解体して、その後組み直して作る巨大な特別区のことだ。「都」というのは、単純に「府」の上位の行政区分が「都」だからなのだろう。この「都」に違和感を持つ人が、実は多いのではないか。 普通に考えれば、「都」とは首都という意味だ。だが、大阪は日本の首都ではない。仮に、大阪都が実現しても、首都になるわけでもない。「首都でもないのに、都とはなんだ」ということになる。 そもそも、大阪人は、大阪が都になることを望んでいないのではないか。大阪といえば、阪神タイガースだ。大阪人は「タイガースは優勝できなくても、巨人にだけは負けるな」と熱狂する。それは、東京に対する「反骨」であり「反権力」の気概である。 歴史を振り返れば、大阪が都だったのは、奈良時代の難波京までだ。それ以降、大阪は「東洋のマンチェスター」とうたわれたように「商いの街」として発展してきた。「阪僑」とジャーナリストの大宅壮一が名付けたように、大阪人は政治よりも商いの中心であることに強い誇りがある。2012年12月、「難波京」跡で発掘された貴族の邸宅か役所とみられる大型建物群跡=大阪市天王寺区(柿平博文撮影) 一方、大阪の近隣には、1000年以上首都の座にあった京都が存在する。京都には「天皇陛下は東京に旅行に行っているだけ」と言い、現在でも京都が日本の首都だと言い張る人がかなりいる。 だが、京都は「府」である。大阪都ができてしまうと、行政区分上はともかく、日本の歴史、文化、伝統的には非常に違和感がある、京都と大阪の「奇妙な逆転現象」が起こってしまう。そのためか、京都では維新の会の支持率が極端に低く、「大阪都構想」は話題にすることすらはばかられる状況にある。 京都以外でも、全国的に大阪都構想は支持を得られていないだろう。もちろん、二重行政の解消や、地方分権の推進という観点から、一定の理解はある。かつては橋下氏の個人的人気から応援する人も多くいた。しかし、橋下氏が政治の表舞台から去っている今、「何で大阪が勝手に都になろうというんだ」と違和感を持つ人が多いのである。「二重行政の弊害」の実態 次に、大阪都構想の目的である「大阪府・市の二重行政の弊害」「既得権者の問題」を考える。端的に言えば、やはりこれらは深刻な問題だとは思う。二重行政の弊害の代表的なものは、大阪府と市が別々に行っている水道事業であろう。 府と市はともに琵琶湖から大阪湾に流れ込む淀川に浄水場を置き、大阪府は府内の市町村へ、大阪市では市内に飲み水を供給してきた。その水道事業を府・市で統合すればコストも安く済み、大阪府民に安価な水を供給できる。だが、いまだに手つかずである。 また、2015年5月の住民投票のときには、大阪府と大阪市の二重行政は134事業あった。例えば、中央卸売市場、信用保証協会、道路公社、病院、大学、体育館、近代美術館などで非効率性が指摘された。その後、このうち、府立大と市立大など一部の統合が決定したが、多くは積み残されたままだ。 さらに言えば、大阪府が関西国際空港の対岸に256メートルの超高層ビル「りんくうゲートタワービル」を建設したら、大阪市も負けじと、「大阪ワールドトレードセンタービル」(現大阪市咲洲庁舎)という同じ高さ256メートルのビルを建設した。結局、どちらとも経営破綻したことも、二重行政の悪例に挙げられるだろう。 一方、前回の住民投票の前に、関西圏の学者106人が、大阪都構想反対の論陣を張った。「地方分権からの逆行」「大阪市民の生活サービスの低下」「財源の使い道を大阪市民が決められない」「権限と財源の縮小」「住民間での負担増や歳出減の押し付け合い」など、さまざまな学問領域からの専門的な反対論の数々は、なるほど傾聴に値する説得力があった。 ただし、読んでいて気になることもあった。学者たちの主張は、概して「現状を変えることの問題」を指摘していた。だが、大阪府・市が抱えている「二重行政」のさまざまな問題については、ほとんど言及がない。 辛うじて、大阪府立体育館は大相撲春場所といったトップレベルのイベントを開催し、大阪市立体育館は市民に密着したサービスを行っているという「役割分担論」に触れている程度だ。その他については全く反論になっていないのである。2018年3月、連日の満員御礼にわく大相撲春場所が行われるエディオンアリーナ大阪(林俊志撮影) 反対派は「今の制度でも二重行政は解消されており、大阪市を廃止する必要はない」と主張していた。大阪府と大阪市の間に「調整会議」が設置されており、その場で話し合いをすれば二重行政は解消できるという。 だが、実際には、前回の住民投票で都構想が否決された後、反対派の会派を中心に調整会議が開催されたものの、各会派が主張を繰り返すだけの場となってしまった。結局、事実上破綻していたと批判されている。橋下市長「独裁」などかわいいもの また、反対派の中には、政治学的な観点から反対論を展開した学者もいる。要するに、それらは当時の橋下市長の「独裁的」「反民主主義的」な政治手法に批判を集中させていたといえる。ただ、筆者が政治学者としての立場から言えば、橋下氏だけを一方的に批判するのは、いささかフェアではないように思う。 それならば、大阪市の交通局、水道局、環境局のような現業部門の職員が非常に巨大な政治力を持つようになっていることも、同時に検証すべきだったのではないか。バスの運転手や、ごみ収集の職員など現業部門が、市長選などで一定の影響を与え、市長、市議といえども現業職員に容易に逆らえない雰囲気があると言われている。これは、学者として見過ごしてはいけない現象だ。 また、橋下氏が住民投票前日の演説で「僕は税金の使い方をとことんやってきた。誰かのポケットに入っていないか。7年半やってきた。職員の給与、組合からアホ、ボケ、カスと言われ、医師会、薬剤師会…」と、公然と名指しした既得権者の問題がある。よくも悪くも真正面から闘ってきた橋下氏は退陣したが、今後、既得権者の問題にどう対処すべきか。政治学者ならば、ぜひ意見表明してほしかったものだ。 正直に言って、橋下市長の「独裁」などかわいいものだったのではないか。住民投票で市民に「NO」と審判を下されたら、それで政治家を辞めるという程度の、あっけないものだからだ。学者として、大騒ぎして批判するほどの価値もなかった。 それよりも、極めて根が深く、複雑で、実態をつかむのが困難な大阪市の「既得権の闇」の問題こそ、政治学者が逃げることなく、正面から追及すべき問題ではないか。これこそが、政治学者としての矜持(きょうじ)だったはずだと、筆者は考える。 このように、大阪府・大阪市の二重行政の弊害解消と既得権の問題は、たとえ都構想がもう一度否決されたとしても、なかったことにはできない非常に重要な問題だ。だが、残念なのは、大阪人にも大阪の外にいる人たちにも、「都構想」をめぐる論争が、どうしても大阪府・大阪市の権限や予算の奪い合いという些末(さまつ)な縄張り争いに見えてしまうことだろう。2018年4月、IRイベントで基調講演を行う橋下徹前大阪市長(前川純一郎撮影) それにわざわざ「都構想」という仰々しい名称を付けているだけという印象なのだ。それでも、橋下氏というカリスマが先頭に立って指揮を執っていた時は、なんとなく様にはなっていた。だが、今や橋下氏は政界引退状態だ。都構想は「化けの皮が剝がされたしょぼい提案」とみなされている。 維新の会が現状を打開したければ、府・市の些末な縄張り争いという悪いイメージの払拭(ふっしょく)が必要だ。まず、前述の通り「大阪都」というネーミングが悪い。 「行政区分が一つ上がるから都にします」では、いかにも「お役人が考えました」で魅力がない。「グレーター・ロンドン」のようなカタカナでもいい。これから述べるような構想に合致する、魅力的なネーミングを考える必要がある。「商いの街」をリスペクトせよ 次に、「大阪は商いの街」という歴史をリスペクトすることだ。例えば、世界第3位の経済大国である日本で、国際金融市場の機能を持つのが東京市場だけとは寂しすぎる。大阪市場を、東京と同規模に拡張し、シンガポール、香港、上海などとともに、アジアの国際金融市場の中核の一つになることを目指すべきだ。 東京都の小池百合子知事は、アジアの金融ハブを目指す「国際金融都市構想」を軸とする「スマートシティー」を公約に掲げている。日本が国際経済・金融界で確固たる地位を占めるには、東京と大阪がバラバラに動いてはいけない。連携して二大メガシティーが持つ巨大なリソースを有効に使う必要がある。 次に、アジアの国際金融市場の中核の一つが大阪に誕生すれば、従来の中央集権を超えた大胆な発想で、大阪を中心とする「新しい経済圏」構築を目指してはどうだろう。それは、東京を見て商売をするのではなく、大阪とアジア各地に広がる「華人社会」を直接ネットワーク化することである。 中国といえば、われわれは中国共産党だけをイメージしがちだが、実際には華人社会は、台湾、香港からシンガポール、マレーシア、タイなどの東南アジアに広がっている。また、その経済活動は、前述のように欧米の植民地だった時代からの歴史があり、現在でもHSBCやスタンダード・チャータード銀行を通じて欧米と深いつながりがある。華人は、決して共産主義ではなく、日本人と同じ自由民主主義、市場主義の価値観を共有できる存在なのである。 一方、国内に目を向ければ、大阪府・市から少し視野を広げれば、大阪府・京都府の間にある「京阪バレー」がある。それは、ローム、村田製作所、日東電工、日本電産、キーエンス、任天堂、京セラなど、世界でオンリーワンの技術力を誇り、グル―バルな経営展開を誇る優良企業が集積する地帯である。 この地域に、香港やシンガポールなどの優秀な若手経営者の投資を呼び込んではどうか。要するに、「阪僑」が「華僑」とつながって、日本が誇るハイテクノロジーを世界に打ち出していくのである。少なくとも、成長戦略の核であるはずの外資の導入は、中央政府がいくら旗を振っても進まない。だったら、地方主導で行うべきなのかもしれないのだ。 日中関係の改善には、中央政府間の関係だけでは不十分である。台湾、香港、シンガポール、マレーシア、タイなどの華人社会とのコネクションに働きかけることが重要だ。それには、お堅い中央省庁や大企業の東京本社の重役よりも、「なにわの商売人」が出ていくほうが、話が進むのではないだろうか。五代友厚の銅像が立つ大阪取引所 繰り返しだが、大阪都構想の制度設計は法定協で決定される。だが、それは大阪府・市の権限争いという些末なものにしか見えない。大阪人は「都」と名乗ることに魅力を感じない。維新の会が、大阪人の心をとらえて大阪都構想を実現したいならば、都構想の先にあるものを考えるべきだ。 国の統治機構改革、中央-地方関係の再構築、アジアの中核の一つとなる国際金融市場の創設、「阪僑」と日本のハイテク企業がアジアでダイナミックに活動する。このような大阪人が夢を持てるスケールの大きな構想を打ち出してこそ、大阪都構想への理解も集まるはずである。

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    大阪が副首都になれば、日本はこんなにも変わる

    ることとは全く違う(図参照)。 特別区は自己決定・自己責任・自己負担の原則で地域の政治行政を運営する地方自治体のことだが、総合区は大阪政令市の中を行政便宜上幾つかに分けて管理しようという拡大行政区に過ぎない。実はカネがかかる割にメリットは少ない。大阪市以外の19政令市のどこも総合区を使う動きがないのは、そのためである。大阪百年の大計 戦後、大都市を強くする特別市制度の実現をもくろみながら、実現不可能とみて昭和31年に妥協の産物として誕生したのが政令市制度である。日本が高度成長に入り、中心となる大都市を伸ばしていくために、市に府県の広域権限を移管して始まった制度だが、その頃、大阪府全体はまだ未開発地域が多く、大阪市が突出して大都市の様相を呈していた。 しかし、それから60年余を経て大阪は大きく変貌した。政令市も20まで増えたが、香川県に次いで狭い府域の大阪府は大阪市以外の地域も大都市化が進み、大都市区域は連担し、大阪市だけを分けて大都市行政を展開する意義は薄れている。 逆に、府と市による二重行政が顕在化し、知事、市長の二頭立てから生まれる二元行政の弊害が顕著になり、益より害が大きくなってしまった。大阪にとって今や政令市は「古い制度」と化している。 これを残したまま、内部を拡大行政区の「総合区」という形にしてどれだけ効果があるか疑問である。そうではなく、広域権限は大阪府(都)に移管集中し、身近な基礎行政は各特別区の公選区長、議会に委ねた方が充実すると考える。諸外国もその例が多い。 もとより、東京に現存する23特別区制度は十分ではない。都から特別区への権限移譲、財源移譲が不十分で特別区の自治権が弱い。ただ、それを大幅に改善したのが大阪都構想である点は銘記されたい。 30~50万規模の自治権の強い中核市並みの特別区が構想されており、権限移譲、財源移譲は現行法制でみる限り、東京の都区制度よりはるかに進化している。「大阪モデル」と称してもよく、東京の23特別区会長は「大阪でこれが実現したら、東京に逆輸入したいぐらいだ」とも述べている。 前回の住民投票の時より制度設計は精緻化し完成度は高い。あとは住民への理解が深まるよう、説明する努力と時間をかけることだ。大阪都構想を単に特別区移行への行革だという矮小(わいしょう)化した議論ではなく、今回は第2首都にふさわしい「大阪副首都」構想とセットで統治機構改革をやる覚悟を示すべきである。大阪府の松井一郎知事=2018年1月4日、大阪府庁(永田直也撮影) そうすれば副首都にふさわしい大阪ができ、若い人たちも夢をもって暮らせるもう1つの大都市が大阪に生まれる。大阪都構想は大阪、関西から日本を発展させようという大都市政策である点も見落としてはならない。 改革を成就させるには橋下氏のような強いリーダーが必要だ。だが、リーダーに頼るだけでは絶対にうまくいかない。志を同じくするリーダーたちが結集し、270万市民に十分説明して熟議し、制度の意義を十分理解させた上で住民投票に持ち込む必要がある。これは大阪百年の大計とも言える。今回の選択は、目先の利害を超えた「国づくり」の選択であることを理解しなければならない。

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    大前研一氏 待機児童、いじめ、パワハラはAIで解決できる

    」(第94条)と定めているからだ。 つまり、国が定めた法律の範囲内でしか条例を制定することができない地方自治体(地方公共団体)は「国から業務を委託された出先機関」にすぎず、日本の地方に「自治」はないのである。 これは逆に言うと、中央に業務系のシステムを置いてクラウドコンピューティングで全国の自治体に提供し、国民に直接アクセスしてもらえば、許認可などに関しては役所はいらなくなる、ということだ。現在その域に達しているのはエストニアくらいだが、多くの国でAIによる役所のスリム化が進んでいる。 日本の場合、今は役人がアナログなシステムの中で「忖度」や「裁量」の余地を作り、さも自分たちが仕事をしているかのように見せかけているが、AIを活用すれば、彼らの仕事は、ほとんどすべてなくなってしまうのだ。(画像:istock) たとえば建築確認申請は、これから建てようとする建築物が建築基準法をはじめとする建築関係法令に適合するか否かということ以外には、上下水道管、ガス管、電話線、地下鉄といった埋設物の問題だけである。それも水道局、ガス会社、NTTなどと連携して情報を共有すればよいだけの話だから、データを入れておけば一瞬にして答えが出る。 実際、シンガポールでは、CAD(コンピューター支援設計)で作った図面をネットで送ればOKかNOか、NOの場合はどこを直せばよいかという指示がすぐに返ってくる。要するに、「自治」のない地方自治体の役人の仕事にクリエイティブな領域はないのである。地方役人は「1人」でいい たとえば待機児童問題の解決策も、役人が考えるより、AIに任せたほうが手っ取り早い。そもそも待機児童が減らない最大の原因は、幼稚園と保育所の職員配置や施設設備などに関する基準が基本的に全国一律で、地方自治体によっては厳しすぎるからだ。 そういう基準は地域の実情に応じて変えるべきであり、その地方自治体の待機児童をゼロにするためにはどのような方法があるのか、最適解は何かということをAIで導き出せばよいのである。たとえば、子育てが終わった老夫婦の(庭付き一戸建ての)自宅を託児所などにすることができれば、問題は一挙に解決する。 あるいは、同級生によるいじめや先生によるパワハラの問題も、AIのディープラーニング(コンピューターに自動で学習させる手法)で対応可能だ。全国の学校の過去の事例をコンピューターに入れておき、似たような事例を調べてAIに的確な対処法を聞けばよいのである。前述したように、地方自治体には法律上の自由度がないのだから、似たような事例を探して参照すれば、それで大方の問題は解決できるのだ。 結局、地方自治体の役人の仕事で残るのは、警察、消防、公園の清掃、ゴミ収集といった労働集約型のものだけである。 ただし、すでに公園の清掃やゴミ収集の大半は外注だから、その管理システムをAIと準天頂衛星(*)などを活用して作り、クラウドコンピューティングで運用すれば、それらの業務にかかわる役人もいらなくなる。【*ある地域の上空に長時間とどまる軌道をとる人工衛星。日本の「みちびき」は従来のGPSを補完し、位置情報の精度を高めることができる】(画像:istock) つまり、地方自治体の役人は無限に削減することができるわけで、究極的には警察官や消防士などの外注できない労働集約型職務以外の役人はシステム管理者1人だけいれば、あとはAIとソフトバンクの「Pepper」のようなロボットで代替できるのだ。 一方、中央省庁の役人は「国家100年の計」を作らなければならないので、それなりに必要である。といっても、AIに置き換えることができる仕事は山ほどあるから、各省庁に優秀な人材が数人いれば事足りるだろう。関連記事■ クラウド活用で間接部門のコストは億単位で即座に削減できる■ ファーウェイの大卒初任給40万円 世界標準ではまだチープ■ 「年収850万超は増税」が間違っているこれだけのヤバい理由■ 所有から利用へ モノに対する日本人の価値観が変化した■ 人員削減すすめる銀行 究極的にほとんど人は要らなくなる

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    「行政サービスは無料ではない」と地方自治で学ぼう

    いますから、「引っ越しをさせるのは可哀想だ」という意見も強くなっていくでしょう。 そのあたりはまさに地方自治ですから、自治体の住民の多数意見で決めれば良いことですが、その際に重要なことは、情報の開示です。山奥の数名に引っ越していただくと、行政コストが何円削減できるのか。それは、街の住民1人あたり何円の負担なのか、といった情報を丁寧に開示する必要があります。住民たちがそれを知った上で、なお高齢者に寒村に住み続けていただき、そのためのコストは街の住民が喜んで払い続けるのか、といった判断をすれば良いのです。 寒村の話を離れて、高齢者医療についても考えてみましょう。かつて、「人命は地球より重い」と言った偉い人がいました。しかし、実際には「100万円あれば救えたかもしれない命」が日本国内に多数あります。世界を見渡せば、「1万円あれば救えたであろう命」も多数あります。問題は、優先順位を付けることです。 「1億円の薬を100歳の末期ガン患者に投与すると、1日延命する」という場合、投与すべきでしょうか。「1億円と言っても日本国民1人あたり1円だから、大した負担ではないから、投与してあげよう」と考える人もいるでしょう。 国レベルで考えると、どうしても自分の負担が1億分の1なので安易に「それくらいの費用なら」と考えてしまいがちですから、まずは地方自治レベルで「そのコストは住民1人あたり何円の負担になるのだろう」と考える習慣を付けたいものですね。画像はイメージです(iStock) P.S. 上記を読んだ読者は、筆者のことを「弱者切り捨て論者」だと思われたかもしれませんが、そうではありませんので、誤解なさいませぬよう。経済は暖かい心と冷たい頭脳で見つめるべきものです。その中で、本稿では冷たい頭脳の部分だけをご披露したものです。 筆者にも人並みに暖かい心はあり、赤い羽根共同募金にも支援しますし、道端に倒れている人がいたら助けます。経済学理論には反しているかもしれませんが(笑)。つかさき・きみよし 久留米大学商学部教授。1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

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    大阪喫煙事情 灰皿減りポイ捨てが増えるジレンマの解決法は

     10月5日、都議会の最終日に可決・成立したのは、子どものいる自宅や自動車内での禁煙を努力義務に定めた「子どもを受動喫煙から守る条例」である。〈家庭のプライベート空間にまで行政が踏み込むことはいかがなものか〉と継続審査を求めた自民党の主張は受け入れられず、小池氏率いる「都民ファーストの会」を筆頭に、公明党、共産党の賛成多数で可決した。 周知の通り、受動喫煙防止対策は国(厚労省)が飲食店などを含めた“屋内一律禁煙”を目指して法案化しようとしたが、飲食業界や与党内部からも慎重意見が噴出してまとまらず、先送りになっている。そこで、小池都知事が「国がやらないなら」と都独自のたばこ規制強化に乗り出した。その第一弾が今回の条例である。 一方、西の都構想という看板政策を持つ「大阪維新の会」は、小池氏と同じく国政政党(日本維新の会)の代表も務める松井一郎・大阪府知事が希望の党との連携を打ち出した。 総選挙後の政局がどうなるかはフタを開けるまで分からないが、この先、大阪の行政が東京と歩調を合わせるようになっても不思議ではない。では、受動喫煙問題についてはどうか。大阪の喫煙事情を現地で取材した。「折り合いがつかなかったとはいえ、一度は国の方向性も示されましたし、東京都も子供に特化した条令をつくりました。そうした“気運”をみながら、大阪でもどういった議論や府民の声があがるのか、しっかりと見ていきたいと思います」 なんとも玉虫色の方針を語るのは、大阪府で受動喫煙問題を扱う健康医療部保健医療室の担当者。それもそのはず。大阪では2013年に学校や官公庁など公共施設の全面禁煙を義務化し、分煙を一切認めない条例案を提出。飲食店は対象から外れたものの、あまりにも厳しい内容に反発が相次ぎ、条例を取り下げた経緯があるからだ。 そもそも大阪の一方的なたばこ規制は、橋下(徹氏)府政時代からくすぶっていた。 2008年に橋下氏の鶴の一声で府職員の「たばこ休憩」を禁止。さらには府庁舎敷地内を終日禁煙にして喫煙所をすべて撤去してしまった。すると、周辺の路上や大阪城公園付近の路上でたばこを吸う職員が続出。「結果的に近隣住民からのクレームに繋がってしまった」(大阪府総務部人事局)という。 しばらく路上喫煙の自粛を呼びかけたが、やはり苦情は収まらない。そして2015年、ついに松井知事が敷地外に2か所の喫煙スペースを設置した。自らも愛煙家を公言している松井氏だけに、肩身の狭いスモーカーの気持ちを忖度したのかもしれない。 実際に四方を壁に囲われた喫煙スペースに行ってみると、なぜか2か所とも灰皿が見当たらない。職員とおぼしきスモーカーたちは皆、携帯灰皿に吸い殻を入れて戻っていく光景が見られた。 大阪府の総務部庁舎室庁舎管理課の担当者は、「灰皿を置いてもその中に捨てない人が必ず出てくるし、違うゴミを捨てたりして管理が大変になる。あくまでも携帯灰皿を持参して路上喫煙のマナーを守ってもらいたいと考えた」と、その意図を説明する。 大阪府下では東京と同じように路上喫煙やポイ捨て禁止のエリアを条例で定めている自治体もあるが、数は多くない。そのため、屋外での喫煙は言ってみれば自由なのだが、街中からは時流に合わせるかのように、次々と灰皿が撤去されている現状がある。そこで起きているのが、一度は良くなったかに見えたモラルの低下だ。 タレントのカンニング竹山氏が7月、Twitterに大阪駅近辺の側溝にたばこの吸い殻が溢れている写真を投稿するとともに、〈よくないよ! こういうの! モラルが大事だと俺は思う〉とツイート。松井氏や大阪市が即座に反応して清掃するという出来事があった。「いまは屋内の分煙が進んでいる一方で、屋外ルールのコンセンサスが得られていない状態。たばこを吸う人は外でもなんとなく人目を忍んで隠れて吸っているし、そのうえ堂々と喫煙できる場所も少ないので、どうしても裏路地に入ってポイ捨てする人も出てきてしまう」 と嘆くのは、大阪ミナミの歓楽街を貫く戎橋筋商店街振興組合の事務局。現在、大阪市では御堂筋および大阪市役所・中央公会堂周辺を条例で路上喫煙禁止地区に定め、違反者から過料1000円を徴収しているが、カンニング竹山氏の一件もあり、吉村洋文市長は〈国内外から多くの人が集まる観光スポットなど、市内の路上喫煙禁止エリアは拡大していくべき〉と述べている。そうなれば、真っ先にターゲットになるのは戎橋や道頓堀、心斎橋などインバウンド特需で人が溢れかえるスポットだろう。 だが、前出の戎橋筋商店街の関係者はこう反論する。「インバウンド需要はもちろん、今後は万博誘致も控えてますます観光客が増える大阪で、安全・安心、そして街の美化対策はもっと進めていくべきだと思います。いまは食べ歩きのゴミや路地裏のたばこのポイ捨てなどがひどい状態ですからね。 でも、ミナミ一帯を面で規制したところで実効が伴わなければ、さらなるモラルハザードを招くだけ。御堂筋だって路上喫煙規制から3年たって徐々にポイ捨てはアカンという意識が浸透しています。最終的には一人ひとりのマナーの問題に尽きます」  ただ、課題となっている新たな喫煙所の整備も、大阪府や大阪市は受動喫煙を防ぐ場所の選定や管理する予算の問題などが立ちはだかり及び腰だ。そこで、ゆっくりとたばこが吸える飲食店がスモーカーの唯一のオアシスといえるが、こちらも規制の波が及びそうな雰囲気に、業界団体も警戒感を強めている。「大阪には歴史ある商店街で馴染みのお客さんだけを相手にした小さな飲食店も多数あります。よく禁煙にしてもお客さんは減らないという議論が出ますが、それは客数の母体が大きなナショナルチェーンの話。 高齢の店主がひとりで生業を立てているようなお店は、いつも来てくれる地元のスモーカーが来なくなるだけであっという間に廃業に追い込まれてしまいます。やはり、喫煙できるかできないかは店の業態や規模、それにお客さんの選択に任せるべきであって、血眼になって行政が一律規制する方向には到底納得できませんね」(大阪府飲食業生活衛生同業組合の亀岡育男理事長) 再開発が進み、高層のオフィスビルや最先端の商業施設が建ち並ぶ大阪北エリアでは、喫煙者を決して“排除”しない方針で好評なスポットもある。 JR大阪駅から徒歩すぐの超大型複合施設「グランフロント大阪」には、北館・南館・広場を合わせて合計10か所の喫煙ルームが配置されているほか、従業員やオフィスタワーで働く人たち専用の喫煙所も完備。また、約80店舗が集積する飲食店のうち、30店以上が店内で時間分煙を実施するなど、じつにスモーカーに優しい施設となっている。「われわれのような複合施設は、オフィスワーカーだけでなく飲食を目的とした人、ショッピングを楽しむ人、外国からの観光客などさまざまな方が来館されます。 その中で喫煙者も非喫煙者も大事なお客さん。ビルとして喫煙室のようなインフラを設けることは決して後ろ向きとは捉えていないため、2013年の開業時から、たばこを吸う人が悪くて、吸わない人に迷惑をかけるからと、一方的な固定観念だけで舵を切るようなことはしていません」(グランフロントを管理する阪急阪神ビルマネジメント・SC運営事務所の担当者) もちろん、非喫煙者への配慮も欠かさない。入居する飲食店には禁煙を推奨しつつも、「禁煙です」のほか、「喫煙できます」「分煙しています」「時間で分煙しています」と大きな文字とマークが描かれたビル共通ステッカーを店頭に貼るように呼びかけている。(画像:istock) じつは、大阪府では条例撤回以降に作成された「受動喫煙の防止に関するガイドライン」の中で、全面禁煙が困難な施設の対策として、ステッカー表示など民間の自主的な取り組みを後押しするような内容も盛り込まれている。 前出の大阪府健康医療部の担当者は、「民間ときっちり連携している自治体はあまりない」と胸を張りながらも、「受動喫煙防止対策の条例はもうやめたというのではなく、仕切り直し」と含みを持たせた。 果たして、大阪は“府民ファースト”の政策で喫煙者と非喫煙者の棲み分けを図ることができるのだろうか。関連記事■ 指先3ミリ切った男性 医師「ダメだね」ともぎとりポイ捨て■ 高学歴の女性が抱える交際相手男性レベルにまつわるジレンマ■ 再婚夫の妻 前妻と一緒の墓に入ることに複雑、その解決法は■ 2024年五輪決定パリの街中は吸い殻だらけ 驚愕の喫煙事情■ ブレイクもTV出演増えぬ乃木坂46 優等生キャラ故のジレンマ

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    米山隆一独占手記、知事失格「自責の念」

    米山隆一前知事の辞職に伴う新潟県知事選が告示された。週刊誌が報じた女性スキャンダルが引き金となった米山氏だが、辞職後は沈黙を貫く。その米山氏が自責の念をつづった独占手記をiRONNAに寄稿した。「知事失格」という世間の厳しい目にさらされる米山氏は今、何を思う。

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    【米山隆一独占手記】私が新潟県政で実現したかったこと

    で、「現代に即した現実的な解決策」を提示し、柔軟かつ果断に実行していくことが、人々の暮らしに密着した地方自治体の責務であると私は思います。終戦直後のベビーブーム時代、合計特殊出生率の最高値は4を越えていました。しかし、いくらその時代を懐かしんでも、その時代に戻ることはありません。 私たちが時代の流れの中でどこか置き去りにしてきた「人間らしく生きること」を、「人間らしく生きることができる仕組みと社会」を、現代の社会の中にていねいにつくりこんでいく取り組みこそが、地味に見えて最も有効な対策だと私は思います。 そのためには国の大きな制度設計ももちろん重要ですが、地方自治の現場において、国の制度の隙間を埋めるきめ細かい制度と再作をつくり、それを根気よく柔軟に、しかし果断に進めて行く地方自治体の役割が、極めて重要になると思います。 人口減少及び少子高齢化の中で最初に大きな影響を受けるのは、おそらく医療、介護、福祉の分野です。そして地方においてはここに、医師不足という問題が加わります。特に医療提供体制は地方自治体においては極めてセンシティブな問題で、過去の経緯からそう簡単に離れることはできません。就任1年を迎え、報道各社の合同インタビューに応じる米山隆一知事(当時)=2017年10月、新潟県庁 しかし、ここでも、現実は現実として認めた上で、起こり得る未来に耐えられる現実的なプランの策定が必要です。そしてその際には、基礎自治体である市町村と広域自治体である県が補完し合い、また医療、介護、福祉の民間事業者とも連携して必要な福祉を受けられない人を決して生じさせない体制を柔軟かつ果断につくっていくしかありません。 また、それに当たっては、住民のみなさんの理解も必要になります。ぜひ、必要とする人に必要な医療・介護・福祉が提供されないことによって明日への希望を失ってしまう人が生じない体制をつくっていただきたいと思います。 ここで、少々脇道に逸(そ)れて一般論をお話させていただきたいのですが、私はその昔、公共政策においては、「公平、公正、効率」の三つの観点があり、それぞれ何を目標とするか考えて行うべきだと習ったことがあります。 「公平」は「全ての人が同じルールで同じように扱われるべき」ということで、それ自体が「公」が達成すべき価値です。「公正」は、「例え少数でも非常に不幸な人をつくらない」ということであり、これもまた非常に重要な価値だと思います。自責と哀しみを越えて 「効率」は「なるべく多くの人をなるべくたくさん幸福にすること」で、もちろん非常に重要で、昨今はここに重きが置かれる政策が多いように思います。しかし、これだけではだめで、前記の公平や公正も、公共政策を考える上ではとても大事だと、私は常々思っていました。  その観点で見ると、特に医療においては、「公平、公正、効率」のバランスが極めて重要になります。必要な医療が必要な人に届かないことは何より「公正」そして「公平」を害するもので、先に書いた通り、医療の「公平、公正」が害され、明日への希望を失ってしまう不幸な人を決してつくらない努力が必要です。 一方で、それを成り立たせるには、「効率」もまた重要であり、そのための県立病院・基幹病院の合理的経営、そして医療データを用いた(私はこれを「県民健康ビッグデータプロジェクト」としていました)効率的な医療提供体制の整備・運営を実現してほしいと思います。 そして県政の非常に大きな柱である産業政策はおいては、この「効率」という概念が重要になります。「公平、公正」をつくり上げるための夢と活力は、「産業」によって可能な限り効率的にたくさんつくられなければならないからです。 そのために、あえて申し上げると、大型のインフラ整備を「唯一の産業政策」として過大なリソースをつぎ込むようなあり方は、考え直すべき時代に来ていると思います。 インフラ整備は、それが産業のボトルネックだった時代には、産業政策としての役割を同時に果たしました。しかし、人口が減少しつつある現在において過剰なインフラはむしろ社会の負担になります。 また、高度に分化した現在の産業においては、すべての産業、全ての企業に有用なインフラというのは極めて考えづらく、産業政策は基本的にそれぞれの企業、それぞれの産業に合わせたきめ細かいものとすることが、私は現在求められる姿だと思います。ぜひ、それぞれの産業、それぞれの企業のニーズに即した、きめ細かく効率的な産業政策を実現してほしいと思います。 このようなことを言うと、インフラ整備そのものを否定しているように思われるかもしれませんが、私は全くインフラ整備の重要性、必要性を否定していません。人々の暮らしと、産業を成り立たせる基盤となるのは、街であり、街をつなぐ交通網であり、そのすべての安全を確保する様々なインフラです。 どこよりも暮らしやすい街をつくり、その街々を利便性の高い交通網でつなぎ、にぎわいをもたらし、そのすべてを災害から守ることは、自治体の最も基本的な役割の一つであり、その重要性が減ずることはありません。 新潟県の誇りである農業は、より付加価値を高めていく未来の産業であるとともに、中山間地の暮らしを成り立たせる暮らしの基盤でもあります。まず、いま新潟の農業が置かれている現状を地域ごとにきちんと認識し、地域ごとに今ある農業を持続・発展させながら、未来を目指してほしいと思います。週刊誌報道を受け、記者会見する米山隆一知事(当時)=2018年4月、新潟県庁 そして最後に、新潟の未来は、今社会に出ている私たちだけでつくることができるものではありません。これから社会に出る若者たち、これから生まれてくる子供たちの新しい柔軟な力を借りなければ、新潟の未来をつくることはできません。 若者たち、子供たちに新潟の未来をつくる力をつけてもらうための教育は、何よりも変化の速い現代の社会を生きるために必要な知識や能力、考える手法を、一人一人の適正に会わせてていねいに教えるものでなければなりません。 そして、そのためには、教える先生方の環境、教える方法を現場とともにつくって行かなければなりません。ぜひ、若者たち、子供たちの教育に力を尽くしていただければと思います。 自らの責で、自らがこの崇高な仕事をできなくなった自責は自責、哀しみは哀しみとして、この稿がどなたかの、何かの役に立てば幸いです。

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    スーパーエリート知事「米山辞職劇場」が残した多くの教訓

    山田順(ジャーナリスト) 政治家の下半身スキャンダル発覚は珍しくない。だが、先日辞職した新潟県の米山隆一前知事の場合は、最近の同様のケースと比べて、特筆すべきスキャンダルではないかと思う。ご本人のキャラクターもあるが、あれほどまでに取り乱し、さらに本心をさらけ出したうえ、「涙の辞職」をしたケースは過去になかったと思う。 たいていの場合、政治家は週刊誌報道が出そうだと知った時点で、何より対策を考える。最初に取る行動は、なんとか記事が出ないようにできないかということである。また、相手と金銭解決など示談に持ち込めるかなどを検討する。 しかし、これが無理だとわかると、次の時点で記事内容を確かめ、ダメージが少なくて済む方法は何かと考える。もし、口裏合わせや言い逃れができるなら、そうした対策を採ろうとするだろう。 しかし、米山氏はそうはしなかった。『週刊文春』発売前なのに記者会見を開き、揺れる心を記者に吐露してしまったのである。 したがって今もなお、「辞職までする必要はなかった」という声もあるが、一連の経緯を見て、結果的にはこれでよかったのではないかと思う。この後に発覚した林芳正文部科学相の「キャバクラヨガ」公用車通いの方がはるかに問題は多いのに、辞職に追い込まれていない。「アフター」であろうと、やっていたことはほとんど同じと思えるのに、この違いはなぜか。 それは、「米山ケース」が言い逃れできない証言に基づくものであったのに対し、「林ケース」はいくらでも言い逃れ、つまり否定できたことだ。要するに「林ケース」には告発者がいない。さらに、米山氏は権力基盤が弱く、バックサポートしてくれる組織もなかったからである。 また、「セクハラ辞任」した財務省の福田淳一前事務次官のように、完全否定するという厚顔無恥ぶりも持ち合わせていなかった。なにしろ、米山氏は記者会見で「自由恋愛のつもりだった」と説明したのである。-金品を渡した意図は?「歓心を買おうと思った。それによって、より好きになってもらおうと思っていた」-体の関係を持つために金銭の授受をしたのか?「言いづらいが、好きになるというのは、最終的には多少なりとも肉体関係を持ちたい気持ちと重なる。より好きになってほしいと思っていた」2018年4月18日、自らの女性問題をめぐり記者会見で辞職を表明し、謝罪する新潟県の米山隆一知事 この説明では、これ以上ツッコミようがない。モテない中年独身男性が、ネットの出会い系サイトにコンタクトし、そこで「パパ活」をしていた女子大生に3万円払って関係を持った。それを恋愛と信じようとしていた。これを記者の前、つまりに世間に向かって言ってしまったのである。しかも、その女子大生には彼氏がいた。つまり、問題は、モテない中年独身男性が新潟県知事だったことである。-知事就任後も女性との関係を続けた理由は?「よくわからない。バカだったと思う。(知事に当選後、女性からの)連絡で『すごいですね』と言われて、ちょっとうれしかった」不祥事のたった一つの解決法 これでは「売買春」であろうとなかろうと、辞職するほかないだろう。 米山氏の華麗な経歴から見て、「エリートほど下半身スキャンダルに弱い」「危機管理がなっていない」という意見があるが、これは的を射ていないと思う。最近は、不祥事があるとすぐ「危機管理」が問われるが、そもそも不祥事を起こさないことが大事だ。それに、起こった後の対応について、本当の解決法は一つしかないのである。 それは、ウソをついたり言い逃れしたりせず、正直に話して謝罪することである。しかし、「森友・加計問題」にしても、これだけ長引いているのはウソや言い逃れが横行しているからだ。 ところが、米山氏は正直だった。哀れだが、すがすがしかったことも事実だ。ひょっとして、彼は50歳になるまで、本当の恋愛をしたことはなかったのかもしれない。 米山氏については、いろいろなことが言われている。なんといっても話題になるのは、その華麗なる経歴だ。 灘高から最難関の東大医学部に進み、1992年に医師免許を取得し、97年には司法試験にも合格している。このとき30歳。医師でありながら弁護士であるという「偏差値エリート」の典型的な人物、というよりトップ人材といえる。その後の経歴もまたすごい。 1998年には東大大学院経済学研究科、2000年には東大大学院医学系研究科で、それぞれ単位を取得した後、放射線医学総合研究所やハーバード大学付属マサチューセッツ総合病院に在籍し、03年には、東大から博士号(医学)を取得している。そして、05年からは京大先端科学技術研究センターで特任講師も務めている。 これだけのスーパーエリートなら、女性にモテるはずだ。ところが、なぜかまったくモテなかったと言う。2005年9月、衆院選で長島忠美・旧山古志村長(右)の応援を受ける米山隆一候補(左) それもあったのだろうか、彼はその後、政治家を目指した。最初の立候補は2005年の衆院選、自民党の公認を受けた。このときは無所属の田中眞紀子候補に敗れ、09年に再挑戦するもまたも落選した。そして12年、今度は日本維新の会から立候補したがまた落選。そこで、13年には参院選に出たがこれも落選した。 つまり、ここまでは「万年落選候補者」だったのである。これはエリートとして耐えがたいことだろう。政治家として再起を目指すなら しかし、ここから米山氏に運が巡ってくる。16年、新潟県知事選で現職の泉田裕彦知事が不出馬を表明し、野党が候補者選びに難航していると、米山氏は民進党を離党して無所属で立候補したのである。ちなみに、この時点で維新の党が民主党と合流したため彼は民進党籍だった。 野党候補は、前長岡市長であった森民夫氏だ。相手としては弱い。そこで、米山氏はなんと、持論だったはずの原発再稼働を捨て、「反原発」を訴えたのだ。応援演説に、前原誠司氏、江田憲司氏、蓮舫氏、橋下徹氏などが入ったこともあり、6万票以上という大差をつけて当選した。 私は米山氏を直接知っているわけではない。メディアを通して知っているだけだ。だから、これは言い得ていないかもしれないが、こうした米山氏の経歴から言えるのは、彼が「キャリア・コレクター」ではないかということだ。常に高いキャリアに挑戦し、その資格を得ることを繰り返す。頭のいい人間にとって、これは何にも代えがたい快感だからだ。 しかし、キャリアそのものには、それほど意味がない。問題は、そのキャリアを得て、何をするかだ。残念だが、米山氏にはこれがないように思える。医者として何をするか。弁護士として何をするか。政治家として何をするか。 そのような志(こころざし)、思想、信条に基づいて行動すべきなのに、彼はそうしてこなかったように思える。 知事選での演説を聴いた人によると、演説は上手ではなかったと言う。反原発は言っても、支持者の心をグイグイつかむような話はなかったと言う。そのため、もっとも受けたのは、ミカン箱の上でやった「バック宙返り」だったと言うのだ。2017年9月、プロ野球DeNA-巨人戦の始球式で宙返りをする新潟県の米山隆一知事(左)=横浜スタジアム(吉澤良太撮影) もし、今後、米山氏が政治家として再起を目指すなら、もう「バック宙返り」はやめにしてほしい。それよりも、もっと人間について深く学んでほしい。エリートでない一般の人間がなにを考えて生きているのか。そして、彼が苦手とする女性たちが、何を考えて生きているのか。「人間学」を怖がらずに学んでほしい。 「米山辞職劇場」は、さまざまな「遺産」を残した。ネットの出会い系サイトでは、本当に3万円で交際してくれる女子大生と知り合えること。しかし、もっと高い報酬を要求される「高級クラブ」なら、こんなことは起こらないということ。 また「#MeToo運動」が世界的にトレンドになっている今、女性側から訴えがあったら、どんなことであろうと職を辞さなければ収まらないこと。例外は、ポルノ女優ストーミー・ダニエルズとセックスして口止め料13万ドルを払ったトランプ米大統領だけである。 さらに、反原発運動などと言うのは、それほど深い動機があるわけではないこと。経済的、科学的な理由などどうでもよく、単に「原子力は怖い」という素朴な感情に基づいているということだ。まあ、これ以外にもまだあるが、米山氏の辞職劇は多くの教訓を残し、今あっという間に風化しようとしている。

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    それでも米山前知事が進めた「原発事故3つの検証」は意味がある

    立石雅昭(新潟大学名誉教授) 新潟県知事の米山隆一氏は4月18日、金銭授受を伴う女性問題、いわゆる買春行為で辞意を表明。県議会にて全会一致で承認され、4月27日に辞職した。 一昨年の10月16日投票の知事選挙で、米山氏は「東京電力による福島原発事故の検証がなされない限り、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働については議論しない」とする泉田裕彦元知事の路線の継承を掲げ、第20代県知事に当選したが、その就任期間はわずか1年半という短命に終わってしまった。 米山氏は弁護士、医者としての見識に基づいて「医療・年金・介護制度の改革」「景気対策」「教育制度改革」「農業改革」など6つの政策的重点を公表していた。それらの施策の中でも原発に対する県の施策、とりわけ「福島原発事故の3つの検証」は、泉田元知事の路線を引き継ぎ、深化させたものであり、唯一具体化に向かって動き出した課題であった。 ここで、米山氏が公約実現に向け、「福島原発事故の3つの検証」をどのように進めてきたか、具体的に説明しよう。 米山氏は、福島原発事故の検証を続けてきた「技術委員会」に加えて、新たに「原発事故による健康と生活への影響に関する検証委員会(健康・生活委員会)」と「原子力災害時の避難方法に関する検証委員会(避難委員会)」を設置するとともに、これら3つの委員会を総括する委員会として「原発事故に関する検証総括委員会(検証総括委員会)」を立ち上げた(表1)。表1:新潟県の福島原発事故の検証体制 福島原発事故の調査、検証は東京電力、政府、国会、独立検証委で行われ、それぞれ2012年に報告書がまとめられた。これらの報告はそれぞれに有意な報告であり、生かされるべき提言も数多くある。 しかし、これらの報告やその後の規制委員会における議論で決定的に欠けていることがある。それは、福島原発の事故に際して、政府や電力事業者の危機管理体制が機能せず、事故の情報や避難指示が十分に届かない中で、被災自治体が大きな混乱に陥り、住民を被ばくにさらすに至った経緯の分析がほとんど行われていないことだ。 原発事故による放射能の拡散・汚染から住民の命と健康を守る課題は、原発が立地する県や自治体の最も大きな責務である。福島原発事故について、原発立地ならびにその周辺自治体が事前に、また震災発生後に具体的にどのように対応するべきであったのか、何ら検証も行われず、教訓も整理されていないのが現実である。 米山氏が進めてきた「福島原発事故の3つの検証」は、こうした検証の不十分さを補うものだ。とりわけ、健康・生活委員会ならびに避難委員会の検証は、県民の命や暮らしと深い関わりを持つ極めて重要なテーマであるが、日本では初めて本格的に行われる検証である。福島原発の未解明問題 2018年2月16日に、第1回検証総括委員会が開催された。委員長の名古屋大学名誉教授・池内了氏は、この委員会の役割として、技術、健康・生活、避難の3つの委員会での議論内容をまとめるとともに、各委員会での議論を越えた境界領域についても検証することをあげた。 同時に原発、あるいは原発事故は、必ずしも科学的に全てが解明されるものではないとの立場から、そうした側面でも議論を深めていきたい意向を述べられた。災害は、そこに息づき、日々暮らす多様な人々の生活や暮らしを一瞬にして破壊するが、そこに原発事故が重なると、その影響は巨大かつ長期化するという福島原発事故の教訓を活かした分析が求められている。 各委員会の意欲的・精力的な検証の中間報告内容は当日配布された資料や議事録、またそれぞれの委員会での資料や報告にゆだねるとして、特徴をいくつか挙げておく。 技術委員会は、これらの委員会の中で唯一東京電力と直接やりとりして事故を検証している。事故の未解明問題として東電が継続して解析している内容の検証や、東電と合同で進めている「メルトダウン等の情報発信のありかた」の検証状況などが報告された。 健康委員会は、福島県健康調査の結果やチェルノブイリ事故後の調査報告など既存文献などをもとに、事故で拡散した放射能による健康への影響について、データ収集、解析等を進めている。 この分野は、政府や県の対応・調査に対して、日本学術会議をはじめ、放射線医療・医学関係者からさまざまな意見が指摘されている分野であり、検証のまとめは容易ではないと思われる。特に健康への影響が顕在化するのは被ばくから数年~十数年後と言われることから、福島県民はじめ近隣都県民の健康検査を継続することが最も重要である。設内を視察する県の「避難委員会」のメンバーら=2018年3月29日、東京電力柏崎刈羽原発(共同) 生活委員会では、調査会社や研究機関に委託して実施した「事故による避難生活への影響」について、議論が深められている。新潟県の原子力安全対策課のホームページに掲載されている調査報告資料では、避難者の生活再建のめどが立っていない状況や、中高生の進学・就職への不安など、その実態が浮かび上がっている。 既存文献、福島県等関係機関からのデータ、新潟県内避難者等へのアンケート・インタビューによる避難生活に関する調査に基づいた、中間報告のポイントをあげておく。 避難者数のピークは事故後1年3カ月で全国に約16万4000人に達し、6年7カ月後の昨年10月時点でもなおその1/3の約5万3000人が避難を継続している(30km圏内からの避難者が3万5000人、30km圏外からも1万8000人)。新潟県民にとっての「米山隆一」 避難指示区域外からの避難者(いわゆる自主避難者)の約79%が、応急仮設住宅の供与が終了した昨年3月以降も、家賃負担が生じてもなお、福島県外に居住している。新潟県への原発事故避難者は事故直後約9200人を数えたが、この3月末においても約2700人が避難を継続しているのだ。 避難に伴い、それまでの3世代同居世帯の大きな減少、平均世帯人数の減少、単身・2人世帯の増加が特徴的である。このことから、家族構成がばらばらにされた実態が浮かび上がった。また、持ち家の戸建てやマンション住まいは半減している。就業形態や被ばくに対する不安、避難による人間関係の変化など、多面的に調査・解析が進められている。 避難委員会では、時間的制約もあり、議論の対象は事故発災時に避難するまでに絞られているが、放射性安全の原則である「合理的に達成可能な限り低く」を踏まえた避難方法を検討している。複合災害の視点や住民が行政の指示通り動かないという現実を踏まえた対応等も課題となっている旨、報告された。 また、柏崎刈羽原発の安全性を担保するには、原子力規制委員会の規制基準適合判断だけでは不十分だ。東京電力の隠蔽(いんぺい)体質の払拭、使用済み燃料の保管体制、燃料プールの構造、事故進展状況を把握する水位・圧力計などの計装装置の改良など、幾多の課題が残されている。 検証委員会での福島原発事故の検証を踏まえた柏崎刈羽原発の備え、とりわけ、事故が発生した際に、県民から放射能被ばくを防ぐ実効性ある方法を確立することが重要だ。 以上の「検証」が持つ県民の命と暮らしに関わる重要性を鑑みれば、原子力規制委員会が東京電力柏崎刈羽原子力発電所の6・7号機再稼働を実質的に容認する、規制基準に適合判断を下した今、米山氏の辞任がこの検証作業を停滞、もしくは後退させることは許されない。 米山氏の突然の辞任は、氏の進めてきた原発に対する姿勢を支持してきた新潟県民にとって、また、私にとっても大きな衝撃であった。しかし、本人が認めたように、事実として買春行為があった以上、その辞任は当然である。記者会見を行った米山隆一・新潟県知事(当時)=2018年4月17日、新潟県庁(撮影・荒木孝雄) 一方で、米山氏が提出した予算案は1955年度予算案以来62年ぶりに全会一致で承認されたものであり、着実に県政改革が進められるものと期待していた。ゆえに、県民の命と暮らしに直結する「福島原発事故の3つの検証」は、新しい知事の下でも県政のあり方をも問うものとなるであろう。委員会での科学的審議や報告が尊重され、知事の政策的判断や県政運営に生かすことが求められる。 新潟県における福島原発事故の検証は、事故の検証にとどまらず、原発立地県・自治体が原発と対峙(たいじ)する基本的姿勢にも迫る委員会となることを期待している。

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    「議員は職業か否か」年金復活の前に議論すべきことがある

    今井照(地方自治総合研究所主任研究員) 地方議員のなり手不足解消を理由に議員年金復活について議論されているが、その前に考えておかなければならないテーマがある。それは果たして「地方議員は職業か否か」ということだ。廃止された国会議員の年金は国会法第36条に基づいて制度化されていた。そこには「議員は、別に定めるところにより、退職金を受けることができる」と書いてある。つまり国会議員の年金は退職金の一部として支給されていたのだ。議員年金の復活に関して言及した自民党の竹下亘総務会長 これに対し、同じく廃止された地方議員の年金は性格が違う。総務省に置かれた地方議会議員年金制度検討会の報告書によれば、「地方議会議員年金は、国会議員互助年金や公的年金とは異なり、地方議会議員の職務の重要性等を勘案して政策的に設けられた公的な互助年金制度である」とある。 つまり国会議員は職業として考えられていたのに対して、地方議員は職業としては認識されてこなかった。それも当然だ。全国町村議会議長会の調査によれば、議員の平均報酬額は21万3141円である。大卒初任給の平均が20万6100円(厚生労働省の平成29年賃金構造基本統計調査)だからほぼ同じだ。 20代前半ならともかく、30代や40代になって、結婚し、家を借り(あるいは買い)、子どもを産み、学校に通わせるとしたら、この報酬ではかなり厳しい生活が待っているだろう。現に私が話を聞いた若い町会議員は、周りの人に勧められ、町の仕事をしようと議員になって頑張っているが、この報酬ではいつまでも結婚ができないと嘆いていた。 確かに都道府県議会や人口が多い市の議会の議員報酬は国会議員に近い。だが数で言えば圧倒的に多い小規模の市や町村の議会議員の報酬はこの程度だ。そもそも職業として成り立っていない。地方議員のなり手が不足しているから議員年金を復活させようという声が上がっているが、順序が逆だ。もし地方議員を職業として認識するのであれば、まず給料としてふさわしい報酬を出すべきなのだ。 だから改めて問わなければならない。地方議員は職業なのか否かと。だが意外にこの答えは難しい。総務省に置かれている「町村議会のあり方に関する研究会」がこの1月に報告書をまとめる予定だが、そこでも両論併記が予想されている。つまり「主たる職務として常勤的に活動」する議会と、「従たる職務として非常勤的に活動」する議会の2パターンが用意され、片方は「生活給を保障する水準」の報酬があり、片方は「生活給保障機能なし」の報酬になるということだ。「職業」かどうか否か、2つの基準 市民感情から見れば、議員報酬は安ければ安いほどよい。欧米の市町村議会の議員はほとんどが無償で、若干の費用弁償(交通費など)が出る程度だといわれている。地域に住む普通の市民が仕事終わりに駆けつけて議会を開く。日本で言えば、町会の寄り合いやマンションの管理組合のようなイメージだ。日本の地方議会もそのようなやり方でよいのではないかという考え方もある。 ただし欧米の市町村には議院内閣制が多い。つまり議員の中から市長を選んだり、あるいは議会が市長を雇用したり(シティーマネジャー)ということもある。その場合の市長には日本以上に高額の報酬が支払われている。成果を上げ行政能力が実証されたシティーマネジャーは、プロスポーツ選手のようにスカウトされ、より処遇の高い自治体へステップアップしていく。だからきちんとした報酬を支払わなければならないのだ。つまり職業になればやはりそれなりの報酬が支払われている。 では職業であるか否は何を基準に考えたらいいのか。まずどれだけの時間的拘束があるかだ。実は日本の地方議会の議員はかなり忙しい。かつて福島県の会津若松市議会では、議員定数と報酬のあり方を検討するために「議会活動と議員定数等との関連性およびそれらのあり方」という報告書をまとめた(2010年12月)。それによれば、議員活動を時間に換算すると、年間1480時間(185日)になる。一般のサラリーマンの勤務日数は200日程度(土日、祝日、年休、年末年始などを除く)なので、全く遜色がない。 しかも実際には、議員活動のほかに、政治家としての政治活動や地域のまとめ役としての地域活動がある。好きでやっていることではないかと言われれば仕方ないが、一方で誰かが担わなくてはならない活動であることも確かだ。むしろきちんとした議員活動をするためにはこれらの活動が不可欠だとも言える。議員になったら土日や夜間もなく、年中無休状態であるのは、自治体規模の大小を問わない。夜間に開催された喬木村議会の常任委員会=2017年12月15日(共同) 職業であるか否かのもう1つの基準は、活動に対して適正な対価を得られるか否かというところにある。これだけの時間的拘束を受けながら適正な対価が得られないとすると、別に収入がなければならない。しかもあまり時間をかけずに得られる収入だ。最初に思い浮かぶのは不動産賃貸業である。かなりの資産家ならば、じっとしていてもそれなりの収入が得られそうな気がする。国の政策が間違っていた 次に思い浮かぶのは既にリタイアして、生活するのに十分な年金を得ている人だが、果たしてこのような人がどれだけいるのか。あるいはいたとしても、あえて議員活動に専心しようとするのか。なかには人徳者もいるので、ゼロとは言わないし、実際にお会いする自治体議員の中にはこうした人たちも多いのだが、俗人には難しい。あとは農業や建設業などの自営業で時間の融通が利くか、あるいは実質的に子世代へ実務を引き継いだ会社経営者などが想像できる。いずれにしても議員になれる人たちは極めて限られる。 地方議員に関するすべての問題はここにある。最初から議員になれる層が限定されているのだ。だから議員のなり手が見つからない。若い人も女性もなかなか議員にはなれない。市民にとって政治的に最も身近な存在であるはずの市町村議会でさえも遠い存在になる。 すると、役所の物事は市町村長が決定しているかのように見える。だから市民は議会議員よりも市町村長の存在を強く意識する。制度上は予算も条例も議会でしか決定できないのだが、役所が案を練り上げ、市町村長が政策を決定し、議会はその追認をしているのが現実だ。もしそうであれば、市民は自治体議会やその議員を「私たちの代表者」とは考えない。 それではどうしたらよいのか。はっきり言って前提条件から変えなくてはならない。国の地方自治政策が間違っていたのだ。前述の総務省検討会の報告書には、なぜ地方議会議員年金制度が破綻するのかという理由が2点、書かれている。市町村合併が「見込んだ以上に大規模に進展した」ことに加え、「行政改革に連動した議員定数・議員報酬の削減が積極的に行われた」ことにより、年金財政が急速に悪化したとある。自分で自分の首を絞めたということだ。議員年金廃止の与党案を賛成多数で可決した衆院議院運営委員会=2006年1月27日午後、国会(共同) そもそも社会科学の常識で言うと、議会とは政治学の分野であって、行政学の分野ではない。それなのに「行政改革」として議会議員数を削減してきたのであり、その象徴が度重なる国策としての市町村合併だった。本来、「行政」を統制するはずの「政治」を弱めるのだから、理論的には行政の裁量や自由度が高まる。こうした流れに地方議会もさおをさしてきたとすれば、無自覚のうちに自虐的、自傷的な行動をとったということだろう。国にコントロールされる自治体 この流れは今も続いている。どの政党も「地方分権」を口にするが、その実は結果的に集権化を促進させることをやっている。例えば「地方創生」政策はその典型だ。国が認証する施策だけにお金がつく。決定権は事実上、国にあるから、国の顔色をうかがいながら自治体は計画を立てる。しかし、計画を立てたのは自治体という建前なので、あらかじめ設定された目標値(これにも国の意向が関与している)に達しないとその責任は自治体がとらされる。 北海道大学の研究者による調査では、北海道の市町村に「国から各自治体へのコントロールは、概して強化されていると感じますか」と聞くと、図のように、3分の2の市町村が「強化されている」と答えている。これは驚くべき数字だ。もう20年以上も国政で「地方分権」が掲げられてきたはずなのに、ますますこのような事態が進行している。【図】国から市町村へのコントロールは強化されているか 〔出所〕村上裕一・小磯修二・関口麻奈美「『地方創生』は北海道に何をもたらしたか;道内 自治体調査の結果とその分析を通して」『年報公共政策学』11号(2017年3月) 地方自治制度のあり方には融合型と分離型がある。融合型というのは、自治体が国政の出先機関の性格を兼ねるもので、分離型というのは、国政は国の出先機関が執行し、自治体の役所は自治体本来の業務をすることだ。もちろん、どちらにもメリットデメリットがあるが、日本の地方自治制度は典型的な融合型になっていて、その宿痾(しゅくあ)が現状に表れている。 一気に地方自治制度を改正することが現実的ではないことは確かだ。しかしもう少し分離型の要素を増やし、バランスを回復する必要がある。ところが現在の国政はますます融合型を強めようとしている。「地方創生」政策の進め方もその1つだ。ここからひっくり返さないと、ますます自治体議会は市民にとって縁遠い存在になり、結果的に地方自治は衰退していく。地方議員を職業として考えるか否かの分かれ目は、実は地方自治制度をどのように考えるかというところにある。

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    「議員年金復活」しばし待たれよ

    「若い議員は辞めたら生活保護だ。ホームレスになった人もいる」。自民党の竹下亘総務会長の発言が口火となり、あの悪名高い議員年金が復活するようである。「議員のなり手不足」が口実とはいえ、なぜこの議論がゾンビのようによみがえったのか。政治家たちの思惑と議論の背景を読み解く。

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    議員年金復活を目論む「銭ゲバ」政治が許せない!

    若林亜紀(ジャーナリスト) 官民格差の象徴として廃止された、議員年金が復活しそうになっている。 昨年12月、自民党の森山裕国対委員長が「地方議員のなり手不足が問題だ」として、地方議員を地方公務員とみなし、役所の厚生年金に加入できるよう法改正したいと述べたのだ。狙いは議員年金への税金投入だ。地方議員の法改正がうまくいけば、国会議員の年金復活にも着手するとみられる。 国会議員や地方議員の年金は、一般国民の年金に比べてとてもお得だった。例えば、国会議員は掛け金を月10万円で10年納めれば、65歳以降の引退時に年間450万円の年金をもらえた。男性の平均寿命の81歳まで生きれば、払い込んだ掛け金の5倍額を受け取れる。国民年金や厚生年金なら、世代にもよるが1.5~2倍程度だ。 しかも、国民が年金をもらうには最低25年間掛け金を積み立てなければならなかったのに、国会議員は10年でよかった。昨年やっと、国民も10年に短縮された。 議員年金がなぜこんなにお得なのかというと、税金からの補塡(ほてん)が多いからだ。サラリーマンが入る厚生年金の場合、毎月の保険料は労使折半と決まっている。掛け金が5万円とすると、本人負担が2万5000円で、会社が2万5000円を負担してくれる。だが、議員年金の掛け金は、本人負担が10万円に対し、雇用主である国の負担は25万円程度と、負担割合がいびつだったためである。 地方議員も国会議員に倣い、同様のお得な年金を謳歌(おうか)していた。 けれども、メディアと国民から不公平との声が上がり、2006年の小泉改革でまず国会議員の年金が、2011年に地方議員の年金が廃止された。議員は、自営業者や学生、フリーターと同じ、国民年金に加入することになったのだ。 とはいえ、すでに年金をもらっていたOBと、10年以上在職していた議員へは高額給付がほぼ据え置きで続くことになった。国民年金に加入したのは中堅・若手の議員だけだ。(画像:istock) 国民年金の掛け金は月1万6490円。日本年金機構によれば、40年積み立てた人への65歳からの支給額は現行で月6万4941円だそうだ。ただし、これは年金を二階建てに例えた場合の1階部分で、2階部分として、「国民年金基金」に入り、掛け金と給付を増やすこともできる。 国民年金には士業らの加入も少なくない。そのため、国民年金基金の中には、医師、歯科医師、薬剤師、弁護士、司法書士、税理士、漁業者、農業者といった職能別の連合会があり、運用も別々に行われている。だから、議員の国民年金基金連合会を作ればよいのだ。 議員の仕事は自営業者やフリーター並み、いや、それ以上に自由度が高い。議会が都道府県、政令指定都市で年平均80日程度、市町村で20日程度開会される他は、あまり時間の拘束がない。議会では首長らと自由に対等に議論し、住民代表として身分が保障されている。定年もない。そのため、公務員やサラリーマンよりは、一人親方の自営業に近いので、厚生年金でなく国民年金が相当とされたようだ。身分の不安定さを口実に なお、公務員には「公務員共済」という、やはりお得な年金制度があったが、こちらも2015年から民間サラリーマンと同じ厚生年金に一元化された。 さて、政府与党は、今国会で地方議員も厚生年金に入れようとしている。これは官民格差解消のための一元化ではなく、議員を不当に利する一元化である。 ここで、議員の報酬を見てみよう。総務省によれば、地方議員の平均歳費は都道府県と政令指定都市で月平均約80万円だ(賞与・経費別)。普通市の平均が40万円で市町村平均は21万円である。 月収80万円の議員が年金をめいっぱい積み立てようとすると、国民年金の掛け金が月1万7千円、国民年金基金の掛け金が月6万8000円となる。自己負担は計8万5000円だ。国民年金部分にのみ掛け金と同額の公費負担がつく。本人負担と公費負担の計10万2000円が合計の積立額となる。 ところが、厚生年金に入れれば、自己負担の掛け金は最高で月5万7000円で、自治体から雇用主負担が同額つく。本人負担と自治体負担の計11万4000円が合計の積立額となる。本人負担額は2万8000円減るが、合計の積立額が1万2000円増えるので、老後の給付額は国民年金・国民年金基金の合計より多い。 これは、国民年金基金と厚生年金の格差、および官民格差の問題なのだが、議員らは、解消を図ったり対策を練ったりするのでなく、自らを利するのみなのだ。 自民党の竹下亘総務会長は昨年11月、「若くして国会に出た議員は退職したら全員生活保護だ。ホームレスになった人もいる」と語り、議員の身分の不安定さを年金優遇の口実にしようとしている。しかし、不安定なのは起業家や自営業者、学生・研究者も同じであり、議員のみ優遇する理由はない。 また、人材確保のために年金を復活したいともいうが、これはこじつけだ。総務省は昨夏、「地方議会・議員に関する研究会報告書」を出した。その中に、小規模自治体では「住民の関心低下により議員のなり手不足が深刻」とあるが「一部の市区町村議会議員の選挙では、一般に候補者数が多すぎると考えられる状況が生じている」とも書いてある。 報酬の多い大規模自治体の議員と報酬の少ない小さな自治体の議員を一緒くたに論じてまとめることが無理なのである。 報告書は、投票率の低さ、有権者の無関心、有権者が候補者の情報を十分に知ることができないこと、選挙結果の納得性の低さなどを議会の問題として挙げている。 さらに付け足すなら、政治に優秀な人材が集まらないとすれば、それは、忖度(そんたく)や腐敗まみれに見える政治への不信や、選挙運動に多額の資金と人手がかかり、現職や世襲以外では新規参入しにくい排他的で非効率な選挙制度のせいである。 政府与党には、議員年金の復活ではなく、政界の浄化と選挙制度改革によって、よい議員を集めてほしい。 

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    議員年金が復活しても「なり手不足」が解消しない理由

    い。 最大の区別は、議員活動に対する対価が日本国憲法49条で規定される「歳費」(国会議員)であるか、地方自治法203条で定められた「議員報酬」(地方議員)なのかである。国会議員の歳費という言葉は大日本帝国憲法にはないが、同時に施行された議院法19条に見える。歳費とは単に「年俸」を意味するのみならず、通年の活動すべてが支給対象であると解されている。和歌山県岩出市の旧和歌山県会議事堂 他方、議員報酬という言葉は実務的には昭和21年の戦後改革によって、地方議員の名誉職制度(有産者である公民が無償で公務に従事する制度)が廃止されて以降に用いられていたが、地方自治法に取り入れられたのは平成20年の改正になってからであり、それまでは行政委員会の委員などと一緒に単に「報酬」とされていたものである。この改正は、全国都道府県議会議長会から、地方議員の報酬を歳費または地方歳費と改めることによって、地方議員も国会議員同様、その活動は常に議員としてであり、活動のすべてが歳費として対価の支給対象とされるべきとの要望に基づくものであった。地方議員は「非常勤」という誤解 衆議院の判断は、地方議員には歳費の言葉を認めず、国会議員と地方議会とは明確に違う、とした。そこで現在でも国会議員は常時、通年活動するものであり、その対価は歳費が担保するが、地方議員の議員報酬は議会の公式な会議などの活動だけが支給対象で、それ以外は費用弁償や政務活動費で担保される、と区分けされている。要は、地方議員は議会に出てきているときだけが「報酬上の議員」なのである。法律は国会議員が常勤であるとも、地方議員が非常勤であるとも、何も規定していない。しかし、ここから地方議員は「非常勤」であるという素朴な誤解が生まれる。非常勤としてしまったら、「職業ではないから年金の必要はない」となってしまう。 国民年金の目的は「老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与する」(国民年金法1条)ことである。職業生活を終えた、障害によって就労が難しくなった国民を全体で支えるのが本来の趣旨である。そこで国民年金の財源は、保険料と国の負担がそれぞれ半分であることが原則となっている。 国民年金はもともと「月額100円の保険料で1万円の年金」というルールで始まった制度であり、現在でも諸年金制度を通じた基礎年金となっているように、それだけで生活に十分な額とは考えられていない。制度には大きな変遷があったが、現在では国民年金はすべての国民を通じた基礎年金であり、厚生年金など他の年金は基礎年金に上乗せの「2階部分」として位置づけられている。国民年金だけでは不足だから、他の年金に加入していない場合には、地域・職域でつくる国民年金基金に任意加入して追加の保険料を納付すれば、税制上の優遇を受けた上で厚生年金等同様の2階部分の給付を受けることができる制度になっている。(iStock) 議会とは多様な政治的意見を持つ議員の集合でなければならないが、ここでは年金制度を検討するために、議員の処遇の問題に絞って考える。 議員とはいかなる者なのか。日本国憲法では国会議員であれ、地方議員であれ、普通選挙で選ばれるべきことのみが決まっている。議員は議員専業なのか、議員以外の他の職業を持っての兼業であるべきかの規定は憲法上存在しない。国会議員は国庫から相当額の歳費を受けることが定められているが、地方議員は地方自治法で単に「議員報酬を支給しなければならない」と明記されているだけである。したがって法律上、義務として支払われる議員報酬は「相当額」という規定がないから1円以上としか言えない。歳費は年間すべての活動を議員活動として認め、その支給対象となると解せるが、議員報酬が議員活動のどの部分を支給の対象とすべきか、運用上はともかく、法文上は明確ではない。「無給の名誉職」から一変 では、議員報酬はどのように決められてきたか。議員報酬が支給されるようになってすぐの昭和20年代前半から調査が行われているが、大まかな状況として、知事や市町村長の給料の月額が議会議員の議員報酬の年額、つまり12分の1以下というあたりから始まっているようである。当時の地方議員に対する給付は議員報酬だけではない。昭和初期、地方議員にも普通選挙制が導入されたが、議員は「無給の名誉職」という位置づけのままだった。そのため、大都市部では名誉職ではやっていけない議員への対応として、報酬は支給しないとしても、長と同様に慰労金などの名目で退職手当など議員に対する諸手当があったり、出納検査の立会など実費弁償を支払っていた。 昭和21年以降は議員を務める自治体と議員などが請負関係にあることも制限されなくなった。しかし、昭和31年の地方自治法改正でそれらは大幅に制限され、議員報酬の少ない議員がいくつかの兼業などによって生活していく方法が閉ざされてしまった。今日の小規模町村の議員のなり手不足はここに原因の一つがある。2006年1月、衆院本会議で議員年金法案が採決後、本会議場を後にする小泉純一郎首相(中央) 昭和30年前後の大合併による町村の規模拡大とその後の高度経済成長により、議員報酬も少しずつ増額されるようになる。首長給料の20~10分の1くらいから始まった議員報酬は、昭和40年代中ごろには5~3分の1くらいに改善されたようである。当時の自治省はその動きを抑止する。議員報酬は首長の給料の一定比率以下となるように法律にはよらずに行政指導を行い、特別職報酬等審議会を「自主的に設置するよう」にさせたのである。 審議会への諮問は、首長は年間300日程度勤務するが、議員は議会の会期中の会議日数が勤務である。答申は勤務日の比によって結果的に首長の給料の3分の1程度が相当、ということになる。もっとも、議員報酬の前提とされることになる首長の給料がどう決まっているかというと、仕事に対する評価ではない。人口規模が中心で、さらに県庁所在地か、市制施行が古いかなどの「格」が加味される。戦前の内務官僚が知事になっていたころと同じ考え方だが、これに合理性があるのだろうか。地方にいれば給料は低い、だから東京や大都市に向かうという流れの根本原因であり、今日の地方創生がいまだ進まない理由がここにある。 地方議員の報酬の大きな格差から、議員のなり手も大きく異なることになる。これに議員定数を組み合わせるとさらに大きな矛盾を生ずる。人口の大きな自治体では経済活動に任せても交通や医療という住民サービスは十分に提供できるから、総体的に住民にとっての行政の必要性は小さい。しかし人口が多ければ議員報酬が高い議員が多数存在する。他方で、人口が小さい自治体では行政の仕事は想像以上に多岐にわたる。したがって議員の仕事量も必然的に多くなるわけだが、議員数は少なく、議員報酬は行政職員の初任給程度である。もともと働き手の年代が流出してしまう地方圏では自治の担い手もいない、ということになってしまうのである。議員年金はなぜ廃止されたか ここで議員年金廃止の簡単な経過を振り返ってみよう。平成18年に国会議員の互助年金が廃止された。廃止の理由は「現下の社会経済情勢にかんがみ」であるが、平成16年の年金制度改正以降、国民一般の加入する年金制度よりも国庫負担割合の高い国会議員の年金制度は特権的である、というあまり正確ではない考えに基づいていたようである。なぜ正確ではないかというと、国庫負担割合は確かに高いが、これは国が国会議員のみを優遇しているのではなく、年金制度に対する国の負担と事業主負担分の双方を負担しているからだ。その意味で問題にすべきは、もっと根本的な、国会議員に職域年金がなぜ必要かを、もう少し丁寧に議論した上で説明すべきだったのではないか。 地方議員の年金制度は国会議員の互助年金にならって発足し、国会議員の互助年金制度廃止後も制度改正を行った上で存続してきた。給付を抑制しつつも保険料を増額して存続の努力が続けられていたのだが、平成23年に突然廃止された。理由は平成の市町村合併に伴い、地方議員数が急減する一方、退職した多数の議員が受給権者として急増したため、資金の枯渇が想定されたことによる。 地方議会議員年金の廃止が検討されていた平成17年、議員が被用者年金に加入しているかどうかの調査があった。それによると、都道府県議会議員で厚生年金に加入している人は39・5%、市議会議員で23・8%、町村議会議員で20・9%だったという。平成27年の国民全体の厚生年金加入者数は3686万人に対し、国民年金の加入者数は1号1668万人、3号915万人の計2583万人。この三つの合計6269万人を分母として厚生年金加入者数を分子として割ると、全年金加入者の厚生年金加入率は58・8%になる。都道府県議会議員の厚生年金加入率よりもだいぶ高く、町村議会議員の3倍近くに上る。だが、この数字はどのように読むべきなのか。議員の「議員以外の職業」についての調査では、議員専業率が一番高いのは都道府県議会議員であって、一番低いのは町村議会議員だ。つまり、厚生年金に2割しか加入していない町村議会議員とは、議員専業だからではなく、そのほとんどが自営などに従事している。 他方、平均年齢は都道府県議員が一番若く、人口規模が小さくなるほど議員の年齢構成は高くなる。特に小規模町村の「新人議員」は、退職後に年金を受給するようになってから立候補するという例が普通になってきている。そうでなければ議員をしながら生活ができないからである。東京都議会本会議=2017年10月 一口に議員といっても国会と地方、また地方でも都道府県・市・町村と多様である。かつてのようにそれぞれ独立の「職域」で年金を再構成するのは極めて難しいだろう。しかし問題となっている「なり手不足」への対処としては、議員任期など特殊性に十分配慮し、かつ国政・地域の担い手に挑戦する若者層も安心できるような制度が必要であろう。だとすれば、どのような方法が考えられるだろうか。「退職金も年金もない」では働けない 最も簡単なのは、国会から地方まで、議員の有り様がさまざまなのだから、多様な職種が加わる厚生年金に加入することだろう。厚生年金の目的の冒頭には「労働者」とある。確かに議員は誰かに雇用されているわけではなく、誰かの命令で働くわけでもない。しかし、仕事を持つ若者が選挙に挑戦するにも、また定年後の人間が社会貢献を目指すにも、どちらにも都合が良い制度は分母が大きく、加入者が多様な厚生年金しかないであろう。「特別職公務員」だから公務員共済制度を利用すればいいと思うかもしれない。だが、まだあまり知られていないようだが、既に厚生年金に一元化されているので、行政職員と一緒になることはできないのである。ほとんどの議員が秘書を持てずに、しかし家族の献身的な協力の下にあることを考えれば、配偶者が3号保険者となることができることは当然認められてよいだろう。 もう一つの考えられる選択肢は、国民年金基金の職域組織として全国の各議会を通じた議員年金を作ることかもしれない。しかし、若年層が職業を兼業しながら議員になるとき、議員年金が厚生年金と別立てになっていると新たな参入障壁となることもあるだろう。 いずれの場合でも、現職地方議員の多くには大したメリットは感じられないと思われる。議員数の大部分を占める小規模市町村の議員報酬は低く、「報酬比例部分」での給付があまり期待できないからである。しかし、時折見られる「国民年金だけでよい」という意見には同意できない。数の上で多くの議員は、議員在職中に資産を形成できるというような経済状態ではないし、また議員であることを利用して資産形成するなどということは明らかにおかしいからである。何より、年金制度がないことを理由に優秀な人材が政治家を目指してくれないのであれば、結局は国、自治体としての損失となる。 なお、国会議員だけは議員数が急減することもなく、継続的に世代交代が行われ続けているから、単独の年金制度を再構築することも可能かもしれない。しかし、一部報道のように、経済的に困窮するのは年金受給権などを得るよりもずっと短い在籍期間しかない経験者である。選挙制度である以上、仕方がないこともあるが、議員以外に再就職しようとすると「そんな偉い経歴の人は雇えない」と言われることもあるという。それに対応するとしても、まさか雇用保険というわけにもいかないだろう。国会議員の互助制度とするのであれば、短期在籍・退職者の対応が結果として政治家への積極的な挑戦を促すことにもなるだろう。 議員のなり手不足をどうするかという議論を行っている高知県大川村では、村内の住民や企業に、議員になるには何が問題か、従業員が議員になることが可能か、という調査を行っている。議員は会議のある日だけが仕事ではない。年間を通じて地域を歩き、住民の声を聞いてそこから政策を考えていくのがむしろ本務である。その意味では、住民に雇われた「議員労働者」なのであろう。2017年6月、高知県大川村議会で、有権者が予算などの議案を直接審議する「村総会」の検討を表明する和田知士村長(左から2人目) 廃止された議員年金を再整備しても、それだけで議員のなり手が増えるということは恐らくない。自分が議員となって活動するにはどのような仕組みが必要か。日本は普通選挙制の国なのである。国民一人一人が自分の問題として、これなら私も立候補できる、という仕組みを考えてほしい。

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    高額報酬に加え公務員並み年金要求する議員の虫のよい主張

     かつて「役得年金」と批判され、重複加入が可能だった「議員年金」を復活させようという動きが活発になっている。「国民年金だけでは老後の生活ができない」「地方議員のなり手がいなくなる」など、勝手な理由が並んでいる。現在、各地の市議会や県議会が声高に要求しているのが、議員の「厚生年金」加入だ。 全国都道府県議会議長会総務部の担当者はこういう。「議長会は議員年金の復活を要求しているわけではありません。知事も市長も厚生年金。あまり都庁に出勤していなかった某元東京都知事だって特別職公務員として公務員共済年金(現在は厚生年金に統合)に加入できていたんですよ。同じように選挙で選ばれる県会議員が加入できないのはおかしい。だから国会に法整備を求めている。地方議員はイメージが悪いから厚生年金に入れないというのは差別でしかない」2017年10月、熊本市で行われた全国都道府県議会議長会であいさつする柳居俊学会長 うっかり“議員の厚生年金加入くらい認めてもいいじゃないか”と考えると罠にはまる。実はこれが特権議員年金の復活につながる道なのだ。 廃止されたかつての「地方議員年金」は、議員が支払う掛け金が6割、税金4割で運営され、議員の負担の方が大きい仕組みだった。しかし、厚生年金の保険料は労使折半だ。議員は政党の職員でも、自治体の職員でもない。厚生年金加入を求めるのならせめて保険料を全額自分で払うというのが筋だろう。 そうではなかった。「議員は自治体の住民に雇われているようなもの、当然、保険料の半分は税金で負担するべき」(同前)衰退しているのは議員のモラル 厚生年金加入のついでに、年金保険料の5割を税金で払わせようというのが議長会側の主張だ。これが実現すると、かつての税金4割負担以上のおいしい“議員年金”ができあがるという筋書きである。議員や公務員の特権を追及してきたジャーナリストの若林亜紀氏が指摘する。「日本の地方議会は平均年間80日間程度しか開かれていない。兼業者も多く、フルタイムで行政の仕事をしている公務員とは勤務形態が違う。しかも、議員はいわば個人事業主でサラリーマンのように誰かに管理されることがなく、たとえ議会に1日も出席しなくても高額な報酬が全額もらえる。 独立性ゆえ特権が与えられているのに、“年金だけはサラリーマンや公務員などの被雇用者並み”などと主張するのは虫がよすぎる。もし、地方議員が自治体と雇用契約を結んで厚生年金に加入すれば、首長の部下ということになり、知事や市長の行政をチェックするという議員本来の務めを果たせなくなる。自己否定も甚だしい」 地方議員の中にも、「議員特権と批判された議員年金を復活させ、しかも保険料の半分を役所の財政から出すなど、有権者の理解が得られるはずがない」(無所属の古坊知生・豊島区議会議員)と一部で反対する声があるが、与野党合わせて復活に突き進む大号令にかき消されている。 ちなみに現在の全地方議員を厚生年金に加入させると、国民の負担は毎年170億円増える。 どの言い分を聞いても、衰退しているのは議会制民主主義ではなく議員たちのモラルだとはっきりわかる。いくら選挙で「集票マシン」の地方議員に世話になるとは言え、自民党の国会議員たちはこんな言い分に耳を貸して議員年金復活を言い出したのか。「種明かしは簡単。地方に旗を振らせて地方議員の厚生年金加入を認める法改正をすれば、国会議員も同様にという議論になり、便乗して厚生年金に入れる。地方議員同様、保険料を国民に半額負担させる事実上の国会議員年金を復活できるという計算があるからでしょう」(地方議会関係者) 年金カット法案を強行採決した国会議員たちが次に国会提出を狙っているのは、自分たちの「議員年金復活」法案になる。■取材/福場ひとみ(ジャーナリスト)関連記事■ 特権年金を廃止したから民主主義衰退? 代議士の仰天理屈■ 年金の仕組み 国民年金は「素うどん」で厚生年金は「天ぷら」■ サラリーマンから個人事業主まで すぐにわかる年金の仕組み■ パート 厚生年金に加入経験があれば申請して受給額大幅増も可■ 議員年金の復活計画 「国民年金だけでは老後生活できない」

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    議員年金の復活計画 「国民年金だけでは老後生活できない」

     国会では与党が「年金法改正案」を衆議院で強行採決、参議院でも成立が確実な見込みとなっている。物価と賃金のどちらかが下落すれば年金支給額が下がることになるため、国民の受給額を減らす「年金カット法案」と呼ばれた。 ところが、国民には年金カットを押しつける議員たちが、一方で悪名高き議員年金の復活に向けた準備を着々と進めている。「議員年金」といえばかつては「役得年金」の代名詞だった。国民年金や厚生年金との重複加入が認められ、地方議員は12年、国会議員は10年で受給資格を得られたため、地方から国会に転じた政治家の中には議員年金の「ダブル受給者」もいた。 それが批判されて国会議員年金は小泉政権下の2006年に廃止、地方議員年金は民主党政権下の2011年5月に「全ての地方議員に特権年金があるのは世界でも日本だけ。国民生活と乖離した悪しき制度」として国会の全会一致で廃止法案が成立した。 あれから5年、特権復活の動きはまず地方から広がった。 年金カット審議さなかの11月11日、全国都道府県議会議長会のお歴々が首相官邸や自民党本部を訪ね、菅義偉・官房長官や二階俊博・幹事長に議員の年金加入を求める決議を手渡した。各地の市議会や県議会でも次々に決議がなされており、政務調査費をめぐる不正で議長が続けて辞任した宮城県議会は、なんと全会一致で年金復活を求めている。 自民党本部は政務調査会の「地方議員年金検討プロジェクトチーム」で本格的な検討にとりかかった。2017年11月、自民党の「人生100年時代戦略本部」初会合であいさつする岸田政調会長 チームの1人、熊本県議出身の坂本哲志・代議士は議員年金復活の必要性をブログでこう説明している。〈今、議員に年金はつきません。町村議会議員から国会議員まで全て国民年金です。このためでしょうか最近地方議員、特に市町村議員へのなり手が少なく無投票が増えています。これは結局議会の活性化を阻害して、本来の議会制民主主義を衰退させてしまいます。そこで地方議員の年金を復活させるべきということで自民党では今、ワーキングチームを作って論議しています〉“議員の特権年金を廃止したから、この国の議会制民主主義が衰退している”という仰天の理屈である。■取材/福場ひとみ(ジャーナリスト)関連記事■ 『相棒』の頃から異変が… 成宮寛貴「薬物疑惑報道」の背景■ 石川佳純が長身イケメンと鉄板焼き&カラオケデート■ 千葉大医学部集団強姦 容疑者学生の「華麗なる法曹一族」■ 愛子さま、ストイック減量の背景にご学友の「きれい!」の声■ 星野源 新垣結衣に「なんでそんなにかわいの?」と直球質問

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    「学芸会」と化した地方議会、働く議員をきちんと選ぶために

    方議会の実態が詰まっており、全国にいかに多くのずさんなケースがあるのかを教えてくれ、あぜんとする。「地方自治は民主主義の学校」と昔、学校で習った記憶があるが、もはや「学ぶに値しない」ような存在となっているのは嘆かわしいことだ。 政務活動費の不正な取り扱いを始め、セクハラ・ヤジ、危険ドラッグ使用、市長選買収事件など、著者が列挙するように、昨年次々と明らかになったような「トンデモ議員」の存在は、全国に広がっている。しかし考えてみれば、こうした議員を選んでいるのはその地域の有権者であり、厳しいようだが、責任の一端は有権者の側にあるともいえる。 ただ、地方議会をとりまく状況が厳しくなっているという実情も本書で知ることができた。報酬を一つとってみても、東京都議会のように大手企業の役員並みの高額報酬を得ている議員がいる一方、大卒初任給の平均に満たない自治体もある。ただ、改革を訴えて、報酬を減額したり、日当制を導入したりする取り組みを行っても、報酬が低いと地方議員の「なり手」がいないというジレンマもある。 「なり手」という点では、本書は、(1)立候補が定員に達せず、無投票当選が続出する、(2)投票率が極端に低くなる傾向に歯止めがかからない、(3)選挙になっても落選者がごく一部に限られ、開票前から結果がわかる「少数凡戦」が状態化する――、といった問題点を指摘する。これでは地方議会は活性化せず、議員の顔ぶれが長期にわたって固定化することで新規参入も困難になり、新陳代謝が進まない。 ただ地方議会でも福島県の会津若松市議会や、京都府の亀岡市議会など、議会側が首長や行政を監視するという本来の機能を発揮したり、議員同士が切磋琢磨して議会運営を活性化させたりする改革に乗り出している事例などについても、著者の広範な取材で盛り込まれている。 いま第3次安倍内閣では「地方創生」を進めるべく様々な取り組みを行っている。国が旗を振るものの、主役はそれぞれの地方であることはいうまでもない。地方創生を担う自治体、特に地方議会の重要性はこれまで以上に増し、それにともなって責任も重くなってくる。同時に住民自身も自らが住む地域に関心を持ち、有権者として適切な判断を下す必要がある。本書はそうした「気付き」を与え、私たち一人一人に「当事者」であることを強く意識させてくれる。

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    大川村はニッポンの縮図ではない

    年末年始を故郷で過ごす人も多いだろう。2017年もまた人口減、超高齢社会、地方消滅といったキーワードが躍ったが、中でも人口全国最小400人の高知県大川村が「村民総会」を検討したというニュースに衝撃が広がった。ニッポンはこのまま縮小するしかないのか。年の瀬だからこそ、過疎自治体の在り方を考えたい。

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    「まだ東京で消耗?」高知の山村を救うある移住者のメッセージ

    きな器が存在する。そう、それは都会と言うプールである。 人口減少に歯止めを掛けるために、この桶である地方自治体は、水が漏れ出ている板を高く補強しなければならない。例えば、「大学」の板が問題ならば、若者が希望する進学先(大学)を設立する。「仕事」の板から漏れ出すのであれば、若者が求める仕事を創る。効果はあるだろう。漏れが止まるのだから。しかしこれにも限界がある。日本全体の人口が減っているため、どんなに高い板で囲まれた大きな桶を準備しても、溜(た)める水がもはや枯渇しているのだ。大変熾烈(しれつ)ではあるが、次はこの競争に打ち勝つ戦略を考えなければならない。水を呼び込む戦略、そう移住者の獲得である。著名ブロガーも嶺北地方へ移住 冒頭に話題にした大川村は高知県北部に位置し、「土佐町」「本山町」「大豊町」と共に「嶺北」ブロックを構成する。実は今、この嶺北ブロックは高知県の他の6ブロックと比較して、人口に占める移住者の比率が最も高く、注目されているのである。移住者の多くは20代、30代の若者で、その比率は2%を超える。移住者が増えている理由はいくつかある。著名なブロガーであるイケダハヤト氏がこの嶺北ブロックに移住して、「まだ東京で消耗しているの?」と訴えている効果は大きい。 地域の子供たちの教育に風穴を開けるべく採用された「地域おこし協力隊」が定着し、グローバルな仲間を集め始めたことも理由として挙げられる。地元高知大学が嶺北ブロックに派遣する「地域コーディネーター」が、クラウドファンディングなどの手法を活用して、地域の夢は実現することを実証した影響も顕著である。 さらに、ここでしか作られていない伝統的な地域資源「碁石茶」の生産を支援するために域外から集まった多くの「親衛隊」が、この地域の魅力に誘引され、移住することになったのも理由の一つである。 かれらは地域の魅力を「よそ者」の目で敏感に感じ取り、その価値を域内のみならず域外にも訴求し、持続可能な地域に変革しようとする「イノベーター」である。その周りには不思議と同じ臭いを感じさせる同志たちが地域の内外から集まってくる。 限られたエリアである嶺北ブロック内で、それぞれのグループはやがてグループを超えた相互のネットワークを醸成する。イノベーターたちの集積は新たな結合(イノベーション)を生み出す「接触の利益」(野長瀬裕二『地域産業の活性化戦略』学文社)を最大化するのである。今、嶺北ブロックはイノベーターたちで溢(あふ)れ、その刺激的な感性は地域の人々を鼓舞している。 統計学によると、n個の個体があれば、そのうちルートn個が平均とは異なる振る舞いをするという。例えば100個の集団では、そのうちルート100、すなわち10個が平均から外れる。この確率は100分の10で10パーセントとなる。400個の集団であれば同様に5パーセント、さらに集団が大きくなって100万になるとルート1000となり、その出現の確立は0.1パーセントになる。 集団が大きくなるにつれて個性的な個体が発生する確率は小さくなり、やがてゼロに近づいていく。これを「平方根の法則」と言う。イノベーターとは母集団の平均的な振る舞いとは異なる、個性的で革新的な人材であると定義すると、その出現は母集団が小さいほど高い。今の嶺北ブロックを見ていると、地域外からの有為な人材の定着を含めて、小さなサイズでこそ成立する、個性的な集団としての姿が平方根の法則から浮かび上がる。人口減少に立ち向かう社会変革が必要な今、「変革は辺境の地から生まれる」予感がする。

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    人口減少の呪縛から解き放つ「ふるさと住民票」のススメ

    和田知士村長(左から2人目)=2017年6月12日(共同) まず重要と思われるのは、議員(少なくとも地方自治体の議員)というものは必ずしも割のいい仕事ではないということだ。私たちはどこかで議員には権力が委ねられ、そのことによって私利私欲を実現する機会が高まる、だから職業政治家になる人があとを絶たないのだと、そういうふうに思いがちである。 そうなっている例は確かに見られる。だが、議員に付帯されるさまざまな特権を引っぺがしてむき出しにしたとき、その本質は極めて責任が重く、自己犠牲が多く、しんどい仕事なのだ。議員のなり手がいない―特に過疎山村においてこの現実は、放っておいても必ず立候補者が出てくることを前提にしている今の議会制度に、何か大きな欠陥があることを示唆している。大川村はその最前線であった。 さてともかく、議員のなり手がなく議会が組織できないという事態が生じた場合、その代替となる制度が「村民総会」なのだという。私も大川村の一件で知ったのだが、要するに村民全員が議員になるということのようだ。議会による間接民主制が機能しないなら、全員による直接民主制に切り替えればよいという発想だと考えれば理解しやすい。民主主義とはみんなの声を集めることだから、原点に返るということなのだろう。直接民主制が危うい理由 しかし、直接民主制にすればそれで解決するというものでもない。大川村が、しかるべき時が来れば村民総会を「実施する」といわずに「研究する」といい、そして9月に「研究を断念する」といったのは、それが極めて実現困難なものであると認識していたからであろう。高齢者の居住地が山間に散在している実情の中で―そしてこの地形状況が、大川村が他と合併せずにいる理由でもあると推察するが―全員を集める総会を頻繁に開くことは現実的には無理だということなのだろう。議会への関心などを尋ねたアンケート結果を発表する高知県大川村の職員=2017年7月21日午前、高知市(共同) だが村民総会が適切な解ではない理由は、それだけにとどまらないと私は思う。村民総会は、実現困難だというだけでなく、実現することによって村民がさらなるリスクをかかえることになる。 私は、直接民主制は危ういと考える。特に自治体の人口規模が過剰なまでに減少し、村の将来の見通しが立ちにくくなっている現状では。というのも、多くの人が後ろ向きの感覚を持っているときには、議論の場の設定の仕方に慎重でなくてはならないからだ。 むろんここに暮らす人の多くは、この村がこの先もしっかりと持続していくことを望んでいるだろう。しかし現在、村の人口の絶対多数は高齢者である。そしてその子供たちの多くが都会へと離れてしまっている現実を前にして、村民の声は必ずしも村の将来に前向きなものだけではないはずだ。私自身が過疎地を回るときにもよく聞こえてくる声がある。「自分の代でもうこの村は終わりだ」「若い人たちは無理をしなくてよい」と。 総会はオープンな場であり、少数でもこうした意見が表明されれば、それを否定し、前向きなものへと転換するのは大変難しくなる。これでは村は続かない。若い世代に対しても無責任だ。しかし、オープンな場で生の住民の声は排除しにくい。村の将来を決める会合は、できるだけ慎重に、感情論を廃して、しっかりと前向きに進めなくてはならない。代表民主制である議会ならできるとはいいがたいが、村民全員が参加する総会にも、その保証があるとはいえない。むしろ社会が崩壊するリスクは高まるというべきだろう。 私がこう述べるのは、この数年地方で、明らかに今までとは違う人口の流れが生じているからである。人口減少はそろそろ止まる。山間部や島嶼(とうしょ)部で、あるいは農村や漁村で、若い人々の環流が始まっている。Uターン、Iターン、孫ターン、仕事を求めて、農地を求めて、あるいは都市から逃れて…。人の動きや動く理由には地域差も大きいようだが、全体の流れがどちらに向かっているかは明確だ。そこでは新たに子供たちも生まれている。高齢者たちが抜ける穴を埋めるように、若い人々の田園回帰・地方帰還・人口再生産は着実に進んでいる。制度に修正が加えられるべき時が来た そしてこの大川村でも、若い人の山間部への移住・還流は同じように生じているようだから、地域再生を進めるために、今こそ次世代に向けた積極的な対策(教育や子育てなど)を用意する必要がある。高知県大川村「緑のふるさと協力隊」として移住した和田将之さん=2017年5月12日、(角田純一 撮影) だが、高齢者ばかりの自治体で、高齢者たちの意見だけを聞いていてはそうした対策は打てない。若い人々もなかなか声をあげにくいようだ。そこでこれまでの議会に替わって村民総会が導入されたとしても、それが議会に替わる適切な手段になるのかといえば私にはそうは思えない。むしろさらに若い人々が意見を通しづらい状況が生まれるのではないか。 適切な村政を導く民主制の方法はもっと別にあるはずだ。今回の大川村の動向が提起していたのはそういうことだと理解したい。 そして、筆者はこう希望を持っている。大川村のような小さな自治体であればあるほど、全体の構造がよく見える。だからこそ、現在の議会制民主主義に替わる適切な行政チェックシステムを必ずや確立できるだろうと。要は村全体がきちんと見え、将来世代に責任をもち、適切に状況を分析し、判断し、村長以下、自治体の職員チームが提示する政策の善しあしを的確に判断する集団が、村の中にしっかりと位置づけられればよいわけだ。 逆に言えば、そうした機構を首都圏の大都市部に適切にセットすることの方が、とてつもなく困難な話なのだ。巨大な都市で流動性の高い住民たちが、その地域社会全体を見て適切な行政施策を選択していくことなど、そう簡単に実現できるとは思えない。 そもそも議会制民主主義そのものが古き発明品である。しかもこの国のオリジナルでもない輸入品だ。民主制、代表制、議会や選挙といったものを、自分たちにとって使い勝手のよいものへと、私たちはもっと新たな発想で構築し直していく必要がある。 議会代表制と村民総会のあいだ、そのどこかに大川村ならではの民主主義の最適解があるはずだ。今回の「村民総会の検討をした」という選択がきっかけとなってさまざまなアイデアが模索され、実験され、この地にあった適切で適当な民主制システムが選択される、そういうプロセスが進むことを期待したい。 そしてこのことは間違いなく、日本の大都市部や国会にもあてはまる。特にこの1年の間におきた政治プロセスのおかしな事態は、特定の政治家や行政職員が悪いということではなく、現在の政治家を選び民主主義を支える制度自体に問題があるのではないか。そういうメタ論的な発想で事態は検証され、修正が加えられるべき段階にきている。そういう視点を広く国民全体で共有することが必要だろう。 さらに、こういう提案も示して、この問題についてのさらなる議論の活性化をうながしておきたい(以下については拙著『地方消滅の罠』も参照)。村民は「その村に住んでいる人」だけではない 大川村は人口約400人の過疎山村というが、それは住民票を勘定すればそうなるというだけで、大川村に関係している人口はもっと多いはずである。大川村の出身者は、若い人ほど大川村を離れて暮らしているが、その多くは高知県内、四国内にとどまっていて、頻繁に出入りしているだけでなく、どこかで帰還するチャンスをうかがっている。いわゆる限界集落はどこでもそうなっている。 筆者は思う。こうした村の外にいる者たち(通う村民、関わる村民、関係人口)も村民の一部と考えるべきではないか。中でも将来大川村に帰ってくる予定の人などは、今からでも大川村の村民として迎え、その意見を聞くことができるなら、帰還を実現しやすくなるのではないか。逆にそうした外の声を反映せずに、今ここに住んでいる人たちだけの声で政策を進めるから、帰還しにくい、若い人が暮らしにくい村にどんどんとなってきたのではないか。 構想日本の呼びかけに応じて集まった自治体により、「ふるさと住民票」の試みが始まっている。ふるさと住民票とは、今ここには住んでいないが、何らかの形で自治体に参加したいという人にある種の準住民のような資格を付与し、その自治体の力になってもらおうというものである。2017年12月の時点で、鳥取県日野町、徳島県佐那河内村、徳島県勝浦町、香川県三木町、香川県三豊市がその発行をはじめている。徳島県佐那河内村の「ふるさと住民票」を岩城福治村長(左から2人目)から交付される、名誉村民の書家山根玉峰さん(同3人目)ら=2017年3月7日午後、佐那河内村役場(共同) ふるさと住民票の発行が何をもたらすのか。ともかくも現段階では実施しながら考えようという試行錯誤のものだが、例えばこの発想からすれば、村の民主主義も、その村に住民票をおいている人だけのものではなくなっていくはずだ。村の出身者、村に働きに来る人、あるいは将来この村に住みたいと思っている人だって、その村の政策形成に参加する権利がある。議員だってそうした人の中から出すことも許されてよいのではないか。あるいはかえって、こういった半第三者的なチェック回路がある方が、適切な行政運営・政策形成が実現するのではないか。 おそらく今、私たちはそれぐらいのスケールで議会のあり方、自治体のあり方についてしっかりと踏み込んだ見直しを進める必要がある。そしてそうした見直しが、過疎山村のみならず、大都市を含めたこの国の民主主義、政治過程の再活性化につながるものと信じる(選挙と民主主義に関しては、拙稿も参照されたい)。 高知県の山村も含め、そろそろ過疎地の人口減少も下げ止まりになってきたようである。大川村でもすでにその兆しが見えているという。この転換期に見合う新たな自治体、新たな議会、新たな民主主義のあり方を、将来を見まごうことなくしっかりと模索し、選択したいものである。

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    大川村が生き残るには「越境合併」という裏ワザしかない

    貞包英之(立教大学准教授) 今年6月に高知県大川村が「村総会」の研究・検討を表明し、話題となった。9月には検討を中止し、村議会は継続することになったものの、議員のなり手不足は全国的にみても深刻な問題だ。高知県大川村議会で発言する和田知士村長=2017年6月(共同) 大川村に一度も足を踏みいれたことがない私は、この問題の是非について具体的に述べる立場にない。ただし遠くから眺めると、大川村は現在の「自治」の限界をよく表現している。 まず重要なのは、この事件が「市町村は歴史的な存在である」と思い起こさせてくれる点である。市町村制施行(1889年)とともに生まれた大川村がそうであるように、「市町村」とは明治のなかばに生まれた、あくまで近代の制度なのだ。 「自治体」としての実質的な確立はそこからさらに遅れた。戦前には選挙権が財産によって制限され、国から任命された県知事や郡庁の支配を受けていたことを重視すれば、一般から選ばれた首長や議員が「自治」を行う今の「市町村」というまとまりは、戦後に生まれたとさえ言える。 明治に作られた「行政村」の背後に、より長い歴史をもつ「自然村」を想定するものもいるだろう。ただしこの「自然村」にどこまで持続性や連続性をみることできるかといえば怪しい。 近年の研究をみると、稲作が一般化した中世末から近世はじめより前の時代は、土地に定着する人びとが少なかったといわれている。人の集団の連続性や産業的な成り立ちの継続性からみれば、多くの場合、村とはせいぜい近世につくられた急ごしらえの制度にすぎない。 こうした「自然村」の歴史のなさを隠したのが、「行政村」だったとさえいえる。「行政村」は補助金や理念によって制度的に村を固定し、これまで、そしてこれからも永続的に続くものであるかのようにみせかけてきた。  問題は、「市町村」が今後も超歴史的に続くというフィクションに、近年ついにほころびが目立ち始めていることである。端的にそれは、あたりまえに選挙をし、学校を運営し、福祉を実施することがむずかしい市町村が増加していることによって示されている。 理由の一つは、少子高齢化である。市町村で一般的な行政水準を満たすためには、一定の人口と税収、さらには人材が必要になる。だが人口が減り、議員や役所の仕事に満足な給与が払えない自治体さえ現れているのである。 また、産業構造の変化も一因だ。大川村では白滝鉱山が1972年に閉山したことが人口急減の引き金になったが、同様の自治体は多い。地域産業の興隆によって経済成長期に人が増えたが、その後、急速に過疎化に陥った村が多いのである。 しかしそれらと同等、またはそれ以上に問題となるのは、近年、市町村の「自治」というまとまりを脅かす商品や金、情報、またそれに応じた人の流れが活発化していることである。 県を越えるような長距離移動はたしかに減っている。しかしそれを補うかたちで、県内、市町村内の移動は維持、または増加傾向にあり、さらに旅行や買い物、帰省や通勤といった短時間の移動もますます盛んになっている。ショッピングモールが自治体の枠を壊す? こうした流動性(mobility)の高まりは、人びとが一つの自治体の枠を公然とはみ出し生きることを後押ししている。通勤や通学、レジャーや買い物のために市町村をまたがり移動することも珍しくなく、結果として自治体も人の生活を支える基本的単位としての意味をますます小さくしている。 それを象徴的に示すのが、地方中核都市を取り囲むように立つショッピングモールである。福島県伊達市や長野県千曲市や須坂市のように、近年、地方中核都市に隣接する市町村でモールの出店計画が問題になっている。国内最大級の商業施設「イオンモール木更津」が開業した。=2014年10月14日、千葉県木更津市(中辻健太郎撮影) 小さな自治体は雇用の場を獲得するため、また固定資産税を得るためにモールの誘致を望むが、中核都市は現在の商業環境を守るためにそれに反対する。こうした対立が起こるのは、根本的にいえば近年のショッピングモールが1つの自治体に収まりきらない商圏をもっているためである。他市町村、さらには他県からの客を引き寄せるモールは珍しくなく、そうしたモールの出店・退店は地域の商業・雇用環境や人の流れを変えることで、しばしば一つの自治体の枠をはみ出す問題を引き起こす。 こうして少子高齢化や産業構造の変化に加え、地域を越える情報や商品、人の流動が加速するのに伴って、地域を統治する単位としての自治体の意味も問い直されつつある。  以上のような視点から今回の大川町の出来事をみると、疑問点と可能性の二つがみえてくる。 まず宇一つ目の疑問点は、なぜ大川村では合併やより大きな自治体への行政委託が進まないのかということである。村民の数が減り、村議会に任せた間接民主主義が困難になっているのであれば、最も合理的に考えられるのは、自治体の自立を放棄し広域的な行政機構への編入を視野に入れるという道である。 実際、情報や商品が自治体を超えて飛び交い、人の移動も流動化している今では、広域自治体のほうがより効率的で、民意に添った政治ができるという可能性もある。 これまでにも、多くの市町村が明治・昭和・平成の大合併で統合・廃止の道を選んできた。1888(明治21)年に7万1314あったとされる自治体は、現在1718にまで淘汰(とうた)されている。大川村の場合すでに2003年に、隣接する土佐町に合併を拒否されたという事情がたしかに大きい。しかし、その上で県境を越えた越境合併や、国や県などへの行政の委託を真剣に考慮すべき時が来ているのかもしれない。 一方で、こうした行政の広域化と委託をあくまで前提としてだが、今回の大川村の選択には大切な可能性も含まれている。 まず行政が専門化し複雑化した現在では、直接民主制を前提とした総会がすべてを決めるというのは現実的ではなく、広域的な行政に任せたほうが効率的な行政運営ができる場合が多い。 では今回想定された全員参加の総会は、実際何ができるだろうか。祭りや慶弔の付き合いといった町内会的な業務に終わるのか。あるいは国やより広域的な統治機構に向き合い、地域の立場を主張する力を発揮できるのか。 現状、情報や商品や人の移動が加速しているなかで、そもそも「自治」を有効に行っている自治体は多くないといえる。そのなかで今回の大川村の試みは、「自治」として何を手放してはならず、何を手放してよいのかを問い直す、日本全体にとっても意義のあるものになると期待されるのである。

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    大川村長が語る毎日新聞「議会廃止検討」報道への反論

    いので軽々しく言えませんが、制度上、村民総会はとてもできるような制度ではないと私は認識しています。 地方自治法の94条、95条には確かに町村総会を置くことができるとなっています。八丈小島(旧宇津木村:現八丈町)で前例がありますが、島民が60人、有権者が30人というような状況であれば、できるかもしれないが、うちは人口400人、有権者が350人。規模が全然違うし、実際に行うとなると、さまざまな課題が浮かび上がります。 例えば、公務員である学校の先生は村民であるにも関わらず、村民総会には参加できない。となると、もはや「総会」ではなくなってしまう。そんなことをひとつとっても、現状では、村民総会ができるような法になっていないと思います。大川村が合併しなかったワケ 平成の大合併が平成12年ぐらいから言われ始め、当時の高知県知事は橋本大二郎氏で、高知県としてはアクセルを踏まないよ、というスタンスでしたが、全体としてはアクセルを踏んでいるような状況でした。高知市と土佐郡が6つ、長岡郡が2つ、8カ市町村で合併協議会を設置するかどうか、という協議を1年ぐらいかけてしていました。その結果、高知市は嶺北地域とは合併はできないという結論に達しました。 この嶺北地域は本川村、大川村、土佐町、本山町、大豊町の5カ町村あって、そのうちの本川村が平成14年に伊野町、吾北村と合併すると表明した。そして大豊町が単独自立で頑張ってみるという表明をしました。残った3町はどうするのか。平成15年になって、合併の協議会設置について住民投票をすることになった。本山町と大川村は賛成多数、土佐町は反対多数となり、すべてが賛成でなければ設置にならないわけで、結果としては、それぞれ頑張っていこうよということになったんです。 私は、合併はしなくてよかったと素直に思っています。いまは、なんでもしゃべれるような村民との関係ができていると思うし、職員には大いに声を拾ってこいと指示しています。しかし、合併したらどうしても役場があるところが中心になってしまう。それこそ「消滅町村」はでないにしても、消滅集落というものはでてきてしまうのではないか。そんなことを考えると、村民も不満もたくさんあると思うが、村を何とかせんといかん、ということは合併をしていないがゆえに考えられること。合併しなかったことは村民にとっても大きな成果だったのではないでしょうか。 白滝鉱山街=撮影日不明、高知県大川村 鉱山があり、ダムがなかった昭和35年くらいには4100人を超える人口がありました。廃鉱で2000人くらいが一気に減ったのも大きかったし、さらに早明浦ダム建設に伴って1000人ぐらいは一気に移動してしまった。 昭和60年ごろ、村民が750人になったときに、この750人の人口を守っていこうと村がうちあげて、その時はふるさと創生のときでもあったので、一時期は維持できた。しかし、人口対策については誰も真剣ではなかった。当時役場の職員だった自分自身も、それこそいま、村民に対して、「なんとかなる、誰かがしてくれるじゃいかんのじゃ」って今は言っているのですが、その当時は「まあ、なんとかなる」という感覚だったような気がします。 そして750が680になり、600を割り、538になったと思ったら平成22年の国勢調査で411人になった。それは真剣に人口対策に取り組んでこなかった結果でもある。23年の12月に就任して以来、400の人口を守ろうよ、ということを言って、結果、たまたま運よくですが、平成22年から27年の国勢調査の5年では16人の減少でとどまっている。年間どうしても10人くらいお亡くなりになるので、そういった自然減があるなかで5年間で16人の減少でとどまったのは県や国の協力をはじめ、いろんな要因があります。 例えば、役場職員だった若者が、「必ず大川に戻ってくる」と言って26歳くらいで辞めていったん、外に出て勉強してくる、そして嫁と子供を連れて戻ってくるといったケースもあります。ほかにも、大学を出てオランダに1年留学した若者は、大川村に戻って花き栽培を始め、2年前には農事組合、法人を設立して、いまでは常勤で若者を2人雇用してくれています。そんな風に、どんどん輪が広がれば、若者ももっと帰ってきてくれるかもしれない。東京で疲れてやる気がなくなってしまった人が大川村に来てもらっても、なかなか続きません。 田舎だから○○がない、と言うんじゃなくて、自分でこうするというものを持って帰ってきてくれたら、することはいろいろあるし、支援できることはしたいと思っています。 自分たちの時代に大川村がなくなることがないように頑張ろうねということはずっと言い続けています。当然、一人ではできないし、議会と執行部だけでもできない。だからこそ、村民に主役になってもらう必要があるのです。(聞き手、iRONNA編集部 本江希望)

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    「受動喫煙はまさに児童虐待だ!」私が都の禁煙条例を草案した理由

    岡本光樹(都民ファーストの会副幹事長) 9月20日から10月5日を会期とする東京都議会定例会に、都民ファーストの会、公明党および民進党は、「東京都子どもを受動喫煙から守る条例(案)」を提出し、3日の厚生委員会で可決されました。5日の本会議で可決、成立する見通しです。主要会派による代表質問が行われた都議会本会議=26日午後、都庁(酒巻俊介撮影) この条例案は、第3条 都民は、受動喫煙による健康への悪影響に関する理解を深めるとともに、いかなる場所においても、子どもに受動喫煙をさせることのないよう努めなければならない。第6条 保護者は、家庭等において、子どもの受動喫煙防止に努めなければならない。2 喫煙をしようとする者は、家庭等において、子どもと同室の空間で喫煙をしないよう努めなければならない。と規定しています。これらの条項について、「法は家庭に入らず」という点で反対する意見が見受けられます。 この論点に関して、この条例案の草案から作成に関わった立場として、また、弁護士・法律家の立場として、解説と意見を述べます。 法律家として、「法は家庭に入らず」という言葉があることは承知しています。これは古代ローマの格言で、現代の刑法においても親族間の窃盗・詐欺・横領などの財産犯については、刑を免除するまたは親告罪とする規定が見られます(親族相盗例・刑法244条)。 しかしながら、家庭内における虐待や暴力については、近年、児童虐待の防止などに関する法律「児童虐待防止法」や、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護などに関する法律「DV防止法」が制定され、かつての法格言を超えて積極的に法が関与すべきとされています(参議院法制局 法制執務コラム「立法と調査」2006年5月)。 受動喫煙は、児童虐待や暴行罪・傷害罪(生命・身体犯の類型)の問題として議論されるべきであると考えています(『捜査研究』2016年3月号「タバコ受動喫煙と刑法 事例別Q&A」62頁)。子供の生命および健康を受動喫煙の悪影響から保護し、子供が安心して暮らせる環境を整備することは、社会全体の責務であると考えます(条例案の前文及び第1条)。 なお、過去の報道によれば、2015年12月頃立て続けに3件、親が幼児に喫煙させた件が暴行罪などの刑事事件として、逮捕や略式起訴されています(前掲『捜査研究』61頁)。家庭内の事案も含まれていました。今回の条例案の対象とは異なりますが、子供への暴行罪の刑事実務において、「法は家庭に入らず」は必ずしも通用しません。児童虐待と受動喫煙の共通点 ここで議論の前提となる、受動喫煙の有害性に関する知見を確認しておきます。 受動喫煙が健康に悪影響を与えることは科学的に明らかにされており、肺がん、虚血性心疾患、脳卒中、乳幼児突然死症候群(SIDS)などのリスクを高めるとされています。 平成28年8月に国立がん研究センター発表及び厚生労働省より公表された「喫煙と健康 喫煙の健康影響に関する検討会報告書」(通称「たばこ白書」)によれば、わが国の受動喫煙による年間の超過死亡者数は、少なくとも1万5000人と推計されています。厚生労働省 つまり、受動喫煙を受けなければ、交通事故死の約4倍にあたる年間1万5000人が、これらの疾患で死亡せずに済んだと推計されているのです。このうち乳幼児突然死症候群は年間73人の超過死亡と推計されています。 また「たばこ白書」によれば、子供の受動喫煙と、乳幼児突然死症候群、喘息(ぜんそく)の既往との関連について「科学的証拠は因果関係を推定するのに十分である(レベル1)」と判定されています。 喘息の重症化、喘息発症、肺機能低下、学童期のせき・たん・喘鳴・息切れ、中耳疾患、う蝕(虫歯)との関連については、「因果関係を示唆(レベル2)」と判定されています。 さらに、厚生省心身障害研究において、「父母共に習慣的喫煙あり」は、「父母共に習慣的喫煙なし」に比して約4.7倍程度乳幼児突然死症候群発症のリスクが高まることが示されています。 別の研究では、3歳児の喘息様気管支炎は家庭内喫煙がない場合に比べ、母親が喫煙する場合には3倍に増加することが示されているのです。 このように受動喫煙は、生命の侵害や重篤な健康被害を引き起こすおそれがあります。その上、子供は自らの意思で受動喫煙を避けることが困難であり、受動喫煙から保護する必要性が特に高い存在です。 こうした点で、「児童虐待」との共通性があると考えています。 もっとも、子供の受動喫煙が、現時点で、児童虐待防止法第2条の「児童虐待」の定義に該当していると言っているわけではありません。仮に、同法上の「児童虐待」の定義に該当すれば、発見者の通告義務(同法第6条)、児童相談所による保護(第8条)、行政による立ち入り調査等(第9条)などの規定が適用されますが、この条例案は、法律上の「児童虐待」の定義を変更するものでもありませんし、また上記のような義務や行政措置を導入するものでもありません。 この条例案は、罰則を設けず、まず啓発を進めていくものです。児童虐待防止法のような通告義務や立ち入り調査なども設けていません。「法は家庭に入らず」という思想や反対意見にも配慮した、バランスのとれた内容と考えています。そもそも「喫煙する自由」は権利として断定されない 都民ファーストの会がホームページ上でインターネットを通じて行った意見公募(8月30日~9月8日)では、条例の実効性を高めるために、むしろ罰則を設けるべきだという激励やお叱りの意見も多数頂きましたが、この条例案は罰則を設けておりません。条例上の罰則と、先にも触れた刑法の傷害罪・暴行罪とは別論です。 他党の都議会議員から、啓発目的・訓示だけの条例ならば条例制定は不要であるといった旨の発言もありました。しかし、この意見は正しくありません。 第1に、罰則のない努力義務であっても、この条例によって、子供に受動喫煙させることは避けるべきだという法的な規範が定立されることになります。 こうした法的根拠によって、行政機関も、また私人(医療関係者、学校関係者、保育関係者、各種業界関係者、家庭内外の当事者に近い人などを想定)も、より自信を持って啓発活動を行いやすくなると考えられます。 第2に、行政において、啓発や実態調査のための予算がより確保されやすくなると考えられます。東京都は、これまで職場や飲食店などの受動喫煙対策に、予算を用いて啓発や調査などを実施してきました。しかし、特に子供の受動喫煙に焦点をあてた取り組みは、区市レベルで独自に行っているところはありますが、東京都としては行っていませんでした。この条例の成立によって、しっかりと啓発が進むことを期待します。 実際、2002年制定、2003年施行の健康増進法も、学校・病院・官公庁・飲食店などの施設管理者を対象とした罰則のない努力義務規定ですが、受動喫煙防止の法的根拠及び啓発としての意義がありました。同法は、14年間経過して、現在、罰則の導入が検討されていますが、子供の受動喫煙防止の条例も、まずは啓発条例として早々にスタートすることが肝要と考えます。(iStock) この条例案が、親の監護権や喫煙権、プライバシー権の侵害であるなどという誤った主張も見受けられますので、これについても反論しておきます。 まずそもそも「喫煙権」というものが認められるかは、疑問です。最高裁昭和45年9月16日判決で「喫煙の自由は、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」と判示されており、最高裁調査官の解説も踏まえれば、喫煙の自由は、「権利」とは断定されておらず、仮に権利としても制限に服しやすいものにすぎない、と解されています。 次に、プライバシー権については、憲法上に明文の規定がありませんが、憲法13条「幸福追求権」に基づき、肯定されると解釈されています。 その上で、憲法が保障する自由や権利は、「これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とされ(憲法第12条)、「公共の福祉に反しない限り」において認められるものです(同第13条)。 親の監護権、プライバシー権、喫煙の自由は、いずれも、常に無制限・無制約に認められるのではなく、「公共の福祉」による制約を受けます。「法は家庭に入らず」は表面的な反論にすぎない では、この「公共の福祉」とは何でしょうか。「公共の福祉」という名目で、「公益」や「公共の安寧秩序」などの抽象的な理由によって、公権力による人権侵害がなされてはならないのは、当然です。通報・指導を含んだ私の当初案が、監視社会に通ずると誤解されたのは遺憾です。そうした誤解は、現在の国政への危惧によって生じたものと考えられますが、断じて私は人権抑圧的な監視社会を企図するものではありません。 この「公共の福祉」とは、あくまで人権と他の人権とが相互に矛盾・衝突する場合を調整するための原理であると解釈されています(権利の内在的制約)。 これを本件についてみれば、他の人権とは、まさに「子供の生命・健康」に対する権利です。親の監護権・プライバシー権や喫煙欲求が無制約・無限定に認められるのではなく、あくまで、子供の「生命・健康に対する権利」「心身ともに健やかに成長する権利」「安心して快適に暮らせる権利」との調整において、必要な限度で、親の権利が制約されるのは、やむを得ないと考えます。そもそも受動喫煙は、受ける側にとって何のメリットもない、一方向的な「他者危害」です。国立がん研究センター この条例について、「親・喫煙者の権利」VS「条例・行政」といった対立構図と捉えるのは正しい理解とはいえません。親の権利と子供の権利とを「調整」するのが、この条例です。子供は親の所有物ではなく、独立した尊厳ある存在です。 前記9月29日及び10月3日の都議会厚生委員会で、他党の都議会議員は、繰り返し「法は家庭に入らず」と述べ、揚げ句、努力義務・啓発の条例であっても、また、権利と権利の「調整」の条例であっても、私的空間への介入である旨主張していました。 子供の受動喫煙を防止すべきこと、またその啓発をすべきことには賛成し、反対する者は誰もいないなどと述べつつ、条例化には反対、条例ではない啓発にとどめるべきとの意見でした。 その理由としては、子供の受動喫煙が法律上の「児童虐待」には該当せず、これと同等とはいえないから、ということのようです。 この論理は、ゼロか百かといった皮相的な議論であり、妥当でないと考えます。法律上の定義に該当すれば、100%同法の適用を受け、他方、定義に該当しなければ、法・条例は一切口出しすべきでない(ゼロ)と言っているようなものです。 しかし、これまで説明してきたとおり、子供の受動喫煙と児童虐待の共通性・類似点があることから、ゼロと百の間の、少なくとも努力義務・啓発の条例は、早々にスタートすべきと考えています。私個人としては、今回の条例案作成以前に東京都医師会案や豊島区条例案として、義務ではない通報制や行政による指導を含んだ内容の条例案の作成に関与しましたが、それらも法的妥当性を有すると考えています。そうした条例案も、児童虐待防止法に比べれば、規制や介入は謙抑的です。受動喫煙議論で見えた「決められない」政治体質 他党が、子供の受動喫煙防止を啓発すべきことを認めながら、啓発条例の制定には反対などと主張しているのは、矛盾した、「反対のための反対」でしかありません。 また、他党は、都民への説明や周知が不十分であるから「継続審査」とすべきとも主張しましたが、啓発することが目的の条例を、制定前に啓発せよと言っているようなもので、これも的外れの詭弁(きべん)です。 議論を引き伸ばし、受動喫煙防止に関して、これまで「決められない政治」を行ってきた同党の体質を示しているのではないでしょうか。 私を含め、都民ファーストの会の都議会議員は、「古い都議会を新しく」、議会の本来の立法権能を取り戻し、発揮し、そして「スピード感」をもって、しっかりと政策を実現して参りたいと考えています。iStock これまで弁護士として、子供の受動喫煙に関する声をいくつも聴いてきました。その一端を紹介します。 中学生自身から直接相談を受けたことがあります。同居する祖父母が室内で喫煙していて、「のどが痛い、たんがでる、目がしみる、疲れが取れない」と非常に悩んでいました。祖父に外で吸うようにお願いしても、「うるせえ、お前が外に行け」と怒鳴るとのことでした。 保育園の保育士さんからの相談もありました。ある園児が、濃厚なタバコ臭を身にまとって登園してくる、母親と祖母が喫煙していて、その子がかわいそうなだけでなく、世話をする保育士さんや周りの園児も、頭痛や気持ち悪くなるなどの症状が起きているといった相談でした。 母親が病死した父娘家庭の子を、伯母(母親の姉)と祖母が心配しての相談もありました。中学生の娘が副鼻腔(びくう)炎をこじらせているにもかかわらず、父親はヘビースモーカーで家の中でも車中でも喫煙し、子供の健康に無頓着で、受動喫煙に一切聞く耳を持たないといった相談でした。 親から子への受動喫煙は、子供の自己肯定感や自信に影響し得るという話も耳にします。 このほかにも、小児科の医師の方々から、数え切れないほど多くの例を聞いています。子供に喘息の症状があっても、家での喫煙をやめない親が、いまだに何人もいるそうです。医師が受動喫煙防止や禁煙を親に説いても、聞く耳をもたない親もいるようです。 小児科医の研究団体には、「受動喫煙は、まさに児童に危害を与える虐待に違いありません」と宣言している研究会もあります。 こうした状況下、受動喫煙に苦しんでいる子供たちの一助になればと考えて、この条例案を策定しました。 一日も早く、受動喫煙の苦しみがない社会が来ることを、希望します。

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    「家庭内喫煙」の法規制で子供の健康はホントに守れるのか

    玉巻弘光(東海大学名誉教授) 東京都議会では、都民ファーストの会と公明党、民進党が共同で提出している「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」が、議会多数派の提案であるところから、近々成立が見込まれる。(iStock) 都民ファーストの会のウェブサイトで公表されている条例案の概要によると、子供の受動喫煙を防止するため、都や都民、保護者などの責務などを定め、またその具体的方策として、喫煙者に子供がいる部屋や自動車内では喫煙しないよう求めている。あわせて受動喫煙防止策が不十分な飲食店やゲームセンターに子供を立ち入らせないことや、公園・学校・小児医療機関周辺での受動喫煙防止を定めている。ただし、いずれも努力義務とし、罰則規定は設けていない。ただし、伝えられるところによると、今後、時機を見て罰則規定を置く方針であるといわれている。なお現在、この条例とは別に、東京都がウェブサイトで「東京都受動喫煙防止条例(仮称)」の新たな制定に係るパブリックコメントを募集しており、両条例の統合が検討されていないことには疑問を禁じ得ない。 今回、筆者は全国初の屋内喫煙を規制した「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」の、施行後3年ごとの条例見直しの検討部会長を既に2回務めた経験を有することもあって、「iRONNA」編集部から、この条例案に関し、特に家庭内喫煙規制を中心に意見を求められたので、部会長という立場を既に離れた個人としての見解を述べてみたい。 まず、条例案で「受動喫煙」とは、「他人のたばこの煙又は蒸気(肉眼で見える煙又は蒸気に限らず、残留するたばこの臭気その他の排出物を含む。)を吸わされることをいう」と規定されている。要するに、たとえ一瞬であっても、また、ごくごく微量であっても、喫煙者のたばこ煙が他人に及ぶと、受動喫煙に該当するということのようであるが、そこまで徹底しなければならない科学的根拠はあるのか、甚だ疑問である。 一定以上の受動喫煙がさまざまな健康影響を生じさせることについては、おおむね立場の違いを超えて一致して認めているところであろう。筆者は医学生理学の知識に欠けるが、たばこ煙に一瞬さらされることが疾病の原因となるだろうか、大いに疑問を感じる。健康保障は重要ではあるが、多種多様な有害物質に取り囲まれた現代の生活環境において、有害物質にさらされることが少しでも許されないとなると、現代生活の否定しか選択肢はないだろう。いや、石器時代に逆戻りしたとしても、多種多様な天然の有害物質から逃れることなど不可能であろう。「不愉快」だから法規制? それゆえ、有害であるとされる物質について、許容限度を定めて規制しているのが現実であり、たばこ煙をその例外とする論理的・科学的根拠は存在しないのではないか。たばこ煙中には200種類以上の有害物質が含まれ、発がん性物質は50種類以上にのぼるといわれており、その代表例として取り上げられるものにニコチン、タール、一酸化炭素があるが、これらはたばこ煙固有のものではない。特にタールと一酸化炭素は環境中のさまざまなところに存在し、環境基準などによって規制されている。 たばこから出る有害物質は一切許容されないが、同一物質でも出どころが異なれば一定の範囲で受け入れられるという主張は、およそ論理的でも科学的でもない。炭火で焼いた焼き鳥や焼き肉は、おそらく一酸化炭素まみれであろう。実際にかつて、冷凍スモークマグロを輸入しようとしたところ、一酸化素汚染を理由に輸入差し止めになり、最高裁まで争われた事件(最高裁平成16年4月26日判決)があったほどだ。(iStock) 人の健康を守るために法令によって規制しなければならない有害物質は、規制が健康保全を目的とするものである限り、その出どころを問わず、人体に対する影響という観点で、同じ手法・同じ基準で規制されるべきであろう。合理的根拠なしに別基準が定められれば、行政法上の平等原則に反する。 さて、本稿で主に論じることが求められたのは「家庭内喫煙」の規制問題である。前置きが若干長くなってしまったが、筆者の基本的考え方は、規制の対象とされるべき受動喫煙とは、人の疾病原因となることについてエビデンス(証拠)のある受動喫煙に限られるというものである。確かに、たばこ煙をごくわずかでも浴びることは不愉快ではあるが、「不愉快」を法規制の根拠とする妥当性はあるのだろうか。健康被害を生じるからこそ規制の必要が認められるのではないか。 次に、本稿の主題である家庭内喫煙規制について検討しよう。その検討の大前提として、成長過程にある子供の健康保障の重要性は明白であり、過保護にならない範囲で、子供は受動喫煙に限らず、あらゆる健康上の危険からできる限り保護されなければならないということを確認しておきたい。そしてこのことは、家庭の内外を問わず、同一の要請である。「法の介入」境界線は 残念なことではあるが、現代社会に生きる子供の身の回りには危険が満ちあふれている。それらを除去するか減少させることは大人の責任であり、それは受動喫煙危害に限らない。とりわけ子供の家庭内事故の原因をみてみると、受動喫煙などよりももっと防止策を講じなければならない危険が多数存在する。子供の生命身体の安全に直結する危険が家庭内に多数ある中で、なぜ今、家庭内受動喫煙だけを多種の家庭内危険からわざわざ抜き出すのか。子供を受動喫煙から守るという一般受けする名目で、隠された別の目的の達成を模索しているのではないか。 喫煙が好ましくない行為であることは論をまたない。しかし、子供を守る必要というなら、より大きな危険を防止する責務も併せて保護者に課す必要を検討しないのか。子供の家庭内事故で多いのは溺死、転落、やけど、誤飲など、命にかかわるものが少なくない。家庭内での子供の健康保全ということを目的に新たな法規制を検討する際には、規制目的を達するための方法や内容が均衡のとれたものである必要がある。 ところで、子供を守る必要があるとはいえ、家庭内まで法規制の対象とすることは妥当だろうか。家庭内は基本的には私的領域として、家族の自律に委ねられるべきであり、プライバシーの領域にまで法が踏み込むことには謙抑的であるべきだ。法学の世界には「法は家庭に入らず」という格言がある。家庭内にも適用されることが当然である刑法ですら、刑の免除という形ではあるが、親族間の窃盗のように法が家庭に入ることを控えている部分がある。 もちろん家庭内を規制対象とする法制も珍しくはない。児童虐待防止法やドメスティックバイオレンス(DV)防止法、消防法などがそれにあたる。しかし、これらは直ちに人の安全にかかわる問題であり、窃盗や受動喫煙とは危険の性質が異なる。長期的な健康への影響という観点で、受動喫煙問題とシックハウス問題などは共通の性格であろう。(iStock) 法が家庭内にまで介入しなければならない問題と、介入を控えるべき問題の境界線をどこに求めるか。この点について考えるとき、考慮されるべきは、介入の必要性、介入することによって確保される利益と、法が家庭内に介入することによるプライバシー侵害の程度、代替手段の存否、これらを総合的に勘案する必要があろう。法令で家庭内のケースを規律するということであれば、法執行機関が家庭内に入ることは必然であり、それが許されるのはどのような場合に限られるかということが問題となる。 提案者によると、今回の条例案は、子供のいる家庭内での喫煙者の心構えを説いた「理念条例」にすぎないとのことであり、罰則は規定されていないので、公権力が家庭内に介入することは考えられない。しかし、都民ファーストの会によると今後、罰則規定の追加もあるとのことなので、この問題はあらかじめしっかりと検討しておくべきであろう。ましてや、この条例案と同じ趣旨の豊島区案では、家庭内違反行為を他人が公権力に通報できるという条項まで置かれていた。 日本国憲法は、他人の法的保護に値する権利利益を侵害しない限り、個人の私事に関する自己決定権を保障している。子供はこの権利を十分に行使できないからこそ、大人が子供に十全の保護を与える必要がある。この憲法上の枠組みを所与の前提として、子供の受動喫煙防止策や一般的受動喫煙防止策を検討すべきである。現下の受動喫煙防止の主張は、この大前提を踏まえたものとなっているだろうか。たままき・ひろみつ 東海大学名誉教授。昭和27年生まれ。上智大大学院法学研究科修士課程法律学専攻修了。東海大法学部助教授、同教授などを経て現職。専門は行政法。神奈川県たばこ対策推進検討会座長を務める。

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    都条例など生ぬるい! 実は120年前に「未成年者禁煙法」があった

    薗潤(日本タバコフリー学会代表理事、医師) 受動喫煙によって年間1万5000人の死亡をはじめとする命にかかわる健康被害が明らかになっている現在、「何人たりとも受動喫煙で死なせない」という大原則を忘れてはならない。子供だけでなく大人を含めた全ての人を守る「分煙を認めず」「例外なし」で「罰則(過料)付き」の受動喫煙条例や法律の制定が絶対に必要である。 「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」(以下、条例と略)が「万人に対して受動喫煙を防止する法律や条例」の上乗せとして、特に自らの意思で受動喫煙を避けることが不可能な子供を特別に保護するという趣旨なら理解できる。しかし、大人をも守る包括的な「都民を受動喫煙から守る条例」が制定されないのであれば、本条例は子供を隠れ蓑(みの)にした弥縫(びほう)策との誹(そし)りを免れないであろう。本文と画像は関係ありません 子供は心身ともに健やかに成長する権利を有しているが、その権利を大きく侵害するのが児童虐待であり、児童虐待は犯罪である。虐待を受けた児童には、たばこの火の押し付けによるやけどの跡がよく見られるが、そもそも子供を受動喫煙に曝(さら)すこと自体が児童虐待であるという認識が必要である。 乳幼児突然死症候群の三大リスクの一つに、受動喫煙が挙げられていることは言うまでもない。米国小児科学雑誌に掲載された論文では、受動喫煙に曝された子供の尿中からは、高濃度のコチニン(ニコチンの代謝物)が検出されている。また寒冷地では、特に冬場に窓を閉め切った自家用自動車に子供を乗せる機会も多く、保護者の車内喫煙による子供の歯肉の着色変化も観察されている。 大気汚染で悪名高い微粒子物質PM2.5の環境基準濃度は35μg/m3であるが、窓を閉めた車内での喫煙では1000μg/m3を超えることがあることも証明されている。 2015年から英国のイングランド・ウェールズ地方では、18歳未満の同乗者がいる車内で喫煙すれば、罰金50ポンド(約7500円)が科せられているという。この措置がなされた背景には、英国医師会の強い働きかけがあったと聞いている。今回の条例提出には、同様に東京都医師会や弁護士の強い働きかけがあったと推測する。子供の権利を守る専門職からの条例提案を、議会が重く受け止め、条例が成立・実施されることを希望する。明治時代の「喫煙禁止法」 条例第8条は、子供が同乗している自動車内における喫煙の制限(禁止)を規定している。将来は英国に倣い、子供が同乗している車内での喫煙に対しては、行政罰で裁判の不要な過料を科すのが望ましい。私的空間に対する行政の介入ではないかとの批判は当たらない。自家用車内は私的空間だが可視化されており、特段の監視装置がなくても、子供の同乗や車内の喫煙行為の有無を目視できる。子供が受動喫煙に限らず体罰を受けていることが確認されれば、行政が介入するのは当然である。 条例第6条が規定している家庭等における受動喫煙防止については、家庭の中まで行政が監視することは実際には困難だ。しかし、第8条に子供が同乗している車内での喫煙禁止の規定がある事が、保護者の意識改革を促し、ひいては家庭内での受動喫煙防止にもつながると確信する。 条例第7条の受動喫煙防止措置がなされていない飲食店・ゲームセンター・カラオケボックスへの子供の立ち入り禁止は、保護者に対する注意喚起にとどまらず、各店舗の完全禁煙化に拍車がかかるものと期待できる。また、コンビニ等の入り口周辺の受動喫煙対策も規定すべきであろう。画像と本文は関係ありません 条例第9条の公園等受動喫煙防止規定も、公園や広場のベンチが喫煙者に占領され、受動喫煙被害を受けずに公園を利用することが困難な現状を考えれば当を得たものである。特に児童が多く利用する児童遊園においては、喫煙を禁止すべきである。第10条の学校・福祉施設周辺、第11条の小児科医療施設周辺の路上での受動喫煙防止について、第11条では7m以内と具体的規定があるが、第10条でも同様の規定をするべきである。スポーツクラブ指導者などの学校利用者が、近隣路上で喫煙し、苦情が来ても具体的規定が無いと注意できないからである。 また、第9・10・11条は、わざわざ分ける意味はなく、児童を含む不特定人々が利用する施設の周囲10メートル以内は一律禁煙とし、第8条の自動車内での規定と共に、罰則付きとすべきである。 日本には、1900(明治33)年に施行された未成年者喫煙禁止法があり、120年以上前に、世界に先駆けて未成年を喫煙の害から守ろうと提案した衆院議員、根本正らの慧眼(けいがん)と功績は特筆に値する。第1条で「満20年に至らざる者は煙草を喫することを得ず」と規定し、続く条文で違反した親権者や代理監督者・販売者に対する罰則を定めている。当時は、受動喫煙の危険性については全く知られていなかったため、受動喫煙防止の条文は見当たらない。国でも法改正を しかし、現在では受動喫煙の主な発生源の副流煙には、主流煙よりもはるかに多い有害物質が含まれており、PM2.5も危険域に達することは医学的には常識である。未成年者を喫煙の害から守るという本法律の趣旨にのっとり、「喫煙の定義に受動喫煙を含む」とすれば、法律により未成年者を受動喫煙から守る事ができる。 東京都の条例成立を機に、国でも未成年者を受動喫煙から守るべく、未成年者喫煙禁止法の改正と活用を要望する。 なお、民法で成人の定義が18歳以上に最近改正されたが、この法律は独自に年齢を定めているので、影響を受けない。 この条例は、対象を子供に限定することにより、受動喫煙被害は子供だけの問題ではないという真実が伝えられない危険性を有している。屈強な大人であっても、受動喫煙で命を奪われる。受動喫煙被害の深刻さを理解していない大人も、平気で完全禁煙でない飲食店を利用している現状がある。完全禁煙でない職場で働く人々、例えば飲食店の従業員や受動喫煙対策がなされていない会社の従業員など、概して弱い立場の人々も、全く守ることができない。厚生労働省研究班の調査でも、日本で毎年1万5000人の非喫煙者が受動喫煙で死亡していると推計しており、人々に対する受動喫煙の暴力性・危険性は、すでに医学的には明白であるからこそ、法律や条例で人々を守る必要がある。堺市役所本館11階の議会フロアにある喫煙室 「分煙」や「喫煙室設置」は、受動喫煙被害の深刻さを認識できていない人たちや、弱い立場の従業員が職場で受動喫煙被害を強いられる現状の容認・放置に他ならない。きれいな空気を呼吸し健康を享受することは「基本的人権」であり、職場における回避不可能な受動喫煙被害は「人権侵害」である。罰則付きの法制化は「何人たりとも受動喫煙で死なせない」「職場での受動喫煙被害から全ての労働者を守る」という大原則の実効性担保に、絶対必要である。 「分煙」を推進したものの、受動喫煙防止ができないことが判明し、完全禁煙となったスペインの例がある。「分煙」を認める事は、日本が世界保健機関世界保健機関(WHO)の「たばこ規制枠組み条約」FCTC批准国でありながら、五輪・パラリンピックを前にしても誠実に履行できない国として、世界から厳しい批判を受けることになると思われる。 したがって、本条例とは別に東京都が作る受動喫煙防止条例は、本来なら国が作るべき「分煙を認めず」「例外なし」で「罰則規定付き」の受動喫煙防止法同様、2020年の五輪・パラリンピック開催都市としてふさわしいものでなければならない。

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    猪瀬直樹元側近が読み解く「小池劇場」終わりの始まり

    広野真嗣(ジャーナリスト) 今年最大の政治決戦、東京都議選で小池百合子知事が代表を務める都民ファーストの会が大勝し、議会の刷新を掲げる小池氏を支持する勢力が過半数を獲得した。 政策が評価され、都政のチェックや決定を委ねる人物として適した者が選ばれたのであれば違和感はない。だが、この大差がついた原因は、国政における自民党のオウンゴールである。 「現状へのノー」という表現といえばそれまでだが、今回は「安倍内閣にノー」の表明であり、都政とはかけ離れたものさしで投じられた選択だったという点は記憶しておきたい。 都議会において刷新を唱える小池系勢力が主導権を握れば、当然ながら善かれ悪しかれ今後、政治的な対立や混乱が予想される。今回、とりわけ不安要素に見えるのは、3年後には東京五輪が控えている現実があるからだ。主催都市である東京都には、対立をもてあそんでいるような時間的余裕がほとんど残されていない。すでに時間を空費してきたからだ。 最大の懸案となっていた市場移転問題で、小池知事は告示直前の6月20日、「豊洲移転+築地再開発」の方針を発表した。小池百合子都知事=7月2日、東京都新宿区(納冨康撮影) 築地が所在する中央区のまちづくりを知悉(ちしつ)している吉田不曇副区長は歓迎しつつ、心中穏やかではない。「豊洲移転の決定を高く評価します。しかし、都心と湾岸エリアを結ぶ環状2号整備だけでなく、五輪開催時の輸送計画の策定など急いでやらなければいけないことがいくつもある」 環状2号線は市場移転後、築地跡地を通って選手村(晴海)と新国立競技場(新宿区)などがある都心を結ぶ幹線道路。市場の移転延期で、築地を前後する約500メートルの地下トンネル部分の工事が中断していた。すでに五輪に間に合わなくなった地下トンネルは先送りし、地上部の暫定道路で対応する方針が今回、確定した。 道路だけではない。築地跡地には選手・関係者向けバス1000台などを収容する仮設の巨大車両輸送拠点が整備される。その整備に1年を、アスベスト対策が必要になる築地の解体工事には1年半をそれぞれ要する。20年7月の五輪に向け3年と迫る中、インフラ整備の日程に、もはや「遊び」は存在しない。 小池氏は移転時期の目標を来年5月としているが、再び築地残留の「夢」を抱いてしまった約500の仲卸業者の心情を、もういちど移転に向けて動かすことができるのか。もう時間は無駄にできない 過去を「断罪」した小池都政10カ月の間に、都庁で長く移転に携わった幹部の多くは市場の職場を去っている。政治家自らが足を運び、汗かく努力を重ねなければ信頼は得られないだろう。築地市場の関係者に頭を下げる小池百合子東京都知事 =6月17日、東京・築地(桐山弘太撮影) 築地からの移転をよしとしない者が現れれば、五輪の足かせとなりかねない。小池知事はもちろん、都民ファーストの会の都議たちも「なったばかりでわからない」とは言っていられない。待ったなしなのだ。 ハード整備の遅れよりも深刻なのは、五輪時の交通・輸送計画をどうするか、全く見えていないことだ。 例えば環状2号を東京湾側に抜けていくと、バレーボール(有明アリーナ)、体操(有明体操競技場)、テニス(有明テニスの森)、自転車競技(有明BMXコース)など人気種目の会場が集積し、プレスセンターとなる東京ビッグサイトもある。 観客の大半を占める日本の地方からの来場者がこれらのエリアにどうアクセスする想像してみればよい。 迷路のような東京駅に降り、困り果てた高齢の観客をどう誘導するのか。仮にそういう人たちがタクシーに流れれば、環状2号や晴海通りは目詰まりを起こし、選手が試合開始に間に合わない事態すら引き起こしかねない。 りんかい線(東京臨海高速鉄道)やJR京葉線といった公共交通網を最大限活用するのは当然としても、出勤ラッシュやテロ対策と合わせ、安全を確保した計画づくりは一刻を争う。 五輪後を見据えた小池都政も気になる。小池氏の発表によると築地の跡地は「5年をめどに再開発」との方針だ。 豊洲整備の借金(都市場会計が発行する企業債)残高3500億円は、4000億円超の築地跡地の売却益を充てる予定だった。この借金は20年から26年にかけて順次返済予定で、ピークの25年には1322億円を返済しなければならない。築地を売却しない以上、新たに一般会計で借り換える。すなわち新たな都債を発行する可能性が高い。当然だが、一般会計で新たに発生する金利負担は「小池裁定」によって新たに生じる税の支出となるのだ。 「改革派」を演出するためなのか施設の見直しにご執心だった小池知事だが、もはや「見直し」の段階はとうに過ぎ、計画を「詰める」リーダーシップこそ求められている。 逆に都議会はその準備に抜け穴がないか、超党派で徹底的にチェックしなければいけない。第一党を失った自民党も、もはや品のないヤジや、ファクトを問わない嫌みな質疑をしている時間はない。平慶翔氏の「疑惑」 安倍政権を一気にぐらつかせたのは、安倍チルドレンとして当選2回、豊田真由子代議士の「暴言」報道、そして安倍氏が後継候補の一人と重用してきた稲田朋美防衛相の「失言」だった。だが、今回大量当選した「小池チルドレン」にもすでに兆候はあった。 投開票3日前の6月29日、自民党都連の「司令塔」である下村博文会長に、加計側からの違法献金疑惑という特大の「文春砲」が放たれた。自民党へのトドメの一撃だった。 即座に開いた記者会見で全面否定し「反撃」に出た下村氏は、昨年8月に下村事務所を退職した元秘書、平慶翔氏からの情報流出の可能性に触れた。平氏は、おひざ元の板橋区で敵対する都民ファーストの会から当選を果たした人物である。 「流出源」の可能性に挙げる根拠として下村氏は、事務所在職中、紛失騒ぎがあった職場のパソコンを持ち出したほか、約30万円と少ないとはいえ事務所費用を詐取した人物であったこと。その事実を認める内容の「上申書」に署名して退職に至ったことを挙げた。 これに対して平氏は同日深夜のニコファーレでの演説会で、デジタルデータの流出をさせた事実を否定した上で、署名も「私の字ではない」と述べた。都民ファーストの会代表として候補の過去を問われた小池氏は30日の定例会見で「知りませんよ」とはぐらかしたが、有権者に対してそれで政治家の説明責任が果たされたか。「都民ファーストの会」平慶翔候補(右)と姉で女優の平愛梨=6月4日、東京都板橋区(大西正純撮影) 昨年8月の平氏の退職直後、板橋区内のすし店で送別会が開かれている。筆者は出席した下村後援会幹部を取材したが、退職の理由について「兵庫の実家の父親の仕事を手伝いに帰る」との本人の説明をきいた人物が複数人いる。また「皆にはそう話したが、実は東京の大手デベロッパーに就職する予定です」と述べるのを聞いた者もいた。平氏にインタビューでこの点を聞くと「私がそう話したことはない」と答え、退職の理由については小池氏に感化されたことが退職の直接の引き金になったと述べた。       これまでは過去の知事や都議を糾弾することで人気を得てきた小池氏。現職知事として問われ始めているように、党代表としても、自らの言動と組織を率いる責任を問われる局面に入った。都民ファーストの「選良たち」も今後、小池知事の「ご意向」と都民の目線の間で自らの独立した政治判断が問われる。 権力は知事にもドンにも集中させるべきではない。相互に知事と議会チェックしあう緊張関係こそが、われわれ有権者にとって最もメリットを生み出す構造なのだから。

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    「うっかり1票、がっかり4年」小池バブルはどうせ弾ける

    執行機関の知事と対峙していくスタンスが求められる。 都議会は知事の追認機関であってはならない。これは地方自治の大原則である。地方自治を支える「車の両輪」として、都議会は都知事と抑制緊張関係を保ちながら、予算や施策を監視する責任がある。 この春の都議会で、石原都政で展開された豊洲市場の土地購入、移転の経緯を28人の証人喚問までしてつぶさに調べ上げた。その結果、その不透明ぶりも浮き彫りになり、小池氏はそれを長年にわたって知事与党だった自民、公明両党が、チェック機能を十分果たしてこなかった証左と強く批判した。そのことを今回の選挙で小池新党も強く批判し、その改革姿勢に多くの都民が支持した。「会派あって議会なし」 しかしこの先、批判の図式は小池氏にも向くのではないか。小池氏は知事だが、地域政党の党首であり、東京五輪を主催する最高責任者でもある。この「3つの役回り」を一人でこなすのは容易でない。筆者が思うに最低2人の知事は必要だろう。だとすれば、小池氏は地域政党の党首を辞任した方がいい。 というのも、この先の都政運営で一番懸念されるのは、今回の選挙で大量議席を得た「都民ファーストの会」が小池氏の子飼いの集団に過ぎないからだ。どう考えても小池知事の方針に追従する性格が強い。その集団が「判断は知事の方針に従う」というのなら、議会本来の役割を果たせるのか大いに疑問である。 執行機関の知事は、議決機関である議会と権力分立の観点からも意図して分離する選択をすべきではないだろうか。でなければ、行政は大きく歪む可能性がある。東京都議会本会議=3月30日、都庁(酒巻俊介撮影) 一つ間違うと「会派あって議会なし」、小池派と非小池派という分断された都議会となりかねない。行き過ぎた政党政治の考え方を都政に持ち込むと、「知事独裁体制」に突き進んでしまう。予算編成権を独占する知事だけに、その地位を利用して都民ファーストの公約を中心とする「予算重点化」を図る可能性がある。多くの有権者はそんな事は期待していない。あくまで公正中立な都政運営に期待を寄せている。 筆者は以前、iRONNAで「都民ファースト=小池百合子」、ただしそれは「きれいな包装紙に包まれたお中元のようなもの」だと指摘した。封を開けてみるまで中身は分からない。新党に期待するという意味では、筆者も多くの有権者と同じだが、過去の新党ブームは選挙が終わると萎(しぼ)み、4年後には消え去るという苦い経験があるので人一倍注意深くみている。というのも、都民ファーストという新党も、そのメンバーをみると、売りは新人の「小池塾出身者」とは言うが、半数以上は既成政党からの移籍組、今回そのままでは落選可能性が予想された面々が多いことだ。 「玉石混交」といっては失礼かもしれないが、都議選への緊急避難、駆け込みで集まったメンバーが相当数いる。志がないとまで言わないが、どうも「選挙ファースト」の色彩が強い点が気になる。元民進系、元自民系、元みんな系といった移籍組がズラリと顔をそろえる。彼らは選挙前に移籍の理由をいろいろ弁明していたが、本音は小池ブーム(風)に乗っかりたかっただけである。首尾よく当選したので、それで目的を果たしたことになるのかもしれない。 国政で日本維新の会から渡辺喜美氏(元みんなの党主)が離党し、民進党から長島昭久氏が離党し、自民党からも若狭勝氏が離党し、みんなが小池新党の選挙応援に入った。こうした動きがこの先、都民ファーストが国政政党を目指す際の牽引力になると想定される。ただ、「4種混合」の政党では一つの会派を維持することが当然難しくなる。4つのグループに分断され、バラバラの行動をする中小会派にもなりかねない。都議選から2年経ち、折り返しに入ると次の都議選に目が向く。すると、また当選第一主義の動きが出て分裂、移籍が始まる。都民ファーストもそうならないとは限らない。混声合唱団まがいの都民ファースト 昔から選挙目当てで寄ってくる集団を「選挙互助会」と呼ぶ。新味があるとすれば、小池塾の出身には期待できる。選挙前から小池氏もここを売りに「素晴らしい人たち」「専門家の集まり」と宣伝していたので、そこは額面通り受け止めたい。 ただ小池氏と同じように、メディアファースト志向が強い点がどうも気になる。テレビ映りだけを気にして行動する。都政に役立つ仕事ができるのか、この先はチェックしたい。ただ、こうした新党なりブームで当選した新人に危惧されるのは、いま自民党2回生議員を中心に起きている、いわゆる「安倍チルドレン」の相次ぐ不祥事だ。 名前はいちいち挙げないが、この人たちが最初に当選したのは2012年の解散総選挙である。民主党(当時)から自民党が政権を奪回したあの選挙で、大量の新人議員が「安倍ブーム」の中で当選した。これら新人議員の誕生に共通して言えるのは、特定の政治思想や政治家に強く感銘を受けて議員を志したというより、むしろ特定の権力者が自分や所属する党会派の勢力を拡大するために大量の新人を立候補させる必要があったということである。つまり、たとえ「粗製乱造」であっても、頭数を必要としてやむなく公認した人たちも相当含まれているという事実だ。 当選確実の報道を受け千代田区の石川雅己区長に譲り受けていた緑色のネクタイを返却する「都民ファーストの会」の樋口高顕氏(左)=7月2日、東京都千代田区(松本健吾撮影) では、都民ファーストの会はどうか。新人議員を多数誕生させる必要があるときには、じっくり人物を見極める暇などなく、粗製乱造がどうしても避けられない面がある。今後、国政の前例のような問題が都議会で起こらないか。もちろん起こらないよう望むが、果たしてどうだろうか。それは小池都政の今後に暗い影を落とすことになろう。とはいえ、「小池チルドレン」は大量当選した。どんな新機軸を打ち出し、都議会を、そして都政をどう変えて行くのか、「うっかり1票、がっかり4年」という言葉が都政史にはある。都議選が終わり、新しい時代の都政へ新たな扉が開かれることを期待したい。