検索ワード:メディア/604件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    また首相「口撃」、総務省接待の核心を突けない反権力な人たちへ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 総務省幹部への接待問題をめぐり、3月15日の参院予算委員会に東北新社の中島信也社長とNTTの澤田純社長が参考人として出席した。 総務省は中央省庁再編で自治省、郵政省、総務庁が統合して2001年に誕生した。総務省の不祥事を伝える報道では、かんぽ生命問題の処分内容を日本郵政の鈴木康雄上級副社長(当時)に漏らしたことで、19年に鈴木茂樹前事務次官が事実上更迭されたことが記憶に新しい。なぜ、処分内容を事務次官がリークしたのか。 小泉政権で郵政民営化が実現したが、民主党政権になって事実上の「再国有化」になってしまった。本来は完全民営化で、国は保有する旧郵政グループの政府保有株を全部売却することを目指していた。しかし、民主党政権時代の法改正で、その株式売却が「義務」から「努力義務」にされたことで、今も国が旧郵政グループの最大の株主のままである。 この経済的な「癒着」は、さらに人事上の癒着を生んだ。先の日本郵政側の鈴木氏は元総務省の事務次官である。つまり、典型的な天下りだ。郵政民営化の再推進と同時に、天下り規制の厳格化が必要だろう。 では、今回の問題はどうだろうか。やはり総務省の裁量権が注目されている。通信・放送に関する許認可の裁量が大きすぎることが問題だ、と評論家の原英史氏や嘉悦大教授の高橋洋一氏らは厳しく指摘している。 特に電波の割り当てが今回の問題の背景にもある。東北新社が放送法の外資規制に違反しているにもかかわらず、衛星放送事業に認定を受けた問題は注目された点だった。なぜなら東北新社側は国会で「総務省の担当部署と面談し、報告した」と発言している。事実であるなら総務省側の瑕疵(かし)だが、接待問題以外でも、両者の日ごろからのなれ合いが「見逃し」に至った可能性がある。 日本郵政へのリーク問題を思い出してほしい。総務省は自らの裁量権の大きさに安住し、規制される側は普段からの「交流」で安閑としていたのだろうか。ここはぜひ、事実の解明をしてほしいところだ。また、国家公務員倫理規定違反の疑いのある接待については、もちろん東北新社やNTTは真摯(しんし)に反省するべきだろう。参院予算委員会で答弁する参考人のNTT澤田純社長(右)左は菅義偉首相、武田良太総務相ら=2021年3月15日、参院第1委員会室(春名中撮影) 国会の論戦では、一貫して野党は菅義偉(すが・よしひで)首相の長男をクローズアップすることに躍起である。3月15日の参院予算委員会で立憲民主党の福山哲郎幹事長は「本当はコロナのことをやりたくていっぱい準備してたんです。東日本大震災から10年だからエネルギーのこともやりたくて、すごい準備してたんです。こんな(接待)問題起こるからできないじゃないですか!…コロナついてお伺いします」と首相への質問で声を荒らげたが、さすがに問題を矮小(わいしょう)化しすぎている。 また、国家公務員倫理規定を破ったとなれば問題だが、両社長への質問を見ていると、お茶や食事をするだけでも「接待」という言葉で疑惑をかきたてるような雰囲気が作られている。続く「政治ショー」 違法性の根拠を示すよりも単に「国民の疑惑」をたきつけるという、森友・加計学園問題などでおなじみの手法である。むしろ、本丸は総務省の許認可の在り方だと思うのだが、なかなかそこにまで議論がいかない。あくまで「政治ショー」だ。 もし、この程度ならば、福山氏が自ら認めているようにエネルギー問題や新型コロナ対策により時間をかけるべきだった。相変わらずのテレビのニュース番組やワイドショーウケを狙う、多くの野党の姿にはあきれるしかない。 ただし、与党、自民党には、より根源的な問題がある。総務省の放送・通信の裁量権を減らすためには、競争入札方式で最も高い価格を提示した事業者に周波数を一定期間与える「周波数オークション(電波オークション)」の導入が望ましい。 実は、民主党政権の時代に周波数オークションの導入が閣議決定された。しかし、自民党政権になってから「資金力のある者が周波数を独占する」という理由で廃案となった。(参照:経済学者の安田洋祐氏のブログ)。国民の利益をよそに、民主党政権は郵政利権を、自民党は放送・通信利権を守ろうとしたわけである。 今回の問題でもそうだが、公務員の不祥事が出てくると、なぜか決まって内閣人事局が批判される。内閣人事局があるせいで官僚が政府に忖度(そんたく)し、問題が起こるというのである。高橋氏が適切に指摘しているようにそもそも内閣人事局が官僚の特権を規制するために存在していることを無視した暴論ではないか。内閣人事局を批判したい官僚側の理屈をマスコミ、野党、それに薄っぺらい反権力志向の人たち(≒ワイドショー民)が無思考で「相乗り」しているのだろう。 できれば官僚組織の利権の温床を明るみに出してほしいが、世論調査を見ると、どうも世論は明後日の方向に関心がいっているようだ。毎日新聞の世論調査では、なんと約半数の人が、菅首相の長男の接待について、首相に責任があると思っているという。これではまるで悪しき連帯責任であり、良識ある意見とはいえない。総務省の外観=東京都千代田区 ただ、ニュース番組やワイドショーを見ていると、そのような意見を持つように国民が誘導されているのかもしれない。報道のレベルの低さは深刻だろう。報道各局には、総務省などに「接待」をしたことがないか、第三者委員会で調査をすることをおすすめしたい。身近なところで自社のワイドショーネタが発掘できるかもしれないからだ。 ところで、今回がiRONNAへの最後の寄稿になる。iRONNA自体が3月末で終了するからだ。とても残念である。iRONNAに最初に寄稿したのは、2014年12月25日「社会の分断を深めない政治を」が初めてだった。その後、「田中秀臣の超経済学」と題して連載を担当したのが、16年3月22日の「韓国経済、『失われた20年』への招待状」からなので、かれこれ5年になる。寄稿数は今回を入れると総計259本になった。 本当に多くの読者の方々に支えられてここまで続けることができました。最後に心から感謝します。ありがとうございました。

  • Thumbnail

    記事

    震災時の報道でバッシング受けた福島・双葉病院 事実無根だった

    患者の救出状況について「病院関係者は1人も残っていなかった」と置き去りにしたかのような発表を行ない、メディアがそれを一斉に報じた。 しかし、真実は違った。電気も水道もストップし、放射線量も高いなか、鈴木市郎院長をはじめ4人のスタッフは病院に留まり、看護を続けていた。震災直後から双葉病院を取材するジャーナリストの森功氏が語る。「双葉病院がある地域は現在も帰還困難地域に指定されています。病院の敷地内は無造作に木が生い茂り雑木林のようなのに、病院内はベッドや点滴台、散乱したオムツまで震災当時のまま。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 鈴木院長は2年前にがんで亡くなられたが、病院関係者は今も事実無根の報道の影響で心ない人から時折罵詈雑言を浴びている」 震災の爪痕は、かたちとして残っているものだけではない。関連記事■反原発のカリスマ・小出裕章氏 京大退職後は松本で反アベ活動■宮城県女川町の「命の防災無線」 呼び掛けた女性職員は保育士に■「原発近くの双葉病院が患者放置」は完全に誤報と院長が反論■陸前高田の“一本松” 松ぼっくりから800個の種取れ芽育つ

  • Thumbnail

    テーマ

    「女性蔑視」森喜朗辞任騒動のわだかまり

    森喜朗氏の「女性蔑視」発言による東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長辞任を受け、橋本聖子五輪相が新会長に決まった。首相経験もある森氏の発言への批判は当然だが、撤回や謝罪を経ても収まらなかったバッシングの嵐も異様だ。時代錯誤な政界重鎮と不寛容社会。わだかまりの残る森氏辞任騒動の根本を考える。

  • Thumbnail

    記事

    YouTubeは「都落ち」にあらず、大物芸人らが変える主戦場の今

    ーブをやるのはダサい」という空気があった。プロの芸人の主戦場はライブとテレビであり、それ以外のネットメディアなどは格が低いものと見られていた。 ライブでは生身の観客から笑いをもぎ取る。テレビはそもそも出ること自体が1つのステータスであり、そこでは歴戦の実力派芸人によるハイレベルな掛け合いが繰り広げられている。 そのような「戦場」に比べると、一般人でも気軽に参入できるユーチューブは、プロの芸人にとっては格下のメディアだと思われていた。そのため、そこで必死になるのはみっともないという漠然としたイメージがあった。 だが、今ではそのように考える芸人はほとんどいないだろう。潮目が変わったきっかけは、2018年にキングコングの梶原雄太が「カジサック」としてユーチューブチャンネルを始めたことだ。「2019年の年末までに登録者数が100万人に達しなかったら芸人を引退する」と宣言して、不退転の覚悟を示した。 ユーチューブを片手間で始める芸人も多かった中で、梶原は本気で取り組み、密度の濃い動画を配信し続けた。努力のかいあって19年には登録者数が100万人を突破して、現在では人気ユーチューバーの地位を確立している。 梶原のような名の知れた芸人がユーチューブで結果を出したことで、芸人がユーチューブに参入する動きが活発になった。梶原に触発されてオリエンタルラジオの中田敦彦が19年に始めた「中田敦彦のYouTube大学」は、本稿執筆時点で登録者数337万人を超えており、芸人ユーチューバーの中ではトップクラスの人気を誇っている。 2020年には大物芸人の参入も相次いだ。雨上がり決死隊の宮迫博之、ロンドンブーツ1号2号、東野幸治、とんねるずの石橋貴明など、テレビで冠番組を持つようなレベルの大物らが、続々とユーチューブの世界に足を踏み入れて話題をさらっていった。インタビューを受けるカジサック(キングコング・梶原雄太)=2019年4月、大阪市中央区の吉本興業本社 芸人の立場から見ると、ユーチューブはテレビよりも企画の自由度が高く、やりたいことをそのままの形でやることができる。さらに、ある程度の再生回数を獲得すれば、テレビに劣らないほどの収入を得ることもできる。大物芸人が本気で取り組む価値のあるメディアだと認識されるようになったのだ。視聴率調査も変化 さらに、2020年には中田と宮迫が「Win Win Wiiin(ウィンウィンウィーン)」というトークバラエティー番組をユーチューブで立ち上げた。企業がスポンサーとして制作費を出しているというのが画期的だった。 同番組ではテレビと同じように豪華なセットを作り込み、ゲストからテレビでは聞けない本音を引き出していく。初回のゲストとしてジャニーズ事務所を辞めて独立したばかりの手越祐也が出演したことも話題になった。 「テレビ番組のようなクオリティーの高いユーチューブ番組」を作るというのは、特筆すべき新しい動きである。今後、このような番組が増えれば、ユーチューブとテレビの間の壁は、ますます薄くなっていくだろう。 ユーチューブの世界は芸人の本格参入で盛り上がっているが、テレビも負けてはいない。昨年のテレビバラエティー界は、新型コロナウイルスの流行で一時的に大打撃を受けたが、明るい話題もあった。若い世代向けのお笑い番組がどんどん増えてきたことだ。 その理由は、世帯ごとに視聴された割合を表す「世帯視聴率」重視から、実際に視聴した人数をもとに表す「個人視聴率」重視にテレビ局がかじを切ったからだ。簡単に言うと、中高年向けの番組よりも若い世代に向けた番組を作るべきだということになった。こうして若者向けのコンテンツとしてお笑い番組が再評価されるようになり、その手の企画が増えた。 この流れの先陣を切ったのが、昨年4月にレギュラー番組化した「有吉の壁」(日本テレビ系)である。この番組がゴールデンタイムという「一等地」で大成功を収めたことに触発されて、お笑い番組が一気に増えた。 特に注目されているのが、芸人が持ちネタを披露する、いわゆる「ネタ番組」である。「ザ・ベストワン」(TBS系)、「NETA FESTIVAL JAPAN」(日本テレビ系)、「ネタジェネバトル」(テレビ朝日系)、「お笑い二刀流MUSASHI」(テレビ朝日系)、「千鳥のクセがスゴいネタGP」(フジテレビ系)などが各局で放送されるようになった。 1組ずつ芸人が舞台に立つ形式のネタ番組は、感染リスクが低いためコロナ時代にふさわしい。実力派のベテランから第七世代のフレッシュな若手まで、幅広い層の芸人が出てくるのも魅力的である。オリエンタルラジオの中田敦彦と藤森慎吾=2017年12月、東京都品川区の大井競馬場(奈良武撮影) ユーチューブが盛り上がる一方、テレビの笑いも新たな盛り上がりを見せており、2021年もこの傾向は続くだろう。新型コロナ終息のきざしはまだ見えないが、お笑い界の未来は決して暗くはない。

  • Thumbnail

    記事

    「リバイアサン」トランプを生んだスティーブン・バノンの次なる野望

    きなステージまで組まれていた。日本で行われるデモの中では大がかりな規模である。だが、このデモは日本のメディアはほぼ全くと言っていいほど報じることはなかった。 日本語で報道したのは、反中国共産党の宗教団体が運営する「大紀元」や、その信者ないしシンパによって運営されているという『新唐人テレビ(NTDTV)』、『看中国(ビジョンタイムズ)』といったいくつかのニュースサイトなどだ。 それらのニュースサイトは、どこか発音がぎこちない日本語の吹き替えと字幕がついた動画を日本人視聴者向けに提供している。そして、もう一つのニュースサイトが『Gニュース』である。媒体名につけられた「G」は、2014年に米国へ亡命した中国の実業家、郭文貴(グオ・ウェングイ)の名前の「GUO」から付けられている。 新中国連邦は、その郭が立ち上げた政治団体だ。そして、その仕掛け人は、トランプを大統領に導いた立役者といわれる、元大統領首席戦略官のスティーブン・バノンである。 メキシコ国境の壁建設を目的としたクラウドファンディングにおいて、多額の募金を私的流用したとしてバノンは逮捕されたが、トランプの次に中国へさまざまな仕掛けを行っているのがこの郭と新中国連邦である。 ちなみにバノンが逮捕されたのは、この郭が所有する、約30億円という価格がつけられた超高級ヨットの船上であった。東京都内で講演するスティーブン・バノン氏(岡田美月撮影) また、先日米国に事実上亡命した中国人女性科学者の閻麗夢(イェン・リームン)によって新型コロナウイルスは中国の武漢の実験室で作られたという科学論文が発表されたが、これもこのバノン、郭の2人の企てに間違いはないだろう。香港大でウイルス研究をしていたと称するイェンは、もともと米国の保守系メディアなどで「新型コロナウイルスは中国が意図的につくりだしたものだ」という説を唱えた。 そしてそれを根拠として、新中国連邦のデモでも聞かれたように新型コロナウイルスはバイオ兵器であるとの説が米国で流布された。日本でも、ネットではこの情報がいくつか見受けられた。 しかし、この主張には科学的根拠がないと医・科学者からの指摘が多数あり、当初はうさんくさい陰謀論の類いだった。それからしばらくたって、イェンが科学的な証拠を出すと言って出てきたのがその論文だった。 これがどのように評価されたかといえば、結果は散々なものだった。ゲノム科学の専門家である東海大医学部の中川草氏は、ハフィントンポストのインタビューに答え、この論文を一般科学論文の体裁も満たしていない「荒唐無稽」な論文と切り捨てている。 世界のメディアも、おおよそこの論文には懐疑的だ。例えば英国の公共放送BBCではこの論文のファクトチェックを行い、「ウイルス研究者以外からはもっともらしく見える論文かもしれないが、論証に耐えうるようなものではない」というコロンビア大のウイルス研究学のアンジェラ・ラスムッセン博士のコメントを出している。他にも、疫学者や細菌病の権威の学者から「査読されたものではない」「実証されたとはいえない」などのコメントを紹介している。ブライトバートニュースの興隆 そして中川氏によると、この論文の所属団体が研究機関ではなく、政治団体になっている部分も奇妙であるとのことだ。所属団体名には、ニューヨークの『法治財団(Rule of Law Foundatino)』と記載されている。この財団のウェブサイトを見に行くと、そこには郭の顔写真がスライド画像のトップに現れた。 これを見るに、郭の自己顕示欲のすさまじさに辟易(へきえき)させられる。ニューヨークのセントラルパークに面する超一等地には郭の高級マンションがあり、15の部屋と7つのベッドルーム、8つのトイレがある。この超高級マンションの価格は、本人の言うところによると87億円だ。 彼が発信するユーチューブの動画は、そこで収録されている。他にもロンドンや香港に、そのような豪邸があると彼は公言する。さらにはプライベートジェットとヨットを持ち、そのヨットの上から中国共産党を非難する動画が次々と収録されている。ただし、その映像は逆光だったり船上のノイズが混じっていて、とても視聴に耐え得るものではないときもある。 かつて中国共産党に深く関与した政商だった郭は母国にて巨大な資産を築くも、それが権力闘争に巻き込まれたらしく汚職などの嫌疑をかけられて失脚。資産を海外に持ち出したが、中国国内の資産は凍結されてしまった上に、政府により指名手配の身となっている。 郭は逮捕を避けて米国に逃亡すると、そこから今度は中国共産党の内部事情やスキャンダルを暴露し始めた。『爆料革命』(「爆料」とは日本語の「暴露」や「スキャンダル」の意)と自ら呼ぶこの暴露は、どれもショッキングなものばかりだ。 例えば元国家主席である江沢民の長男の臓器移植手術の際に、強制的に臓器摘出された人がおり、その犠牲者は5人にのぼるだとか、その江沢民一族は海外に1兆ドルの資産を隠していると真偽不明な内容を暴露をしている。 ほかにも有名な中国の女性芸能人が国家主席である習近平派の中央政治局常務委員に性的な接待をしているだとか、行方不明で墜落認定されたマレーシア航空370便墜落事故は江沢民の長男の臓器移植関係者を殺すために墜落させられた政治的暗殺事件だというものまである。 これらはどこまで信じていいのか分からない。反中国の宗教団体のメディアで、普段は真偽定かならぬ中国情報を扱うことも多い「大紀元」でさえ、郭の「爆料」は過激で信ぴょう性が疑われるものが多いと評したことがあるぐらいだ。 しかし、情報というものは政治的な目的があるかぎりは、必ずしも事実でなくともよいと考える人もいる。ちなみに、それはプロパガンダと呼ばれる。そしてその情報は荒唐無稽でスキャンダラスなものであればあるほど、人の無意識に入り込む。 プロパガンダというものは、「この情報はプロパガンダである」というメタ情報をどこか感じさせる方がウソの共犯関係が結ばれて、より効果的であるという。そしてその共犯関係にこそ、政治的な目的があるのだ。 4年前のトランプの大統領選挙勝利に極めて強い影響力を与えたニュースサイト、『ブライトバートニュース』はまさにそれにあてはまる。このサイトはもともと、ユダヤ系米国人のアンドリュー・ブライトバートがオーナーだった。その思想は極右であり、最初のブライトバートニュースは日本でもよく見かける記事引用型の素人ニュースサイトだったらしい。 そこでは不確かな情報と陰謀論が渦巻き、米国のリベラルを徹底的に攻撃し続けていた。やり玉に挙がるのは不法移民や人種的マイノリティー、フェミニスト、イスラム教、グローバリズム、そして民主党だ。とりわけ前大統領のバラク・オバマと元国務長官のヒラリー・クリントンは徹底的なターゲットとなった。かつてスティーブン・バノンが運営していたブライトバートニュースのホームページ そしてこの単なる巨大で過激な差別的ニュースまとめサイトに巨大な影響力を、とりわけ「オルタナ右翼(新右翼)」と呼ばれるネット発差別主義者たちの公然のプラットホームにしたのが、バノンなのである。 バノンが主演するドキュメンタリー映画に『アメリカン・ダーマ(American Dharma)』というものがある。日本ではほとんど紹介されていないが、映画評論家の柳下毅一郎氏が唯一取り上げている。 この映画は、かつて映画プロデューサーであったバノンが数々の米国の名作映画とともに自身を語っていくというドキュメンタリーである。本作で彼の映画論とともに語られるエピソードの数々は、なかなかに興味深い。 そして、バノンが『レーガンの戦争』というドキュメンタリー映画を撮ったときのことだ。「西洋の自由は脆(もろ)く、西部劇のように悪と戦うことで守られる。そうして男は英雄になっていく」と、そのような思想の中でロナルド・レーガンを語る本作が映画祭で上映された際に、そこに現れたのがブライトバートだった。スティーブン・バノンが見いだしたもの 彼はバノンを見つけると、大きなクマのような体で抱きしめて映画を称賛したという。そしてバノンがゴールドマン・サックス出身の投資家でもあることを知ったブライトバートは、自分のサイトをビジネスにできないかと相談を持ちかけた。自宅の地下室で運営されていたブライトバートニュースは、そこからウェブメディアとして大きくなっていった。 しかし、その成功をブライトバートが喜ぶことはできなかった。彼はバノンとの協業を始めてすぐに心臓発作を起こし、亡くなってしまった。バノンはその後、ブライトバートニュースの最高責任者となる。 バノンは労働者階級のカトリックの家に生まれ、大学を出ると米海軍の士官を務めた。海軍に勤めながら大学院に通ったのだが、当時の海軍の同僚は、それは並大抵の努力でできることではないと証言している。 やがて海軍を離れ、ハーバード大のビジネススクールを卒業する。このときには既に30歳を過ぎていたというから、かなりの遅咲きの金融界入りだ。年齢がネックとなったもののゴールドマンサックスに入社し、メディア関係の投資業務で活躍した。 その後独立すると、香港でIGE社(インターネット・ゲーミング・エンターテインメント)を共同で運営する。これは『ワールド・オブ・ウォークラフト』という多人数参加ゲーム内の通貨を、売買するための市場を運営する会社だった。 香港の九龍の雑居ビルの一室にアルバイトを集めてゲーム内の武器を収集し、これを売買する。ウォールストリートの投資家は早いうちから仮想通貨のコンセプトを考えていたが、それがゲーム内で誕生したわけである。ゲームの中では総額100億ドルの取引が行われていたとバノンは証言する。 そして彼は、そこで一つ学んだことがあるという。それは架空のゲームの中でキャラクターになりきる人たちのことだ。ゲームの中ではそれぞれがコミュニケーションを行い、コミュニティーを作っていた。それぞれが知らない者同士が知り合い、本人とは違うキャラクターを作り出す。 そこにいるプレーヤーたちは、実際に生きている人間とは別のキャラクターとして現実社会よりも生き生きとしている。バノンのその学びは、ブライトバートニュースに生かされることになった。 人間には「現実に生きる存在」とは違う、「もう一人の人間の存在」がいることを、そしてそれこそが彼らが最も望んでいた自己像でもあったことをバノンは知ったのだ。 ブライトバートニュースのコアコンピタンス(他社にない自社の強み)は「ニュース」ではなく、「コメント欄」なのだとバノンは言う。「コメント欄」に人が集まり、コミュニティーを作る。そこから何かが起き、もう一人の自分たちがコミュニティーで活動する。この過程を経ることで、ブライトバートニュースは政治的な力を持つようになった。そこでは抑圧されていた「米国の無意識」が解放された。 しかし、バノンはそれを「無意識」とは表現せず、ジョン・フォードの映画を引き合いに出し、「デジタルの世界は『荒野の決闘』のような米国の理想郷を作り出した」と表現し、善と悪の戦いを通じて、人格を磨いていくということを訴えた。 「オルタナ右翼の本質とは、傷ついた男のイド(本能的衝動の源泉)と攻撃性がからみあって転がり続ける回転草だ」とはジョシュア・グリーンの言葉だ。彼は伝記『バノン悪魔の取引:トランプを大統領にした男の危険な野望』を書いたジャーナリストである。 そしてそのコミュニティーに飛び込んできた人物こそ、不動産王でリアリティーショーのホストで全米で人気を博したトランプだった。人々の持つ無意識が攻撃衝動とともに解放されたのが昨今のトランプ現象の本質であり、トランプのパワーの源泉はここにあるのだ。2016年2月1日 米大統領選 米アイオワ州で妻と共に支持を訴える共和党のドナルド・トランプ氏(ゲッティ=共同) リアリティーショーというのは、フィクションと現実の境界線にあることを売りにした独特な映像作品である。ゆえにそれが現実であってもいけないし、だからといって必ずしもウソではない。「これはウソである」というメタファー(暗喩)のメッセージがここには仕込まれている。ただ、そんな虚(うつ)ろさがかえって視聴者には「リアル」に見える。 トランプが虚構的な存在だということは、先日のニューヨークタイムズの記事でも分かる。記事によればトランプは、不動産王としてビジネスの成功者としてふるまっているが実際のビジネスは火の車であり、この十何年間で成功したのはリアリティー番組『アプレンティス』のロイヤルティーが最大のもので、あとは損失を生み出すばかりだった。 脱税のテクニックに至っては芸術の域までに高められ、所得税は15年間で10回払っておらず、直近の大統領になってからの納税額もわずか750ドル(約7万9千円)。これが真実ならば、日本の年収300万円程度の人たちが払う納税額と同等の金額だ。大統領選候補である民主党のジョー・バイデンは「学校の教師より税金を払っていない」とあげつらった。失脚してもなお戦う かつてウオーターゲート事件に関わったことがある元検察官のニック・アッカーマンは、米ニュースチャンネルCNNのインタビューで、「トランプが再選しなかった場合、脱税により懲役刑を受けることは疑問の余地はない」と述べた。トランプの娘であるイバンカもその可能性は高いそうだ。 けれども、トランプの支持者にとってはそれでいいのだ。トランプが本当に成功者であったなら、かえって彼らのコミュニティーで祭り上げる対象として居心地が悪いのである。 トランプがウソつきでどうしょうもない自己顕示欲の塊のような人物だからこそ、彼らにとって親近感がある。トランプは米国のネット社会にて奔流している無意識の中のアンチヒーローなのだ。 エスタブリッシュメント(既得権益層)に支配された現実に、トランプは虚構の世界から現れたアンチヒーローゆえ彼らは素直にトランプに魅力を感じる。「腐敗している? だからなんだ。不動産屋などそんなもんだろう」とバノンはほえる。いくらトランプが虚構と言っても、支持者にとっては無駄なのである。 しかし、そのカラクリを知っているバノンが今度はトランプに放擲(ほうてき)されてしまうのだから皮肉である。先に述べた『アメリカン・ダーマ』では、シェイクスピアの『ヘンリー4世』を原作とした1965年のコメディー映画『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』が引き合いに出されている。 この映画は、放蕩(ほうとう)の限りを尽くした強欲で狡猾(こうこつ)な悪漢フォルスタッフの物語だ。彼は共に悪事を尽くした王子ハルがヘンリー5世として即位すると、その後に追放、投獄されてしまう。 バノンも大統領としてトランプを生み出したところで、今度は穏健な外交政策を志向する娘婿と対立。そしてホワイトハウスの最高顧問の座から投げ出されてしまう。そればかりかインタビュー中にトランプの親族を批判したことからその逆鱗(げきりん)に触れ、トランプ支持者であるブライトバートニュースの大口出資者により社の最高責任者の地位を解任されてしまう。 だが、バノンはこんなことで消えていく人間ではない。困難に立ち向かうことは男の在り方で、それが「米国の生きる法」(アメリカンダルマ)だとする男だ。ちなみに「ダルマ」というのはサンスクリット語であり、仏教では「宇宙の法則」と「秩序」を意味する。そして人が生きる意味は、その「法」と「秩序」の中にあるとバノンは主張する。ただ、それは必ずしも主人公の幸福を意味しない。 バノンが『アメリカン・ダーマ』のインタビュー中で取り上げている映画は、そのようなストーリーばかりである。グレゴリー・ペッグ主演の『頭上の敵機』、ジョン・フォード監督作品でジョン・ウェイン主演の『荒野の決闘』や『リバティ・バランスを射った男』など、どれも困難な闘いにあくまでも力で闘う作品だ。その方法は荒っぽく、秩序を乱すことも厭(いと)わない。それぞれが自分たちの信じるもののためには、自分自身を自己犠牲にしながら最後には消えていく。その姿には、米国の根底にあるプラグマティズムの思想が垣間見える。東京都内で講演するスティーブン・バノン氏(岡田美月撮影) そしてバノンの人生はまだ終わっていない。彼が見いだしたのは、トランプに代わる人物だった。億万長者で自己顕示欲のエネルギーに満ちあふれ、そして舌先三寸のウソすらも個性の一つとなった男。詐欺師やウソつきだろうとかまわない、その人物こそ、郭だった。なお郭は「中国共産党は人権を無視し、人間性を損ない、民主主義を蹂躙し、法による政治に背を向け、公約違反、香港殺戮、チベット人虐殺、腐敗輸出、世界に危害を加えるといった非人道的な行為を行うという暴政を行っている」と主張している。 新中国連邦が設立宣言をした6月4日は中国で天安門事件の起きた日である。そして、その日発表された「新中国連邦宣言」をネット上で高らかに読み上げたのは、郝(かく)海東である。この名前に見覚えがあるサッカーファンもいるだろう。彼は元中国代表のフォワードで、代表キャップは115試合、得点は41点を記録し、アジアを代表するフォワード選手の一人だった。日本で言えば三浦知良や中田英寿と同じくらいの、中国随一の有名選手である。その人物がなぜか、郭の新中国連邦に参加しているのだ。 新型コロナウイルスは中国共産党のバイオテロであるという女性科学者や、元中国代表の世界的なサッカー選手、ウソかまことか定かならぬスキャンダル、日本のみならず世界中で行われた新中国連邦のデモ。そしてニューヨークの上空には、突然「新中国連邦成立おめでとう」という垂れ幕をつけた飛行機が飛びまわった。これら次々と繰り出す奇策を、私はなんと形容していいか分からない。太古からある反抗の病理 サバンナには、「ラーテル」というイタチ科の動物がいる。日本だとミツアナグマ、米国ではハニーバジャーと呼ばれるこの動物を、バノンはよく引き合いに出してくる。体長は60~70センチ程度で、見た目は愛嬌(あいきょう)があってかわいらしく見えなくもない。 だが、この小さな哺乳動物はサバンナ最強の動物と呼ばれている。狙った獲物は猛毒のコブラだろうとかまわず、食らいついたら離さない。皮膚は独特な弾力性があり、ライオンのような猛獣の牙にもダメージを受けない。危機になると、スカンクのように強烈な匂いを放出して、襲い掛かる獣を追い払う。 このタフな小さな猛獣こそが、バノンの生きざまだというわけだ。「どこかで爆発や火事が起きたら、近くにはスティーブンがマッチを手にして立っているかも」と、ブライトバートニュースで彼と共に働いたスタッフは言う。 オバマはアラブ人だとか、原爆の放射線は日本人の健康に寄与したという無根拠な主張、米国を操っているのはディープステートという組織で、その一員であるヒラリー・クリントンはワシントンのピザ屋の児童買春に関わっているといったデマの数々を、ブライトバートニュースは発信し続けてきた。 そして米国のネット匿名掲示板の差別主義者のアイドルに祭り上げられたマット・ヒュリーのキャラクター「カエルのペペ」が、なぜか香港では自由をめぐる闘いの象徴となり、ユダヤ人がつくったフレッドペリーのブランドは白人至上主義者の「プラウド・ボーイズ」の御用達ブランドになった。ブライトバートニュースは、そのような虚構と憎悪が暗黒の渦の中でぐるぐると回っている。 最近になりオンライン百科事典ウィキペディアの英語版は、英国のタブロイド紙デイリー・メールに続きブライトバートニュースを信用できないニュースソースとして情報掲載すること禁じた。 猛獣ラーテルの分泌液を吹きかけられると、臭いの強烈さに顔をそむけているしかない。それこそが、彼らにとってチャンスなのだ。ダークサイドには真実や事実は必要ない。「バノンにとって真実であること、正確であることは最優先事項ではなかった。事の真実より、物語の真実の方が彼にとって重要だった」と、ブライトバートニュースの元ライターは言う。 どうということはない。バノンが言う反エスタブリッシュメント革命とはそんなものだ。それはフィクショナルであるがゆえに、人間の本性に語りかける。 このような米国で起きている事態を「反知性主義」と言う人がいる。しかし、反知性とは知能的に劣っているとか、知性がないというような単純な話ではない。米国が建国の頃から持つ、エスタブリッシュメントへの反抗の病理なのだ。白人至上主義集会で衝突 米バージニア州シャーロッツビルで、ヘルメット姿の白人至上主義者ら(手前)と衝突する反対派(上塚真由撮影) バノンが郭のニュースサイトに深く関わっていることは一目瞭然だ。そこが提供する動画ニュースアプリ、といっても郭の中国共産党批判の演説がそのコンテンツの大半なのだが、G-TVのAPPストアのレビューを見ると、ほとんどが星5つである。どう考えても、アプリのクオリティーからすればヤラセのレビューである。 数少ない低評価のレビューを見ると「アプリ内のコインがお金と同じに使えると言われていたのに、絵文字以外に何も使い道がない」というクレームで、その次には「G-TVの未公開株や仮想通貨は詐欺だと訴えている。郭は国際金融詐欺師で、中国共産党批判は初めからお金を人からだまし取るための手段だ」と書いてある。 そしてこれ以外は星5つで、アプリへの絶賛評価と郭への感謝のレビューが延々と続く。G-TVのアプリの怪しげな課金システムや、国境の壁のクラウドファンディング詐欺事件も、どのようにバノンと関わっているのか、まだ分からない。 また、女性科学者のイェンが唱えた新型コロナウイルス陰謀論は公式ツイッターからフェイクニュースととがめられ、本人のアカウントは停止となった。これを郭らは中国政府の差し金だと主張するが、そんなことが本当にあり得るのだろうか。もっとも、彼らがこのようなファクトチェックに屈することはないだろう。 魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが跋扈(ばっこ)する、米国のネット世界で繰り広げられるアンチヒーローたちの闘いはまだ始まったばかりである。終わりのない彼らの闘いを、私はこれからも注視していこうと思っている。(文中一部敬称略)

  • Thumbnail

    記事

    警戒すべき「反ガースー」勢力が仕掛けるニセ対立軸のワナ

    も強調した。 このような菅氏のアベノミクスの路線を継承し、さらに発展させていこうとする姿勢は、海外のメディアは中心的なメッセージとして伝えたが、国内ではそのような報道姿勢は少数である。むしろ消費税というニセの対立軸に加えて、今度は「官邸主導の官僚コントロールの弊害」を打ち出した。自民党新総裁に選出された菅義偉氏が映し出された街頭の大型画面を見つめる人たち=2020年9月14日、埼玉県川口市(内田優作撮影) これも単に常識的な知識が欠如でもしないかぎり騙されることはないのだが、それでもあたかも官僚は政権の決定とは違うことができる自由意志を持ち、それが望ましいとする「雰囲気」を前提にしたテレビなどの報道が盛んになった。政策がまだ決定されていない過程では、官僚の異論は議論を活発化させるためにも必要だろう。だが、政策が決定してからの官僚の異論(≒「自由な発言」)は単に政策の実行を妨害するノイズでしかない。総裁選で「予行演習」 いずれにせよ、自民党総裁選で、マスコミが争点化しようとしていた、消費税や官邸主導という点への注目は、一見すると「菅vs石破(あるいは岸田)」という対立軸だけのように思えるかもしれない。 しかし、実際には、マスコミはこのニセの対立軸を使って、近々の総選挙におけるニセの対立軸づくりも見据えている。つまり自公政権と野党を比較して、「緊縮(与党)vs反緊縮(野党)」、あるいは「自由に発言できない官僚(与党)vs自由に発言できる官僚(野党)」というイメージづくりの「予行演習」として、今回の総裁選を利用したと言えるだろう。 このマスコミが作り出すニセの対立軸に乗ることは、本連載の読者の皆さんはないだろうが、それでもワイドショー民は踊らされるに違いない。その数が少ないことを信じるしかない。 私見では、与党の中でまともな経済政策を実現できる可能性がある政治家は菅氏以外に当面いない。他の人材では、リフレ政策への理解が乏しいか、あっても政治的な実力が伴わない。 野党に至っては、それに期待することはよほどの夢想家でないかぎり現実的な選択肢ではない。改名しても立憲民主党などは、毎回、選挙のたびに消費減税を発言するが、結局は民主党政権のときからの「再分配優先で、経済成長は二の次」路線である。 ただ、総選挙がどうなるかはまったく分からない。政治的あるいは世論から見て「勝利」しないと、菅政権はただちに不安定化する可能性がある。それはよほど強度の(反ガースー的な)政治的イデオロギーに染まっているか、無知でないかぎり、日本の社会や経済の不安定化と同じであることは自明である。総裁に選出され会見する自民党の菅義偉総裁=2020年9月14日、東京都千代田区の自民党本部(桐山弘太撮影) なお「ガースー」は、菅氏が公認したニックネームであり、今後たまに論説でも使いたい。

  • Thumbnail

    記事

    「ベテラン斬り」コロナを言い訳にできないテレビ界の黄昏

    片岡亮(ジャーナリスト) 「小倉智昭“勇退”で『とくダネ!』が来年3月終了」。7月末、このようなタイトルの記事が『週刊文春』に掲載された。 記事には、1999年4月から始まったフジテレビ系平日朝の情報番組『とくダネ!』の2021年3月終了が決まり、司会を務めるタレントの小倉智昭にも7月上旬に伝えられたとしている。 さらにその背景として、新型コロナウイルスの影響で広告収入が減ったフジが制作費を削減するため、出演者に高額なギャラを支払っている番組の見直しを迫られていることを挙げている。『とくダネ!』に先立ち、安藤優子がキャスターを務める午後の情報番組『直撃LIVE グッディ!』の9月終了も決定したという。 筆者がスタッフに聞いたところ、記事掲載前に飛び交っていたのは、「文春に記事が出るらしいけど、どんな内容だろうね」という話だった。つまり、現場サイドでは、小倉の降板話が出ていなかったということになる。ただし、読んでみた感想は少し期待外れだったという。 「『文春砲』のことだから、もう少し突っ込んだ内幕が出ているのかと思ったので」 スタッフがそう言うのも、コストカットに伴う高額タレントのリストラは新型コロナウイルスの感染拡大前から、フジに限らず各テレビ局の課題となってきたからだ。 小倉に対しても、昨年末に「東京五輪のキャスターを花道に退くかもしれない」という話がささやかれていた。五輪延期で白紙になったものの、「小倉さんの勇退自体は既定路線ですから。その先の、僕ら現場の知らないところで上層部が決めた具体的な最新情報が記事にあるのかと思った」と先のスタッフが言う。キャスターの安藤優子=2015年3月(小倉元司撮影) 近年、各局は既に経費削減に関して、かなり努力を続けている。各番組ごとに出していた取材も、映像素材を共有化することで取材班を縮小したり、編集責任者であるデスクに複数番組をまとめて担当させている。 ただ、その中で高額なギャラの芸能人をリストラするのは、最もハードルが高い。毎度話題にはなっても実際に決断されないことも多く、かなり詳細な話でなければ、スタッフ間では「またか」との感想を抱きがちなのである。高報酬もらえない「お決まり」 テレビ界で、ベテラン芸能人やキャスターが視聴率に見合わなくても高額ギャラをキープできる理由がある。基本「ギャラ相場」は上げることはあっても下げることがないのが、業界の不文律だからだ。そして、一度定まった相場は、各局で密かに情報交換され、足並みを揃える習慣もある。 「ギャラの管理は番組ではなく、経理が行いますからね。番組で初めて起用するタレントには、タレント側の芸能プロダクションよりも、まず経理に『過去いくらでした?』と聞くか、他局にいる知人に教えてもらうので、自然と相場が出来上がるようになるんです」と、あるバラエティ番組のプロデューサーも習慣の存在を裏付ける。 実は、この慣習こそ「日本型雇用」の代名詞である終身雇用や年功序列からきているものでもある。成果を出す若手社員がいても、それに見合う報酬はすぐには得られず、いわゆる「後払い」要素が強い。人事評価にもキャリアが含まれていて、長期間務めてきた人の報酬アップが優先される。 テレビ界でもこれに近いものがある。若いタレントにどれほど人気が出ても、すぐには高報酬を得られないのが芸能界の「お決まり」であった。 つまり、「若手時代では安い給料に見合わない仕事量でも、長くこなせるようになれば、将来報われる」という日本の一般社会と同様の概念がある。小倉は「絶対に局側から辞めてくれとは言えない方」と断言する『とくダネ!』の元ディレクターが理由を次のように説明している。 「とくダネは現在の情報番組の基本スタイルを作った草分け的存在で、それまでビッグニュースを1時間かけてやっていたのを、ネタを細かく分けて矢継ぎ早に放送する画期的な手法で視聴率を伸ばしたんです。今では他局の情報番組もこぞって真似するようになり、それは当時のスタッフ全員の功績でもありますが、その方向性で司会をこなしてくれた小倉さんも当然大きな功労者です。大幅な経費削減の役目を担った宮内正喜前社長は、『局員の給与を見直す』とまで公言しましたが、あの方でさえ小倉さんの肩は叩けなかった」タレントの小倉智昭=2017年12月 ただ、一般社会では近年、長期雇用に対する信頼性が崩れ、若い人材が「10年先には報われる」などという気の遠い目標に我慢できなくなってきている。企業でも、スピードアップした成果主義により、即戦力になるなら新入社員でも高く買った方が得だという考え方が増えている。そうでもしなければ、優秀な人材を確保できなくなるからだ。 これはテレビ局にも同じことがいえる。ベテランタレントの多くが一定の視聴率こそ取れていても、高額のギャラに見合うとは必ずしも言えず、過去から積み重なった「功労金」込みとなっている芸能人が大半だ。それにベテランに頼りきりでは、番組は若い人気タレントの確保に遅れをとってしまう。「お役御免」 日本のテレビ局は基本、放送法や電波法などによる免許制の下で「電波利権」が守られ、大きな収益が保証されてきた。だから、割高に思えるギャラであっても許されてきたわけだ。 ところが、インターネットの普及という時代の波にテレビも押され始め、ついには広告費もネットに首位を明け渡すほどのビジネスモデルの変化をもたらし、新型コロナ禍がダメを押した格好だ。背に腹はかえられなくなった各局も、どこかで区切りを付けることを余儀なくされている。 7月末、タレントの上沼恵美子が放送25年を迎えたばかりの長寿番組『快傑!えみちゃんねる』を放り投げるように突然終わらせてしまったのも、例外ではなかったといえるだろう。 一部では、他の出演者とのトラブルが原因のように伝えられているが、筆者が関係者から聞いた話では「番組の将来についての話を切り出したところ、上沼さんの逆鱗に触れた」というものだった。この先、番組の終了やリニューアルにあたって何らかの提案をしたが受け入れてもらえず、「だったらすぐ辞める」となってしまったのではないか。 安藤も5年前に夕方の報道番組『スーパーニュース』の終了が取り沙汰された際、経費削減のあおりを受けて「BS番組に移るらしい」などという噂が立った。このときは、さすがにフジ報道の功労者だったこともあり、新番組『グッディ!』へのスライドにとどまった。 これは報道に限らず、あらゆるジャンルの番組で見られる傾向だ。お笑い芸人やジャニーズアイドルでも、ギャラの適正化を促すように「高いベテラン」より「若いタレント」を起用する話があちこちで聞かれるようになった。安藤にしても「お役御免」の判断を下されたというより、方向性の変化といえる。ABCラジオ「上沼恵美子のこころ晴天」の放送を終え、車で朝日放送を出るタレントの上沼恵美子=2020年7月27日 約2年前、筆者が『グッディ!』に出演した際に目の当たりにしたのは、安藤の「番組采配」の妙だ。台本に頼ることなく臨機応変に進める姿に、さすが33年にわたってフジの報道・情報番組で一線を張ってきた凄みを感じた。このように、ベテランタレントのスキルには他に代えがたいものがあるから、ギャラなどの条件さえ合えば、活躍の場はあるだろう。 ただ、テレビ界では、ギャラをいきなり半額に値下げして交渉するような習慣がないため、下手をすると突然画面から消えて、一切姿を見なくなることもある。最近は大手プロダクションから独立して個人事務所を設立する芸能人も増えているだけに、直接的な条件交渉の方がやりやすいタレントなら生き残れるかもしれない。 それも無理なら、ネット番組やユーチューブで最後の勝負に出るということもあるだろう。ただ、ネット番組はテレビと違って成果主義の傾向がより強いため、プライドの高い芸能人ほど勝負するには勇気が必要になることを忘れてはならない。

  • Thumbnail

    記事

    周庭氏の逮捕でも日本メディアの「中国幻想」は消えないらしい

    るだろう。注意しなければいけないのは、国安法の適用は海外で活動している他国民にも及ぶことだ。 特に、メディア関係者や言論人に危害が及ぶ可能性がある。危害の可能性があること自体、海外メディアや言論を委縮させる効果につながる。中国の狙いが世界のマスコミへの牽制(けんせい)であることは疑いない。米中対立の狭間で ジャーナリストの福島香織氏は自身のツイッターでこの点を的確に指摘している。 中共の恫喝の相手は私たちメディアだということだ。外国記者たちは今後、香港の市民からコメントをとることすら、ブレーキがかかる。取材を受けたことを扇動罪とすることは、外国メディアに対する恫喝だ。中国や香港のメディアだけでなく、外国メディアもコントロールしようということだ。 そして、今回の周氏らの逮捕は、米中対立の高まりを受けた対応でもあるだろう。トランプ政権は、今月7日に林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官を含む香港政府高官や中国共産党幹部ら11人が米国内に有する資産凍結と米国人との取引を禁止する制裁対象に指定した。これに対して、中国側も米上院議員や国際人権団体代表ら11人を制裁対象にしたと発表した。 周氏の自宅周辺に警察関係者と思しき連中が姿を見せたタイミングと符合もしている。郵便学者で国際的なプロパガンダ(国家利益のための情報利用)にも詳しい内藤陽介氏がブログで指摘しているように、周氏らの逮捕はまさにこの米国に対する報復の延長線にあるのだろう。 さらにトランプ政権は、台湾にアザー厚生長官を派遣した。米閣僚の訪台は6年ぶりとなる。 新型コロナウイルスの抑制で目覚ましい実績を挙げている台湾との情報交換が表向きの理由である。だが、もちろん米国側には、南シナ海や尖閣諸島、そして台湾に対して軍事的脅威を強めている中国への牽制が思惑にあることは明白である。 中国側も、共産党系メディアなどを通じて、米国への批判をエスカレートさせ、中国空軍も台湾空域に侵入して威嚇を行っている。もちろん尖閣諸島への連日の中国の侵入行為や、これから懸念される中国の民間漁船を利用した「違法操業カード」も忘れてはならない。台湾総統府で会談する蔡英文総統(右)とアザー米厚生長官(左)=2020年8月10日(台湾総統府提供・共同) 全ては連動しているのだ。香港、台湾、尖閣がバラバラに進行しているのではない。また、周氏らの逮捕は香港の言論弾圧だけではなく、福島氏の指摘のように海外メディアの報道の自由を危うくさせる手段でもあるのだ。 ところが、ここで驚くべき認識に遭遇した。10日夜のテレビ朝日系『報道ステーション』で、アザー長官と蔡総統との会談を報じたときのことだ。 米中の緊張の高まりを報じる映像の後で、レギュラーコメンテーターがまず「台湾に自粛を求めたい」と発言したのである。すぐに付け足すように「米中台の自粛」と言っていたが、「台湾への自粛」を求める発言が優先して飛び出すことに、筆者は何より驚いた。本当に恐ろしい「懐疑的無差別」 このような「自粛」発言こそが、中国政府が最も外国メディアに求めている姿勢だろう。また『報ステ』にも、先述のように台湾、香港、そして尖閣問題が全て連動していること、それだけではなく、中国の対外工作がいよいよ過激化していることに対する問題意識が希薄なことは明らかだ。 現在、インターネット上では「#FreeAgnes」のハッシュタグをつけた抗議活動が盛り上がっている。もちろん抗議はどんどん行うべきだろう。 だが、他方でそのハッシュタグ運動を進めている日本国内の「リベラル」言論人の多くに対しては、何とも薄っぺらい気がしてならない。その「リベラル仕草」とでもいうべき人たちは、中国政府がわれわれと同じ価値観や政治観に立脚していると思っているからだ。 中には「大国」としての自覚を中国政府に求めている「リベラル」系識者もいるが、本当に愚かしいことである。中国の「大国」化は、貪欲なカネへの志向と専制的な振る舞いへの傾斜、その意味での大型化というだけだ。だから、われわれと同じ価値観における振る舞いを求めるような合理的説得は幻想でしかないのである。 これから中国政府は、対外プロパガンダ工作をさらに推し進めていくことだろう。ネット上の工作もあるだろうが、警戒すべきは官庁や大学などを通じた言論弾圧行為である。中国政府に対する批判を「差別的な行為」として自粛や禁止する動きが最も警戒される。この点については、盆休みなどを利用して、ぜひ次の書籍をまず読まれることを期待したい。 一つは、福島氏が訳した経済学者でジャーナリストの何清漣(か・せいれん)氏の『中国の大プロパガンダ』(扶桑社)だ。これには中国の対外宣伝工作の歴史と手法が詳細に綴られている。 もう一冊は、評論家の江崎道朗氏の『インテリジェンスと保守主義』(青林堂)だ。江崎氏は、インテリジェンスの重要性を強調してきたこの分野の第一人者である。本書には、対中国に関しても「戦争は宣伝戦から始まる」として、多様な視点から分析を行っている。これからの日本国内の政策を考える上で必携の書だろう。香港・九竜地区の裁判所に出廷する民主活動家、周庭氏=2020年8月5日(共同) 最近の経済学の研究では、対立する主張や、フェイクニュースの類いが出てくると、本当は正しい情報だろうがフェイクニュースだろうが、多くの人はどちらにも懐疑的になってしまうという。つまり、情報を操るプロパガンダが強まるほど、人々が真実にアクセスしづらくなる可能性が高まる。これを「懐疑的無差別」と呼んでいる。 幸いにも、中国に対する「懐疑的無差別」の状況に、日本の世論はまだ陥っていない。だが、その危険性は日増しに強まるだろう。 おそらく、これから対中国に関して、日本の言論や世論は決定的に深刻な局面を迎えるに違いない。そのときにぶれない軸を持つことが重要だ。今回挙げた福島氏や内藤氏、江崎氏らの著作や発言を参考にして、そこからさらに自分たちの目でこれからの事態を読み解いていくことを、読者の皆さんに強くお願いしたい。

  • Thumbnail

    記事

    製作者が説く!なぜ「NHKだけ映らないテレビ」は一審勝訴できたか

    掛谷英紀(筑波大システム情報系准教授) 6月26日、NHKだけ映らないテレビを自宅に設置した女性が、NHKとの受信契約の義務が存在しないことの確認を求める訴訟の判決が東京地裁であった。小川理津子裁判長は原告側の訴えを認める判決を言い渡し、インターネットを中心に大きな話題となった。このNHKだけ映らないテレビを製作したのは筆者である。 NHKだけを映らないようにする原理は単純だ。関東地方の場合、東京スカイツリーから発信される電波では、NHKのEテレが物理チャンネルの26チャンネル、NHK総合は27チャンネルが使われている。この中間である554メガヘルツにピークを持つLC共振型ノッチフィルター(特定の周波数帯域をカットする回路)を使うと、NHKの2局のみ映らないようにすることができる。電気工学を学んだことがある人間なら誰でも理解可能で、東京の秋葉原で部品を買えば自分で製作することもできる。 このフィルターを使った訴訟はこれまでも何件か行われているが、いずれもNHK側の勝訴で終わっている。筆者が知る2件のうち1件は、2015年に当時船橋市議で、現在はNHKから国民を守る党の立花孝志党首が起こした訴訟である。 これは、立花氏宅のアンテナコンセントの壁内にフィルターを埋め込む工事を行った上で「NHKに受信料を支払う義務がないことの確認を求める」債務不存在確認訴訟の形で行われた。 結果は一審、二審ともに原告が敗訴し、立花氏はその後上告せずに確定した。判決理由は「フィルターは取り外すことができるので、NHKが受信できる設備に復元可能」というものだった。 もう1件も立花氏を原告とした訴訟で、今度はフィルターを金属と接着剤でテレビに固定した形で行われた。原告側は「これならばフィルターは取り外せない」と主張したが、被告であるNHKは同じテレビを再現し、フィルターが取り外せることを示した。このNHKの主張が認められ、こちらも原告敗訴で確定している。取材に応じる「NHKから国民を守る党」の立花孝志氏=2016年7月、東京都新宿区(桐原正道撮影) 原告が勝訴した今回は、市販のテレビ内部にフィルターを埋め込んでおり、外見上は普通のテレビにしか見えない。フィルターは金属箔(はく)や金属板で電波の遮蔽(しゃへい)をした上、回路基板に樹脂で固定されており、取り外そうとすると回路基板が破壊される形になっている。「これならば、NHKが受信できるようには復元できない」というのが原告側の主張である。 これに対して被告のNHKは、同じテレビを実験的に再現し、「同軸ケーブルの芯線をむき出しにしてチューナー部に近づければ、NHKの放送が受信できる」と主張した。この訴訟の山場は、筆者が製作した原告所有のテレビとNHKが試作したテレビを並べて、原告・被告の代理人、筆者、NHKの技術者立ち会いの下で行われた実験である。 筆者が製作したテレビで、NHKが示した方法でNHKの放送を受信できないことがその場で確認された。その後、NHKは「強力なブースター(増幅器)を使えばNHKの放送を受信できる」と述べた上で、「フィルターは取り外せる」「NHKの放送を受信できなくても、民放の放送を受信できる機能があれば、受信契約を締結する義務がある」などの主張を行ったが、判決ではいずれの主張も退けられている。映らないテレビが発売されない理由 ブースターについては、その価格がテレビ本体の価格を上回ること、そしてフィルターが取り外せるとの主張については、上述の立ち会い実験で被告の試作機が原告所有のテレビを忠実に再現できていないことが示されたため、NHK側の主張に十分な信頼性がないことが、判決の理由となっている。 また、仮にフィルターが取り外せるとしても、専門知識のない原告がそれを実施するのは無理であることも判決理由として挙げられている。NHK問題について政治的な活動をしていた立花氏を原告とする訴訟と違い、原告が一般市民であったことも判決に影響している可能性はある。 当然ながら、NHKは必ず控訴してくるだろう。7月2日の定例会見で、NHKの前田晃伸(てるのぶ)会長が控訴の方針を示しており、争いは最高裁まで続くものと予想される。もし、原告が最高裁で勝訴すれば「NHKだけ映らないテレビを量産して、ひともうけしたい」と思っている人もいるかもしれない。けれども、現実はそう甘くはない。 そもそも、技術的にはNHKだけ映らないテレビを製作するのは簡単である。では、なぜテレビメーカーはそれをしないのか。それは、NHKがテレビ放送に関する大量の特許を取得しているからだ。特許情報のデータベース「特許情報プラットフォーム」(J-PlatPat)で検索すると、デジタル放送に関するNHKの特許は出願で1千件以上、権利化されたもので100件以上ある。 NHKによるものだけでなく、各家電メーカー所有のものも含めてテレビに関する特許は、電波産業会(ARIB)必須特許ライセンスや、4K、8Kなどの超高精細テレビ(UHDTV)に必須な特許ライセンスとして、「アルダージ」という特許権プールの会社により管理されている。この特許権プールがNHKの特許を含む以上、NHKだけが映らないテレビで特許使用が認められることはまずありえない。 したがって、NHKだけ映らないテレビを手に入れるには、この訴訟の原告宅のテレビのように、市販のテレビを改造するしかない。しかし、それでは手間がかかる上に技術力も要求されるため、量産して多くの人に届けるのは現実的には難しいだろう。ゆえに今後最高裁で原告が勝利したとしても、NHKだけ映らないテレビがすぐ手に入るようになるとは考えにくい。 ただ、ホテルのように非常に高額な受信料を支払っているケースでは、ある程度の金額を投資してもNHKだけ受信できない設備への更新を図る経済的合理性はあるだろう。 なお、筆者自身、この訴訟の上級審で原告勝訴が確定したらやりたいと思っていることが一つある。それは子供のいる貧困家庭に、NHKだけ映らないテレビを配ることだ。一時期、NHKが子供の貧困を番組で盛んに取り上げていたことがあった。後にその番組中で過度な演出があったことが明らかになったが、そこまでして子供の貧困問題を訴えたい意思があるわりに、NHKの受信料制度は貧困家庭に対して冷たい。NHKの外観=東京都渋谷区(三尾郁恵撮影) NHKの受信料は、生活保護受給世帯など、ごく一部の世帯に対しては減免規定があるが、子供のいる市町村民税非課税世帯のような低所得世帯でも、他の人と同額を支払わなければならない。自ら子供の貧困問題を緩和する手立てがあっても、それには全く手を付けていないのである。 貧しい家の子供であっても、暴力的な受信料徴収におびえずに『アンパンマン』や『ドラえもん』、『ちびまる子ちゃん』を楽しめる社会の実現のために、筆者は今後も全力で闘い続けたいと思っている。

  • Thumbnail

    記事

    レジ袋有料化、官僚とメディアがつくり出す「反理想郷」

    ないだろうか。一例を挙げるなら、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリ氏だ。 彼女のことも日本のメディアでほとんど話題にならなくなった。一つには、環境活動家たちの多くが夢想している人為的な経済活動の抑制によって、実に厳しい生活の困難を引き起こすことが明らかになったからだ。 また、経済活動の強制的な自粛からくる精神的・肉体的なストレスも半端ではなく、そのことが世界の人たちに実感として認識されたからだろう。環境への配慮と経済活動のトレードオフは、一歩間違えれば、現実世界のディストピア(反理想郷)、つまり地獄に陥る。 今、小泉氏がワイドショーなどで積極的に露出を展開している、日本のレジ袋有料化もこの地獄への入口の一つかもしれない。それは、先述したCMが公開された29日の閣議後の記者会見にも表れている。新型コロナウイルスの感染拡大を避けるため、国会内で屋外会見を行う小泉進次郎環境相=2020年4月(奥原慎平撮影) NHKによると、小泉氏は「海洋プラスチックごみの問題は依然として危機的で、2050年の世界の海では魚よりプラスチックごみのほうが多くなるのではないかとも言われている。なぜ有料化が必要なのかをしっかり伝えて、多くの人に納得してもらいたい」と述べたという。この問題意識を伝える役割は、任命されたプラごみゼロアンバサダーが受け持つ。 特に注目されるのが、国民的人気の高いさかなクンの発言だ。彼は25日に行われたキャンペーンの席上で、「魚に会いたくて海に潜ると、レジ袋や細かいプラスチックごみがたくさん浮かんでいるんです」と述べた。さかなクンより侮れない「力」 ただ、さかなクンの国民的人気が高いがゆえに、このような発言がそのまま真実とされてしまうのは問題がある。NHK的なら「ボーっと生きてんじゃねーよ!」といったところか。実際にすぐさま、郵便学者の内藤陽介氏がツイッター上で具体的な事実をもとに反論した。漂着プラごみの種類別割合では、重量比でレジ袋が全体の0・4%で漁網等が41・8%、容積比ではレジ袋0・3%に対して漁網等が26・2%。彼はどこの海に潜ったのか 内藤氏の方が、さかなクンの情緒に訴えるやり方に比べれば、格段に納得がいくだろう。しかし、侮れないのがメディアと官僚たちの力だ。 消費税引き上げの際もそうだが、既存メディア、とりわけテレビはなぜか増税の前には、それを引き上げる政府や官僚側のスポークスマンになることが多い。あれほど、普段では「安倍晋三首相が河井克行、案里議員夫妻を介して町議レベルまで現金を配っている」かのような印象報道を猛烈に垂れ流すのに、増税については事前では「そろそろやるよ」的な告知に成り下がっている番組が大半だ。 そして、増税した後に「税金が上がって苦しい」的なニュースを流す。日本のテレビや新聞が、いかに官僚組織の代弁者であるかがよく分かる見慣れたシーンだ。 官僚組織は、情報のリークや官製情報の解説者として、マスコミと長期的な関係を築いている。つまり、彼らは同じ「ムラ」、同じ利害関係を有する「仲間」なのである。 それでいて、たまには都合の悪い一部の仲間を切り捨てて、それをムラの外に追い出すと同時に、「スキャンダル」としてマスコミに豪華な「エサ」として売ることも忘れない。最近では、産経新聞記者、朝日新聞元記者との賭けマージャンで失職した東京高検の黒川弘務前検事長がいい例だろう。レジ袋辞退者の倍増に向けたキャンペーンの発足式で、マイバッグの活用を呼び掛けるさかなクン=2020年6月25日 このマスコミと官僚のもたれ合いは、マスコミと政治家のそれほどに国民は批判していない。実際に現在のテレビニュースのほとんどは、官公庁のホームページを見ていれば足りるレベルである。 筆者は日常的にはテレビのニュースはほとんど見ないし、日本の新聞もほとんど読まない。時事問題の解説や論考を書いているにもかかわらずである。つまり、プロフェッショナルとして使えない情報の集まりなのだ。 テレビや新聞の大半は、一次情報を加工した二次情報でしかない。そんなものを利用するよりもデータそのもの、政府などの決定そのものの一次情報にアクセスした方が正確である。「ポイント還元」と入れ替わり このテレビと新聞は二次情報の集まりである、という意見は一般には目新しいらしい。嘉悦大の高橋洋一教授が新著『「NHKと新聞」は噓ばかり』(PHP新書)で詳細に解説していることでもある。 テレビのニュース番組を見るときは、必ず映像の印象に惑わされないようにする。今回のレジ袋有料化の場合なら、それこそ海に浮かぶ大量のレジ袋でも映すかもしれない。そういう映像の作為から距離を置くことが大切だ。 だが、現実にはテレビの印象だけで、モノゴトの成否を決める人が多い。「ワイドショー民」現象と個人的に名付けているものだ。 レジ袋の有料化をめぐっては、さまざまな議論がある。私見では、「資源の枯渇」「海洋ごみ」「地球温暖化」に与える影響はほとんど無に等しい政策だと思っている。レジ袋有料化の問題点については、先の内藤氏のツイッターなどを参考にしてほしい。 筆者の専門であるマクロ経済の観点からいえば、少なくとも「今」実行する政策ではない。経済アナリストの森永康平氏も、やはりツイッターで次のようにつぶやいている。今月末でポイント還元が終わって、7月からレジ袋が有料にまだコロナの影響で経済は弱ってるのに、問答無用で全てが予定通りに進んでいくっていうね…ここから更に「コロナ税」なんてやったら、何が起きるかは言うまでもない消費オジサンはおこです 森永氏の懸念はかなり当たっているだろう。ちょうど、レジ袋有料化の開始と入れ替わりで、消費税増税に合わせて政府が導入した、キャッシュレス決済のポイント還元が終了するタイミングにある。7月1日からのレジ袋有料化を知らせるファミリーマートムスブ田町店の張り紙=2020年6月、東京都港区 この事実上の消費税の追加増税などをめぐる報道は、ワイドショー民をターゲットに「増税に慣らすこと」を、官僚側がマスコミと一緒に画策でもしているかのようである。実際レジ袋有料化とポイント還元終了について、各家計の負担を強調する報道を事前にはしていない。この点を確認するために、ここ数日の新聞とテレビの報道はチェックしたが、メディアのいつものパターンはここでも発揮されていた。 レジ袋有料化を何のために実施するのか、本当に理由が分からない。もし「理由」があるとすれば、それは家計の負担増に慣らすためのメディアと官僚の思惑かもしれない。

  • Thumbnail

    記事

    『テラハ』問題だけではない、SNSとテレビの共振が生む悪循環

    におけるSNS、リアリティー番組をめぐっては、5月末にライターの松谷(まつたに)創一郎氏がさまざまなメディアで問題点を指摘している。 松谷氏はハフィントンポスト日本版での「出演者の“人格”がコンテンツ化するリアリティ番組が生んだ悲劇」という寄稿で、まずリアリティー番組を類型化した上で、AKB48に代表されるような、必ずしもテレビ番組が中心とは限らない日本独特のリアリティーショーの系譜を的確にまとめている。とりわけ10年代におけるリアリティーショーとSNSとの「シナジー効果」は、出演者の人格(パーソナリティー)が切り売りされる「残酷ショー」としての魅力を高めるとともに、その危うさを急速に増してきたという。 私は松谷氏の指摘に全面的に同意する。リアリティーショーにおいて、出演者たちは番組がしつらえた空間に集められ、日常とは全く異なる環境でカメラが回る。たとえ台本はなくても、出演者は期待される役割を果たそうと、制作現場の空気を読んだ言動を進んで選択することもある。現実をそのまま投影しているわけではないが、だからといって虚構と割り切ることもできないという点で、リアリティー番組とSNSは極めてよく似ている。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 英国のメディア研究者でロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のニック・クドリー教授は、03年の著書『メディア儀礼(Media Ritual)』で、リアリティー番組を支えているのは、テレビの中にあるものをその範囲から欠落したもの(=日常生活)よりも優れたものとみなす価値で、参加を通じて承認を提供する形式だと指摘する。クドリー氏の「リアリティー番組」という部分を「SNS」に置き換えてみよう。 「SNSを支えているのは、インターネットの中にあるものをその範囲から欠落したもの(=日常生活)より優れたものとみなす価値で、参加を通じて承認を提供する形式である」。このようにしても、全く違和感がないことがよく分かる。批評家の宇野常寛(つねひろ)氏が現在のSNSを「1億総リアリティーショー」と表現しているのもうなずける。テレビが介入する弊害 番組制作者にとってはテレビカメラに収録されている映像こそが「図」であり、出演者のSNSは「地」の一部にすぎない。制作者にはその両者の境界が明確だが、出演者や視聴者にとっては必ずしもそうではない。出演者のSNSを目にするのは番組の視聴者ばかりではなく、まとめサイトやネットニュースがきっかけということもある。向かい合った二つの顔にも見えるし壺にも見える「ルビンの壺(つぼ)」という心理学の実験に使われる図形があるが、まさにルビンの壺のように「図」と「地」の関係は容易に反転するし、その境界は極めて曖昧なのだ。 近年、テレビ番組とSNSの間で共振する新しいリアリティーを制作者は意識的に利用してきた反面、洗剤や漂白剤に見られる注意書きではないが、「まぜるな危険!」とでもいうべき弊害について想像力を欠いていたのは明らかである。 例えば、18年の12月末にTBS系バラエティー『水曜日のダウンタウン』の番組中で放送された『テラスハウス』のパロディー企画において、あるお笑い芸人が遊園地に「収監」されるという場面が生中継されたときのことだ。番組が視聴者に深夜の来園を促したところ、警察が出動するほどの大騒動に発展した。 これが20世紀の出来事であれば、テレビの影響力の大きさを後世に伝える逸話になったかもしれないが、もちろんそういうわけではない。遊園地に押し寄せた群衆は、番組の視聴者とは限らなかったからだ。この騒動の要因として、SNSなどで情報が拡散した結果、期せずして大きな混乱が生じたのである。 さらに、SNSと共犯関係を結ぶのはリアリティー番組ばかりではない。昨今「有名税」という言葉が広く用いられているが、SNSが普及した現在では、この言葉は問題の本質をくらませてしまう恐れがある。というのも、SNSでの誹謗中傷が集中するのは有名人ばかりとは限らず、そこにテレビが一役買うことで一般人にも火の粉が降りかかることも珍しくないからだ。 例えば、ツイッターでは10年代に外食チェーンやコンビニなどの従業員による不適切な投稿が相次ぎ、たびたび社会問題化した。特に19年の2〜3月にかけては、ネットの炎上現象として、インスタグラムや動画配信アプリ「ティックトック」などに相次いで投稿された不適切動画を、テレビの情報番組が集中的に取り上げた。 食品衛生や交通法規などに関わる不祥事は多くの視聴者が関心を寄せることもあり、テレビで扱われやすい。とはいえ、問題の動画自体を繰り返し放送していることからして、「人々の関心に応える」というよりも「不快感や嫌悪感をやみくもに誘引している」と表現するのが正確かもしれない。 ネット炎上に関する調査によれば、炎上はネットの中だけで完結している現象ではないことがはっきりと裏付けられている。たとえ火種はSNSの投稿であっても、新聞やテレビが報道することによって、深刻な大炎上をもたらし、社会問題として広く認知されるようになる。 そしてマスメディアで報道されたという事実がネットニュースを介してSNSに還流し、さらに再燃していく。まさしく「火に油を注ぐ」という例えが最適だろう。SNSでの動画投稿が隆盛している近年、テレビとの共振作用はますます大きくなっている。具体的な内容については、私の別の論考を参照されたい。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 『テラスハウス』の出演者に対する目配りがなぜ行き届かなかったのか。もう一つ、別の課題を指摘しておこう。 18年11月、日本テレビ系『世界の果てまでイッテQ!』が存在しない祭りをたびたびでっち上げていたとして、やらせ疑惑が持ち上がった。このとき私がiRONNAに寄稿した論考の要点を、繰り返しになるが改めて述べておきたい。メディアが果たすべき責任 この記事では、日本のドキュメントバラエティーの系譜、もくしはリアリティー番組の先駆といえるものに焦点を当てている。日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』は、リアリティショー番組の手法として先鞭(せんべん)をつけた。TBS系『ウンナンのホントコ!』内で人気を集めた「未来日記」シリーズ、あるいはフジテレビ系『あいのり』のように、主として一般人を起用したドキュメントバラエティーも人気を博した。 これらの番組は、テレビが「やらせ」なのは当たり前だと考え、過剰な演出や不自然な演技を含めて楽しむ冷めた視聴態度を育んでいった反面、ネット上の電子掲示板などでは、テレビなんて「やらせ」だから嫌いと全面的に敵視する見方も目立つようになる。 ネットの普及に伴い、テレビに対する敵意が可視化されたことに加えて、番組に出演した一般人に加え、ロケの協力者や目撃者などによって制作の手の内がバラされやすくなったことも無視できない。 その結果、2000年代以降からバラエティー番組の中で一般人が大きな役割を担う機会は格段に減っていき、ドキュメントバラエティーもお笑い芸人を中心にキャスティングされるようになった。ドキュメンタリーとバラエティーは、芸人たちの「コミュニケーション能力」や「空気を読む力」に支えられ、より自然で安全な形で結びつくようになったわけである。 皮肉なことだが、芸人たちの空気を読む力やソツのなさが卓越しているからこそ、いつしかそれに制作者が甘えてしまい、演出という行為にはらむ危うさに対して、感性が鈍ってしまったのではないか。 バラエティー番組の演出については長年、やらせとの境界が問われてきたにもかかわらず、『イッテQ!』の場合、そうした試行錯誤の先例を踏まえることなく、芸人の器用さをあてにして危ない橋を渡ってしまったのかもしれない。 そして『テラスハウス』においても、ヒール(悪役)レスラーを本職としていた出演者に対して、同じような甘えがあったのではないかと思う。亡くなった出演者は生来の努力家で、礼儀も優しさも兼ね備えていたといった人物評も聞こえてくる。 芸人と同じように、コミュニケーション能力や空気を読む力に長け、レスラーとしてのプロ意識や向上心を備えていなければヒールを演じ切ることはできないだろう。番組の中で期待された役割を果たすため、あまりにも見事にヒールを演じすぎてしまったという見方は恐らく正しい。 だからといって、出演者としてのパフォーマンスを高く評価しても、番組制作上の構造的な課題を不問に付すことがあってはならない。特にリアリティー番組の場合、視聴者の腹立たしい感情が、制作者ではなく出演者に直接向かい、SNSでの誹謗中傷につながりやすいことは海外での先例からも明らかだった。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 繰り返しになるが、これはリアリティー番組だけの問題ではない。残念ながら、現状ではSNS上で暴走する悪意に歯止めが利かない。だからこそ、その標的になるリスクから出演者や取材対象者を守るための安全配慮義務を、全ての制作者が覚悟を持って引き受ける必要があるのである。

  • Thumbnail

    記事

    望月衣塑子記者に贈る「ダブスタ」にならないためのアドバイス

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) ツイッターの政治風刺アカウントとして有名で、筆者と同じくアイドル業界にも詳しい「全部アベのせいだBot」をフォローしていると、面白いニュースに気が付くことが多い。6月22日朝、その「全部アベのせいだBot」が東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者に関するニュースをネタに投稿していたが、とても興味深い内容だった。 それは、「東京新聞『望月衣塑子』記者の弟が “詐欺まがい” オンラインサロン会員から悲鳴」と題する『デイリー新潮』の記事だ。望月記者の実弟、龍平氏の運営する会員制サロンに関するいくつかの「疑惑」が指摘されている。 この「疑惑」の真偽について、筆者は正直なところ関心外である。ただ、記事に出てくる経済評論家の上念司氏のイラク通貨の「ディナール詐欺」についての解説は参考になるので、ぜひ熟読してほしい。一般的な意味で、オンラインサロンで蔓延(まんえん)するという「外貨詐欺」からの自己防衛として、役に立つことだろう。 実弟の「疑惑」について、望月記者は弟と連絡をとっていないとした上で「オンラインサロンについての詳しいことは分からないので、コメントは控えさせてください」と答えたと、記事は結ばれでいる。 当たり前だが、家族のことであれ誰であれ、本人が責任を負うことがない事例で、他人に批判される筋合いは全くないと筆者は思う。ただ、望月記者の今までの「記者の作法」を思えば、どうしても単純な疑問が沸いてしまう。 望月記者は安倍昭恵首相夫人について、「花見パーティーに続き、今度は山口に旅行とは。。 #安倍昭恵 夫人には誰も何も言えないのか」とツイッター上で批判していた。筆者は、昭恵夫人が新型コロナウイルスの感染拡大への警戒が強まる中で、大分に行こうが花見パーティーを開こうが、それが公益を侵すことがなければ何の関心もない。望月記者がこのような批判をするのは、昭恵夫人が「首相夫人」であることを抜きに考えることは難しいだろう。オマーンのマスカット国際空港に到着した安倍首相と昭恵夫人=2020年1月(代表撮影) 首相夫人は、政府見解では私人扱いであり、大分に行こうが花見パーティーをしようが、それは正真正銘プライベートな行為でしかない。もし、首相夫人であることが批判の資格になると望月記者が思っているならば、やはり今回の実弟の「疑惑」についても事実を明かし、積極的に答える責任があるのではないか。 別に筆者はそれを積極的に求めているわけではない。ただ、望月記者の今までの政治批判の姿勢が二重基準に陥ることがないための「アドバイス」である。「望月ポピュリズム」の独自性 ところで、筆者は望月記者の手法を、以前から「ポピュリスト的なジャーナリズム」によるものだと思っている。ポピュリストとはポピュリズムの担い手を指すが、本稿でのポピュリズムは、米ジョージア大のカス・ミュデ准教授とチリのディエゴ・ポルタレス大のクリストバル・ロビラ・カルトワッセル准教授の共著『ポピュリズム』(白水社)に基づいている。 彼らはポピュリズムを「社会が究極的に『汚れなき人民』対『腐敗したエリート』という敵対する二つの同質的な陣営に分かれると考え、政治とは人民の一般意志(ヴォロンテ・ジェネラール)の表現であるべきだと論じる、中心の薄弱なイデオロギー」と定義している。 望月記者の手法は、反安倍陣営を「汚れなき人民」とし、安倍首相や首相夫人を「腐敗したエリート」として対立させている。そして、前者こそ「人民の一般意志」であり、安倍政権のような「腐敗したエリート」を打倒すべきだと考えている。 この「望月ポピュリズム」の独自性は、安倍首相を「腐敗したエリート」に仕立てるその独特の話法に基づく。望月記者の共著『「安倍晋三」大研究』(ベストセラーズ)には、そのポピュリズム話法が全面に出ている。 その「腐敗」の象徴が、安倍首相の「嘘」だというのである。今でもインターネットや一部の識者からは、「安倍首相は嘘つきである」というどうしようもない低レベル発言を見かけるが、本著ではその首相の「嘘」を切り口にしている。 望月記者が一例で挙げるのが、首相が国会で自身を「立法府の長」と言い間違えたことだ。ただの言い間違えなのだが、それが安倍首相の代表的な「嘘」として何度も言及されている。正直、これでは中味スカスカと言っていい。参院予算委で答弁のため挙手する安倍首相=2020年6月11日 だが本著は、この「首相の嘘」をテーマにして、評論家の内田樹氏との対談にかなりの分量を割く構成となっている。また「エリート」部分では、祖父の岸信介元首相との血縁や政治的権威との関係を強調している。 要するに、「汚れなき人民」を代表して「嘘」つきの総理大臣を批判するという、どうしようもなく単純化された手法が、望月記者の手法のほぼ全てである。だが、本当に望月記者は「汚れなき人民」の代表なのだろうか。安易な二項対立の罠 そもそも、ポピュリズム的手法自体が一種の嘘っぽい単純化された対立図式である。あまり真に受けて考えるのも「イケズ」なのかもしれない。 ただ、本稿では望月記者もまた「エリート」なのだということを指摘すれば十分だろう。望月記者は、菅義偉(よしひで)官房長官の定例記者会見で執拗(しつよう)に質問を繰り返すことで著名だ。 だが、そもそもこの記者会見に出席できるのは、記者クラブという「エリート」のメンバーがほとんどである。記者クラブ以外の出席はかなり制限されている。つまりは、記者エリートの「代表」として質問しているのである。 政府の失敗を質(ただ)すことがジャーナリズムの仕事である、と単純に思い込んでいる人たちがいるのも事実だ。その思い込みが、暗黙のうちに「正義」の側にジャーナリストを立たせてしまっているのである。 いわば善と悪の対立である。悪=「嘘」をつく首相と、善=「嘘を暴く」記者たち、という安易な二項対立だ。もちろん既存マスコミも十分に腐敗し、そして権威化していることを忘れてはならない。 東京高検の黒川弘務前検事長と産経新聞記者、朝日新聞元記者との賭けマージャン問題により、マスコミと検察のズブズブな関係が明るみに出た。最近では、河井克行元法相と河井案里参院議員夫妻の逮捕劇が、なぜか先行してマスコミにリークされていたこともある。これもまた検察とマスコミのズブズブな関係を暗示させるものだ。菅義偉官房長官の記者会見で挙手する東京新聞の望月衣塑子記者(手前)=2020年2月 ひょっとしたら、検察庁法改正問題から河井夫妻の逮捕劇まで、マスコミと検察の「共作」ではないか、と疑問を抱いたりもする。それだけ情報が検察とマスコミとの間で共有されているようにも思えてくるのだ。 もちろん望月記者は、河井夫妻の逮捕劇を首相に結び付けようと最近も必死である。だが筆者は、検察とマスコミの国民が知ることもないズブズブな関係にこそ、問題の根があるように思えてならない。

  • Thumbnail

    記事

    新型コロナ「パニック」の日本に必要な議論はこれしかない

    上西小百合(前衆議院議員) いまや新型コロナウイルスの影響は世界規模となった。当初中国の武漢にて新型コロナウイルスの一報が報じられたとき、ここまでの事態になることは想定していなかった。 一方で、私自身その一報を以下のようにも捉えていた。 「差し迫る春節期に、日本は中国からの観光客を入国制限しなければならなくなるだろうが、果たしてできるだろうか。中国人観光客が来ないとなると、日本の観光業界は大変な損失を被ることになり、反発も起こりうる。『英断』という言葉など、とっくの昔に消え去った政治環境で、そのプレッシャーに安倍総理は勝てないだろう」と。そして考えていたことが、まさにその通りになった。 春節になると多くの中国人観光客が日本国内にあふれ、結果的に日本国内でも新型コロナウイルスの感染拡大は現実のものとなった。そしてその影響はとどまるところを知らず、日本の観光業界は未だ冷え込みを続け、倒産する企業も出てきている。春節が日本経済にもたらす恩恵が多大なものであることは百も承知だが、そこは歯を食いしばって耐えなければならなかった。 加えて、国民の日常生活もパニック状態だ。ドラッグストアやコンビニエンスストアからマスクや消毒用アルコールはもちろんのこと、なぜかティッシュペーパー、トイレットペーパーやキッチンペーパーまでもが姿を消した。 私は幸いにも昨年末にストックを多めに購入していたということと「なんとかなる」というポジティブシンキングで、少量ではあるもののお困りの高齢者の方々にお分けするなどの余裕があった。それでも、そもそも紙類の生産は新型コロナウイルスとはほぼ無関係。それにもかかわらず、会員制交流サイト(SNS)上で無名の誰かが流したデマに右往左往する人々の多さに驚いた。 他にも納豆やもずくまでもが、免疫力が向上し新型コロナウイルス対策になるということで爆売れしたそうだ。ここまでくると、ばかばかしいコントのように感じてしまう。免疫力を上げたければ、平素から栄養バランスのよい食事を取る必要があって、ゲームじゃあるまいし栄養価の高い食物を摂取した瞬間にパワーアップするわけがない。花こう岩や玄武岩に関してはもはや言葉も出ない。しかし、その爆買いの渦中に巻き込まれている人々は至って真剣なのだから、よく言えば「人を疑わない」、悪く言えば「情報に対する民度が低い」という国民性が浮き彫りになった形だ。品薄を知らせる紙が張られたドラッグストアのトイレットペーパー売り場=3月4日、東京都内 情報過多社会の弊害とも言えるだろうが、まずは物事をうのみにするのではなく、自分で調べて考えるというステップが抜け落ちている人が多すぎる。SNSやワイドショーなどのやじ馬的な部分「だけ」から情報を取る習慣のある人は、冷静な判断を心掛けてほしい。 また、今回は新型ウイルスということで解明されていないことが多い。それにもかかわらず、テレビでは専門家でないコメンテーターの割合が平時と変わらなかったということが気がかりであった。視聴者は「どうすれば感染しないか?」と目を血眼にしてテレビにかじりついているので、専門家と専門家でないコメンテーターからのコメントを真に受けて、同列に受け取ってしまう。これが国民の過剰反応にもつながったのであろう。小さな政府、日本 このように国民生活がパニックを起こしている最中、日本維新の会の参院議員や大阪府選挙区支部長らが難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っている舩後靖彦参院議員に向けた言葉に驚いた。舩後議員がALSゆえ、新型コロナウイルスが命に関わる恐れがあるということで国会欠席を表明したことに対し、「歳費を返納せよ」と主張したのだ。 自身でも間違いだと思ったのか維新の議員はすぐに謝罪していたが、主張内容も発信時期も、とんちんかんである。普段は与党議員がスキャンダル後に雲隠れしても指摘すらせず、維新でさえも国会採決に参加していなかった(欠席)議員が複数いることをスルーしているのだから、この発言は全くと言っていいほど理に合わない。 こんなに説得力のない発言をする議員もまれだ。まずは自分たちの襟を正し、権力者を追及するのが筋ではないのか。私が初めて衆院選に立候補したとき、「維新は高齢者や障がい者という社会的弱者を切り捨てるから嫌い」と言われたことがある。維新には、実際にそういう考え方の議員が多いのかもしれない。困っている人のために働くのが政治家であるということを、改めて肝に銘じてほしいものだ。 さて、近年の日本は小さな政府であるが故に「災害時に役所はすぐに対応できるわけではない、自助が大切」という言葉が呪文のように唱えられており、私も、ある程度はその通りだと思う。しかし今回のコロナウイルスをきっかけに、共助を充実させる、つまり大きな政府に少し移行させた方がいいのではないだろうか、と改めて考えた。 今の政治の流行は、地方自治体の財政悪化を理由に公務員を削減することだ。市民が公務員削減を公約に掲げる政党を無条件で評価する傾向があるので致し方ないのだが、今やいわゆる「先進国」とされている国々の中でも、日本の一般政府雇用者比率はかなりの低水準だ。 私は議員時代から多くの公務員の皆さんと近しく接してきたが「公務員の給料は私たちが出しているんだぞ、税金泥棒め」などと、まったくいわれのない罵声を要求が通らなかった市民から理不尽に浴びせられるそうだ。それでいて、市民のために一生懸命に尽くされている方も多い。せめて公務員の数を国際的な平均水準にし、緊急時にも国民がある程度安心して生活を送れるように福祉を前進させるべきだ。 このような環境下ゆえに、新型コロナウイルス対策はすべてが後手後手の様相を呈しており、ついに政府は被害拡大による国民の不満をなだめるため「8330円支給! いや、一律2万円支給!」などとバラマキ作戦を提案し出した。もちろん、国民にとって給付金支給は単純にうれしいのだが、根本的な解決にはつながらない。それ以前に免疫力が低下する高齢者への対応を至急充実させるなど、行うべきことは山積みなのだ。外出自粛ムードの中、公園で散歩する高齢者ら=3月17日、大阪市東住吉区の長居公園(前川純一郎撮影) 北欧の福祉体制を目指す体力は今の日本には到底ないにしても、「大きな政府」と「小さな政府」のどの辺りを目指すのか議論しつつ、所得や資産が少ない人にもう少し寄り添う「大きな政府」を視野に入れてもいいのではないだろうか。私は、政治家が「予算が足りない!」と大騒ぎし安易に公務員を削減する前に、むしろ国会議員を半分にすべきだと思っている(半分くらいは特筆すべき働きが伝わってこないので)。 季節も徐々に春めいてきた。新型コロナウイルスの被害は永遠ではない。政治家も含めた国民が冷静な判断で行動し、一刻も早い終息を実現していきたいものだ。

  • Thumbnail

    記事

    編集委員が見せた朝日の「上から目線」は1枚の写真でハッキリします

    はある意味で、痛快な存在かもしれない」と投稿した問題は最たるものといえる。 小滝氏は朝日のソーシャルメディア記者として、ツイッターから発信を続けていた。朝日のガイドラインによれば、「ソーシャルメディア記者は、ソーシャルメディア上の『朝日新聞社の顔』」である。 朝日新聞の顔である人物が非倫理的な発言をしたのは、どう考えても不謹慎というより、まずいと言わざるを得ない。しかも、社会的な批判を浴びて、説明や謝罪もなく、発言もろともアカウントを削除して「逃亡」した。 会員制交流サイト(SNS)ではよくある話だが、さすがに「朝日新聞の顔」がこんな対応では困る。朝日新聞社は一連の事態を謝罪し、小滝氏のソーシャルメディア記者の資格を取り消した。 新聞社に属する記者たちがSNS上で発言することは、一般的には好ましく捉えられるだろう。多様な発言そのものに価値があると考えられるからだ。 また新聞社の「顔」なのだから、どのような問題にどのような責任をもって発言しているのかも理解している。朝日新聞のSNS「公認記者」(ソーシャルメディア記者と同じだと思われる)がどれくらい存在するかは、朝日新聞デジタルの「記者ページの紹介」を見ていただきたい。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 今、このソーシャルメディア記者の一人、藤(とう)えりか氏のアカウントに「個人攻撃」が加えられている。政治学者の三浦瑠麗氏がその攻撃を「適切に批判することと他人を含め攻撃することは全く別物」だと批判していた。内部批判「炎上」のワケ 人としての尊厳を傷つけるような批判や誹謗(ひぼう)中傷は言語道断である。それに藤氏の発言をさかのぼると、小滝氏の行動や自社対応(編集委員登用のあり方)を批判していた。 藤氏のツイートは、いわば内部批判であった。それなのに、なぜ炎上してしまったのか、さすがに筆者も理解できない。 ただ、昨今の朝日新聞の新型コロナウイルス問題についての報道に、不信と強い批判の思いを抱く人も多いだろう。「朝日新聞社の顔」であることが、ソーシャルメディア記者の性格であるならば、やはり組織を代表しての存在になってしまうのはやむを得ない。 言い換えれば、朝日新聞社が公認記者たちのリスク管理を十分にしていないのだ。組織としては、個人記者に社会からの批判を丸投げして逃げてしまっていると表現されても仕方がないだろう。 そういう無責任な組織の体質にまで踏み込んで、藤氏が自社批判をするならば喝采したい。しかし、藤氏が関わる朝日主宰の映画サロンに、さらなる議論をしたい人を招くツイートもなぜかしている。全く意味が分からない。 イスラム思想研究家の飯山陽氏のツイートが、問題の在りかを実に明瞭に指摘している。 朝日新聞の藤えりか記者は、同じく朝日新聞の「コロナは痛快」編集委員を批判するツイートをし、それについた一般人からのコメントにひどくご立腹であるが、同時に自らの主宰する朝日新聞のサロンを宣伝し、人々をそこへ誘導している。私から見れば、全部まとめて朝日新聞である。朝日新聞東京本社にたなびく同社の社旗(寺河内美奈撮影) 小滝氏の発言から感じるものは、自らの地位を他に優越したものとする目線の強さである。要するに、傲慢(ごうまん)な姿勢だ。「傲慢」感じた1枚の写真 朝日の記事を読むと気づくのだが、この姿勢は会社の組織自体が傲慢な社員の態度を育てているともいえないか。最近、それを感じたのは1枚の写真にある。 東日本大震災で被災し、14日に9年ぶりの全線再開を果たしたJR常磐線を報じた写真で、映像報道部の公式ツイッターでも紹介されている。そのツイートには、「写真は、大野駅(大熊町)近くの #帰還困難区域 を通る列車です」とつづられ、帰還困難区域による立ち入り禁止を示した立て看板と、保護柵の横を電車が通過する画像が載せられていた。 全線復帰を祝う地元の人たちの目線よりも、なんだか薄っぺらい反政府の姿勢だけが感じられただけである。実にうすら寒い。「反政府」も「反権力」も、ひたすら上から目線なのだ。そこには人々への共感はない。 この上から目線的な姿勢は、権威を有り難がる心理と表裏一体かもしれない。嘉悦大の高橋洋一教授の最新刊『高橋洋一、安倍政権を叱る!』(悟空出版)は、新型コロナウイルス問題や消費増税で減速する現在の日本経済を背景にした舌鋒(ぜっぽう)鋭い政策批判の書だ。高橋氏は本著で、朝日新聞がローレンス・サマーズ元米財務長官のインタビュー記事を掲載したことについて、朝日の権威主義的な側面に言及している。 高橋氏はサマーズ氏の発言を次のように整理する。 日銀を含めた統合政府で純債務残高を見れば、日本は財政危機とはいえない。昨年の消費増税によってデフレ懸念がある。現在はマイナス金利だから、財政拡大して5Gや医療・ITに投資したほうがよい。 高橋氏も指摘しているように、この意見は、特にサマーズ氏に語らせなくとも、一つの世界的標準でしかない。より具体的で詳細な「処方箋」についても、高橋氏はもちろん、われわれ「リフレ派」という政策集団なら常に唱えていることばかりだ。最後の不通区間だった浪江~富岡駅間の再開で、JR常磐線が全線開通。双葉駅に到着する車両を地元の人たちが出迎えた=2020年3月14日(佐藤徳昭撮影) だが、朝日は身近なインタビューよりも、どうも権威を有り難がっているようだ。だから、高橋氏の意見を朝日が同じサイズの紙面を割いて報じてみたら、どんなに面白いだろう、と思えてくるのである。

  • Thumbnail

    記事

    ワイドショー発コロナパニックで現実となる「破滅博士」の予言

    果がある。 さらに、最近では、政府とマスコミの間で報道をめぐる「論争」が生じている。厚生労働省が一部メディアに会員制交流サイト(SNS)上で行った反論だが、内容は次のようなものだ。 一部報道で「新型のコロナであるため、感染が新しいウイルスであり、私たちには基礎的な免疫がなく、普通のインフルエンザよりもかかりやすい。」との指摘がありました。新しいウイルスのため基礎免疫はありませんが、普通のインフルエンザよりかかりやすいということにはなりませんし、そのようなエビデンスはありません。また、3月3日に世界保健機関(WHO)は、新型コロナウイルスの特徴について、中国で得たデータを踏まえ、季節性インフルエンザと比べて感染力は高くないとの見解を示しています。 このような政府の公的言論としての姿勢は評価したい。まだ試行段階であるが、マスコミが事実と異なるニュースで社会的不安を煽るようであれば、当然の対処だといえる。 ワイドショーなどのテレビ報道、そして新聞報道の在り方がこれからも厳しく問われるだろう。それはいいことだ。 今まで、この「権力」はあまりにもデタラメでありすぎた。政府の公的言論を含めて、国民の討議の中で、その「権力」によるデタラメな報道が検証されるべきである。これは「言論弾圧」などとはまったく異なる。新型コロナウイルスに関して会見する加藤勝信厚労相と厚生労働省のロゴマーク=2020年2月20日(宮崎瑞穂撮影) 3月9日現在、新型コロナウイルスの欧米への感染拡大が、死亡者数と感染者数の増加、そのスピードを見ても深刻化している。それが世界経済の先行きに濃い暗雲をもたらしている。東京株もついに2万円台を大きく割ってしまった。 現状で利用できる代表的な経済予測を確認しておきたい。経済協力開発機構(OECD)の基本シナリオでは、2020年の世界経済は従来の成長率2・9%から2・4%に減速、さらに、ドミノシナリオでは1・5%にまで経済成長率が落ち込む。また、「破滅博士」の異名を持つ米ニューヨーク大のヌリエル・ルービニ教授の予測はドミノシナリオとほぼ同じレベルである。リセッション入りは確実 日本経済への影響だが、OECD基本シナリオの予測では、経済成長率が19年0・7%から20年0・2%と、従来予測(0・6%)から0・4ポイント減速する。ドミノシナリオでは、日本個別は不明だが、基本シナリオの3倍のインパクトと考えればマイナス0・6%ほどに落ち込む。 「破滅博士」は、日本とイタリアのリセッション(景気後退)まで予測している。このリセッション入りは確実だろう。 日本経済がドミノシナリオ通りに、マイナス成長に落ち込んだ場合、補正予算ベースで最低でも6兆円超は必要になる。これでも、それ以前の消費増税と景気後退効果は払拭(ふっしょく)できないのだ。 払拭するためには、さらなる財政政策と金融政策の協調が必要である。この点については前回も指摘したので参照されたい。 OECDでも「破滅博士」でも、基本シナリオ通りなら、20年第1四半期で新型コロナウイルスの経済的影響が終息することが必要である。第2四半期(2020年4~6月)、第3四半期(同7~9月)まで、北半球(日本では特に環太平洋地域)での世界総需要の動向がカギを握る。ここが落ち込むとその深度に応じて、ドミノシナリオが真実味を帯びてくるだろう。 仮に世界景気が思ったほど失速しなくても、日本が経済政策で「無策」を採用すれば、日本だけが深刻な不況に直面するだろう。内閣官房参与でイェール大の浜田宏一名誉教授は、最近の論文で「財政政策の機動性を十分に生かせ」と提言している。 既に中国、韓国など海外からの観光客の急減に加え、風評被害ともいえるコロナショックに見舞われている業態も出始めた。非正規雇用を中心に雇い止めの動きが加速する懸念も強い。2020年3月9日、2万円を割り込んだ日経平均株価の終値と1ドル=102円台の円相場を示すボード 経済評論家の上念司氏は、文化放送「おはよう寺ちゃん活動中」やツイッターで「予備費2700億円とかショボい事言ってるからだよ。あと、本予算通らないと補正予算議論できないなんて手続き論は市場では通用しないのさ」と発言したが、筆者も激しく賛同する。政府が早急に補正予算を打ち出すことが重要だ。日銀も緊急政策決定会合を開くべきだ。 ワイドショーの煽るパニックも恐ろしいが、政府と日銀の無策が生み出す経済不況も恐ろしいものだ。日本は今、この二つの脅威に直面している。

  • Thumbnail

    記事

    ネットデマはもううんざり、新型肺炎で発揮できるマスメディアの本領

    段階でした。このときにNHKが打ち出した「正しく怖がろう」というメッセージが、この種のニュースをマスメディアが扱うときの、あるべき姿勢を象徴しているのではないでしょうか。 姿の見えない得体の知れない脅威に直面したとき、国民は恐怖におののき、パニック状態に陥ります。会員制交流サイト(SNS)やネット上では新型コロナウイルスに関する情報を求める書き込みや、それに答えようとする書き込みが大量に飛び交いますが、誰一人として正確に答えられる人はいないのですから、憶測や思いつきに流れるばかりです。 国民は素人が書いた感染予想のストーリーや、生半可な知識で書かれたブログなど読みたいとは思いません。新型ウイルスの正体とは何なのか。本当のところ感染力はどれくらいなのか。ずばり日本でも感染が広がるのか。国内に感染が広がった今、自分たちはどうしたらいいのか。知りたいのは確実性の高い情報だけです。そうなると新聞やテレビなど既存のマスメディアの独壇場となります。 パニックを起こしかけている国民に対してマスメディアが発するべきメッセージは、まず落ち着け、ということです。冷静に今回の武漢発とみられる新型コロナウイルスが、いったいどういうものなのか正確な知識を共有し、対処を考えようではありませんか、という提案です。そこで、まずは今回の新型ウイルスの特徴について、マスメディアは解説します。 致死率はそんなに高くなく、重症化するケースも高齢者や慢性疾患を持つ人には多いものの、若くて健康な感染者は風邪を引いた程度の症状で自然治癒すること。そばで同じ空気を吸うだけでうつるといった空気感染はせず、濃厚接触や飛沫感染と言われるように、感染者と至近距離で接してせきやくしゃみを浴びたり、感染者のせきやくしゃみで出たウイルスに、手指などが触れてそれを手洗いせずに口や鼻に接したり、といったときに感染するのだということ。 それが分かれば感染者とすれ違っただけで必ずしもうつるものではないということが理解でき、パニックは少し収まります。また、念入りな正しい手洗いが有効だという知識も共有でき、国民がとりあえずの対処手段をとることができます。石けんを使った正しい手洗い、うがい、せきエチケットなど、誰でもできる具体的な対策を提示して奨励したのです。 これについては、先の大戦中に竹槍で米軍の爆撃機に立ち向かえる、としていた大本営発表のようだ、と揶揄(やゆ)する人もいました。しかし、ウイルスに対抗する手洗いの有効性は医学的にも、過去のインフルエンザの事例によって証明されています。正しい手洗いについては、しつこいと言われても注意喚起を続けるべきです。新型コロナウイルスの感染を防ぐため、マスクを着けて通勤する人たち=2020年3月、甲府市のJR甲府駅前(渡辺浩撮影) そもそも今回の新型コロナウイルスのような事態に際して、マスメディアが考慮しなければならないミッションは、3つあると私は考えています。正確な事実関係の公開、具体策を伴った注意喚起、そして最後に述べますが、ニュースとしてのバランスの確保です。いずれもSNSには不向きな任務で、既存のメディアに期待することになります。 正確な事実関係の公開といっても、実際には厚生労働省や世界保健機関(WHO)など公的機関の発表や、感染症の医療チームからの情報をニュースソースにしているようでは限界があります。民放のワイドショーは独自取材を行い、民間の医師の話として、なぜか日本はPCR検査をしない、と指摘していました。検査をしていないから、公表感染者数が数百人にとどまっているが、潜在的な感染者数は1万人を超えているという可能性にも触れていました。ワイドショー情報も価値あり 韓国で1日に1万件以上検査できたのに、日本では1日わずか1千件以下しか検査できていないという指摘もありました。加藤勝信厚労相は記者会見で、新型コロナウイルスのPCR検査について、2月18日から1日あたり3千件以上が可能となったとしましたが、海外に比べてあまりにも少なすぎます。 民間の検査会社には1日で数万の検査をする能力があり、医師たちは民間での検査実施を要請しているにもかかわらず、厚労省が許可しないというのです。こうなると日本政府はオリンピック利権を手放したくないために、感染者数を隠蔽しようとしているのだという噂が、がぜん真実味を帯びてきます。 私はワイドショーの放送といえども、SNSなどのネット上の口コミよりは、はるかに情報としての価値を持つと考えています。ネット上の情報もピンからキリまでですが、残念ながら多くは十分な思慮に欠けるものでした。ネットで飛び交った噂の一例を挙げると、「コンビニの店員は中国人が多いから利用しない方がいい」というような話です。 こんな話など、ちょっと考えればありえないと分かります。コンビニで働いているような中国の方々は皆、来日してから相当期間が経っています。少なくとも武漢から来日して14日以内の人間が、日本のコンビニ店員になる可能性は、限りなくゼロに近いでしょう。コンビニ店員という仕事は、それほど簡単ではないのです。 「新型コロナウイルスは中国の生物兵器だ」といった説も、一時期はネット上で拡散しました。冷静に考えれば、こんな致死率の低い生物兵器では、実戦で役に立つわけがないでしょう。いずれも一部の中国人嫌いの人々が、ここぞとばかり騒いだ噂に過ぎません。他にも「中国からの郵便物は受け取るな」「中国産の食品は食べるな」など、根拠のない情報があふれかえっていました。  「早くマスクを買わないと手遅れになる」といった情報が広まったのも舞台は主にネットです。店頭でマスクが売り切れになっていたのは事実ですが、噂がそれに火をつけ加速させていったのです。当然のことながらこれで一儲けしようとたくらんだ人間がマスクを買い占めました。私がアマゾンで見た時点では、マスク50枚入りが「定価2千2円、配送料2万円」で売られていました。 とんでもない業者がいるものだと私は驚きましたが、この話にはオチがあります。「マスクを買い占めている業者は中国人だ」という説です。この業者が中国人なのか日本人なのか、私は調査していないので何とも言えませんが、悪いのはみな中国という言説は、ネット上で支持を得やすいようです。実際には中国政府は日本の国立感染症研究所に検査キットを寄贈しています。 ちなみにマスクの着用については、NHKによると、せきなどをする感染者が着けてこそ効果がある、とのことです。ウイルスの拡散を防ぐからです。 一方、まだ感染していない人については、感染者と直接対面する機会の多い医療関係者以外は、マスクを着用する意味はあまりないそうです。ウイルスは主に自分の手指などから、口や鼻に入ることが多いため、手洗いの方がはるかに重要なのです。その他、「トイレットペーパーがなくなる」という明らかなデマもネット上で流布され、品薄状態が続いています。トイレットペーパーを求め、スーパーマーケットに行列を作る人々=2020年3月、大阪府東大阪市(恵守乾撮影) ネット上の情報はピンからキリまで、と書きましたが、ネット上にしてはかなりマシだと思われる投稿もありました。大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として2月18日に乗船した、神戸大医学部付属病院感染症内科の岩田健太郎教授がユーチューブに公開した動画です。論争は面白いが… 「どこにウイルスがいるか分からない状態」「悲惨な状況」と、船内の感染コントロールの不備を指摘した動画でした。一級小型船舶操縦士でもある私がその動画を見て感じたのは、岩田氏には船乗りとしてのセンスが致命的に欠如しているということでした。 確かに岩田氏の主張していることはまっとうだし、感染症の専門家としての意見としては正しいかもしれない。ただ、船というものを理解していない人だな、という感想です。 造船工学の視点から言わせてもらえば、船というのは基本的に極限までスペースを絞り込んだ乗り物です。総排水トンあたり、貨物船なら1キロでも多くの荷物を、客船なら1人でも多くの人間を乗せられるように設計します。大型の豪華クルーズ船といえども、この原理原則は無視できません。狭さは船というものが持つ本来的な宿命なのです。 船内ではウイルスがない安全な区域とそうでない区域の区分けが十分にできていないと指摘した岩田氏ですが、この狭さの中で精一杯の努力をしているジェナーロ・アルマ船長をはじめ、船乗りたちへの思いやりがあれば、あれほど強い調子で批判することはなかったと思います。残念ながらこの岩田氏の投稿も、ネット上の個人の意見の域を出なかったと言えそうです。 国内外に大きな反響を呼んだ投稿でしたが、これに対して反論した元厚生省技官で、「ダイヤモンド・プリンセス」内で実務に携わっていた沖縄県立中部病院感染症内科の高山義浩医師の意見もまた、ネット上の個人の意見でした。 これらは論争としては面白いけれども、私たちが今直面している新型コロナウイルスにどう立ち向かうべきか、という肝心な疑問には答えてくれていませんでした。 事態は今や新型コロナウイルスをいかにして国内に持ち込まないか、という水際対策には既に失敗していて、次の段階に入りました。札幌市の男性を皮切りに、いつどこで感染したか追跡できない「市中感染」が全国で始まっています。感染経路がはっきりしない患者が増える「流行期」「蔓延期」であることを前提にする段階になったのです。 日本政府が鳴り物入りで2月25日に発表した、新型コロナウイルス対策の基本方針は残念ながら、同時期に感染の拡がったイタリアや韓国に比べて、信じられないほど手ぬるいものでした。イタリアでは戒厳令に近く、スカラ座や大聖堂が封鎖され、ミラノコレクションも観客無しで開催。韓国では国会を封鎖して消毒、という対策をとっています。新型コロナウイルスの感染が広がるイタリアでマスクを着けた人々=2020年2月、ベネチア(ロイター=共同) そんなときに安倍政権は、今後1〜2週間が要警戒だと、専門家の見解を追認したにとどまりました。イベントの自粛も地方自治体や民間企業に判断を丸投げし、政治的な責任逃れに走ったのです。 民間では、大手広告代理店の電通が感染者の出た本社ビル勤務のおよそ5千人全員を在宅勤務にし、この日、日経平均株価は一時千円を超える下げ幅となりました。マスメディアの真の役割 翌日になって安倍晋三首相は、大規模なイベントに対して中止、延期、規模の縮小など2週間に渡る自粛の他、27日に全国の小中高の一斉休校を要請しましたが、後追い感が否めません。おそらく国際オリンピック委員会(IOC)の委員から、オリンピックを中止するかどうかを決めるのは、5月下旬までとの見解が出され、あわてて決めたように感じます。  私はマスメディアの役割として、正確な事実関係の公開、具体策を伴った注意喚起、ニュースとしてのバランスの確保を挙げましたが、それは無用な不安をあおったり、風評被害を起こしたりすることのないよう、十分に配慮されるべきであることも意味しています。 しかし、安倍政権の対策が遅きに失したり、PCR検査に消極的で感染者数に隠蔽工作を行ったりして、結果として世界各国からの信頼を失うようなことが起きれば、オリンピックどころではありません。  しっかり現政権を監視して、新型コロナウイルスに対する政策に抜かりがないのか、徹底的に検証し、責任を追及していくことが、マスメディアの重要な使命です。 現政権の責任を徹底的に追及するのは、野党の仕事だと勘違いをしている人もいるかもしれません。それは間違いです。少なくとも現政権を常に監視し、その実態を正しく国民に知らしめるところまでは、公正中立たるマスメディアの大切な任務です。その任務を果たさずして、公共の電波を独占することは許されません。 最後に忘れられがちな役割が、ニュースとしてのバランスの確保です。ウェブサイトを見ると、今日の時点でNHKのニュースサイトは、アクセスランキング1~5位まで、すべて新型コロナウイルス関連のニュースで埋め尽くされていました。 まるで他には何もニュースがなかったかのようです。ネット上ではこのような現象がしばしば起こりますが、テレビや新聞などのマスメディアがそれでは困ります。幸いテレビでは国会中継があるので、私はそれを見ています。 この時期には、国会の最大の山場である予算委員会が開かれています。「桜を見る会」問題、検察庁トップの人事問題、そして今回のウイルス対策費が総額153億円で十分なのか。まさに議論されています。新型コロナウイルス騒ぎがなければ、検察人事などおそらくトップニュースとして、上位にランキングされて目立っていたことでしょう。参院予算委員会で立憲民主党の福山哲郎幹事長(右)の質問に答える安倍晋三首相=2020年3月、国会(春名中撮影) いくら国民の関心が離れていたとしても、常に鋭い目で重要な政治の動きについては報道する姿勢を、マスメディアには持ち続けてもらいたいものです。今、問われているのは安倍首相の危機管理能力であり、世界が注目しているのは、安倍首相の一挙手一投足なのです。

  • Thumbnail

    記事

    池袋暴走事故、なぜ「上級国民」を「容疑者」と呼べないのか

    己責任を原則とすれば、裁くべきは法に照らした罪であり、世間が騒ぐ程度に応じて罪が変わるわけではない。メディアは力士が野球賭博をすると大騒ぎするが、普通の企業の社員がしても記事にもしないであろう。しかし、どちらも法を犯した罪は同じであるから、メディアがとりたてる程度で罪の重さが変わるわけではなく、同じように自己責任をとるべきである。岩田規久男『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(東洋経済新報社)「不作為の契機」 岩田氏の指摘を今回の事件に援用すれば、飯塚容疑者について、メディアは「元院長」ではなく「容疑者」と呼称すべきだし、マスコミの一部も飯塚容疑者の自己弁護も甚だしい発言を安易に報道すべきではないのだ。その「自己弁護甚だしい発言」というのは以下のような趣旨である。 TBSのインタビューに答えた飯塚容疑者は「安全な車を開発するようメーカーに心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしい」という旨を述べた。被害者への配慮はごくわずかであり、ほとんどが自分の行いよりも自動車メーカーなどへの注文であった。まさに驚くべき責任逃れの発言である。 福澤諭吉の先の発言では、このような人物にも法的な適用は差別してはならないという。だが、同時に、福澤はこのような官僚臭の強い詭弁(きべん)に厳しい人であったことを忘れてはならない。このような人物が社会的な批判にさらされるのは当然と考える。 飯塚容疑者に厳罰を求める署名が約39万筆集まったという。この署名が裁判で証拠として採用されるなどすれば、量刑の判断に影響することができる。 これもあくまで私見ではあるが、飯塚容疑者の上記のインタビューがあまりにも責任逃れにしか思えず、反省の無さを処断するために、署名が証拠として採用され、効果を持つことを期待したい。 日本の官僚組織、また個々の官僚は「無責任」の別名だといえる。著名な政治学者の丸山真男はかつて、人が目標を明示し、その達成を意図してはっきりと行動することを「作為の契機」と表現した。 それに対して、官僚としては成功者といえる飯塚容疑者は、それとは全く真逆の「不作為の契機」、つまり責任をいつまでも取らない、むしろ責任というものが存在しない官僚組織の中で、職業的な習性がおそらく培われていたに違いない。そして、その習性が仕事だけではなく、彼の私的領域にも及んでいたのではないか。旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長を立ち会わせ行われた実況見分=2019年6月13日、東京都豊島区(共同通信社ヘリから) ここに私がこの問題をどうしても論評したかった一つの側面がある。飯塚容疑者の発言のパターンが、今まで日本の長期停滞をもたらしてきた官僚たちや官僚的政治家たちと全く似ているからだ。 もちろん、高齢ドライバーをめぐる問題は、論理と事実検証を積み重ねた上で取り組んでいかなければならない。飯塚容疑者だけを糾弾して済む話ではないのだ。何より冒頭にも書いたように、筆者も自動車運転をする身として、今回の事件はまさに何度も自省を迫られる問題にもなっていることを忘れてはいない。【編集部より】現段階(11月11日午後)の表記は「飯塚元院長」が原則ですが、筆者の問題提起に加え、論考内で意図を明確にしていることなどから、例外として一部「飯塚容疑者」としています。

  • Thumbnail

    記事

    国家公務員なら刑罰、意味不明発言を生んだ「利権トライアングル」

    原氏個人の名誉の問題だけにとどまらない。WGの八田達夫座長らが指摘しているように、毎日新聞では(他のメディアや識者でもそのような発想があるが)、WG委員が特定の提案者に助言することが「利益相反」に当たるとか、あるいはWGの一部会合が「隠蔽(いんぺい)」されたとする報道姿勢にある。首相官邸で開かれた国家戦略特区諮問会議=2019年9月30日 これは先述したバイアスに基づくものか、無知に基づくものか、いずれかは判然とはしない。しかし、無知であれば、WG委員が提案者に助言したりすることはむしろ職務であることを理解すべきだろう。さらには、会合の一部情報を公開しないのは隠蔽ではなく、提案者を既得権者からの妨害などから守ることでもあると学んだ方がいいと思う。 要するに、無知ならば、まず無知を正すことから始めるべきだ。ただ、毎日新聞は戦前から不況期に緊縮政策を唱えるような反経済学的な論調を採用したことがあり、今もその文化的遺伝子は健在だといえる。 その意味で、実は反市場バイアス、反経済学バイアスが記者の文化的土壌に深く根付いている可能性もある。そうであれば、組織内から変化する可能性は乏しいと言わざるを得ない。

  • Thumbnail

    記事

    百田尚樹「ヨイショ感想文」潰しから見えてくるおかしな論理

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「表現の自由」の問題は、経済学の問題にも密接に関わってくる。先週末、この表現の自由を考える上で重要な二つの出来事があった。一つは、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」をめぐるシンポジウムが開催されたこと、もう一つは、新潮社の読者向けキャンペーンが中止になったことだ。 前者については、前回の連載で解説した通りだ。要するに、表現の自由が大切であることと、補助金のルールを守ることは別問題である。前者を盾にして、瑕疵(かし)のある補助金申請を認めてしまえば、それはあいちトリエンナーレだけを優遇することになり、単に不公平なものになる。 もし反論があれば、法的な手続きも担保されている。以上で終わりの話だ。 表現の自由を理由にして、自分たちの要求を何でもごり押しする人たちは、同時に、自分たちの気に食わない表現には自由を一切与えない傾向もありはしないか。つまり、自分たちが好むもの、政治的に有利なものを単に押し通そうというエゴにすぎない。 この論点が重要なことを筆者に思い知らせたのが、新潮社の「夏の騎士ヨイショ感想文キャンペーン」中止問題である。題名にあるように、10月4日から始まった作家の百田尚樹氏の最新小説『夏の騎士』のキャンペーンだ。 「読書がすんだらヨイショせよ #ヨイショ感想文求む」と題して、小説をほめちぎる感想文をツイッター上で募集し、採用されたら図書カードを贈呈するという企画だった。このキャンペーンがスタートすると、すぐに「百田尚樹叩き」とでもいう現象が生じ、個人的にはかなりの頻度で目撃した。新潮社=2018年9月(納冨康撮影) 本来、公序良俗に違反しない限り、キャンペーンで営業的なインパクトを狙うのは理にかなっている。ところが、今回のキャンペーンに対して、新潮社の「伝統」「社風」「良心」を持ち出したり、「物品で釣るのはどうか」などというもっともらしい理由で猛烈に炎上した。 個人的には、百田氏をイメージした黄金の広告バナーのインパクトがありすぎて炎上したのではないか、という解釈も成り立つと思っている。要するに、批判している人たちは「百田は黙れ」とでもいいたいのではないだろうか。浮かび上がる「ビジョンの違い」 『夏の騎士』の感想を手短に書くと、完成度が高くて読みやすく、高い評価を与える人が多くいても不思議でも何でもない小説だと思う。はっきりいえば、よい作品だ。 もちろん、作品自体を極端に嫌いな人もいるだろうし、ピンとこない人もいるだろう。それが文学の「消費の在り方」というものだ。 筆者もその昔、百田氏の代表作『永遠の0』があまり面白くなく、その感想をツイッターでつぶやいたところ、百田氏からブロックされたこともある。別にブロックされたこと自体どうでもいいし、ブロックする行為は完全に個人の自由である。ちなみに、今ではブロックは解除されていて、少しほっとしているところもある。 今回のキャンペーンも『夏の騎士』が好きな人、ヨイショしたい人だけ参加すればいいだけの話ではないか。また、ツイッター主体のキャンペーンなのだから、それこそ批判的な感想で目立ってみるのもありだ。 だが、キャンペーン自身を潰すようなやり方は全く感心しない。結局、新潮社にクレームが殺到して、2日でキャンペーンは中止になってしまった。 一連の出来事に対して、百田氏はツイッター上で「新潮社も悪意があったわけじゃない。善意の企画が空回りしただけ。それに、全部をお任せにしていた私のせいでもある。私は炎上慣れしてるし、少々のダメージくらいはどうということもないです」と言及した。かえって、百田氏の寛大な姿勢が鮮明になり、当然の帰結として、百田氏の世間的な評価も上がったのではないだろうか。 もちろん、百田氏の姿勢を一切認めない人もいるだろう。一見すると、価値観の対立により、調停は不可能なようにも思える。文学や政治に対するビジョンの違いというべきものだ。作家の百田尚樹氏=2018年10月(佐藤徳昭撮影) 百田氏の政治的な立場は保守的なものだろう。他方で、コアな批判者たちは自らを「リベラル」や「左派」と自認しているかもしれない。ただ、表現行為を弾圧する「リベラル」、というのも不思議な存在だと思うが。 それでは、ビジョンの違いは調停不可能で、「神々の闘争」のようなものなのだろうか。なぜここまで叩かれるのか 経済学者のトマス・ソーウェルは人間を、ビジョンの動物であると理解している。人間は経済的な利害により短期的に動くこともあるが、結局はビジョンによって行動するのだ、と彼は指摘している(『諸ビジョンの闘争:政治的争闘のイデオロギー的起源』)。 個々人の抱くビジョンは、感情的なものに支配されたり、政治的プロバガンダや一部の有力者の意見に扇動されたりしてしまうかもしれない。しかし、ビジョンなくして、社会は安定的なものにはならなかった。 ビジョン同士の和解が難しく見えたとしても、実は、ビジョンには「事実」と「論理」が備わっていることが多い。その事実と論理こそが、ビジョン同士の争いに一定の解の方向を与える。ソーウェルの議論をまとめると、このように言える。 今回の問題にしても、「事実」としては、たとえキャンペーンをどれほど上手に構築しても『夏の騎士』が多くの読者に支持されなければ、単にそれまでの話である。個人的な感想を言えば、『夏の騎士』はよい作品だ。だが、本当の評価は、筆者の個別の感想やキャンペーンではなく、今までとこれからの読者が決めるのであり、それ以外にはない。これが「事実」の一つである。 その「事実」に応じて、新潮社の真価の一部も決まるだけだろう。キャンペーンを抗議で潰すことに、われわれのビジョンの争いの方向性を決める意義を見いだすことはできない。 「論理」の話としては、なぜこうまで百田氏が叩かれるのか、という問題がある。私見では、あまりにも行き過ぎた行為であると思う。 仮に、百田氏が叩かれたことで言論を封じられたとしても、安倍政権は倒れないし、保守的な政治勢力や言論もいささかも倒れることはないだろう。もし、そのような思惑で「百田叩き」をしているのならば、非論理的だし、事実にも後押しされない。2019年10月1日の消費税率引き上げに伴い、軽減税率対象の商品を示す「軽」の文字や税率が記された東京都品川区にあるコンビニのレシート 一例を示しておく。10月から始まった消費税率の10%引き上げについて、百田氏は明確に反対していた。2度の延期をしたとはいえ、それでも安倍政権は実施に踏み切った。 もし、政治的な影響力が本当にずば抜けているならば、百田氏の意見が少しは考慮された痕跡ぐらいあるだろう。しかし残念ながら、消費増税に関しては財務省の「屁(へ)理屈」が政治的な力を得ただけの結果に終わったところを見れば、思惑の無意味さがおわかりになるだろう。

  • Thumbnail

    記事

    政見放送でバズるしかなかった「マイナー新党」候補の独白

    門とする事件が次々に起こり、このタイミングなら当選があるやもしれないと思い、立候補することにした。 メディアは公示日(選挙運動の開始を告げる日)に「安倍政権の6年半を問う、年金・増税・憲法焦点に」などと報じた。だが、実際報じられるのは、自民、立憲、公明、国民、維新といった主要政党の党首や候補者の動向ばかり。 新党の動向は報じられず、私たちの政治団体はなかなか存在すら知ってもらえなかった。福島駅前で選挙活動する「オリーブの木」の黒川敦彦氏代表(右)ら 党は選挙区で一人300万円、比例区で600万円という高額の供託金を出すのが精いっぱいで、広告費は出せない。供託金は、選挙に立候補するために国に払い込む、いわば受験料のようなものだ。 遊び半分の立候補を防ぐためというが、事実上、一般の人が気軽に立候補できない壁となっている。既存の政党は、議員一人につき年に約1億円の政党助成金を税金から得ており、これを選挙費用や宣伝費に充てているようだ。話題になった政見放送 新党が無料で有権者にアピールできる手段は、テレビとラジオの政権放送と、新聞様式の選挙公報だけである。 選挙公報は、比例区5人分で、新聞の3段ほどのスペースが割り当てられる。党の政策である「対米自立、ベーシックインカムの研究、官民格差是正」などの言葉と候補者の名前と写真を並べるだけでいっぱいだ。 それに引き換え、政見放送は一党17分、比例候補が5人で一人4分。じっくり自分の主張をできる。念入りに準備をした。 「私は、皆さまの年金を守る、年金ビーナスになります」   私は、あえてスーツではなく、党のイメージカラーの緑のドレスをまとい、絵に描いた餅のような政策ではなく私の特異な体験と実績を語ることにした。 「私は消費税の増税には反対です。お役所には無駄遣いがたくさんあります。私が働いていたお役所の実態はこうでした。毎朝全員遅刻、昼休みは3時間、一日の実働10分、天下りの理事長は毎月税金で海外旅行」  この話は、支援者に対するミニ集会でとても驚かれ受ける話だ。 ところで、収録直前、ちょっとした事件があった。 天木氏ら4人いた共同代表のうち3人が辞任して一番若い41歳の黒川氏が代表になった。それに伴い、小林氏は立候補を取り止めた。 このことで予定が狂った。小林氏が話すはずだった時間が余ってしまい、収録の順番が最後だった私が間を埋める必要に迫られた。 そこで、とっさに、歌を歌うことにした。もともと、選挙の準備期間、自分の公約を「笹の葉さらさら」で知られる、七夕さまの曲の替え歌にして歌っていた。すると、家族から、「硬く難しい言葉を使うより、歌のほうが聞いてもらえるのでは」と言われて、街頭演説で歌ってみようと思っていた。 それを放送で披露することにしたのだ。視聴者の耳目を引いて話題になる、と思ったからでもある。 果たして、視聴者は度肝を抜かれ、話題になった。すぐに録画がインターネット上に上げられ、再生回数は半日で8000回、選挙期間を通じ、10万回を超えた。ネット上で、新党オリーブの木は一躍有名になった。 中には、「ふざけてる」という批判の意見もあったが、存在すら知られないよりはましだ。 ただし、元NHK職員で、今回初当選したNHKから国民を守る党の立花孝志氏によれば、政見放送の視聴率は2~5%という。視聴率が3%なら300万人、うち1割が私たちの党に入れてくれたとしても、30万票である。当選には及ばない。私たちに取材は来なかった 選挙期間中、私たちに取材は来なかった。選挙区の候補なら、一回は平等に紹介してもらえる。だが、比例候補については、大きな政党の候補も含め、あまり取材がない。特に、新党についてはゼロだ。 選挙の争点であるはずの、年金や憲法改正、消費増税について、選挙の公示前に大政党だけを集めた党首討論が行われ、報じられた。 年金については、与党は「老後資金が2000万円分不足する」とした報告書を受け取らないとしたことについて、そのままにして弁解も改善策も示さない。 野党は「年金増やせ、消費税を上げるな」というが、財源については言わないので実効性が乏しい。また、憲法改正について国民に与える影響の議論はあまりなく、する、しないを政局絡みで主張し合っているだけだ。 メディアもその矛盾を突いたり、議論を深める努力を怠っている。 各党の選挙戦が、国民を置き去りにして、旧来の主張をぶつけ合うだけの場になっている。参院選に挑む新党や政治団体の中には、その矛盾を突いたり、解決策を示したり、あるいは既存の政治家が取り上げない国民の関心事を取り上げている党があるが、そういう主張が報じられることはない。 だから、選挙戦が国民の関心を引かない。それが低い投票率に表れているのだと思う。 私たちは、インターネットでは一生懸命訴えた。けれども、まだまだネットを使わないお年寄りが多い中、テレビや新聞の威力にはかなわない。 人口の多い首都圏のターミナル駅、そして地方大都市と人の多いところに行って街頭演説はした。ただし、通りがかりの人に公約を聞いてもらうのはなかなか難しい。若い黒川代表が音楽や踊り、対話を入れた新しい選挙活動を試み、人々の注目を集めることには成功したが、大量の得票に結びつくかは疑問だった。 投票日、結果は、比例区で、私の個人得票が1万票、党全体での得票が17万票だった。議席獲得には遠く及ばなかった。けれども、選挙区での得票が9万票で、計26万票を得たことになり、結党から2カ月の短期間にしては健闘した。 けれども、供託金は没収されてしまった。比例では、たとえ惜敗であったとしても、当選者がいない限り、供託金は全没収なのである。演説する筆者の若林亜紀氏=東京・有楽町 一般国民は、国会で主張したいことがあり、一定の支持を得ていても、議員にはなるな、挑戦してもいいけど文無しにしてけり出してやる、と既存政党からあざ笑われているような、参入障壁に見える。  選挙を一般国民が参入しやすいものにすること、そして国民のための論戦の場にすることが望まれる。でなければ、いつの間にか国会が形骸化して、既存の政治家たちの独裁の場、なれ合いの場になって、国が衰退の一途をたどるからだ。■自民党が参院選でついに「煽り」に出た理由■「売名行為」選挙報道でマスコミが負った致命傷■“選挙に強い泡沫候補”はすべて計算ずくのことである

  • Thumbnail

    記事

    「売名行為」選挙報道でマスコミが負った致命傷

    る以上に当人にとって心理的にも打撃だろう。肉体的な傷を負わなかったことは不幸中の幸いである。 だが、メディアの意見は違うようである。中部日本放送(CBC)の報道部の公式ツイッターアカウントで、「ちょっと小突かれただけで、暴行事件とは。大げさというより、売名行為」と投稿されたのだ。あまりにも社会常識を逸脱した発言だろう。 先述の通り、和田氏は参院選の候補者であり、これを「売名行為」と評することは、要するに選挙目的だとでもいいたいのだろう。尋常ではない発想である。 当然和田氏本人、そしてネット世論の大勢が、この発言を猛烈に批判した。それに対して、CBC側は上記の投稿を削除し、「当該者の方に、大変ご迷惑をおかけいたしましたことをお詫(わ)びいたします」とホームページ上で謝罪した。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) だが、この謝罪は納得し難いものだった。CBC側によると「弊社報道部の意思に基づくものではありません」と説明したうえで、アクセス権を有する報道部員が投稿した形跡は確認できなかった、と言い切っている。マスメディアとして致命的 誰の投稿になるかは調査中としたうえで、あたかも不正アクセスがあったかのような印象を与えたものだった。ただ、責任をあやふやにしているという批判は免れない。 政治活動を妨げる暴力を肯定したとも取れる発言は、マスメディアにとって致命的である。真実を明らかにしないまま放置するのはまずい。 もし、不正アクセスの可能性があるならば、警察当局の協力も含めて機敏に対処すべきだろう。CBCにはこの件でのさらなる説明責任に直面している。 和田氏とは、昨年の夏に対談する機会を得た(『WiLL』2018年7月号)。対談で和田氏は、消費増税について明瞭に反対する反緊縮政策を支持していた。また、事実の一部を切り張りすることで特定の方向に世論を誘導していく既存マスコミの手口について、実例を交えながら、その報道姿勢を厳しく批判していた。 とりわけ、テレビのワイドショーや既存のキー局の報道番組には厳しく批判していた。そこで、放送局の新規参入を促すため、電波の周波数帯の利用権を競争入札にかける「電波オークション」を導入する試みがある。 日本の電波はもちろん公共の資産であるが、それはムダに利用されている。特定のテレビ局が電波を不当に独占しているといっていい。この電波利用の「ムダ使い」を改めるのが電波オークションで、広く海外でも行われている。 しかし、この電波オークションに対して、テレビ局は総じて反対している。自らの既得権を侵されると思い込んでいるのだろう(詳細は上念司著『日本を亡ぼす岩盤規制』飛鳥新社を参照)。2017年11月、規制改革推進会議を終え、記者会見する大田弘子議長(中央)ら。電波オークションの導入は「検討継続」となった(斎藤良雄撮影) 電波帯域が広く開放されて、企業などの新規参入が起これば、消費者すなわち国民の大多数がさまざまな情報や利便性に接することが可能になり、利益を得るだろう。どんなことが国民の利益になるのか。消費増税への反対も、韓国への安全保障上の対応も、そして既存メディアへの対応も、さまざまな論点で、既得権にとらわれない本当の「自由」な発想の政治家を選ぶことができるように、今回の参院選の推移を見守っている。■ 「池上彰MeToo炎上」専門家は使い捨て、テレビの軽さに潜むリスク■ 「金正恩に足元見られた」報ステが言うほど北朝鮮は単純じゃない■ 「首相はトランプの運転手」朝日の安倍批判がイケてない

  • Thumbnail

    記事

    「老後2000万円不足」報道、こうしてスキャンダルはつくられた

    が自分のところに届いたら、確認することをお勧めする。 この「老後に2000万円不足」報道には、さらにメディアと安倍政権打倒の思惑がクロスして働いているようにも思える。政権を打倒したければ、代替的な政策で迫るのが本筋だと思うが、単に揚げ足取り的な手法で、政権へのダメージだけを狙っているようにも思える。 要するに、一部野党が間近に迫った参院選での争点化を狙って、あたかもメディアとタイアップしているように思える。民主党政権誕生のきっかけになった「消えた年金」問題の「二匹目のドジョウ」というわけだ。まったく国民もなめられたものだと思う。 ひょっとしたら、財務省の思惑も絡んでいるかもしれない。金融庁が財務省の「植民地」であることは周知の事実だ。財務省は、年金不安をあおることによって、不安解消のための消費増税を国民に定着させたい。 現時点では、10月に予定されている消費税率の10%引き上げが話題だ。だが、財務省は今後も消費税のさらなる引き上げを狙っていることは明瞭である。2019年6月、野党6党派の合同集会であいさつする立憲民主党の辻元国対委員長 最終的には消費税を26%まで引き上げようとしている。これは財務省からの出向者によって策定されたと思われる、経済協力開発機構(OECD)の対日経済審査報告書に記載されている数字からもうかがえる。 ちなみに21世紀初頭では、財務省の目標値は18%程度だったので、どんどん切り上がっている。この増税路線を放置しておけば、そのうち消費税率30%超えの声も財務省から遠慮なく出てくるだろう。何となく「疑惑」抱く記事 また、毎日新聞だけが現時点で取り上げている問題に、先述の国家戦略特区WGで座長代理を務める原英史氏を巡る報道がある。毎日新聞が6月11日に報じた「特区提案者から指導料 WG委員支援会社 200万円会食も」と題した記事である。 この見出しの「WG委員」とは原氏のことだが、記事では、識者のコメントも利用する形で、あたかも原氏が「公務員なら収賄罪に問われる可能性」もある行為をしていたとする印象を読者に与えていた。これは毎日新聞の記事にもあるように、「第2の加計学園問題」を匂わせるものである。この記事に対しては、当事者の原氏から既に事実誤認であるとした厳しい反論が、自身のフェイスブックや他サイトに掲載されている。 この毎日新聞の記事は、そもそも原氏が金銭や会食の供与を受けたわけでもない、単に知り合いの企業の話でしかない。しかもその企業の活動自体も違法ではない。いったい何が問題なのか全くわからない。 原氏のどのような活動が問題か、さらには違法性があるのか、道義的問題があるのか、何らわからないまま、読み手に何となく「疑惑」を抱かせる記事になっている。これはメディアの在り方として正しいだろうか。この記事を読む限り、筆者には全くそうとは思えない。 WG座長の八田達夫・大阪大名誉教授も、国家戦略特区諮問会議の席上や、毎日新聞の杉本修作記者への回答を公開して、同紙の報道を批判している。 国家戦略特区は規制改革の仕組みである。既得権者によって過度に保護された規制分野を、消費者や生産者など多数の恩恵が勝るときに、その過度な保護を緩和・解消する試みだ。 規制する側は、過度な保護を受けている既得権者の利益を代弁する官庁である。規制官庁に、規制改革を望む民間の提案者と、WGの委員が共同で対決するわけだから、委員が提案者に助言することが適法というよりも、この特区制度の仕組みでは当然のことである。これは上記の文書などにおける八田座長の発言通りであり、それに尽きる。2019年6月11日、首相官邸で開かれた国家戦略特区諮問会議 つまり、毎日新聞の記事からうかがえるのは、この規制改革の仕組みを理解していないのかもしれない、ということだ。規制改革を特定の利害関係者「だけ」が恩恵を受けているような、規制改革ならぬ一種のあっせん行為みたいに考えてしまっているのではないだろうか。もしそうであれば、誤解を正すべきだろう。■ 高齢読者が「週刊誌ジャーナリズムの牙を抜く」のウソ■ 「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!■ 武田邦彦が一刀両断! 生物としての人間に「老後」なんてありません

  • Thumbnail

    記事

    「金正恩に足元見られた」報ステが言うほど北朝鮮は単純じゃない

    と内政も二択ではない この「対話」か「圧力」か、という形で、問題を単純な構図に落としてしまう手法を、メディアの経済学では「あいまいさへの不寛容」として知られている。つまり、問題の解決策は一つか、せいぜい二つしかない。しかも、二つとも同時に追うような「複雑」なものはメディアでは好まれない。 0か1かの選択が視聴者に好まれるとした上で、それに安易にメディアが乗っかるのである。後藤氏の解釈は「あいまいさへの不寛容」の典型だろう。 もちろん、安倍政権の外交が満点だというわけではないが、そもそも外交は一種のゲーム論的な状況だ。あくまで相手の出方をうかがって、そこで合理的な戦略を採用していく。 ただし、自らも相手も、ともに合理的に行動したとしても、その解答が各国や世界情勢にとって最も望ましいものになるとはかぎらない。自国だけ「よかれ」と思って採用したことも、自国にとって最悪な結末に至ることも多い。 外交におけるゲーム論的な戦略では、なるべくプレーヤー同士が「対話」することが望ましい。意思疎通の経路は複数用意した方がいいのだ。 もちろん、最近の韓国政府が慰安婦問題や「元徴用工」問題などで裏切ったように、事実上の挑発をしてくる国もあるだろう。そのときは、連載で何度も主張しているように「しっぺ返し戦略」を採用することが最善だ。トランプ米大統領との電話会談を終え、取材に応じる安倍晋三首相=2019年5月、首相公邸(鴨川一也撮影) また、安倍政権の外交は、国内問題と切り離して考えるべきではないだろう。つまり、外交と内政もまた二択の問題ではない。それぞれを同時に考えていかなくてはいけない側面がある。 先日、筆者は嘉悦大の高橋洋一教授と対談した(月刊『WiLL』7月号掲載予定)。対談で、高橋氏は日本の経済学者の「文系バカ」ぶりを痛烈に批判し、政策的なセンスの欠如も問題視した。改憲実現のための政治的「コマ」 経済学者である筆者には耳の痛い話だが、高橋氏の痛烈な批判は傾聴に値する。その中で、高橋氏は消費増税について、実行か凍結かの「あるなし」を、この問題だけ孤立して考えてはいけない、と指摘していた。 問題には、さまざまな人間関係、複雑な政治的利得、政治的な直感といった人間臭いファクターや、そして国際要因も絡んでくる。特に最後の点で重要なのが、北朝鮮情勢である。 現状、安倍首相の政治的な目標は、憲法改正を実現することが可能な政治的勢力の達成である。より具体的にいえば、今夏の参院選での「勝利」だろう。最低でも、政権の維持であることは間違いない。 そのために利用できる政治的な「コマ」として、外交と消費税がある。外交はもちろん、拉致問題の解決を中核にした北朝鮮との交渉が最重要課題として存在する。 外交か消費税か、どちらか一つ、あるいは二つとも国民の支持を取り付けることができれば、それは安倍首相にとって有利に働く可能性が高い。言い方を変えれば、金委員長との首脳対談など外交上の成果を出し、世論の支持が高まる中で選挙に臨むことができれば、今秋に予定されている消費税率の10%引き上げもありうることになる。 一方で、外交で成果を挙げる中で、その成果を背景にすれば、消費増税の凍結をさらに打ち出しやすくなるともいえる。要するに、後藤氏のような「あいまいさへの不寛容」とは全く反対の、複雑な問題設定がある。5月4日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が指導した火力打撃訓練の様子(朝鮮中央通信=共同) 選挙が迫っている中では、消費増税問題は、北朝鮮問題など外交政策の成否と切り離せない政治的な位置にあるのだ。しかも、選択の幅はまだかなりあり、こと消費増税に絞ってみても凍結の「あるなし」は、単純な経済指標だけ見て決まるような話ではない、と高橋氏はそう示唆していた。 これからの国内外の情勢は、さらに複雑化していくことは間違いない。ワイドショーのように単純な図式で見てはならないのである。■ 有権者をそそのかす報道ステーション「依存効果」の罠■ 金正恩「クーデター失脚」発言はなぜ黙殺されたか■ 高須クリニック院長が語る「報ステ」スポンサー降板の全真相

  • Thumbnail

    記事

    「がん公表」患者へのエールを歪める心理バイアス

    高濃度ビタミンC、点滴療法といったものに「がん免疫力」の効能を強調した場合は要注意といえるでしょう。メディアを動かす「世間の性」 改めて、今回のテーマについて考察するとき、常に意識しておくべきことがあります。それは、有名人のようにスポットライトを浴びることもなく、厳粛なリアルを受け入れながら、同じがんと明るく向き合っている患者さんが、社会には数え切れないほど多くいることです。 歌舞伎役者、市川海老蔵さんの妻の小林麻央さんが、自身が乳がんであることを公表されたときのエピソードは記憶に新しいことでしょう。治癒の難しいがんを背負いながらも、愛する夫、子供、家族のために、1日でも長く、自分らしく生きたいと希求する表現の数々がブログに綴られました。それらは、同じ病気と日々向き合っている、多くの患者さんたちにとっても、大きな勇気や希望となっていたのは間違いありません。 しかし、残念な問題も生じました。有名人が病気になると、世間には、より詳細なプライバシーを知りたい欲求にかられる性(さが)があります。それががんであれば、なおさらの話です。メディアの方も、世間の欲求に応えようと、必死で情報を先取りすべく行動します。 麻央さんの場合でも、ブログでのがん公表以来、どこの病院でどのような治療を受けているか報じようと、メディアが躍起になって麻央さんや家族を追いかけ回しました。揚げ句には、生命予後を勘ぐるような記事までも出てくる始末です。 結局のところ、有名人のがんを報道するメディア側の深層に、がんへの偏見や先入観があるようにみえます。こうして、がんは「死をイメージさせる暗くて怖い特別な病気」のように映るわけです。 一方で、お茶の間の視聴者も、ワイドショーで報じられる有名人のセンセーショナルながん公表に、感情だけを面白おかしくかき立てられ、思考が停滞しているのではないでしょうか。そうなれば、がんに関する考えも論理的ではなく、半ば直感的にしか及ばないことも少なくありません。そのような「ヒューリスティック」と呼ばれる心理バイアスに巧みにつけ込むことで、有名人ががんで死去した途端、さまざまなエピソードを上手に利用して「がんは放置するに限る」というエセ思想の流布に成功した人物さえいました。妻の小林麻央さんが乳がんで1年8カ月間闘病していることを公表した歌舞伎俳優の市川海老蔵=2016年6月(蔵賢斗撮影) がんは、生涯において2人に1人が罹患するリスクを抱えている「国民病」の様相を呈しています。裏を返せば、がんがそれだけ身近な出来事であることを意味します。何も、昨今増えている有名人のがん公表を特別扱いするような話ではないのです。 ワイドショーから流れてくる有名人の「物語」に、一時的に感情的になるのはもちろん自由です。でも、自身や家族にがんというリアルが訪れた際、どのようなリテラシーを育み、どのように振る舞えるか、そちらの方が重要ではないでしょうか。皆さんには、一人一人ががんのことを真摯(しんし)に考える契機となれば幸いです。■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる■ 小林麻央さんの闘病が共感されても日本で「がん告知」が進まない理由■ がんはいずれ「理想の死に方」になる

  • Thumbnail

    記事

    食道がん併発の堀ちえみ 夫の前向きな対応で公表決意か

     《今度は食道癌です》、《転移でも再発でもないとの事です》。堀ちえみ(52才)が4月15日、「食道がん」にかかっていることをブログで公表した。堀は2月にステージIVの「舌がん」であることを公表、舌の約6割を切除する11時間におよぶ手術を受けたばかり。懸命のリハビリ生活を送るさなか、今度は別のがんにかかっていたという告白に、世間では驚きが広がった。 今回見つかった食道がんは、舌がんからの転移や再発ではなく、2つのがんが、比較的近い場所で併発したという。「前回の人間ドックでは食道に異常はなかったそうです。普通なら見過ごしてしまう位置にあり、早期発見はラッキーだと本人も冷静に受け止めています。周囲のかたからは他の部位には発生していないかなど心配する連絡が届いているようです」(堀の知人) 大腸がんや乳がんなど遺伝性が認められる「がん家系」についてはよく聞かれるが、今回の堀のような併発のケースに因果関係はあるのか。 「堀さんのように転移ではなく2つのがんが見つかることを『ダブルキャンサー』といいます。扁平上皮がんは体の表面や内部が空洞になっている臓器の内側の粘膜から発生するがんです。食道扁平上皮がんも遺伝的要因が指摘されています。簡単にいえば、転移ではなくがんが複数箇所に発生するかたは、がんになりやすい体質といえます。定期的に検査を受け、とにかく早期発見に努めることが大切です」(内科医で医療ガバナンス研究所の上昌広さん)取材に応じる(左から)松本伊代、堀ちえみ、早見優=2016年10月、東京都内 舌がんのリハビリ中での新たながん発覚は身体的にも大きな負担になるはずだが、堀はあくまで前向きだ。「ご主人が“このタイミングで検査を受けて見つかったのは運がよかった”とポジティブな対応をしてくれたことで、一時期は落ち込んでいた堀さん自身も気持ちを転換できて今回の公表に至ったようです」(前出・堀の知人) 堀は食道がんを公表したブログを《また癌が見つかったけど、それでも自分の身体が愛おしいです。いろいろな病気を経験してきましたが、全て無意味ではないと思っています。頑張ります!》と締めくくっている。 舌がん発覚後も、一時は面会謝絶状態ながらカラオケや義母の病院付き添いなど奇跡的な回復を見せていた堀。今回も家族一丸で乗り越えていく。関連記事■アクセス数断トツ! 堀ちえみ「決意のグラビア」未公開写真■5児の母・堀ちえみ 24年ぶり決意のグラビアで魅せた肢体■堀ちえみ 新恋人と出会うため犬を連れてウロウロしていた■頻繁に渡韓の堀ちえみ レーザー整形と舌がんに関係あるか■堀ちえみが82年組同窓会を希望、明菜への連絡係は小泉今日子

  • Thumbnail

    テーマ

    売れない週刊誌「ジジババ特集」に喝!

    週刊誌ジャーナリズムの一時代を築いた文春砲もすっかり飽きられたのか、最近の特集はもっぱら「健康」と「終活」ばかりである。売れてナンボの世界とはいえ、どの雑誌もジジババがターゲットではさすがにつまらない。週刊誌よ、自らが終活の道に進んでどうする。

  • Thumbnail

    記事

    元週刊現代編集長の直言「文春でさえ2025年で消える」

    密愛ではない、週刊誌にしかできないスクープを見せてほしいものである。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

  • Thumbnail

    記事

    高齢読者が「週刊誌ジャーナリズムの牙を抜く」のウソ

    吉田則昭(目白大学メディア学部准教授) 一昨年から今年にかけて、週刊誌、とりわけあの『週刊文春』の健康雑誌化が顕著になったという。「文春砲」として2016年の出版界10大ニュースにもなり、大幅な部数増を獲得してきた『週刊文春』だが、編集長交代などもあってか、かつてのスクープの勢いが衰えた感もある。 かつて筆者もメディア団体の職員であったとき、世の中の動向を知るため、『週刊朝日』『サンデー毎日』『週刊ポスト』『週刊現代』『週刊新潮』『週刊文春』などを欠かさず読んでいたが、総合週刊誌の状況がこれほど変わりつつあったとは気づかなかった。 まず、これら雑誌のデータを見直してみたところ、驚いたのは、全読者の4分の1(約25%)が、65歳以上69歳の年齢層に収まっていることであった(出典:日本ABC協会『雑誌発行社レポート』2018年1~6月)。これらのデータはビデオリサーチなど第三者機関が調べたもので客観性は高い。しかし、調査項目の設定上、70歳以上の読者の回答が除外されていることもありうるため、実際の読者の年齢層はさらに上がるものとみられる。 他方、雑誌社側は、「50歳前後のビジネスマン」「60歳以上のプラチナ世代」をターゲット読者と想定しているから、実際の読者と乖離してきていることはもはや明白である。つまり、少子高齢化が進む現在、これら週刊誌読者も70代前後の団塊世代が、実は本当の読者であり、一方で若い世代の読者がそれほど増えていない現状が見て取れる。 販売部数データを見てみると、『週刊現代』は2018年上半期に20万9025部となり、前年同期比で5万5千部ほど部数を落とし、『週刊ポスト』の21万1336部に後塵(こうじん)を拝するようになった。読者の高齢化が部数減の一因となっているのだが、いずれの週刊誌も誌面をさらに高齢者向けにシフトさせることに傾注し、若い読者を新たに獲得するという「攻め」の余裕も少ないという状況のようである。東京都新宿区にある新潮社本館ビル=2012年3月撮影 ここ数年、『週刊朝日』が2009年に「終活」という造語を世に広めて以来、他誌でも「完璧な終活」(サンデー毎日)、「食べてはいけない」(週刊新潮)の特集のほか、「不眠を防ぐ住まい」「高血圧新目標値130に専門医が異議あり!」(週刊文春)など、高齢者向けの健康を取り上げる記事が目立つようになってきた。老人介護、認知症などを扱った『週刊朝日』の連載漫画「ヘルプマン」も好調のようである。 さらに2018年末から最近まで、『週刊現代』が「死後の手続き」路線を本格化させた「最期の総力戦」特集を13回続け、『週刊朝日』も2019年1月から「書き込み式 死後の手続き」を7回連続して掲載している。 こうして高齢化に伴うあらゆる変化をみてみると、週刊誌が健康雑誌へとシフトしてくるのも時間の問題だったのであろう。 そして、つい最近、象徴的だったのは、ツイッター上で『週刊ポスト』『週刊現代』の二大誌の新聞広告をみたネットユーザーが、「とうとう政治や社会問題を扱わなくなった。消滅した」との指摘もあり、話題にもなっていた。生き残る2つの方法 このように終活雑誌、健康雑誌と化した週刊誌に、かつてのような権力批判の雑誌ジャーナリズムを担えるのか。高齢者向けのコンテンツでしのぐ週刊誌にジャーナリズムを貫く体力は残っているのだろうか。 実は、健康雑誌化については、今に始まったことではなく、すでに業界誌『創』の2017年座談会で同誌編集長の篠田博之氏が述べていたことでもある。このとき、週刊誌の方向性がはっきりと二つに分かれつつあることが指摘されている。 それは、一つには『週刊文春』のように週刊誌本来のスクープ中心主義で部数を伸ばしていくという考え方であり、これがまだ現実性を持っていたことを証明した点で、同誌の健闘は大きな意味を持っていた。ただし、筆者は芸能人の不倫スクープは、明治期のタブロイド判日刊新聞『萬朝報』(よろずちょうほう)の例からも、「公憤」がなければ読者に飽きられること、単なるセンセーショナリズムは限界が来ることを指摘しておいた(『朝日新聞』2018年2月10日記事「『文春砲』に吹く逆風、その背景は」筆者コメント)。 同紙はスキャンダラスな出来事を他紙よりも長期にわたり、ドラマチックに報道することで部数を伸ばし、一時は30万部と東京一の発行部数となった。そして連載「弊風一斑(へいふういっぱん)蓄妾の実例」では、有名人、無名人の愛人関係を実名住所職業入りで暴露したが、こうしたスキャンダル報道だけでは、やがて大衆に飽きられて売れなくなっていった。まさに『週刊文春』も今その限界に直面しているのではないだろうか。 そして、もう一つの方策は、今回の『週刊現代』が典型的なように、高齢の読者に向けて誌面を絞り込んでいくやり方である。実際、2018年以前から『週刊現代』は医療問題などで特集を掲げ、部数も伸ばしていた。ターゲットを絞ってコストパフォーマンスをよくするという方向である。老人雑誌のようになってしまって、それまでの読者からすれば物足りないかもしれないが、『週刊ポスト』もそうした方向を意識している感はある。 期待したいのは、週刊誌と親和性の高いシニア層、すなわち、スマホも使えるかもしれないが、「アンチ・スマホのシニア層」である。今の若者世代は、知りたいことはスマホで検索だけして済ませる。 しかし、それだけでは情報行動としては不十分で、雑誌を一冊丸々読む習慣を持つシニア層は、思わぬ記事に誌面で巡り合える可能性(セレンディピティ)を知っている。(左上から時計回りに)『週刊ポスト』、『週刊現代』、『週刊文春』、『週刊新潮』(佐藤徳昭撮影) また、昭和の回顧記事も多く掲載されているように、ノスタルジーから政治や社会を語ってもいいかもしれない。これも人生100年時代、精神世界の豊かな者の持てる楽しみではなかろうか。 50代のコアターゲットに属する筆者も、かつては講談社の週刊誌編集部をモデルに女性編集者を描いた漫画『働きマン』(安野モヨコ、2004年)をとても面白く読み、共感してきた。雑誌ジャーナリズムにかける熱気を再び取り戻してほしいと思う同世代読者も多いのではないかと思う。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

  • Thumbnail

    記事

    「文春よ、お前もか」気まぐれ読者を追いかける週刊誌の断末魔

    た総合週刊誌は、まさに自身が〝終活〟を始めたような気が私はするのだ。■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 『週刊SPA!』はなぜ劣化したのか? 元編集長が古巣を徹底批判■ 平成のスクープ誌『週刊文春』でも部数減が止まらない理由

  • Thumbnail

    記事

    「中国産」「添加物」消費者が週刊誌に踊らされなくなっている?

    くの時間を割いて報道します。以前なら、週刊誌記事を受けてテレビやラジオ等でも食の話題が取り上げられ、メディアミックスで「食べてはいけない」情報が広がったけれど、今はたまたまそういう状況にない、という説です。(6)問い合わせや抗議をするほどの余裕が、消費者にはもうない 汲々とした生活の中で、食費も切り詰めている人が増えているのが現実です。市販の食品は概ね安全、品質もまあまあ、と信じないと暮らしていけない、という人が多いのかもしれません。 大丈夫です。農薬や食品添加物等についてはほぼ、問題がありません。たとえばトランス脂肪酸が気になるとしても、バランスのよい食事をし、菓子や菓子パンを毎日食べる、というような偏食はしない、という「常識」で十分です。 特定の食品の良し悪しにはこだわらず、野菜やくだものたっぷりのバランスの良い食事をすることで、がんや心臓疾患等のリスクが大きく下がる、という科学的根拠があります。 おそらく、消費者が踊らされない要因は、これらがいくつも組み合わされた複合的なものでしょう。 いずれにせよ、惑わされないリテラシーが大事です。この点で、消費者は少しずつ成長しているのではないか、と思いたい。 今回の騒動を受けて食品企業等をかなり取材しました。私から見れば名誉毀損ものの酷いことを書かれたメーカーが「自分たちもまだ努力が足りないことを思い知った。これからさらに努力したい」と言い、「記事に書かれているような中国の問題が、我が社の取引工場で起きていないか再点検して、ないことを確認した」という商社もありました。 日本企業の多くも、そして、中国の生産者や加工業者の多くも、頑張っています。まつなが・わき 科学ジャーナリスト。1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。「第三者委員会報告書格付け委員会」にも加わり、企業の第三者報告書にも目を光らせている。

  • Thumbnail

    記事

    ある雑誌を廃刊に導いた「ベンチャー企業礼賛」の理由

    吉田典史(ジャーナリスト・記者・ライター) 今回は、ある雑誌の廃刊の裏側を私が知る範囲で見つめなおし、「使えない上司・使えない部下」について考えたい。この雑誌の廃刊の背景にあるものを探ると、人事のあり方もが透けて見える。読者諸氏は、この事例から何を感じるだろうか。 1年ほど前、ある雑誌が廃刊になった。この出版社の社員数人や退職者5人ほどから聞く限りでは、売れ行きが長年伸び悩んでいたのだという。「使える」と思われている編集長を数年ごとに変えて編集態勢を刷新するものの、大きな変化はなかったようだ。10数年前に創刊し、20~30代の比較的、意識の高い会社員を読者対象にしたものだった。 私は10年ほど前、フリーライターとして関わった。編集者から指示を受け、会社員などにインタビューをして、記事を書いた。そのころから、強い違和感を感じていた。一言でいえば、記事や雑誌全体の内容を創り込みすぎなのではないかと思った。企業社会の実態からかけ離れた内容になっていた。 その象徴が、ベンチャー企業の取り上げ方だった。ほとんどの記事が、「ベンチャー企業は風通しがよく、働きがいがある」「実力主義で、結果を出せば正当に評価される、すばらしい会社」といった内容になっていた。大企業を「終身雇用で、年功序列の古い会社」「20~30代の意識の高い人は結果を出しても、報われない」と暗に揶揄しているように見えた。この大企業の認識は、実態とは相当に異なるものに私には思えた。 しかも、毎回、同じようなベンチャー企業を取材し、記事にしていた。いわゆる、メガベンチャーといわれる10社ほどのほか、知名度の高い30社ほどを加えた40社ほどである。たった40社ほどで、「ベンチャー企業とは…」と語ってしまうのだ。 全国には、無数のベンチャー企業がある。なぜ、40社しか取材しないのか。いわゆる、「バーター(取引)」か、「何らかの癒着」か、それとも、忙しく、時間がないがゆえに、付き合いがあり、取材がしやすい40社だけを取材していたのか…。 ベンチャー企業のほとんどは、中小企業政策における基本的な政策対象の範囲を定めた「原則」に基づくと、「中小企業」の範疇に入る。その「原則」ではたとえば、サービス業では「資本金の額又は出資の総額が5000万円以下の会社又は常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人」を「中小企業」としている。 通常、中小企業は、解雇や賃金不払い、パワハラなどの多発エリアである。厚生労働省や各都道府県の労政事務所などが発表する労使紛争のデータを見ると、それは明らかだ。大企業よりは、労使間のトラブルははるかに多い。 東京都では、都内6カ所の労働相談情報センターにおいて、中小企業の労使双方からの労働相談に応じ、紛争当事者間での自主的解決を援助するあっせんを行っている。2017年は労働相談件数が、5万1294件(前年度比3.3%減)で、5万件を超える状況が続く。このような職場で多くの社員が苦しんでいることを心得ているならば、雑誌としてもっと節度ある姿勢が必要だったのではないだろうか。 私が、廃刊になった雑誌の編集者たちと話し合った限りでは、ベンチャー企業の内情や実態に極めて疎く、不勉強だった。特に労働条件をはじめとした就労環境には何の関心も払わない。私よりもはるかに年齢が若いはずなのだが、おそろしく鈍感だった。 それどころか、ベンチャー企業の経営者や役員、人事部の管理職などが取材時に話すことを無批判に受け入れていた。中には、「〇〇さんは人間的にもできている」と、たった1回の取材でメガベンチャー企業の創業社長を熱狂的に称えていた。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 「取材者としての経験が浅い」と言えばそれまでだが、私はその熱狂から「宗教的なもの」を感じた。こちらが少しでも、メガベンチャー企業の創業社長を否定的にとらえて話すと、「〇〇さんはそんな人じゃない!」と興奮して言い返す編集者もいた。彼女の目に涙がたまっていたことを覚えている。 ほとんどの雑誌には、一定の読者層がいる。この雑誌ならば「20~30代の比較的、意識の高い会社員」なのだろう。そのような会社員たちが求める情報を記事として提供していくことは当然だとは思う。しかし、価値観などがあまりにも多様化し、混沌とした時代に、特定の企業を繰り返し取り上げ、礼さんするような報道は慎むべきだったのではないだろうか。少なくとも、その印象を与えていたことは否定しがたい。しかれたかん口令 なぜ、この雑誌の編集者たちはたった40社ほどのベンチャー企業を熱狂的に報じ続けたのだろうか。そこには様々な要因が折り重なっていたのだろうが、大きな理由の1つに、この出版社の社内の事情があったのではないかと私は見ている。 一言でいえば、ずさんな人事評価や配置転換、昇進・昇格などに愛想がつき、「隣の芝生は青い」のような思いで、ベンチャー企業をうらやましく見ていたのだと思う。その意識が、記事や雑誌の随所に出ていたのではないだろうか。つまり、ある意味で「悲鳴」であり、「溜息」であり、「あきらめ」の念が雑誌には凝縮していたように私には見えるのだ。 この雑誌を発売する出版社は、比較相対的に高学歴な社員が多いこともあり、20代の頃の意識はある程度は高い。しかし、30代になるとやる気を失い、失速する人が増えてくると退職した元社員5人ほどは語る。社内の人事の仕組み(人事評価や育成、配置転換など)は相当にお粗末で、ほかの業界でいえば、社員数が30人以下の零細企業と大差ないのだという。「まじめに仕事をするほどにむなしくなる」と5人は話していた。 たとえば、廃刊となったこの雑誌編集部では数年前、ある編集者が副編集長(課長級)の経験がないのに、編集長(部長級)になったという。通常、こんな昇格はありえないはずだ。ところが、「抜擢人事」として断交されたそうだ。「使える編集長」を起用し続けたが、その多くが「使えない編集長」とレッテルをはられ、職を離れていたという。 販売不振の起死回生策として、副編集長の経験がない編集者を編集長にしたのだが、案の定、破たんしたらしい。その編集長は経験不足のために、部下である副編集長をはじめ、7人前後の編集者を自らが意図したように動かすことができないようだった。結局、編集長という権力で動かすようになる。ときに強く当たり、ときには大きな声でしかりつける。このことに不満をもった編集者数人が企業内労組に「編集長からのパワハラに遭っている」と訴えたそうだ。 企業内労組の役員が、編集長の上にいる役員などに「組合員(訴えた編集者のこと)から苦情が来た」と伝えた。すると、役員は編集長にそのことを話し、労組に訴えた編集者数人と編集長などを含め、関係者10人ほどで解決に向けての話し合いをした。「パワハラ」は「双方のコミュニケーション不足」で生じたものであり、「編集長にその意識はない」という結論になったのだという。その後の人事異動で関係者たちの一部は、他部署へ異動となったようだ。 この一連の騒動は、関係者の間ではかん口令がしかれ、タブーになったままだという。退職者5人のうちの数人は、「役員は、社外の労組(ユニオン)などに話を持ち出されないようにするための懐柔策として話し合いの場を設け、そこで不満分子の編集者にガス(不満)抜きをさせた。その後、人事異動で態勢をシャッフルし、すべてをシークレットにした」と話す。 私の取材経験をもとにいえば、「パワハラ」はする側、される側それぞれの認識に大きな差があり、どちらの言い分が正しいのか、正確に判断することは難しい。仮に、この一連の騒動がすべて事実であるとすると、20~30代で意識の高い編集者はやり切れぬ思いになるのではないだろうか。 このほかにも、この出版社の人事のあり方には、話を聞く限りでは首を傾げたくなることが多々あった。おそらく、廃刊となった雑誌の編集者たちがベンチャー企業にあそこまで感化され、称え続けたのは、自らが勤務する会社の旧態依然とした人事のあり方に嫌気がさしていたからではないか、と私は思うのだ。 通常、会社員の多くは、人事評価や育成、配置転換、昇進・昇格に異議を申し立てることはなかなかできない。この雑誌の編集者たちも同じく、言えなかったのだろう。そのようなときに、ベンチャー企業をわずかながら取材し、そこが自分たちのうっ積した不満がまったくないような職場に見えたのではないか、と思う。 実は、人事制度や賃金制度は未熟で、人事評価や育成、配置転換などに深刻な問題を抱え込んでいるのだが、そのことに気がつかなかったのだろう。そのような思いでベンチャー企業を取材し、記事にしていたのならば、売れなくなるのは無理もない。 今回のことは、あくまで私が元退職者たちから聞いたものである。現役の社員に連絡をしても、ここまでは答えなかった。私が強調したいのは、何かの商品や製品、サービスが売れなくなるとき、そこには社内の人事にきしみが生じていることが多いことだ。それらを販売しないようにしたところで、問題は残り続けるのではないだろうか。よしだ・のりふみ ジャーナリスト・記者・ライター。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、『震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

  • Thumbnail

    記事

    週刊文春に「NO」が突き付けられた日

    」と続けた。 人のプライベートに土足で足を突っ込む週刊誌、そしてその騒ぎを大きくするマスコミやネットメディアは批判されてしかるべきだが、その批判からはそれを面白がってきた視聴者も免れない。これはウーマンラッシュアワーのネタと同じ示唆である。 ネットで誰もが発信できる時代、大手メディアは以前ほど絶対的な存在ではない。今回の文春バッシングのように、受け取り手である「大衆」は、「No」をメディアに突き付けることができる。ただしそのバッシングが権力ではなく、ただ不倫をしただけの有名人に向けられてきた過去について、どのように考えている人が多いのだろう。今後の不倫報道はあるのか、またそれについての反応を注視したい。

  • Thumbnail

    記事

    朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない

    山岡鉄秀(AJCN代表) 2018年、私はケント・ギルバートさんとともに朝日新聞を追及し、その結果を『朝日新聞との対決全記録』という一冊の本にまとめた。 われわれが当初追及したのは、朝日新聞が英語版でひそかに続ける「慰安婦強制連行プロパガンダ」だった。2014年8月、朝日は吉田清治証言に基づく「虚報」を撤回して謝罪した。ところが、iRONNAでも指摘したように、英語版では「強制連行と性奴隷化」を想起させる表現を使い続けていたからだ。(Comfort women, who were forced to provide sex to Japanese soldiers before and during World War II. 第二次世界大戦前と最中、日本兵に性行為を強要された慰安婦) 朝日新聞はわれわれの問いかけに対し、「慰安婦とされた女性の訴えは人によって、あるいは時期や場所、戦況によって大きなばらつきがあり、個々の状況全体を総合して具体的に説明するのは困難です」と回答した。「慰安婦の多様性」を認めながらも、前述の画一的な表現を改めることは拒否したのである。 その後、同様の表現を使用していた英字紙ジャパン・タイムズが編集方針を改め、そのような表現を今後は使用しないと宣言した。しかし、朝日新聞はわれわれとの交信で自己矛盾を露呈しながらも、方針変更についてはかたくなに拒否した。 そんな朝日新聞は、まるでウルトラセブンに追い詰められ、隠密行動を放棄した宇宙人が巨大化して街を破壊するような行為に打って出てきた。いよいよその暴力性を隠す気も無くしたようだ。最新の例を二つ挙げよう。 韓国が慰安婦に関する日韓合意を事実上破棄したことを受けて、朝日新聞は「慰安婦財団、残したものは」という記事を掲載した。これは日韓合意を受けて韓国側が設立した「和解・癒やし財団」の活動を振り返る記事だが、慰安婦に関する説明が添えられている。そこには次のような記述がある。 戦時中、日本軍の関与の下でつくられた慰安所で、朝鮮半島出身の女性が将兵の性の相手を強いられた。(筆者注:強いられた=forced to provide sex)「慰安婦財団、残したものは」2019.01.28 朝日新聞東京本社版朝刊 6ページ われわれの追及の過程で、朝日新聞が虚報を撤回したことを認めた記事を、利用者が特定のウェブページを訪問することを防ぐようにする「メタタグ」などを使用して検索できないようにしていたことが発覚した。朝日新聞は慰安婦問題に関してはもはや逃げ隠れせず、日本語の世界でも「強制性」を事実として流布することを決めたようである。どんなことをしてでも、日本と日本人を貶(おとし)めたい朝日新聞の執念が感じ取れる。朝日新聞東京本社ビル=2018年10月(宮崎瑞穂撮影) しかし、日本語版では無難な記事を書きながら、英語版で徹底的に日本を貶めるという、朝日新聞の作戦は終了していない。先般閣議決定された、いわゆる「アイヌ新法案」をめぐる記事の日本語版と英語版の齟齬(そご)には驚きを禁じ得なかった。日本語と英語「凄まじい違い」 ここで、2019年2月18日に朝日新聞デジタルで配信された日本語記事を紹介する。先住民族の明記評価 自治体「格差」懸念もアイヌ新法案 閣議決定 国のアイヌ政策の基本となるアイヌ新法案が15日、閣議決定された。アイヌ民族を「先住民族」と明記し、差別禁止やアイヌ文化にかかわる特例措置などを盛り込んだ。法案を評価する声が聞かれる一方、自治体により「格差」が生じると心配する声もある。政府は今国会の成立を目指す。 次に英語版を見てみよう。英語表記と和訳を併記する。こちらは一足早く2月6日に配信されている。Bill finally recognizes Ainu as indigenous people of Japan(法案はついにアイヌを日本の先住民だと認める)After more than a century of forced assimilation and discrimination that nearly blotted out their culture, the Ainu are finally to be recognized as indigenous under legislation to be submitted to the ordinary Diet session. (アイヌの文化をほぼ壊滅させた1世紀以上にも及ぶ強制的な同化政策と差別の果てに、ついにアイヌ民族を法的に先住民族と認める法案が通常国会に提出される) このすさまじい違いは何を意味するか。 この表現では、日本政府が今回の「アイヌ新法」でアイヌを先住民と正式に認めることが、「アイヌ侵略史観」まで公式に認めたと受け取られかねない。「そんなつもりはない」と日本政府が言っても、明確に説明(立論)しなければ、自動的にそうなる。これに朝日新聞が食らいつかないはずがない。それが前述の英語記事につながるわけだ。 日本政府は、アイヌを正式に先住民と認め、さらに手厚く支援することで国際社会の心証が良くなることを期待しているのだろうか。ひょっとしたら、人気漫画『ゴールデンカムイ』のイメージを利用して観光資源になることまで考えているのかもしれない。 2018年12月末、いつの間にか「アイヌ担当大臣」という新たなポストが設置され、公明党の石井啓一国土交通相が指名されたことを知らない人も多いだろう。そして2020年4月には北海道白老町の8600平方メートルの敷地に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園がオープンする予定だ。このように、東京五輪に合わせて海外向けの情報発信が急ピッチで進んでいることもあまり知られていない。2018年12月、北海道庁赤れんが庁舎の外壁に浮かび上がる、アイヌ文化を紹介する「プロジェクションマッピング」 日本政府は、この政策によって「南京大虐殺」「慰安婦強制連行」「徴用工」などに続いて、「アイヌ侵略」が日本政府公認の歴史的犯罪として世界に拡散される危険性を理解していない。慰安婦に関する日韓合意によって、「慰安婦性奴隷説」は世界で定着した。今後、前述の朝日のような「日本人の犯罪としてのアイヌ侵略」を強調する英語記事が世界中にますますあふれてしまえば、日本人は永遠に税金を使って償い続けることを余儀なくされるだろう。 政府は慰安婦問題で、あれほど日本の名誉を貶められ、国益を損ねながら、またもや進んで情報戦の餌食になってしまった。ここぞとばかり牙をむく朝日新聞の高笑いが聞こえてきそうである。■「慰安婦は誰が強制したのか」曖昧な英文記事、朝日のヘリクツ■慰安婦を「ゲスな演出」でアピールする韓国に反論してもムダである■慰安婦問題で韓国に「無条件降伏」し続ける外務省のホームページ

  • Thumbnail

    テーマ

    ユーチューバーがつまらなくなった

    が、再生回数を意識する余り、過激さを売りにする動画も珍しくはなくなった。今や炎上ユーチューバーが既存メディアの格好のネタになる時代である。たまには夢を壊しかねない現実も語ってみよう。(写真は共同)

  • Thumbnail

    記事

    「YouTuber」を日本人の価値観で考える方が変、そう思いません?

    チューバー)」と呼ばれる人たちが子供たちの憧れの職業になったりしているわけですが、自分が普段見ているメディアに出ている人たちに憧れるってのも、昔からあることなんですよね。 「銀幕のスター」という言葉がありますが、映画が人気のあるメディアだった頃は、映画に出ることがステータスでした。当時は格下のテレビに出るのを嫌がる人たちもいたわけです。 ちなみに、アメリカは映画に出る役者の方が、テレビに出る役者よりも格が上だったりしますが、日本はテレビの方が上になっていますよね。 ラジオDJに憧れる人がいたり、広告代理店のコピーライターに憧れる人がいたりと、新しい職業に憧れる人がいるのはいつの時代もそうですよね…と。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) んで、「将来子供にYouTuberになりたいと言われたらいやだ…」みたいな話を聞きますが、有名YouTuberに憧れる子供がいたら、やらせてみたらいいと思うんですよね。 動画の企画を考えて、カット割りを考えて撮影をして、編集にしても、テロップを入れて、効果音を入れて、動画の長さを考えたり、画質をきれいにするために動画エンコードの方法を考えたりってのを毎日やっている人たちが、有名YouTuberとして名をはせてる人たちだったりするわけです。 動画を1本作るぐらいだったら、頑張ればできますけど、毎日、これだけの作業をたんたんと続けることができるのって、ある種の才能だと思います。YouTuberに憧れる子供がいたら、ゴールデンウィークの間、毎日、動画を1個ずつ作るのに挑戦させてみたらいかがでしょうか? また、YouTuberに憧れる社会人も多いわけですが、動画の企画を考える中で、他の人がやってないこととなると、ほかの人がやらなかった理由のあることがほとんどなんですよね。大抵の企画は既に誰かがやっている世の中だったりします。 ってことで、他の人がやらなかったことで過激なことを、目立つためにやり出す人たちが現れてきました。これは日本に限らず世界的な潮流ですけどね…。日本の倫理観じゃムリ アメリカだと、「お腹に電話帳を入れて、銃で撃ってみた」という動画を撮影しようとして、夫のお腹に向けて銃を撃ったら、電話帳を貫通して、夫を殺しちゃって、刑務所に入った妻もいたりします。アメリカの有名YouTuberが富士の樹海で自殺者を見つけてしまって、その遺体を撮影してYouTubeにアップロードしたことで、世界的なニュースになったこともありました。 さてさて、YouTubeはGoogleの子会社ですが、基本的には広告で売上を上げている会社だったりします。YouTubeは広告を売るために、クリエイターに動画を作ってアップロードしてもらっているわけです。なので、広告主が嫌がりそうな動画は要らないのです。 ただ、YouTubeに広告を出しているスポンサーは、膨大な数の動画の中で、実際にどういう動画に広告が出ているか、全部チェックすることができないわけです。 YouTubeの指針を信頼して「大丈夫だろう」と思って広告を出していたら、宗教的にやばい動画だったりとか、児童に悪影響を及ぼしそうな動画とかにも大手企業の広告が出ていることが分かったりしちゃいました。 そこで、2017年の終わりぐらいから、大手企業がYouTubeの広告から撤退を発表し始めたのですね。 それを受けて、YouTube側もよろしくない動画に広告が表示されないようにしたり、よろしくない動画が自動的に見えなくなったりするような仕組みとかを導入し始めたわけです。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) こんな流れでYouTubeの規制が厳しくなってきたのですが、社会とか法とかじゃなくて、単に広告主が広告を出したくなるようなサイトにするために変えたってだけなんですけど、世の中の識者と言われる人たちは「社会的意義」とか「モラル」とかなんだか分からん御託を並べて説明しようとしたりするんですよね。 そんなわけで、広告主が戻って来なければ、規制はもっと厳しくなるし、戻ってくるんだったら、ここらへんで規制強化は止まると思います。 テレビや他マスメディアは倫理チェックする機関があるけれど、YouTubeにはないみたいな話もありますが、世界中で見られる動画の倫理を誰が判断するんですかね? 日本では、アイドルと呼ばれる女子がお金をもらってお客さんと握手したりする仕事をしていますが、欧州やアメリカの州によっては児童労働とみなされる違法行為だったりします。 なので、日本の価値観で「海外の会社」の「海外のサービス」の倫理を問うこと自体がおかしなことだと思ったりしているオイラです。 そんなわけで「大金を使う系動画はどうなの?」とか、「若い子が肌を出しているのはどうなの?」とかは、「アメリカや欧州の大企業がその動画に広告出したいと思う?」って基準で考えると自ずと答えは出てくるんじゃないかと思います。■「2ちゃんねるのどこが社会悪?」ひろゆきが振り返る平成ネット史■2ch創設者ひろゆき提言「キモくて金ないおっさんにウサギを配ろう」■「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味

  • Thumbnail

    記事

    「過激ユーチューバー」を抑えつけるカラクリ

    久保田康介(弁護士YouTuber) 私は弁護士登録をする以前、司法試験対策の講師として活動していました。その際、自分のユーチューブ(YouTube)チャンネルでサンプル講義をアップロードしていました。そうした講義をアップロードする中で、「弁護士がユーチューブで日々のニュース等を法律的に解説する動画をアップロードすれば、需要があるのではないか」と常々考えておりました。 そして、とある事件をきっかけに弁護士登録をすることになり、同時に「弁護士ユーチューバー(YouTuber)」としての活動を開始しました。 ユーチューブの広告収入は、動画の広告が表示・再生されることにより発生する仕組みとなっています。現在では、チャンネル登録者数1000人およびチャンネル全体の動画再生4000時間という基準をクリアしないと収益化することができません。つまり。この基準を満たさなければ入ってくるお金はゼロなのです。 私がユーチューブから受け取る広告収入は、月によって変動がありますが、おおよそ全国の新卒社員の平均額程度です。「弁護士ユーチューバー」として活動を始めた頃は、弁護士会費用(月額5万円ほど)を捻出できれば十分だと考えていたので、それを思うと結構な額をいただいている印象を受けます。 広告収入が多い日は(≒動画がたくさん再生された日は)、一日で10万円を超える収益が発生することもあります。その日が突然やってくることもあるわけですから、これはユーチューブドリームと言っても過言ではないでしょう。 ユーチューブにおいて、より多くの広告収入を得るためには、動画の再生回数を増やし、その動画内の広告の表示・再生回数を増やす必要があります。そうすると、注目を集めるために過激な動画を制作するユーチューバーが現れます。そうした過激な動画が、法律に違反していたり、モラル的に許容し難いものであれば、ユーチューブのコメント欄や他のSNS(会員制交流サイト)投稿などで多くの批判・批評を集めることになります。いわゆる「炎上」ですね。 例えば、「白い粉ドッキリ」という刑事裁判になっているケースがあります。これは、ユーチューバーが警察官の前でわざと白い粉を落として、慌てた様子でそれを拾い、全力で逃走することで、違法薬物だと考えた警察官がユーチューバーを追いかけるのですが、その様子をユーチューバーの関係者が撮影したという映像を動画としてアップロードしたものです。 この動画は、アップロードされた当日に約100万回ほど再生されたはずですが、上記ユーチューバーは逮捕され、上述のように現在は刑事裁判中です。 他方で、意図せずに炎上してしまうケースもあります。例えば、とある有名ユーチューバーが軽犯罪法に違反することを知らずに違反行為をしてしまったケースがあります。このケースでは、そのユーチューバーは数カ月間活動を自粛するに至りました。 炎上すると、コメント欄やSNS投稿を通じてさまざまな意見が飛び交います。中には、意見と誹謗(ひぼう)中傷を織り交ぜたようなコメントや、誹謗中傷するだけのコメントも大量に投稿されます。ユーチューバーが驚愕した事件 炎上中に動画投稿活動を行うと、さらに炎上が拡大することもあることから、炎上中のユーチューバーは謝罪動画をアップロードしたり、活動を休止することが多いです。 炎上をきっかけに、実被害をもたらすケースもあります。過去には、氏名・住所等の個人情報が特定・拡散されたり、過去のプライベートな内容を掘り起こされたり、勝手にユーチューバーの住所を宛先に着払いで物を注文されたりといった例があります。ひどい場合には、炎上したユーチューバーの実家を特定し、物を壊すなどといったケースもあったようです。 過激な動画には一定の需要があり、そうした動画を望む声もないわけではありません。現に、私は過激な動画について法律的な見解を示す動画を制作することがありますが、その動画に「ユーチューブがテレビみたいになってつまらなくなるからやめろ」といったコメントがつけられることがあります。 しかしながら、ユーチューブは規制強化に踏み切りました。近時のコミュニティーガイドラインの変更では、例えば、危険なチャレンジ・いたずらを内容とする動画が禁止されました。禁止の内容に興味をお持ちの方は以下のページをご覧ください。よくある質問:危険なチャレンジやいたずらに対するガイドライン変更に関して ユーチューバーのみならずユーチューブ自体も広告で収益を上げていることから、広告主の意向に背くことはできません。では、広告主が自らの広告を過激な動画につけてほしいかと言われれば、答えは「No」でしょう。結局、ユーチューブもテレビと同様に規制強化へと舵(かじ)をとらざるを得ないことは既定路線だったと言っても過言ではありません。YouTube本社=カリフォルニア州サンブルーノ(GettyImages) 数カ月前に、ユーチューブのコミュニティーガイドライン違反を理由として、とある有名ユーチューバーのユーチューブアカウントが削除されるという事件がありました。その事件は多くのユーチューバーを驚愕(きょうがく)させました。 その事件を受けてなのか、それとも規制強化を受けてなのかは分かりませんが、ユーチューブ全体の傾向として、現在は以前よりも過激な動画が減少しているとの印象を受けます。今後も、健全化とのお題目の下で規制強化が図られることは避けられないと思いますので、私もいちユーチューバーとして、たびたびコミュニティーガイドラインを確認することで自らを省みる必要があると感じています。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか■ テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

  • Thumbnail

    記事

    刺激とカネ「なりたい職業」ユーチューバーのジレンマ

    唐澤貴洋(弁護士) ソニー生命が2017年に発表した「中高生が思い描く将来についての意識調査」の「中高生が将来なりたい職業」に、「動画投稿者」が男女ともにトップ10入りした。アンケートが示すように、YouTuber(ユーチューバー)や、ライブ配信アプリを利用する「17ライバー」といった動画配信を職業や生活の支えとする人々は、ここ数年で目立って多くなっている。 そのためには動画への広告設置が必要だが、YouTube(ユーチューブ)では、配信者が「パートナープログラム」に参加して、動画再生回数など一定条件をクリアしなければならない。その広告動画の再生を通じて、初めて広告収入を得られるようになる。 日本では、チャンネル登録者数が100万人を超えるユーチューバーが100を超えた。つまり、延べ1億人を超えるユーザーに対して、「トップユーチューバー」の影響力が及んでいるといえる。 そのようなユーチューバーは影響力の大きさから「インフルエンサー」とも評されている。場合によっては、テレビを通して影響力を持っていた「芸能人」よりも、若年層からの認知度が高く、多大な影響力を与える者が出てきている。 動画機材や企画構成、出演者、編集を自前で用意するという条件さえクリアできれば、ユーチューバーになれる可能性がある。ユーチューバーになっても、金を稼ぐには配信動画の質への是非や評価が求められるとはいえ、「芸能人」のようにどうすればなれるのかもわからない不透明な存在よりも、「なりたい職業」として認識されることも理解できないことではない。 しかし、ユーチューバーの中には、再生数の増加に応じた広告収入の増加を求めて、違法や有害な動画を掲載する者が後を絶たない。名誉毀損(きそん)行為やプライバシー侵害行為、人々の不安をあおる陰謀論、卑猥(ひわい)な表現、事実に基づかないフェイクニュース、暴力表現と、内容を挙げればきりがない。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 果ては、動画の内容とユーチューブ上で表示されるサムネイル(縮小画像)の内容が異なるにもかかわらず、サムネイルで過激・過剰な表現を用いて視聴者を引き付けようとする、いわゆる「サムネイル詐欺」まである。地上波に肉薄「ネット広告費」 また、既に多数の登録者数を獲得しているユーチューバーが、その影響力を利用して、マッチングサイトの広告、怪しげな金融商品や情報商材の広告、投資の勧誘広告を行っている事実も見受けられる。「ユーチューブでは何をやっても再生数さえ稼げればいい」という誤った風潮がまん延し、違法・有害なコンテンツがユーチューブ上で氾濫してしまったという現実が存在する。 このような状況を生んだ要因の一つに、ユーチューブがテレビやラジオと異なり、放送基準の適用がないことが挙げられる。上記の動画は、既存のテレビやラジオでは到底放送することのできない内容である。事実、違法・有害動画の撮影中の行為で、刑事事件として立件された事例もあった。 ユーチューブの運営側もこの手の批判を知ってか知らずか、最近は違法・有害動画対策として、コミュニティーガイドラインの厳格化を図っているようだ。実際、違法・有害動画を投稿して、アカウントを停止されたユーチューバーもいる。 しかし、現在のユーチューブを見てみると、上記のような違法・有害コンテンツがいまだ多数存在しているのが現状である。たとえコミュニティーガイドラインが厳格化されても、ガイドライン通りに厳格運用される体制を整えていなければ、厳格化の意味がない。 このごろ、テレビの視聴率低下とネット動画配信の隆盛に伴って「テレビがつまらない」という意見をよく目にする。テレビは、これまでのさまざまな経験をもとに培われてきた放送ルールに従い、多くの人に害なく見られるコンテンツを作ってきた。 それゆえ、視聴者にとっては、表現としての刺激が物足りなく感じることもある。特に、違法・有害なコンテンツをネットで簡単に見ることができる現状の下では、テレビとの比較で、その物足りなさが際立ってしまっているところから生まれてきた表現であろう。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) その影響は広告費にも表れている。電通が発表した「2018年日本の広告費」によれば、地上波テレビの広告費が1兆7848億円で前年を下回った。一方で、インターネット広告費は1兆7589億円で5年連続の2桁成長を続け、地上波テレビの広告費に肉薄している。 つまり、ネットでのコンテンツ配信が利益になるというのは、もう否定できない事実である。この事実を前提として、コンテンツ配信者にどのように適切な配信に対する基準や倫理を持ってもらうかが、今後さらに問われている。「流行り廃り」じゃない だが、個人・法人を含めコンテンツ配信者を統括するような団体は見られない。このような現状では、コンテンツ配信のウェブ・プラットホーム(基盤)を運営する事業者(プラットフォーマー)による「自主基準」を頼りにせざるをえない。 しかし、プラットフォーマーにとっては、自主基準を厳しくした上で、その基準通りの運用を行えば、凡庸なコンテンツが増え、視聴者数や再生回数を稼ぐことができず、広告媒体としての価値の低下につながってしまう。自主基準の厳格化と企業収益の「緊張関係」をどう調節するかが、プラットフォーマーの「永遠の課題」となっていくのだろう。 ネット配信の収益化で忘れていけないのが、広告主や広告代理店の存在だ。昨年問題となった、差別的言動を掲載したまとめサイトや、海賊版サイト「漫画村」に対しても、広告掲載を行ったのはあくまで広告代理店である。 だが、このようなサイトで広告を掲載されることは、広告主からすれば本位ではないだろう。それでも、広告配信可能な媒体を抱えるアドネットワークサービスを利用して出稿している広告主において、自社広告がどこに掲載されているかを全て把握している企業がどれほどいるのか。 アドネットワークは、広告配信可能な媒体を多く抱えることで、より多くのインターネット利用者にリーチすることが可能となり、広告主から報酬を受け取ることができる。プラットフォーマーと同じジレンマを抱えるアドネットワークに自主規制を求めることには、おのずと限界がある。 だからこそ、広告主としては、自社のコンプライアンス(法令順守)に従った広告出稿先の選定、チェックを行うことが求められていく。違法なコンテンツに収益を提供し、権利侵害を拡大させるようなことは、当然企業倫理からして許されるものではないからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ユーチューバーを取り巻く問題は単に「流行り廃り」の話題ではない。根底には、コンテンツ配信の適正化と広告の問題が存在しており、今後も注視していかなければならない問題なのである。■ 「ネトウヨ夏のBAN祭り」ヘイト裁きをグーグルに訴える意味■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか■ テレビはYouTubeとネット番組に視聴者を奪われたのか

  • Thumbnail

    記事

    ピエール瀧、出演作品の相次ぐ自粛「それでも起用」となぜ言えない

    上で、人気コメディー女優の降板と番組打ち切りを決断した。 一方でバーの謝罪を受け入れ、起用を継続したメディアもあった。海外ではおおむね「ケース・バイ・ケース」で各社が自主判断をしている印象が強い。日本では、逮捕時点で関係する企業が一斉に「右にならえ」で自粛決定をしているように見える。 実のところ、日本人というのは、このケース・バイ・ケースが苦手な民族だ。筆者は日本とマレーシアを拠点として仕事しているが、多民族国家から見る日本人は「清潔でマナーが良く、仕事をきちんとする」と評判が良いが、「マニュアル以外になると臨機応変の対応が苦手」という印象を持たれることが多い。 本来、各自の判断で決めればよいものでも、「みんながそうやっているからウチも」とする風潮があるのは確かだ。だが、裏を返せば、多様な姿勢を認めにくい社会を反映しているともいえる。 そういう意味では、一部報道にあった瀧容疑者の出演映画『麻雀放浪記2020』が出演部分をカットせず、予定通り公開する方向で調整するという判断は興味深い。同じく公開を控えていた映画『居眠り磐音』が代役を立てて登場シーンを撮り直すことを決めている。映画という有料コンテンツである以上、観客である消費者に判断が委ねられるわけで、「収録済みで公開予定の作品」の対照的な「意思」に注目が集まることだろう。2019年3月13日、関東信越厚生局麻薬取締部が入る九段第三合同庁舎から出てくるピエール瀧容疑者(佐藤徳昭撮影) 自粛を決めた日本の各企業も、それぞれ強いメッセージを打ち出したらどうだろう。例えば「わが社は、いかなる種類の犯罪行為も、社会秩序を守る観点から社会的制裁を受けることもあるというメッセージを発信するため、それが被害者のいない犯罪であったり、『推定無罪』の段階であったりしても、著名人による影響の大きさを考えて、苦渋の決断で暫定的に販売中止を決定しました」と発していたら、その決断自体は現在よりも尊重される可能性も高くなる。議論の余地がある話であれば、起用側による意見発信で、判断基準を形成していくことにもつながるのではないだろうか。■なぜASKAは再び覚醒剤を使ってしまったのか■ASKAが覚醒剤から解放されるためのヒント■NHK『トクサツガガガ』私が一瞬、涙目になったワケ

  • Thumbnail

    記事

    「スイッチが入った政治家」安倍晋三のリベンジ

    ャーナリズムを手玉に取って長期政権を実現した。その明暗は鮮烈だ。政治コミュニケーションの観点からは、メディア化した政治に再チャレンジして見事に対応した世界的にもまれなケースだと思われる。 1990年代に入り、「政治のメディア化(mediatization of politics)」という議論が欧州でも登場してきた。政治におけるメディア、特にテレビの影響力が高まってきたという話である。 20世紀後半において、政治の中心は組織や団体にあったが、それらの影響力が弱くなっていく中、人々はメディアを通じて政治的な情報を得るようになっていった。一方、メディアは政府の規制から自由になり、ジャーナリズムや商業主義など自分たちの論理(media logic)で報道するようになった。特に、基幹的なマスメディアに成長したテレビにおいては「絵になる」ことが重要になっていく。 それらの流れが20世紀末に出会うことで、政治におけるメディアの重要性が増し、テレビで政治家がいかに映し出されるかが重要になってきたという議論だ。 イタリアのベルルスコーニ元首相、フランスのサルコジ元大統領、英国のブレア元首相などが「政治のメディア化」に対応した政治家ということになろう。日本においても平成に入り、テレビの政治的な影響力が強くなってきた。 平成の日本政治は消費税導入とリクルート事件から始まり、政治改革が大きなテーマとなったが、そこにはテレビの強い政治的影響力が働いた。日本における「政治のメディア化」の始まりだ。 それに対して、海部俊樹元首相や細川護熙元首相、小泉純一郎元首相などが「政治のメディア化」という状況に対応した首相像を演じた。特に、小泉氏は55年体制的な組織や団体を忌避する世論が強まっていた中で、テレビ上の自身のイメージを巧みに演出して政権を維持した。そういう意味で、小泉氏は「テレビ政治家」の最たる存在であり、日本政治史上「政治のメディア化」に最も巧みに対応した首相であったといえる。2006年9月、両院議員総会で自民党新総裁に決まり、笑顔を見せる安倍晋三官房長官(右)と小泉純一郎首相(大井田裕撮影)  その小泉氏の後を次いで登場したのが安倍氏だ。だが周知のように、2006年からの第1次政権において、安倍氏は世論対策にもマスメディア対策にも失敗した。第1次政権「失敗の理由」 第1次安倍政権は、先代の小泉氏が「個人芸」で対応していた「政治のメディア化」の状況に、ホワイトハウス型のチームで挑もうとした。その象徴が補佐官制度であったが、この試みは内部に軋轢(あつれき)を生じ、結果的に失敗する。 また、政策面でも、安倍氏が重要だと位置付けたさまざまな政策を性急に行おうとしたことも、国民世論との乖離(かいり)を招いた。彼自身、第1次政権の失敗について以下のように振り返る。 「戦後レジームからの脱却」という大きなテーマを掲げ、幸い衆議院の多数がありましたから、やらなければいけないことを今のうちにどんどん進めようという気持ちが強かった。教育基本法の改正、憲法改正のための国民投票、公務員制度改革-。しかし、私がやりたいことと、国民がまずこれをやってくれということが、必ずしも一致していなかった。そのことがしっかり見えていなかった。私が一番反省しているのは、その点です。(中略)私としては、国民の関心の有無にかかわらず、今、自分がやるべきだと思うことをやるのが正しいんだと、そう考えていました。祖父の岸信介は安保改定の意義が十分に理解されていなかったとき、「俺の信念は正しい」と、国会を十重二十重にデモ隊に囲まれようとも貫き通した。私もそうあるべきだと思っていたんです。(中略)でも、大きな政策を実行するには国民の理解を高めていくことが重要ですが、それには時間がかかる。時間がかかることに取り組むためには、まず政権を安定させ、継続させなければならない。これが前回辞めて、初めてわかったことです。「阿川佐和子のこの人に会いたいスペシャル 安倍晋三首相VS.阿川佐和子」『週刊文春』2013年5月2日号 当時はテレビの政治報道も元気な時期だった。2005年の郵政選挙で小泉氏がテレビを利用したことの反作用だったか、テレビも政治をより気軽に扱う「政治のメディア化」が頂点に達していた。 テレビ番組では国会議員たちがちょんまげ姿で政局劇を演じ、芸人たちが議員たちを怒鳴り飛ばしていた。その中で、世論と違うことを行おうとした安倍氏は「KY(空気が読めない)」と揶揄(やゆ)されるようになった。 その後、安倍内閣は年金問題や国会議員のスキャンダル・失言の中で参院選に敗北し、敗北後はマスメディアによる「辞めろ辞めろ」の批判の中、体調を崩して退陣した。昭恵夫人は以下のように当時を振り返る。 2007年の参議院選挙の後からというのは、わたしたちにとって公邸での生活は地獄のような日々だったんです。毎日やらなくてはいけないことがある一方で、主人の体調がどんどん悪くなっていく。そういうなかで批判も多くなるし、外国訪問にも行かなくてはならない」「父のあとを継いで、とんとん拍子に総理にまでなってしまっていたので、持病があったとはいえ、あの辞任は初めての大きな挫折だったと思います。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」『新潮45』2013年9月号 ところが、5年間の雌伏を経て、安倍氏はカムバックする。マスメディアの政治部も含め、ジャーナリズムからはほぼノーマークからの総裁選の出馬と当選、そして首相就任であった。2006年9月、就任会見に臨む安倍晋三首相。右手奥には小池百合子氏など首相補佐官が並んだ(大西史朗撮影) カムバック当時、筆者がマスメディアの記者たちと話していると「また、安倍が出てきたけど、どうせ腹が痛くなってやめるんだろう」とか「オレたちがまた痛い目にあわせてやるぜ」といった雰囲気が強かった。政治学者の多くも安倍政権の「高転び」を予測していたと思う。しかし、その雰囲気はすぐに一変し、安倍氏は戦後最長はもとより、憲政史最長の在任期間を迎えようとしている。挫折を糧に「変わった」 かつて「政治のメディア化」への対応に失敗した安倍氏が、なぜ長期政権を実現できたのか。成功の要因には昭恵氏が指摘するように安倍氏自身が挫折を糧に「変わった」ことが大きい。 人間って、やはりドンと落ちたときに、何かが変わるのではないかと思うんです。主人について、そこで何が変わったか、と言われると、わたしも具体的に言うのは難しいのですが、主人の中で何かスイッチが入ったのは、確かだろうと思います。 前回の辞任以来、人事にしても動き方にしても、自分の中で『こうすればよかった』という思いがある。それを五年間考えてきたようです。(中略)特に野党時代は時間が比較的自由になって、座禅に行ったりランニングなどもしていました。いろんな人にいっぱい会いましたし、たくさん本も読んでいました。この五年間は大きかったようです。安倍昭恵「妻から見た『素顔の安倍晋三』」 それでは、どのように変わったのか。政治コミュニケーションの面で第2次政権以降の変わったところは大きく二つある。 第一は、経済政策の「前景化」だ。2012年の総選挙で政権に復帰した安倍氏は「経済再生」を第一のテーマに掲げた。具体的には、日本銀行の超低金利政策による「アベノミクス」で景気を演出し続ける。 経済という国民の関心の高いものに対して手を打って、株価や失業率の改善など目に見える「結果」を出して政権を安定させ、継続させる。第1次政権の反省がもたらした、再チャレンジ成功の最も基本的な要因である。 加えて、政治コミュニケーションに携わっている人物の構成も長期政権化の大きな要因となっている。第2次政権では、首相官邸の有様は第1次政権のホワイトハウス型から従来型に戻るが、そこに登用された政権のコミュニケーションを支えている人々は安倍氏との深い人間関係で結ばれ、かつ「メディア化した政治」の洗礼を受けた人々である。この間、苦い思いをたっぷり味わってきた。  麻生太郎副総理兼財務大臣は、首相時代に「解散やらないKY」「漢字読めないKY」などとテレビなどで揶揄されて支持率を大きく減らし、衆院選で敗北し民主党に政権を譲った経験を持つ。菅義偉(よしひで)官房長官も第1次安倍政権での総務相を経て、自民党の選挙対策総局長、選挙対策副委員長(福田内閣)、同委員長代理(麻生内閣)として、この間の「政治のメディア化」、特にマスメディアによる選挙時の「攻撃」を責任者としてつぶさに体験している。菅氏の総務相時代にもテレビ番組への行政指導が多数出された。2019年2月、参院本会議で立憲民主党の福山幹事長の質問を聞く(左から)菅官房長官、茂木経済再生相、麻生財務相、安倍首相 また、官邸で政権を支える官僚たちも、第1次政権では事務担当秘書官として広報を担当した今井尚哉(たかや)政務担当首相秘書官を筆頭に、第1次政権での挫折と屈辱を安倍氏とともに味わった者たちが中心である。その点では、現政権は第1次政権で、マスメディアと大衆に傷つけられたエリートたちの「リベンジ政権」だともいえよう。 もちろん、その他の外部環境的な条件も大きい。何と言っても、野党の力が弱く、自民党にも強いライバルがいない。そのため、さまざまな批判はされるものの、「よりどころ」が存在せず、政局には結びつきにくい。地獄から這い上がった「根性」 また、インターネット、中でも会員制交流サイト(SNS)の登場によるメディア環境の変化も、マスメディアの力を相対化している。加えて、マスメディアの政権に対する論調が分かれていることも、メディアの力を削いでいる。また、政権がメディアの報道によって5年で5人も変わるという「政治のメディア化」に対する倦(う)みも国民の間にあるのだろう。 とはいえ、2017年の解散総選挙前に巻き起こって消えた「小池旋風」に見られたように、メディアが政治に強い影響力を与える「政治のメディア化」の状況が終わったわけではない。 そもそも「政治のメディア化」は、団体や組織といったリアルな結びつきが弱体化した中で進行していったのである。事実、労働組合や農協といった55年体制下の中心的な団体の組合員数や自民党の党員数も本格的な回復は見られない。 その点で、ネットを含めてメディアが政治のイメージをどのように伝えるかは、依然重要なポイントである。安倍氏が民主党政権時代を批判し続けたり、「アベノミクス」「三本の矢」「まち・ひと・しごと創生」「一億総活躍」「働き方改革」「人づくり革命」とさまざまなキャッチフレーズを唱え続け、自らの仕事ぶりをアピールすることも必要性も理解できよう。 これらの言動に対しては「5年もたっているのに民主党を批判し続けるのはおかしい」とか「『やってる感』を演出しているだけ」との批判もある。しかし、メディアによって地獄を見た安倍氏にとっては馬耳東風の批判だろう。 むしろ、問題は、野党または自民党の中に「スイッチが入った」政治家がいないのかということだ。敗北を敗北として捉え、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)、次に向けて勉強し、仲間を維持し、(再)チャレンジを試みる。そういう政治家は見つかるのだろうか。 正直、安倍政権の政策や政権運営にはおかしいと思うところも多々ある。しかし、第1次政権末期、テレビや新聞のマスメディアと2ちゃんねる(現5ちゃんねる)などのインターネットが一緒になって、批判や揶揄、嘲笑を行っていた。いわば「一億総軽蔑」ともいえる「地獄」の中で退陣を余儀なくされたところから、5年の充電を経て、一気に政治的頂点に復活した安倍氏の根性は正面から評価されるべきだと思う。2014年9月、「まち・ひと・しごと創生本部事務局」の看板を掲げる(左から)石破茂地方創生担当相、安倍晋三首相、菅義偉官房長官(代表撮影) しかも、政権復帰に伴い、かつての部下などがある意味、退路を断って脇を固め、自分たちの失敗経験を生かしながら長期政権に寄与する。このような人間関係の持ちようも、政権運営術や政治コミュニケーションの観点からは、きちんと評価されるべきだろう。 政治にせよ、政治コミュニケーションにせよ、「天下一人を以て興る」(中野正剛)にせよ、すべて一人でできるわけではない。「ポスト安倍」を準備している「スイッチが入った」者がいるのか、日本の政治コミュニケーションの課題である。

  • Thumbnail

    テーマ

    「菅長官vs望月記者」バトルの波紋

    東京新聞の望月衣塑子記者と菅義偉官房長官のバトルが続いている。度重なる官邸側からの申し入れにも「報道の自由の侵害だ」と真っ向から反発する。そんな彼女を支える勢力の中には、これを倒閣運動の足掛かりにしたいとの思惑もアリアリだ。それだけに話はややこしくなるばかりである。

  • Thumbnail

    記事

    「今の記者クラブはバカの集まり」官邸vs望月記者、舛添要一の苦言

    舛添要一(前東京都知事、元厚生労働大臣) 記者会見での質問の在り方について、菅義偉(よしひで)官房長官と、東京新聞社会部の望月衣塑子(いそこ)記者、そして彼女が所属する東京新聞との間で応酬が続いている。私も厚生労働大臣、東京都知事として記者会見を行ってきたので、そのときの経験も踏まえながら、今回のバトルについて記してみたい。 第一の論点は、政府の記者会見とはどういうものなのか、また質問とはどういうものなのかという問題である。 官房長官の側に立てば、それは記者の質問に答える場ということになる。言うまでもなく、記者の意見を政府が拝聴する場ではないし、質問する記者が事実誤認をしていれば、そもそも質問そのものが成り立たない。 森友・加計学園問題や、米軍普天間飛行場の移設先である名護市辺野古沿岸部の埋め立て工事問題などをめぐる望月記者の質問に関して、2017年9月1日以来、官邸は繰り返し東京新聞に申し入れを行っている。むろん、東京新聞側もその都度回答している。 そして、昨年12月28日、官邸は上村秀紀報道室長名で内閣記者会に対して文書を出した。「東京新聞側に対し、これまでも累次にわたり、事実に基づかない質問は厳に慎むようにお願いしてきました」として、「当該記者による度重なる問題行為については、総理大臣官邸・内閣広報室として深刻なものと捉えており、このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と要請した。2019年2月、首相官邸で開かれた菅官房長官の記者会見で、質問中の東京新聞の望月衣塑子記者(手前)に注意を促す上村秀紀報道室長 これに対しては「取材の自由への侵害」などとして新聞労連が抗議声明を出したり、弁護士やジャーナリストらが文書撤回を要求したりしている。 この点に関して、まずは記者の意見と質問とは混然一体としていることが多く、明確に線引きできるものではないことを指摘したい。例えば、「米朝首脳会談で合意に至らなかったことは失敗だと思うが、その失敗の理由は何だと思うか?」という質問をする記者に対して、「自分の意見を言った」と非難することはできないであろう。 答える側が「自分は失敗だと思わない。その理由は…」と答えれば済む話だからである。したがって「会見は意見を言う場ではない」という主張はあまり説得力がない。質問の「介入」は適切か また、記者の事実誤認については、もしそうであれば、誤りをきちんと指摘し、正しい事実を伝えればよいだけの話である。答える側にすれば、間違った事実を質問されれば、それを利用して正しいことを伝える機会にすることができる。 また、そもそも記者が「事実誤認」などという初歩的ミスをするということは、自分の説明が十分でなかった、あるいは誤解を招くような下手な説明であったと反省する材料にもなる。 以上は一般的なコメントであり、私が望月記者の質問を毎回細かくチェックしているわけではないので、彼女の言動が「度重なる問題行為」に相当するのかどうか判断できない。ただ、官邸がそこまで断言するのには、それなりの根拠があるのかもしれない。 この点で参考になるのが、米国のトランプ大統領の記者会見である。彼は記者の質問に答える以前に、自分と意見の異なる記者からの質問に対しては、「フェイクニュース」と断罪し、次の回からはその記者を指名しない。 もし、日本の政治家が「トランプ流」の受け答えをすれば、非難の嵐となろう。2年前、今村雅弘元復興相が記者に対して「(会見室から)出て行きなさい!」と激高して批判されたが、それが「日本の風土」である。 第二の論点は、望月記者の質問中に、官邸報道室の上村室長が「簡潔にお願いします」「質問に移ってください」などと、何度も質問を遮ったという点だ。この点については、上村室長の介入が適切か、あるいは表現の自由を阻害するような類いの不適切なものか、判断が必要である。 そして、記者については、一定の品位を保った質問をしているか、質問に関連することを十分に調査し、勉強しているか、ということが問われることになる。 東京新聞側から見れば、上村室長の介入は「限度を超えている」という見解であろう。また、官邸側から言えば、望月記者は記者会見で「最低限守るべき礼儀を欠いている」という理屈になる。2019年2月28日、ハノイでの米朝首脳会談を終え、記者会見する米国のトランプ大統領(左)とポンペオ国務長官(共同) ベトナムの首都、ハノイで開催された米朝首脳会談の最中、ワシントンではトランプ大統領の元個人弁護士、マイケル・コーエン被告が下院の公聴会で証言したが、ハノイでこの件について質問した4人の記者が、首脳会談と無関係なことを質問したとして、記者会見への参加を拒否された。これは、ホワイトハウスの権限で行われたものである。官邸側も、できれば望月記者をつまみ出したいというのが本音だろう。記者クラブは「甘えの構造」 第三の論点は、前述した第二の論点にも関連するが、そもそも記者クラブ制度は必要か、そして役所の報道担当(今回は官邸報道室)と記者クラブの関係はどうあるべきか、という問題とも直結する。 以上の3点について、私自身の経験も踏まえて答えると、まず記者クラブ制度は本来果たすべき機能を果たしておらず、存在する意味がなくなっているように思う。品位に欠ける言動や、長すぎる質問時間、何度も同一人物が質問を繰り返すといった行為は、記者クラブがしっかりしていれば、未然に防げるはずである。 望月記者への申し入れは、本来は内閣記者会が行うべきである。定期的に代わるにしても、責任を持つ幹事社が記者クラブ加盟社の中にいるはずである。それができていないというのは、記者クラブが自治能力を失っていることを意味するに等しい。 もともと記者クラブは「甘えの構造」であり、取材先である諸官庁に場所を無償で提供してもらっている。それは、「報道の自由」という「錦の御旗」の威光をかさに着ているからである。 そして、役所側が無償で便宜を供与するのは、その見返りがあるからである。言い換えれば、権力側からの「情報操作」が可能であることを意味する。 国務大臣などの権力者になると番記者がつく。政治家の立場からは、彼らをどう味方につけるかが腕の見せ所となる。官房長官会見を見ていても、明らかに権力側に取り入ろうとする記者が何人かいて、率先して質問する。むろん彼らから見れば、望月記者は異端に映るだろう。2019年2月25日、定例会見に臨む菅義偉官房長官(春名中撮影) 記者の長すぎる質問や事実誤認をその場で注意すべきは、役所内、つまり官邸の報道室長ではなく、記者クラブの幹事社のはずである。だから、報道室長が介入するというのは、記者クラブに自治能力がないことを意味する。 東京都庁の場合、報道担当責任者は「記者クラブ主催ですから、何もできません」と全く関与しない。知事が術後で健康状態が悪いことを知らされていながら、会見時間が3時間に及んでも知らん顔していたこともあった。まさに文革の「紅衛兵」 はっきり言って都庁記者クラブは自治能力がなく、時間管理も質問管理もできない。また、ミニコミ紙やインターネット、フリーの記者と制限なく入室させている。「わが記者クラブは自由ですから」という触れ込みだが、人権尊重の念も、品位も礼儀もなくても、「記者」と称すれば誰でも入れる。まさに、中国の文化大革命の「紅衛兵」と五十歩百歩と言えよう。 また、記者の不勉強も度を超している。税制や予算の説明をしても、質問すら出ない。たまりかねた私は都知事時代、ある全国紙の社会部長に「若い記者にもう少し本を読むように言ったどうですか」と提案したが、「わが社会部は馬鹿の集まりですから、知事さん、無理ですよ」という答えであった。 そこで、記者の勉強の助けにと思って、私が知事になってからは、記者に公表期限付きで事前に資料を説明させるよう職員に指示した。そうでもしない限り、記者会見で重要政策の説明をしても、理解する意欲も能力も欠けているのである。 都庁記者クラブは、社会部記者が仕切っている。ちなみに、望月記者も社会部所属だが、なぜ政治部記者が中心の官房長官会見に毎度顔を出しているのか、正直よく分からない。 私が厚労相の時には、よく勉強する番記者が集まっていて、役所が出さないデータを発掘して質問される機会がよくあった。また、彼らは「夜討ち朝駆け」で早朝から深夜まで自宅に来て、年金記録問題や薬害肝炎訴訟対応などの政策について、繰り返し質問されたものである。 ところが、都庁では記者会見の場でも、一部の例外を除いて、難しい政策課題には質問が出ず、時間を持て余していた。また、都の政策に関する取材で、私の自宅まで来た記者はまずいない。霞が関から新宿に移ったとき、それこそ記者クラブ文化の違いを肌で感じた。2008年8月、福田改造内閣での留任が決まり、記者会見で抱負を述べる舛添要一厚生労働相(飯田英男撮影) いずれにしても、記者クラブの在り方や、クラブと役所の癒着などにメスを入れるべき時期に来ている。日本では司法とマスコミは聖域にように扱われ、まさに「甘えの構造」の根源となっている。 前者は日産自動車前会長、カルロス・ゴーン被告の長期勾留で国際的に批判を浴びており、それが改革のきっかけになる可能性がある。今回の「菅長官vs望月記者」のバトルが、後者の大改革につながることを期待したい。

  • Thumbnail

    記事

    記者会見で失言や醜態を晒した政治家たちの「器量」

    れる。 河野外相が、先日の記者会見での自らの不作法を謝罪した。遅きに失したというべきだが、愚弄されたメディア、憤慨した国民は矛を収めるかもしれない。しかし、一件落着とまでは言い切れまい。北方交渉に関する質問を無視したことが、ロシア側につけ入る隙を与えることにならないか。そうなって国益を損なったとしたら、謝罪では済まない。 今回の騒ぎによって、過去のいくつかの記者会見を想起させられた。いずれも、政治家や政府高官が失言や問題発言、醜態を晒して物議を醸したケースだ。そのせいかどうか、不幸にして、当事者たる政治家たちはその後、いずれも声望を取り戻すことなく、表舞台から消えていった。 今月15日の外相のブログは、11日の記者会見での対応について「お詫びしてあらためる」と陳謝し、「いつものように『お答えは差し控える』と答えるべきだった」と反省の弁を開陳。「交渉に影響が出かねないことについて発言を控えていることをご理解いただきたい」と釈明した。 最初からそうしていれば、記者団を失望させることはあっても、反発、怒りを買うことはなかったろう。 外相はこれまでも、対露関係については、省内でのインタビューや夜回り取材で、聞こえないふりをしたり、とぼけたりすることを繰り返してきたという。今回の態度は予想されたことではあった。韓国と電話会談し、記者団の取材に応じる河野太郎外相=2019年1月、東京・霞が関の外務省(松本健吾撮影) それに加えて、首相官邸主導で進められて領土交渉の「責任者」に、アルゼンチンでの日露首脳会談で急きょ指名されたため、過剰なほどの慎重姿勢を取ったとの見方もささやかれている。 日本政府がこれまでの「4島返還」から「2島返還」に方針を転換したと伝えられていることもあって、交渉がきわめて微妙な時期にきていることはまちがいない。それだけにだけに、氏の態度に関する推測も的外れと言えないかもしれない。 外相が無視した質問は、「(北方領土は)第2次大戦の結果、ロシア領になったと日本は認めるべきだ」というラブロフ外相の発言についてだった。一切言葉を発することなく無視すること4度、「次の質問どうぞ」を繰り返した。日米関係を損なう発言も 北方領土問題での過剰な慮りは、ロシア側に都合のいい解釈をさせることにならないか。今後の交渉の場で、「責任者」の外相がいくら理詰めでわが方の主張を展開しても、「あなたは国民に説明する場で何の反論もしなかった」などと先方が攻勢に出てくる可能性もあろう。牽強付会な解釈を持ち出し、片言隻句をとらえて交渉を紛糾させることが、旧ソ連時代からの常套手段であることを考えれば、取り越し苦労とばかりは言えまい。少なくとも、宣伝材料に利用される恐れはある。 こんどのように国民が驚き呆れた記者会見といえば、比較的高齢の人なら覚えているだろう。1972(昭和47年)6月17日の佐藤栄作首相の退陣会見。佐藤氏はテレビを通じて直接国民にお別れの挨拶をしようとしたところが、首相官邸の会見室に新聞社を含む記者団がいたため、にわかに機嫌を損ねた。「新聞はウソを書くから嫌いだ」と暴言を吐き、追い出してしまった。たったひとり、ガランとした会見室でカメラに語りかける姿は異様に映った。在任中、いやなことまで遠慮会釈なく書き立ててきた新聞への恨みつらみを、最後の最後に押さえきれなくなったようだ。7年8カ月という長期政権、沖縄返還など多くの実績をあげた総理大臣には似つかわしくない児戯に類する態度だった。 もっとも、佐藤会見は個人的な鬱憤晴らし、新聞への侮辱ではあったが、それ自体、国益を損なうものではなかった。 深刻だったのは1981(昭和56)年5月の鈴木善幸首相(当時、故人)のケースだ。 首相は大型連休を訪米してレーガン大統領(同)と会談、5月8日に発表された共同声明に初めて「同盟」という言葉が盛り込まれた。いまでこそ、日米関係の代名詞になっているが、当時としては画期的なことだった。 そのせいでもあるまいが、首相は発表直後の記者会見で、「(同盟という言葉に)軍事的意味合いは全くない」と言い放ち、「自由と民主主義、市場経済体制を守るということだ」と理解不能な説明をして、日米両国をびっくりさせた。 外務省は最初から軍事的側面を含むという立場であったことから、首相との関係がぎくしゃくし、外務省高官が堂々と首相を批判するなど対立が先鋭化した。首相は、会談前に共同声明がとりまとめられるなど、その作成方法をめぐっても不満漏らし、これに抗議した伊東正義外相(同)が辞任する騒ぎに発展した。新聞記者の引き上げた会見場で、テレビカメラに向かって退陣の所信を表明する佐藤栄作首相=1972年6月17日、首相官邸 政府は「軍事的側面をもつことは認めるが、あらたな意味合いを付加したものではない」という統一見解で沈静化を図ったが、米国の当惑は少なくなかった。「〝同盟〟は米国が日本に押しつけたものではない」、「軍事的な側面は含まれるが、ことさら振りかざすつもりはない」などと釈明、当惑を隠せなかった。 米政府は実質よりも形式にこだわる日本の姿勢に失望と強い疑念を抱き、その後長い間にわたって日米間のしこりとなった。天皇を政治利用? 鈴木首相は自ら率いる派閥(宏池会、池田勇人元首相創設)の伝統から〝平和主義〟へ強い憧憬をもっていたといわれ、事務方の手で自らの考えとは異なる方向に進んでいくことに我慢がならなかった、という見方もある。行政府の長として指導力を発揮すればよいものだが、それをできないところに限界があった。 鈴木氏は在任2年の翌年秋、総裁選で再選確実とみられていたにもかかわらず、政権を投げ出す形で突然、退陣を表明した。 天皇まで巻き添えにした失言もあった。1973(昭和48)年5月の増原恵吉防衛庁長官(同)の「内奏問題」がそれだ。 増原長官は5月26日、昭和天皇に「当面の防衛問題」についてご進講。終了後、記者団に対し、あろうことか、陛下とのやりとりを漏らしてしまった。氏によると陛下は「近隣諸国に比べて防衛力が大きいとは思えない。国会でなぜ問題になるのか」と疑問を示された。長官は「おおせの通りでございます。専守防衛であり、野党から批判されるものではありません」とお答えしたという。 陛下と会話を明かすことは、たとえ雑談であっても許されないことだが、ご丁寧にも、当時難航していた防衛2法案(防衛医大設置、自衛隊改組など)の審議に向けて「勇気づけられた」とやったものだから、「天皇を政治的に利用した」と猛烈な批判を浴びた。反論の余地はなく、増原氏は即座に辞任に追い込まれた。昭和天皇も迷惑されたことだろう。 氏は前年夏、岩手県上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突、旅客機の乗客・乗員162人が死亡した事故(雫石事故)当時の防衛庁長官。その責任を取って辞任し、その翌年に返り咲いたものの、自身の不祥事で2度目の辞任を余儀なくされる結果になった。 行政管理庁長官、北海道開発庁長官(当時のポスト、いずれも閣僚)などを歴任したベテラン政治家だったが、その後、入閣することはなかった。 1996(平成8)年暮れから翌年春まで続き、筆者も現地で取材したペルー・リマの日本大使公邸占拠事件。リマを訪れた日本の外務大臣(当時)の狼藉ぶりも忘れられない。日本大使公邸占拠事件。ペルーで会見する池田外相=1997年4月、オリバーツホテル(代表撮影) 外相は11月17日の事件発生直後に到着、解決に向けて指揮を執っていたが、22日の記者会見で、滞在日程などを聞かれたことに激高。会見後、質問した産経新聞記者を呼び出し、「この野郎何で質問した。人命がかかっているんだ」と怒鳴り、やりとりをメモしていた他社の記者のペンを振り払った。大臣とは思えない野蛮な行為だが、日程が犯人グループであるテロリストに知られ、交渉相手に引っ張り出されかもしれないことを恐れたからといわれている。「大人気なかった」と謝罪したが、事件直後、状況もわからぬまま現地に派遣された戸惑い、不安があったとみる向きもある。クリントン氏もウソで窮地に 外相は、首相を経験した有力政治家の女婿。その後も自民党役員などを歴任したものの目立った活躍はできなかった。岳父が創設した派閥の跡目を継ぐこともかなわず、ほどなく議員在職中に亡くなった。 海外のケースでは、不倫・偽証疑惑を真っ向から否定したビル・クリントン元米大統領の会見だ。 自分の娘といくつも年の違わないホワイトハウスの元実習生との不倫関係を暴露された直後の1998年1月26日の記者会見、「私は、あの女性といかなる性的関係ももったことはない。この申し立てはウソだ」と強弁した。ワシントン特派員だった筆者は、テレビで見てすぐに東京に送稿したが、その時のクリントン氏の恐ろしい形相は忘れられない。後ろめたいことがあると、人はあのような表情になるのか。 ウソをついていたのは「あの女性」ではなく、自分であることを認めざるを得なくなり、これも一因となって、米憲政史上2人目の弾劾裁判という不名誉な事態に追い込まれた(1999年2月、上院で無罪票決)。 あの場で不倫の事実を認め、率直に謝罪していたら、その後の厄介な展開はあり得なかったろう。 話を河野外相に戻す。ブログでの発言だけでは、あの時、どういう心境だったのかは、よく理解できない。ムシの居所が悪かっただけなのか、われわれの及ばない深慮遠謀があったのか。はたまた、不勉強、同じ質問を繰り返し、時に居丈高になる記者団に辟易していたのか。それなりの理由があるなら、さらに説明を望みたい。外相は今週水曜日、19日に日本記者クラブで会見する予定で、この場で何らかの発言があるかもしれない。 今回の問題は、記者会見というもののあり方に一石を投じるかもしれない。IT時代の昨今、政治、経済を含む多くのイベントがネット中継され、ビューアーから即時に反応が返ってくる。テレビで放映されず、されても仕事で見られない人たちのために、記者が代表して会見に出席し、読者、視聴者に伝えるという従来のスタイルも変化を迫られている。いま以上に開かれた〝国民会見〟になることも予想される。どのとき、当局はどう対応し、メディアはどういう役割を果たせばいいのか。 新しい時代の会見のあり方を模索する契機になるかもしれない。かしやま・ゆきお 産經新聞元論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

  • Thumbnail

    記事

    先鋭化するトランプ大統領のメディア攻撃

    斎藤彰(ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長) 米中間選挙を前に、トランプ・ホワイトハウスのメディア攻撃が先鋭化してきている。政権運営に対する批判を極力封じ込めると同時に、超保守的な支持基盤固めを意図したものだが、新聞社やジャーナリスト個人が一部の過激なトランプ支持者の脅迫電話、メール攻撃にさらされるなど、両者の関係は緊迫の度を高める一方だ。 去る8月30日、FBI(米連邦捜査局)はカリフォルニア州エンチノ在住の68歳の男性を脅迫容疑で緊急逮捕した。男の自宅からは20丁のけん銃、ライフル銃なども押収された。 「ニューヨーカー」誌電子版によると、男は東海岸のボストン・グローブ紙が、最近メディア攻撃を強めつつあるトランプ大統領を糾弾する社説を掲げたことに腹を立て、同社編集局宛ての電話で「お前らは『人民の敵』だ。一人ずつ殺してやる」などと脅迫した。 たまたま同じ日の数時間前には、トランプ氏が自分のツイッターでCNN,NBC両テレビ局の経営者に名指しでかみつき「大半のメディアの不正直な態度はいくら強調してもし過ぎない。いつも私のことについて匿名ソースを使ってでたらめ報道をしている。この中にはフェイク・ブックも含まれる。『人民の敵』だ!」と非難したばかりだった。逮捕された男はそのタイミングからみて、大統領のツイートで触発された可能性を否定できない。 このほか、8月22日には、AP通信ロサンゼルス支局に別の人物から「いずれお前らクソったれどもをぶっ放してやる」といった殺害予告電話が入ったほか、同月初めにはペンシルバニア州ステートカレッジの「ドン」と名乗る男からC-spanテレビ局に電話があり「CNNテレビのドン・レモンとブライアン・シェルターを撃つ」といずれも著名な放送記者を名指しで脅迫してきた。MSNBCの女性キャスター宛てには「あんたがレイプされ殺されるといいのだ」と記した差出人不明の手紙も届いているという。 このようなマスメディアに対する脅迫やいやがらせは、ここ半年の間にとくに増えつつあるが、同じ頃からエスカレートしてきた大統領個人による先鋭化したツイートなどによる攻撃と機を一にしているとみられる。 その特徴は、段階的に3つに分類できよう。 昨年1月ホワイトハウス入りする前後から、トランプ氏がテレビや新聞報道批判に乗り出した当時、もっぱら好んで使われた言葉は「フェイク・ニュース(虚報)」だった。ホワイトハウス内部での人事抗争や大統領個人の内輪の人種差別的発言などがリークされるたびに「マスコミ報道の全部とは言わないが、85%はフェイク・ニュースだ」などと根拠もない数字まで挙げて批判を続けてきた。2018年7月23日、米ホワイトハウスで演説するドナルド・トランプ大統領(AP=共同) とくに主要メディアに対する不信感はその後もエスカレートしてきており、いまや唯一信頼を置いているのは、右翼的体質がめだつFOXニュース放送局のみといっていいほどだ。事実、大統領は毎週のように同テレビ局の人気キャスターとのインタビューに応じ、視聴者向けに「インチキ報道」に反論するかたちで自説を正当化するのが常態化してきている。発言の大半が「フェイク」 では、大統領自身、これまで真実を語って来たかと言えば、実際はまるで異なる。 ワシントン・ポスト紙は社内に特設された「ファクト・チェッカー」と呼ばれる入念な追跡調査で、本人がこれまで記者会見や声明発表、ツイート発信などを通じ「事実とは異なる(false)、あるいは誤解を招く(misleading)発言」を具体的に回数にしてどれだけしてきたかについて興味ある結果を公表している。 去る9月4日付けワシントン・ポストによると、昨年1月20日就任以来、592日間にその数は実に「4713回」に達し、1日平均にすると「8回」になるという。就任後の最初の100日間は「4.9回」だったのと比較すると、虚言回数は急ピッチで増えつつあることを示しており、また、最近の3か月では毎日平均「15.4回」というすさまじいペースだ。 しかも事実と異なる発言ながら、同じ間違いを最低3回は繰り返してきたケースが「113回」もあり、その中には「自分は大統領として史上最大規模の減税を実現した」(実際は史上8番目)との表現を様々な機会に「72回」も使っていた例もあった。ロシアが2016年米大統領選挙に介入した事実はこれまでのあらゆる公的米情報機関調査で明確になっているにもかかわらず、大統領が「ロシア関与説はでたらめ」と言明してきた回数は「53回」に達している。 またつい最近では、昨年プエルトリコに甚大な被害をもたらしたハリケーン「マリア」に関する大統領発言が、物議をかもしている。 ホワイトハウスで記者団を前に大統領は「わが政府が展開したプエルトリコでの災害対策・救援作戦は信じがたいほどの成功を収め、死者も6~8人程度ですんだ」と豪語して見せた。ところが、実際の死者は「推定3000人以上」に達しているだけでなく、島民の半数近くはいまだに水や電気を十分に使えず困窮生活を強いられており、首都サンファン市長はじめ地元側からトランプ発言に対し猛烈な反発を引き起こした。 こうしたことは、マスコミを十把一絡げに「フェイク・ニュース」と一蹴してきた大統領のこれまでの数限りない発言の大半が、実は「フェイク」であったことを如実に示している。 しかし大統領はその後、さらにマスコミ批判を強め「フェイク・ニュース」から攻撃性の濃い「米国人民の敵(enemy of American people)」との表現を使い始めた。偏狭で超保守主義的な一部のトランプ支持層の心情をかきたてることを意識したものだ。 とくにこの言葉が飛び出してきたのは、去る7月、ヘルシンキでの米ロ首脳会談でプーチン大統領に媚を売るような醜態を演じたことが米マスコミで大々的に報じられ、連邦議会共和党幹部たちからも酷評されたことに端を発している。 そしてその後は、大統領が顔を出す地方の政治集会などでは、取材の同行記者団に対し、トランプ支持派の聴衆から「人民の敵」のヤジが浴びせられ、同じ表現のプラカードが報道陣の前に数多く掲げられるケースが増え始めてきた。挑戦受ける国家の存立基盤 大統領のメディア批判はさらにとどまることなく、つい最近ではテレビ局や新聞社の特定の記者たちを名指しで非難するほど先鋭化してきた。“各個撃破”の様相を呈し始めており、報道に携わる関係者たちの間で身辺警護を強める人たちが増えている。各地の報道関係機関の建物も、暴漢の襲撃を警戒し、玄関の出入りチェックを強化する動きも出てきた。 ニューヨーク・タイムズの場合、自社の記者たちに対する脅迫が増加しつつあるため、編集局の入り口に武装警備員まで配置しているという。 これまでに大統領から個人口撃を受けたジャーナリストの中には、ウォーターゲート事件報道でニクソン大統領を追い詰め、ピューリツァー賞を受賞したワシントン・ポスト紙のカール・バーンシュタイン記者も含まれる。 同氏は今年7月、CNNが放映した特ダネ番組の中で、モラー特別検察官が捜査中の「ロシア疑惑」に関連してトランプ氏が、長男トランプ・ジュニアら同陣営とロシア側弁護士との間で行われた秘密会談を事前に知っていたと報じた。これを受けてトランプ氏は最近、バーンシュタイン氏を「お粗末で退化した愚人でアメリカ中で笑いものになっている」などと酷評した。 9月初めには、大統領は、トランプ・ホワイトハウスの混乱ぶりを鋭く描写した話題の本「不安:ホワイトハウスのトランプ」(原題“Fear:Trump in the White House)の著者ボブ・ウッドワード氏を「バカ者」などと容赦なく非難した。 一方、国連人権会議専門委員二人と「汎アメリカ人権委員会」は8月3日、トランプ大統領による最近のメディア攻撃に関連して特別声明を発表、その中で「トランプ氏の言動はジャーナリストが暴力にさらされる危険を増大させているだけでなく、報道の自由と国連人権保護法を蹂躙するものだ」と指摘した。 トランプ政権の対メディア対応は今や米国内にとどまらず、重大な国際的関心事となりつつあることを示している。 アメリカの歴史を振り返ると、もともとイギリスからの独立運動は、圧政に対する北米13植民地の住民たちによる異議申し立てから始まった。言い換えれば、アメリカ合衆国の建国は「言論の自由」の行使によってこそ達成されたといえる。2018年11月、ホワイトハウスでの記者会見で、CNN記者(右)を指さすトランプ大統領(AP=共同) その「言論の自由」が今日、トランプ政権下で執拗な攻撃にさらされつつあるとすれば、アメリカという国家の存立基盤そのものが挑戦を受けていることになる。さいとう・あきら ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長。1966年早稲田大学卒業。68年米カリフォルニア州立大学バークレー校大学院修士課程修了、70年読売新聞入社。ワシントン常駐特派員を2度務めた後、アメリカ総局長、東京本社取締役調査研究本部長などを歴任。近著に『中国VSアメリカ』、『アメリカはカムバックする!』(いずれもウェッジ)がある。

  • Thumbnail

    記事

    官房長官vs東京新聞記者の内幕と「がっかり発言」沈静化理由

    んの心労の種になってはいけないという局内の自主判断といっていた。記者D:政権の直接介入が減ったのは、メディア側が自主規制するからじゃないですか。沖縄の基地移設をめぐる県民投票結果を朝日、毎日、東京3紙は2月25日付朝刊で〈辺野古「反対」72%〉(朝日)など1面トップで報じたが、産経新聞のトップ記事は「海自観艦式 韓国招待せず」、読売に至っては「適量ですか 高齢者の薬」という企画ものを1面トップで報じた。政権に不利なことを書かないという自主規制がここまでなされれば、官邸は注文をつける必要もないでしょう。●レポート/武冨薫(ジャーナリスト)関連記事■ トランプ氏にノーベル賞推薦報道、一番驚いたのは安倍首相■ 「これ書いたらクビに…」安倍四選、新元号、石破除名の核心■ 「拉致被害者2名生存情報」今後の日朝関係にどう影響するか■ もし日韓戦わば… 軍事力の差は歴然だった■ 韓国で女児の胸が大きくなる「性早熟症」、囁かれる原因

  • Thumbnail

    記事

    菅長官が東京新聞望月記者に「選挙出れば」挑発オフレコ発言

    に接近を試みており、実際に立憲民主党の山尾志桜里氏や自由党の森ゆうこ氏など、野党の女性政治家が次々とメディアで彼女と対談している。彼女の質問力を国会で発揮してもらえれば、与党を追い込む切り札になるのは間違いない。菅長官もそれを意識しているのかと思った」(野党の議員秘書)経済財政諮問会議に臨む安倍晋三首相(左)と菅義偉官房長官=2017年5月、首相官邸(斎藤良雄撮影) 望月氏本人に、オフレコ発言や出馬の可能性について聞くと、いきなり大笑い。 「そんなこと言っていたんですか! 知りませんでした。すみませんが、これ以上は会社を通してもらわないと……」 発言を気にしている様子はみじんもなかった。情けないのは、国会質問で政府与党を本気で追い込む野党議員が見当たらないという現状である。関連記事■ 東京新聞望月記者「政権の矛盾のしわ寄せを受けるのは官僚」■ 望月衣塑子氏「官房長官ら大物議員は自分さらけ出す覚悟感じる」■ 山尾志桜里氏 望月衣塑子氏に“私と同じ事されてる”の感想■ 東京新聞望月記者 ペジー事件の捜査が政権に及ぶ可能性指摘■ TBS青木アナ「彼はうまくないけど一生懸命」とオフレコ発言

  • Thumbnail

    テーマ

    テレビ局いじめ? 首相の反撃が始まった

    国民の共有財産である電波利用料の引き上げが決まった。増額は携帯大手が2割、NHKと民放キー局が5割とそれぞれ大幅な負担増となる。これまで利用料は3年ごとに見直されたが、今回は1年前倒しとなった。「テレビ局いじめ」「安倍政権の反撃」といった意見も聞かれる中、公共電波の意味を改めて考えたい。

  • Thumbnail

    記事

    電波利用料5割増が「テレビ局いじめ」と言えない3つの理由

    湧口清隆(相模女子大学教授) わが国では、電波利用料制度は1993年に導入され、2005年に料金体系が大幅に変更されています。しかし、電波利用者が電波利用にかかる共益費用を負担する、いわば受益者負担の制度であるという性格は、導入から四半世紀経過した現在でも変わっていません。ただし、共益費用の範囲や料金体系は時代とともに常に変化し続けています。 私自身は、2005年と2008年の改正の際に総務省の研究会構成員として、改正の議論に参加しました。その立場から申し上げると、2019年の改正は抜本的な見直しとはいえませんが、二つの点で驚きがあります。 まず、通常3年ごとの見直しですので、本来であれば今年は改正年ではなかったはずです。 それにもかかわらず改正をするという背景には、官邸主導の規制改革推進会議から強い要請があったことは事実でしょう。実際、それは2018年6月に発表された「骨太の方針2018」や2017年12月に発表された「新しい経済政策パッケージについて」にみることができます。 その意味で放送業界から声が上がっているように、「改定が1年前倒しされ、放送事業者の多くは予期せぬ『値上げ』を強いられることになる。適用期間の流動化は放送事業者にとって経営上のリスク」(改正に対するパブリック・コメント)になることは事実です。 しかも、これまで「負担額は改定前の2割程度」だった激変緩和措置が、今回5割に拡大されたため、各社の2019年度の予算に億単位の大きな影響が出てきてしまいました。過去にそのような例がないかといえば、人工衛星局のように2005年の改正時には数千倍ものオーダーで値上がりした無線局もありました。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 次に、通信事業者と放送事業者との間で長年繰り広げられた「公共性」論争に、総務省がよく決着をつけたという点です。通信で届けられる内容は「通信の秘密」で守られた私信であり、放送で届けられる内容は「番組調和原則」や集中排除原則で規制された公共性の高い通信であるという論理から、従来は放送には「公共性」を見いだせるが、通信には見いだせないとして、電波利用料を割り引く特性係数は放送のみに適用されていました。 しかし、近年、災害時の救助要請や情報伝達において会員制交流サイト(SNS)の活用が進んでいます。結果、私信だから「公共性」が小さいという議論の根拠が薄れ、携帯電話にも同様の「公共性」を適用すべきだ、という通信事業者や国民からの主張が強くなってきました。 そこで今回、携帯電話事業者へも特性係数を適用することになりました。そのため、電波利用料の歳入全体の約85%を占めていた携帯電話事業者の負担割合が減り、10%弱しか占めていなかった放送事業者の負担割合を大きく増やすことになったのです。しかも、共益費用の範囲や金額が拡大したことから、基幹放送事業者の料金改定は極めて大きな額、大きな変動率になりました。「放送局いじめ」じゃない 以上のように考えていくと、今回の改正は、そうでなくともインターネットのせいで視聴率低下が叫ばれ、経営的に苦しい放送事業者をいじめるものであるように感じられます。しかし、今回の改正内容は、理論的観点からグランドデザインを見れば、放送事業者いじめではなく、理にかなったものになっています。 第1に、地上デジタルテレビ放送と携帯電話との間での周波数をめぐる競合問題が挙げられます。現在、地上デジタル放送用には470~710MHz(メガヘルツ)の周波数が1チャンネル当たり6MHz幅で割り当てられています。一方、米国では、614~698MHzの周波数帯が放送用周波数から「5G」と呼ばれる第5世代移動通信用に再編され、既にオークションで通信事業者に割り当てられています。 わが国では周波数オークションは導入されていませんが、仮に(ただし極めて非現実的ですが)オークションで周波数が割り当てられ、落札者が自由に用途を選べるなら、おそらく同じ周波数資源を使って、放送に比べて十倍以上の売上高のある携帯電話事業にこの周波数を用いるでしょう。その意味では、人為的に特性係数を用いて放送用周波数の料額を安価に設定することは、資源配分上適切とはいえません。 しかも、わが国の地上デジタル放送は技術的にSFN(単一周波数中継)方式を採用しており、理論上はチャンネル数をもっと減らすことが可能です。ただし、混信対策上、東京スカイツリーのような放送用の電波塔を多数建てる必要があり、現在までの電波利用料水準では合理的とはいえませんでした。 しかし、電波利用料が上がるのであれば、電波塔を建設して、不要なチャンネルを返上し、周波数を開放する方が得策になるかもしれません。 今回の改正は、5G時代を前にそのようなインセンティブや認識を放送事業者に与える効果を持っています。米国で実施した半ば強制的な周波数開放とは違い、ソフトな形で漸進的にテレビ放送業界に影響を与えるものです。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 第2に、共益費用の範囲の拡大が挙げられます。新たに、「電波の利用価値の向上につながる事務」(a群)に「5G等の無線システムを支える光ファイバー網の整備」、「電波の適正な利用を確保するために必要な恒常的な事務」(b群)に「安心・安全な電波利用環境の整備」が追加され、総額が年620億円から750億円に増加します。 一見すると、光ファイバー網の整備は無線通信と無関係のように見えます。しかし、現実には携帯電話用の周波数が不足する中で、われわれは携帯電話のネットワークではなく、無線LAN経由で膨大なデータ通信をおこなっています。しかも、かつては音声通信を利用していた通話まで、「LINE電話」などデータ通信を活用しています。 ネットゲームやネット動画の利用などでますます通信量が増える中で、今後も高速でデータ通信が利用できるようにするためには、無線LANを利用する場合でも10GHz(ギガヘルツ)帯以上の高周波数帯の5Gネットワークを利用する場合でも、バックボーンとなる十分に高容量の光ファイバー網が整備されている必要があります。テレビ局のチャンス ところが、現在の個人向け光ファイバーの料金は定額制であることから、通信需要に対応してネットワークを整備しても、光ファイバー事業者にとっては増収にはつながりにくい構造になっています。そのために、インフラ投資が遅れる危険性が危惧されています。 実際、日本の高速固定通信速度が、2015年には経済協力開発機構(OECD)加盟36カ国中7位でしたが、18年には23位に転落したことが日本経済新聞(2月15日付)から発表されました。このように民間で投資が進まないけれど必要な財の整備に、補助金を充てることは公共経済学的には伝統的な手法の一つです。しかも、その財源が受益者負担であることは合理的です。 第3に、多様な伝送手段でコンテンツが配信される中で、ますます放送事業者が制作したコンテンツが無線インターネットでも配信され、放送事業者が販売益を得る可能性は増大しています。放送用に4K、8Kで制作されたコンテンツも通信ネットワークで配信される未来が見えてくる中で、共益事務の範囲が拡大して光ファイバー網の整備が行われることは、巡り巡って放送事業者の収入増につながる可能性があります。 このように考えると、放送事業者がコンテンツ制作面で、放送事業者以外が制作するネット動画などのコンテンツに対して優位性を持つ限り、電波利用料の値上げと同時にインフラ整備や技術開発への使途が拡充する今回の電波利用料の改正は必ずしも悪いものではないといえるでしょう。また、国民的視点に立てば、国民1人当たり年額約100円の支出増で、現在よりもデータ通信速度の低速化を回避できるのであれば、決して悪い選択肢とはいえないのではないでしょうか。 もちろん、むやみに共益事務の範囲を拡大して共益費用を増やしたり、不必要な事業や効果の薄い事業を実施したりすることは絶対避けなければなりません。費用の直接的、間接的負担者と受益者との間でコンセンサスがとれることが大切です。実はそれを担保するために、電波利用料額は電波法の中に直接書かれ、国会で法定される仕組みが採用されています。多くの報道陣が集まった東京拘置所前=2018年12月、東京都葛飾区(納冨康撮影) 近年、欧州を中心に、携帯電話事業者からオークションで高額な免許料を徴収したことが、インフラ整備やサービス展開に遅れをもたらす要因となったという考え方が主流になりつつあります。 そのような意識の中で、例えばフランスのように携帯電話事業の再免許にあたり、オークションをせずに、国や規制当局、事業者との間でインフラへの投資協定を結ぶという事例も出てきたほか、オークションではなく人為的に既存事業者に均等に周波数を配分する方が望ましいという考え方も出現しています。 電波利用料は、市場で直接決定されるものではなく人為的に設定されているため、周波数逼迫(ひっぱく)対策において必ずしもオークションに完全に代替するとはいえません。しかし、周波数の逼迫度や電波利用度合いに応じて電波利用料の区分を精緻(せいち)化する試みは、計画経済の中で少しでも市場価格に近づける試みとして評価できるのではないでしょうか。■テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!■池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

  • Thumbnail

    記事

    電波利権「波取り記者」の恐るべき政治力

    の方が秘書官室に訪れ、名刺を配っていく。筆者も秘書官室の一員であるので、名刺を頂いた。それを見ると、メディア関係の方々だ。その中には「波取り記者」と呼ばれる人も含まれていた。 「波取り記者」の「波」とは電波のことだ。「波取り記者」とは、記事を書かずに電波利権確保のために電波行政のロビイングをする人たちだ。こうした人は新聞業界にもいた。ようやく機は熟した 彼らの政治パワーは強力であり、その結果として上に述べたように改革が全く進まなかったのだ。これは、日本の電波・放送行政が先進国で最も遅れた原因である。 本来であれば、10年以上前にやっておくべきであった。それができずに、時間を無駄にしてしまった。 ところが、技術の進展は目覚ましく、インターネットを使っての「放送」は安価に誰でもできるようになった。 筆者も私塾をやっている。かつては講義内容をテキストにして配信していたが、今ではビデオ配信だ。その方がコストも安く、速報性にも優れている。いうなれば、今や電波の希少性を超えて、誰でも「放送」ができるようになったわけだ。 しかし、この「放送」は放送法の範囲外である。放送法では、電波に希少性があるので与えられる対象が少なくならざるを得ない。このため与えられた少数の既得権者は公共のために放送法を順守しなければいけない。 ところが、「電波の希少性」という物理的な制約がなければ、放送法の規制は最小必要限度となり、さまざまな主体の参入を認めて、その競争に委ねるという政策が可能になる。 特に日本では先進国の中で唯一の電波オークションを認めず、放送では新規参入がなく「波取り記者」のような人がいたくらいの「後進国」なのだ。総務省=2018年8月撮影 冒頭で「今の放送業者は、電波を『不当に』安く使っている」と書いたのは、今の電波利用料は役人が決めた水準だからだ。本来であれば、電波という国民共有財産は、入札(オークション)という公明正大な方法で価格を決めなければいけない。今の役人が電波を割り当てして、入札で決められたはずの水準より安いから「不当に」安いと書いたのだ。 ようやく機が熟したといえるだろう。少なくとも今の安倍政権はこうした規制改革に、他の政権より熱心である。その背景として、マスコミに左派傾向があるという意見もあるが、日本のメディアが国際的になるのであればそれは国益に資するだろう。入札が先進国の常識 電波利用料は本来入札で決めなければいけない。この常識は、先進国でまさに常識であり、先進国35カ国の状況を見ると、今では電波オークションではないのは、日本だけになっている。 2017年度の電波利用料は646・8億円。その内訳は、携帯電話550・9億円、テレビ業界60・1億円などである。 同じ2017年度の日本テレビホールディングス(HD)の売上高は4237億円、当期純利益374億円であったが、負担した電波利用料は4・5億円にすぎない。テレビ朝日HDも売上高3025億円、当期純利益158億円に対し、電波利用料は4・4億円だ。 もし、電波オークションが導入されていれば、少なくとも電波利用料は1桁以上大きいはずである。この意味では、放送業界は、電波オークションなしでの既得権者である。 テレビ番組で、公共事業について、入札ではなく随意契約しているので工事単価が高くなり、血税が余分に使われるという批判をよく取り上げる。しかし、それは電波利用料でもいえることだ。 今回の電波法改正にも、今国会に提出予定の興味深い法律改正がある。放送法改正である。その内容は、NHKによる放送番組のインターネット常時同時配信を容認することだ。総務省は、NHKに常時同時配信を認める条件として、受信料の引き下げや民放との連携強化、子会社を含めた統治強化、業務の見直しなどを要求している。 民放の方は、制度上既にインターネット常時同時配信が可能であるが、行うことを躊躇(ちゅうちょ)している。スポンサー離れなどを心配しているようだが、実は、インターネット常時同時配信になると、独自コンテンツを持たず、中央のテレビ局からの配信に依存している地方テレビ局が深刻な経営苦境に陥るというところが本音だろう。地方テレビ局には中央のテレビ局からの天下りが多くおり、そうした人たちの死活問題になる。NHKのロゴマーク(ゲッティイメージズ) そうした状況に、インターネット常時同時配信をやりたがっているNHKを利用するという、「毒には毒を」というえげつない戦略を総務省は採ったのだろう。 民放には大きな試練が訪れている。キー局に対しては5割にもなる電波利用料の引き上げ、電波の割り当て審査に価格競争要素導入(一部オークション化)、NHKによるインターネット常時同時配信と、包囲網がじわりと狭まったようだ。筆者が総務省にいたときから10年以上経って、遅ればせながら、動き出したようだ。■ 偏向テレビにイラつく安倍首相「放送法改正」の本丸はNHKだった!■ テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■ 池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

  • Thumbnail

    記事

    テレビへの圧力? 電波独占料、負担増に漂う安倍政権のうさん臭さ

    杉江義浩(放送プロデューサー、ジャーナリスト)                    政府がテレビ局や携帯通信事業者に課している電波の利用料を、大幅に値上げする案を含めた電波法改正案が閣議決定され、国会に提出されました。NHKや民放キー局5局に対しては、5割増しということで、テレビ局の経営状況に与える影響の大きさは衝撃的なものです。 民放キー局は、収入とCM制作に関しては広告代理店任せ、番組制作に関しては制作プロダクション任せ、となりつつあり、唯一放送局として発言力を持っているのは編成権ぐらいではないかという状況です。 その編成権を裏付けるのが、電波利用権の独占です。各テレビ局は地上波、衛星放送それぞれに、一定の周波数の独占的な利用を政府から認められていて、その対価として電波の利用料を支払います。 科学に強くない人にも誤解を与えないために言っておくと、電波そのものは自然界にもともと存在する物理的な現象であり、誰のものでもないし、特にお金が発生するものでもないのです。ただ、自然界に存在する限りある周波数帯域しかない電波は、使い道を秩序立ててコントロールしなければ大変なことになります。 例えば、同じ地域で地上波テレビと携帯電話が、あるいはラジオと警察無線が、同じ周波数を使ったら、混線してしまって使い物になりません。そんなことが起きないように、周波数帯域が用途別に細かく切り分けられていて、決まった周波数を使うように義務づけられています。 それぞれの放送局には、あらかじめ放送に使ってもよい周波数が割り当てられていて、その周波数を独占的に使います。また、携帯電話に使ってもよい周波数はどこからどこまで、船舶無線に使ってもよい周波数はどこからどこまで、といった具合に細かく定められていて、総務省(かつては郵政省)がルールに従って電波を使うように整理してきました。 電波の利用料というのは本来、その整理やコントロールの事務作業にかかる「手間賃」ぐらいであり、もともと自然界に存在する時点では、電波に値段はありません。 例えば、数十メートルしか電波が飛ばないWi−Fi(ワイファイ)などでは、装置を用意するのにお金はかかりますが、Wi−Fiの電波利用料というのは特にかかりません。また、免許のいらない小出力のトランシーバーなどにも電波利用料はかかりません。 ただ、何十キロメートルもの長距離を飛ぶ、テレビやラジオの地上波に関しては、公共の電波を広範囲にわたって一定の周波数を独占することによって収益を得ているという意味から、一定の電波利用料を国に納めるようにした方が良いのではないか、というのが電波法の趣旨です。2018年8月、雷が落ちた東京スカイツリー。NHKや民放キー局のテレビ放送の電波を送信している(宮崎瑞穂撮影) 携帯通信事業者が使う電波に関しても同様です。しかし、もともと無料で自然界に存在する電波ですから、利用料の算出根拠は極めて曖昧(あいまい)です。 電波利用料というより「電波独占料」という方が、しっくり馴染むような気がします。いずれにしても総務省の胸先三寸で決まる、いわば電波の「ショバ代」であって、コストなどの合理的な根拠に基づく金額ではないのです。 適正な電波利用料がいくらかは、算出する根拠がないのですから、政府の言い値でしかありません。「電波を独占して利益を上げているのだから、これくらい払いなさいよ」という非常に漠としたものなのです。 今回の電波法改正案では、将来の5G(次世代無線方式)携帯電話環境の開発、推進に当てる財源として、平成31年度に750億円を見込んでいて、それが「電波利用料の算出根拠である」と政府は説明しています。不明瞭な電波利用料 しかし、私が思うには、本当に5Gのインフラ整備が国民にとって必要なら、税金を使ってやればいいのではないでしょうか。テレビ局に請求するのは、なんだか筋が違っている気がします。 自動車税が高速道路などの建設に使われる、道路特定財源制度のような、受益者負担の合理性は、そこには感じ取れません。新しく携帯電話の通信環境が整備されることによって、テレビ局が何か利益を得るのでしょうか。利益を得るのは国民ではないでしょうか。 だったら税金でまかなうべきです。テレビ局に課すべきではありません。今回の電波法改正案には、そういった根本的な胡散(うさん)臭さが感じられます。 胡散臭さという点から派生したのでしょうか、巷(ちまた)では今回のテレビ局への「5割増し」は、ニュースやワイドショーなどで政権批判を繰り返す、テレビ朝日やTBSへの、牽制(けんせい)措置ではないかという言説も見かけます。 これはまったく的外れだと私は思います。比較的政権に近い報道姿勢を見せるフジテレビや日本テレビ、NHKに対しても、5割増しを同様に課しているのですから、テレビ局への圧力だと勘繰るのは、いささか過敏すぎると言えるでしょう。  もちろん、民間放送は電波を独占することによって直接的に収益を上げ、利潤を追求する私企業であるという一面はありますが、別の側面では公共の電波の独占を許されているが故に、公共の福祉を担う社会的責務を持つ特殊な事業体であると言えます。私は後者の方こそ、今注目しなければならない重要な側面だと考えています。 限られた電波の有効利用という、根本の原則に立ち返ってみましょう。そもそもなぜ特定の放送局だけが、貴重な地上波の相当規模の周波数帯域を独占利用することが認められているのか。 それは放送法に定められた通り、放送局は公共の福祉に資する放送を送信していると認められているからであり、本当に放送局が公共の福祉に貢献しているのなら、極論すれば電波利用料は無料にするのが筋ではないかと私は考えます。逆に言えば、公共の福祉に寄与しないような放送局は、電波を独占する根拠も失ってしかるべきです。 地上波のテレビ局が一つ消えてなくなり、その局が独占していた1チャンネル分の周波数帯域を移動体通信事業で有効に使うことができたなら、かなりの経済的メリットが生まれるはずだと試算した人もいました。テレビと移動体通信事業は、地上波という限られたパイを分け合う敵同士です。どちらが公共の福祉に、あるいは社会の発展に役立っているのか、シビアに比較される時代でもあります。 今は、動画はネットで見る時代かもしれません。ネット発で受信する動画もあれば、テレビ発でネットで受信する動画もあります。しかし「家族でくつろぐお茶の間に入り込む」存在であるテレビには、特有のテレビ文化というものが歴然と存在していて、また確立しています。2018年4月、衆院予算委の集中審議で、疲れた表情を見せる安倍首相 家族そろって楽しめるスポーツ中継、しっかりと作り込まれたドラマやドキュメンタリー、これらはリビングの4K、8Kのテレビ画面で見たいと、私などは思います。ぐらっときた時、すぐに地震速報を見られるのもテレビの心強さです。テレビが興隆しても映画文化は廃れなかったように、ネットが興隆しても、テレビ文化は決して廃れることはないでしょう。 政府には算出根拠の不明瞭な電波利用料などでテレビ局に負担を強いるのではなく、公共の電波を使うテレビならではの、健全な文化を育成するような政策をとってもらいたいものです。【編集部より一部訂正について】 記事公開時に「免許のいらない小出力のトランシーバーやアマチュア無線にも、電波利用料はかかりません」としていた部分は、アマチュア無線にも電波利用料が課せられており、誤りでしたので、訂正しています。■ テレビが「放送法4条撤廃」のニュースを報道したくない裏事情■ テレ朝、TBS「モリカケ報道」のどこが悪い■ 池上彰『週刊こどもニュース』が直面した政権忖度と放送法の壁

  • Thumbnail

    記事

    中国並みのトランプ「言論弾圧」ではっきりしたメディアの受難

    樫山幸夫(産經新聞元論説委員長) トランプ米大統領とメディアの対立は来るところまで来たようだ。中間選挙翌日の記者会見で執拗に食い下がったCNNテレビの記者に大統領が激怒、ホワイトハウスの記者通行証を無効にしてしまった。CNNは撤回を求めて提訴、裁判所は訴えを認める決定を下したが、米のメディアを揺るがす騒ぎになっている。 〝言論の不自由〟は中国の専売特許かと思いきや、民主主義のリーダーであるはずの米国で同じことがおきたのだから驚く。 しかし、その一方でメディアが権力者に対抗する手段として、法廷闘争をもってすることが適当かどうか議論のあるところだろう。言論機関はあくまで言論で闘いを挑むべきではないのかという指摘もあろう。 問題がこじれ、トランプ氏とメディアの対立がいっそう激しくなることも予想されるが、「権力とメディア」という、古くて新しいテーマにあらためて一石を投じたといえそうだ。 11月7日の会見で、〝事件〟は起きた。CNNのホワイトハウス詰め、ジム・アコスタ記者が、移民問題やロシア・ゲート事件などについて大統領の見解を質した。答えに納得しない記者は、大統領が次の質問者を指名した後も、マイクを離そうとしなかった。 大統領は「CNNはあなたを雇っていることを恥じるべきだ」「失礼で恐ろしい人だ」「CNNは数多くのフェイク・ニュースを報じてきた。国民の敵だ」などと口を極めて罵倒。この間、ホワイトハウス職員がマイクを取り上げようとして、両者の腕が交錯した。 通行証が無効にされたことを受けて、CNNは11月13日、トランプ氏と政府高官らを相手取り、撤回を求めてワシントンの連邦地裁に提訴。地裁は16日(日本時間17日未明)、CNNの主張を認めて、ホワイトハウスに対し通行証を暫定的に復活にさせるよう命じた。 とりあえずはメディア側の勝利に終わったが、ホワイトハウスがどう出るか、双方の対立はまだまだ続く気配をみせている。 今回の訴えの中でCNNは、「ホワイトハウスの処置は、表現、報道の自由を保障した合衆国憲法修正1条に違反する」と強く非難。ホワイトハウスは「アコスタ記者の行動によって公平で秩序だった記者会見の運営が妨げられた。修正1条は1人の記者が会見場を占領するためにあるのではない」(サンダース報道官)と反論していた。2019年1月、ホワイトハウスの記者会見室に姿を見せたトランプ米大統領(UPI=共同) 速記録を読み、ビデオを見る限り、かなり強引なところはあったものの、アコスタ記者が大統領に対してことさら非礼な態度をとったようには見えなかった。もちろん丁重にも見えなかったが。 アコスタ記者はこれまでも、大統領にきびしい質問を繰り返してきており、大統領と以前から緊張した関係にあったようだが、「CNNは恥じるべきだ」とか「国民の敵」というトランプ氏の言葉には驚いた 「秩序だった記者会見が妨げられた」というホワイトハウスの説明は、もっともらしく聞こえるが、実はおかしなことだ。マイクを独占することの善悪、是非は、記者会側が自らのルール、慣例に則って判断すべき問題であって、政権があれこれ口を出すことではないだろう。大統領は「鉄人」であるべき? 通行証没収、今回の提訴のいずれにおいても、ホワイトハウス記者会は「CNNを強く支持する」という声明を出し、ニューヨーク・タイムズやトランプ支持の傾向の強いFOXニュースまでもが同調しているのだから、政権側の主張は筋違いであることは明白だ。 合衆国大統領は強大な権限を持つ世界一の権力者だ。それだけに不愉快な質問も堂々と受けて立って懇切に自らの立場、主張を説明しなければなるまい。大統領はしばしば、「鉄の男、女」であることが求められる。 どんな状況にもたじろがず、うろたえず、欲望や誘惑にも負けないー。過去の大統領のスキャンダルをみてくると、とうてい望めない求めであることは明白だが、トランプ氏の今回の態度はひどかった。 トランプ氏による今回のメディア攻撃は、はからずも、中国による言論統制を想起させた。 中国の言論、人権弾圧については、世界中で何度となく報じられているので、いまさら触れる必要はなかろうが、わが国も関係するつい最近のケースに触れておきたい。 10月10日、北海道・洞爺湖で開かれた日中与党協議会で、中国の宋濤中央対外連絡部長が発した言葉。「与党は民意と世論をリードする役割を持っている」「真実を報道するよう働きかけ、不正確な報道は訂正してもらう」-。 こんなことを言い出されては日本側も迷惑だったろう。さすがに菅官房長官は「報道の自由は国際社会の普遍的な価値だ」と苦々しくコメントせざるをえなかった。 中国の報道の自由への侵害については、産経新聞社は何度も〝被害〟にあっている。最近の例では、2018年6月、日本記者クラブが訪中記者団を派遣しようとしたところ、産経の記者だけがビザ発給を拒否された。記者クラブ側は抗議の意を示すため、訪中そのものをとりやめた。2018年12月、記者会見する中国外務省の華春瑩副報道局長(共同) 個人のことになるが、1996年11月、当時ワシントン特派員だった筆者は、クリストファー米国務長官(当時)の訪中を取材しようと各国記者と同様にビザを申請したが、筆者だけがやはり発給を拒否された。紙面で事実関係を報じ、ワシントンの中国大使館に説明を求めようとしたが、先方は電話にすら出ようとしなかった。 産経新聞の中国に対する報道姿勢が気にくわないらしいが、手厳しい質問を浴びせた記者の通行証を取り上げるというトランプ大統領の行動は、これと違わない。 考えてみれば、メディアへの弾圧は世界各地でみられる、メディアにとっては受難の時というべきか。 トルコ・イスタンブールのサウジアラビア総領事館で、自国政府に批判的な報道を続けてきたサウジ人記者が殺害された残虐な事件は論外としても、われわれの身近、日本国内でも報道の自由に対する政府、国民の無理解ぶりを、残念ながら感じることが時にある。微妙な距離感の保ち方 2018年9月、河野太郎外相は、各国外相と会談する際、冒頭から直接英語でやりとりしていることを説明、「霞クラブ(外務省記者クラブ)担当記者は冒頭の英語を理解するくらいの人に所属してほしい」と注文をつけた(9月15日付産経新聞)。小さい見出し、記事も短いものだったが、考えさせられる内容だった。 外相会談については、外務省担当者から記者に対してブリーフィングが行われるのが常であり、英語を解さない記者が、それに基づいて記事を書いてはいけないというのか。外相は自分が英語に堪能であることから、同じ能力を持つ記者を求めて軽い気持で言ったのだろうが、外務大臣が記者を選別しているという印象を与えかねない。メディアが大臣の要求を容れて、メガネにかなった記者を送り込むなどということはあり得ない。 これも筆者個人の経験だが、2014年、当時佳境に入っていたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉に関して、政府の対策本部高官が、新聞各紙の記事について、いくつかは「誤報」、「うそ」と直截な表現で批判。「書くなとは言わないが慎重な扱いをお願いしたい」と記者側に要請した。 筆者は、「お上の報道干渉か」と半分揶揄、半分懸念を表明するコラムを書いたが、数日後、読者サービス室に寄せられた反応を読んでがっかりした。その読者は「この記者の認識は全くおかしい」と筆者を批判していた。 国益を損なう報道などもってのほかということらしかった。国益はむろん重要であり、各メディアとも国益を損なう記事を躊躇なく掲載しているわけでは決してない。記者会見する河野外相=2018年12月、外務省 国益を尊重しながら、国民の知る権利と両立できるよう独自の取材を重ねているのであって、一連の記事もそうした努力の結晶だった。読者を責めるわけではないが、正直それを批判されたのは残念を言うとかはなかった。  トランプ大統領とCNNの対立に話を戻すと、筆者はどうやら、トランプ政権批判だけに血道をあげてしまったようだ。 大統領に舌鋒鋭く迫った記者の通行証が没収されたからといって、裁判所に訴えて取り消してもらうというのはちょっと情けない気がする。通行証の没収などに動揺することなく、これまで通り厳しい論陣を張ってほしい。 「三権分立」という言葉に表現されるように、裁判所も「権力」の一角だ。ホワイトハウスという権力から不当な扱いを受けたからといって、別な権力に救済を求めるというのはどうだろう。 CNNはトランプ氏に理性的な解決を求めるのは無理と感じ、やむなく法廷に持ち込んだのかもしれないが、言論で生じた対立は、言論をもって闘い、解決するのが本来あるべき姿だろう。口舌で大統領を負かし、記者証没収の撤回と謝罪に追い込んだなら、これこそ視聴者も求めることではないか。  トランプ大統領、ホワイトハウスの対応は驚くほど強硬だったが、大統領のお気に入りの記者によるお気に入りの質問だけ聞かされる会見ては、視聴者、読者も退屈きわまりない。国民が知りたいと思っていることについて明らかにされずに、スムーズに終わっては、それこそまさに国益に反する。 政府とメディアは時に協力、協調し、時に緊張した関係に陥ることもある。微妙な距離感の保ち方は政府、メディ双方にとって重要だが、そのあたりを念頭に置きながらテレビを観て、新聞を読んでいただけると、あらたな興趣もわいてくるだろう。かしやま・ゆきお 産經新聞元論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員などを経て、2015年6月から産経新聞社監査役。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。