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    的場文男の金字塔に思う「ギャンブル大国」の行く末

    山田順(ジャーナリスト) 的場文男騎手が、地方競馬の日本最多勝記録7152勝達成を確実にしている。61歳。達成すれば還暦を過ぎての快挙であり、今後、この記録が破られることはないだろう。 的場騎手と言えば「大井の帝王」と称され、圧倒的な存在感を、なんと34年間に渡って示してきた。「歌は世につれ」と言うが、競馬も同じく「世につれ」である。また、競馬はある意味で文化や社会の価値観の反映でもある。 そこで、的場騎手の記録と業績に関しては他の執筆者にお任せすることにし、本稿では私見をたっぷり入れて、地方競馬に関して論考してみたい。 筆者は最近、北欧に初めて行き、北欧諸国がどこも「ギャンブル天国」なのに驚いた。特に、フィンランドは「いつでもどこでもなんにでも賭けられる」という環境が整っていて、人々が気軽にギャンブルを楽しんでいた。フィンランドといえば、国連の「世界幸福度ランキング」(2018年3月発表)で世界一を獲得した国である。その幸福の一つにギャンブルの自由があるのだろうか。 なにしろ、ヘルシンキ中央駅の構内にスロットマシンが置かれていて、ユーロのコインを入れてプレーができる。駅を出ると、左側の広場を挟んで「カジノ・ヘルシンキ」がある。日本で言えば、東京駅構内にスロットマシンが置かれ、駅のすぐそばにカジノがあるようなものだ。 さらに、スーパーマーケット、KIOSKI(キオスキ=日本のコンビニに当たる)にもスロットマシンが置かれ、どこでも市民がギャンブルを楽しんでいる。もちろん、バーに行ってもマシンが置かれている。また、キオスキでは「ユーロジャックポット」という「lotto」やそのほか各種の「lotto」(宝くじ)、サッカーくじの「toto」まで、なんでもかんでも売っているし、これらはみなネットでも購入できる。ヘルシンキ中央駅近くにあるカジノ・ヘルシンキ(左、ゲッティイメージズ) もちろん、競馬もある。ヘルシンキの隣、エスポー市にはフィンランド最大のヴェルモ競馬場があるほか、全国数カ所に競馬場がある。ただし、ジョッキーレースではなく、ハーネスレース(繫駕速歩(けいがそくほ)競走)である。 ヘルシンキから約500キロ北の田舎町、カンヌスに用があって行った際、町の郊外で偶然、草競馬のコースを見つけた。こんな田舎町にも競馬があるのかと立ち寄ってみると、コース脇の厩舎(きゅうしゃ)に1頭だけ馬がいて、厩務(きゅうむ)員が出てきた。話しかけてみると、「調教師はスウェーデンに出掛けて、この馬をいま任されている。これから調教する」と言うので、見せてもらった。日本中を夢中にさせた「大井のアイドル」 馬を繫駕につなぎ、コースに出ると、速歩(トロット)で軽快にトラックを回り出した。森に囲まれた広いコースにたった1頭だけ。北の大地ののんびりとした風景を見ながら、昔よく出掛けた日本の地方競馬場を思い浮かべた。 ここで筆者が言う昔というのは、1970年代の半ばから1980年代末にかけてのことだ。学生時代に競馬に熱中した筆者は、この時代、出版業界に就職して週刊誌の編集者になると、さらに競馬にのめり込んだ。 といっても中央競馬(JRA)が中心で、平日にしか行けない地方競馬にはあまり興味がなかった。それでも、首都圏の大井、川崎にはたまに出掛けた。 的場騎手がデビューしたのは1973年だから、筆者がたまに出掛けるようになったころにはもう騎乗していた。しかし、彼の1970年代の成績は大したことはない。年間100勝以上を初めて達成したのは1983年、200勝以上を初めて達成したのは1999年だから、的場騎手は「大器晩成」と言っていい。 1973年、地方競馬が大きく注目される出来事が起こった。大井から中央に移籍したハイセイコーがクラシックの皐月賞を勝ったのである。ハイセイコーはたちまちアイドルホースとなり、大井などの地方競馬にもスポットライトが当たるようになった。 なぜ、日本には中央と地方、同じ馬が走るのにまったく別系統の組織があるのか、ということが問題になったりしたが、筆者にはそんなことはどうでもよかった。競馬場があり、レースがあって、馬券が発売されていれば、それでよかったのである。大井競馬が生んだ「国民的アイドルホース」ハイセイコー。高度経済成長の日本を勇気づけ、一大ブームを巻き起こした ただ、大井に行くと、中央では許可されていない予想屋が堂々と営業していて、負けが込んだときは、ついお金を払って予想を買ってしまった。まだ、青く若かった。 当時は現時点の記録保持者、佐々木竹見騎手の全盛時代で、予想屋は「次のタケミは鉄板! 相手探しや」などと叫んでいた。中央も地方も全盛時代 そのうち筆者は、競馬好きの作家やマスコミの人間に誘われ、「旅打ち」に出るようになった。岩手競馬、新潟公営競馬、北関東競馬、笠松競馬などに足を運んだ。本当にのどかな時代だった。競馬場もまだ昔のつくりのままの佇(たたず)まいで、ガラス張りのスタンドなどなかった。 そういう中で、負けて茫然となったときは、「馬敗れて山河あり」としみじみと思った。ちなみに、これは競馬を愛した詩人、寺山修司の言葉である。 1980年代は、中央競馬も地方競馬も全盛の時代だった。世の中をおカネがぐるぐる回っていたから、競馬もどんどん派手になった。 地方競馬のインパクトで言えば、1982年の有馬記念を大井からの移籍馬、ヒカリデュールが優勝し、1985年のジャパンカップで大井の桑島孝春騎乗の11番人気ロッキータイガーがシンボリルドルフの2着に突っ込んできたことは大きかった。今では信じられないことだが、この当時は、地方競馬のトップレベルの馬が十分中央で通用したのである。 筆者が数年前までよく通った麻布十番の喫茶店がある。実は、ここのオーナー(故人)はかつて大井でヒカリデュールの馬主だった。それで、喫茶店の奥にいつも座っている年老いたオーナー夫人とよく競馬談義をした。 「あのとき事情があって、お父ちゃんはヒカリデュールを売ったけど、本当にすごい馬だったわ」と夫人は繰り返し言った。 1989年、天皇賞・春、宝塚記念、有馬記念と三つのGIを制した大井出身のイナリワン、1990年の有馬記念を武豊騎乗で勝って引退した笠松出身のオグリキャップをもって、地方・中央均衡時代は終わった。1989年、有馬記念を含むGIレースに3勝し、年度代表馬に輝いた多い競馬出身のイナリワン(15番)=1989年12月24日、中山競馬場 それはバブルの崩壊と時を同じくしていた。地方競馬の売り上げは1991年に9862億円でピークに年々縮小するようになり、2000年には5605億円とピークの半分に落ち込んだ。 この1990年代は、地方競馬はどこも厳しいコストカットを強いられた。そうして、2011年までに多くの地方競馬場が姿を消した。新潟の三条、北関東の足利、高崎、宇都宮、島根の益田、熊本の荒尾などが閉場され、売り上げも3314億円まで減少した。「トゥインクル」と冬の時代 大井競馬場でナイター競馬(トゥインクルレース)が始まったのは1986年だったが、このナイター競馬も1990年代の落ち込みを防げなかった。しかし、アフター5から競馬ができるとあって、ファンには大好評だった。 筆者もたびたび大井に足を運んだ。この時代、一時期、芸能記事を担当していたので、プロダクションには徹底して嫌われた。取材拒否など日常茶飯事だった。 そんなとき、大井のナイターに行くと、有力プロダクションの社長や、有名タレントのマネジャーなどによく会った。馬券を買っているところを見つけ、「何を買ったんですか?」と声をかけると、驚いて筆者を見た。その縁で、あるタレントを独占インタビューしたこともあった。 バブル崩壊後、日本経済は「失われた20年」に突入した。株価は暴落・低迷し、地価は下がり続け、円はドルに対して乱高下した。銀行の再編があり、大企業もいくつか潰れた。しかし、競馬は続いた。 大井では、1990年から2000年代初めまで「石崎・的場」時代が続いた。船橋競馬所属の石崎隆之騎手は的場騎手と同期だったが、先に花開き、この時代は石崎騎手がほとんどリーディングを取っていった。的場騎手が地元の大井でリードし、それを船橋、川崎、浦和で、石崎騎手が追いつき追い越すというパターンが繰り返された。いずれにしても、馬券の軸はこの2人だった。 1995年の「ウィンドウズ95」発売を契機にしたインターネットの進展は競馬を大きく変えた。PCから携帯電話、そしてスマートフォンとデバイスは移り変わり、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が普及すると、競馬はバーチャル世界のコンテンツと同じになった。 「冬の時代」に入っても、地方競馬は改革を続けてきた。中央との相互交流、ナイター競馬の拡大、電話投票の導入、ネット投票の導入、中央とグレード競走を体系化、民間への馬券発売委託、中央との馬券販売相互乗り入れなど、それこそ、ありとあらゆる改革がなされてきた。1986年7月、記念すべき日本初のナイター、大井競馬の「トゥインクルレース」。初日のセレモニーでは競馬場としては異例の花火が彩りを添えた その結果、業績は回復し、南関東では2014年に4場すべてが黒字決算を記録した。東日本大震災が起きた11年を底に、中央も地方も回復に転じたのである。 今や競馬は、競馬場に行かないで楽しむ時代になった。スマホで簡単に馬券が買えるので、スマホゲームと同じようなアイテムの一つになった。なぜ日本人はカジノに不寛容か 地方競馬の売り上げ回復の原動力はネット投票である。特に2012年10月から始まったJRAのネット投票会員を、JRAのレース終了後に取り込む試みが功を奏した。JRAの最終レース後、地方で3レース「リベンジ」できることになったわけで、私の知人もこれにはまっている。それだけに、余計に「草競馬」ともいえた昔が懐かしい。 先ごろ、カジノ実施法案が国会で成立したが、世論調査によると半分以上が反対している。与党の強引なやり方への批判なのか、それともギャンブルそのものに反対なのかは分からない。ただ、後者としたら、非常に悲しいことである。 ギャンブルそのものは、全く健全なもので、人間としてこれを行うのはごく自然のことだからだ。大体、北欧という世界一の福祉国家群で、これほどギャンブルが盛んなのは、多くの人々がそう考えているからに他ならない。それなのに、考えてみれば北欧以上のギャンブル・メニューがそろっている日本が、なぜカジノに不寛容なのだろうか。 ちなみに、日本は前述したフィンランド以上の「ギャンブル天国」である。中央競馬場は10場、地方競馬場は15場、競艇場は24場、競輪場は43場もある。さらに、宝くじ、toto、パチンコなどと盛りだくさんであり、ネットを介せば、いつでもどこでも何にでも賭けられる。 しかも、このようなギャンブルによる収益の一部は、公共のために使われることになっている。つまり、ギャンブルをすることは社会貢献をしているのと同じである。 しかし、なぜか日本人はギャンブルを罪悪視しがちで、そのために、ギャンブルを心から楽しめない。楽しんでいると白い目で見られることがある。競馬場に行くのも、パチンコ店に行くのも、なにか後ろめたさを感じる。 そこで、最後に私見を述べると、その原因は、この国の社会が透明ではないからではなかろうか。税金がいったい何に使われているのか、本当に分からない。公共事業に関する税金を政治家とゼネコンが山分けする「ハコモノ行政」がいまだに続いている。首相のオトモダチが補助金をたっぷりもらって新設大学をつくる、などいうことも起こっている。2017年05月、重賞の川崎マイラーズで地方競馬通算7000勝を決め、ファンと喜び合う的場文男騎手(高橋朋彦撮影) フィンランドは、政治家の汚職が世界一少ない国であり、税金の使途は政治家と役人が国民の目に見えるような形で決められ、常に発表されている。 ギャンブルは負けることを楽しむゲームである。一時的には勝てても、長くやれば必ず負け、ハウス(胴元)しか儲からない。だから、「負け」が社会の他の人々に役に立ってこそ、やる意義がある。ところが日本ではこれがかなわない、非常に悲しむべきこととしか言いようがないのである。

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    地方競馬最多勝へ 的場文男騎手「大井の的場」のプライド

    「ちょっと見てよ、ここ」──取材中、的場文男(61)は不意に立ち上がり、ズボンを下ろした。左膝の内側に大きな傷がある。記録更新まであと9勝と迫った6月15日に落馬し、後続馬に踏まれたところだ。「蹄にえぐられて骨が見えてさ。ほかの部位から肉を移植するのかと思っていたら、医者はそのまま皮を引っ張って縫っちゃった。驚いたねえ」 地方競馬通算最多勝記録の7152勝を挙げようとしている「大井の帝王」は、20針も縫った大怪我を、話のタネにして笑い飛ばす。 騎手生活45年。日本の競馬史上最多となる、4万回以上のレースに出場してきた。年間300勝以上していた40代ほど多くはないが、還暦を迎えた一昨年は130勝、昨年は131勝を挙げている。「60代で毎年100勝している騎手は、世界的にも他にいないでしょう。この年齢になったら普通は落ちぶれるんです。それは、騎乗を依頼してくる調教師のほうが年下になるから。調教師は『先生、ありがとうございます』と言われたいから若い騎手を使いたがる。それでも俺を起用してくれる調教師には、勝って応えようと頑張る。すると『的場は結果を出すから』と、また乗せてくれる。ありがたいね」大井の帝王・的場文男 抜群のスタート技術と、序盤から先行する迷いのないレース運び、そして「的場ダンス」と呼ばれる、馬上で舞うような追い方で馬を動かし、勝ちつづける。 衰えを感じることはあるかと質問すると「あまりないなあ」と即答。若い頃と変わったところは「以前ほどがむしゃらじゃなくなったことかな」と笑う。アンチエイジングのためにしているのはマッサージぐらいだという。 馬に乗りつづけるうちに硬く盛り上がったくるぶしも見せてくれた。「8000勝していたと思う」「仮に人間がぬいぐるみを背負って走らないといけなくなったとして、ガムテープで固定したほうが走りやすいでしょう。騎手のくるぶしは、そのガムテープの役割なんです」 馬上で踊るような追い方をしても、動いているのは膝から上だけ。くるぶしは固定したままだ。見た目は派手だが、馬に負担をかけない騎乗。的場ならではの名人芸である。 生まれたときから、家の風呂場の横に厩があって、馬がいた。若いころから特別な才能に恵まれていたわけではない。そのぶん、人より多く調教に騎乗するなど努力して、腕を磨いた。「他の騎手から乗り替わったら必死で勝った。逆に、俺から乗り替わった馬には勝たせなかった。そうしてがむしゃらにやっているうちにリーディングになっていたんです」 今は、大井、浦和、川崎、船橋の南関東4場で毎日のように騎乗しているが、40歳近くまでは、大井以外ではほとんど騎乗しなかった。「大井でたくさん勝ってお腹一杯だった。もういいや、という感じ(笑い)。あのころから他場でも乗っていたら、今ごろ8000勝していたと思う」 自分は「大井の的場」だ、という意地とプライドがあった。赤地に白の星の騎手服がトレードマーク「勝つときの喜びと充足感こそ騎手という職業の最高の魅力」と言う的場が、もっとも勝ちたいと思っているのは、大井で行なわれる東京ダービーだ。しかし、これまで37回出場して未勝利。2着が10回もある。「しょうがないよ。2着10回、それもいいことだよ」この道ひと筋の自然体 なぜ、45年も高いモチベーションを持ちつづけてこられたのか。「つねに目標があったから。4000勝の次は5000勝、と。今回の佐々木竹見さんの最多勝記録更新も。でも、自分が日本一になったら、次は何を目標にしたらいいのか困るね」 いつ、どんなときに騎手を辞めるかは考えたことがないという。「俺は一生涯騎手。辞めたあとは何にもするつもりはないよ(笑い)」 この道ひと筋の自然体。レジェンド・的場文男は誰からも敬われ、愛されている。レジェンドはみなのアイドル【PROFILE】まとば・ふみお/1956年、福岡県生まれ。大井競馬場東京都騎手会所属。「大井の帝王」の愛称で親しまれ、地方競馬全国リーディングを2回(2002年、2003年)、大井競馬リーディングを21回(1983年、1985年~2004年)獲得。佐々木竹見騎手(引退)が持つ地方競馬での通算勝利数記録更新が近づいている。大井競馬場の的場直之調教師(元騎手)は甥、佐賀競馬場の元騎手・元調教師の的場信弘(直之の父)は兄にあたる。●取材・文/島田明宏 撮影/小倉雄一郎関連記事■ 2070万円馬券演出の江田照男騎手の「買い方」を競馬記者指南■ 村田兆治「最多勝と最多セーブ取った。君達知らないでしょ」■ 全国の競馬場を飛び回る女性競馬ライターが綴った競馬放浪記■ 甲子園最多勝監督が勇退へ 自らグラウンド整備する人だった■ ラーメン通・勝俣州和がお勧めする東京・大井の「ピザソバ」

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    全国の競馬場を飛び回る女性競馬ライターが綴った競馬放浪記

     黒髪ストレートにワンピース姿の彼女。見た目は清楚なお嬢様風だが、その正体は競馬の魅力にとりつかれた勝負師。競馬ライターとして日本全国のみならず海外の競馬場まで飛びまわる。そんな日常を競馬の勝敗結果とともに綴ったのが本著『私は競馬を我慢できない! 馬酔い放浪記』(競馬ベスト新書)だ。著者の井上オークスさん(35才)はこう語る。「もちろん勝てばお金が入ってくるというのもありますが、何といっても現場の臨場感が好きなんです。競走馬や騎手に向かって、“いけー!”とか“させー!”とか大声を出す。日常生活で大きな声を出すことってそんなにないから、競馬場で声を張り上げて応援するってかなりのストレス解消になるんです」(井上さん・以下「」内同) 著者が競馬界の門を叩いたのは大学卒業と同時。競馬エッセイコンクールに入賞したことがきっかけで競馬ライターの道を進むことになった。 競馬ライターとしてそれなりの収入があっても、すべて競馬につぎ込んでしまうため、サイフの中身はすっからかんなんてこともしょっちゅうだ。「1年ほど前には全財産が1000円なんてこともあって。競馬場から帰りの電車賃がないということもありました。 一応、京都に住まいはあるんですが、築40年以上で家賃は1万円。お風呂とトイレは共同で、エアコンなんてもちろんありません。でも年に数日しかいないので問題ないです」2016年4月、JRAの藤田菜七子騎手の来場に、500人を超えるファンが正門前で行列を作り、開門を待った金沢競馬場(今野顕撮影) 競馬を単なる賭け事とは考えない彼女は、競馬を生で観戦することにこだわる。「馬券はネットでも買えるけれど、競馬場に行かないと味わえないものがあります。砂しぶきを上げて懸命に走る馬の迫力、勝利ジョッキーに対して沸き起こる大歓声など、現場でしか味わえない興奮があるんです」 日本中央競馬会が運営する日本ダービーや有馬記念といった大きなレースは、観客数も多く盛り上がるが、各地の自治体や団体が運営する地方競馬には、また違った魅力がある。「地方競馬の中には、経営難で廃止寸前といった窮地に立たされているところも数多くあります。中央競馬の1着賞金が数百万から数千万円以上なのに対して、地方競馬は10万円なんてところも。それでも騎手や馬にかかわる人たちは命をかけて闘っている。そこにロマンを感じるんです」関連記事■ 世界を飛び回る禅僧が説く 時間の使い方とおもてなし精神■ 32人の男性とお見合い 「女性セブン」オバ記者の婚活放浪記■ 高橋源一郎氏が世界各地の競馬場を訪ね歩いた経験を記した書■ 田中角栄と「越山会の女王」の間に生まれた女性が綴った本■ 実家の寺が被災したライターが当事者目線で綴った現地報告本

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    「炎暑でも高校野球」朝日の二枚舌

    「運動部のみんな、熱中症『無理』『もうダメだ』の勇気を」。こんな見出しのコラムが朝日新聞に掲載され、ネットで炎上した。その理由は「炎暑でも高校野球」を主催する朝日の二枚舌にあった。「災害級」とも言われる猛暑の夏。誰がための高校野球なのか。

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    朝日新聞の皆さん、夏の甲子園「無理」「もうダメだ」の勇気を

    での取り組みとして、「1日あたり14~18人の理学療法士が対応にあたっています。背番号入りのカップにスポーツドリンクと氷囊(ひょうのう)を用意。体温計や血圧計の備えもしています」と記されているが、果たしてこういうものが用意される中での大会が適切なのかという議論には、朝日新聞は全く立ち入らない。2018年7月、西東京大会3回戦、二回の守備を終えて、仲間から氷のうを当てられる明治の能登(山田俊介撮影) 私は過去、NHKのアナウンサーとして、地方大会や甲子園での実況を行ってきたが、暑さでフラフラになり、うずくまってしまったり打球が追えなくなったりした選手を何人も見てきた。朝日新聞は猛暑の中で大会を行うことで、選手がもし熱中症で倒れてしまい命の危険にさらされたらどうするか、という視点を持っているのだろうか。トーナメントは最適か 選手の健康を考えた場合、気温が著しく上がる昼前後には試合を行わず、朝と夕方の試合を中心としたり、試合間隔を十分に取ったりすることは可能であるはずだ。また、時期を猛暑期からずらすこともできるのではないか。 甲子園球場はプロ野球、阪神タイガースの本拠地であり、当然ながら日程調整も必要となるが、高校球児の健康管理と高校野球の発展のためにということであれば、何を優先すべきかは自明であろう。 そして、私は高校野球のトーナメント形式も再考すべきであると思う。一発勝負のトーナメントは勝負の厳しさにつながるわけだが、選手のことを考えた場合、果たしてそれは最適なのだろうか。 「一度負けたら終わり」のトーナメント戦では、どうしても「勝った負けた」の結果にこだわってしまう。甲子園で優勝したものの、勝利至上主義によって消耗し、大学では野球を続けることができなかった高校球児を実際に私は見ている。 高校野球は本来、子供たちが野球を通じて成長するために行うものではないのか。またスポーツとしても、選手が将来的にプロ野球などで継続して活躍できるように育成するための基盤を作るものではないのか。 私はNHK時代に16年間にわたって高校野球を取材し、現在も全国の監督やコーチとも親交があるが、トーナメント形式は一回の失敗が決定的な勝敗につながる場合があり、選手も指導者も失敗を恐れる傾向がある。 しかし、高校野球にとって本当に大切なことは、選手たちが失敗を恐れず思い切ってプレーし、指導者もそれを後押しできる環境をつくることではないのか。高校野球の真の発展のために重要なのは、主催者や運営側のそうした配慮であろう。2018年7月、猛暑のためナイター開催となった、全国高校野球選手権京都大会準々決勝第4試合の鳥羽―立命館宇治戦=京都市のわかさスタジアム京都 そうであるならば、サッカーのワールドカップ(W杯)のように、甲子園や地方大会においても、たとえ一度負けても、また次に向かって前進することができる「リーグ戦形式の大会」の方が望ましい、その上で、プレーオフや決勝トーナメントを実施すれば、球児らへの身体的、精神的負担も今よりは随分軽くなるだろう。  実際、アメリカでは高校野球の試合はリーグ戦が主体となっており、甲子園のような全国大会はないが、卒業後にメジャーリーガーとして飛躍する選手が数多く生まれている。極限で生じるドラマの「うまみ」 トーナメント方式は、負ければそこで全てが終わるために「一球のドラマ」が生まれることが多い。新聞紙面でもその点がよくクローズアップされるが、どうも無理して感動をつくり出す「演出」のように思えてならないことがある。 選手たちが試合で伸び伸びと最大限の力を発揮できる中で「一球のドラマ」が生まれるのであれば素晴らしいことだと思うが、猛暑の中で体を酷使し、どんなにつらくても踏ん張らなくてはならない極限の疲労状態の中で生まれる「一球のドラマ」は手放しで称賛されるべきなのか。選手が本来の力も出せない中でのドラマは、感動よりもむしろ「選手がかわいそう」という感情の方が先立つはずである。 しかし、朝日新聞がこうした「演出」から脱却できないのは、極限で生じるドラマが、新聞の売り上げにつながるからであろう。 朝日新聞は、全国高校野球選手権大会を主催し、地方大会から紙面で大々的に生じることで、販売促進につなげている。そして、猛暑下の大会の抜本的な改革に乗り出さないのは、「一球のドラマ」が生まれやすくなる状況をつくるためではないのか。邪推かもしれないが、そう勘繰りたくもなる 果たして、それは高校球児のためになっているのか。「朝日の商業主義」が高校球児をすり減らせ、もし彼らの将来を潰しているのだとしたら、朝日新聞は抜本的に全国高校野球選手権大会の在り方を見直すべきだろう。 甲子園は、高校球児にとって今も夢であり、目標である。しかし、もしこの先、夏の甲子園が形を変えたり、なくなったりしても、野球というスポーツの高みを追い求めることはできる。夏の甲子園を目指す選手が将来、より高い舞台で活躍することを願うのであれば、高校時代に極限の猛暑下で身体を酷使することが選手のためになるとは思えない。2017年8月、閉会式で、朝日新聞社の渡辺雅隆社長(左)から優勝旗を受け取る花咲徳栄の千丸剛主将=甲子園球場(代表撮影) 高校球児にとって何が重要なのか。甲子園での全国大会を健全に発展させたいのであれば、朝日新聞は新聞を売ることだけを目的にするのでなく、真に高校球児にとって何が良いのかを考え、猛暑の中での開催を根本から見直すべきではないだろうか。 もし朝日新聞が抜本的な改革に踏み出せないのであれば、「高校球児を酷使する新聞」として非難の声が高まっていくことは自明の理である。

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    朝日新聞は「夏の甲子園有害論」にそろそろ耳を傾けよ

    差し伸べてくれる。ここで遠慮しては、脱水症状を確実に起こしてしまう。だから、昼間の市内にある数多くのスポーツファシリティーでスポーツが行われている風景は見たことがない。まさに「自殺行為」だと全ての住民が理解しているからである。 現在、日本人メジャーリーガーとして活躍する平野佳寿投手が所属するアリゾナ・ダイヤモンドバックスはフェニックスに本拠地を置く。ホーム球場のチェース・フィールドは開閉式の屋根付きで、天然芝のボールパークである。ファン視点無き主催者 雨がほとんど降らないフェニックスで、このような構造にしたのはもちろん「暑さ対策」のためである。また、外野スタンドにあるプールは有名だが、今季からはペット同伴席も拡充され、外の気候とは裏腹に犬も一緒に快適なベースボール観戦を楽しむことができる。 一方、日本でも連日35度以上の猛暑日が続いている。気象庁は会見で「暑さは一つの災害と認識している」と公言し、熱中症などに十分な対策を呼びかけている。 しかし、愛知県豊田市では校外学習に出掛けた小1男児が熱射病で死亡したという。同市の公立小中学校のエアコン設置率は0・5%だったという。また、この夏も40度を記録した岐阜県多治見市内の公立小の冷房設備の設置率に至っては0%である。犬も快適に過ごせるボールパークがあるというのに痛ましくてならない。 そんな中で連日行われているのが、「夏の風物詩」である全国高校野球選手権大会である。各地で繰り広げられる地区予選は日々盛り上がりを見せているが、気象庁の呼びかけもむなしく、痛ましい被害が各地で報告されている。熊本では観戦していた観客ら30人以上が、福井では球審を務めていた男性が熱中症にかかった。もはや選手だけの話ではないのである。 今年の夏の甲子園は8月5日から、準々決勝翌日に設定された休養日1日を含む17日間(雨天順延除く)で開催される。大会を主催する朝日新聞社と日本高野連は、今年で100回目を迎える本大会を記念大会と位置付け、さまざまなイベントを行っている。 朝日新聞社は、夏本番を前に「スポーツと熱中症」と題したシンポジウムを5月に開催した。シンポジウムでは、日本高野連の八田英二会長が「甲子園では今年から延長13回以降はタイブレーク制を導入した。熱中症が起こらない高校野球を目指していきたい」と述べているが、ファン視点の無さが米国との違いを感じざるを得ない。シンポジウムの記事下にあるポカリスエットの広告も、もどかしく感じてしまうのは筆者だけであろうか。 そもそも夏の甲子園は、1915(大正4)年に「全国中等学校優勝野球大会」として、大阪朝日新聞社の主催で始まった。当初は豊中球場で開催されていたが、観衆増加によって手狭になったため、第3回大会から阪神電鉄が所有する鳴尾総合運動場野球場へ移行する。阪神甲子園球場の外観=2014年8月(志儀駒貴撮影) これにより阪神電鉄は全国的規模の野球大会の球場を提供する機会を獲得し、その後も阪神甲子園球場の建設とともに、プロ球団経営にも参画することになる。そして、甲子園球場の完成とともに新たに鉄道が敷設されるなど、同社のマーケティング戦略の一翼を担うことになる。現在も、大会期間中の電車利用者もさることながら、NHKによる期間中の全国完全生放送が球場内広告のセールスに大きく寄与しているという。有害論の朝日「転向」のワケ 一方で、東京朝日新聞は1911(明治44)年8月から、新渡戸稲造らの有識者による「野球と其(その)害毒」を22回にわたって連載し、「野球有害論争」を展開していた。にもかかわらず、4年後には全国中等学校優勝野球大会の主催社になっている。 この不条理について、朝日新聞社は「有害論」から一歩進んで、新聞が「よき鞭撻(べんたつ)者」「よき監視者」「よき指導者」として、実際その浄化に努めるために当大会を主催したという。 こうして、夏の甲子園は「わが社ものスポーツイベント」のはしりとして現在に至る。その後も強烈な企業競争の中で、営利組織としての新聞社は当時人気のあったスポーツコンテンツの囲い込みとそのニュースソースの確保に奔走する。 メディアが商品化したスポーツ(メディアスポーツ)は、わが国のスポーツスポンサーシップの特徴でもあり、本来のスポーツビジネスの発展を大きく阻害することになったのである。 果たして、わが国では、スポーツが社会の中で社会的な役割を十分果たしているだろうか。16歳の日本の野球少年が挑戦するMLBでは、毎年春にダイバーシティビジネスサミットが開催される。そこでうたわれたメッセージは「野球は社会改革の土台となる(Baseball is a platform of social change.)」であった。 つまり、ベースボールを通じてさまざまな社会的課題を解決していかなければならないというスポーツの役割と価値を明確に示すMLBの宣言でもある。2015年8月、「夏の甲子園」生みの親で、朝日新聞社の創業者、村山龍平の野球殿堂入りを記念した品を受け取る同社の飯田真也会長(右)=代表撮影 「よき鞭撻者」「よき監視者」「よき指導者」を目的に開催された夏の甲子園が、スポーツの大衆化と教育化を果たしてきたことは間違いない。しかし、メディアが主催社として位置付けられる限り、メディアスポーツを発展させるだけで、本来のスポーツが持つ社会的役割が果たされることはないだろう。 元高校球児を起用した系列局のバラエティー番組では、高校野球部の出来事を面白おかしく話題にしている。そのことが野球はおろか、スポーツの価値も下げていることをそろそろ自覚すべきではないだろうか。この猛暑がこれまでの歴史を変革させる契機になることを願うばかりである。

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    夏の高校野球「朝日の熱中症対策」医師の私が言葉を失った理由

    の日の最高気温は38・7度だったという。 おそらく全国各地で、同様のことが起こっているだろう。真夏のスポーツの在り方が変わりつつある。 全国高校野球選手権を主催する日本高校野球連盟と朝日新聞社も対応に余念がない。7月19日に各都道府県の高野連に対し、熱中症対策に万全を期すように呼び掛けた。 全国選手権では、スポーツドリンクや氷囊(ひょうのう)も準備するそうだ。1日あたり14-8人の理学療法士を待機させ、全身状態もチェックするらしい。朝日新聞は7月19日の記事で、彼らの取り組みを大きく報じている。 朝日新聞の真意は分からないが、私はこの記事を読んで唖然(あぜん)とした。選手を守ろうという点で、滋賀県や京都府の高野連の対応と全く異なるからだ。捕手の防具は仲間が着け、当人は水分補給=2018年6月2日(岩崎吉昭撮影) もちろん、氷嚢(ひょうのう)やスポーツドリンクを用意すること、メディカルスタッフを待機させることが悪いとは言わない。ただ、そんなことをしても、熱中症を予防するのは限界がある。もっとも有効なのは、滋賀県や京都府の高野連がやったように、炎天下での試合を避けることだ。具体的には午前の試合開始を早め、午後は夕方からに遅らせることだ。おそらく、朝日新聞にはテレビ放送など大人の都合があるのだろう。 今年で100回目を迎える夏の全国高校野球選手権大会は、わが国を代表する国民的行事だ。この大会を通じ、毎年スターが誕生し、そこからプロ野球やメジャーリーグで活躍する人物が生まれる。この大会は、わが国の野球を支える「ふ卵器」のような存在だ。この大会がなくなれば、わが国の野球は衰退するだろう。 地球温暖化が進み、猛暑が常態化した日本で、夏の全国高校野球選手権大会はどうすれば続けていけるだろう。今こそ、球児の健康を第一に考え、その在り方を問い直すべきだ。

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    「炎暑の甲子園」に目をつぶる朝日の矛盾はメディアの自殺である

    炎天下でプレーすることの危険性については、日本高野連も認識しているようだ。昨年5月、当の朝日新聞は「スポーツと熱中症」と題したシンポジウムを開催したが、基調講演した日本高野連の八田英二会長は、こう述べている。 「夏の大会については確かに、こんな暑い中で子供にスポーツをさせていいのかという厳しいご批判はいただいております。しかし、注意深く対策を立てながら運営すれば、安全に開催することはできると信じています」あいさつする日本高野連の八田英二会長=2018年6月27日、兵庫県西宮市の甲子園球場(共同) 厳しい批判を受けながら、なぜ「炎天下」の開催にこだわるのか私には理解できない。朝日新聞主催のシンポジウムということで、忖度(そんたく)しての発言ではないかと勘ぐりたくもなるだろう。人命に優先する大義など、あるわけがないのだ。 夏の甲子園は今大会で100回目という大きな節目を迎える。「暑さの質」が変わったとされる時代に、主催者の朝日新聞はこれからどう対処するのか。あってはならないことだが、熱中症で人命にかかわる事故が開催中に起きたら、誰が責任を取るのか。 朝日新聞がこのまま「炎天下の甲子園」に目をつぶって開催を継続するなら、熱中症対策を喚起する報道姿勢は欺瞞(ぎまん)と言われても仕方あるまい。

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    韓国軍よりも厳しい悪条件に立たされる炎天下の球児たち

    い」外国人として、勇気を出して声をあげてみることにした。 結論からいうと、甲子園だけではなく、全てのスポーツ大会において猛暑に関する基準と対策を設けるべきだと思う。気象状況によって主催側や審判が中止や延期の判断を下せるように基準を設けるべきということだ。板門店の軍事境界線で警備する韓国軍兵士(ゲッティイメージズ) 韓国軍の場合、気温が32度以上になると指揮官の判断により不可欠な兵力を除いて、激しい訓練や移動など野外活動を自粛する。軍任務の特徴として運動量の多い行動が多く、また、医療施設と離れた場所での活動が多いことを考慮した苦肉の策である。韓国軍の基準が「甘い」と思う人もいるかもしれないが、それでも起きるのが「事故」だ。「夏の風物詩」は大人たちのエゴ しかし、甲子園の球児たちは韓国軍より過酷な状況でのプレーを余儀なくされる。なぜ彼らには安全のための配慮が適用されないのか、不思議で不思議でしょうがない。 もし、プロ野球選手に、同じような環境での試合を連日強いたのであれば、彼らはストライキを起こし改善を要求するのではないだろうか? 選手だけではない。観覧席で応援する高校生や選手の家族たち、うちわを持って応援する野球ファンを見ていても、気の毒に感じてしまうほどだ。 ネットには夏にやるしかない理由がいくつか挙げられていた。学期中に行った場合、学業に支障が出るために難しく、また、応援団も駆けつけることができない。秋にやると入試まで時間が短すぎる。秋にはドラフト会議なども控えているため夏休み中にするしかないのだというものだ。 また、ナイターゲームは未成年者である選手たちに夜遅くまで試合をさせることになり、それは未成年者の保護を目的とした深夜外出の制限規定などに違反する恐れがあり難しいのではないかという指摘もあった。 夏の甲子園擁護論の中には「夏にやるからこそ甲子園の意味がある」という意見もあった。確かに100年の歴史が作ってきた数々の名勝負、感動ストーリーは球児、野球ファンのみならず、日本の現代史の一部分ともいえるだろう。しかし、伝統への拘りが選手たちを危険に陥れる可能性もあるということも否定できないのではないだろうか。 異常な暑さが続き日本中で熱中症患者が続出している。テレビでは朝から熱中症予防対策を紹介しながら、野外活動の自粛を呼びかける。そして学校や仕事場で熱中症患者でも発生しようものなら、学校や監督機関の責任を追及する。しかし、そこまで注意しながらも高校野球に対する見直しを求める意見は殆ど聞こえてこない。 2020年に開かれる東京五輪での暑さ対策については相当心配しながらも、今、目の前で行われている未成年者たちの、球児たちのイベントに対する懸念が殆ど出てこない。私はこれに物凄い乖離を感じる。これが本当に私が「安全にうるさすぎる」と思った日本なのか?なぜ甲子園に対してはこんなに寛大だろうか。 もちろん、今開かれている大会の場所や時期を変更することは難しいだろう。しかしそろそろ効率的な運営、安全な運営のための大会の見直し、そして試合中止、延期に対する具体的な「基準」を作るために動き始めてもいいのではないだろうか。中継権、スポンサーなど、「大人たちの事情」のために、球児たちの安全を犠牲にしてはいけない。 この違和感の正体は何だろう――?(ゲッティイメージズ) 汗、涙、泥だらけのユニフォーム、スタンドの歓声で象徴される「甲子園のあるべき姿」は本当に球児たちのためのものなのだろうか。あるいは、ビジネス化した高校野球を盛り上げるために大人たちが演出した「青春」の幻影ではないだろうか。球児たちを炎天下のグラウンドに立たせているのは、球児たちの「夢」ではなく、大人たちの「エゴ」ではないか?チェ・ソギョン ジャーナリスト。1972年韓国ソウル生まれ。韓国の大学で日本学を専攻し、1999年渡日。関東地方の国立大学で教育学修士号を取得。日本のミュージカル劇団、IT会社などで日韓の橋渡しをする業務に従事する。現在、フリーライターとして活動、日本に関する紹介記事を中心に雑誌などに寄稿。著書に『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』(彩図社刊)、『「反日モンスター」はこうして作られた-狂暴化する韓国人の心の中の怪物〈ケムル〉』(講談社刊)がある。

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    強豪校運動部やスポーツクラブ 熱中症対策のポイント

    外出は控えて涼しい部屋で過ごしてください」という呼びかけがされます。とはいえ、毎日の積み重ねが大事なスポーツに取り組んでいる人にとっては、猛暑でも練習を続けたいもの。趣味でスポーツを楽しんでいる人も同じかもしれません。身の安全を守りつつトレーニングを続けるための工夫について、スポーツライターの小野哲史さんが、暑さで知られる群馬県のランニングクラブなどの取り組みについてレポートします。* * * 本格的な夏の到来とともに、ニュースや天気予報では、「熱中症」に関する事故や対策の注意喚起に接する機会が増えてきました。 すでに広く知られているように、熱中症とは、私たちの身体が高温多湿な環境下に適応できず、めまいやけいれん、倦怠感や気分の悪さといったさまざまな形で生じる症状の総称です。深刻になると、命に関わるケースもあります。亡くなる方の多くは体力が低下した高齢者ですが、10代の子どもや若者の学校での熱中症死亡事故も、現在も年に数件のペースで発生しています。 阪神甲子園球場で行われる全国高校野球選手権大会は、いまや日本の夏の風物詩とも言えるビッグイベントです。“夏の甲子園”だけでなく、中学生の全国中学校体育大会(全中)や高校生の全国高校総合体育大会(インターハイ)といった各競技の全国大会も、夏真っ盛りの7月から8月に開催されます。日本人は厳しい条件の中で選手たちが奮闘する姿に感動を覚える気質があります。しかし、外国人から見ると、炎天下の酷暑の中でスポーツをするなんてクレイジー以外の何ものでもない、と映るようです。 日本スポーツ協会では、「熱中症予防のための運動指針」で、気温が35度を超えた日の運動は原則禁止とうたっています。とはいえ、たとえば運動部の部活動で試合が迫っている生徒さんや、趣味のスポーツであっても自分の競技力を少しでも向上させたいと真面目に取り組んでいる方にとっては、「暑いから運動は禁止」という原則を守ることが難しいのも事実です。 そこで紹介したいのが、高校の部活動の強豪チームや街のスポーツクラブが取り組んでいる熱中症対策です。一般的に呼びかけられていること以外に、さまざまな工夫をしながら酷暑での練習をこなしていることがわかります。日頃からスポーツに励む方や炎天下でスポーツ観戦をするという方はもちろん、スポーツとはあまり縁がない方でも、熱中症対策のヒントになるはずです。写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 群馬・高崎市で、子どもや大人を対象にランニング全般を指導している上州アスリートクラブでは、子どもの日曜日クラスは、夏休み期間中(7月後半~8月)限定でサマータイム制を導入しています。学年ごとに通常は13時30分、15時、16時30分に始まる時間を、暑さを避けるためにそれぞれ 16時、17時、18時30分に変更しているのです。同クラブの白水正昭理事長は、その狙いについて、「夕方は気温が下がる時間帯ですし、夏休み期間なので終了時間が多少遅くなってもよいかなと。保護者のみなさんにもご了解をいただいています」と説明します。「命」にまさるものはない 他にも、体操や動き作りなどの基本動作の練習は屋内で行う。休憩は木陰の下などを利用し、こまめ過ぎるほどの給水を心がける。やむを得ず炎天下での練習になってもできるだけ簡潔に短時間で終わらせる。市販の塩飴を配布する。万が一に備えて、AED(自動体外式除細動器)などの救急道具を常備する、といった工夫を施し、全国にも暑いことで知られる群馬県ならではの熱中症に気を遣った取り組みがうかがえます。「何事も『命』にまさるものはありません。私たち上州アスリートクラブも『子どもたちの安全』が大前提であり、練習の成果や練習効率は二の次と考えています。群馬の夏はとくに暑いですから、熱中症対策はやり過ぎるくらいでちょうどいいと捉えています」(白水理事長) 千葉にある高校陸上の名門校では、ウォーミングアップの体操やクールダウンは日陰で行い、直射日光に当たることをできるだけ避ける。インターハイ前は効率よく練習を行い、無駄に長引かせない。試合の日はこまめに頭頂部や頸部を氷で冷やすなど、練習や試合での注意事項ととともに、毎日の生活から熱中症に結びつくリスクを排除するという意識づけが徹底されています。「水分やミネラル等の補給は、運動中にこまめにするのはもちろん、その前のご飯でしっかり摂ることが大切です。朝食では汁気のあるもの、できれば温かい味噌汁を食べてほしいですね。また、熱中症に直結しやすい睡眠不足や消化機能の低下は、普段からの自己管理をきちんとすることで避けようと伝えています。そうした一つずつの心がけが質の高い練習につながります」(千葉県のある高校陸上部の顧問の先生) 夏はなかなか食欲が出ず、食事を簡単に済ませてしまいがちです。ところが、食事をしっかり摂らないと、栄養が脳やカラダに行き渡らず、新陳代謝も悪くなります。やがて気温の変化にも対応しづらくなり、より熱中症になるリスクが高まります。運動時の水分や栄養補給だけでなく、日頃から食事をきちんと摂ることで水分や塩分が補給でき、体温を下げる効果のある汗の出やすいカラダを作るのです。 その意味では、前出の高校陸上部の取り組みは理に適っていると言えるでしょう。先生のお話からは、熱中症を身近に感じているスポーツの指導者だからこその目配りがあります。写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 猛暑日が連日続くようになった日本の夏は、もはやひと昔前の夏とは違います。スペインのように午後の2、3時間を仮眠休憩にあてる「シエスタ制度」をすぐに導入するというわけにはいかないかもしれませんが、スポーツをされる方であれば、ご自身の体力や体調、競技特性や練習環境をきちんと整理した上で、決して無理をせず、何より安全にスポーツを楽しむことを心がけましょう。関連記事■ 熱中症対策の「塩味飲料」が活況 背景にスポーツ飲料離れも■ 熱中症対策 スポーツドリンクは水で希釈、緑茶は適さない■ 熱中症対策の甘酒「冷や」か「常温」が効果的 売上280%増■ 甲子園の高校球児 熱中症対策のためベンチは冷房効いている■ 「カットフルーツにも塩」タイ家庭の知恵に学び熱中症対策を

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    W杯のアシスト王「VAR」の功罪

    サッカーW杯ロシア大会で初めて導入されたビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)だが、その判定方法をめぐって大会中から評価が分かれた。マラドーナの「神の手ゴール」も今は昔。「審判団のミスもサッカー」という理念を根底から覆したVAR導入の功罪を考える。

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    ロシアW杯の主役「VAR」は本当に世界のサッカーに必要か

    藤江直人(ノンフィクションライター) 最後になって、選手以外の存在が主役の座を奪い取ってしまった。フランス代表の20年ぶり2度目の戴冠ともに、約1カ月に及ぶ熱戦に幕を下ろしたワールドカップ・ロシア大会。日本時間16日未明に行われたクロアチア代表との決勝戦は、後味の悪さを引きずらせる試合内容となった。 フランスが先制し、クロアチアが追いつく展開で迎えた前半34分に問題のシーンは訪れた。フランスが得た右コーナーキック。FWアントワーヌ・グリーズマン(スペイン、アトレティコ・マドリード)が利き足の左足をインスイングで振り抜き、低い弾道のボールをニアサイドへ供給する。 飛び込んできたのはMFブレイズ・マチュイディ(伊、ユベントス)。しかし、必死に伸ばした頭にはヒットせず、背後でマチュイディをブロックしていたFWイヴァン・ペリシッチ(伊、インテル・ミラノ)の体に当たってゴールラインを割った。 再びフランスのコーナーキックかと思われた直後に、事態が急変する。開幕戦でも笛を吹いたアルゼンチン人のネストル・ピタナ主審に対して、マチュイディをはじめとするフランスの選手たちが、ペリシッチの左手に当たっていたと一斉にアピールを開始した。 国際サッカー連盟(FIFA)は今大会から、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)を初めてワールドカップの舞台で導入している。首都モスクワにオペレーションルームを設置し、誤審の可能性のあるプレーがあった場合、オペレーションルームから主審に連絡が入る。 主審はそれを受け入れるか、あるいは試合を一時中断させた上で、ピッチ外に設置されたモニターで問題のシーンの映像をチェックする。主審側からオペレーションルームへ連絡を入れることもできるが、チーム側からのアピールは認められない。 もちろん、ピッチ上のすべてのプレーが対象になるわけではない。サッカーで最も大事な試合の流れを断ち切らないためにも、ロシア大会では下記の4つに限定された。(1)ゴールおよびゴールにつながる攻撃(2)PK判定およびPKにつながる攻撃(3)一発退場(4)処分対象の選手が間違っている場合 しかし、決勝という大舞台で、勝敗の行方を左右しかねない判定となるだけに、これまでのVAR判定よりも時間を要した。オペレーションルームとの交信を終えたピタナ主審が両手で四角を描き、VAR判定に入ることを告げるまでに約1分間かかった。フランス―クロアチア前半。クロアチアのペリシッチ(左から2人目)がCKを手に当て、VARでハンドの判定、PKを与える=2018年7月16日、モスクワ(共同) 加えて、ピタナ主審は念入りにモニターをチェックする。一度ピッチに戻りかけたが、さらなる確証を得たかったのか。あるいは、一度下した判定への自信が揺らいだのか。再びモニターの前に戻り、件(くだん)のシーンをスロー映像で再確認した上でフランスにPKを与えた。 ここまででさらに1分以上を要し、納得がいかないクロアチアの選手たちによる抗議が1分半以上も続いた。結局、ハンドリングと判定されたペリシッチのプレーからグリーズマンが冷静沈着にPKを決め、フランスに勝ち越し点をもたらすまでに4分近くもの時間が割かれたことになる。マラドーナの神の手ゴール しかも、この判定が世界中で物議を醸した。あらためて言うまでもなく、ボールを手や腕で触った場合がハンドリングの対象となる。ただ、すべてが反則となるわけではない。判定には(1)意図的に触ったか否か(2)当たった時の手の位置(3)当たった時の距離――が基準となる。 映像を確認すれば、ボールは確かにペリシッチの左手に当たっている。ただ、ヘディングシュートを放とうとしたマチュイディをブロックしようとジャンプしたペリシッチのプレーには、(1)で問われる意図的なハンドリングの跡は感じられない。 ジャンプしている間に体勢を整えるため、手を下に伸ばす動作の(2)にも不自然さは伝わってこない。さらにマチュイディのシュートミスは想定外の事態であり、至近距離から急にボールがすり抜けてきた形となった(3)の状況から言えば、とっさに左手を引っ込めることはほぼ不可能となる。 ゆえにハンドリングには当たらないとして、批判の対象となっているわけだが、さらに残念なのはピタナ主審が映像をスローで再確認した行為だ。VARはあくまでも主審の判定を補助する立場とされてきたが、件の場面ではピタナ主審がVARを頼っているように映ってしまったからだ。 決勝戦を含めて、ロシア大会で下されたPK判定数は「29」を数えた。従来の最高記録は1990年のイタリア大会、1998年のフランス大会、そして2002年の日韓共催大会の「18」だったから、ワールドカップの記録を大幅に塗り替えたことになる。 言うまでもなくVAR判定が大きく影響していて、約3分の1に当たる「10」がVAR判定の末にPKが与えられた回数となる。VAR判定でPKが取り消されたケースも含めて、映像という疑いようのない証拠をその目で見た主審が、潔く誤審を受け入れた結果がPK判定数を激増させた。F組の韓国対ドイツ戦で要求されたVAR =2018年6月27日、カザン(ロイター) 実はサッカーのルールはFIFAではなく、国際サッカー評議会(IFAB)という団体によって管理されている。そして、テニスやバレーボールの世界三大大会、ラグビーのワールドカップなどで採用されているビデオ判定制度に対して、IFABは長く慎重な姿勢を貫いてきた。 他の競技と比べてルール改正へのスピード感が著しく乏しいと映る理由は、IFABが「サッカーの判定は人間が行うものであり、審判団のミスも含めてサッカーという試合が成り立つ」という考え方に強くこだわってきたからに他ならない。 そうした歴史の中で、今も語り継がれるアルゼンチン代表の英雄、ディエゴ・マラドーナがハンドリングで決めた「神の手ゴール」が生まれた。しかし、「ボックス・トゥ・ボックス」(攻守にわたって走る中盤の選手)のスピードが桁違いに増している現代サッカーにおいては、審判団にかかる負担は計り知れないほど増大している。DF吉田の思い 頑なだったIFABが軟化したのは2012年7月。ハイスピードカメラや磁気センサーを駆使し、ボールがゴールラインを完全に超えたか否かを瞬時に判定するゴールラインテクノロジー(GLT)と、4人で構成されてきた審判団へさらに2人を加える追加副審(AAR)を特別会議で承認した。 GLTはブラジル大会に続いてロシア大会でも採用されたが、対象がゴール判定だけに限られる。両方のゴールライン付近に2人の副審を配置し、ペナルティーエリア内におけるさまざまな事象に対する判定の精度を向上させるAARは、さらにマンパワーを増さなければいけない。 2016年2月に就任したジャンニ・インファンティーノ会長の下で、FIFAはさらなるテクノロジーの導入に積極的に動いた。その結果としてIFABは同年3月に開催した年次総会で、2018年3月までの2年間をVARのテスト期間とすることを決めた。 テスト期間を今年3月までに区切ったのも、ロシア大会での正式導入を見越していいたからに他ならない。VARが試合をスムーズに進行させることへの妨げにならないと、確信を抱いていたのだろう。インファンティーノ会長は早い段階で、VARに対してこう言及している。 「来るロシア大会が、ビデオ判定が審判の判定を改善する最初のワールドカップとなることを願っている」記者会見に臨むサッカー日本代表の吉田麻也=2018年6月23日、ロシア・エカテリンブルク(撮影・中井誠) 審判の判定だけでなく選手たち、特に守備陣の意識をいい意味で高めたと言っていい。VARが試験導入された昨年11月のブラジル代表との国際親善試合で、VAR判定の末にPKを献上している日本代表のDF吉田麻也(英、サウサンプトン)も、開幕前には自らを律するようにこう話していた。 「ディフェンダーとしては、非常にやりづらくなると思います。ペナルティーエリア内で相手のユニフォームを引っ張る、引っ張らないというのを、一番気をつけなければいけない」 相手の腕などをつかむ行為を含めて、ゴール前の密集地帯における競り合いでこれまでは半ば黙認されてきた感のあるプレーが、テクノロジーの目によって正確に映し出される。必然的に競技力の向上が促され、攻める側のシミュレーションも減るなど、フェアプレーも徹底されるようになった意味でもVARが果たした役割は大きい。アディショナルタイムが増えた 懸念されたのは、VAR判定で試合が中断した影響で、それまでの流れやリズムが変わることだった。ただ、ちょっと待てば正しい判定が下される、という考え方が徹底されていたのだろう。サッカーそのものの魅力がスポイルされた、というケースはなかったと言っていい。 アディショナルタイムが増えるケースも数多く招いた。例えば0-0のまま進んだドイツ代表と韓国代表がグループFの最終戦では、当初は6分間が表示された後半のアディショナルタイムが、その間にVAR判定が行われた関係で9分間という異例の長さに変更されている。 しかも、そのVAR判定で一度はオフサイドで取り消されたDFキム・ヨングォン(中国、広州恒大)のゴールが認められ、さらにはFWソン・フンミン(英、トッテナム・ホットスパー)も追加点をマーク。まさかの展開の末に、前回王者がグループリーグで姿を消す想定外のドラマも生み出した。 アディショナルタイムを含めた最後の10分間の攻防が面白さを増した点にも、VARの存在が影響を与えていると言っていい。計64試合で生まれた169ゴールは、1998年のフランス大会及び前回ブラジル大会の171ゴールに次ぐ歴代3位の多さだった。 ゴールラッシュは開幕から36試合連続でどちらかのチームがゴールを決めるという、もうひとつのワールドカップ新記録をも生み出している。従来の記録は1954年のスイス大会における26試合連続で、実に64年ぶりに更新されたことになる。 しかも、37試合目となった、フランスとデンマーク代表によるグループCの最終戦が、今大会における唯一のスコアレスドローになった。前者はすでに決勝トーナメントを決めていて、後者は引き分けで2位が決まる状況での激突とあって、申し合わせたかのように無気力な試合展開となった。フランス―クロアチア前半。VARでペリシッチ(右端)のハンドでPKの判定に、主審に詰め寄るクロアチアイレブン=2018年7月16日、モスクワ(共同)  ゴールシーンが増えたことは、スタンドで観戦しているファンだけでなく、テレビ越しに見ている世界中のファンにもポジティブな効果を与える。決勝トーナメントに入ってハイレベルの試合も増えてきた中で、VAR判定でPKが与えられたケースも決勝戦の前半38分まで訪れなかった。 それだけに、ある意味で決勝戦の魅力をスポイルしてしまった感のある、世界中から誤審と批判されたPK判定は画竜点睛を欠いてしまったと言わざるを得ない。必要以上に長い中断と助言以上のものをVARから得たと思わせた点でも、残念に思えてならない。 ミスの撲滅が徹底される世の中全体の流れを考えれば、VARはサッカー界でますます必要不可欠な制度となっていくだろう。だからこそ、IFABが今もうたっている、「サッカーの判定は人間が行うもの」という大前提が損なわれないような運用方法が求められていくはずだ。

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    サッカーW杯「渋谷フーリガン」の薄っぺらい愛国心が危ない

    テレビで話題になるのは、さらにその選手がメダルを取る可能性がある時だけだ。 そうすると私たちは本当にスポーツに興味があって、オリンピックやワールドカップで選手やチームを応援するのかというと、それはやはり甚だ疑問と言わざるを得ない。私たちは本当のところ、好きなのはスポーツなのではなく日の丸なのではないかとも思う。2002年6月、サッカーW杯のチュニジア戦で日本が勝利し、渋谷ハチ公前交差点のど真ん中で騒ぐサポーター(大西史朗撮影) 2002年に日本で初めてワールドカップ開催された。この時、一つ何かが変わった。大きな日の丸を振って若者が「ニッポン!」と熱狂する。渋谷のスクランブル交差点はこの時は初めてハイタッチフーリガンが出現した。しかし、その表情には、例えば識者が危惧するような右派的な「愛国」の真剣さは感じられない。 イギリスのサッカージャーナリスト、サイモン・クーパーはこれを「休日用のナショナリズム」と呼んだ。日本にはサッカーに託して他国を憎悪することによって得られるナショナリズムは感じられない。得体のしれない国家 むしろ、これらの日の丸に集うサッカーファンは、他国と同じようにカラフルな国旗のもとに喜びを謳歌(おうか)しているのであって、むしろ国際的なのではないか。政治や民族主義や、果てはビジネスまでもが複雑に絡み合う世界中のサッカーシーンを見聞きしてきたジャーナリストは、日本のおおらかなサッカーが巻き起こす風景を、いわば「害のない」ものと考えた。 しかし、これは本当にそうなのだろうか。 RADWIMPSというバンドが、サッカー番組用につくった曲のカップリング『HINOMARU』が復古調ということで批判を浴びたのはW杯開幕直前のことだ。意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、誇り高くこの身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊さぁいざゆかん 日出づる国の御名の下に 靖国神社の絵馬にでも書いてありそうな、どこからか引っ張り出した語彙(ごい)でつづられており、申し訳ないが、稚拙な愛国ポエムでしかない。これに感情移入できる若者がどれだけ日本にいるかについては興味深いが、その一方で、このような戦前復古を感じさせる歌詞への批判が、より多く集まるのはわからないでもない。 サッカーに政治を持ち込むな、というのは大方のサッカーファンは同意するだろう。無邪気なナショナリズムならば、それはスパイスとしては香り高いものになるだろうが、そちらが目的ということであれば、単にサッカーを楽しみたいという人にとっては迷惑この上ない。 なぜなら、これまでサッカーがナショナリズムを引き寄せて、酷いことになった例は枚挙にいとまないからだ。そして、それは簡単に差別的な思考に直結する。 国家とは得体の知れないものだ、というのが自分の理解である。その得体の知れなさは、ある時はW杯で日本代表が優勝候補のベルギーを相手に善戦し、それにより私たちの仲間が世界で名を挙げたことが、老若男女、貴賤も職業も年収も問わずに熱狂させることもある。2018年7月、日本の敗戦に肩を落として東京・渋谷駅前の交差点を渡るサポーターら かたや、危険な愛国主義のダークサイドの誘惑もありうることは強調しておきたい。私がこれまで多数話を聞いてきたいわゆる「ネット右翼」の人たちが、2002年のワールドカップが彼らの転機になったと語った。 サッカーそのもののコンセプトにはもともとナショナリズムとコスモポリタニズムが表裏一体となっているところがある。人はそのどちらかに、ある時は全く矛盾することなく両方に誘引されていく。渋谷のハイタッチフーリガンは、休日用のナショナリズムを謳歌しながら、その危うい境界線上にいるわけだ。 もちろん、大方の人は休日が終われば日常に帰り、仕事や趣味や恋愛や育児といった自分たちの幸福のために時間を費やしていくことになる。そしてその中から、本当にサッカーにハマってしまう人もいるだろう。サッカーは世界をつなぐ共通言語だというコスモポリタニズムを素直に受け入れる人もいるだろう。だが、一方で、私たちは境界線から転げ落ちてしまう人も見ることになる。

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    日本人はなぜ「4年に一度の祭り」としてサッカーを消費するのか

    と、日々の楽しみとして心の中に位置づけにくくなるからです。 実は、大学教育界では大会で成果を出す競技スポーツではなく、レジャー・レクリエーションとして楽しむ競技スポーツが注目されています。日本では野球がその大きな地位を占めていますが、世代を超えて家族で楽しむスポーツとしてサッカーが選ばれるようになると、本当のサッカー文化が育っていくものと思われます。ベルギー戦の後半、パブリックビューイング会場で悔しがる日本サポーター=2018年7月3日、東京都港区(佐藤徳昭撮影) サッカーは世界で最も愛されているスポーツです。私はサッカーの素人ですが、その魅力は直感的に、そして心理学的に理解できるところもあります。ボール1個と広場さえあれば、サッカーは誰でもどこでも行えるわけです。 だからこそ、優劣を競う競技としてではなく、お互いに楽しむ競技として世代を超えた日々の楽しみになる可能性を秘めたスポーツでもあるのです。親と子がともに楽しめて、さらに祖父と孫もともに楽しめる。このよう伝統ができれば、競技としてのサッカーが育つ文化になることでしょう。素人も素人なりに競技としてのサッカーを楽しむことがサッカー文化の礎になるのかもしれません。

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    田嶋会長、日本のサッカー人気に寄与する提案が2つあります

    清水英斗(サッカーライター) クロアチアのキックオフでファイナルの笛が鳴った瞬間、フランスは猛然とプレッシングに飛び出した。相手が3試合連続の延長戦を戦っており、さらに休養日も1日短いコンディションの差があった。立ち上がりから、飲み込もうと考えたのだろう。 ところが、クロアチアの抵抗は予想以上だった。パス回しでプレッシャーを剥がしただけでなく、逆に猛烈なハイプレスを浴びせ、フランスのビルドアップを寸断してしまう。勇猛果敢なクロアチアの前に、フランスは出鼻をくじくつもりが、逆に返り討ちに遭ってしまった。 MFエンゴロ・カンテ、MFポール・ポグバと、ボール奪取力の高い中盤に対し、クロアチアはMFルカ・モドリッチとMFイヴァン・ラキティッチが引いてボールを受け、相手がどこまで追いかけるべきか、対応を迷わせるポジションを取った。ボールハンターに的を絞らせず、見事な攻撃を展開したクロアチアはポゼッション率(支配率)62%を記録した。 準決勝までとは異なり、存在感の無かったカンテは、前半27分にイエローカードを受け、後半10分に早々とベンチに退いた。この世界有数のボールハンターを、クロアチアは追い出すことに成功している。 しかし、劣勢が続いたフランスだったが、先制ゴールは意外な形で転がり込んだ。前半18分、MFアントワーヌ・グリーズマンのフリーキックに反応したFWマリオ・マンジュキッチの頭頂部にボールが当たり、そのままゴールに吸い込まれてしまった。オウンゴールだ。 逆に、クロアチアのハイテンションが災いした面もあった。このようなゴールへ向かって行く軌道のクロスは、一生懸命にクリアしようとすればするほど、頭や身体のどこかをかすめ、軌道が変わってゴールに吸い込まれやすい。2018年7月、W杯決勝の前半、競り合うフランスのカンテ(左)とクロアチアのモドリッチ(中井誠撮影) はっきりとクリアできないのであれば、見送るのも判断だが、マンジュキッチは頑張りすぎてしまった。また、その届くか届かないか、ぎりぎりのポイントへボールを蹴ったグリーズマンのキック精度もいやらしいのである。 その後、FWイヴァン・ペリシッチのゴールで一時は追いついたクロアチアだが、前半38分に再びリードを奪われる。グリーズマンのコーナーキックを、ペリシッチが手で防いでしまい、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の指摘と主審のレビューが行われた結果、PKが与えられたからである。フランスが「宝石箱」を保てたワケ あのエリアでペリシッチが足を高く上げてクリアに行くこと自体が、PKの危険を考えればあまり良いアクションではない。また、決して予測できない軌道ではないのに、手を出した位置も軽率だった。ここでもまた、ボールを懸命にはね返そうとするクロアチアのハイテンションが災いした。 1-2と追いかける展開で後半を迎えたクロアチアは、さらに波状攻撃へ出た。しかし、後半14分に決定的な追加点を許してしまう。フランスは自陣からヘディングでつないでクロアチアのプレッシングをかわした後、ポグバが右サイドへ糸を引くようなロングスルーパスを送り、快速の19歳、FWキリアン・エムバペを走らせた。 右サイドを破った後、ペナルティーエリア内のグリーズマンを経由し、ポグバがシュートを放つ。こぼれ球をもう一度ポグバがシュートし、3-1と突き放す決定的なゴールが決まった。 フランスにとって、あまり守備に献身的でないエムバペの右サイドは頭痛の種だった。クロアチアのサイド攻撃に終始崩されやすい状況であり、試合中にはポグバやグリーズマンから守備に戻れと、エムバペが𠮟責(しっせき)される様子もあった。 しかし、その一方、速攻から試合を決めたのもエムバペである。守備に難があっても、攻守で差し引きすれば黒字化できる。いかにも若さあふれる19歳の才能だ。 それが機能したのも、1トップのFWオリヴィエ・ジルーや、セカンドトップのグリーズマンの献身があってのことだ。彼らのハードワーク、ボールを引き出すチームプレーがあってこそ、フランスの宝石箱のようなタレント性は、バランスを保つことができた。 その後、互いに1点ずつを挙げたが、差は縮まらず。クロアチアの勢いは鬼気迫るものがあったが、判定への不満も重なり、徐々に沈黙していく。最後は足も止まり、4-2でフランスが決勝を制した。2度目の世界一に輝き、優勝トロフィーを掲げて大喜びするジルー(中央左)とエムバペ(同右)らフランスイレブン=モスクワ(共同) 表彰式が終わったスタジアムで、フランスのサポーターはいつまでも歌い続けていた。クロアチアのサポーターは敗戦に落胆しながらも、選手に熱い声援を送り続けた。非常にインテンシティ(強度)が高く、気持ちのこもったファイナルだった。日本代表が敗退すれば、潮が引く しかし、果たしてこの名勝負を、日本でどのくらいの方が視聴したのだろうか。NHKの生中継の平均視聴率は約15%だったようだが、iRONNA編集部からは、日本が敗退した決勝トーナメント・ラウンド16以降、スケジュールの空きもあってか、急速に熱が冷めた様子だったとも聞いている。 個人的には特に意外ではない。いつもそんなものだ。日本代表が敗退すれば、サーッと潮が引く。それは今に始まったことではない。一般層はサッカーに興味があるのではなく、日本に興味があるだけだ。 どうしようもない部分もあるが、どうにかできる部分で言うなら、原因の一つは地上波テレビだろう。私は現地ロシアにいたので、日本のテレビは見ていないが、見た人の感想から推察するに、日本代表を芸能人のように持ち上げたり、あるいは家族やプライベートなど、サッカーとは関係のないことばかりを放送しているのだろう。だから、その対象がなくなった瞬間、「サッカーの大会」から興味が失われるのは当然だ。サッカーに限ったことでもない。 地上波はいつも視聴者ターゲットを、異常なほど低い位置に設定している。なぜそこまで視聴者を小バカにするのか、個人的には理解しかねるが、残念ながらいつものことである。 「お年寄りにも分かるように」と一つ覚えのように聞くが、地上波の「バカ騒ぎ番組」が始まると、うちの実家のお年寄りは大体チャンネルを変える。もはや、こう作らなきゃいけない、という思い込みや強迫観念のようなものではないか。 どうせなら、日本サッカー協会(JFA)や国際サッカー連盟(FIFA)が規制に乗り出し、放送の『フェアプレーポイント』を作って、「サッカー」を取り上げた放送局に、優先的に放映権を売る仕組みを作ってはどうか。 あるいは解説者もパフォーマンスベースで評価させる。せっかくテレビのリモコンには「dボタン」があるのだから、これを使って投票すればいい。そうやってサッカー人気に寄与する解説者と、役に立たない解説者に切り分ければいい。準決勝のフランス-ベルギー戦の視察に訪れた日本サッカー協会の田嶋幸三会長(中井誠撮影) そんなことを、JFAの主導で提案してはどうか。もっとも、そのサッカー協会に所属している解説者ほど実際には人気がなく、パフォーマンスの悪い人ばかりなのだが…。

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    にわかサッカーファンで何が悪い!

    毎度のことだが、サッカーW杯が終わると、必ず「にわか叩き」が起こる。熱心なサポーターの気持ちは分からなくもないが、誰だって最初は「にわか」が入り口だったはず。確かに海外ではファンの観戦力が自国のサッカーを育てる、という指摘もある。にわかファンはそんなに悪いのか?

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    ロシアW杯「直前まで盛り上がらなかった現象」が見過ごせない

    長らく、日本のサッカー文化は雑誌文化に支えられてきた。その構造はシンプルで、90年代前半までメジャースポーツではなかったサッカーは、新聞紙面のスポーツ欄に入れなかったのだ。 一方、雑誌文化は92年の日本代表の躍進、93年のJリーグ開幕、さらには96年の02年W杯日韓共同開催決定が追い風となり、花開く。サッカー専門誌が月刊から週刊化。コンビニや駅売店の流通に乗るようになった。またスポーツ専門誌でも「サッカー日本代表」が圧倒的に売れるキラーコンテンツとなっていく。 流れは10年ほど続いたが、2013年から14年に大きな波が訪れる。2大専門誌が週刊化を取りやめた。また翌14年には日本代表がブラジルW杯で惨敗。あるスポーツコンテンツも扱う出版関係者は「ここが大きな分岐点となった。日本代表特集号の売上が大きく変わっていた」という。 つまり読者が情報を得る媒体が変わっていったということ。インターネットがメインストリームに躍り出たのだ。もちろん、93年以降新聞紙面にもサッカー情報が大幅に増えたが、近年の新聞離れ(1世帯あたりの部数が1.0部を割る)といった傾向も“ネット主流”を後押ししている。 読者には速報性のメリットがあり、手軽に読める。書き手には短く分かりやすい原稿が求められる。 ただし、こんな“問題点”がある。自分の好きな記事しか読まない。紙面と違ってスペースの違いがない。だから何が重要で重要ではないかが掴めない。 ここで改めて言わずとも、度々指摘されていたポイントだ。重要なのは、これが社会現象として実際に現れている点だ。2018年7月、W杯決勝トーナメントのベルギー戦に敗れ、顔をぬぐいながらピッチを去るMF本田圭佑(中井誠撮影) 大会の全体像が掴めない。だから静かだった。 日本代表のニュースならいくらでも読む。 監督が変わるらしい。しかも2カ月前に? そんなことありうるのか。西野朗監督就任後もW杯に出ないガーナ代表に負けた。読んで、掘り下げていく。どんどん暗い気持ちになる。 しかし、本来はそれ以外にも大会への興味はあるはずなのだ。復活を期するブラジルの様子はどうだ? メッシやクリスチャーノ・ロナウドは大会で活躍できるのか? グループリーグの好カードは何?ラグビーW杯、東京五輪はどうなる? この情報がなかなか得にくいのではないか。これまで雑誌で読んでいたような「グループリーグの組分け」「大会全体のスケジュール」といった基本的な情報が、インターネットだけでは入りにくい。 これまでなら半年前くらいから繰り返し、雑誌でページが割かれてきたから目にしたはずなのだ。筆者もロシアに発つ直前、よく行くフットサルチームで大会の話をしたが、ほとんどがグループリーグの組分けを正確に知らなかった。パナマ、アイスランドといった国が初出場だ、といった点はもちろんのことだ。 大会が始まって、ようやく地上波が大会を報じ始めると、ポツポツと状況がわかり始める。そして試合がいざ試合が行われるという段になり、ようやく「何が起きるか」が理解されていく。そういう構図だったと見る。 今年2月の平昌五輪でも同様だった。出発前は平昌五輪に行く、というと「平壌に行くんですか?」とすら聞かれたが、大会中盤に日本に戻ると、皆がスピードスケートの話題で盛り上がっていた。 もっと言うと、韓国でも同じ現象が起きていいた。平昌五輪が始まる前は「史上最低の盛り上がり」「危機的」とすら言われたが、いざ始まると「さすがオリンピックの盛り上がり」という評価になった。今回のワールドカップも然り。大会前は不人気から代表の国内合宿を2日間ほど「オープン・デイ」とし、ファンが自由にサインをもらえるイベントまで施した。しかし、大会が始まると初戦スウェーデン戦のパブリックビューイングはソウル市庁一帯に1万4000人が集まった。 スポーツのメガイベントが“直前に盛り上がる”現象、今後も続くだろう。インターネットでの情報収集がメインであり続ける以上。2019年にはラグビーW杯、2020年には東京五輪が控えている(撮影:筆者、渋谷にて) 次の機会は、2019年秋に日本で開催されるラグビーW杯だ。現時点ではほぼ話題になっていないだろうが、きっと直前でグッとくる。 さらにホスト国、という点は「直前の盛り上がり」に追い風となる。外国のファンがやってくるはずだからだ。ラグビーに全く興味がない人も「何かが起きる」ということに気づく。盛り上がらない、と言われ続けけてきた平昌五輪も、外国人応援団の到来でようやく雰囲気ができあがっていった。 ただし、東京五輪は別物になると筆者は見ている。ラグビーW杯での熱狂(多くは外国人ファンの来日、それにともなう交流の経験)を知った状態で東京五輪が来る。2019年秋以降は、“スポーツが相当キテる“。そういう熱狂の下で東京五輪を迎えるのではないか。そんな読みがある。よしざき・えいじーにょ ライター。日韓比較論。スポーツから社会全般まで。74年生まれ、北九州市小倉北区出身。大阪外大(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。「Number」「週刊プレイボーイ」「週刊文春」などで執筆。北朝鮮情勢や、サッカー選手に関する韓国語翻訳書も。また「スポーツソウル電子版」「NAVER」など韓国媒体に韓国語での執筆歴もある。01年に「週刊サッカーマガジン」の韓国情報コーナーから本格的に執筆活動を開始。02年日韓W杯後に「サッカーを本格的に書く」と決心し、ペンネームに。しかし状況ままならず、再び学生時代に専攻した朝鮮半島方面へ。名前はそのままでやってます。本名は英治。ドイツ・ケルンにも在住歴あり。

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    W杯解説者椅子取りゲームはしくじり男・前園真聖の独り勝ち

    分の間に決断してチームに浸透させるなんて勇気がなきゃできない』と全面擁護したことで男も上げました」(スポーツ紙記者) 前園は2013年、泥酔してタクシー運転手に暴行を働き逮捕され、謹慎処分になった“大しくじり”の過去がある。自らが乗り越えてきた逆境を、西野ジャパンに重ねたのだろうか。マイアミから22年、前園は再び奇跡を起こした。関連記事■ バラエティーで活躍の前園真聖 酒を勧めても一切手をつけず■ W杯「3戦全敗」を予想した高原直泰氏と中西哲生氏の言い分■ 前園氏から暴行被害のタクシー会社 大人力示したと識者絶賛■ 玉木宏&ISSA 芸能界のドン・ファンが愛した女たち■ 出演者の人選とバラエティ企画 W杯特番に飛び交う賛否の声

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    W杯「3戦全敗」を予想した高原直泰氏と中西哲生氏の言い分

    な国であるわけです。1998年のフランス大会では、大会前、地元のフランス代表の評判が最悪だった。特にスポーツ紙『レキップ』はエメ・ジャケ監督を徹底的に叩いていたが、チームが予想外の優勝を果たすと、翌日の一面で『ジャケ、ごめんなさい』と大見出しを打った。だから、みんな潔く謝っていいと思う。 とにかく今大会は本田圭佑(32、パチューカ)、香川真司(29、ドルトムント)、そして岡崎慎司(32、レスター)の“ビッグ3”の働くべき場所が、西野采配ではっきりとし、それでチームが一丸になったのが大きかったと思う」関連記事■ 「おっさんJAPAN」メディアの手のひら返し、半端ないって!■ だから本田圭佑は必要だ──「カズ落選」を経た日本代表の成長■ 釜本邦茂氏「不用意に反則する選手は外せ」で具体名挙げる■ W杯直前、元日本代表エースとテレ朝アナが幸せ映画デート■ テレ朝三谷紬アナ 関係者も目を丸くした衝撃の胸トラップ

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    最強フランスに挑む「不屈の精神」クロアチアの歴史的偉業

    清水英斗(サッカーライター) W杯に「史上最長のファイナリスト」が誕生した。決勝トーナメント1回戦のデンマーク戦、準々決勝のロシア戦と、クロアチアはともに延長戦の末にPK戦を制して勝ち上がり、この日の準決勝イングランド戦を迎えていた。 イングランドに先制を許したクロアチアだったが、後半23分にFWイバン・ペリシッチが同点ゴールを決め、3試合連続の延長戦に突入した。言うまでもなく、クロアチアは満身創痍(そうい)だったが、選手自身はそれをおくびにも出さない。かえって不屈の精神を発揮し、逆にコンディションで優位に立つはずのイングランドに襲いかかったのである。 同点弾の後は、むしろクロアチアの積極性すら目立った。すると延長後半4分、クロアチアはFWマリオ・マンジュキッチが逆転ゴールを挙げ、2-1。スタジアムは歓喜の渦へ。 延長戦で4枚目の交代カードを切り、粘りを見せたいイングランドだったが、直後にDFキーラン・トリッピアーが負傷でプレー不可能になるアクシデントが起きる。最後は10人になり、反撃の手を出せないイングランドは沈黙。不屈のクロアチアが、衝撃的な決勝進出を決めた。 3試合連続で延長戦を戦い、決勝にたどり着いたのは、クロアチアが歴史上初めてのチームである。 それにしても、前半が終わった時点では、この展開は予想していなかった。それまではイングランドのパーフェクトゲームだった。前半5分にトリッピアーがフリーキックで先制ゴールを挙げたことに加え、試合のコントロールが完璧だったからである。イングランド戦の延長後半、決勝ゴールを決めるクロアチアのマンジュキッチ=モスクワ(共同) カギを握ったのは、3バックの真ん中に立つDFジョン・ストーンズだ。ビルドアップ時に3バックを常に維持することはなく、機を見て相手センターフォワード、マンジュキッチの裏へ入り、中盤のアンカーのような場所にポジションを取った。 この動きで相手MFのルカ・モドリッチと、イバン・ラキティッチを引きつける。すると、クロアチアの中盤に大きなスペースが空いた。イングランドは中盤でスペースと数的優位を獲得し、快適にボールを運ぶことができた。「完璧」イングランドの暗転 クロアチアはアンカーのMFマルセロ・ブロゾビッチが、あまり前へ出て来ない。センターバックの近くで、スペースを常に埋めているため、モドリッチとラキティッチが相手に食いつくと、中盤に広大なスペースが生まれる。これをイングランドは狙っていたのである。特にターゲットとしたのは、相手センターバックのDFドマゴイ・ビダである。 準々決勝でロシアに勝利した後、「ウクライナに栄光あれ。この勝利をささげる」とフェイスブックに投稿し、物議を醸していたビダは、この日もスタジアム中のロシア人から、ボールを持つたびに大ブーイングを受けていた。イングランドが狙ったのは、このDFだ。 スピード豊かなFWラヒム・スターリングが、ビダの裏へ斜めに飛び出し、ビダの手前では、右インサイドハーフのMFジェシー・リンガードが足元でボールを受ける。前半、この形でリンガードがフリーになって前を向く回数が多く、パターンの再現性が高かった。 このようにポジショニングを工夫しながら、ピッチ上に優位を生み出す組織的な戦術を「ポジショナルプレー」と呼ぶ。イングランドは見事なサッカーを見せていた。 GKジョーダン・ピックフォードも、出色のパフォーマンスである。ロングキックはアリの眉間さえ貫くほどの精度で、FWハリー・ケインへ届く。アグレッシブに高いポジションを取り、ゴールを空けた状態でクロスをキャッチする。 身長は185センチと、イングランド3人のGKの中で最も上背のないピックフォードだが、正GKの座をつかんでいる。技術と運動能力を生かしたプレーは、日本代表がGKを育成する上でも参考になりそうだ。クロアチア戦の前半、先制のFKを決め、駆けだすイングランドのトリッピアー(右から2人目)=モスクワ(共同) ブラボー、イングランド。それがなぜ、あんなことになってしまうのか。 イングランドの守備システム「5-3-2」は、3人しかいない中盤の両サイドにスペースが空きやすい。前半のクロアチアはそこでボールを持った後、攻めあぐねていたが、後半は割り切ってクロス、クロス、クロス。このチャレンジが実を結んだ。 DFシメ・ブルサリコのクロスに、ファーサイドからペリシッチが飛び込み、イングランドのDFカイル・ウォーカーの前にアクロバティックな左足を出す。ファウル気味にも思えたが、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の修正はかからず、クロアチアの同点ゴールは認められた。感動的だった「不屈」の瞬間 イングランドの慢心は否めない。2点目を取って試合をクローズできなかった。逆に、クロアチアは前半のミドルゾーンで構える守備から、後半はハイプレスに転じた。どこにそんな体力が残っているのか…。 感動すら覚えるクロアチアの粘りの前に、すでにこれまでの健闘でお祭りムードになっていたイングランドは防戦一方だ。これでは、慢心以外のキーワードが浮かばない。 あれは延長に入ったころだったか。クロアチアは、モドリッチがボールを懸命に追いかけた後、ピッチに崩れ落ちるように座り込んでしまった。 そりゃそうだ。もう身体の限界だ…と思った瞬間だった。そこへ走ってきたブルサリコが、モドリッチを後ろから抱え込み、自力で立つことができない主将を持ち上げ、スッと立たせた。そして、ぽん、ぽんと背中をたたくと、自分のポジションへ走り去った。あのときブワッと湧いた感動を、生涯忘れることはできないだろう。 そして延長後半、マンジュキッチが逆転ゴールを挙げた。不屈のクロアチア。結束のクロアチア。真のブラボーは、君たちだった。 120分、120分、120分。決勝トーナメントで360分を戦い抜いたクロアチア。まさに史上最長のファイナリストである。イングランドを破って初の決勝進出を決め、大喜びするクロアチアのモドリッチら=モスクワ(共同) 一方、90分、90分、90分。アルゼンチン、ウルグアイ、ベルギーと、決勝トーナメントで対戦した強豪を、すべて90分でなぎ倒し、盤石の強さで勝ち上がったのがフランスである。パフォーマンスと安定感は、今大会最強と言ってもいい。「最強vs最長」のファイナル。果たして、その結果は?

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    渋すぎた準決勝「アメーバサッカー」は日本の解説者じゃ手に余る

    く見ていけば、数字だけではない選手の確かな評価もしっかりと出てくるはずだ。だからこそ、サッカーというスポーツは単純なデータだけで選手の評価はできない。ましてや「チーム戦術」を度外視し、選手単体で個人評価や採点することは本来できない。攻め上がる、フランス代表のアントワヌ・グリーズマン=2018年7月、ロシア・サンクトペテルブルク(撮影・中井誠) ある意味でフランス、ベルギーのような強豪国になれば、出場している22人、どの選手をフォーカスしても何かしらを語ることができる。22人のみならず、ベンチに座る選手も含めてメンバー23名全員がスター選手であり、それだけ豪華なチームなのだ。 決勝点がコーナーからディフェンダーが決めたこともあり、この準決勝は日本のメディアが取り上げやすいスター選手の目立った活躍が、一見なかったように映る「渋い試合」となった。 だからこそ、改めてグリーズマンやジルーのような脇役の機能性が勝敗を分けたことに着目すべきであろう。それこそがサッカーの持つ奥深さであり真の面白さでもあるのではないだろうか。

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    「2-0は安全なスコアだ」日本代表はフランスのキープ力に学ぶべし

    清水英斗(サッカーライター) 2-0は安全なスコアだった! 私たち日本人にとっては、ショッキングな事実だ。 W杯準々決勝のウルグアイ対フランスは、前半40分にDFラファエル・バランがヘディングで先制ゴールを挙げると、後半16分にMFアントワーヌ・グリーズマンがブレ球ミドルシュートで追加点を挙げ、2-0へ。そして、そのまま終わった。 後半の残り30分は、何も起こらなかった。いや、起こさせなかったのだ。試合をコントロールし、閉じる。フランスのゲーム戦略は完璧だった。手が届かなかった「ベスト8の戦い」。ベルギー戦で2-0から逆転を許した日本代表にとって、足りなかったゲーム・クオリティーが、そこにはある。 ゲームの前半、興味深い戦術を見せたのはウルグアイのほうだった。「4-4-2」のシステムで、MF4人が、ディフェンス時は真ん中にギュッと固まったひし形を形成するが、攻撃に転じると、MFナイタン・ナンデスが右サイドのタッチライン際に開く。トップ下のMFロドリゴ・ベンタンクールも真ん中にポジションを取り、全体が右サイドに固まった状況を作り出した。「ワンサイド寄せ」である。 前半のウルグアイの攻撃エリアを、データで確認すると、中盤は右サイドが25%、真ん中が16%、左サイドは5%を記録。前線も右サイドが11%、真ん中が9%、左サイドが5%を記録した。つまり、ウルグアイが右サイドに攻撃を固めたのは、データからも明らかだ。これは過去の試合に共通する傾向ではなく、このフランス戦特有の現象だった。 なぜ、ウルグアイはこのような「ワンサイド寄せ」を行ったのか? それはプレーエリアを、コンパクトに縮めるためだ。片方のサイドに寄ることで、「1対1」を「多対多」に近づけ、身体の大きな選手をそろえたフランスに対し、狭いエリアの敏しょう性で上回る。仮にボールを奪われたときも、味方が近くにいて取り返しやすい。さらに相手のキープレーヤーであるFWキリアン・エムバペを、逆サイドで孤立させる効果もあった。全ては戦術である。 そのウルグアイにとって、前半は決して悪くなかった。前半40分にグリーズマンの絶妙なフリーキックからバランにヘディングを許し、セットプレーで失点したものの、直後にウルグアイもフリーキックで決定機を迎えている。しかし、これはフランスGKウーゴ・ロリスのスーパーセーブに防がれた。ウルグアイ戦の後半、2点目のゴールを決めるフランスのグリーズマン=ニジニーノブゴロド(ゲッティ=共同) 事実、1-0でフランスがリードして折り返したが、前半のシュート数はウルグアイが7本(枠内4本)、フランスが6本(枠内1本)と、チャンスはしっかりと作れている。スーパーセーブさえ無ければ、間違いなく1-1だった。 とにもかくにも、1点のアドバンテージを得たフランスは、ここから老獪(ろうかい)さを見せる。まず、前半に孤立しがちだったエムバペが、ポジションを離れて逆サイドまで顔を出し、相手のワンサイド戦略に消されないように動きを修正した。なぜフランスはキープできたのか ゴールが遠いウルグアイは、後半14分に2枚替えを行い、ギアを入れようとする。その直後の後半16分だった。フランスは中盤でMFポール・ポグバがボールを奪い、カウンターへ。テンポ良くつないだボールがグリーズマンに渡り、左足でブレ球のミドルシュート。相手の勢いをそぐ形で2-0と突き放した。 さて。問題の2-0である。なぜ、フランスはこの2-0をキープできたのか? 理由の一つは、ポゼッション能力だ。フランスのボール支配率は全体で58%と、前後半を通じて高い数字をキープした。日本がベルギーに対して、支配率で44%と下回ったのとは状況が違う。フランスは敵陣へボールを運んだ後も、無理にシュートまで行かず、落ち着けるようにパスを回していた。 二つめの理由は、後半22分に見られた。ボールを受けようとしたエムバペの足先が、相手選手とソフトに当たったとき、痛がって転んだ。あまりにも大げさに感じたウルグアイの選手たちは激高し、詰め寄る。両チームが入り乱れ、乱闘寸前になった。ここで2分の時間が消費されている。 もちろん、この2分はアディショナルタイムに加算されるのだが、相手の勢いや雰囲気をそぐ意味では大きい。身体を休め、もう一度守備の強度を高められる。全く褒められるものではないが、このような行為はゲームコントロール上、有意であるのも確かだ。日本はそれをやらないので、ちょっと損はしている。 そして三つ目の理由は、監督の采配だ。後半35分、フランスは197センチのMFスティーブン・ヌゾンジを投入し、アンカーに据えた。試合の終盤にパワープレーを仕掛けてくるであろう相手に対し、空中戦の強さを保証している。それに伴い、小兵のボールハンター、MFエンゴロ・カンテを左サイドへ出し、クロスやパスの出どころにプレッシャーをかけさせた。役割分担は完璧だ。ウルグアイ戦の後半、激しいチャージを受け、倒れるフランスのエムバペ=ニジニーノブゴロド(共同) この采配がピタリとはまった。ウルグアイは後半の残り30分で、ゴールの匂いを感じさせる攻撃がほとんどなかった。フランスにとって、2-0は安全なスコアだったのである。 日本もこのような試合運びができないものか。そもそもゴール前の守備力、ポゼッション力で差がある上に、采配でも後れを取っていては厳しい。 もちろん、長身で足元の技術も確かなヌゾンジのような選手は、日本がたやすく得られるものではないが、W杯がこのような駆け引きになることを見越し、4年の間に準備することは可能だろう。例えば、比較的背の高いセンターバックの選手を、中盤のアンカーにコンバートして起用し、チームのオプションとして持っておく。W杯は何を要求してくるのか。それを知った上で、準備するのだ。 ベスト8を目指す上で、日本がやるべきことはたくさん残されている。それをフランスは教えてくれた。まだ、W杯は終わっていないのだ。このハイレベルな試合の数々に、未来を見ようではないか。

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    西野朗は日本サッカーの何を変えたのか

    で撃破し、第2戦では難敵セネガル代表と2‐2で引き分けると、一転して「ロシア大会後も続投へ」と報じたスポーツ紙もあった。しかし、優勝候補ベルギー代表と歴史に残る死闘を演じ、後半アディショナルタイムにカウンターから喫した失点で敗れた決勝トーナメント1回戦を境に風向きが大きく変わった。 一夜明けた4日には、現役時代は西ドイツ代表FWとして1990年のイタリア大会を制した、ユルゲン・クリンスマン前ドイツ代表監督の次期日本代表就任が決定的になったと、一部スポーツ紙が1面で大々的にスクープを打った。一方では西野監督の続投論も根強く報じられる中で、代表が帰国した5日に突如として西野監督の可能性が潰えたわけだ。帰国会見で話す日本代表・西野朗監督(左は、長谷部誠)=2018年7月5日、千葉県成田市(撮影・加藤圭祐) 「契約が今月の末日までですので、(日本代表監督という)この任を受けた瞬間から、ワールドカップ終了までという気持ちだけでやってこさせてもらいました。途中でこういう形になりましたけど、今は任期をまっとうしたという気持ちでいます」 一時はベルギーから2点のリードを奪い、日本がまだ見ぬベスト8以降の世界へ通じる扉に手をかけながら、無念の逆転負けを喫した幕切れに西野監督は努めて前を向いた。一方では初めてワールドカップの舞台で指揮を執った自分の、ある意味で限界を認めるような言葉も残している。 「試合展開が日本にとって好転していっている中で、あのシナリオは自分の中ではまったく考えられませんでした。ベルギーから3点目が取れるとチーム力に対して自信を持っていましたし、実際にそうなるチャンスもありました。それでも、紙一重のところで流れが変わってしまった。私だけでなく、選手たちもまさかと感じた30分間だったと思います」パニックになった西野監督 指揮官が言及した30分間とは、2点を追うベルギーのロベルト・マルティネス監督が、ナセル・シャドリ(英、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン)、アルマン・フェライニ(英、マンチェスター・ユナイテッド)の両MFを一気に投入した後半20分以降を指している。 前者は187センチ、後者に至っては194センチの長身を誇る。日本が持ち合わせない「高さ」が加わったベルギーは、前線をフェライニと190センチ、94キロの怪物ロメル・ルカク(英、マンチェスター・ユナイテッド)の2トップに変えて、試合の流れを強引に引き戻そうとしてきた。 果たして、4分後の後半24分にDFヤン・フェルトンゲン(英、トッテナム・ホットスパー)がヘディングで放った、パスにも映った山なりの一撃がGK川島永嗣(仏、メス)の頭上を越えてしまう。ラッキーな形で1点を返したベルギーは、さらに攻勢を強めてきた。 わずか5分後には、左サイドからFWエデン・アザール(英、チェルシー)が放ったクロスに、飛び込んできたフェライニが頭ひとつ抜け出す形で強烈なヘディングを一閃。瞬く間に同点に追いつき、試合終了まで1分を切った土壇場でもぎ取った劇的な逆転勝利に至る流れを作った。 選手交代を介してベルギーがシナリオを練り直したのならば、日本も交代のカードを切って対抗すべきだった。しかし、西野監督は動かなかった。いや、動けなかったと言っていい。コメントから察するに半ばパニック状態に陥っていたのと、何よりも流れを押し返せる武器を持ち合わせていなかった。 例えば189センチのDF吉田麻也(サウサンプトン)に次ぐ高さを持つ、186センチのDF植田直通(鹿島アントラーズ)を投入。最終ラインの形を4バックから3バックに変えて、吉田と植田でもってルカクとフェライニの高さに対抗する手もあった。 しかし、植田はグループリーグでワールドカップの舞台に立っていなかった。開幕前のテストマッチでも6月12日のパラグアイ戦に出場しただけで、何よりも3バック自体も初陣となったガーナ代表とのワールドカップ壮行試合で、後半途中まで試してからは事実上封印していた。 初ゴール及び初勝利を挙げた件のパラグアイ戦で、ようやく軸になる11人が固まった。本田圭佑(メキシコ、パチューカ)ではなく香川真司(独、ボルシア・ドルトムント)をトップ下、ジョーカーとして考えていた乾貴士(スペイン、レアル・ベティス)を左MFにすえ、ボランチの一角には柴崎岳(スペイン、ヘタフェ)を、センターバックには昌子源(鹿島アントラーズ)をそれぞれ抜擢した。パラグアイ戦でゴールを決め歓喜する乾貴士(中央)=2018年6月12日、オーストリア・インスブルック(撮影・中井誠) いわゆる「プランA」はギリギリで出来上がったものの、戦い方に幅を持たせる「プランB」の構築は残念ながら間に合わなかった。西野監督が初めて交代のカードを切ったのは後半36分。本田とMF山口蛍(セレッソ大阪)を同時に投入したが、高さで対抗するわけでもなく、疲れが見え始めた時間帯で相手が嫌がる速さも日本に加えることもできなかった。 それでも3点目を奪いにいった末に決勝点をもぎ取られた。カウンターの起点となったのは、199センチの高さを誇る絶対的守護神ティボー・クルトワ(英、チェルシー)。本田が放った左コーナーキックを難なくキャッチし、素早いハンドスローをすでに走り出していた司令塔、ケビン・デ・ブライネ(英、マンチェスター・シティ)へつなげ、さらに4人の選手も一気呵成に連動した。またもや「手のひら返し」 最後まで攻めたのは、ポーランド代表とのグループリーグ最終戦が関係していたのかもしれない。1点を追う状況で攻撃を放棄し、アディショナルタイムを含めた後半の最後の約10分間を、リスクを冒さないパス回しに終始。あえて敗北を受け入れ、同時間帯に戦っていたセネガルとの2位争いを、今大会から導入されたフェアプレー・ポイントの差で制した。 引き分け以上ならば、日本は自力でグループリーグを突破できた。それだけに消極的に映る戦い方に対しては、それまで日本を称賛していた世界中のメディアから、手のひらを返すようなバッシングが浴びせられた。日本国内でも賛否が真っ二つに分かれる状況を生んだほどだ。 西野監督としては、日本が追いつく確率、攻勢に出てカウンターで失点する確率、コロンビアがそのままセネガルを下す確率、セネガルが同点に追いつく確率――の4点を冷静かつ迅速に比較。その中からコロンビアが勝利する確率が最も高いと判断し、他力に委ねる前代未聞の作戦を、ベンチで休養させる予定だった長谷部をピッチへ送り込んでまで徹底させた。 もしセネガルが同点に追いついていれば、日本は敗退していた。勇気を振り絞った究極の選択を、指揮官は試合後のテレビのインタビューで「本意ではない」と位置づけた。グループリーグ突破を果たしたにもかかわらず、不本意な戦いを強いたとして翌日には選手たちへ謝罪している。 そうした伏線や、延長戦に入れば体力面でベルギーの後塵を拝するという判断も手伝って、90分間での勝利を目指した。結果として3度目の挑戦でもベスト8の壁にはね返されてしまったが、だからといって西野ジャパンとして実際に活動してきた、千葉県内における国内合宿をスタートさせた5月21日以降の46日間が否定されるわけではない。 選手たちとのコミュニケーションや信頼関係がやや薄らいできた、という不可解な理由でヴァイッド・ハリルホジッチ前監督が電撃解任されたのが4月7日。その5日後に慌ただしく就任した西野監督は、合宿初日に「それまでのチーム力だけではロシアへ向かえない」と危機感を募らせた。 「ブラジル大会での敗戦から選手たちやサッカー界が試行錯誤してきた中で、ロシアの切符を取った大きな財産もがある。その後も強化を継続してきた中で、(技術委員長として)チームを客観的に見ていて、素直にそう思いました。ただ、選手それぞれの能力は非常に高く、培ってきたことにプラス、短い準備期間で何かを足すことが対抗できるのではないかと」コロンビア対日本。本田圭佑(左)と交代し、西野朗監督(中央)に労われる香川真司=2018年6月19日、サランスクのモルドビア・アリーナ (撮影・中井誠) 西野監督が言及した「財産」とは、ハリルジャパンで3年間にわたって叩き込まれてきた縦への速さと、フランス語で「1対1の決闘」を意味するデュエル。ゆえに代表メンバーの顔ぶれはほとんど変わらず、さらにボーダーライン上にいた本田やFW岡崎慎司(レスター・シティー)も招集した。 必然的に平均年齢は跳ね上がり、メンバー発表時の28・17歳は日本が臨んだ6大会の中で最も高くなった。一部から「おっさんジャパン」と揶揄される中で、日本を発った6月2日に乾が30歳に、開幕直前の13日には本田が32歳になって平均年齢をさらに押し上げた。ハリルに制された練習中の話し合い もっとも、サプライズなしの顔ぶれには、一緒にプレーした機会の多い選手たちによる連携を色濃く生かし、そこへベテランと呼ばれる選手たちの経験と、ヨーロッパの舞台でもがき、苦しみながらも選手たちが体得してきた個人戦術を融合させる即効性のチーム作りを選択した。 そこで前述した「何かを足す」という作業が加わる。注入された「何か」の正体とは、首脳陣と選手、あるいは選手同士による相互理解となる。千葉県内の合宿では、長く日本代表で採用されたことのない3バックの習熟にほとんどの時間が割かれた。DF槙野智章(浦和レッズ)は、ハリルジャパン時代との変化をこう指摘したことがあった。 「西野監督もそうですし、手倉森(誠)コーチに加えて森保(一)コーチも入ったことで、非常に密なフィードバックが選手たちに対してある。そこが大きな違いのひとつですし、あとは練習の中でディスカッションする時間が増えていますよね。ハリルさんの時は、練習中にみんなが話すと『やめろ』と制限されましたから。そうしたストレスがない、という意味でディスカッションする時間があるのも非常に大きな変化だと思います」 不慣れな戦い方を、急いで統一しなければならない必要性に駆られたのか。千葉合宿中にピッチの至るところで見られた話し合いは、日本語だけが飛び交うという状況にも後押しされ、選手間の相互理解を急ピッチで加速させた。時間が極めて限られていることを逆手に取ったと言っていい。 しかも、ガーナ戦の後半途中で4バックへスイッチされてからは、3バックは一度も披露されていない。あくまでも推測の域を出ないが、チーム間のディスカッションを促成させる狙いも、唐突に映った3バックの導入には込められていたのではないだろうか。 結果として国内組は昌子だけという、ロシア大会におけるファーストチョイスが固まった。ハリルホジッチ監督は日本が主導権を握られる展開を大前提としていたが、西野監督のもとでロシアの地で披露されたのはハリルジャパン時代の遺産にテクニックの高さや勤勉性、献身性、運動量の多さにコンビネーションを融合させて、状況や時間帯によっては主導権を握り、試合を支配する日本の姿だった。 ベルギーを相手に2点のリードを奪ってからの試合運びを冷静に振り返れば、指導者の一人として納得できない思いが込みあげてきたのだろう。ロシア大会全体を「十分に大きな成果を挙げてきたわけではない」と総括した西野監督は、一方でこんな言葉も残している。ベルギー対日本、涙を流す乾貴士をねぎらう西野朗監督=2018年7月2日、ロシア・ロストフナドヌー(撮影・甘利慈) 「半分は素直に申し訳ないと思いながらも、1ページか、あるいは半ページくらいは次につながるものを示せたチームを指揮したという気持ちがあります。これまでは8年周期でベスト16へチャレンジしてきましたが、この周期ではダメです。次のカタール大会では間違いなくベスト16の壁を突破できる段階にある、という状態につなげたという成果だけは感じたいと思う」 毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい戦いを演じた末に、日本独自のスタイルへつながる手応えを手土産に帰国した西野ジャパンは解散した。本田に続いて長谷部も代表引退を表明し、ひとつの時代が終わりを告げた中で、早ければ7月中に就任が決まる新監督には、ロシアで生まれたベクトルを未来へ向けて力強く、なおかつ鮮明に伸ばしていく作業が課されなければならない。

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    日本代表「世界との差」はどこにある?

    サッカー日本代表の闘いが終わった。屈指のタレントがそろう強豪国、ベルギーを相手に互角以上に戦った試合内容に世界が驚きをもって伝えた。とはいえ、またしても16強の壁を超えることはできなった。世界との差はわずかなのか、それとも大きいのか。西野ジャパンを総括検証する。

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    昌子源が届かなかった「50センチ」に世界との差を見た

    藤江直人(ノンフィクションライター) ロストフ・アリーナのピッチに仰(あお)向けに倒れながら、夜空を見上げていたDF昌子源(鹿島アントラーズ)がおもむろに体を反転させた。突っ伏した体勢で何度も、何度も拳を芝生に打ちつけている。 悔しさ。ふがいなさ。無力な自分に対する腹立たしさ。ほんの数分前に刻まれた残像とともに、さまざまな思いが脳裏を駆け巡っている。あまりに残酷な幕切れとともに、憧れ続けてきたワールドカップの夢舞台から去る寂しさももちろん含まれていた。 国際サッカー連盟(FIFA)ランキング3位の強豪にして今大会の優勝候補、ベルギー代表と激突した日本時間3日未明の決勝トーナメント1回戦。後半に入って日本代表が奪った2点のリードを追いつかれ、もつれ込んだ4分間のアディショナルタイムの最後に、未知の世界だったベスト8へ通じる道を断ち切られる悪夢のシーンが待っていた。 勝ち越しゴールへの期待を託し、MF本田圭佑(メキシコ、パチューカ)が放った左CKを、GKティボー・クルトワ(英、チェルシー)が難なくキャッチ。199センチ、91キロのサイズを誇る絶対的守護神は、すかさずペナルティーエリア内をダッシュ。素早いハンドスローからカウンターを発動させた。 ターゲットに定められたのは、すでに右前方でスプリントを開始していたMFケビン・デ・ブライネ(英、マンチェスター・シティ)。プレミアリーグで2年連続アシスト王を獲得している司令塔が、ドリブルをどんどん加速させながら中央突破を図る。 日本のゴールへ近づく「7番」の背中に、大いなる危機感を覚えたのだろう。ゴールを奪おうと攻め上がっていた昌子が必死に追走を開始する。グループリーグで大会最多の9ゴールをあげた、ベルギーの強力攻撃陣と対峙(たいじ)し続けてきた。体力は削られようとも、気力は萎(な)えていない。 ボールはデ・ブライネから、右サイドを攻め上がるDFトーマス・ムニエ(仏、パリ・サンジェルマン)を介して、ゴール前にポジションを取っていた190センチ、94キロの怪物FWロメル・ルカク(英、マンチェスター・ユナイテッド)へ渡ろうとしている。 キャプテンのMF長谷部誠(独、アイントラハト・フランクフルト)がルカクのマークについていたが、昌子は自陣へ戻るスピードをさらに加速させた。デ・ブライネを追い越したその視界は、フリーで左サイドを攻め上がっていたMFナセル・シャドリ(英、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン)をとらえていた。ベルギー戦に敗れ、グラウンドに倒れ込む昌子源=2018年7月3日、ロシア・ロストフナドヌー(中井誠撮影) 背後の状況を完璧に把握していたからか。シュートを放つと見かけて、巧みにスルーしたルカクのフェイントにGK川島永嗣(仏、FCメス)が体勢を崩す。走り込んできたシャドリがシュート体勢へ入った背後から、実に80メートル近い距離を突っ走ってきた昌子がスライディングを見舞う。 それでも届かないと見るや、執念で左足を伸ばす。しかし、あと50センチほど及ばない。これが土壇場でカウンターを仕掛けられる世界との差なのか。体勢を立て直し、ダイブしてきた川島と交錯したその先で、ボールは無情にもゴールネットを揺らしていた。 クルトワがボールをキャッチしてから、シャドリの左足から放たれた一撃がゴールネットを揺らすまで要した時間はわずか13秒。そのまま仰向けに倒れていた昌子が気力を振り絞り、立ち上がってから間もなくして、ロシアの地で繰り広げてきた波乱万丈に富んだ冒険が終焉(しゅうえん)を迎えた。レアル・マドリード戦で「覚醒」 開催国代表としてアントラーズが臨んだ2016年12月のFIFAクラブワールドカップ。破竹の快進撃を続け、アジア勢として初めて立った決勝の舞台で、ヨーロッパ代表のレアル・マドリード(スペイン)に2ゴールを見舞ったMF柴崎岳(スペイン、ヘタフェ)とともに名を上げたのが昌子だった。 一時は逆転に成功し、世界中に驚きを与えたものの、最終的には延長戦の末に2-4で敗れた。ロシア大会でも4ゴールをあげたポルトガル代表のスーパースター、FWクリスティアーノ・ロナウドにはハットトリックを達成された。 後半終了間際にはそのロナウドがカウンターで抜け出し、アントラーズのゴールに迫った場面があった。必死に追走した昌子がファウルなしで止め、ボールを奪い取る場面をファンの一人として見ていた中村憲剛(川崎フロンターレ)は、昌子に対してこんな言葉を残している。 「試合ごとに成長していく彼の姿を見ていましたけど、特にレアル・マドリード戦では『最後は自分が守る』という気概を感じました。これだけたくましい日本人のディフェンダーが、若い選手のなかから出てきたことを、率直にうれしく思います」 もっとも、昌子は心の底から喜べなかった。その後にテレビの向こう側で、ラ・リーガ1部やUEFAチャンピオンズリーグを戦うレアル・マドリード、そしてロナウドの姿を見た時に、もやもやした思いの正体が分かったと明かしてくれたことがある。 「間違いなく自信になった大会ですし、あの時点では世界一をかけて戦いましたけど、彼らが本気じゃなかったことは対戦した僕たちが一番分かっている。ああいう選手たちともっと真剣勝負ができる舞台に立ちたいとあらためて思ったし、それはやっぱりワールドカップになるんですよね」鹿島アントラーズでプレーする昌子源=2017年6月、県立カシマサッカースタジアム 米子北高校(鳥取県)から常勝軍団アントラーズへ加入して8年目になる。青森山田高校(青森県)から加入した同期生、柴崎が瞬く間に居場所を築き上げたのとは対照的に、昌子は我慢の時間を強いられた。 「高校生の時にできていたことは、プロの世界では通用しないぞ」 プロの世界に入っていきなり、一からたたき直せという厳しい言葉を浴びせられた。声の主はアントラーズの最終ラインを支え、前年の2010シーズン限りで引退した大岩剛コーチ(現監督)だった。その言葉を額面通りに受け取ることができなかった昌子は、すぐに伸びかけていた天狗(てんぐ)の鼻をへし折られる。 高校時代はU-19日本代表候補に選出されたこともある昌子だが、最初の3年間はリーグ戦でわずか13試合に出場しただけだった。 主戦場とするセンターバックではなく、けが人や出場停止者が出た穴を埋めるために、不慣れな左サイドバックで出場したこともある日々を「あのころはホンマにヒヨッ子だったからね」と苦笑いしながら振り返ったことがある。 「やっぱり自信はあったわけですよ。高校の時にけっこう相手を抑えられていたから。それをそのままプロで出したら、まったく歯が立たんかったよね。(岩政)大樹さんや(中田)浩二さんに、何回同じことを言われたか。何回同じミスをするねん、何でそこでそんな余計な足が出るねんと。僕としては『いやぁ』と言うしかなかったですよね」  歴代のディフェンスリーダーが背負う「3番」の前任者、岩政大樹(現東京ユナイテッドFC)。アントラーズのレジェンドの一人、中田浩二(現鹿島アントラーズ・クラブ・リレーションズ・オフィサー)から落とされた、数え切れないほどのカミナリを糧に昌子は成長を続けてきた。失点に絡んで号泣 自信を打ち砕かれるたびに「絶対にうまくなってやる」と歯を食いしばりながら立ち上がってきた。機は熟したと判断したのか。2013シーズンのオフに、アントラーズの強化部は10年間在籍した岩政との契約更新を見送っている。 そこには当時21歳の昌子に、世代交代のバトンを託すという判断が下されていた。クラブの思いを尊重し、笑顔で退団した岩政から「お前なら絶対にできる」とエールを送られた2014シーズン。リーグ戦で全34試合に先発した昌子は、翌2015シーズンから「3番」の継承者となった。 もちろん、追い風だけが吹いていたわけではない。2015シーズン以降で、チームの低迷から2度の監督解任を経験した。2016シーズンこそチャンピオンシップを下克上の形で制し、クラブワールドカップを経て臨んだ天皇杯決勝も制覇。シーズン二冠を達成し、獲得した国内タイトル数をライバル勢に大差をつける「19」に伸ばした。 一転して昨シーズンは、J1連覇に王手をかけながら終盤戦に失速。川崎フロンターレの歴史的な逆転優勝をアシストする立場となり、あまりのふがいなさに人目をはばかることなく号泣した。サッカー人生に喜怒哀楽を刻んできた中で、今では独自のセンターバック像を確立している。 「ミスを引きずったら2点、3点とまたやられて負ける。失点に絡んだことのないセンターバックなんて絶対におらんと思うし、これまでのいろいろな人たちも、こうやって上り詰めてきたはずなので。大きな大会や舞台になるほど、失点した時の責任の重さは増してくる。そういう痛い思いを積み重ねながら、強くなる。もちろん無失点にこだわるけど、サッカーは何が起こるかわからんし、たとえまた失点に絡んだとしてもスパッと切り替えたい」ベルギー戦前日の会見に出席した昌子源=2018年7月1日、ロストフナドヌー 日本代表における軌跡も然(しか)り。アギーレジャパン、そしてハリルジャパンに継続的に招集されながら、なかなかピッチに立つ機会を得られなかった。それでも失わなかったファイティングポーズが、ワールドカップ出場を決めた昨年8月のオーストラリア代表とのアジア最終予選における先発フル出場につながった。韓国戦での痛烈なブーイング そして吉田麻也(英、サウサンプトン)とコンビを組むセンターバックのファーストチョイス争い。ロシア行きの切符を獲得した後、槙野智章(浦和レッズ)が台頭し、一時はレギュラーを不動のものとした。その槙野が不在だった昨年12月のEAFF(東アジアサッカー連盟)E-1サッカー選手権では、国内組だけで編成されたメンバーの中でヴァイッド・ハリルホジッチ前監督からキャプテンに指名された。 優勝をかけた宿敵・韓国代表との最終戦で1-4の歴史的惨敗を喫すると、会場となった味の素スタジアムに駆けつけたファンやサポーターから痛烈なブーイングを浴びせられた。観戦した日本サッカー協会の田嶋幸三会長、Jリーグの村井満チェアマンから「この悔しさだけは忘れないでほしい」と檄(げき)を飛ばされた。味わされてきた艱難(かんなん)辛苦のすべてが、昌子を成長させてきた。 「今回キャプテンをやらせてもらって、自分の未熟さをすごく感じた。でも、いい経験になった、という言葉で片付けるつもりはない。顔を上げて、ここからはい上がっていくだけなので」 迎えたワールドカップイヤー。開幕直前に行われたパラグアイ代表とのテストマッチ(オーストリア・インスブルック)で演じた好パフォーマンスで、西野朗監督が描く序列の中で槙野との序列を逆転させた昌子は、コロンビア代表とのグループリーグ初戦で先発フル出場を果たす。 しかも、前線で脅威を放ち続けた点取り屋ラダメル・ファルカオ(仏、モナコ)を封じ込めた昌子は、先発メンバーの中で唯一のJリーガーだったことと相まって、FIFAの公式サイトでこう報じられた。 「一番の驚きはゲン・ショウジだ」 同じ先発メンバーで臨んだセネガル代表との第2戦でも、スピードと強さを併せ持つFWエムバイェ・ニアン(伊、トリノ)と壮絶な肉弾戦を展開。攻めては果敢なインターセプトから、本田の同点ゴールにつながる鮮やかな縦パスを前線へ通した。 ベルギー戦でも今大会で4ゴールをあげているルカクを、吉田との共同作業で封じ込めた。最後の最後に目の当たりにした残酷なシーンもいつかきっと、あの悔しさがあったからと、笑顔で振り返ることができる時が訪れる。昌子源とベルギーのロメル・ルカク=2018年7月3日、ロシア・ロストフナドヌー 今大会で与えたサプライズとともに、国際的な評価が急上昇した。もしかすると盟友・柴崎の背中を追うように、ヨーロッパへ活躍の舞台を移すかもしれない。もっとも、国内組から海外組に立場が変わったとしても、昌子の胸中に強く脈打つ信念は変わらない。 「目の前の試合で、自分が一番いいプレーをしようとは思わない。チームが勝つために何をしなければいけないのかを考え抜くことが、自分のいいプレーにつながる。だからこそ、チームを勝たせることのできる選手にならないといけない」 次回のカタール大会を29歳で迎える。経験も必要とされるセンターバックとして、ちょうど脂がのり切った年齢と言っていい。悔しさを次世代に伝え、夢の続編を追い求めていくためにも、強さと上手(うま)さ、そして泥臭さを融合させた昌子はロシア大会を通過点として、貪欲に未来へと進み続けていく。

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    西野ジャパンの限界、足りないのは「高さ」だけではなかった

    清水英斗(サッカーライター) 後半アディショナルタイム。MF本田圭佑のフリーキックをGKティボ・クルトワがセーブし、コーナーキックになった場面だ。 左利きの本田が蹴ったボールは、アウトスイング。つまり、ゴールから離れる方向へ曲がる軌道だった。ゴールを直接脅かす可能性は少ない。長身GKのクルトワは、果敢に前へ出て、このクロスを難なくキャッチした。 すると、それに呼応したMFケビン・デ・ブライネが走りだす。高速ドリブルでピッチを切り裂くと、FWロメル・ルカクのおとりでフリーになった右サイドのMFトーマス・ムニエへパス。さらに、グラウンダーの折り返しをルカクはスルーし、大外から走り込んだMFナセル・チャドリが押し込んだ。 デ・ブライネのドリブル、ルカクの2度にわたるおとりの動き、ムニエ、チャドリと勝負どころでわき出す爆発的ランニング。「ワールドクラス」の美しいカウンターだった。 そのスイッチを入れたのは、間違いなくクルトワである。昨今の現代的なGKはシュートストップに優れるだけではなく、スルーパスを防いだり、クロスを捕ったりと、シュートの一つ前の場面にもアグレッシブに飛び出し、プレー範囲を増やしている。その象徴的な存在は、4年前にブラジルで大活躍したドイツ代表GKマヌエル・ノイアーだ。ベルギー戦後半のアディショナルタイム、コーナーキックを蹴るMF本田圭佑=ロストフナドヌー(中井誠撮影) このようなプレーが効果的である理由の一つに、カウンターの起点になることが挙げられる。シュートを防ぐ場面とは異なり、相手が前へ飛び出してくるタイミングで、GKが前へ出てボールをキャッチするため、その瞬間に何人かの相手と入れ替わることになる。カウンターとしては絶好の場面だ。そして、素早くデ・ブライネへディストリビューション(配球)を行い、日本選手を何人も置き去りにして、カウンターを成功させた。 日本は、本田のキックがクルトワの罠にかかったともいえるし、クルトワが捕った瞬間、これが本当に危ないシーンであることを察知できず、戻りの出足で遅れてしまった、ともいえる。 ほんのわずかの差。世界の舞台では、何がピンチの引き金になるのか。どこまではOKで、どこまではNGなのか。経験がモノを言う。その線引きも、試合の大半ではうまくできていたが、最後の最後、アディショナルタイムの緊迫感と疲労、逃げ切りたいという願望が重なるギリギリの環境下で、適切な対応ができなかった。改革のキーワードは? 日本をその状況に引きずり込んだのは、パワープレーだった。後半、ベルギーはMFマルアン・フェライニを投入し、コーナーキックを起点に空中戦から2点を挙げ、同点に追いついた。 日本は単純に高さが足りないと言ってしまえば、それまでだが、あまりにもゴールに近い位置で何度もパワープレーを受けすぎた。日本がやられるとしたらこの形以外になかったが、それにしても、その形を作らせすぎた。 この素晴らしいパフォーマンスを見せた日本代表は、「高さ」をキーワードに改革を始めるわけにはいかない。全てが瓦解(がかい)してしまう。日本の良さを生かした上で、なおかつベルギーのパワープレーを防ぐためには-。ペナルティーエリアの外で勝負するしかない。押し込まれないように、ディフェンスラインをいかに高く保つか。 もっと体力があれば、走ってボールにプレッシャーをかけ、ベルギーの前進を止められたかもしれない。しかし、この過密日程の中で、ファーストチームしか出来上がっていない正味2カ月の西野ジャパンでは、これが限界だった。 また、主力のパターンが一つしかないため、一部の選手に疲労が集中する。DF酒井宏樹が足をつったり、MF柴崎岳が「ちょっと身体が重かった」とポーランド戦に続いて語るなど、インスタント・チームの難点が出ていた。日本―ベルギー 後半、同点ゴールを決めるベルギーのフェライニ(中央)=ロストフナドヌー(共同) もっと戦術が複数パターンあれば、フェライニの投入に対し、DFの槙野智章や植田直通を入れて、対抗力を高める采配もあり得た。だが、親善試合からここまで、パワープレーにさらされた展開はなく、西野ジャパンとしての経験値が足りない。 試合の流れを変える交代カードも、バリエーションがなかった。やはり、インスタント・チームの弊害が出ている。 あるいは技術があれば、ボールをさらに保持できたかもしれない。ポゼッション率(支配率)はベルギーが56%で、日本は44%にとどまった。これでは押し込まれるのも無理はない。足りないのは「高さ」だけじゃない だが、2-0の状況でボールを保持するためには、逆転を狙う対戦相手の強烈なプレッシングをかわす必要がある。より高い技術が求められるが、これができれば、相手の体力や気力をかなりそぐことができたはずだ。 ベルギーのロベルト・マルティネス監督は、試合前に「日本のポゼッションには対策をしなければいけない」と語っていた。実際、その起点となるFW大迫勇也は、かなり潰された。押し込まれた場面で、大迫に向けてロングボールを蹴っても、潰されてなかなか収まらない。2次攻撃、3次攻撃を食らって押し込まれてしまう。 大迫は相手に身体を預けながら、ボールを収めるポストプレーがうまいが、ベルギーDFは落下地点を先に抑えてしまい、大迫がいくら押してもビクともしなかった。ベルギーは後半途中まで3バックだったので、空中戦でボールを後ろにそらしても、カバーが入りやすい。 そのため、一人一人が大迫の前に思い切って出て、競り合いやすい、という事情もあっただろう。前線に起点を作れない日本は、押し込まれる時間が長くなってしまった。 その分、中盤を日本がもっと支配する。それができた時間帯もあったが、その回数をもっと増やす。すると、パワープレーの失点は1点で済んだかもしれない。ベルギー戦後、MF乾貴士らを労う西野朗監督=ロストフナドヌー(中井誠撮影) 足りないのは、「高さ」だけではなかった。それを補うべき、何もかもが、少しずつ足りない。今回の日本代表は、現場でできる限りのことを全てやったが、それでも勝てなかった。 今後の課題は、いかにこのレベルの戦いを日常化し、自分を鍛えられるか。 そして、もう一つ。迷走した日本サッカー協会が、今度こそ明確な計画を立て、チームを強化できるか。インスタント・チームになって弊害を生んだ過程を振り返り、もう一度、個人を競争させながら日本代表を底上げしなければならないのである。

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    乾と柴崎「ボールがない時間」で示した世界レベル

    小澤一郎(サッカージャーナリスト) 日本としては全てを出し尽くした試合であり、間違いなく今大会のベストパフォーマンスだった。4年に一度のワールドカップ、しかもラウンド16という緊張感あふれる大舞台では、ただでさえ普段のパフォーマンスを発揮することが難しい。それは日本と同じくこのラウンドで姿を消したアルゼンチン、スペイン、ポルトガルといった大国を見てもわかる。 このベルギー戦では、交代出場の2人を含めた出場13選手全てが持てる力を存分に発揮するプレーで、優勝候補の一角であるベルギーを最後の最後まで追い詰めた。そのこと自体が日本サッカー史に残る偉業であり快挙。敗れたとはいえ、この激闘には感謝、感激といった感情しか持ち合わせることができない。 大会2カ月前の監督交代劇、用意周到な準備期間がない中で開幕を迎え、周囲の期待値も低い中で最低限の目標であったベスト16入りを果たした。さらに史上初となるベスト8入り、ベルギーというFIFAランク3位の大国に大金星を挙げる直前まで行ったことは大いに評価できる。 だからといって、すでに多くのマスメディアがそうであるように、冷静な分析、検証なしに「感動をありがとう」とロシアW杯で躍動した日本代表ブームを消費するだけでは、この先に何もつながらない。 W杯経験の豊富な今大会の日本代表メンバーの中で、一躍主役として躍り出たのが柴崎岳と乾貴士の2人だ。共にスペインのラ・リーガで活躍する選手である。ラ・リーガは欧州の中でも格段に戦術レベルの高いリーグだ。 スペインサッカーといえば「華麗なパスサッカー」のイメージがいまだ根強くあるものの、スペインサッカーの根幹には育成年代からの緻密な戦術指導がある。ベルギー対日本戦前半、競り合う柴崎岳=2018年7月2日、ロシア・ロストフナドヌー(撮影・甘利慈) 今大会のスペイン代表は初戦2日前の監督交代の影響もあり、低調な内容でラウンド16敗退となった。しかし、トップに君臨するイニエスタ、イスコ、シルバといった日本では「テクニシャン」と表現される中盤の技巧派たちは、テクニック以上に頭脳が抜群に秀でている。 一言で表現すれば「サッカーを知っている選手」なわけだが、柴崎、乾はスペインで「サッカーをプレーする」ということを習得した。例えば、今大会2得点、このベルギー戦でも見事な無回転ミドルシュートをたたき込んだ乾だが、彼が最も成長したのはドリブルやシュートの技術ではなく、守備におけるポジショニングと駆け引きだ。 90分の試合において、1人の選手がボールに触れる時間は1〜2分といわれる中、選手の知性や頭脳はボールがない時間、特に守備に見える。見事なアシストパスを原口に通した柴崎も、今大会を通じてポジショニングの良さからボランチとして何度もインターセプト、ボール奪取を成功させていた。ベスト8入りへの道筋が見えた 2選手共にスペインサッカーへの憧れがあり、意を決して乾はドイツから、柴崎は日本から情熱の国にやってきた。乾は移籍先のフランクフルト時代から大幅減の年俸を受け入れ、柴崎は2部、しかもテネリフェというアフリカ大陸横の島暮らしからスタートしている。 2人が来る前にも、大勢の日本人選手がスペインの門をたたきながらも思うような活躍を見せることなく帰国、移籍を強いられていた。そんな中、彼らはスペインで確かな評価と活躍を残している。彼らの活躍の背景には、まず何より「今の条件を落としてでもスペインで挑戦する」という覚悟があった。 欧州のトップリーグ、トップクラブと比較すればまだまだ年俸やプレー環境面で追いつかないJリーグながら、J1ともなるとそこそこの年俸やプレー環境を手にできる。Jリーガーの中でも「海外でプレーしたい」と口にする選手は多いが、彼らのように例え条件が下がったとしても、本気で覚悟を持って、あえて苦しい環境に身を投じるような選手は実際には少ない。 また、2人は日本で流通しているスペインサッカーのイメージ(=華麗なパスサッカー)をもともと持っていないか、あるいは即座に放棄している。昨季彼らが所属をしたエイバル(乾)、ヘタフェ(柴崎)はラ・リーガ1部で残留を目標に守備的に戦うチームだが、彼らは自らの理想や攻撃のイメージをいったん横に置いて、きちんと守備やチーム戦術と体得しようとする姿勢を見せ素早く吸収している。 海外移籍に失敗する選手は間違いなく、うまくいかない時に「こんなはずではなかった」と現状を嘆くか愚痴を言うのだが、特に柴崎は2部テネリフェ移籍当初、適応にとても苦しみながらも一切弱気な発言、逃げる姿勢を見せなかった。 もちろん、今回取り上げたスペインでプレーする2選手のみではなく、今回の日本代表の躍進を支えた主力選手の大半は欧州でプレーしているわけで、海外組はどの選手も確実に自分なりの覚悟と苦労を持って日常を過ごしているはずだ。後半、ゴールを決めた乾貴士=ロシア・ロストフナドヌー(撮影・甘利慈) しかし、特に戦術面での負荷が高く「サッカーを知っているかどうか」がストレートに問われるスペインでプレーする乾と柴崎の2人は、今大会で「日頃プレーしているレベルの高さ」をわれわれに示してくれた。それは同時に、今大会の躍進、奮闘を踏まえて、本気で日本代表がベスト8入りを目指すためには、彼らのような厳しい日常を送る選手が最低でも23人そろう代表チームになる必要があるということだ。 現状維持は停滞。それくらいの向上心と野心を持って厳しい欧州の環境に身を投じることのできる選手が、日本国内からこの後どのくらい出てくるのか。今回の日本代表がともしてくれたこの火を消さないためにも、これからの日本サッカーを担う若手がもっともっと早いタイミングで、できれば10代で欧州に挑戦することが当たり前となる環境とシステムを、日本サッカー界として意図して作っていかなければいけない。

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    西野ジャパン、強すぎた「恐れの心理」がほころびに変わった瞬間

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) サッカーW杯ロシア大会に臨んだ西野ジャパンは非常に残念な終戦となりました。それでも、ベスト16は大会前のネガティブな評価を覆す見事な成果でした。ただ、世界ランキング3位のベルギーに2-0とリードしながらの逆転負けは、西野朗(あきら)監督の言葉を借りれば、「勝機を拾う」はずが逆に相手に勝機を与えてしまった試合展開になったといえるのかもしれません。 敗戦後のインタビューで、西野監督も「何が足りないんでしょうね…」と言葉に詰まっていました。ベルギーのマルティネス監督も日本の戦いぶりをたたえる中での敗戦です。 試合の勝敗を分けたのは、サッカーの差ではなく、メンタリティーの差といえるかもしれません。そこで、本稿では日本中に感動を与えた戦いに感謝しつつ、心理面から足りなかったものを考えてみたいと思います。  試合は、後半直後にMF原口元気、MF乾貴士のスーパーゴールで2点を勝ち越す理想的な流れでした。しかしその後、自分たちのパス回しの失敗を起点として1点を返されました。ここで立て直せればよかったのですが、結果的に69分、ロスタイムと失点を重ねて2-3の逆転負けを喫しました。 試合の印象や考え方としては、「ベルギーが強かったから返されてしまった」「日本の限界だった」と捉えることもできるかもしれません。しかし、筆者には勝ち越しから失点までの間に、自分たちのパスミスに対して苦笑いして、足が止まっている選手がいたことが気になりました。勝ち越したことで、一瞬でも挑戦者のメンタリティーを失ってしまったように見えたからです。 挑戦者のメンタリティーとは、良い意味で相手を恐れて、自分の全力を出せるメンタリティーです。実は、恐れというものは高い集中力を生む感情なのです。 恐れは強すぎると人をうろたえさせるため、自らのパフォーマンスを下げてしまいます。しかし、恐れを適度に保(たも)てれば、自分にできることに集中して全力を出せる原動力になるのです。いわゆる「敵を知り、己を知れば」の心境です。敵の強さをよく知っているわけですから、苦笑いをする余裕も、足を止める時間もあるはずがありません。 勝ち越しまでの日本は挑戦者のメンタリティーがチーム全体を覆って、引き締まった好ゲームを闘っていたように思えます。前半、MF柴崎岳がイエローカードをもらった場面では、直前に柴崎のキープを狙われて、ボールロストしました。攻撃の起点である柴崎がキープすれば、チーム全体が攻撃に備えます。その中での敵のカウンターは非常に恐ろしい展開です。柴崎は攻撃を組み立てるモードから、瞬時に失点を恐れるモードに切り替えて、半ばイエローカード覚悟で必死に止めに行ったように見えました。ベルギー戦の前半、ベルギーのE・アザール(右)にタックルする柴崎。イエローカードを受ける=ロストフナドヌー(共同) 日本の1点目も、原口の挑戦者のメンタリティーから生まれたゴールに見えました。柴崎からの縦に早いパスを受けた原口は慎重にゴールに迫り、わずかなフェイントでタイミングを外して敵DFとGKのスキを作っての得点でした。入った瞬間、原口の「信じられない」といった表情からも、無心で「自分にできること」に集中したシュートだったことがうかがえます。 2点目の乾の得点もDFが重なる中で、わずかなスキを狙っての見事なゴールでした。このように勝ち越しまでは素晴らしい集中力が続いていたように見えます。  ただ、勝ち越し後の日本は前掛かりになってきたベルギーをいなす形になりました。日本のパス回しのうまさがわかってきたベルギーは無理に追い回さなくなり、日本選手は余裕があったようにも見えました。ベルギー「真逆」のメンタリティー ただ、ベルギーは逆襲を諦めたわけではありません。一見歩いているようでも、ボール奪取のチャンスとみると一気にスピードアップする場面もありました。体力を温存しているような不気味さもありました。 筆者はそのようなベルギーに勝者のメンタリティーを感じました。勝者のメンタリティーとは、勝者としての誇りのために、自分にできることを全力で行うメンタリティーです。 メンタリティーとは、原動力が「恐れ」か「誇り」かで大きく変わります。相手を恐れての集中力ではなく、楽に流される自分を嫌がるメンタリティーです。ですから、相手がどうあれ常に全力を出す準備ができていますし、相手の状況にかかわらず集中力が途切れません。 そうして、ベルギーは日本のパス回しの乱れを見逃さず、カウンター気味に一気に波状攻撃を仕掛けます。日本は集中力を取り戻さざるを得ないわけですが、その中で最初の失点場面を迎えます。 ここで慌ててしまったのか、GKの川島永嗣をはじめ日本選手の多くが、敵ボールを警戒してニアサイドに集中してしまいました。結果、ベルギー選手のシュートかセンタリングか曖昧なヘディングが、誰もケアしていなかったファーサイドに突き刺さることになりました。 この場面、日本の選手はほぼ自陣に戻ってはいましたが、ニアサイドとパスの受け手になりそうな選手のマークに集中しすぎていました。ファーサイドのケアは、冷静に考えれば誰かがすべきだったのですが、失点の恐れの強度が強すぎたのかもしれません。ベルギー戦の後半、この試合最初の失点となるゴールを決められたGK川島永嗣=ロストフナドヌー(共同) 挑戦者のメンタリティーは一度ほころび始めると、なかなか戻ってこないのです。なぜなら、恐れは心身を疲れさせるからです。そこから開放されてしまうと、なかなか戻るのが難しいのです。 ベルギー戦の日本に限れば、最後まで挑戦者のメンタリティーを途切らせるべきではなかったと言えるでしょう。ただ、理想を言えば、勝ち越し後の日本は勝者のメンタリティーに切り替えて闘ってほしいところでした。 厳しいサポーターから常勝を義務付けられた欧州の名門クラブチームには、チーム文化としてこのメンタリティーが受け継がれていると言われています。ベルギーの選手はほとんどがそのような名門チームの所属または出身です。 一方で、日本には、イタリア・セリアAのACミラン出身のMF本田圭佑、インテル・ミラノ出身のDF長友佑都などがいるものの、彼らは少数派です。アジアでは強豪の日本ですが、W杯では挑戦者にならざるを得ません。しかし、W杯は挑戦者のメンタリティーだけでは勝ち進めないのかもしれません。 ただ、ベスト8まで残り30分まで迫ったことは一つの成果です。私たちに諦めずに全力をつくすことを教えてくれました。私たちは日々の闘いの中で、西野ジャパンを見習うことができるでしょうか。

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    西野ジャパンの原点はカズ、ラモスが演じた「ドーハの悲劇」にある

    術の結晶たる競技であり、精神論うんぬんではない。科学的にやれることをやって雰囲気が良ければ結果が出るスポーツだからだ。 また、外国人監督から学ぶことなどもうないというわけではない。それがあるならJ1の監督は全員が日本人になるはずだ。そうではなく、そもそも10代から才能ある選手たちは海を渡って欧州などの海外チームでプレーしている。 そして所属チームの監督が日本人だということはまずない。つまり外国人が監督だということが当たり前の環境で常日頃戦っている。なにより誰より選手達自身が世界のクラブチームには色々な考え方をする監督がいると肌身で知っている。 位負けもない。レアルだろうがバルサだろうが乾貴志はそれらの所属するスペインリーグで戦っている。インテルで長くプレーした長友を知らない選手は相手の方が格下だ。 日本人は水が合うらしいドイツのプロサッカーリーグ「ブンデスリーガ」が代表の大半だ。しかもロシアのチェスカでプレーしていたことが今大会で本田圭佑の追い風になった。イタリアのミランでは散々な評価だったが、ロシアの人たちは金髪のサムライをしっかり覚えていた。 だからこそ、逆に顔も経歴も昔の活躍もよく知っていて日本語の通じる日本人監督なら安心して「代表チームに『帰ってきた』」という感覚になるかもしれない。言いたいことが母国語で伝えられるし、たとえば「勝ったら監督を胴上げしようぜ」みたいな日本人でしか通じ合わない感覚をチームの仲間と共有できる。イジりやすい存在だというのも監督の資質だと今回証明された。ベルギーのルカク(中央)と競り合う長谷部(左)と吉田=2018年7月、ロストフナドヌー(共同) 8年後、奇しくもアメリカ大陸で行われるW杯は北米3カ国共催大会だ。それこそMLBさながらに気候も湿度も標高も異なる開催地での熾烈な戦いになりそうだ。サッカー日本代表チームが30年越しにやっと北米大陸に乗り込んで戦える。  ところで、筆者は、なぜ8年後にこだわるのか。それは次のカタール大会には何も期待できないと思うからだ。代表チームにではなく、カネまみれで開催権を得た灼熱の地で将来ある大事な選手たちに無理をさせたくない。アジア予選で慣れている関係でヨーロッパチームよりは環境適応できるだろうが、我慢比べ選手権になりそうで怖い。いっそ「出場辞退」してFIFAのやり方に反発してみてもいい。 そもそもアジア代表枠は開催国除外により緩いので予選は突破できるだろう。カタールのスタジアムは冷房付きらしいが、エアコンはあっても電力供給が不安定で停電続発・・・といったことになりそうだ。また、スタジアムはともかく、ホテルや合宿地にも問題が出てくるだろう。不安要素しかないカタール大会は、こういった環境面を考慮すれば期待できないのだ。

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    「おっさんJAPAN」メディアの手のひら返し、半端ないって!

    す。 ただ、酷評していたのが本誌だけではないことは書き添えておきたい。 メンバー発表翌日の6月1日、スポーツ紙には〈忖度ジャパン〉(日刊スポーツ)といった見出しが並んでいた。チームが成田から出発した際には、見送るファンが前回ブラジル大会の700人に対し、150人しかいなかったことについて、〈チームへの世間の関心度を表すような人数となった〉(スポーツ報知、6月3日付)など、これでもかというほど冷たい書きぶり。 それが開幕後の快進撃を受けて、いきなり礼賛の嵐。“手のひら返し半端ないって”状態である。 本田には、〈ベッカムに並んだ〉(サンスポ、6月26日付)、〈本田の偉業に最敬礼〉(デイリー、同)と称賛の言葉が並び、西野采配を、〈采配ズバッ!ズバッ!“西野マジック”〉(サンスポ、同)とまで持ち上げていたのである。関連記事■ だから本田圭佑は必要だ──「カズ落選」を経た日本代表の成長■ 釜本邦茂氏「不用意に反則する選手は外せ」で具体名挙げる■ 日テレ水卜麻美アナ、W杯中継の出演が少ない局内事情■ W杯直前、元日本代表エースとテレ朝アナが幸せ映画デート■ 西野ジャパンで流行「ハセベる」という単語の意味

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    釜本邦茂氏「西野監督に謝る? そんなこと必要ない!」

    「3戦全敗」の予想もあったなか、見事に決勝トーナメント進出を果たした西野ジャパン。本誌・週刊ポストも6月11日発売号で〈期待感ゼロ〉〈W杯開幕を目前に、ここまで日本代表への期待が高まらないことも珍しい〉などと書いてしまった。素直に謝るしかない。 その翌週、本誌6月25日発売号で本田圭佑(32、パチューカ)について、「活躍できる場所はない」とコメントしていたのは、メキシコ五輪得点王、“世界のカマモト”こと釜本邦茂氏(元サッカー協会副会長)だ。このコメントの取材後のセネガル戦で、本田は値千金の同点ゴールを決めた。恐る恐る、「一緒に謝りませんか?」と聞いてみると、こんな答えが返ってきた。「西野監督に“ごめんなさい”という記事を書く? そんなことやる必要はない! たまたま大事な初戦が開始3分で10対11になり、そのおかげで勝てた。それで勢いに乗ったことが大きかったわけですからね。戦力分析を大きく外したとは思っていませんし、その評価は1次リーグを終えた今も変わらない。 ただ、本田を90分フルに使うのでなく、残り20分のスーパーサブとして使うのは機能しましたね。西野監督の采配が的中したということでしょう。各選手の役割がはっきりして、責任をもって自分のプレーをしようとしている」 たしかに、西野監督の判断は冴え渡っている。決勝トーナメント進出のかかったポーランド戦の終盤には会場から大ブーイングを受ける露骨な時間稼ぎに走ったが、他会場の展開次第では“勝ちを放棄した挙げ句に敗退”となりかねない大博打だった。賛否はあったが、結果は出した。この結果に面食らっているのは、人間だけではない。厳しい予想をしていた釜本氏はいま何を語る『那須どうぶつ王国』の予想ヨウム(大型インコ)のオリビアちゃんは、13歳で占い歴9年の“大ベテラン”だ。W杯では、対戦する2チームの国旗と引き分けの旗の3つのうち、どれをくわえるかで勝敗予想をする。2014年のブラジル大会では7戦中5戦を的中させていたが、今回は初戦で「コロンビア勝利」を予想するなど大外れだった。同園の広報担当者は取材にこう答えた。「予想が外れた後、オリビアと飼育員とで反省会をしました。オリビアは試合を観戦していませんが、飼育員の顔色を見るのが得意なので、予想が外れたことをわかっていると思います。申し訳なさそうな表情を浮かべて落ち込んでいる様子でした」 人間の5歳児並みの知能を持つといわれるヨウムだけに、自分の“間違い”を悔いているのだろう。 2010年の南アフリカW杯でも、大会前の低評価を跳ね返した当時の岡田武史監督に謝る“岡ちゃんごめん”が流行語になった。今回、謝るか謝らないかは人(とインコ)によって対応が分かれたが、本誌は潔く頭を下げた上で、日本代表の次の戦いを見守りたい。関連記事■ 「おっさんJAPAN」メディアの手のひら返し、半端ないって!■ W杯「3戦全敗」を予想した高原直泰氏と中西哲生氏の言い分■ だから本田圭佑は必要だ──「カズ落選」を経た日本代表の成長■ テレ朝久冨アナ 元日本代表と結婚で「近すぎる」悩ましさ■ テレ朝三谷紬アナ 関係者も目を丸くした衝撃の胸トラップ

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    日本より格下ロシアを8強進出に後押しした「ブレない一体感」

    清水英斗(サッカーライター)「私はマン・オブ・ザ・マッチ(MOM)ではない。選ばれるべきはチームだ。そして、ファンだ」(ロシアGKイゴール・アキンフェーフ) ワールドカップ(W杯)では当該試合のMOMに輝いた選手は、試合直後の記者会見に登壇し、質問に答える決まりになっている。日本代表も、コロンビア戦では大迫勇也がMOMに輝き、会見でコメントしていた。 決勝トーナメント1回戦のスペイン対ロシア。この試合でマン・オブ・ザ・マッチに輝いたのは、ロシアのGKアキンフェーフだった。試合中にファインセーブを連発し、1-1の末に迎えたPK戦では、2つのセーブで母国を勝利に導く。このGKが選ばれたことに、異論を挟む余地はないだろう。 ところが唯一、異論を唱えたのが本人だった。アキンフェーフはドーピング検査の対象となったため、短いコメントのみの登壇となったが、その席で彼がズバッと言い切ったのが、上記の言葉である。 MOMに選ばれるべきはチーム。そして、ファンだ―。 あの試合を見た者であれば、この言葉に少なからず、感銘を受けるのではないだろうか。7万8千人を集めたモスクワのルジニキ・スタジアムは、圧倒的に開催国びいきの雰囲気が出来上がっていた。スペインが得意のボール回しを始めると、すぐに観客から強烈なブーイングが浴びせられる。悠々とパスを回すはずのスペインに、思わぬ圧力がかかった。スペイン―ロシア PK戦でスペインのアスパスのキックを止めるロシアのGKアキンフェーフ。ロシアが勝利=モスクワ(ロイター=共同) さらにロシアがボールを奪うと、大歓声が起こり、カウンターに出ようものなら、割れんばかりの興奮のるつぼと化す。スペインの選手は、自分を保つのが大変だったはずだ。逆にロシアは、大きな勇気を得て戦うことができた。 スタジアムにいた観客は、ロシア人だけではない。特に決勝トーナメント1回戦は、自国の代表チームがグループリーグを突破すると信じて疑わなかったサポーターを含めて、色とりどりのユニホームを着た観客で埋め尽くされる。スペインがかすむ圧倒的ホーム そして、彼らはW杯の楽しみ方を知っており、必ずどちらか一方のチームに入れ込む。その対象は間違いなく、開催国であり、かつ強豪国を倒そうとするチャレンジャーのロシアだった。 ロシア人の情熱と、サッカーファン独特の「ノリ」。2つの要因が重なったルジニキ・スタジアムには、スペインの居場所をなくすほどの圧倒的なロシアのホームが出来上がっていた。 また、スペインを困らせたのは、ファンだけではなかった。この試合に向けてロシアが整えた戦術も大きなポイントになった。「4-4-2」の布陣でアグレッシブに戦うことを信条とするロシアだが、この試合は「5-4-1」で3人のセンターバックを起用し、お尻を重くして守備ブロックを固めた。その狙いについて、ロシア代表のチェルチェソフ監督は次のように語っている。「スペイン戦のために用意した。カウンターがベースで、オープンなフットボールを避けた。4バックなら、もっと攻めることができただろう。5バックは決して好きなシステムではない。しかし、やるしかなかった。正しい戦術を選んだと思っている。選手を説得し、落とし込む必要があった。彼らは納得し、賢くやってくれた」 スペインはウインガーのMFアセンシオをスタメン起用したので、ロシアが「4-4-2」を敷くと予想し、その外側を突き崩す狙いがあったのかもしれない。ところが、ロシアは5バックに変化したため、ウインガーが快適にプレーするスペースの横幅はなかった。ロシアにPK戦で敗れ、肩を落とすイニエスタ(6)らスペインイレブン=モスクワ(ロイター=共同) また、スペインは「4-2-3-1」でダブルボランチを敷いたが、中盤の底を増やすよりも、より前方、相手のライン間でプレーできる選手を増やす方が、ロシアを困らせることができたはずだ。スペインの対ロシア戦術はもくろみが外れており、効果的ではなかった。 とはいえ、崩し切る画面がそれほど多くなくても、終始ボールをポゼッションしたのは、やはりスペインだ。ハードワークを続けるロシアも刻一刻と疲労がたまっていく。ロシアは、どこまで我慢できるか。PK戦に持ち込み、万に一つの勝機をつかめるか。ロシア監督はあの人似? 実はこれまでのチェルチェソフ監督のキャリアには、一つのパターンがあった。それは次のような流れだ。規律とハードワークを重視し、チームを変革する↓チームが結果を残す↓主力選手が反乱を起こし、解任される どこかで聞いたような話ではあるが、規律とハードワークを重視するタイプの監督にとっては、常にくすぶる火種とも言える。人間はロボットではない。やられ続ければ、我慢できなくなり、いつか規律を失ったり、監督の戦術に疑問を持ち始めるかもしれない。「おれはもっと攻めたいのに! その能力があるのに!」と。 だが、この圧倒的なスタジアムの雰囲気は、チェルチェソフ率いるロシアの背中を、どこまでも押し続けた。選手が戦い方に疑問を持ったり、自信を失ったりする余地など、一切ないほどに。 一体感のあふれるロシアは、なんと120分を走り切った。カウンターは精度を欠き、ほぼ全てのボールをスペインに奪い返されたため、ポゼッション率(支配率)はわずか25%。本当にほとんどの時間を自陣で守っていた。泥水をすするようなロシアの勝利を、観客は最大ボリュームのスタンディングオベーションでたたえた。PK戦でスペインを下し、イエロ監督(左)と握手するロシアのチェルチェソフ監督=モスクワ(ロイター=共同) ところが、徹底したリアリストのチェルチェソフは、この感動的な勝利にも、一切浸る気はないようだ。会見で記者に質問され、次のように答えている。「感動的な勝利だった? チームも試合も、君が見た通りだ。今は次の試合のことだけを考えている。明日はメディカルチェックを行う。休みが必要だ。次の試合に向けて、誰がフィットして行けるのかを見極める。感動に満足する暇はない」 どことなく、あの人に似ているロシア代表の監督。どこまで突き進むことができるか。開催国が盛り上がれば、W杯が盛り上がる。今後も期待しよう。

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    「おっさんのギラギラ感」長友佑都のヒデ超えが意味するもの

    藤江直人(ノンフィクションライター) 偉大な記録が生まれようとしている。日本時間3日午前3時にロシア南部のロストフ・アリーナでキックオフを迎える、ベルギー代表との決勝トーナメント1回戦。31歳のDF長友佑都(トルコ、ガラタサライ)がピッチに立った瞬間、ワールドカップの舞台における最多出場選手の一人となる。 日本代表が悲願のワールドカップ初出場を果たした1998年のフランス大会を皮切りに、2002年の日韓共催大会、2006年のドイツ大会の10試合すべてで先発。ドイツ大会でグループリーグ敗退を喫した直後に、29歳の若さで現役を引退した中田英寿がロシア大会前における記録保持者だった。 そして、中田と入れ替わるように、2010年の南アフリカ大会で颯爽(さっそう)とワールドカップでデビュー。前回のブラジル大会、そして2大会ぶり3度目の決勝トーナメント進出を果たした今大会ですべて先発フル出場してきた長友は、日本時間6月28日深夜のポーランド代表戦で中田に肩を並べた。 ポーランド戦で先発したGK川島永嗣(仏、FCメス)とFW岡崎慎司(英、レスター・シティ)、途中出場したMF長谷部誠(独、アイントラハト・フランクフルト)も通算10試合出場となった。しかし、全試合で先発し、しかもフル出場を続けているのは長友と川島だけだ。 しかも、中田は1試合だけ、後半途中でベンチへ退いている。チュニジア代表との日韓共催大会のグループリーグ最終戦。自らのワールドカップ初ゴールでリードを2点に広げ、勝利と決勝トーナメント進出を確実なものとした後半39分に、MF小笠原満男(鹿島アントラーズ)と交代した。セネガル戦の前半、攻め上がる長友佑都=エカテリンブルク(中井誠撮影) 攻守両面で真っ赤な炎を放つ左サイドバックとして、不動の居場所を築き上げた長友は、ポーランド戦の後半途中で中田がピッチに立った894分間を超えた。そして、川島とともにプレー時間を930分に延ばし、ベルギー戦でフィールドプレーヤーとして金字塔を打ち立てようとしている。 日本代表でデビューしてから、10年以上の歳月が過ぎた。2008年5月24日。愛知・豊田スタジアムでコートジボワール代表と対峙(たいじ)した国際親善試合で、当時の岡田武史監督に大抜てきされた。コートジボワールを率いていたのは、奇遇にも後に日本を率いるヴァイッド・ハリルホジッチ氏だった。競輪選手だった祖父 当時の長友は明治大政治経済学部に籍を置きながら、周囲の理解もあって最上級生に進級する直前に体育会サッカー部を退部。FC東京とプロ契約を結び、J1でデビューしたばかりだった。まったくの無名だった長友は、日本代表に対する思いをこんな言葉で振り返ったことがある。サイドバックでは初めて通算100試合出場が目前に迫っていた昨秋のことだった。 「憧れの存在どころか、僕から見れば本当に考えられないような位置にいる人たちでした。その日本代表の中に自分がいる。どこで何の奇跡が起きたのか。人生は本当に分からないと思うし、だからこそ才能がなくても努力でやっていけるということを、子供たちにも伝えていきたいですよね」 努力――。この二文字こそが170センチ、68キロと決してサイズに恵まれているわけでもなく、2008年の北京五輪代表に出場するまでは年代別の日本代表にも無縁だった長友を、日本サッカー界の歴史に残る名サイドバックへと成長させた唯一無二のキーワードだった。 「アイツが上半身裸になった時を見たら、本当に驚きますよ。まったく無駄がないですから」 大学生の時点で鋼の肉体を持っていたと明かしてくれたのは、長友が明大サッカー部に所属していた時に監督を務めていた神川明彦氏(現明大附属明治中高サッカー部総監督)だ。長友は東福岡高校(福岡県)時代から、独学による筋力トレーニングを自らに課してきた。 理由は明白だ。身長の伸びが今現在と同じ170センチで止まったことを受けて、将来を見すえて体を鍛え抜こうと決意した。脂肪分が多いカップラーメンなどは一切口にしない。大学時代には体脂肪率が、人間が生きていけるぎりぎりの数字とされる3・5%と計測されたこともあった。2008年5月、キリン杯のコートジボワール戦、初代表で先発したDF長友佑都(左)(大橋純人撮影) さらには驚異的なスタミナも搭載されていた。ルーツは生まれ育った故郷の愛媛・西条北中時代。今も長友が恩師と慕うサッカー部顧問の井上博教諭が、夏場で部活を引退する3年生が卒業までブランクを抱える状況を避けるために駅伝部を創設。長友を入部させたことにさかのぼる。 メニューの一例を挙げれば、10本の400メートル走に2キロを走り、さらに裏山でクロスカントリーを走破する。悲鳴をあげる元サッカー部員が少なくない中で、長友は意地でも弱音を吐かない。しかも、練習後にはサッカー部の後輩たちと一緒にボールを追い、帰宅後には自宅の周りを黙々と走り込んだ。 母方の祖父が一世を風靡(ふうび)した競輪選手だったこともあり、隔世遺伝された脚力の強さに絶対の自信を持っていた長友は、年末の駅伝大会でアンカーを拝命する。しかも、100人近くが競う中で区間3位の快走を演じた。天性とも言えるスタミナをさらに増幅させた要因として、井上教諭は今も長友の中に脈打つ負けん気の強さをあげてくれた。 「やると決めた時の集中力は、本当にものすごいものがある。5キロを走れと言えば倍の10キロを走るし、ライバルの子がグラウンドを10周走れば11周走る、と言い出していたくらいですから。ただ、あれで間違いなくスタミナがついたはずです。東福岡に入ってすぐの校内マラソン大会で、1位になったと連絡が来ましたからね」サイドバックは嫌だった 1対1の攻防を制する源になるフィジカルの強さと、相手を圧倒する走力を導く無尽蔵のスタミナ。サイドバックに必要な2つの要素を完璧に満たしていたことを見抜いた神川氏は、長友が大学1年生だった2005年の年末にボランチからのコンバートを指示する。 「嫌でしたよ。攻撃が大好きだったし、サイドバックは無難にパスをつないで、守って、たまに攻め上がるというイメージでしたから」 当時をこう振り返る長友は、幾度となく中盤でプレーさせてほしいと直訴する。しかし、これからはサイドバックが勝敗のカギを握る時代が訪れる、と確信していた神川氏も絶対に譲らない。これ以上逆らうと退部せざるを得ない、と観念した長友の価値観はすぐに180度覆ることになる。 「自分からどんどん攻め上がって、いい形でボールをもらって、1対1で勝負して。それを何度も繰り返しているうちに、本当に面白く感じてきた。自分にすごく合っている、と」 中学時代から積み重ねてきた努力との相乗効果で、瞬く間に台頭してきた長友には、すぐに熱い視線が注がれるようになる。五輪代表の反町康治監督(現松本山雅FC監督)に続き、明大と練習試合を行ったFC東京の原博実監督(現Jリーグ副理事長)も魅せられ、卒業を待たずしてのプロ契約につながった。 前述したように日本代表の岡田監督もひと目ぼれし、相手チームのエースキラーとして存在感を放った南アフリカ大会後の2010年7月にはセリエAのチェゼーナへ移籍。わずか半年後にはインテル・ミラノの一員となり、セリエAを代表する名門クラブでいつしか最古参選手となった。 長友自身をして「成り上がっていった」と言わしめたこともある、右肩上がりの軌跡を描いたサッカー人生を、神川氏はこんな言葉で振り返ったことがある。 「FC東京へ送り出した時から、いつかは海外に挑戦できる選手になると思っていました。僕に転向を決断させるだけのサイドバックとしての能力を持っていた、ということと長友がそれを真正面から受け止めてくれて、彼なりに『サイドバック長友佑都』を表現してくれたからですよね。自信がそうさせているのか、どんどん精かんな顔つきになっていく。しかも、長友は進化することを止めない。お前ならできる、星を持っている、とみんなに言わせるような人間性を持っているんですよ」 そして、日本代表における第一歩となったコートジボワール戦のメンバーを見れば、約1年半ぶりに代表復帰を果たした長谷部(当時・独、ヴォルフスブルク)が、ボランチとして今現在に至る存在感を示した一戦でもあった。2010年6月、南アフリカW杯のデンマーク戦前半、先制ゴールを決め、長谷部誠(右)、長友佑都(左)らと喜ぶ本田圭佑=ルステンブルク(財満朝則撮影) 後半30分からは19歳だったMF香川真司(当時セレッソ大阪、現・独、ボルシア・ドルトムント)もデビュー。平成生まれで初めてのA代表選手となった。あれから10年。弱肉強食が絶対的な掟(おきて)となる勝負の世界で居場所を死守しながら、一方で複雑な思いも募らせてきた。 「遅かれ早かれ突き上げられる時は訪れるし、若い選手が出てくることによって僕も刺激を受けて頑張ることができる。僕や(本田)圭佑、オカ(岡崎慎司)がそうだったように、若い選手たちも遠慮することなくポジションを奪いに来ないと。30歳を超えた選手が何人も、何年も出ている点で世代交代というか、チーム内の底上げがうまくいっていない証拠だと思うので」「ギラギラしたものを心の底から」 長友とMF本田圭佑(メキシコ、パチューカ)、そしてFW岡崎は1986年生まれの盟友同士だ。特に本田とは南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦で、PK戦の末に苦杯をなめさせられた直後に「これからはオレたちが代表を引っ張っていこう」と誓い合った。 日本代表を心の底から愛し、常に畏敬の念をささげてきた。だからこそ、30歳を超えた時に、思いを新たにするかのようにこんな言葉も残している。 「もちろん長く代表でプレーさせてもらっている選手が、その経験から来る落ち着きをもたらすことも大切。僕たちを押しのけるような選手がどんどん出てこないと、世界の舞台で勝つためには厳しくなってくるけど、僕たちもいま一度、ギラギラしたものを心の底から出すことも大事になる。そういうベテランの背中を見ると、若い選手たちもまた刺激を受けると思うので」 今冬の移籍市場で、7年間在籍したインテル・ミラノからトルコの名門ガラタサライへ期限付き移籍した。理由は単純明快だ。失いつつあった出場機会を貪欲に追い求めた末に決断した。最古参選手だろうが何だろうが、センチメンタルな感情が入り込む余地はなかった。 「僕自身はまったく自分のことを心配していないんです。本当にシンプルなことですけど、クラブに必要とされないのであれば、荷物をまとめて出ていきます。自分が必要とされる場所で、輝きを放つための努力を積み重ねていくだけなので」 こう語っていた長友は、新天地ですぐに左サイドバックのレギュラーを獲得。デビュー戦からリーグ戦の全試合で先発し、ガラタサライの3シーズンぶり21度目の優勝に貢献した。意外にもプロになって初めてリーグ戦を制するまでの過程で、ギラギラした思いが腹の底から沸いてきたのだろう。 自身のツイッターで「サッカー選手としての誇りと、自信を与えてくれた。決断を正解にするかどうかは日々のプロセスで決まる」とガラタサライへの移籍は大正解だったと呟(つぶや)いた長友は、西野ジャパンに合流した時に不敵な笑みを浮かべた。「皆さんはベテランだと言いますけど、僕は自分を若いと思っています。精神面を含めて、キャリアの中で一番コンディションがいいと言えるくらい、年齢のことはまったく感じていないので」 ベルギーとの大一番を前に吉報も届いた。ガラタサライへの完全移籍の決定。クラブでも代表でも、必要とされていると強く感じるたびに長友が放つオーラは輝きを増してきた。ピッチの外では夫人で女優の平愛梨さんとの間に、待望の第一子となる長男が2月5日に生まれている。リーグ優勝を決め、チームメートと喜ぶガラタサライの長友(上)=イズミル(共同) 「家族が増えたことで責任も感じています。カッコいい親父でありたいし、下手なところは見せられない、という気持ちでずっとやっています」 中田を超えるベルギー戦も通過点とばかりに、生き様を色濃くピッチに反映させる長友の心技体は最高潮のハーモニーを奏でている。3度目の挑戦にして、初めてベスト8へと通じる扉をこじ開けようと意気込む西野ジャパンの中で、充実感を漂わせる31歳のベテランほど頼りになる存在はない。

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    西野監督、それはないって

    サッカーW杯ロシア大会で日本代表が辛くも決勝トーナメント進出を決めた。指揮官自ら「不本意な選択だった」と述べた通り、敗北もやむなしの戦術を取った最後の10分間は物議を醸した。ベスト16への執念か、死力を尽くした勝負へのこだわりか。賛否が渦巻く西野ジャパン「苦渋の決断」を徹底議論したい。

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    西野監督「ゴールを目指さない」バクチの真意はここにある

    の前の相手との単純な勝負ではないため、「勝負」が持つ意味、そのものが複雑だ。そして、サッカーは複雑なスポーツである。 ただし、上記二つの試合において、「落とし所」の中身は大きく異なるものだった。デンマーク対フランスでは、勝ち点6のフランスが1位確定、勝ち点4のデンマークが突破確定を望み、お互いに引き分けOKで、最後は0-0のままプレーを止めた。そのため、勝ち点1で追う、別会場のオーストラリアが涙をのむことになった。ある意味、談合としてはパーフェクト。一分の隙もない。 ところが、日本のケースは違う。日本はかなり大きなリスクを負っていた。 0-1でポーランドにリードされた段階で、警告や退場を数値化した「フェアプレーポイント」ではセネガルに勝っていたものの、セネガルが1-0でリードされているコロンビアに同点ゴールを挙げないとも限らない。2018年6月28日、ポーランド戦の後半、長谷部(左)に指示を出す西野監督=ボルゴグラード(共同) その場合、日本と勝ち点4で並ぶ相手がコロンビアになり、得失点差で日本が敗退してしまう。これを「談合」と呼ぶには、あまりに穴だらけだ。セネガルにも、しっかりチャンスがあるからだ。 だから、西野ジャパンが、この穴だらけの「落とし所」に身を委ねたとき、筆者は相当ハラハラドキドキした。下手をすれば、この落とし所から、落ちてしまうぞ、と。 それはベンチも同じで、MF宇佐美貴史によれば「セネガルが追いついたらどうすんねん」という空気はあったらしい。ただし、ピッチ内でプレーしている選手は、細かい状況まではわからない。MF長谷部誠が投入され、「そのままキープしろ! 追加の失点もイエローカードも避けろ!」と指示を受け、遂行した。 もし、本当にセネガルがコロンビアに追いついていたら? 日本はグループリーグ敗退に終わり、それこそ目も当てられない事態になっていた。試合終了後、この「穴だらけの談合」を指示した西野朗(あきら)監督は強く引きつった顔から、大きく息を吐いた。よほどのプレッシャーがかかっていたのだろう。まさにギリギリの選択。大バクチに勝った。大バクチに頼った理由 しかし、そもそもなぜ、この落とし所に頼る必要があったのだろうか。 西野監督のバクチは、この日のスタメン選びから始まっていた。過去2戦で固定したメンバーから、なんと6人を入れ替える大胆なターンオーバーを行った。DF槙野智章によれば、セネガル戦が終わった直後に起用を伝えられたらしく、当初からの方針だったのだろう。 サッカーでは、過密日程の試合は3戦目でパフォーマンスが落ちると統計的に結論が出ている。まして、ポーランド戦が行われたボルゴグラードは最高気温が40度近い暑さだ。ロシアのピッチは芝が長く、疲労がたまりやすい。日本は引き分け以上でグループリーグ突破が確定する。 そして対戦相手のポーランドは、ポゼッションが不得手で、センターバックにスピードが無いため、セネガル戦とは異なるカウンターや一発ロングボールの戦法に変えたほうがハマる。これらの条件や環境を考慮するなら、ターンオーバーは正解だった。 その狙いは悪くない。しかし、ゴールで結果を残せず、守備面でも運動量が上がらない宇佐美は完全に期待外れだった。 FW武藤嘉紀も、他のチームならもっとフィットするかもしれないが、コンビネーション主体の日本代表では今ひとつ活躍の場が少ない。むしろ判断の悪さが目立ってしまう。実際、ガーナ戦の前に日本で合宿をしたころも、コンビネーションの練習はあまりスムーズな様子ではなかった。西野監督の戦略は悪くないが、そのための人選が裏目に出た。ポーランド戦の後半、宇佐美(左)に代わって途中出場する乾=ボルゴグラード(中井誠撮影) そして、FW岡崎慎司にアクシデントがあり、FW大迫勇也に代えた後に日本は失点する。後半20分にMF乾貴士を投入した。だが、この交代もあまり機能しなかった。なぜなら、先制したポーランドが引いてしまい、前半ほどのスペースを与えなくなったからだ。 ペナルティーエリアの外から乾が狙ったところで、GKファビアンスキの牙城はびくともしない。むしろ、宇佐美の質の高いピンポイントクロスの方が、得点の可能性は高かった。 同点ゴールを奪える気配はどんどん小さくなり、カウンターはよく食らう。その上、オープンに打ち合ってイエローカードやレッドカードを受ければ、フェアプレーポイントでもセネガルを下回りかねない。そこに「コロンビア得点」の情報が入ったわけである。批判したい人は批判すればいい 西野監督は、いろいろうまくいかなかったこの試合を損切りした。自分のチームが失点も警告も避けながらゴールして追いつく可能性よりも、コロンビアがセネガルを防ぎ切る可能性の方が高いと見極めたのである。 是も非もない。今はそれだけの実力しかない、ということ。それは認めるしかない。 一方で、この決断がもたらした効果は大きかった。日本は半分の選手を休ませることができた。次はベルギー戦。次がある。何より、それが大事だ。 この選択を批判したい人は、批判すればいい。美しさだけを頑固に求める人は、美術館に行けばいい。 だが、これは勝負の世界だ。美しさだけでは語れない。人は美しく、同時に醜いものだ。サッカーは人間の匂いが強いスポーツであり、そこには美しさも、醜さも、汚さも、すべてがある。 以前、WOWOWで放送されたアーセナル監督だったアーセン・ベンゲルと、当時日本代表監督のバイド・ハリルホジッチの対談で、「ずる賢さ」とは、定められたルールを最大限に自分寄りに生かすことだと、語られていた。そして、それが日本に足りない要素だと。今回の件も、その一つだろう。そのずる賢さを、ハリルホジッチの後任であり、日本人の西野監督が見せるとは皮肉なものだ。 もちろん、スタジアムを訪れたファンやサポーターには、ブーイングする権利がある。ファンにとっても、グループリーグ3戦目のチケットを買うのは、ある意味ではバクチだ。とんでもなく緊張感のあるシーソーゲームが見られるかもしれないし、談合ゲームになるかもしれない。決勝トーナメント進出が決まり、サポーターへあいさつに向かう長谷部(中央)ら日本イレブン=ボルゴグラード(共同) 「3戦目」とは、そういう言葉だ。もし、3戦目だけを目当てに観戦に来た人がいたとすれば、私は「勝負師だね!」と茶化すだろう。そんな解釈の複雑さを含めた、サッカーの面白さなのである。 もし、その価値観が、時代が求めるものに合わなくなれば、根本的な改革が行われるだろう。リーグ戦をやめて、全てトーナメントにすればいいだけだ。対処自体は簡単なことだ。しかし、今はこの複雑さを楽しんでいる。

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    スポーツ哲学のない西野ジャパンに心底失望した

    小林信也(作家、スポーツライター) サッカーW杯ロシア大会で、日本代表が決勝トーナメント進出を決めた。だが、ポーランド戦の最後の数分間を見た筆者に感動は全くない。 ポーランド戦を除けば、今大会の日本代表の戦いぶりはすばらしかった。特に2試合目のセネガル戦は、1点を先制されたが、前半34分にMF乾貴士のシュートで同点。後半26分にはセネガルDFワゲのゴールで再び突き放されたが、6分後の後半33分にMF本田圭佑のシュートでまた追いつく粘りを見せた。 この試合を通して、日本代表のたくましさに心が動いた。セネガルの前評判を考慮すれば、たとえ「穴がある」とは言っても、あの攻撃力をはねのけて日本代表が勝つのは、かなり厳しいと感じていた。正直、引き分けでさえ想定しておらず、悲観的な思いの方が強かっただけに貴重な勝ち点「1」を得たことは、勝ちに等しい引き分けだったと素直に喜んだ。 スポーツを見る者が、選手やチームを応援したいと心動かされる瞬間は、こういう体験を共有したときに訪れるのではないだろうか。熱い思いが自然に芽生え、その選手やチームに対する「愛」が育っていく。 当然のことながら、日本代表を応援するのは、そのほとんどが日本で生まれ育った人たちである。とはいえ、誰もがサッカー好き、代表チームが好きとは限らない。彼らがひたむきに戦う姿に感動があり、敬意があってこそ応援にも熱がこもる。 これは私見だが、サッカーを応援する人には「サポーター」と「ファン」の区別が必要だと思っている。サポーターというのは、既にサッカー日本代表との長い時間を共有し、虜(とりこ)になった人たちだ。だが、ファンは全然違う。サッカーを語るとき、ファンを自称すると笑われるかもしれないが、自らをサポーターと呼ぶほど、熱烈な支持者ではない人たちのことを指す。ポーランド戦の後半、時間稼ぎでパスを回す長谷部誠選手(右端)ら日本イレブンを見るサポーター=2018年6月28日、ボルゴグラード そのファンにしてみれば、決勝トーナメント進出がかかっていたとはいえ、チームが敗北を選択して最後の数分間、時間稼ぎのパス回しをピッチ上で繰り広げた光景をどう受け止めただろうか。 後半37分、3人目の交代枠にMF長谷部誠が投入された。この瞬間、MF本田圭佑の出場は消え、一部のファンはガッカリしたかもしれない。「本田投入で同点に追いつく」という淡い期待さえも幻に終わったのである。 しかし、ファンは同時に行われていたコロンビア対セネガル戦で、後半29分にコロンビアが先制し「このまま敗戦しても、日本が決勝トーナメントに行ける可能性が出てきた」と、大いに戸惑ったことだろう。 もし、そのままコロンビアが逃げ切れば、一次リーグH組はコロンビアが1位、日本が2位で決勝トーナメントに進出が決まる。セネガルと日本は勝ち点4、得失点差も0で並ぶが、次の基準となる警告や退場を数値化した「フェアプレーポイント」で上回る日本が2位となる状況になった。「負けるが勝ち」ではない ゆえに、本田ではなく、長谷部を投入した交代には、西野朗(あきら)監督の次のようなメッセージが込められていたことになる。「このまま負けでいい。決して無理はするな。ましてや、イエローカードも許さない」。そんな意図を長谷部がピッチの選手たちに代弁して伝えたのである。 もちろん、セネガル対コロンビアの試合速報を逐一確認しているスタッフからも、コロンビア先制の一報とともに、セネガルが追いつく可能性は低いとの状況判断もあったのだろう。 そもそも日本人の精神として、勝利を求めて戦うスポーツの世界にも「負けるが勝ち」という考え方がある。ただ、これはかなり高齢世代に残っている考え方であり、サッカー日本代表を構成する若い世代にも、これが浸透していたのかと初めは驚いた。 だが、ポーランド戦で日本代表が取った戦術は、本来の「負けるが勝ち」と同義であるとは必ずしも言えない。世界が鋭い眼差しを注ぐ大舞台で、日本は結果的に「負ける」選択をしたに過ぎない。「無気力プレー」と断罪されてもやむを得ない約10分間を彼らは確信を持って展開したのである。 決勝トーナメント進出だけにこだわれば「妥当な判断だった」「これもサッカーの戦い方だ」という声が大勢だ。もし仮に、この見方に異議を唱えれば「サッカーを知らないくせに」「理想論だ」と非難を浴びたことだろう。実際に一部のSNSアカウントは炎上騒ぎに発展したそうだが、こんな風潮の中でも筆者はあえて異議を唱えたい。 ポーランド戦で先制を許した日本は、決勝トーナメント進出のために、セネガルの負けに賭けた。言い換えれば、この時点で日本は真剣勝負を放棄したのである。これほど失礼極まりなく、非スポーツマン的な行動が他にあっただろうか。言葉は悪いが、日本代表は史上最もアンフェアなプレーで、フェアプレーポイントの恩恵をモノにしたとも言えるのである。決勝トーナメント進出を決め、西野監督(左から2人目)と喜ぶ本田(同3人目)=2018年6月、ボルゴグラード(共同) こう断言するには理由がある。日本には自力で決勝トーナメント進出できる可能性が残っていたからだ。もし1点でも取っていれば、他会場の試合結果に関係なく、進出が決まっていた。にもかかわらず、最後までゴールを奪いに行かなかったのはなぜだろうか。 もちろん、無理に攻めた結果、逆に失点し墓穴を掘る可能性もあった。だが、もしそうなったとしても、指揮官は胸を張って、こう説明できたはずだ。「セネガルが1点でも取れば、その時点で望みは断たれる。であれば、全力でゴールを奪って、決勝トーナメント進出をつかみ取ろうとするのがスポーツマンとして当然だ。それが日本代表の矜持(きょうじ)である」と。 むろん、感情や理想論だけで指摘しているのではない。人は心を揺さぶるものに興味を抱き、その魅力を肌で感じる。スポーツ、いやサッカーもそれは同じである。サッカー行動規範にも反する そもそもW杯は、国同士の尊厳をかけた戦いの場だ。それなのに、日本はサッカーを通して何を世界に表現したかったのか。ただ勝ち進むことだけが目的だったのか。日本は今、女子レスリングのパワハラや日大アメフト部の危険タックル問題などが相次いで表面化し、スポーツ哲学を共有できていない危機にある、と筆者は感じている。だからと言って、あの無気力なパス回しを明確にジャッジする基準がないのも事実である。    ところが、サッカーには明確な行動規範も示されている。FIFA(国際サッカー連盟)が定める「サッカー行動規範」の冒頭には次のような記述がある。◎サッカー行動規範第1条「勝つためにプレーする」 勝つことは、どのゲームにおいても試合の目的である。決して負けるためではない。もし勝つためにプレーしなければ、あなたは対戦相手を戸惑わせ、観客を欺き、あなた自身に嘘をつくことになる。強い相手に対して決してあきらめてはいけないし、弱い相手に加減をしてもいけない。それは、相手が全力で戦うことを侮辱することになる。最後の笛が鳴るまで、勝つためにプレーしなければならない。 この規範は、日本サッカー協会のホームページにも「JFAサッカー行動規範」として簡潔にこう転載されている。 どんな状況でも、勝利のため、またひとつのゴールのために、最後まで全力を尽くしてプレーする。 ポーランド戦終盤の日本代表のパス回しは、明らかにこの理念に背いている。本来なら、日本サッカー協会会長、監督以下選手全員が、あの行為を正当化するような発言は許されないはずだ。 だが、勝ち点も得失点差も同じ場合、フェアプレーポイントで進出チームを決めるルールをつくったのはFIFAである。むろん、今回の件で日本が彼らに責められることはないだろう。ただ、過去にも同様の例があり、批判が渦巻いたこともあり、このルールは次回から変更になる可能性が高い。つまり、日本代表の判断は必ずしもサッカーの世界常識ではなかったのである。ポーランド戦で日本代表選手らに指示を出す西野朗監督(右)=2018年6月28日、ロシア・ボルゴグラード(中井誠撮影) 日本代表のサポーターは、今大会でも試合後のゴミ拾いなどが世界から称賛され、その行動は他国のサポーターにも広まった。それこそが、日本が誇るべき伝統的な精神であり、美しい自己表現の在り方ではないのか。 こうしたサポーターの評価に相反するような日本代表の姿勢を見る限り、決勝トーナメント初戦となるベルギー戦で、何か見えない力をまとって「奇跡」を起こすことはないだろう。あるとすれば、私たちが想像もできない幸運に恵まれることぐらいか。抽象的な表現かもしれないが、単なる幸運には再現性がなく、次につながることはない。そのような戦いに果たして歴史的な価値があると言えるのか。

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    親鸞もびっくり「他力本願」戦術は弱小ジャパンだから面白い

    上杉隆(メディアアナリスト) 「他力本願のサッカーになりましたが…」(MF乾貴士)。「他力本願」という文字がこれほどまでに新聞紙面を飾り、テレビで繰り返し聞かされる日が来るとは、浄土の親鸞上人も想像だにしなかっただろう。 サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)の決勝トーナメント進出を決めた6月29日未明、対戦相手のポーランドに1点差で負けていながら、ボール回しに入って試合を終えたことが世界中で話題になっている。 同じ予選グループで行われていたもう一つの試合、コロンビア対セネガル戦で後半にコロンビアが1点リードしたことで、得失点差で再びセネガルに並んだ日本は奇策を講じた。 警告や退場を数値化したフェアプレーポイントで上回っていたために、セネガルのゴールがないことを祈りながら、負けを狙いに行くという賭けに出たのだ。その奇策が「前代未聞だ」と大騒ぎになっている。 実は、予選グループのパス回しで試合を事実上終わらせる戦術はそれほど珍しいことではない。1982年スペイン大会からずっとW杯を見続けてきた元中学サッカー部の筆者が知るだけでも、同点のチーム同士がともに決勝トーナメントに進むために、パス回しをし合って試合を終わらせるということが、たびたびあった。 W杯が難しいのは、単に目の前の試合に勝つだけではなく、次の試合、場合によっては次の次の試合まで考えて、選手起用や戦術を立てなくてはならないことにある。だからこそ、見ているファンからすれば、心理的な駆け引きも含めてW杯は面白いのだ。日本代表は最も困難な敗北と勝利を同時に世界に示すことができた。上杉隆氏のツイッター(2018年6月29日)より 試合終了直後、筆者はツイッターでこうつぶやいた。試合には負けたが、決勝トーナメントには駒を進められたのだから、大会全体としてみれば堂々たる勝利だ。「困難な敗北と勝利」とはそういうことだ。ポーランド戦の終了間際、時間稼ぎでパスを出す乾(左)=ボルゴグラード(共同) それにしても、今回、日本代表が「負けて勝つ」という奇策を採らざるを得なかったのはなぜか。選手自らも「他力本願」という言葉を使って、戦術の特殊性を認めている。 会場のブーイングは画面を通じても届いているくらい大きかった。ピッチ上の選手からすれば、攻めて終わりたかったに違いない。弱いチームなりの「奇策」 端的にいえば、奇策の理由は「日本が弱いから」、それに尽きる。 グループ内での日本の国際サッカー連盟(FIFA)ランキングでは最下位、一方、相手のポーランドは8位の強豪国である。冷静に考えれば、コロンビアがセルビアに失点を許すよりも、日本がポーランドから得点する可能性が低いことは自明だ。 つまり、日本は、戦術というよりも、コロンビアにすがった賭けに勝ったにすぎないのだ。そもそも、あの奇策の採用こそが、自らの弱さを認めているに他ならない。 ただ、勝負は結果が全てだ。決勝トーナメント進出という結果を残した以上、それが賭けであろうと、西野朗(あきら)監督の采配は成功したといえよう。 とはいえ、気になるのはFIFAの規定だ。あらゆる試合は勝利を目的とすべし。勝利を目指さないことは、相手を騙し、観客を欺き、自らをおとしめる行為に他ならない。強敵に対しても最後まで諦めず、弱い相手にも手を抜かず、全力で戦わないことは、いかなる相手であろうと侮辱にあたる。終了の笛まで、勝つためにプレーすることを求める。(FIFA「フットボール行動規範」第1条) 観客からのブーイングや内外のメディアからの批判も、この規範を読めばうなずけないこともない。福井・本覚寺にある等身大の親鸞聖人座像「他力というは、如来の本願力なり」。これは、親鸞(1173-1262)の主著『教行信証』「行巻」にある言葉です。親鸞の言葉の中でも、最も大切な意味を持つものの一つと言えるでしょう。「他力の信心」や「他力をたのむ」などは、親鸞思想の根本を表現したものであります。 (中略)「他力」とは、例外なく阿弥陀仏の本願力を意味します。しかも「たのむ」とは、「あてにする」という意味の「頼む」ではなく、「憑む」という漢字を書きます。これは「よりどころとする」という意味です。つまり「他力をたのむ」とは、「阿弥陀仏の本願をよりどころとする」という意味なのです。大谷大学「教員エッセイ 読むページ」より 西野ニッポンは自らの弱さを認めている。その弱い日本が、「他力本願」(本来は誤用)という奇策を見つけ、採用したことは批判されることではないと考える。 1試合の勝ちか? 大会の勝利か? 親鸞上人の他力本願とは意味は違うが、コロンビアという力をよりどころにした日本の勝利は、十分に戦略的であり、批判されるべきでないと考える。 弱いチームは、弱いチームなりの戦術があってしかるべきだ。それこそが4年に1回のW杯を面白くしているのではないか。

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    「それはないって」川島永嗣が背負った重い十字架の意味

    合いにする形で、ネット上には心ない言葉が飛び交った。「川島それはないって」 生身の人間である以上は、スポーツに携わる誰もがミスを犯す。サッカー、それもGKとなれば失点に直結するだけに、いやが応でもクローズアップされる。ナショナルチームのゴールマウスに立つ時には、国を背負うプレッシャーも加わってくる。 計り知れないほど重い十字架を、川島は逃げることなく、むしろ望んで背負ってきた。日本代表史上で初めて、3大会連続でW杯の守護神を務めた。青天の霹靂(へきれき)にも映るレギュラー昇格を告げられたのは、2010年の南アフリカ大会直前だった。 宿敵・韓国代表との壮行試合で惨敗を喫するなど、W杯イヤーに入って低空飛行を続けていたチームに対して、当時の岡田武史監督(現JFL・FC今治オーナー)は「何とかして流れを変えたい」と模索していた。はじき出された答えの一つがGKの交代だった。 オーストリアのグラーツで5月30日に行われたイングランド代表とのテストマッチ。キックオフの2時間前になって、岡田監督はそれまで守護神を務めてきた楢崎正剛(名古屋グランパス)ではなく、川島を先発させることを決めた。2010年5月、国際親善試合のイングランド戦後半、ランパードのPKを止め、雄たけびを上げるGK川島(中央)=オーストリア・グラーツ(共同) 当時27歳で川崎フロンターレに所属していた川島にとって、イングランド戦は日本代表でプレーするわずか9試合目だった。もっとも、国際経験こそ少なかったものの、メンタル面を含めて準備は怠らなかった。イングランド戦をこんな言葉で振り返ったことがある。「こういう強い相手と戦うために準備してきた。大事なのはメンタル。絶対に怯(ひる)まないこと。熱く燃えながらも、冷静に判断することを自分に言い聞かせていた」 初めてベンチ入りを果たしたのが、イビチャ・オシム監督時代の2007年3月24日に行われたペルー代表との国際親善試合だ。要は、3年とちょっとの間に数えるほどしかピッチに立っていなかった。楢崎、そして42歳の今も現役を続ける川口能活(現SC相模原)の後塵(こうじん)を拝してきたのである。 川口は悲願のW杯初出場を果たした1998年フランス大会と2006年ドイツ大会で、楢崎は2大会目にして初めて決勝トーナメントへ進出した2002年日韓大会でゴールマウスを守った。2人のレジェンドと同じ空気、同じ時間を共有しながら貪欲に学び取った。川島の「揺るぎない哲学」「2人を見ていて、自分はどのようなゴールキーパーになればいいのか、どのようなゴールキーパーになりたいのか、という目標を明確に持つことができた」 アグレッシブな立ち居振る舞いから、いつしか「炎の守護神」と呼ばれた川口。冷静沈着さで味方に安心感を与えた楢崎。2人のレジェンドのストロングポイントを、絶妙のバランスで同居させるGKを目標にすえて精進を重ねてきた。 南アフリカ大会では2度目の決勝トーナメント進出を果たし、絶対の自信を持って臨んだ前回ブラジル大会ではグループCの最下位で姿を消した。その後は一時無所属となり、日本代表から遠ざかったこともある日々を、川島はこんな言葉で振り返ったことがある。「いい経験もしてきたし、ある意味でよくないというか、悔しい経験もしてきた。日々の積み重ねが、W杯という舞台につながればいいと、自分としてはずっと思ってきた。どちらかと言えば苦しい時間の方が長かったけど、そうした経験が必ずいい結果につながっていくと信じて、今この(日本代表という)場所にいられることに幸せを感じながら、経験を生かせるようにしたい」 ポーランド戦で日本代表における出場試合数は「88」に伸びた。いつしか楢崎の「77」を超え、川口の「116」に少しずつ近づいている。今年3月で35歳になった。リザーブに回った南アフリカ大会で自身をフォローしてくれた当時の楢崎を上回り、チームキャプテンとして雰囲気作りに奔走した当時の川口に並んだ今、深く感じることがある。「日本代表に長くいさせてもらうほど、(川口)能活さんとナラさん(楢崎)の偉大さを常に感じています。自分の次世代の刺激になるような存在にならないといけない、という思いもあるし、そのためにも自分自身をさらに成長させて、いい影響を与えられる存在になりたいですね」 濃密な経験を伝授させていく上で、揺るぎない哲学を抱いている。それは「ただ単に話すだけではなく、自分のプレーを通して示さなければ意味がない」―。自分自身を奮い立たせてゴールマウスに立ったポーランド戦では、後半に入っても存在感を放ち続けた。ポーランド戦に向けて調整する(左から)GKの中村、川島、東口=カザン(共同) 電光石火のカウンターを食らった8分には、MFピオトル・ジエリンスキ(伊、ナポリ)がシュートを放とうとする寸前に、果敢な飛び出しからスルーパスをキャッチした。36分にはあわやオウンゴールになりかけた槙野のクリアを、横っ飛びしながら左手一本ではじき出した。 後半14分の失点は、セットプレーから警戒すべきDFヤン・ベドナレク(英、サウサンプトン)をフリーにしたことで生まれた。川島にとってはノーチャンスであり、だからこそすぐにメンタルを立て直し、最後尾から檄(げき)を飛ばし続けた。 相手の3ゴールを無に帰した川島の鬼気迫るセーブは、川口と楢崎の魂をも託された聖なるブルーのバトンと化して、ベンチで声を枯らしていた32歳の東口順昭(ガンバ大阪)、2年前のリオデジャネイロ五輪にも出場した23歳のホープ、中村航輔(柏レイソル)へしっかりと紡がれた。

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    「半端ないW杯」アシスト王はVARで決まりだが…

    スは意図的なハンドで得点機会を阻止したとして退場を命じられる。開始2分56秒の出来事だった。「誤審もスポーツの一部」では済まされない 香川のアシスト役は、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)だった。 ハンドリングの見極めは、「を」か「が」かで違ってくる。「手や腕『を』ボールに当てたのか」、それとも「ボール『が』手や腕に当たったのか」。前者の確認でVARを生かしたのは、スロベニアのダミル・スコミナ主審だった。 今大会のアシスト王は、どうやらラストパスを送った「Mr.VAR」で決定のようだ。おかげでスペインも1次リーグ敗退を免れた。直近の試合ではF組最終第3戦、韓国-ドイツ戦の後半アディショナルタイムでの2ゴールにも関与している。確信的な表情でオフサイドの旗を上げたイラン人の人間アシスタント・レフェリーをあざ笑うかのように判定はオンサイドに覆り、DF金英権(キム・ヨングォン)のゴールが認められた。 その間の40秒間は、苦戦してきた韓国代表にとって一時的な疲労回復効果にもなり、FW孫興民(ソン・フンミン)による2点目も呼び込んだ。 試合に負けても、後半37分からの「ロシアンルーレット」には勝った最終第3戦対ポーランドでは、GK川島永嗣が「ゴールライン・テクノロジー(GLT)」にアシストされた。ライン幅は12センチだから、ボールの直径22センチの1~2センチを残したところで、きわどくかき出されたことになる。前半、シュートをセーブする川島=2018年6月28日、ボルゴグラード(中井誠撮影) それで思い浮かんだのが、あるベテラン審判員からもらったばかりの手紙の内容だ。「GLTはいいと思いますが、VARには反対です。4年前、ブラジルW杯の開幕戦でVARが採用されていたら果たして…」 3-1でブラジルがクロアチアに勝利したその試合では、西村雄一主審によるブラジルに与えた後半26分のPK判定が問題視され、騒然となった。 しかし、それを言い出せば、1930年に始まるワールドカップの歴史自体を修正しなくてはならなくなる。日本に関して言えば、2002年日韓共催W杯、対ロシア戦(横浜国際)後半6分のMF稲本潤一のゴールにもオフサイド疑惑が付きまとう。 日本代表は、ここまで強豪国が一度ならず味わってきた「世紀の誤審体験」を味わっていない。しかもこれから先は、GLTとMr.VARが、もめ事を激減させてくれる。 そうした意味では、判定をめぐる乱闘寸前状態が除菌効果のごとく激減し、ますます衛生的な人類最大の球技大会になっていきそうだ。機械技術の導入によって本質的な威厳が審判から失われたことを懸念するか否かで、その人の文明観が問われてしまう。 「誤審もスポーツの一部」では済まされないポストヒューマン時代の到来を予感させる、半端「を」ないものにする大会になっている。

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    「不本意な選択」西野監督の決断はそれでも妥当だった

    河治良幸(サッカージャーナリスト) 西野朗(あきら)監督は決勝トーナメント進出がかかったポーランド戦の終盤に大きな決断をした。同時刻に行われていたコロンビア対セネガルの試合の途中経過で決勝トーナメント進出が見えてくると、DFラインでボールを回す時間稼ぎの戦術をとった。 西野監督は試合後に下記のようなコメントを残している。非常に厳しい選択。万一という状況はこのピッチ上でも考えられましたし、もちろん他会場でも万一はあり得た。それで選択したのは、そのままの状態をキープすること。このピッチで万一が起こらない状況。これは間違いなく他力の選択だったということで。ゲーム自体で負けている状況をキープしている自分というのも納得いかない。不本意な選択をしている。  ロシアのファンは、ポーランドと自国が宿敵関係にあるため日本代表を応援しているファンが多く、ポーランド戦の勝利を捨てて時間稼ぎをしたことに失望した人が多かったようだ。ただ、4年に一度しかない大会である。こうした時間稼ぎはどこにも起こり得ることで、相手側のポーランドも途中でボールを追うのをやめていた。彼らもまた1−0の勝利を得ることができれば満足であり、明らかに日本側の意を汲んだ流れだった。 今回の問題は、他会場での結果が変わっていたら、日本がポーランドと0−1のまま試合を終えても敗退になる可能性があり、非常にリスクのある選択だった。 もし本当にそうなっていれば、西野監督の立場にも大きく影響しただろう。ただ、確率論から言えば日本があのままポーランドと普通に試合を続けて失点するか、イエローカードをもらう可能性の方が、セネガルがコロンビアに追いつく可能性より高いと想定できる内容だった。だからこそ、西野監督の苦渋の決断そのものは妥当だった。それでも、いざ結果が覆ったときのショックは大きかったはずで、これは極めて大きな賭けだったとも言える。 また、西野監督はポーランド戦でこれまでの2試合から6人もメンバーを入れ替えた。4-4-2の左センターバックにDF槙野智章、ボランチの1人に山口蛍、右サイドハーフにMF酒井高徳、左にMF宇佐美貴史、そして2トップにFW岡崎慎司とFW武藤嘉紀を並べた。会見に臨む、西野朗監督=2018年6月28日、ロシア・ボルゴグラード(撮影・中井誠) 「6人を起用したのは、いい状態であったし、間違いなく同じようなチームスピリッツでやれる選手を起用しました」と西野監督は語っていた。気温が30度を大きく上回る過酷な環境の中、日本はMF柴崎岳を主な起点としてシンプルに2トップ、宇佐美を使い、「スピードがあまりない」と武藤が指摘していた相手センターバックの裏を狙った。 前半13分には柴崎のロングパスを宇佐美が頭で落とし、そこから武藤がドリブルを仕掛けてシュートに持ち込んだが、GKファビアンスキのセーブにあった。その3分後には武藤のボールキープを起点に宇佐美がワンタッチでつなぎ、ペナルティーエリア右に飛び込んだ酒井高徳が左足で合わせたが、ファビアンスキに再びセーブされた。 ポーランドはワイドに展開し、そこからエースのFWレバンドフスキを走らせるが、ディフェンス陣が常に挟み込む形で決定的なプレーをさせなかった。最も危険だった前半32分のピンチにもGK川島永嗣が横っ飛びでワンハンドセーブ。ゴールラインテクノロジー(ゴールラインを割ったかどうかを判定するために設置されている計測機器)の判定もボールはオンライン上でゴールにならなかった。日本代表に失うものはない 前半は日本のペースにも思われたが、後半開始にアクシデントが起こる。前線で鋭い動き出しを見せていた岡崎が後半開始早々ピッチに座り込んだのだ。 ここで2試合スタメンだったFW大迫勇也に代わるが、日本は徐々に間延びが目立つようになり、ポーランドのシンプルで力強いロングボールやクロス、セカンドボールに後手の対応を強いられるようになる。そして後半14分、山口の接触で与えたフリーキックから、DFクルザワが左足で放ったボールを長身DFのベドナレクに右足で合わされる。それまで安定したセーブを見せていた川島も止められなかった。 疲労感がさらに強くなっていく日本。後半20分から宇佐美に代わって入ったMF乾貴士がカットインからシュートを放つが、ゴール右外に外れた。逆に日本のペースダウンを待っていたかのようにカウンターの鋭さを増すポーランドは後半29分、自陣でボールをカットしたMFクリホビアクから縦パスをMFジエリンスキが受けて右サイドに展開すると、右ワイドからMFグロシツキがクロス。そこにレバンドフスキが勢いよく飛び込んで合わせた。完璧にやられた形だったが、ボールは大きくクロスバーを越えた。 そして後半19分、いつ失点してもおかしくない状況の中で、コロンビアのDFジェリー・ミナがセネガルから得点したという情報が入り、会場が騒然とする。 もし、そのまま日本が0-1で敗れても、他会場の結果がそのままであれば、セネガルと勝ち点、得失点が並び、今大会から適用されたフェアプレーポイント(イエローカード、レッドカードの数でポイントが増え、少ない方が有利となる)により日本が決勝トーナメント進出を決める。ここで西野監督は大きな賭けに出たのである。日本対ポーランド後半攻め上がる、長谷部誠=2018年6月28日、ロシア・ボルゴグラード(撮影・中井誠) 武藤に代えて、MF長谷部誠を投入した。指揮官の意を汲んだキャプテンはピッチの選手たちに状況と方針を伝え、自陣でのボール回しに入ると最初はプレッシャーをかけてきたポーランドもやがて追わなくなった。会場からは大ブーイングが起き、試合終了を待たずに立ち去る観客が増える中で0-1のまま試合を終えると、コロンビア対セネガルの結果を聞いた選手たちは安堵(あんど)の表情を浮かべた。 「ゲームの敗戦を考えれば、これは(次の)ステージに上がれたというところだけですかね、救いは」  西野監督はそう語ったが、確かに次のステージへの道はつながった。 相手はイングランドを破り、G組で堂々の首位通過を果たしたFIFAランク3位のベルギーだ。61位の日本がこの舞台で挑むには強大な相手だが、すでに日本代表に失うものはない。総力戦で史上初のベスト8進出にチャレンジする。

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    ロシアW杯・西野ジャパン「マイアミの奇跡」との奇妙な符号

     1996年のアトランタ五輪では、ブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」と呼ばれた大金星の後に、チームは内紛で沈んだ。その苦い経験をもつ西野朗・サッカー日本代表監督は、6月28日、ロシア・ボルゴグラードで迎えるW杯予選第3戦、ポーランドとの大一番でどんな決断を下すのか。チームは一つになって向き合えるのか。思い起こされるのは22年前に西野監督が経験した蹉跌だ。 1996年アトランタ五輪での“西野ジャパン”の状況は今回と奇妙なほど符合する。 同五輪の予選リーグは1戦目がブラジル、2戦目がナイジェリア、3戦目がハンガリー。「南米→アフリカ→東欧」という対戦順は今回と全く同じで、初戦で“奇跡的勝利”を収めたところも一致する。 アトランタでは初戦の大金星のあと、2戦目を落とし、3戦目は勝利。2勝1敗ながら、得失点差で決勝トーナメント進出を逃した。 この時に、「内紛」があったことはよく知られている。2戦目のナイジェリア戦のハーフタイム、中田英寿らと西野監督が衝突。険悪なムードのまま後半戦に入り、0-2で敗れた。 そして西野監督は3戦目のメンバーから中田を外した。「マイアミの奇跡」で背番号10をつけ、勝利に貢献した遠藤彰弘氏は、当時をこう振り返る。1996年7月、アトランタ五輪男子サッカーブラジルから大金星を挙げた日本代表の(右から)城彰二、(一人おいて)伊東輝悦、前園真聖、西野朗監督、松田直樹=マイアミ「世間がいうような内紛ではなく、単なる意見の食い違い……だったと思っています。ブラジル戦に勝った勢いがあって、ナイジェリア戦でもヒデさんやゾノさん(前園真聖)、城(彰二)は世界に自分をアピールしたいという気持ちがあったのでしょう。ヒデさんが“勝てる、攻撃に出よう”と主張して、ゾノさんや城が加勢した。そうした意見を聞いた上で、西野監督はチームのことを考え、勝つための決断を下した。 結局3戦目にヒデさんを外して予選敗退しましたが、西野監督は自分の決断に迷いがない人だから、後悔はないんじゃないか。今回も、大会直前までスタメンが有力視されていたベテランの槙野(智章)を外しましたが、迷いなく決めて結果につなげているのだと思います」 ただ、果敢な決断の末に、22年前は予選リーグ敗退に終わった。その経験によってポーランド戦を前に、判断に迷いが生まれはしないか──日本代表は史上初となるベスト8以上を目指すために、重大局面を迎えている。関連記事■ サッカー西野ジャパンに帯同する「謎の美女医」のカネとコネ■ 西野ジャパンで流行「ハセベる」という単語の意味■ 今なお響くオシム金言「信じよ。相手をモンスターと思うな」■ ロシアW杯で熱烈応援「スタジアムの美女たち」アジア編■ スピード劣る本田圭佑にボールが渡ると連携がとれなくなる…

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    西野監督との冷戦乗り越えた本田圭佑 崖っぷちがエネルギー

    首謀したとされています。“自分が代表入りするために、監督を『告発』した”とさえ揶揄する人もいます」(スポーツ紙記者)セネガル戦の後半、同点ゴールを決め、喜ぶ本田(左から2人目)ら=エカテリンブルク(共同) 急遽指揮を執ることになった西野朗監督(63才)のもとで、本田はメンバーに滑り込むも、世間では「本田不要論」が叫ばれた。《「本田の無理心中で日本惨敗」》。『週刊新潮』(6月21日号)にはそんな見出しが躍り、解説者は軒並み苦戦を予想。本田自身にとっても、先の2試合はスタメンではなく、途中投入の「スーパーサブ」という扱いだ。そんな逆境で、本田は列島を歓喜させる活躍を見せた。「本田選手、ごめんなさい。あなたがいてくれて本当によかった」逆境の連続だったサッカー人生 セネガル戦の後、多くの日本のサッカー好きは口々にそう呟いた。出番が回ってこない可能性もあった 本田のサッカー人生は、逆境の連続だった。1986年、大阪で生まれた本田は、幼い頃に両親が離婚し父親に引き取られたため、母親と離れた環境で育った。「幼い本田にとって、母親のいない寂しさは相当なものだったでしょう。それを紛らわせたのがサッカーでした。3才年上のお兄さんと、毎日暗くなるまでボールを蹴っていたそうです。小学校の卒業アルバムには《必ず世界一になる》と書いているんです。活躍する姿を、お母さんに見せたいというのもあったのかもしれません。父親も指導に熱心で、練習を休んでいると、“今、ブラジルでは選手が練習しているぞ。置いていかれるぞ!”と発破をかけられたそうです。本田の負けん気の強さは、その頃に育まれたんでしょう」(サッカージャーナリスト) 中学時代、本田はガンバ大阪の下部チームに所属していた。だが高校進学時、ガンバ大阪の1つ上のクラスに進むことはできなかった。「プロチームの指導者が見て判断したわけですから、“サッカー選手としての才能や将来性がない”と、失格の烙印を押されたようなものです。中学生にとっては酷な宣告ですよ。ところが、本田は失意に暮れることなく、地元から遠く離れたサッカーの強豪・星稜高校(石川県)への進学を決めます。 “ここに入ったらおれはのし上がれる”と父親を説得したそうです」(前出・ジャーナリスト) 高校3年生のときには、キャプテンとしてチームを全国高校サッカーベスト4に導き、一度閉じかけたプロサッカー選手への扉を再びこじ開けた。プロ入団後の本田を知る人物が明かす。「試合はもちろん、練習でもちょっとした遊びでも負けたくない。ある日、ジュースを賭けて練習後に何人かでリフティングゲームをして、本田が負けた。そうしたら何も言わずプイッとその場から立ち去ったんです。先輩たちは“なんだアイツ”ってなってましたけど、ロッカールームに引き揚げたら、勝った選手のロッカーに100円玉が2枚、ちゃんと置かれていました。本田の姿はもうなかったですけどね(笑い)。よっぽど負けを認めたくなかったんでしょう」 2006年に初めて日本代表に選ばれると、2008年には日本を飛び出し、オランダ、ロシアを渡り歩いた。2013年末にはイタリアの超名門・ACミランに移籍した。だが、世界の壁は厚かった。本番直前にも逆境にいた「思うような活躍ができず、バッシングされることも多かった。プレッシャーをはねのけてきた本田も、さすがにつらい部分もあったようです。しかも、後から後から世界トップレベルの同じポジションの選手がチームメートとしてやってくる。その中で本田は埋もれ、満足に試合に出ることさえできませんでした」(前出・スポーツ紙記者) W杯を1年後に控えた昨年7月、本田は新天地にメキシコのチームを選んだ。ヨーロッパに比べれば、レベルは格段に低い。「『都落ち』という言葉に対しては、その通りだと思います。(中略)これは結構誤解してる人いますけど、ほんまに別にいくらでもオファーありました。ヨーロッパから」 今年5月、本田は『プロフェッショナル』(NHK)でそう明かしていた。「メキシコを選んだのは、チームの本拠地が標高2400mという高地にあるから。年齢的なこともあり、スピードやスタミナの衰えを指摘されていた本田は、日常的に高地で練習していれば、自然と心肺機能が鍛えられるという思惑があったようです」(別のサッカージャーナリスト) その甲斐あって、今回のW杯でめざましい活躍を見せる本田。だが、本番直前にも彼は逆境にいた。2018年6月4日、練習を見守る西野監督。手前は本田=ゼーフェルト(共同)「攻撃的なポジションの本田が、ある練習の時に守備的な選手の動きに指示を出したことがあったそうです。その時、西野監督は、露骨に厳しい表情を浮かべたそうです。“戦術を決めるのは監督の役目だろう”と。それから、西野監督と本田は“冷戦状態”になった。大会中の本田のスタメン落ちはおろか、出番が回ってこない可能性さえ囁かれました。それでも数少ないチャンスをものにして、本番で大活躍した。むしろ直前の崖っぷちが、彼の爆発のエネルギーになったんじゃないですかね」(前出・スポーツ紙記者) 最近のインタビューで、本田は次のように語っている。《僕が大事だと思うのは、失敗してどーんと落ちた後に盛り返す力なんですよ。失敗したときにこそ、真価が問われる》関連記事■ だから本田圭佑は必要だ──「カズ落選」を経た日本代表の成長■ ポーランド戦 それでもGK川島を起用せざるを得ないか■ ロシアW杯・西野ジャパン「マイアミの奇跡」との奇妙な符号■ 釜本邦茂氏「不用意に反則する選手は外せ」で具体名挙げる■ テレ朝三谷紬アナ 関係者も目を丸くした衝撃の胸トラップ

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    韓国のラフプレーもかすむドイツ「歴史的惨敗」の伏線

    小澤一郎(サッカージャーナリスト) 誰も予想できなかった結末、試合となった。前回ブラジル大会の王者ドイツがアディショナルタイムに2点を奪われ、0-2で韓国に敗れ、史上初となるグループリーグ敗退が決まった。 確かに2010年南アフリカ大会優勝のスペイン、2006年ドイツ大会優勝のイタリアと、過去2大会連続でW杯王者がグループリーグ敗退を喫しており、連覇どころかディフェンディングチャンピオンがグループリーグを突破することすら「鬼門」となっていたのが近年のW杯だった。 ドイツは、初戦でメキシコ戦に敗れたとはいえ、第2戦のスウェーデン戦ではアディショナルタイムでの決勝弾で2-1と逆転勝利を収めていた。「さすがに敗退はないだろう」という希望的観測が広がっていた矢先の出来事だけに、世界中に衝撃が走った。 ましてや、対戦相手の韓国はすでに2敗でグループリーグ敗退が決まっていたチームだ。そうした状況の相手に勝てば、決勝トーナメント進出が見えてくるドイツ。実際、試合終盤も、同時開催の試合でスウェーデンがメキシコに着々と得点を重ねたことで「1-0で勝てば自力で決勝トーナメント進出」となっていた状況での自滅である。事態は深刻だ。 ドイツの敗退を分析する前に、アジア勢として大金星を挙げた韓国をまずは讃えたい。強豪ぞろいのグループとはいえ、連敗であっさりとグループリーグ敗退となりながらも、申台竜(シン・テヨン)監督率いるチームはエースのFW孫興民(ソン・フンミン)を中心に勝利を目指して、貪欲かつ真摯(しんし)に戦った。 このドイツ戦は3戦で1番ファウル数の少ない16とはなったが、3戦での累計ファウル数は「63」。イエローカードの枚数も「10」と、まだグループリーグ終了とはなっていないが暫定でどちらの数も出場32カ国でワーストワンという不名誉な数字(記録)をたたき出している。ドイツ戦の前半、激しく競り合う韓国の鄭又栄(上)=2018年6月27日、カザン(共同) それゆえに、相手チームや韓国国内からも「ラフプレーが多い」という批判が大会中に出ていた。確かに、このドイツ戦においても球際での厳しさを各選手が求めるあまり、序盤からアフター気味のファウルとイエローカードが出ていた。 ただし、気持ちで球際の勝負に挑んでいくスタイルは、韓国サッカーが持つデメリットでありメリットでもある。少なくとも、このドイツ戦に臨んだ韓国選手のメンタルは、過剰に熱くなり過ぎることなく冷静にファイトできていた。W杯のみならず、世界のサッカー史に間違いなく1ページを刻むことになった「ドイツの史上初W杯グループリーグ敗退」の相手が韓国であったことは、同じアジア勢として誇りに思う。政治も絡むドイツのほころび ドイツに話を戻す。この韓国戦のスタメンには第2戦(スウェーデン戦)で先発落ちした2人のMF、サミ・ケディラとメスト・エジルが戻り、右サイドハーフにはMFレオン・ゴレツカが初先発した。初戦ではMFトニ・クロースにマンマークを付けてカウンターを狙ったメキシコの対策にまんまとはまり、なすすべなく敗れたドイツだが、第2戦は初戦でプレーの強度と精度が低かったケディラ、エジルを思い切って外し、チームのパフォーマンスは上がっていた。 この2選手が「戦犯」というわけではないのだが、ボール保持のスタイルからどうしても相手に引かれてしまう。遅攻から突破、シュートを狙うドイツサッカーの中では、中盤でボールを追い越せる選手、縦方向にパスを通せる選手が必要で、今大会のケディラ、エジルはそのタイプの選手ではなかった。 けがで昨シーズンの大半を欠場したマヌエル・ノイアーを正GKに選び、逆にキャリアハイとも呼べる素晴らしいシーズンをバルセロナで送ったテア・シュテーゲンをベンチに追いやったGK選考、そして大会前に世界中の話題をさらったMFレロイ・サネのメンバー外。連覇を狙い順調な仕上がりを表面上は見せていたドイツだが、選手選考では「過去の実績重視」という不可解なジャッジが直前に目立ち、国内では初戦後から「ヨアヒム・レーブ監督のマネジメントの失敗」が叫ばれていた。 初戦のメキシコ戦であれだけカウンターの餌食となりながらも、DFジェローム・ボアテング、DFマッツ・フンメルス、ノイアーといったリーダー格の選手間でのコミュニケーションや議論がピッチ上で一切ないように映り、ベンチからの修正の指示や対策がなかった点も、チーム内部にあるほころび、崩壊への序章に見えた。 サッカーとは全く関係のない政治的問題ながら、トルコ系ドイツ人のMFイルカイ・ギュンドアンとエジルが、大会直前にトルコのエルドアン大統領を表敬訪問したことで、ドイツ国内から批判が殺到した出来事もあった。2選手からすれば「大した問題」ではなかったのだろうが、移民と難民が深刻な社会問題と化しているドイツだからこそ、国をも揺るがす一大事件に発展したのである。 欧州で表面化するローカリズムや右傾化の流れがドイツでも大きくなる中、異なるルーツの選手が一つのチームにまとまり団結すること、多様性を受け入れる寛容性を示すことで前回大会の優勝という結果をドイツ代表は出した。その国を象徴する組織(ロールモデル)に分断の危機が迫っていることを、この事件は明らかにしてしまったのである。韓国に敗れて1次リーグ敗退が決まり、手で顔を覆うドイツのミュラー=2018年6月27日、カザン(ゲッティ=共同) 大会前に次回のカタールW杯がある2022年までの契約延長を結んだレーブ監督ではあるが、史上初となるグループリーグ敗退の責任を取る形での退任ないし解任は必至だ。エジルやクロースを中心に据えたスペイン顔負けの「パスサッカー」、ボール保持のプレーモデルの変更も強いられることになるだろう。 ただ、ドイツにはピラミッドの頂点である代表がこけたくらいでは揺るがない屋台骨、確固たる育成システムが根付いており、ドイツサッカー自体が傾くことにはない。ロシアW杯でのショッキングかつスキャンダルな敗退を受けて、強い代表を取り戻すためのドイツサッカーの再生に期待したい。

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    ロナウドとネイマール、柴崎岳を超成長させた「世界の差」

    藤江直人(ノンフィクションライター) 瞬く間に西野ジャパンの中に確固たる居場所を築き上げた。もはやこの男を抜きにして、日本代表は機能しないと言っていい。攻守両面でうまさ、強さ、激しさを状況に応じて奏でられるボランチ。柴崎岳(スペイン、ヘタフェ)が「日本の司令塔」として輝きを増している。 世界中をうならせたのが、セネガル代表とのグループリーグ第2戦の前半34分に見せたプレーとなるだろう。ハーフウエーラインの手前でボールを受け、ルックアップした直後だった。素早く振り抜かれた右足から放たれた鮮やかなロングパスが、1点のビハインドをはね返す序章になった。 ロングパスのターゲットは、ペナルティーエリア内の左サイドへ攻め上がっていたDF長友佑都(トルコ、ガラタサライ)。トップスピードで走り込んだ先へ、寸分の狂いもなく着弾したボールはMF乾貴士(スペイン、レアル・ベティス)へ渡り、右足から放たれたシュートは美しい弧を描きながらゴールへ吸い込まれていった。 柴崎がパスを受けてから、ゴールが生まれるまでわずか10秒しか要していない。セネガル守備陣の両サイドにスペースが生じることが、スタッフによるスカウティングで分かっていたのだろう。チャンスの匂いを嗅ぎ取り、最終ラインから一気呵成(かせい)にスプリントを駆ける長友の姿を、自陣にいた柴崎は見逃さなかった。 正確無比な軌道を描くロングパスをテレビ越しに見ていて、ある言葉を思い出さずにはいられなかった。青森山田高校(青森県)時代の恩師、黒田剛監督は、3年生の柴崎がキャプテンを務めていた2010年度の全国高校サッカー選手権大会中にこう語っている。 「攻撃に関して一番いいエリアを瞬時に選択して、そこへピンポイントのパスを送れるところが、(柴崎)岳のすごさだと思います」 この時点で柴崎は鹿島アントラーズ入りが内定していたが、仮契約を結んだのはまだ2年生だった2010年1月だった。複数のJクラブが争奪戦を繰り広げ、最後は名古屋グランパスとの一騎打ちをアントラーズが制した形となった。セネガル戦にフル出場し、攻守にわたって大きな活躍を見せた柴崎岳=エカテリンブルク(甘利慈撮影) 1996年から23年間にわたって強化の最高責任者を務める、アントラーズの鈴木満常務取締役強化部長は「満男の後継者となり得る素材」と語っていた。今シーズンもキャプテンを務める大黒柱、MF小笠原満男からいずれバトンを託させたいと期待をかけながら、柴崎のプロ意識の高さを称賛していた。 「もっと、もっと上のレベルを目指していくために、いろいろな課題を自分の中で整理しながら、自分自身を客観的に評価していくことができる選手ですね」 柴崎自身は決して饒舌(じょうぜつ)ではない。胸中に抱く熱き思いを、言葉で表現することを不得手としてきたからか。スペインの名門レアル・マドリードから2ゴールを奪い、世界中を驚かせた2016年12月の国際サッカー連盟(FIFA)クラブワールドカップ決勝後も、クールな仮面を脱ぎ去ることはなかった。 「僕だけの力で取ったゴールではないので。チームの流れなどがあった中でのゴールなので、チームのみんなに感謝したい。勝てていれば、もっと喜べたとは思うんですけど」 延長戦にもつれ込んだ死闘の末に、試合は2-4の逆転負けを喫した。相手のエース、ポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドにハットトリックを達成されたこともあって、スーパーゴールの余韻が残る試合後の取材エリアでも感情をあらわにすることもなかった。決勝前に左足のシュート練習 しかし、当時のアントラーズを率いていた石井正忠監督(現・大宮アルディージャ監督)から、柴崎に関して興味深いエピソードを聞いたことがある。 「岳はずっとラ・リーガに行きたがっていたと、後になって聞きました。だからこそ、決勝戦にかける思いは誰よりも強かったと思います。今思えば、決勝の前に左足のシュートをよく練習していた。レアルを崩すイメージを描いていたのかと思うくらいでしたし、実際に2点とも左足で決めていますよね。自分の欠点を探して、改善していく作業を常に課していく姿勢が岳のすごいところだし、目いっぱいの戦いが続いた中でどんどん伸びていったと思います」 2016シーズンから柴崎はアントラーズの「10番」を託されている。クラブの黎明(れいめい)期に元ブラジル代表の神様ジーコが背負った、常勝軍団の象徴でもある背番号を1年で返上。挑戦の舞台を、憧憬(しょうけい)の念を抱き続けてきたスペインへと移した。 2ゴールを見舞ったクラブワールドカップ決勝は、世界へ衝撃を与えるとともに、柴崎に明確な課題を突きつけていた。実際、柴崎はレアル・マドリードとの差をこんな言葉で表している。 「流れやプレーで見れば通用した部分がフォーカスされているかもしれませんけど、まだまだやらなければいけないことがたくさんある。むしろ大変なのはこれからであり、これからどうしていくのかが重要になってくる」 柴崎自身も機が熟した、と感じ取っていたのだろう。プロ意識の高さを熟知していたからこそ、大黒柱を託したいと思い描いてきた柴崎の旅立ちが近いことを、鈴木常務取締役も感じていた。2016年12月、クラブW杯決勝のレアル・マドリード戦の前半、同点ゴールを決める鹿島のMF柴崎=日産スタジアム(中井誠撮影) 「おそらくオファーはある。いつ来るかは分からないけど、覚悟はしています」 こう語っていたのは川崎フロンターレとの天皇杯全日本サッカー選手権決勝を制し、シーズン二冠を達成した2017年の元日。実際に1カ月後に、柴崎はラ・リーガ2部のテネリフェの一員になった。 しかし、夢と期待を胸に抱きながら降り立った新天地で待っていたのは、思いもよらない苦しみだった。言葉も文化も食事も風習もすべてが日本とは違うと理解はしていたが、スペインへ適応することに心が急ブレーキをかけた。 テネリフェでデビューを果たすまでに、約1カ月半もの時間を要した。ホテルの一室に閉じこもる日々がその後の自分を強くしたと、柴崎は語ったことがある。 「海外でプレーしている選手は改めてすごいと思いましたし、尊敬もしました。異国の地でプレーすること自体が大変だというのは、実際に行ってみないと理解できない。それらが分かったことで、選手としても人間としても大きくなっていくと感じました」 日本代表の一員として体感とした世界との差も、柴崎の中に芽生えていた、現状に対する危機感を高じさせたのかもしれない。2014年10月14日。中立地シンガポールでブラジル代表と対峙(たいじ)したアギーレジャパンは、0-4の大敗を喫している。アギーレ監督は見抜いていた インサイドハーフとして先発した柴崎だったが、後半開始早々に世界の洗礼を浴びる。トラップミスしたわずかな隙(すき)を突かれてボールを奪われ、電光石火のカウンターを仕掛けられ、FWネイマールにゴールを決められた。最終的にネイマールはハットトリックを達成している。 「ああいう選手がいるチームと対峙し、上回ることを常に目指していかないといけない。並大抵の成長速度では僕の現役時代の中では対応できないと思うので、自分のトップフォームの期間の中で成長速度を上げながらやっていく必要があると思う」 試合後に残した柴崎の言葉をあらためて読み返しても、26歳で迎えるワールドカップ・ロシア大会へ向けた意気込みが伝わってくる。クリスティアーノ・ロナウドとネイマール。くしくも今大会で活躍している2人のスーパースターが、柴崎のターニングポイントに関わっている。 そして、当時の日本代表を率いていた、選手および監督としてメキシコ代表を経験しているハビエル・アギーレ氏は柴崎の輝く未来を確信していた。 「柴崎はワールドクラスだ。まるで20年も経験を積んだかのようなプレーを見せてくれる。彼はかなり遠いステージまで行き着くことができるだろう」 しかし、ハリルジャパンが発足して半年ほどが過ぎると、アギーレジャパンが発足してから順調に刻まれてきた、日本代表における柴崎の軌跡に2年近くものブランクが生じてしまう。 復帰を果たしたのは6大会連続6度目のワールドカップ出場がかかった、昨年8月のオーストラリア代表とのアジア最終予選第9節の直前。その間に所属チームをアントラーズからテネリフェ、そしてラ・リーガ1部のヘタフェに変えていた柴崎は、泰然自若としていた。 「運命というか、ベストを尽くして自分なりのサッカー人生を歩んでいれば縁のある場所だと思っていました。ただ、選ばれたいと思ってもコントロールできることでもない。こうして選ばれたということはやってきたことが認められた証拠ですし、選ばれたからには果たすべき責任もあるので」 自らの強い意志で切り開き、歩んできた道に絶対の自信を持っていたからこそ、柴崎は「運命」あるいは「縁のある」という言葉を用いたのだろう。実際、9月に入ると、今度はFCバルセロナ相手に目の覚めるようなスーパーボレーを決めている。 そのバルセロナ戦で左足中足骨を骨折。長期離脱を強いられた柴崎は、ヘタフェがトップ下を置かないシステムに変更したこともあって、復帰後は出場機会をなかなか得られなくなった。アラベス戦の後半、競り合うヘタフェの柴崎(右)=ビトリア(共同) 結果としてハリルジャパンの最後の活動となった3月下旬のベルギー遠征でも、大きなインパクトを残せなかった。4月に慌ただしく船出した西野ジャパンでも、長谷部誠(ドイツ、アイントラハト・フランクフルト)と組むボランチの序列で大島僚太(川崎フロンターレ)よりも下だった。 それでも、柴崎はいい意味でひょうひょうとしていた。千葉県内で代表合宿が行われていた先月28日に、26歳の誕生日を迎えた。ロシア大会が行われる年という意味で、以前から2018年を強く意識してきた柴崎は抑揚のないトーンながら、胸中に脈打つ熱き血潮を垣間見せている。 「高校を卒業して8年ですか。プロに入ってから時間が流れるのがすごく早い。もしかすると引退するまでに、こういった気持ちをまた抱くかもしれない。だからこそ悔いのないように、これからも自分らしくサッカー人生を歩んでいきたい」 西野ジャパンで初先発を果たした、今月12日のパラグアイ代表とのテストマッチ(オーストリア・インスブルック)でフル出場。一発回答で大島との序列を逆転させた柴崎が、ロシアの地で見せてきたパフォーマンスの数々に、国際サッカー連盟(FIFA)の公式サイトも驚きを隠せない。 「柴崎の正確無比なパスは、すべて称賛に値するものだった」 パスセンスだけではない。球際の激しい攻防も厭(いと)わない闘争心。試合終盤になっても運動量が落ちない驚異的なスタミナは、西野ジャパンの快進撃を導く源泉になっている、やや華奢(きゃしゃ)に映る175センチ、62キロの体に搭載された柴崎の無限の可能性に世界中が注目している。

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    魂の抜けたメッシに届いたアルゼンチンの激情

    「崩壊」。21日に行われたグループリーグ第2戦、クロアチアに3失点の大敗を喫した翌日のアルゼンチンのスポーツ紙『オレ』の1面トップにはFWメッシが額に手を当て、目を閉じている写真とともにこのインパクトある見出しが付いた。 同紙はクロアチア戦のメッシについて「何もしなかった。プレーに関与することすらなかった」と厳しく糾弾。初戦のアイスランド戦でも「メッシ依存症」のチームは機能不全を起こし、人口33万人ほどのW杯初出場国に「辛うじて引き分け」と表現するにふさわしい低調なパフォーマンスを露呈したのである。 ただ、クロアチア戦の大敗後に同組のナイジェリアがアイスランドを下したことで、同時開催のアイスランド-クロアチア戦の結果次第ではあるが、アルゼンチンはこの第3戦でナイジェリアに勝利すれば、決勝トーナメント進出の可能性を残した。これは悪い流れから抜け出せないアルゼンチンにとって一つの朗報だった。 アルゼンチン国内で、メッシ以上の批判にさらされたのが、長年続くメッシ依存症の代表チームに何ら改善を加えることができないホルヘ・サンパオリ監督だった。クロアチア戦直後には「解任」の噂も飛び交った。 結果的に、ナイジェリア戦もサンパオリ監督が指揮を執ることとなったが、国内外の報道を整理する限り、チーム内での求心力はゼロに近いレベルまで低下したという。「指揮権剥奪」とまでは言わないまでも、選手リーダーのDFマスチェラーノとメッシを中心にして、選手主体でのメンバーや戦術の選考によるチームの立て直しが図られた。 注目のアルゼンチンのスタメンは事前の報道通り、カバジェロからアルマーニへのGK変更も含め、システムも3バックから4バック、中盤にはこれまで起用のなかったゲームメーカーのMFエベル・バネガが名を連ねた。 ここまでの2戦では、どうしてもメッシが中盤に下がってボールを受ける分、攻撃のテンポやスピードは低下していた。結局アルゼンチンは、ボールを持っていても相手にしっかりとスペースと時間を消され、うまく守られてしまう展開を余儀なくされたのである。しかし、この試合はバネガの起用で攻撃に少し変化が見えた。 その変化の象徴が前半14分、メッシの先制点のシーンだ。中盤のバネガから高精度のミドルパスを受けたメッシが抜け出し、右足でゴールネットを揺らしたが、今大会メッシがDFラインの背後に抜け出すようなシーンはほとんど見られなかった。ナイジェリア―アルゼンチン 前半、先制ゴールを決め喜ぶアルゼンチンのメッシ=サンクトペテルブルク(共同) 万能なメッシはゲームメーカーもフィニッシャーも、どちらのタスクも務めることのできる選手である。だが、過去2戦はボランチにマスチェラーノ、MFビリア、MFエンソ・ペレスという攻撃のゲームメークよりも守備やボール奪取能力で持ち味を発揮する選手が配置されたため、チームの構造上、メッシが中盤まで下りてゲームメークする役を担わざるを得なかった。アルゼンチンの快進撃は今から始まる だからナイジェリア戦で、中盤でボールを受け、長短のパスを織り交ぜてゲームを作ることのできるバネガの起用は、メッシのポジションを高く維持することに貢献したのである。アルゼンチンは先制点以降も、素早い攻撃から決定機を作り、34分にはメッシの直接フリーキックがポストを叩く。 2点目は時間の問題と思えるほどのいい内容で前半を1-0で折り返したアルゼンチンだが、後半開始直後のコーナーキックからPKを献上し、51分にそのPKをFWモーゼスに決められてしまう。同点に追いつかれたアルゼンチンの選手たちには、不必要な焦りや力みが見られ始め、メッシ依存症が再び出てしまった。 ただし、ここに効果的な「処方箋」を出したのが、他でもないサンパオリ監督だった。エンソ・ペレスに変えて、スピードが武器のMFパボンを投入。彼を右サイドに配置して、「5-3-2」のシステムでサイド攻撃から、後方に分厚く人数をかけて守るナイジェリアの牙城を崩す試みに出たのである。 追いついたナイジェリアも守るだけではなく、前線のFWムサや、途中出場のFWイガロのスピードと突破力を生かして、カウンターから勝ち越しを狙い、決定機も作ったが、サンパオリ監督はその後もMFメサ、FWアグエロと攻撃的な選手を投入して猛攻を仕掛けた。 試合が動いたのは86分、パボンからのパスを受けた右サイドバック(SB)メルカドからのクロスにセンターバック(CB)ロホが右ボレーで合わせ、アルゼンチンが2-1と勝ち越した。メッシでもイグアインでもアグエロでもなく、DFのロホが流れの中からクロスにボレーシュートを決めるという意外な決勝弾ではあったが、クロアチア戦後に国内メディアから「魂の抜けた選手、チーム」と揶揄(やゆ)されたアルゼンチンの選手たちが魂と意地を見せた勝ち越しゴールだった。 戦術面で冷静に分析すれば、特に攻撃のオーガナイズ(組織化)において、メッシに頼りすぎる、ボールを預けすぎる点がいまだマイナスに働いているシーンや時間が多く、改善の余地がある。しかし、このナイジェリア戦で必要だったのは、熱狂的かつ激情あふれるアルゼンチン国民を納得させる戦いと勝利だったのである。ナイジェリア―アルゼンチン 後半、決勝ゴールを決めたロホ(16)と抱き合って喜ぶアルゼンチンのメッシ=サンクトペテルブルク(共同) そういう意味では、リーダーとしての振る舞いとストライカーとしてのゴールという結果を見せたメッシを筆頭に、ナイジェリア戦でのアルゼンチンの選手からは大きなプレッシャーをはね返す底力、リバウンドメンタリティを感じることができた。 3連勝のクロアチアに次ぐ2位に滑り込んだアルゼンチンだが、決勝トーナメントでいきなりフランスとの対戦が決まった。とはいえ、前回ブラジル大会決勝までの道のり同様、困難を乗り越えた時のアルゼンチンは伝統的に勝ち上がる傾向にある。 おそらく今回が「最後のW杯」と言われているメッシがナイジェリア戦を大きなきっかけとして、ピッチ内外で真のリーダーとして力を発揮する下地は整った。アルゼンチンが今大会の主役に一気に躍り出る可能性も出てきた。

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    西野ジャパンを奇跡と呼ぶなかれ

    「3戦全敗もやむなし」とまで言われた西野ジャパンの快進撃が続いている。サッカーW杯ロシア大会の一次リーグで最強の敵と目されたセネガルとの一戦は、二度も追いつく驚異の粘りをみせた。予選突破は最終戦に持ち越されたが、日本代表の活躍を奇跡と呼ぶのはもうやめよう。

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    「道化」を演じ続ける本田圭佑の男気が泣けてくる

    藤江直人(ノンフィクションライター) ペロリと出した舌には、どのような意味が込められていたのだろうか。運を持っている自分をアピールしたかったのか。あるいは、散々のように浴びせられてきた批判への、ちょっとした意趣返しの思いも込められていたのだろうか。 セネガル代表に1点を勝ち越された瞬間だった。日本代表を率いる西野朗監督は、スタンバイさせていた交代選手をFW岡崎慎司(英、レスター・シティ)からMF本田圭佑(メキシコ、パチューカ)へと代えた。 岡崎を投入する意図は、前線からのプレスを強化して、1-1のまま逃げ切ることも視野に入れていたはずだ。翻って本田を先に投入した狙いは明白だ。点を取って来い。追いつき、そして追い越せ。そして、「4番」がピッチに入って6分後の後半33分、歓喜の瞬間が訪れる。 右サイドからFW大迫勇也(独、ベルダー・ブレーメン)がクロスを入れる。本田に続いて3分前に投入されていた岡崎がつぶれたことで、相手GKがうまく反応できない。逆サイドへこぼれたボールに、前半34分に一時は同点に追いつくゴールを決めていたMF乾貴士(スペイン、レアル・ベティス)が追いつく。 ゴールラインぎりぎりから、マイナス方向へワンタッチでクロスが折り返される。すぐに立ち上がった岡崎が再びつぶれたことで、相手GKも体勢を整えられない。果たして、ゴール前の密集地帯をすり抜けてきたボールは、反対側となる右サイドへ詰めてきた本田の目の前に転がってきた。 決して簡単なシュートではなかったはずだ。パスにスピードがあったうえに、本田の目の前で微妙に弾んでいた。それでも落ち着き払った32歳は、利き足の左足のインサイドを完璧に合わせる。目の前には195cm、89kgの巨漢DFカリドゥ・クリバリ(伊、ナポリ)がいたが、シュートは右ポストとの間を射抜いてゴールへと吸い込まれていった。 「今回も同じように一発目のシュートが決まる気もするし、そういうのを決めないと話にならないと思っている。これまでもぶっつけ本番で結果を出してきたことが何度もあるし、いろいろなシチュエーションを想像する、というところは自分の強みのひとつだと思っているので」 日本を発つ前に、本田は不敵な笑みを浮かべながらこんな言葉を残していた。コロンビア代表との初戦を見すえた言葉だったが、実際のコロンビア戦ではゴールではなく、交代出場から3分後に決まった大迫の決勝ゴールを絶妙な左コーナーキックからアシストしている。ゴールを決める本田圭佑=2018年6月、エカテリンブルク ちなみに過去2度のワールドカップでは、本田は7試合すべてで先発フル出場を果たしている。ここで言及した「ぶっつけ本番」や「いろいろなシチュエーション」には、日本代表ではなかなか縁がなかった、試合の流れを変えるスーパーサブを想定していたのかもしれない。 そして、セネガル戦で放った最初にして唯一のシュートで、有言実行を成就させた瞬間にさまざまな記録が生まれた。ワールドカップにおける日本代表の最年長ゴール。すべてアフリカ勢から奪った、日本人初のワールドカップ3大会連続ゴール。アジア勢でも初めてとなるワールドカップ3大会連続のゴール&アシストは、世界を見渡しても6人目の偉業となった。本田が見つけた居場所 何よりも特筆されるのは、突出した個々の能力に組織力を融合させた強敵セネガルと引き分けたことで、日本時間28日深夜にキックオフを迎えるポーランド代表との最終戦で引き分け以上の結果を残せば、2大会ぶり3度目の決勝トーナメント進出を決められる状況を作り上げたことだ。 ヒーローとなった本田はしかし、コロンビア戦の前から逆風にさらされていた。大迫の決勝弾をアシストしたとはいえ、その後は日本にとって危険な場所でのボールロストが目立ち、失点を招きかねない不用意なミスパスもあった。 プレーそのものにスピードが欠ける分だけ、どうしても日本の攻撃がノックダウンを起こしているようにも映った。武器としてきたボールキープ術を支えてきた、強靱(きょうじん)なフィジカルコンタクトも衰えてしまったのか。簡単にピッチに転がされるシーンも少なくなかった。 それでも、前出の「一発目のシュートが決まる気もする」に象徴されるような、いわゆるビッグマウスを放つことを本田は厭(いと)わない。しかし、確固たる結果を残していない以上は、ファンやサポーターから寄せられる批判がさらにヒートアップする悪循環を招く。 自身と香川真司(独、ボルシア・ドルトムント)がベンチに座ったまま、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督に率いられた日本代表が昨年8月のオーストラリア代表戦で快勝。6大会連続6度目のワールドカップ出場を決めた直後には、本田はこんな言葉を残した。 「一番の収穫は、僕や(香川)真司が出なくても勝てたということ。当然ながら僕や真司はそこに危機感を覚えるわけですよ。いままでだと、統計的に見ても僕や真司が出なければ、よくない試合や勝てない試合が多かった。でも、実際に勝ってしまった。僕らはもう必要ないんじゃないかと当然ながら言われるわけですけど、それがいいことやと思っています。それが次につながりますし、逆に僕らとしてはまたコンディションを上げていかなければいけないわけですから」 そのハリルホジッチ氏の電撃解任に日本サッカー界が揺れていた最中の今年5月14日には、本田をフィーチャーしたNHK総合の『プロフェッショナル 仕事の流儀』がオンエア。そのなかで本田が発した言葉が、大きな波紋を広げてもいる。 「ハリルのやるサッカーに、すべてを服従して選ばれていく。そのことの方が僕は恥ずかしいと思っているので。自分を貫いた自分に誇りは持っています」ベンチで試合を見つめる本田圭佑=2018年6月、エカテリンブルク 収録そのものはハリルホジッチ氏の解任前であり、ハリルジャパンの最後の活動となった、3月下旬のベルギー遠征で指揮官の要求に対して目に見える結果を残せなかったことへの言葉でもあった。 しかし、日本サッカー協会の田嶋幸三会長が、前監督の解任理由を「選手たちのコミュニケーションや信頼関係が薄らいできた」と説明していたことと相まって、水面下で本田が絡んでいるのでは、という臆測がより激しく飛び交う状況も招いた。西野ジャパンの防波堤に 西野ジャパンの先行きに対して懐疑的な視線が向けられながら千葉県内でスタートした、先月下旬の日本代表合宿中にはこんな言葉も発している。 「前々回の(南アフリカ大会の)ほうが、精神的には少し近いですかね。前々回はジタバタしても仕方がないという状況でしたし、覚悟を決めて、とにかく冷静に大会へ入ることだけに集中していた。今回もジタバタしている状況であるのは間違いなく、だからといって焦っても、プレッシャーを感じても仕方がない。いまの時点でネガティブなことを言ったところで、大事な試合はやって来るし、そこでは勝利を求められる。その意味では、いまはネガティブな部分はあえて封印すべきだと思っているので」 そのうえで、一部メディアから「代表はやりやすくなったか」と問われると、不敵な笑みを浮かべた本田はこんな言葉を返してもいる。 「そうですね。やりやすくなってきました」 メディアを介して伝えられれば、火に油を注ぐかのごとく、批判の嵐がさらに激しくなりかねない。そうした状況を承知のうえで、本田はエッジの効いた言葉を発し続ける。その意図はどこにあるのか。ひとつは逆風を前へ進むためのエネルギーに変えてきた、本田の生きざまに求めることができる。 「追い込まれるほど力を発揮する。だから『本田圭佑』なんです」 前出のNHK総合の番組内ではこう言い放った本田は、ACミラン(伊)に所属していたときに訪れた、ミラノ市内の日本人学校で子どもたちにビッグマウスの裏側を明かしている。 「自分が弱い人間だということを知っているから、僕は逃げ道を遮断しようとしたんですね」 自分自身に最大級のプレッシャーをかけることで、結果を残さなければいけない状況を進んで作り出す。メディアに対して虚勢を張り続ける、不器用にも映るサッカー人生の軌跡には、セネガル戦で決めた歴史的なゴールが鮮明に刻まれた。その瞬間に批判を称賛の嵐に変えて見せた。舌を出して喜ぶ本田圭佑=2018年6月、エカテリンブルク もうひとつはチームのなかでは、対照的な役割を演じていることだ。陽気なキャラクターでムードメーカーを自負するDF槙野智章(浦和レッズ)が、ファンやサポーター、そしてメディアからはうかがい知れない、ホテル内でのこんな一幕を明かしてくれたことがある。 「食事会場における笑い声や話し声、あるいは話し方で自然と中心にいるのは間違いなく本田選手だと思います。僕は本田選手に引っついて、わちゃわちゃしていますけど」 もしかすると、笑顔の中心となり、時にはいじられ役にもなるという本田が本当の素顔なのかもしれない。屈強なメンタルの持ち主でもある本田が対外的な批判を一身に浴びて、一致団結すべき西野ジャパンの防波堤をなしてきた―。そう見るのはちょっと考えすぎだろうか。 いずれにしても、本田自身は3度目となるロシア大会を、最後のワールドカップと位置づけている。スーパーサブにしてムードメーカーという新境地で、どんな状況でもブレない芯の強さを触媒としながらいぶし銀の存在感を放ち、西野ジャパンを縁の下から支えている。

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    一枚上手だった西野ジャパン「カメレオン攻撃」とホンダ采配の妙

    保持→前進」という攻撃の2段階を実行することに成功したのだ。西野監督は「待っていた」 サッカーというスポーツの目的は、攻撃では「ゴールを奪う」、守備では「ゴールを守る」こと。日本でよく使われる「パスサッカー」や「ボールポゼッション」はあくまで目的を達成するための手段でしかない。 サッカーにおける攻撃には①ボール保持、②前進、③フィニッシュという3局面があり、「ビルドアップ」とは「最終ラインでボールを保持し、ボールを敵陣に前進させることを狙う」状況、つまりは①から②への移行を探る局面のことを指す。 相手の前線でのプレスの陣形を事前に予想して「カメレオン式」とでも呼べる多様なビルドアップの形を複数用意したこと、セネガルのサイドの守備がマンマーク対応になることを見越して両SBを高い位置に配置したことで、結果として日本は試合を有利に進めることができた。それは端的に「日本スカウティング能力の勝利」と表現することができるだろう。 また、71分に1−2とセネガルに勝ち越されながらも、本田圭佑、岡崎慎司と矢継ぎ早に前線の交代カードを切って、同点弾をもぎとった西野監督の采配の妙もこの試合では出た。初戦コロンビア戦同様、西野監督はこの日も「持っていた」。日本―セネガル戦、試合を見つめる西野監督=2018年6月24日、エカテリンブルク(共同) 不要論、逆風が吹き荒れていた本田も、この同点弾で改めて決定力と勝負強さをアピールした。大会直前のガーナ、スイスとの親善試合における本田のパフォーマンスと、試合を重ねるごとに上がる香川のコンディションとのコントラストから、このゴールを奪ったところで本田が次のポーランド戦で先発することはないだろう。 しかし、途中交代で短い時間の出場にとどまったとしても、本田はベンチからしっかりと戦況を分析し、監督からのタスクを踏まえて「チームとして個人として結果を出すためにすべきプレー」を理解して試合に入ることのできる、頭の良い選手だ。「日本にホンダあり」を知らしめた 2試合共に途中出場ながら1ゴール、1アシストという結果をW杯という大舞台であっさりと出してしまう点は「さすが本田」としか言いようがない。これで3大会連続のゴール記録を達成し、改めて世界に「日本にホンダあり」をアピールした。 本田のゴールをお膳立てすべくゴール前でつぶれ役となるプレーを連続してやってのけた岡崎も含め、今の日本代表にはW杯の経験があるベテラン選手が「脇役」を買って出る犠牲心がプレーの端々から見える。もちろん、彼らとてベンチを温める現状に満足はしていないであろうし、心中穏やかではないはずだ。 しかし、その悔しさを不満ではなくプラスのモチベーションに変えてプレーしているのが本田、岡崎といったベテラン選手たちだ。ここでは短い時間とはいえ出番をもらえている本田、岡崎の名前を挙げたが、まだベンチにはロシアW杯のピッチに立てていない選手が多数控えている。 23名ものプロサッカー選手が集まれば当然のように個人のエゴや思惑がうごめくもの。ましてやW杯のように4年に1度、レベルの高い選手にとっても「キャリアで一度出場できるかどうか」の大会ともなればなおさらだ。 われわれはピッチ上での試合しか目にすることができないが、日常生活を含めて1日24時間の変遷の中で、「生き物」として見た時のチームには、われわれの日常と同じ喜怒哀楽と問題が必ず存在する。日本対セネガル戦、ゴールを決め祝福を受ける本田圭佑=2018年6月24日、ロシア・エカテリンブルク(撮影・中井誠) 毎試合後のフラッシュインタビューでは神妙な面持ちで言葉を選んでコメントする本田ではあるが、人として選手として多くの修羅場をくぐり抜けてきている彼は、今の日本代表チームという生き物には欠かすことのできない心臓部だ。 過去2大会とは異なり、ピッチ上で絶対エースではなくなった。それは事実。しかし、同時にピッチ内外で必要な存在であることもいまだ変わらぬ事実である。それをゴールというインパクトで知らしめたセネガル戦ではなかったか。

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    城氏が現地分析、なぜ西野ジャパンの得点力はアップしたのか?

    城彰二(元日本代表FW)(THE PAGEより転載) 西野采配が見事にはまった。本田も存在感を示した。試合の中身として日本らしさを存分に出した。2度、リードされ、追いついた執念も評価したい。だが、勝てる試合を勝ちきれず勝ち点「3」を逃した……もったいない……それが正直な感想だ。 この試合に得点をつけるとすれば「60点から70点」というところか。ワールドカップは、最後の最後まで何が起こるかわからない。ここで決めきれず、そういう得体の知れない何かを最後のポーランド戦へ残してしまったのである。 序盤は日本にチャンスがあった。コロンビア戦を3戦目に残すセネガルは、この試合に必勝を誓い、大胆にシステムを変えてきた。ボランチの2人を縦に近い形に並べ、攻撃的な布陣を組んできたのだ。おかげで中盤に思いの外、スペースが空くことになり日本はボールを回せた。どこか判断に迷いが見えるGK川島のパンチングのミスで、前半11分に先に失点したが、34分に柴崎―長友―乾の連携で、すぐさま同点に追いつく。このゴールが大きかった。 柴崎のハーフライン手前付近からのロングボールに、「裏が空くので、そこをずっと狙っていた」という長友がディフェンスラインの裏に走りこんでペナルティエリア内で、高い技術力でボールを止めて、相手の逆をついて戻してキープ。そこに一度、引いて受けるように構えていた乾が絶妙のタイミングで連動してきた。乾のゴールは、膝下だけを振り切ったシュートで“そこしかない”というコースを狙い打った。素晴らしいシュートだった。 ディフェンス組織が乱れたセネガルは、ゲイエを下げボランチを横並びにして中盤のシステムを元に戻してきた。後半26分にまた勝ち越し点を許すと、西野監督が動いた。後半27分に本田、続いて30分に岡崎を投入して、大迫―岡崎の2トップにして、本田を右のハーフサイドに置き、「4-4-2」のシステムで点を取りに行った。 それまでボールは回せるが、前線に攻撃の起点を作れなかったため、最後のところで崩せずに苦労していた。だが、西野監督は、その起点を作って点を取りにいくという明確な意図を持って、キープ力のある本田と、ゴールへ飛び込みディフェンスを翻弄する運動量のある岡崎を続けて入れることで流れを変えようとした。セネガル戦の前半、指示を出す西野朗監督=2018年6月、エカテリンブルク 後半33分。乾の折り返しをGKが飛び出していないゴールに叩き込んだ本田のシュートだが、実は、そのボールはバウンドして浮いていた。咄嗟に本田は、ボールを上から抑えるようにしてインサイドで打った。そこに詰めていたポジショニングもさることながら、焦ってシュートをふかしてもおかしくない場面で“決めきる”落ち着きと経験値、そして技術。“さすが”としか形容ができない。スタメンから外されても決して腐ることなく、サイドラインから乾らにアドバイスを送っていた。これが本田が“持っている男”になれる理由なのだろう。 セネガルの攻撃の生命線であるサール、マネとのサイドの攻防も日本は制した。左サイドは、長友に乾、右サイドは酒井宏に原口。1対1では勝てないが、2人で挟み、2人が互いにカバーし合うというグループ戦術でカバーした。楽観論は捨てたほうがいい ディフェンスは、どこでプレスをかけ、どこでボールを奪うのか、という狙いどころについての意識を全員が共有しており不安視されていたセカンドボールの攻防でも負けてはいなかった。アフリカのチーム特有の個々の身体能力の凄さに、日本は、グループや連携という“和の力”で対峙した。ワールドカップという舞台で、日本らしさを見事に表現した意義は大きいだろう。 ただセネガルのチームコンディションはよくなかった。そのスピードと畳み掛けるような攻撃力に目が眩んだのは最初の15分までだった。中4日の間のリカバリーに問題があったのだろうが彼らは日本を舐めてかかっていたのかもしれない。 ワールドカップの2試合で4得点。これまでが嘘のように得点力がアップした理由のひとつが柴崎の存在にある。アイデアにあふれた縦パスを軸にした彼のゲームメイク力だ。落ち着き、ピッチ全体を俯瞰で見て、プランを練ることができる。最初の同点を演出したのも彼のディフェンスの裏を狙ったロングボール。  日本代表の合宿地のカザンで彼を取材したとき、「セネガル戦は僕の出来が勝敗を分ける」と断言していた。それは、スペインでプレーしてきた彼の自負のようなものであり、ピッチ上での覚悟だと感じた。それが勇気のいる縦パスを生みだす背景なのだろう。前半、セネガルの選手と競り合う大迫勇也=2018年6月、ロシア・エカテリンブルク(甘利慈撮影) だが、勝てる試合に勝てなかった理由は、最後の詰めのところでの精度不足がある。乾の一撃は、ゴールポストに嫌われ、大迫もゴール前での決定的なチャンスを逃している。まだ決定力不足が解消できたとは言い難い。彼らが、真のストライカーと呼ばれるためには、あそこを決めきる精度が求められる。 グループHのもう1試合、ポーランド対コロンビアは、日本に金星を与えたコロンビアが3-0で圧勝した。このグループでFIFAランキング最上位にあったポーランドの敗退が決まった。日本が28日に戦う第3戦の相手は、そのポーランドである。もうポーランドにはモチベーションがなくなり抜け殻になったチームだと考えるのは間違っている。ここは4年に一度のワールドカップなのだ。 おそらくポーランドはメンバーを変えてくるだろうが、激戦区のヨーロッパを勝ち抜いてきたチームのプライドを持って必ず1勝を取りにくる。日本は引き分けでも決勝トーナメントへ進出できるが楽観論は捨ててかかった方がいい。

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    今なお響くオシム金言「信じよ。相手をモンスターと思うな」

    きひこ)/ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒。スポーツ人物論、民族問題の取材を続けている。主な著書に『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムの言葉』『争うは本意ならねど』『徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男』『爆走社長の天国と地獄 大分トリニータv.s.溝畑宏』など。6月24日(日)、大阪隆祥刊書店にて『オシム 終わりなき闘い』発刊記念トークイベントを開催予定。http:/atta2.weblogs.jp/ryushokan/関連記事■ 「不思議ちゃん」評の香川真司 ストレスは長友の歌声か■ 西野ジャパンで流行「ハセベる」という単語の意味■ 本田圭佑 孤高の存在どころかチームのムードメーカーに■ ヘーレンフェーン小林祐希 「目前で消えたW杯」を語る■ 本田圭佑に唯一ツッコめる槙野智章、控室BGMの選曲も担当