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    五輪招致活動の顔はJOCや招致委だが頭脳と手足は電通

    ガーディアン紙が報じたところによれば、東京五輪招致活動に際して、開催地決定の投票権を持つIOC(国際オリンピック委員会)委員に総額2億3000万円が流れていたという。同紙では広告代理店最大手「電通」が繰り返し登場する。しかし電通の知名度は、関わりの有無によって大きく分かれる。関係する人には「巨大な影響力を持つ会社」だが、直接関わりがなければ「何をやっているかよくわからない会社」に見える。 無機質な説明をすれば、「日本最大の広告代理店」だ。年間売上高は4.6兆円。業界2位の博報堂DYホールディングス(同1.1兆円)を引き離し、国内シェア25%を占める。 一般的にはテレビCMや新聞・雑誌広告の企画・制作や営業を行なうビジネスで知られ、テレビ局や新聞社、出版社などメディア界や、スポンサー企業にとっては欠かせない存在となっている。だが、「自社の宣伝」をしているわけではないので、視聴者や読者に電通の企業イメージは沸きにくい。 しかも社員4万7000人の巨大組織における最大の「花形部署」はいわゆる「広告」を扱う部署ではなく、「スポーツ局」といわれる。ジャーナリストの伊藤博敏氏が解説する。「約150人の局員はそれぞれ得意のスポーツ分野を持つ精鋭で、テレビ放映権を扱い、有名選手をサポートする。イベントやスター選手を招致してスポンサーを探し、グッズ販売も企画して収益化するなど、あらゆるスポーツをビジネスに変えてきた」 電通と国際スポーツイベントの関わりの嚆矢は、1977年の「サッカーの神様」ペレの引退試合だ。「サッカー未開の地だった日本に世界的ヒーローを招き、国立競技場は超満員となった」(同前) 史上初の民間運営方式で進められた1984年ロサンゼルス五輪では、日本でのエンブレムやマスコットキャラクターの使用許諾権などの独占契約を結んだ。以降、「電通に頼まなければ、五輪ビジネスは成功しない」という“常識”が、スポーツ界やテレビ局に浸透した。その後、2002年の日韓W杯でも招致や運営面で電通は力を発揮した。 世界的な景気減速の中でも国際スポーツビジネス市場は不況知らず。電通にとって東京五輪が過去最大の商機になることは間違いない。だからこそ招致への意気込みは強かった。 「リオデジャネイロに敗退した2009年以来、国際的な働きかけが拙いJOCや都庁の尻を叩いてロビー活動を推進してきたのが電通でした」(都庁関係者) 当然、都庁や招致委の「電通頼み」は強くなっていく。2016年五輪招致活動が佳境を迎えていた2009年3月には、東京都議会でこんなやり取りがあった。 招致活動のための基礎調査などが電通に特命随意契約で委託されたことが野党議員から「癒着」と批判されると、石原慎太郎・都知事(当時)は、「電通が持っている影響力は、他の広告会社では及ばない。選ばざるを得ない」と答えた。口調や状況こそ違うが、竹田恒和JOC会長の答弁と同じく“電通に丸投げするしかない”という率直な心情が分かる。 石原氏も認めた「電通の影響力」を端的に示す写真がある。それは、電通の社史(『電通100年史』)に掲載されたもので、撮影は2000年。当時の成田豊・社長と握手を交わす黒人紳士は、今回の疑惑の渦中にいるラミン・ディアク氏だ。ディアク氏はその1年前に国際陸連会長とIOC委員に就任していた。 この2000年から、電通は世界陸上をはじめとした国際陸連が主催する大会の国内テレビ放映権を獲得した。「電通の人脈力」を物語る写真といえる。『電通とFIFA』の著者・田崎健太氏はこう解説する。「電通は日本では最もIOCの理事や委員にパイプがある企業です。そのため人脈に不安があるJOCは電通に頼らざるを得ない現実がある。招致活動の顔はJOCや招致委であっても、頭脳と手足は電通なのです」関連記事■ 五輪の各種独占権を持つ電通 東京五輪特需で株価の上昇期待■ 五輪危機レスリング 米国や日本のスポンサーで存続可能性も■ 五輪招致失敗で最大のダメージ受けるのは安倍晋三首相との声■ 92年ぶり五輪復活のラグビー IOCへのロビー活動は一切なし■ 6000人参加 都庁五輪招致報告会は8000人にメールで参加誘う

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    電通と五輪マネー「裏金疑惑」の真相を読む

    目下、東京五輪招致の不正疑惑で最も注目を集めているのが、広告代理店最大手「電通」が果たした役割である。ネット上ではさまざまな憶測が飛び交うが、どこまでが真実でウソなのか、関係者も含めフランス検察当局の動きを注視する。巨大な利権にまみれた五輪マネー。にわかに浮上した「裏金疑惑」の真相を読む。

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    竹田JOC会長の五輪招致活動をめぐる矛盾した発言

    てトリプル選挙です。通算10回目 フランスのクーベルタン男爵(1863年生、1937年没)が提唱したオリンピック。ゼウスの神殿のあったオリンポスで古代競技会が開催されていたことに由来して命名されました。 第1回は1896年アテネ大会(以下、「大会」は省略)。1900年パリ、1904年セントルイスまでは同時開催の万博の余興的存在。1908年ロンドン、1912年ストックホルムの頃から体制が整い始めたそうです。冬季大会の第1回は1924年シャモニー(フランス)。 1988年ソウル以降、オリンピック終了後、パラリンピックも開催。1994年リレハンメル以降、4で割り切れる年の夏季大会、中間年の冬季大会の交互開催が定着しました。 開催都市は北半球が大半。南半球での夏季大会は1956年メルボルン、2000年シドニー、2016年リオデジャネイロの3回。冬季大会は開催実績がありません。 南半球は開催可能な経済力を有する国が少ないこと、降雪量が少なく、ウィンタースポーツの設備が十分でないことなどが影響しています。 アジア開催は、夏季が1964年東京、1988年ソウル、2008年北京、2020年東京の4回。冬季は1972年札幌、1998年長野、2018年平昌、2022年北京の4回。北京は夏季冬季両方を開催する初めての都市になります。 中南米開催(夏季)は、1968年メキシコシティー、2016年リオデジャネイロの2回。南アフリカが候補に挙がったことはありますが、アフリカでは未開催。 この間、歴史の波に翻弄されています。第1次大戦の影響で1916年ベルリンが中止。1936年ベルリンでは、ナチスが国威発揚に利用。聖火リレーが始まったのもこの時です。 第2次大戦の影響で2度流会した後、1948年ロンドンで再開。敗戦国のドイツと日本は招待されませんでした。 1952年ヘルシンキにソ連が初参加。東西冷戦の影響から、米ソのメダル争いが過熱。中国と台湾、東西ドイツ、韓国と北朝鮮等の対立も競技を過熱させました。 1968年メキシコは黒人差別反対運動の場となり、1972年ミュンヘンではアラブゲリラによるイスラエル選手に対するテロ事件が発生。 1976年モントリオールでは、ニュージーランドのラグビーチームが南アフリカに遠征したことに反発し、アフリカ諸国22ヶ国がボイコット。 1980年モスクワでは、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して米国・西ドイツ・日本等の西側諸国がボイコット。1984年ロサンゼルスでは東欧諸国が報復ボイコット。 冷戦終結後の1996年アトランタでもオリンピック公園を標的としたテロが発生。2008年北京では貧富の格差を放置しての開催に反対するデモが頻発。 2014年ソチでは、ロシアの「ゲイ・プロパガンダ禁止法」に抗議して、米国・ドイツ・フランス等の欧米諸国首脳が開会式欠席。 大会規模の巨大化に伴い、開催国の財政負担も増大。1976年モントリオールでは大幅な赤字発生。以後、立候補都市が減少しました。 1984年ロサンゼルスの大会組織委員長ユベロス氏がオリンピックのショービジネス化を推進。スポンサーを「1業種1社」に絞り、スポンサー料を吊り上げ、黒字を達成。 国際オリンピック委員会(IOC)委員長にサマランチ氏が就任後、商業主義が加速。利権の温床となり、放映権の高騰、IOC委員へ賄賂提供等、問題が深刻化しました。 現在のIOCの収入構造は、47%が世界各国での放映権料、45%が「ワールドワイド・パートナーまたはTOP(The Olympic Programme)」と呼ばれるスポンサーからの協賛金です。 クーベルタン男爵の強い勧めによって、日本は1912年ストックホルムに初参加。1928年アムステルダムから女子選手も参加。1940年東京(夏季)、1940年札幌(冬季)招致に成功したものの、日中戦争激化の影響下、自ら開催権を返上。 戦後、1960年開催に立候補するも、わずか4票で落選。1964年東京(夏季)、1972年札幌(冬季)、1998年長野(冬季)招致に成功する一方、夏季は1988年名古屋、2008年大阪、2016年東京招致に失敗。2020年東京は、通算10回目の招致挑戦でした。コンサルタント料コンサルタント料 ところで、スクープ報道で知られる某月刊誌が2月に「東京五輪招致で電通買収疑惑」と報じました。 それから3ヶ月、5月11日に英紙「ガーディアン」も招致委員会(以下、招致委)が裏金(賄賂)を関係者に渡していたと報道。月刊誌も英紙も同じ英国人記者の記名記事です。 東京開催決定は2013年9月。その前後の7月と10月、招致委がシンガポールのブラックタイディングズ社(BT社)に約2億2300万円を送金。これが開催地決定の票買収の賄賂だったとの指摘です。 5月12日、フランス検察当局がこの事実を追認し、BT社は国際陸上競技連盟(IAAF)前会長ラミン・ディアク氏、パパマッサタ・ディアク氏親子に関係するとの声明を発表。 ディアク親子は五輪開催地選考に強い影響力を持ち、IOC委員を兼任していたラミン氏は「アフリカ票」のとりまとめ役。つまり、ラミン氏に働きかけるためにBT社に資金提供したという構図です。 フランス検察当局の声明を受け、BBC、CNN等の海外主要メディアが続々と疑惑を報道。シンガポール現地紙によると、BT社登録地は集合住宅内。BT社代表(イアン・タン・トン・ハン氏)の母親を名乗る女性が居住。BT社は2014年7月に廃業。資金洗浄(マネーロンダリング)目的のペーパーカンパニーだったと報じています。 英紙等によると、ハン氏は日本の電通と関係が深く、上記の資金授受に介在したのも大会組織委員会理事である電通元専務と報じられています。 5月13日、竹田恒和日本オリンピック委員会(JOC)会長(招致委理事長を兼任)が、本件に関して「資金はコンサルタント料」「賄賂等の不正はなかった」と釈明。 5月16日、国会に参考人招致された竹田氏は「正式な業務の対価」「票獲得に欠かせなかった」「BT社から売り込みがあった」「BT社は電通に紹介された」という趣旨の発言。要するに、事実関係を認めたということです。 一方、竹田氏は、BT社がディアク親子と関係が深いこと、ペーパーカンパニーであることは「知らなかった」と弁明。竹田氏の発言は信じ難いですが、招致委にBT社を紹介した電通はこの事実を知っていたと考えるのが普通です。 竹田氏は「支払いは公認会計士の監査・指導を受けた」「送金先について詳細は承知していない」「事務局が必要と判断した」「招致活動はフェアに行われたと確信する」と抗弁。 しかし、「詳細は承知していない」のならば、なぜ招致活動がフェアであったと「確信する」ことができるのか。論理矛盾した発言です。 2億2300万円のコンサルタント料でどのようなコンサルティングを受けたのか、説明と証拠提示が必要です。監査法人の関与は不正否定の根拠にはなりません。 さらに深刻な問題は、日本のマスコミがこの事件を詳細に報道しようとしないこと。その理由は「マスコミが電通に頭が上がらないから」と言われています。 今年1月、朝日・毎日・読売・日経の全国4紙はJOCと15億円の「オフィシャルパートナー契約」を締結。その仲介はもちろん電通。及び腰の背景が透けて見えます。 五輪エンブレム盗用問題、白紙撤回となった新国立競技場のザハ・ハディド氏案を巡っても電通が関与。開閉屋根式の競技場にこだわったのは、電通がコンサート会場への転用を計画していたからとの情報もあります。 菅官房長官は記者会見で「フランス検察当局の開示した事実を政府として把握に努める」と述べるのみ。本来であれば、第三者か政府による独自調査が必要ですが、ヤル気なし。 五輪規則では招致を巡る不正行為を禁止していますので、賄賂が事実であれば、開催辞退という展開も否定できません。 英国「デイリー・ミラー紙」は五輪招致で東京に敗れたトルコ(イスタンブール)オリンピック委員会のアクソイ副事務総長のコメントを報道。 曰く「不正が認定された場合、東京の開催権を剥奪すべき。敗退したイスタンブールとマドリードの代替開催は間に合わないので、ロンドンで開催すべき」と言及しています。 1970年開催が決まっていた米国デンバーでは、地元住民の反対運動から1972年10月の住民投票で開催返上が決定。1973年2月、インスブルックに開催地が変更されました。1940年東京も日中戦争激化の影響で開催返上。「幻の東京オリンピック」と言われました。ゼウス・ホルキオスゼウス・ホルキオス それにしても、なぜ五輪を開催したいのでしょうか。経済効果が目的とも言われますが、本当に経済効果はあるのでしょうか。 インフラ整備の遅れている新興国であれば理解できます。高速道路や新幹線を整備した1964年東京はその典型例。しかし、先進国での経済効果は期待薄。インフラ整備は進んでおり、新興国ほど投資は伸びず、経済規模も大きいのでプラス効果もわずか。 東京都の試算では、2020年東京の経済的な直接効果は1兆2200億円、波及効果は2兆9600億円。直接効果の対GDP(国内総生産<約500兆円>)比はわずか0.24%。ほとんどゼロと言っても過言ではありません。 逆に大会後の「オリンピック不況」が懸念されます。公共投資、それに付随した民間投資、民間消費が落ち込むためです。観光客増も大会中のわずかな期間。 2008年北京の場合、前年に14%を超えた経済成長率が開催年と翌年は9%台に鈍化。1988年ソウル以降の夏季6大会で、開催年より翌年が上昇したのは1例だけです。 一方、莫大な費用が重荷になります。1976年モントリオールは大幅な赤字を出し、2006年までの30年間、特別税を徴収して債務を償還しました。 大量失業と債務危機に直面していた中での1992年バルセロナでは、オリンピックは「飢えの競技会」だと酷評されました。 2004年アテネは施設建設費等を国債で賄ったことが、2010年のギリシャ危機、財政破綻につながりました。ユーロを導入したことで、簡単に借金できたことも一因です。 こうした懸念に対し、東京都の招致決定前の説明では「既存施設を改装して活用」「運営費はチケット収入やIOC予算等で賄い、税金は使わない」としていましたが、決定後の費用見積もりは急膨張。 意外にも、五輪開催の経済効果に関する専門家の定説は「招致決定都市より、最終候補都市(次点都市)の方が良い経済効果が得られる」ということです。 五輪開催の経済効果を研究テーマとしているビリングズ教授(ノースカロライナ大学)、ローズ教授(カリフォルニア大学)、マセソン教授(ホーリークロス大学)、ジンバリスト教授(スミス大学)等の分析によって、いくつかの特徴が明らかになっています。 共通するのは、最終選考まで残った都市は既に勝者との結論。最終選考に残るための先行公共投資等が奏効する一方、実際に開催するための費用負担を回避できるためです。 1950年から2006年までの五輪開催地となった国々を分析した結果、選考過程の対策として行った貿易や為替取引の自由化等の効果によって貿易量が30%増加したそうです。 五輪は非常に費用がかかるイベントであり、開催都市が費用を埋め合わせるだけの経済効果は得られないとの評価で一致。 将来の維持管理を要する施設建設費用が嵩み、開催が近づくと例外なく追加費用が発生。また、9.11後、警備費用が膨張。1984年ロサンゼルスのように黒字になる五輪開催は難しいとしています。 さらに、五輪招致に成功する都市とは、特別な利益を追求する不透明な利害関係者の結束の強い都市であるとの警鐘を鳴らしています。 招致を勝ち取るのは、建設会社、広告代理店、競技団体等、多くの利害関係者が招致決定に向けて努力する都市。今回の賄賂騒動を鑑みると、もっともな指摘です。 2020年東京が日本の財政に与える影響も注視が必要です。東京圏以外でも、観光客を当て込んだ諸事業が活発化し、各地でインフラ整備等が加速するでしょう。 1964年東京の際も、翌年の「昭和40年不況」対策で戦後初の国債発行に至りました。たしかにインフラ整備は進みましたが、日本の財政悪化の端緒だという指摘もあります。 オリンポスの主、ゼウスは宇宙や天候を支配する天空神。強力なケラウノス(雷霆<らいてい>)を武器とし、ゼウスがケラウノスを使うと世界を一撃で破壊します。 オリンポスで4年に1度開催される古代競技会はゼウスを讃える大祭。開催期間中、戦士は戦争を止め、競技会に参加するためにオリンポスに向かい、「不正を決して行わない」という宣誓「ゼウス・ホルキオス(誓いのゼウス)」を捧げ、競技に参加したそうです。 ゼウスは弱者の守護神、正義と慈悲の神、悪者を罰する神。不正を行った者には容赦のない荒ぶる神。経済効果試算や招致活動に不正がなかったことを祈ります。

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    東京五輪不正疑惑 「電通」の名を報じぬ各局の見解

     東京五輪招致活動に際して、開催地決定の投票権を持つIOC(国際オリンピック委員会)委員に総額2億3000万円も渡していたという贈収賄疑惑が大きな話題になっている。そのスクープを報じた英ガーディアン紙の記事には、その疑惑の鍵を握る存在として日本の広告代理店最大手「電通」の名が繰り返し登場する。同紙は、「疑惑と電通の関係」にさらに踏み込んでいる。世界反ドーピング機関の報告書を紹介するかたちでこう記していた。〈BT(ブラック・タイディングス)社(電通が送金をした相手であるシンガポールのコンサルタント会社)の口座は、アスリート・マネジメント・サービス社(以下、AMS社)のコンサルタントであるイアン・タン・トンハン氏によって管理されている。AMS社は(電通関連会社の)電通スポーツがスイスのルツェルンに作り、国際陸連から与えられた商業的権利の配分を行っている〉 それが事実ならば、国会に参考人として呼ばれた竹田恒和JOC会長が答えたように、電通から招致委への「(BT社は)実績がある」という説明が、お手盛り推薦だったという問題も浮上しかねない。 海外の疑惑拡大にも関わらず、国内メディアが電通の名を報じる例は少ない。 ガーディアン紙報道の2日後から新聞各社はこの問題を報じたが、「電通」と企業名を書いたのは14日の朝日朝刊が最初。記事の最後でわずかに触れたのみだった。テレビ各局は、本誌が放送の録画を確認する限り、16日の竹田氏の国会答弁を『報道ステーション』などが報じるまで、電通という言葉は確認できなかった。 逆に電通の存在を“消す”報道もあった。ガーディアン紙の記事の核心は、複雑な資金の流れを説明する相関図にあった。そこには「Dentsu」も登場するのだが、テレビ朝日やTBSのニュースで紹介された図は、ガーディアン紙を出典としているにもかかわらず、「電通抜き」のものだった。 この件について、テレビ朝日は「5月12日放送時点では、事実関係が確認できた図を放送した。現在は電通についても必要に応じて報道しています」(広報部)、TBSは「放送内容についてのお問い合わせは、お答えしておりません」(総務局広報部)とそれぞれ回答した。博報堂出身で『電通と原発報道』の著作がある作家・本間龍氏が指摘する。「及び腰の正体はメディアの自主規制。特にテレビに顕著ですが、代理店の機嫌を損ねたくないのです。テレビ局側は“代理店を怒らせたらCM枠販売に支障が出る”と懸念し、勝手に報道を自粛してしまう。各局とも広告収入が減る中で、遠慮が大きくなっている」 さらに、電通と各テレビ局は五輪をはじめスポーツ中継やイベント開催などで密接な協力関係にある。また、朝日、読売、毎日、日経の大手新聞4社も、東京五輪のオフィシャルスポンサーとして合計60億円のスポンサー料をJOCに支払うことが決定している。“東京五輪ビジネスの仲間”であることも尻込みする一因なのか。関連記事■ オウム事件 1週間に40~50時間も各局から報道されていた■ TVの言葉が「語り」から「喋り」に移った理由を解説した本■ 皇太子ご成婚で白黒TV1000万台売り受信契約者200万人突破■ 「TV局を減らせ」と説く元業界人がTV界の現状を描いた書■ 三菱銀行人質事件 犯人射殺までの42時間視聴率42.3%

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    ここがヘンだよ! 揉めてないのに揉めたがる女子マラソン選考

    ちろん、この三人でメダルを獲れるのか? と問えば、かつて有森裕子、高橋尚子、野口みずきを擁して臨んだオリンピックほど確信は高くない。本当はそこが一番議論され、改善すべきテーマだ。 それにしても、揉めていないのにマスメディアもファンも「揉めたがった」原因を改めて探っておこう。 私は主に、二つの要素が主因だと感じている。ひとつは、日本陸連をはじめとする日本のスポーツ組織の権威主義。平たく言えば「偉そうな体質」だ。茶道などの家元が君臨するのは、免状などを認め、授与するのは家元だという絶対的な構造がある。スポーツ団体にとってこれに代わるもののひとつが、オリンピックや世界選手権、国際大会などへの出場選考だ。「お前、そんな態度なら代表に選んでやらねえぞ」 私はナショナル・チーム合宿の取材現場で、協会関係者があからさまに 「お前、そんな態度なら代表に選んでやらねえぞ」と、選手を脅す光景に接したことがある。選手にすれば、「勝手にしろ」と言いたいけれど、そうも言い切れない現実がある。協会や連盟は、その切り札さえ抑えておけば、選手の手綱を握ることができる。長年のその体質は簡単に抜けないだろう。思えば、プロテニスやプロゴルフなど、賞金ランクやポイント・システムで明確に出場資格が定められ、組織の人の感情に左右されない競技団体ではこのようなトラブルは起こらないし、権威的な空気も少ないかもしれない。 そしてもうひとつの要因は、マラソンや世界陸上の各国代表枠が「三つしかない」という、当たり前だが、考えようによっては馬鹿馬鹿しい制約があるためだ。 競技によっては、ワイルドカードなどの方法で四人目、五人目の選手に出場権を与えてもいいだろう。五輪前一年間の指定レースの総合ランキング上位者、あるいは標準記録突破者の何名かの五輪出場に道を開く方法だ。団体競技の中には、アジア予選に敗れた国が、世界最終予選に回る例もある。 陸上男子100メートルでアメリカ代表が3人に限定されているのは、長年のしきたりで誰も声を上げないが、もったいないし、申し訳ないと私はずっと思っている。オリンピックがそうだから、「世界陸上は標準記録を突破すれば誰でも出場できる大会にしよう」という主旨で、1993年にそもそもいまの世界陸上がヘルシンキで始まったと記憶している。ところが、その大会と翌年のロス五輪がアマチュアリズム崩壊、スポーツの商業化のきっかけを作る大会となり、スポンサーや放送局の思惑も絡んでか、すぐ各国3人に戻ってしまった。 マラソンなら、あと10人選手が増えても、競技運営に大幅な支障をきたすとは思えない。代表選考をめぐって不愉快な非難や議論で時間と労力を無駄にするくらいなら、陸連も選手もファンもこぞって、「オリンピックにもワイルドカード枠を!」と一緒になって提言し運動する方がよほど本質的で前向きではないかと私は考えている。

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    陸連に評価はムリ! 私なら世界一「公平」なマラソン選考が出来る

    ける2番目の問題は、陸連が「反法治国家的体質」であるということである。 陸連が発表している「第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)マラソン代表選考要項」に「選考方針」、「選考競技会」、「選考基準」等が記載されている。この中で特に問題となる部分は、選考基準(2)の2)で、「各選考競技会での記録、順位、レース展開、タイム差、気象条件等を総合的に勘案し、本大会で活躍が期待されると評価された競技者」としている点である。つまり、代表選考において陸連に大きな裁量権が与えられているのである。 ところで、先ほど私は「陸連にはパフォーマンスを評価する能力がない」ということをお話しした。いくら記者会見で「プロとしてやっている!」と見栄を張っても、所詮、彼らの武器は経験と勘しかないのである。その陸連に強力な裁量権を与えているのであるから、どうなるかはすぐに察しがつくであろう。 更に面倒なことは、陸連の組織の問題である。つまり、選考に係る選手が所属する実業団の監督等が選考に関与しており、自分達に好都合な選考理由を自在に作り出しているということである。要するに「選ぶ者と選ばれる者の区別がなくなっている」。受験生が入試の解答を採点するようなものである。 こうした内部の構造的矛盾を隠蔽するためであろうか、世界陸上2015での記者会見を振り返ってみると、「この人はボケ老人ではないか?」と思うほど耳を疑う説明が次々と飛び出してきた。例えば、田中智美選手が優勝しながら落選した理由が「外国選手が弱かった」であったり、重友梨佐選手を選んだ理由が「途中までトップグループにいた」であったりする。もちろん、外国選手の力量に関するようなバカげた規定はマラソン代表選考要項のどこにも書いてない。もしそうであれば、弱い外国選手しか出ない大会では、優勝しても代表にはなれないということになる。そして何より、この発言は女子マラソンを牽引してきた横浜国際女子の関係者にとってはなはだ失礼な発言であるし、そもそも陸連自らが主催する大会でそんな自己否定するようなことがよく言えるものである。第6回横浜国際女子マラソン 34キロ付近、先頭集団で併走する(左から)4位のロティチ、優勝の田中智美、3位の岩出玲亜、2位のフィレス・オンゴリ=2014年11月16日午後、神奈川県横浜市(代表撮影) 普通の人間なら決して口に出さない選考理由が記者会見という公の場で次々と口をついて出てくる。これが日本の陸上スポーツのリーダーの言葉であると思うと、ただただ悲しくてならない。レース展開にしても、陸連は「先行&玉砕型」がお好みのようだが、マラソンには様々なタイプがあって、それがおもしろいのである。 確かに優勝を争うということであればトップグループかそれに近いところにいなければならないかもしれないが、世界との差が余りに大きい今の日本では、自分のペースでマラソンを走り切る方が最終的なパフォーマンスがいいのは当たり前である。もし”先行逃げ切り”しか評価されないようであれば、私のような落ちこぼれで遅咲きの人間は全くチャンスは与えられないということになる。日本がそうしたシステムの国であったなら、人類はVMSを手にすることができなかったということである。 法治主義では、権力の暴走、権利の濫用を法が規制する。ただし、法治主義では、法は過去の事例に遡及しない。脱法ハーブがそうであったように、常識的には限りなく黒に近い事例であっても、立法化されていない段階では法律的に取り締まることができない。おかしいと言えばおかしなことだが、人間が絶対的な基準軸を有していない以上、法治主義のシステムは次善策として受け入れざるを得ないのである。 代表選考における陸連の反法治国家的体質とは、選考要項において陸連の裁量権が幅広く認定されており、独善的あるいは恣意的判断を規制できない諸口となっていることである。これを分かりやすい言葉で言い換えると、「陸連は後出しジャンケン可」ということである。 この問題の対策は簡単である。要するに、陸連の裁量権の幅を限りなく狭くするように選考要項を書き換えればいいだけの話である。すなわち、事前にありとあらゆる場合を想定してルールを規定しておけば、混乱は絶対に起こらないはずである。つまり、陸連は事前のルール作りを緻密に行い、実際の選考はルールが決定するのである。 例えば、びわ湖毎日2016で川内優輝選手には「2時間6分30秒を切らない限り優勝しても選考の対象外」という酷な条件が課せられていた。しかし、選考要項に「初回の選考競技会を評価の対象とする」旨の規定があり、これは「全ての選手にチャンスは一回だけ与えられる」というルールを成文化したものと考えられるので、彼も納得できるのである。 野球では膨大な量の「野球規則(いわゆるルールブック)」を定め、多様な野球場における試合の整合性を保っている。野球の試合は見た目には審判が裁いているように見えるが、実は野球規則が裁いているのである。野球規則を制定する手間に比べたら、マラソン代表選考のルールなど訳ないことである。そして、選考のルールを規定することはパフォーマンス評価能力が欠如している人でも出来ることなのである。私もこの件に関しては長く言い続けていることではあるが、こうした当たり前のことができないのが不思議でならない。選考要項を整備することによって陸連に何らかの不都合が生じるからだと勘繰らざるを得ない。長期低落傾向への責任はないのか 代表選考に係る3つ目の問題は、選考が「反民主主義的運営」という点である。この問題は、前述の世界陸上2015で「誰もが首をかしげる選考はいったいなぜ起こったのか」というこの疑問を糸口にして陸連の組織について考えてみよう。 世界陸上2015及びリオ五輪2016のマラソン代表選考では、選考方法の手続きに関し、「全ての競技の終了後、編成方針及び選考基準に則り、強化委員会にて原案を作成し、選考委員会で選考し、理事会において決定する。」と規定されている。 私は、先に、市民マラソンフォーラム2015で開催した緊急企画のパネルディスカッションで、参加者全員が北京世界陸上の選考に対して異議を唱えたという事実を報告した。当該パネルラーは意識の高い人の集まりだったかもしれないが、代表発表直後の記者会見での質疑応答やSNSでの書き込みも圧倒的多数が陸連の選考に異議を唱えているのである。 陸連の理事は、特殊な思考構造を持つ偏屈者の集合体でないであろうから、大多数は田中智美選手を選ぶべきだと考えていたに違いない。したがって、もし世界陸上2015の選考が理事会で理事の総意を集約した結論であれば、重友選手の選考はあり得ない。ではなぜ、ふなっしーが船橋から石垣島までぶっ飛んでいくような結論が出たのであろうか。 特別な推論をするまでもなく、理事会が適式に機能していなかったと思われる。先の選考は、強化委員会の原案作成時、またはせいぜい強化委員会での選考時に基本方針が決定しており、理事会に諮られる時点では覆せない状況になっていることが想像できる。つまり、理事会が“出来レース”になっているということである。陸連の内部において、民主主義的手続きが担保されていないのである。 公益財団法人でありながら、民主的な手続きに則って与えられた権利が行使されていないということであれば、所管官庁が陸連の公益法人格をはく奪するしかない。先の行政訴訟が認容され、内閣府が陸連に対して行政指導を行った暁には、この点に関しても明らかにしてゆきたい。 日本陸連は、税制等で優遇される公益財団法人、すなわち公人であるから、その社会的責任は重く、その活動に対して国民から厳しい目が向けられるのは当然のことである。ここでは、「説明責任」および「結果責任」という側面から陸連の行動を検証する。 政治家がその活動に関して疑義をもたれた場合、その疑惑を晴らすための説明責任があるのは当然である。その際、もしその政治家が国民を十分に納得させるだけの説明ができなければ、政治家自らが責任をとるのは当然のことと考えている。最近でも甘利明氏は金銭授受問題で経済再生担当大臣を辞任しているし、宮崎健介議員はスキャンダルによって衆議院議員を辞している。 陸連は今までの数々の疑惑に対して納得できる説明を一切してこなかった。今回の世界陸上代表選考に係る私の公開質問状に対しても、陸連との往復書簡(Webに掲載中)から明らかなように、全く回答していないのである。 もし政治家が職務に関する疑惑に対して説明を拒否あるいは黙秘すれば、ほぼ100%、政治生命は断たれるであろう。しかし陸連は、繰り返し送付した督促状を無視し続け、しかも何食わぬ顔で平然と生き延びているのである。矛先は違うが、こうした事態に対して陸連に対する行政指導を求めた内閣府も、私の申し出を無視したのである。この国は一体、どうなっているのであろうか。 国民栄誉賞まで受賞したなでしこジャパンの佐々木則夫監督も辞任ということになった。公人は、ただ身ぎれいなだけで務まる訳ではない。活動の結果に対しても厳しい結果責任が問われるのである。 陸連は、日本の陸上競技界を代表する唯一の存在としての地位を与えられており、日本代表選手の選考を含む主要な権利を独占している(陸連定款参照)。これだけの独占排他権を付与されている公益財団法人であるが故に、陸連が負っている結果責任は極めて重いのである。 それにもかかわらず、日本の陸上界は長期低落の一途をたどっている。北京陸上2015ではあわやメダルゼロの瀬戸際まで追いつめられる惨敗を喫した。最近の日本選手権でも生きのいい若手が育っておらず、世界では全く通用しないベテラン選手の連覇が目についた。特権的な地位を与えられて仕事をしている以上、結果責任が問われるのは当然である。陸連も、本来なら北京世界陸上の結果を受けて、原田康弘強化委員長だけでなく幹部は総辞職のはずである。もしリオ五輪でメダルがゼロなら流石に続投する幹部はいないだろう。 以上、マラソン代表選考に関する陸連の資質を「パフォーマンス評価能力の欠如」、「反法治主義的体質」、「反民主主義的運営」、そして「公人義務違反」という4つの視点で論じた。 ここで指摘した問題点は、パフォーマンス評価能力を除き、法治主義、民主主義といった先進国の基本的要件に対する背任行為である。日本のスポーツ界で指導的地位にあるはずの陸連がこうした状態であることに、我々は強い危機感を持たなければならない。問題解決には知的にパワフルに闘うしかない問題解決には知的にパワフルに闘うしかない 「保育園落ちた日本死ね!」の書き込みが話題になっている。この問題と代表選考問題に特別な接点はなさそうに見えるが、問題解決のアプローチという切り口において共通性が垣間見え、そして潜在的な危険性を感じている。そこで「日本死ね!」をキーワードに問題解決のアプローチについて考えてみることにする。「保育園落ちた日本死ね!」の書き込みが賛否を含めて大きな反響を呼び、政界まで動かそうとしているのは、待機児童の問題が緊急の解決課題である少子化問題とのからみもあって、大きな社会問題であるからであろう。しかし日本には待機児童問題と同等、あるいはより深刻な問題が山ほどあり、その当事者は誰も厳しい現実にさらされて生きているのではないだろうか。 たとえば基地問題を抱える沖縄の人は、「小さな沖縄に基地の3/4も押し付けやがって、沖縄を何だと思っているんだ、日本死ね!」だろうし、TPPで危機に追い込まれる農業関係者は、「農家を殺す気か、日本の農業を殺す気か、日本死ね!」だろうし、将来のシナリオが描けない契約社員は「結婚も出来ない、子供も産めない、俺には未来はない、日本死ね!」だろう。つまり、「日本死ね!」と叫びたい人は山ほどいるということである。 もしそんな日本人の皆がみんな「日本死ね!」と言い出したら日本はどうなるのだろう。それもさることながら、「日本死ね!」で政治が動くとしたら、それはもっと怖いことだと思う。 客観的に日本を見てみよう。日本は戦後70年、戦争に関与してこなかった。世界標準で見ると、これはいい意味で異常である。また、言論の自由などの基本的人権も尊重され、識字率は高く、治安のレベルも良好で、落とし物もほぼ手元に返ってくる。しかも、国民皆保険制度も整っており、特別な病気や事故がなければ80年以上は生きられる。 もし私が神様なら、こういった国家に対しては黙って70点の部分点をつける。90点でもおかしくない。残りが内政問題での配点である。言わずもがなであるが、我々は、日本人であることに感謝し、そうした国家を作り上げた先人に敬意を表してもバチは当たらないだろう。 私が子供のころは、背中に子供を背負って農作業をする女性の姿を普通に目にしていた。母親が私を生んだとき、農繁期ということもあったが、出産の前日まで働いていたそうである。母親は、8人家族の中で唯一の女として、朝早くから夜遅くまで身を粉にして働いていた。昔の女性の生活環境は過酷で、60歳そこそこで腰が曲がっている人が沢山いた。父親も、仕事から帰ると夜の8時9時まで当たり前のように野良仕事をしていた。私がたとえビッグネームになったとしても、両親には到底かなわないと思っている。 そんな両親を見て育ったので、私は贅沢はしない、我がままは言わない、無いものねだりもしない。そして、「あるもの、手に入るもので何とかやりくりする知恵」と、「不条理に対しては体を張って闘う性格」が自然に身に付いた。世界で唯一の研究に手本など全く存在しない。泣いても喚いても誰も助けてくれない。研究という場で私のこうした性格や考え方は大いに役立っている。「時代が違う」というかもしれないが、それは違う。今でも、貴方よりも過酷な環境で子育てをしている人はいくらでもいる。 社会の不備に罵詈雑音(ばりぞうごん)を浴びせて噛みつく前に、まず問題を解決するための知恵を出してみよう。なぜなら、貴方にはこれから様々な問題が次々に降ってわいてくるのであり、それをその度、自分自身で解決しなければならないからである。 貴方が当面の危機を乗り切ったら、その次に、あなたが直面した問題の解決のために行動することである。なぜなら、あなたは当事者だから誰よりも問題の深刻さを理解しているはずであり、誰よりも辛抱強くこの問題に取り組めるはずである。貴方は、60歳になって腰が曲がることはないであろうし、特別なことがなければ80過ぎまで生きていける。飢餓に瀕した国で暮らしているわけではないので、貴方の体は不条理と闘うに必要な十分の栄養が行き渡っている。闘う準備は整っているのである。 さあ、闘おう! 貴方が忌み嫌う不条理と闘おう! でも、民主主義は手続きである。だから、必要な手続きをきっちりと積み上げていこう。  私も陸連や内閣府に対して、繰り返し督促状を送付している。こうした、一見、無駄で非効率に見える手続きが、大勢の人の利害が錯綜する社会では必要なのである。しっかりと手順を踏んで問題の絡んだ糸束を根気強くほぐしていってほしい。 繰り返し言うが、「日本死ね!」が最終結論であるなら、物事は何も成し遂げられないであろう。もし日本がそうした一言で動く薄い国であれば、国として世界で名誉ある地位を占めることはできないであろう。問題に遭遇したら、クールジャパンの国民らしく、知的に、そしてパワフルに闘っていこう。泣き言を言ったり、叫んだりしていても津波に飲み込まれるだけである。 たとえば東京五輪2020であるが、国民は推進派の人たちの粗探しばかりしているように見える。日本には“セバスチャン・コー”がいないことは確かなのだが、だからこそ一人ひとりの資質の底上げが必要なのである。マラソン代表選考への“我が闘争”マラソン代表選考への“我が闘争” 本章では「マラソン代表選考における”我が闘争”」を紹介する。「我が闘争」は、言わずと知れたナチス党首アドルフ・ヒトラーの自伝の邦名であるが、語呂の面白さと本稿の内容とのマッチングのよさでタイトルとして選択したまでで、もちろん私が彼を崇拝している訳ではない。むしろ、彼に踊らされた大衆へのアンチテーゼとしてこのタイトルを使用したまでのことである。「日本死ね!」を書いた人も、そのブログに同調する人も、私がこのマラソン代表選考問題に対峙して歩んできた12年間の話は参考になると思うので、腰を据えて私の話を聞いてほしい。第24回東京国際女子マラソン、ゴール直後係員に抱えられ、一瞬苦しそうな表情を見せた高橋尚子選手=2003年11月16日、国立競技場 (奈須稔撮影) 私のマラソンの研究はアテネ五輪2004の代表選考の日から始まる。私自身も市民ランナーとして出場していた東京国際女子2003は季節外れの猛暑に見舞われた。そんな過酷な気象条件の中で高橋尚子選手は、終盤に失速して優勝を逃したものの、日本人2位の嶋原清子選手に4分近い大差をつけ2時間27分21秒でゴールした。しかしアテネ五輪代表選考では、シドニー五輪金メダリストでマラソン6連覇中であった高橋選手は落選した。東京国際女子2003が超劣悪な条件であったことは一切考慮されず、記録と順位だけを根拠とするアンフェアな選考であった。 私はこの選考に対し、表現し難い怒りを覚えた。高橋尚子選手と同じあの過酷な条件下のレースを私も走っている。あの猛暑を体全体で知っている。しかし、陸連の選考委員は、誰一人として東京国際女子2003を走っていない。「クーラーの効いた部屋でTVの画面を見ていたやつに何が分かる!」そういった怒りがこみ上げていた。マラソンを一度も走ったことのない”知識人”が表面的な情報だけで陸連の判断を支持するコメントを寄せたことにも向かっ腹がたった。よくは覚えていないのだが、きっと「陸連死ね!」とか「バカメディア死ね!」などと思っていたはずである。 怒りが収まらない選考の日の夜、悶々とした気持ちと対峙しながらじっくり考えてみた。感覚としてではあるが、自分にはあの選考が明らかに間違っていることは分かっている。同じ大会に出場した私の仲間も同じ意見である。しかし、私が著名人やエリート選手だったら世間で多少は聞く耳を持つ人がいるかもしれないが、私ごときの泡沫市民ランナーが不公平を口に出して騒いだとしても何の影響力もないであろう。 何の影響もない。何も変わらない。 確かにその通りなのだが、もしここで何もしないでこの事件をやり過ごしたとしたら、この先ずっと自分の気持ちを裏切ったことに負い目を感じて生きていくことになるだろう。何もしなかったことに対する精神的な屈辱感は、一生、自分を蝕み続けるに違いない。直観的にそう思った。 ここからが貴方と違う。私は「陸連死ね!」と叫ぶようなことはしなかった。その代わり、翌日から全国の大会主催者を訪ね、資料を収集した。ほとんどアポなしである。何の面識もない、どこの馬の骨ともわからない者の、何の勝算もない申し出に、大会主催者は資料提供の申し出に応じて下さった。 それらの資料を基にデータ解析を始めて一週間ほどが経過したとき、斬新な発想が浮かぶ。それが、異なる条件下の測定値の定量的な比較を可能とする「仮想測定系システム(VMS)」の原型である。その年の5月、東大本郷キャンパスの学園祭である五月祭で代表選考に関するイベントを開催する。教室の一室を使い「マラソン代表選考は正しかったのか?」と題したこのイベントは、私の解析結果を発表し、アテネ五輪代表選考の間違いを世間にアピールするものであった。ちなみに、このイベントを開催した時点で代表選考の日から2月余りしかたっていない。 アテネ五輪直前の2004年8月に開催された日本陸上競技学会では、2枠しかない口頭発表のうちの一枠をもらって発表している。この大会のエントリー締め切りは2004年5月だったと記憶している。私の本来の研究は、AI(人工知能)や知能ロボットであるが、マラソンの研究に次第に軸足を移していくことになる。 その後も、何とか自分の理論を普及させようと思い、複数の学会で気が狂ったように発表を続けていった。しかし、ささやかな賞をくれた学会があることはあったが、従来の方法論と余りにもかけ離れた考え方のためか、反応は概ね芳しくなかった。 闘いには武器が必要である。それは、知識を身に着けることでも、スキルを磨くことでも、体を鍛えることでも何でもいい。とにかく、相手に勝る武器が必要である。私は、新しい課題を解決するとき、必ずといっていいほど新しい武器を作り出してきた。 私の武器は、科学という道具を使って作り出される。それは、例えば理論であったり、アルゴリズムであったり、方法論であったり、モデルであったり、システムであったり、デバイスであったり、装置であったりする。武器の中でも、新兵器は特に威力を発揮する。なぜなら、相手はそれを手にしていないので、対策を講じようがないからである。郷土の伝説的棋士である升田幸三氏は「新手一生」を生涯の信条としていた。新手こそ勝負の極意である。 もちろん、口でいうほど新兵器の開発は尋常な道のりではない。例えるならば、暗闇のジャングルで出口を見つけるようなものである。フロントランナーなら誰しも味わう孤立無援の世界である。 詳しい経緯は割愛するが、ともかく私は問題の解決に迫る“新兵器“を発明した。それがVMSである。私は、10年の歳月と10,000を超すアイデアのトライ・アンド・エラーにより、VMSを初期の怪しげな珍品から最新鋭の「21世紀型カルバリン砲」へと変貌させた。現在、陸連を反論できない状況に追い込み、子供を窘めるように陸連と対峙できるのは、この新兵器による効果が大きい。 闘いを城攻めに例えるなら、まず相手の城の外堀を埋める必要がある。つまり、自分の理解者を増やし、相手の勢力範囲をじわじわと狭めていくのである。 フェアタイムが世の中に普及し、誰もがフェアタイムでパフォーマンスを確認するようになれば、陸連はフェアタイムが示唆する結果と相反する結論は出せなくなるはずである。つまり、陸連を「裸の王様」状態にしてしまうのである。この目的を達成するために、Webサイト「ハートフルランナーズ」を開設し、誰でも無料でフェアタイムを検索できるシステムを構築した。 更に、全国の大会を駆け回り、掲載大会数を増やすことに努めた。田中角栄ではないが、なんてったって"数は力"である。Webサイト開設当初は情報提供大会がエリート大会8大会であったが、現在では80大会まで増えてきた。情報提供するフィニッシャーの数は140万人に達している。私は、大会を規模で区別しない。出場者数が35,000人の都市型の巨大マラソンも、1,000人に充たない小規模の大会も同等に扱っている。マラソンに寄せる情熱は同じだからである。 利用者の信頼を勝ち取るには、フェアタイムが十分な精度を有していなければならない。研究開始当初のフェアタイムは、定量的に評価した訳ではないが、研究開始当初はかなりの不確かさが残存していたのではないかと思われる。しかしそれから10年の歳月をかけ、100以上のマラソン大会に出場し、10,000のアイデアを超す試行錯誤により、フェアタイムの精度は0.1%のレベルに達しつつある。精度の向上、そして安定した再現性は、フェアタイムの普及においても大きな力になった。 巷に溢れている数字情報は、実はすべて嘘っぱちである。そもそも「95%の人が美味しいと言いました!」なんて数字は、データの収集の仕方と処理によって如何様にもなるのである。したがって、本来なら提供する数字に不確かさを付記して情報を提供しなければならないのであるが、知識不足と不都合な事情があるので、世の中の人は誰もそれをやらない。 私は、情報を提供する者の義務という観点から、精度を付記して提供するようにした。フェアタイムが科学的データであることの証である。現在のフェアタイムは、精度(95%信頼区間)が併記されて提供されている。工業製品では製品に不確かさを付記して表示するのは普通であるが、一般の情報で精度を付記して表示しているのは見たことがない。このように、不確かさを付記する情報提供形態ということに関してもフェアタイムが世界初であろう。 更にシステムは進化を続け、フィニッシュタイムを他の大会の記録に変換する「フィニッシュタイム変換システム」を開発した。これは、もしあなたがどこかの大会を完走したとしたら、そのフィニッシュタイムを他の大会の記録として変換できるという“驚愕のシステム”である。たとえば、東京マラソン2016を走った人は、フィニッシュタイム変換システムによって千歳JAL、いわきサンシャイン、篠山ABC、高知龍馬、青島太平洋といった各地の大会に仮想的に出場することができるのである。 更に、アテネ五輪2004、北京五輪2008等の世界大会にも出場することができるし、またその逆に、アテネ五輪で優勝した野口みずき選手や、北京五輪で驚愕の記録で優勝したサムエル・ワンジル選手がその時のパフォーマンスで各地の大会を走ってもらうこともできるのである。 私は、相互に変換されたこれらのフィニッシュタイムを、時空を超えて飛び回るSFのワープとの連想から「ワープタイム」と命名した。ランナーの皆さんは、フェアタイム、ワープタイムを活用してマラソンを100倍、楽しんでいただきたい。 震災から3年が経過した2014年には、復興支援のファンドを募る目的もあって第1回の「市民マラソンフォーラム」を開催する。私は日ごろからVMSを地球の未来の為に使いたいと思っており、「市民マラソンフォーラム」はその第一歩である。将来的には、この市民マラソンフォーラムを母体として、災害支援、森林の保護、若者の支援、ボランティアの支援等を行うための、献金に頼らない強いファンドである「ハートフルランナーズファンド」を立ち上げたいという構想を持っている。 このように、私は常に新しいテーマに取り組み、新しいものを作り上げてきた。「変われるもの、創造性のあるものだけが生き残る」、そんな危機感を私は常に持っている。 「機に発し、感に敏なること」とは、極真道場の道場訓の一節である。私が西池袋の道場に通っていたころ、最も心に沁み込んだ言葉の一つであった。その意味は、「状況の変化に機敏に対応せよ」ということであり、「その為に普段の準備を怠るな」ということでもある。ここでは、アテネ五輪後の対応のような、代表選考問題でとった機に敏なる対応の幾つかをご紹介する。これは、危機意識がなく改革の意欲に乏しい陸連へのアンチテーゼでもある。陸連の代表選考はドーピングと同じだ 私は、北京世界陸上2015の代表選考があった2015年3月11日の翌週に当たる3月18日に公開質問状を陸連に送付している。しかも、第一生命サイドが日本スポーツ仲裁機構(JSAA)に異議申立をしないと見極めたときには既に4日が経過しており、この手の事件の賞味期限が1週間だとして、残された時間は3日しかなかった。その時間で全体の構想をまとめ、文章化して推敲し、執筆開始から2日半後に陸連に質問状を送付している。更に、陸連にはその旨のFAXを入れ、主要な新聞社にFAXを入れ、Webサイト「ハートフルランナーズ」に質問状の全文をアップし、その2日後には日本体育協会で記者会見を行っている。世界陸上北京大会のマラソン代表に選ばれ、会見でポーズをとる今井正人(左)と前田彩里=2015年3月11日、東京都新宿区(丸山和郎撮影) 市民マラソンフォーラム2015では、緊急企画としてこの代表選考のテーマを取上げ、「私も言いたい! マラソン代表選考かくあるべき!」と題したパネルディスカッションを開催した。ほとんど面識のない方々に趣旨をお話しし、ご参集頂いて実施にこぎつけたのである。今回の内閣府に対する行政訴訟も、予定の行動の範疇ではあるが、タイミングを見計らってのことである。 勝負事は瞬発力が大事である。ここぞという時は、覚悟を決めて相手の懐に飛び込む覚悟が必要である。陸連の代表選考はドーピングと同じだ 最後に、我々がマラソン代表選考問題と闘わなければならない理由について述べておく。 人間の社会は競争がなければならない。競争があって、強いもの、知恵のあるものがリーダーになれるようなシステムでなければ、社会全体が滅びてしまう。酷なようだが、生物は環境の変化に順応して変わり続けなければならない宿命にあるのである。  競争社会は公平性が担保されて初めて成り立つ。なぜなら、本当に強いもの、本当に知恵のあるものが明日を切り拓くために生き残らなければならないからである。公平性という美学を究極まで高めたものがスポーツであり、公平性を逸脱する様々な誘惑と明示的に対決しているのがスポーツである。公平性こそスポーツの魂である。公平性が担保されているからこそ、スポーツは輝き、魅力に満ちている。そして、スポーツにおける公平性に対するたがが緩むと、社会を精神面から蝕み始める。 昔を振り返ってみよう。野球のドラフトにおいて、「空白の一日」の江川事件があった。清原・桑田事件というのもあった。清原選手が巨人との日本シリーズの終了直前に見せた涙を見ると、ドラフトが彼の人格形成に大きな影響を与えたことが伺える。執筆時点の16日、彼は覚醒剤取締法違反の疑いで拘留中だが、あのドラフトが現在の事態の遠因になっているのかもしれない。 角界では、一度の優勝もなく横綱に昇進させた「北尾事件」があったが、その後の経過は皆さんがご承知の通りである。 代表選考問題の渦中にあった重友選手の世界陸上2015や大阪国際女子2016の結果に、内心、ほくそ笑んだ人も少なからずいたであろう。日本が一つにまとまっていない証拠である。一つにまとまっていない日本が勝てるわけがない。足の引っ張り合いで選手が力を発揮できる訳がない。そんな日本にした全ての責任は陸連にある。不公平な措置は選手のやる気も才能も奪っていく。そして人生をも狂わすのである。陸連は、裁量の範囲を逸脱した代表選考が選手を潰し、社会を蝕んでいることを肝に命ずるべきである。 ドーピングは不適法な方法で特定の選手が優遇される行為である。陸連の代表選考はドーピングと同じである。つまり、スポーツの規範となるべき陸連が率先してドーピングを行っているのである。 マラソン代表選考問題で日本人の知性と品格が問われている。陸連の今日の状況を看過するようであれば、日本の陸上界だけでなく、日本に未来はない。私は、Webサイト「ハートフルランナーズ」でフェアタイムを提供すること自体が、日本人の知性と先進性を世界にアピールすることになると思っている。そして更に、フェアタイムが世界に普及することになれば、その原点となった日本は永遠に世界でリスペクトされることになるであろう。 陸連がフェアな体質に変わり、多くの才能ある若者が陸上競技に取り組むようになれば、日本は世界に冠たる陸上王国になる可能性は十分にあると思う。更に先進的なシステムを世界に先駆けて導入し、世界標準の姿を示すような国になれば、世界が日本を見る目も変わってくるだろう。陸連は、目先の利益、内輪の論理で動くのではなく、高い理想を掲げて世界と闘って欲しい。 私の主張や活動に賛同して頂けるかたがおられたら、是非ご連絡ください。「フェア」、「クール」そして「ハートフル」な未来を切り拓くために、ともに闘いましょう!いけがみ・たかのり 東京大学大学院工学系研究科助教。大学卒業(物理)後、プラントエンジニア等を経て東大生産技術研究所で画像通信、同工学部精密工学科で「光応用計測および知能ロボットの研究」に従事。工学博士。フルマラソン完走は100回以上。アテネ五輪マラソン代表選考における非科学的で不公平な選考の実体に激憤し、異なる測定系下の測定値を規格化する「仮想測定系システム」を発明(国際特許)。2006年よりWebサイト「ハートフルランナーズ」を立ち上げ、マラソンの記録の規格値である「フェアタイム」を提供、「国際大会の記録の規格化」、「フィニッシュタイムの相互変換」などを進める。

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    マラソン選考、絶対揉めない方法があった!

    今や4年に一度の風物詩となった感もある女子マラソンの五輪代表選考だが、今回は順当に決まった。とはいえ、福士加代子の「内定」をめぐり、ひと悶着あったのは記憶に新しい。どうしてすっきり決まらないのか。実は、絶対に揉めない「世界一公平な選考方法」を考案した日本人がいるらしい。

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    千葉すず事件で変わった競泳のようにマラソン代表選考も透明化できるか

     リオデジャネイロ五輪のマラソン男女日本代表は、17日の日本陸連理事会で決まり、発表される。陸連は2年前に基準を設けて選考を進めてきたが、不振の男子では代表枠削減などが取り沙汰され、女子では設定記録を上回った福士加代子(33)=ワコール=が2度目の選考会出場を計画。いずれも物議を醸した。地元開催となる4年後の東京五輪代表選考はどうあるべきか。 男子は3度の選考会で陸連の派遣設定記録2時間6分30秒に遠く及ばなかった。選考レースの途中では、代表枠3の削減まで陸連幹部が示唆する事態になった。箱根駅伝で青学大を2連覇に導いた原晋監督(49)はユニークな視点から提言を行った。 「マラソンの五輪メダルは日本の悲願。注目されているのに、陸上界だけの論理(選考)は成り立たない」 そんな持論を持つ原監督は選考基準(選考レースで日本勢上位3人以内が対象、タイムと内容を総合的に判断する。設定記録を上回った者を優先)を撤回して若手を登用するよう求めた。 教え子の下田裕太(19)が2月の東京マラソンで、2時間11分34秒をマーク。選考対象となる日本勢2位に入ったことで、身びいきとの批判もあった。 「次の五輪が東京でなければ言いません。でも東京である以上、今後のことを考えていかないと」2月の東京マラソンでは青学大・原晋監督の指導する下田裕太が代表選考対象となる日本勢2位に入った さらに原監督は選考基準の根本的問題を指摘した。 「五輪も世界選手権もペースメーカーはつかない。勝負が重要。だから選考レースではペースメーカーは外すべし」 そして東京五輪へ向けた選考方法にポイント制導入を提案した。ハーフマラソンや1万メートルも含め、一定期間の記録をポイント化。そこに選考レースの結果も加味してランキングで決める制度だ。 国民が納得できる選考基準を求めた原監督はジョークとも、本気ともつかない言葉で締めた。 「国民あっての陸上界。一般の方々からは『もっといけ、もっといけ』と言われています。主に居酒屋で…」。 マラソンと並び、五輪の注目競技である競泳も、かつては代表選考で物議を醸した。 2000年4月、シドニー五輪代表選考会を兼ねた日本選手権。女子200メートル自由形を制しながら代表から漏れた千葉すずが、これを不服としてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴したことで、社会問題化した。 この“事件”をきっかけに、競泳の五輪代表選考基準は明確化された。独自で「派遣標準記録」(世界ランキング16位、入賞圏内を想定)を設定。日本選手権でこの記録を突破した上、上位2位以内に入ることが代表選出の条件となった。 以前も代表争いは日本選手権での一発勝負だったが、優勝イコール五輪切符ではなかった。「世界で戦えるか」という曖昧な指針があったからだ。それを派遣標準記録というタイムに変えたことで、騒動に発展するような選考はなくなった。 当時を知る日本水連の上野広治常務理事強化本部長は「裁判があったからこそこうなった。(透明性があるのが)いいところ」と現行制度の利点を挙げる。その一方で、「競泳だからこそ(一発勝負が)できるのかもしれない」とも指摘した。 競泳が派遣標準記録を設定した一発選考に踏み切れるようになった最大の要因は、日本選手のレベルが上がり、層が厚くなったから。世界と戦える選手がごく一部だった1980~90年代の低迷期に現行制度を当てはめると、有力選手でも日本選手権での調子次第で代表落ちとなる可能性があり、リスクは大きい。13日の名古屋ウィメンズマラソン後、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんは複数の選考レースがある利点を「私は3つ(当時)の選考レースで成長させてもらった」と表現した。2020年東京五輪の代表選考でもレースが4つある現行制度を日本陸連が維持するのであれば、透明性が高く明確な選考基準が求められる。 全柔連では強化委員会を公開全柔連では強化委員会を公開 選考で物議を醸す有力競技に柔道がある。五輪や世界選手権の代表は、毎年秋から春にかけての国内・国際大会の成績を勘案して選ばれる。「外国人には強いが日本人には弱い」など相性の問題があり、2014年度に導入された国内ポイントシステムもあるが、数字だけでの機械的選考ではない。選考会で優勝したからといって、代表の座を手にできないケースは珍しくない。全柔連では透明性を担保するため、昨年の世界選手権代表選考で、強化委員会を報道陣に初公開。今回も公開を予定している。タイムが低調で若手の登用も叫ばれた男子、好記録の優勝者に即座の内定が出なかった女子。今回の選考は多くの問題が噴出した。さまざまな指導者が選考基準に疑問を呈し、東京五輪へ日本陸連との“綱引き”が始まったとの見方もある。 「今回は優勝者への敬意がなかった。選考策定委員会を開いて、幅広い意見を募るべきだ」 1984年ロサンゼルス五輪女子代表の増田明美さん(52)は、勝者への配慮を求めた。世界選手権を含めた選考4レースで、日本勢がすべて優勝する可能性を踏まえ、「派遣設定を2時間24分以内とし、優勝でもある程度のタイムは求めていく必要がある」と提案した。 88年ソウル、92年バルセロナ五輪代表の中山竹通氏(56)は、昨年8月の世界選手権(北京)入賞で内定を与えた点を問題視する。「海外の強豪は、高額の賞金レース出場が最優先。以前ほど世界選手権を重要視していない。ならば4年後はメダル(3位以内)を条件にするべき」。開催時期が違う世界選手権と国内選考会とで基準に差があってはならないと強調した。 猛暑が予想される東京五輪では暑さ対策が鍵を握りそうだ。谷口浩美氏(55)は、気温が30度を超えた91年世界選手権東京大会で頂点に立った。 「東京五輪は過酷なコンディションが予想される。スピードで劣る日本勢にもチャンスはある」 アフリカ勢といえども夏は高速ペースを維持できない。特に高温多湿の日本の気候に海外選手はなじめないはずで、レースをマネジメントする能力の高さが必要となる。そのためにも国内選考会でのペースメーカーの廃止を訴えた。 日本陸連の尾県貢専務理事(56)は名古屋ウィメンズ終了後、今回の代表選考問題について「リオ五輪後に考える」と話すにとどめた。先人たちの意見をどう受け止めるか。地元開催に向け、不透明な選考を繰り返してはならない。 (五輪取材班)

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    マラソン五輪代表選考レースは、なぜ一本化できないのか?

    (THE PAGEより転載) 大阪国際女子で五輪派遣設定記録(2時間22分30秒)を上回る2時間22分17秒で優勝した福士加代子(33、ワコール)が、代表確定をもらえないため名古屋ウィメンズにエントリーしたことで、陸連の五輪代表選考方法に対しての批判が相次いでいる。その中で大多数を占めているのが、なぜ選考レースが一本化されていないのかという議論。過去にも、日本マラソン界では女子のみならず、五輪代表選考において同じような騒動を繰り返してきた。 女子では、最近、松野明美が当時の問題をぶりかえした1992年のバルセロナ五輪代表を巡る選考会が問題になった。世界陸上を2時間31分8秒で4位だった有森裕子か、大阪国際女子で2時間27分2秒のタイムで2位だった松野明美か、どちらを選ぶのかという議論が起き、松野が「私を選んで」会見まで開いたが、陸連の理事会の判断は有森。結果、有森が銀メダルを獲得して選考論議は静まった。 アトランタ五輪の代表選考も、世界陸上と東京を勝っていた浅利純子はスンナリと決まったが、残り2枠を巡って夏の北海道を2時間29分17秒で優勝したバルセロナ五輪銀メダリストの有森か、大阪国際女子で2時間26分27秒のタイムで2位に入った鈴木博美か、名古屋を2時間27分32で優勝した真木和かの3人でもめた。だが、最もタイムが良かった鈴木が、陸連の「勝負に競り勝った優勝選手を記録より優先」という方針で落選となった。強いランナーが揃っていた時代は、五輪代表選考方法のあり方についての議論が起きたが、その度に出てくるのが“一発選考レース”の要望論だ。泣いても笑っても、そのレースの上位から3人を代表に選ぶというわかりやすい手法。だが、その実現は、簡単ではない。 実は、過去に男子マラソンで一発選考レースが行われたことがあった。 1988年のソウル五輪代表の3人を選ぶ選考方法がそれで、陸連は強化指定選手の福岡への出場を義務化、事実上、1987年12月の福岡国際が一発選考レースとなった。昭和63年12月18日、第1回国際千葉駅伝を最後に現役を引退瀬古利彦(中央)を、ライバルであった中山竹道(右)が花束で労をねぎらった この時は、ロス五輪代表の瀬古利彦、圧倒的な強さを見せていた中山竹通、宗兄弟に、前年北京で日本新記録を1、2フィニッシュで樹立していた児玉泰介、伊藤国光、そして新宅雅也、谷口浩美ら世界で通用するサブテンランナー(2時間10分以内)がゾロゾロといたため、一発選考でないと決めきれなかったのである。  しかし、大会12日前に“事件”が起きる。本命の一人だった瀬古が、左足腓骨(ひこつ)の骨折で一発選考レースを欠場したのだ。当事、中山の「俺なら這ってでも出てくる」という爆弾発言が物議をかもしたが、結局レースは中山が独走V。2位には新宅が入り、この2人は代表内定となったが、2時間11分36秒で4位(日本人3位)に入った工藤一良には内定が出ず、陸連はその年のボストンで優勝していた瀬古に“救済措置”を与え、出場予定だったびわ湖の結果を待った。瀬古はそのびわ湖で工藤より悪い2時間12分41秒で優勝。経験と実績を買われ3人目の代表に選ばれた。 当時、この曖昧な選考に関しては、五輪出場が内定していた中山自身が批判を口にした。 本来ならば理由がどうあれ、一発選考に向けて準備ができなかった時点でアウトなのが、フェアなルール。だが、陸連には「五輪に勝てるランナー」を送り出したいという意向が強く、選考に“幅”を持たせて、瀬古をごり押しした。結果的にこのソウル五輪での代表選考での失敗が、現在でも一発選考レースの実施に二の足を踏む“トラウマ”となっている。 アメリカが全米陸上選手権を一発選考レースとしている例を出して「見習え」と声を大にしている人もいるが、マラソンに関してのアメリカのレベルの低さと、選手層の薄さを考えると、実業団が支えている日本の女子マラソン界とは土壌が違い、単純に「アメリカみたいに一発選考レース」という考え方も早計だろう。 また、五輪との間には世界陸上があるため、これを選考レースと切り離すわけにはいかない。 そして陸連が一発選考レースに踏み込めない“大人の事情”もある。 陸連は、各大会の主催に名を連ねているが、レースの公認料を受け取っているし、またテレビ局と系列新聞社が軸となっている大会運営側も、五輪の一発選考レースが自社が主催する大会にならなければ、スポンサーの協力なども含めて大きな被害を被る。  各大会は、陸連サイドの要望も手伝ってレースのレベルを上げ選手強化に寄与するため、多額の出場フィーを払って海外の有力ランナーを招待しているが、それらもすべて最も注目を集める五輪選考レースに向けての先行投資である。また国内の招待選手に関しても、「うちの大会に貴チームの選手をぜひ、お願いします」と、実業団幹部への“接待”、“スカウト合戦”が水面下で盛んに行われているのが実情。 今回の女子の国内選考レースで言えば、さいたまが読売、日テレ系、大阪女子がフジサンケイグループ、名古屋ウィメンズが中日、東海テレビ系列となっている。 つまり大会運営サイド(マスコミ)も、実は一発選考を望んでいないという背景があるのが実情で、なかなか一発選考レースの気運を盛り上げることもできない。  また、その時々の国内の選手層やレベルによっても、一発選考の是非は変わってくるだろう。 一発選考レースの実現が難しいのならば、選考基準を曖昧にせず、より明確に打ち出すと同時に、肝心の代表を決定する陸連の理事会を完全公開にしてみればどうだろうか。選考過程がガラス張りであれば、選手、関係者も納得するのかもしれない。おそらく福士は最終的には名古屋ウィメンズには出場しないだろうが、今回、ワコールが問題提起したことを、陸連は真摯に受けとめる必要があるだろう。

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    女子マラソン代表選考に抗議した増田明美氏に見習うべき点は

    くことを重視している選手もいる。この説明を聞いても、すっきりしないです」と、選考結果を嘆きました。 オリンピックや世界選手権のマラソンの代表選考は、いくつかのレースでの成績を総合して判断するため、以前から「なぜ、こっちの選手が!?」ということが話題になりがち。発表後は日本陸連に、選考を疑問視するファンから多くの電話が寄せられたそうです。 日頃から増田さんの解説は、選手への愛があふれているのはもちろん、綿密な取材と丁寧な準備を元に、興味深いエピソードがふんだんに盛り込まれることで定評があります。以前、某ワイドショーでコメンテーターとして何度かごいっしょさせていただいたことがありますが、本番前の打ち合わせのときに、ディレクターの話を聞きながら台本にあれほど細かくメモを書く人はほかに見たことがありません。世界陸上のフォトセッションでポーズをとる(左から)伊藤舞、 前田彩里、重友梨佐=2015年8月28日午前、中国・北京の国家体育場 そんな増田さんだけに、今回のことも単に何となくではなく、客観的に判断してよっぽど納得がいかなかったのでしょう。しかし、陸上競技の解説者である増田さんにとって、日本陸連は嫌われるわけにはいかない相手。一般の会社で言えば、重役かスポンサーみたいなものです。 それでも増田さんは、きちんと自分の意見をぶつけました。サラリーマンをしている人や、あるいは自営業やフリーランスでも同じですが、利害関係がある相手に対して「それはおかしいと思う」と言える人が、どれだけいるでしょうか。酔っぱらって「俺は言うよ! ああ、言うとも!」なんて盛り上がっている人は、断言しますが、相手にとって耳が痛いことなんて絶対に言えません。言える人は、酔って気炎を上げる前に言ってます。いや、言えないことを責めるつもりはないし、自分だってたぶん言えません。しかし、増田さんの勇気を素直に称えて、「あのとき彼女は言った」ということは覚えておくのが大人としてのせめてもの良心。あれこれケチをつけるヤツも出てきそうですが、自分ができないことをしたからといって足を引っ張って安心するのは、けっこう最低な行為です。 さらに着目したいのは、きっと相当の怒りが渦巻いていたはずなのに、大人としての節度を守った言葉の選び方をしているところ。もっとも見習いたいのが、最初の「びっくりしました」です。上司や取引き先から理不尽な指示を受けたり、納得のいかない決定を聞かされたときに、いきなり「どういうことですか!」と返したら、一気に険悪な雰囲気になります。そんなときは「びっくりしました」を活用しましょう。 ほかにも「これで本当にいいのでしょうか?」と質問する形で不満や疑問を表明している点も、勉強になります。仮に「おかしいですよ!」と詰め寄ったら、相手はたちまち激怒して聞く耳を持ってくれないでしょう。最後の「すっきりしないです」も、大人としての礼節をギリギリ保っている表現。今後「納得できません」とか「ふざけるな」と言いたい場面に遭遇したときは、「すっきりしないです」と返すのがオススメです。 猪突猛進するだけが大人の戦い方ではありません。無理のないペース配分で、最後まで走り続けましょう。さすが増田さん、そんなマラソン的な生き方の大切さも感じさせてくれました。ところで、男子は誰が選ばれたのか、まったく話題になってませんね。関連記事■ 東京マラソン 優勝の尾崎の恋人暴露の解説者は許可取ってた■ 増田明美さん「歩幅広く速度上げて歩けば代謝上がる」と指摘■ 女子マラソン 有森、高橋、増田らが解説者序列巡り戦い発生■ ボディビルにのめり込む人の心理に迫ったノンフィクション■ 地方の人口減少や都市の高齢者激増等の今後の対策を考える本

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    世界で通用しない日本男子マラソン 箱根駅伝は日本が抱える病の縮図?

    高まったことになります。しかし、箱根駅伝の人気の高まりとは裏腹に、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピックで森下広一が2位で銀メダルをとったのを最後に、世界のマラソンの舞台で華々しい記録をつくってきた日本男子マラソンの黄金期は終わります。それ以降は世界のマラソンの高速化やハイレベル化についていけなくなってしまいました。総合1位でゴールする青学大10区・渡辺利則=2016年1月3日、東京・大手町 つまり日本の男子長距離は、マラソンという世界の檜舞台では通用しなくなり、逆に国内の駅伝人気が高まってきたことになります。 ところで、もしかすると箱根駅伝は全国大会だと思っている人がいらっしゃるかもしれませんが、関東学生陸上競技連盟が主催し読売新聞社が共催している大会で、なんと「箱根駅伝」は読売新聞東京本社の登録商標なのです。だから関東の大学しか出場していません。それが全国放送され、あたかも国民的イベントのように読売新聞、日本テレビが演じてきたのです。まあ、関東の地方イベントが、日本を代表するイベントになっているというのは、箱根駅伝にかぎらず、ビジネスの分野でもよくある話ですが。 しかし、にもかかわらず、箱根駅伝は全国区なのです。選手の出身校です。連覇を果たした青山学院の選手を見ると、なんと関東の高校出身者は一人もいません。青山学院選手一覧|第92回箱根駅伝 第2位の東洋大学は、関東の高校出身者が、埼玉2名、栃木1名で10名中3名です。東洋大学選手一覧|第92回箱根駅伝| 第3位の駒沢大学は、関東の高校出身者は     東京・駒大高の1名だけです。駒沢大学選手一覧|第92回箱根駅伝| つまり、走っている選手のほとんどが地方の高校出身者で、その意味では全国を代表する選手なのでしょう。日本の経済と同じです。地方から人材が流出し、東京一極に吸収されている日本と同じ姿です。そして世界の檜舞台で活躍する選手を輩出できなくなっているのです。因果関係はよくわかりませんが、東京の大学に選手を集めて、決して日本の男子長距離を強くすることに役立ってこなかったことだけは事実です。しかも、その構図の後押しをしてきたのが読売新聞グループです。                 箱根駅伝の人気が高まってきたなかで、一部かもしれませんが、批判も起こるようになってきました。意識朦朧の選手を大写しにする箱根駅伝に「お茶の間残酷ショー」じゃないかとか、襷をつなぐ行為が「連帯責任の権化みたいなスポーツだ」、「日本に過労死が多い理由が分かる」と言った批判です。ブロゴスのキャリコネの記事がそんな声を紹介しています。マスコミが感動を「切り取って伝える」ことへの警戒感も必要なのかもしれません。意識朦朧の選手を大写しにする箱根駅伝に「お茶の間残酷ショー」との批判 「日本に過労死が多い理由が分かる」という声も 読売グループの日テレのカメラワークで、選手たちの繰り広げるドラマをさらに効果的にドラマ化して、選手たちにプレッシャーをかけ、また人気を煽って、ミスリードしている。しかも国内だけしか通じない、ガラパゴス化した国内だけの自己満足で終わってしまっているようにも見えてきます。 はたして箱根駅伝は日本の陸上にとって健全で、選手のレベル育成や向上にほんとうに役立っているのでしょうか。ぜひ日本の陸上界には世界の舞台で、ほんとうの成果を見せて欲しいものです。(2016年01月05日「大西宏のマーケティング・エッセンス」より転載)

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    東京五輪と野球の悩める関係

    2020年東京五輪の追加種目として提案される5競技が決定した。野球は「大本命」だったとはいえ、賭博問題を契機にIOCが敵視する採用判断への影響が懸念される上、実施に向けて様々な難問が待ち構える。五輪と野球の悩める関係を考える。

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    野球の五輪復活に立ちふさがる思いの外に高い壁

    ランチベイビーと呼ばれる競技がある。サマランチの赤ちゃん?! サマランチとは1980年に就任した国際オリンピック委員会(IOC)会長のことであり、ベイビーとはBABY(赤ちゃん)のこと。彼の力によってオリンピックスポーツ(五輪競技)に生まれ変わることができたスポーツのことをオリンピック関係者は秘かにそう呼ぶ。代表的なのはトライアスロンで、2000年開催のシドニー五輪から五輪競技となり、今や押すに押されぬオリンピックスポーツである。サマランチ会長と言えば、オリンピックを商業化した人物として知られているが、五輪の「ために」なるスポーツを見分ける才能に長けていた。その競技がどれだけ魅力的で人々を引き付け、そしてメディアの関心を得られるかという視点を五輪運動に初めて与えた人物とも言える。その意味で、ベースボールすなわち野球もサマランチベイビーであると言える。 彼がIOC会長に就任した1980年当時、欧州で野球を知るものは少なかった。日本スポーツ界は「野球にあらずばスポーツにあらず」というほどの野球至上主義の時代である。この日本と世界のギャップはかなり大きかった。1982年、サマランチがIOC会長就任後、初来日した際、日本体育協会職員四年目の私はアテンドの任に就いた。IOC会長接遇の一夜、日本オリンピック委員会(JOC)専務理事(当時は総務主事と呼んだ)岡野俊一郎の自宅での晩餐があった。岡野夫人の手作り料理を囲むごくアットホームな食事会であった。夕食後、リビングにくつろぎながらの語らい、テレビにはプロ野球ナイター中継が映っていた。サマランチは鋭い眼光をその試合に当てた。岡野は気を遣って、「先般来日したドイツのサッカーチームが野球中継をTVで見ていて、どうしていつも同じ方向(一塁)に走るのだ。フェイントをかけて左(三塁)に走ればいいのにと言っていた」というエピソードを披露した。しかし、サマランチは平然と「それはルールだから」と答えた。まだIOCの誰も野球になど関心のなかった時に彼は既に日本の国民的なスポーツを理解しようとしていたのである。 野球が五輪にデビューしたのは、1904年の第三回大会(セントルイス)と言われているが、デモンストレーション(公開)競技としてであった。以降、何度か公開競技とし実施されるが、初めて正式種目になったのは1992年バルセロナ五輪である。サマランチ会長が自分の故郷で開催した第25回大会である。五輪競技になるには様々なハードルをクリアしなければならないが、その最も重要なファクターとは、実は、五輪が全てのスポーツの至高の存在でありうるかどうか?という点で、ここにサマランチは一番こだわっていた。同じバルセロナ五輪のバスケットボールに米国が初めてドリームチーム(NBLの選手たちで構成)を派遣したことは記憶に新しい。MLBの選手が出ない野球をサマランチが認めた背景には、日本野球への彼一流の特別な理解があった。 2002年からのロゲIOC会長新体制が野球を五輪競技から外す決断をしていくのも、当然といえば当然である。MLBは依然、五輪にトップアスリートの派遣を推奨していないし、野球の国際連盟(IF)は普及活動にも力を出し切れていなかった。サマランチという後ろ盾を失ったベビーは孤児となったのである。 その野球が2020年東京五輪の追加種目として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(OCOG)からIOCに付議された。追加種目というコンセプトは、2013年9月のIOC総会(ブエノスアイレス)において、新会長となったトマス・バッハの提唱する五輪改革案「アジェンダ2020」の提言の一つである。その総会で第32回オリンピック競技大会開催都市として東京が選ばれた。 五輪実施競技について、競技数から種目数による制限に変え、種目数と選手数と役員数の範囲内で、開催都市に追加種目の実施を認めるというものである。そもそも「アジェンダ2020」の主目的は何かと言えば、五輪運動の維持継続である。そのためには開催したい都市が永続的に出現する必要がある。開催経費の捻出の基盤となるその都市が実施したい種目を五輪「競技」の枠を取っ払っても選べますよ!という開催運営に心を砕いた規定である。 「競技」と「種目」と言っても分かりにくいので、簡単に説明すると、競技はsportの訳、種目はeventに相当する。水泳で言えば、競技は水泳、種目は100メートル自由形となる。 これまでは五輪競技(Olympic Sports)から実施競技を選んでいたから、五輪競技に選ばれないとどうしようもなかった。しかし、実施基準が競技から種目となったことで、Sportとしては認められていなくともEventとして提案し、実施できるというわけである。 東京五輪組織委員会が五輪競技から除外された野球を開催都市の権利として提案することは我々日本人からすれば至極当然のことのように思える。しかし、先述のとおり、野球は生粋のサマランチベイビーであり、彼の庇護なくしては存立しえないほどのはかない存在であるという真実を想起する必要がある。最も重要な選考基準はオリンピズムにある最も重要な選考基準はオリンピズムにある 本年9月28日にOCOGがIOCへ提案する追加種目18を発表したが、種目として野球男子が入り、「野球は日本の国民的スポーツであり…」と詠われているように、日本人の多くは野球が追加種目になるのは当然だと思っているだろう。若者に聞いても野球が追加種目としては有力だという意見が多かった。追加種目を含むソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンに比べて知名度が高い。IOCの最終決定は2016年リオデジャネイロでの五輪時に開催されるIOC総会で行われるが、その選考基準は35項目に亘っている。 何が最も重要な基準であるか? それを考えるヒントは、オリンピック運動を支えるオリンピズム(五輪哲学)である。なぜなら、それがために五輪大会は開催され続けなければならないからだ。端的に言えば、それは創設以来の理念、「スポーツを通して世界平和を構築する」である。そのためにはオリンピック競技大会は至高の競技大会でなければならない。それが至高であるから、各国は自らを代表する最も優れたアスリートを国を挙げて出場させる。そしてそれぞれのナショナリズムを背負った選手たちが競う合う中で、敵を認め尊敬することを学ぶ。それによって戦う前提であったナショナリズムも超越し、それが全世界レベルで共有される。オリンピズムとはナショナリズムを利用して、ナショナリズムを超克する思想なのである。 そこで、最大の基準は「最上の選手の参加」である。サマランチ会長の改革は商業主義と揶揄される場合が多いが、それは「最上の選手の参加」という視点からプロ化の必要性を見抜いていたからと捉えることもできる。世界で最も強い選手が出る大会でなければオリンピックの理念に反することになる。この部分は現会長バッハも「アジェンダ2020」で引き継いでいて、プロリーグやIFとの連携で「最上の選手の参加」を確保することを重んじている。その意味で野球にはMLBの参画が必須であり、現状はこの点で相当厳しいものがある。MLBが五輪運動に賛同して選手の参加に協力できるようにならなければ、「アジェンダ2020」の求める五輪の持続可能性において脆弱である。追加種目として選ばれてもそれが持続的五輪競技となりえるかどうかもそこにかかっている。東京ドームのライト側スタンド=2015年3月28日、東京・文京区(撮影・春名中) 野球が正式に追加種目となった場合に一番の問題は競技会場である。「心配するな、東京ドームがあるじゃないか!」と言う人が多いだろうが、五輪期間中は五輪会場は特別な空間である。「スタジアム、 会場、その他の競技場エリア内とその上空は、オリンピック区域の一部とみなされ、 いかなる形態の広告またはその他の宣伝も許されない。スタジアム、会場、またはその他の競技グラウンドでは商業目的の設備と広告の標示は許されない」(オリンピック憲章第50条第2項) 会場内は"Clean Venue"の原則から、TOPスポンサー(五輪の最上位スポンサー)であっても、広告が許されることはありえない。この点に関して、オリンピックは五輪の威厳を保っている。そうなると、現在、東京ドームに掲示されている全ての宣伝広告は撤去しなければならないことになる。 ドームには既存の売店等が多数存在するが、それらはどうするのだろうか?五輪時もそこで商業活動を営むのならば、五輪スポンサーにならなければならない。そのために払わなければならないスポンサー料はとても小売業者に払える額ではないと思える。もし東京ドームを野球の主会場とするならば、少なくとも五輪スポンサー以外の業者は、最低でも五輪開催期間中はそこから撤退しなければならない。スポンサー企業が提供できないものについては、期間内営業について交渉の余地があるもののスポンサーにはfirst refusal right(第一拒否権)があり条件は厳しい。 さらに大会期間中だけであるならば、16日間で済むが、リハーサル大会を行う場合は、本大会よりも宣伝広告禁止コードは低いもののそれなりの対処が必要になる。 であれば、東京五輪のために新たに野球場を建築した方が容易に思える。が、それは、新国立競技場問題で揉めたばかりのOCOGに新たな財政的問題を引き起こす。そもそも「アジェンダ2020」は開催経費の節約について既存施設の有効利用を提言しているだけに、東京ドームの利用は推奨されるところである。しかし、実際の運営を考えるとその実現にはオリンピックの壁が聳えている。 野球が五輪競技として磐石なる地位を築くことを真摯に考えるならば、まず日本の野球機構の矛盾を止揚しなければならないだろう。そもそも五輪代表を決める権利はその国のNOC(日本ならば日本オリンピック委員会=JOC)だけが有する。NOCが認証したその国あるいは地域で当該競技を統括する唯一のNF(国内競技連盟)だけがNOCに代表選手を推薦できる。しかし、日本にはプロ野球、社会人野球、学生野球があり、それぞれが自己の権威を保っている。五輪代表を選考するために言わば「便宜的に」全日本野球協会が設立され、JOCの傘下にあるが、IOCの基準からすれば、底辺からトップまで一環して統括管理し、選手育成、野球振興を図るために機能する野球統括組織の誕生が求められる。その道はMLBの五輪参画とともに険しいようだ。 2008年の第29回オリンピック競技大会(北京)以来、姿を消した野球が第32回の東京五輪で復活するために超えなければならない壁は思いの外に高いのである。(敬称略)

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    メダルありきの18種目 「柔道の父」のオリンピズムはどこへいった

    ートの華やかな舞台なだけではない。 すべての人々、老若男女ひとりひとりのために五輪はある、そのことがオリンピック憲章に謳われていることを忘れてはならない。 だから五輪の運営は、人々に愛される努力を怠っては成功に導けない。 ところで来年IOCに提案される野球・ソフトボール、空手、ローラースポーツのスケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの5競技18種目には共通点を感じ取っている人は私だけではないと思う。 それは日本がメダルをその競技で獲得できる可能性が高いという思惑である。 暗黙の了解といってもいい皮算用を考えたとき、今は亡き嘉納治五郎氏が怒るのではないかと思う。 嘉納治五郎氏は、ご存知のように1940年の五輪招致(戦争のために返上)に大きく寄与した人である。 一方で彼は“柔道の父”と呼ばれているように日本中に沢山あった柔術から暴力的で危険な部分を取り除き、柔術を柔道化した人である。彼は発明した柔道を心から愛し、柔道を世界の国々への布教に務めた。 しかし忘れてはならないのは、五輪の招致には熱心だったが、柔道の五輪種目への導入には反対していたことである。 柔道が正式種目になれば、日本ばかりがメダルを集中的に獲得してしまうから良くない、と考えていたのである。つまり五輪はあくまで自他共栄のために開催されるべきだから、柔道を正式種目にするには、まだ早い。もっともっと柔道を世界に広めて正しく対等な立場になってからの時期が良いと考えていた。 そういう意味で、日本のメダル加算を計算しながらの種目選びには、嘉納は“賛成しかねる”と言ったのではないだろうか。 すでに今まで五輪種目は満杯だと考えられてきたのに、「五輪アジェンダ2020」がまとめられ、東京五輪から立候補都市の減少を押えるために開催都市が追加種目を提案できる権利を得た。 それに対して開催都市の活躍やメダル加算メリットだけを考えて良いものだろうか。二度目の東京五輪を迎える、仮にも先進国といわれる国ならば、メダル獲得ばかりに集中するのではなく、80年という時空を超えて、嘉納の精神を踏襲する種目提案があっても良かったように思うのは、私だけだろうか。つまり世界中の人々の未来のために自他共栄の精神からの種目提案である。そういう理念の提案を示すことが、未来に向かっての2020年東京開催を印象づけることなのではないかと思うのだが…?!

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    五輪は若者の遊び場じゃない 追加種目はIOCへの献上品か

    はかけ離れた“長老支配”による迷走が続く2020年東京五輪が、また変わった話題を提供してくれた。国際オリンピック委員会(IOC)に提案する追加種目候補、5競技18種目のリストを見て、あぜんとした中高年も多かったはずだ。 野球・ソフトボール、空手は予想通りとはいえスケートボード、サーフィン、スポーツクライミング。カタカナ3競技が何で五輪競技なのか、さっぱり分からない。「五輪は若者の遊びの場じゃないぞ」と憤慨する声もあった。 「若者のスポーツ離れ」を危惧するIOCの意向に沿うと、こうなるらしい。スケートボード関係者は「まず、選手の服がオシャレで若者人気につながり、動きがハデでライブ感がある」と喜びを語っていたそうだが、五輪はいつからそんな軽薄になったのか。 選んだ組織委員会の追加種目検討会議のおじさんたちは、3競技を生で見たことがあるのか。まさか「カッコいい」と感化されたわけではないだろう。「若者へのアピール」というなら、若者はもちろん、広い年齢層に愛好されるボウリングはなぜ落ちたのか。選考過程もハッキリしないままで、どんな競技かも知らない大半の人たちにとってはマニア向けの際物にしか見えないだろう。 新国立競技場が白紙撤回され、パクリ騒動で公式エンブレムまで白紙撤回した。もうこれ以上、IOCの機嫌を損なうことは許されない。組織委員会は最後は候補種目を絞りきれずIOCに丸投げした格好で「仰る通り、若者向けを選びました。ささ、どうぞ」といった感じの“献上品”にも見えてくる。 問題は来年8月の総会でIOCが5競技すべてを承認するかどうかだ。 IOCは追加種目の上限について総選手数500人を目安にしている。提案では野球・ソフトのチーム数を8から6に減らすことで、5競技で合計474人で抑えた。「だからといって、5競技すべてOKというわけにはいかないだろう。IOC内部では5競技は多すぎる、という声が早くも出ているらしい」と関係者は懸念する。 総会では5競技一括で審議するのか、1競技ずつ審議し採決するかも決まっていないという。後者になると「こんな競技は知らないぞ」と反対され落選の恐れも多分にある。「当選だ」と大喜びしたのに来夏、土壇場で落とされた競技団体が出るとしたら、とんだ罪作りになる。 若者のスポーツ離れ対策に、IOCは14-18歳を対象に10年から4年に1度、五輪と同じくらいの規模でユース五輪を開催している。何も若者に媚びを売って大人の五輪に採用しなくても、こちらの五輪の種目にして思う存分やらせてやればいい話ではないのか。

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    “死角種目”「女子野球」 野球・ソフト復活でも朗報といえない現実

      2020年東京五輪の追加種目として国際オリンピック委員会(IOC)に提案された5競技18種目。そのうち野球・ソフトボールは「1競技」としての復帰を目指し、あくまで野球は男子、ソフトボールは女子という「カテゴリー」が設けられている。そのため、女子野球で五輪を目指す選手にとっては、東京五輪での復活になっても決して“朗報”とはいえないのだ。歴史的に見ると、「野球が男子の競技」というのはステレオタイプな認識と分かるのだが…。「ハーラー現象」にわいた20年前 1995年9月、東京六大学のマウンドに女子選手が史上初めてマウンドに立ち、社会現象になった。明大野球部に在籍したジョディー・ハーラーという米国人投手が伝統ある六大学野球史にその名を刻んだ。 しかし、パワーと技術の両面で男子学生とは比べものにならない。記念すべきマウンドでコントロールが荒れ、2イニング持たずに降板した。実はハーラーが公式戦で投げたのはこの一度きり。その年の秋には明大野球部を退部、米国へ帰国してしまった。六大学の希望の星になるはずが、図らずも女子選手が男子と渡り合うことの難しさを植え付けることになった。「一瞬」の女子プロ人気 日本の女子野球の歴史は古く、100年近い浮沈のヒストリーがある。大正時代中頃、「インドア・ベースボール」という名称で今治高女(愛媛)などの女学校にチームが発足、野球に似たゲームを行っていた。 戦後間もなく、白球に夢を追い求めた女子選手を追ったノンフィクション作家の谷岡雅樹が書いた『女子プロ野球青春譜1950』(講談社)によると、「女性のプロスポーツ競技として、戦後もっとも華やかで日本全国の耳目を集めたのは女子プロ野球である」という。ブームを迎えた50年8月頃には16チームがしのぎを削っていた。しかし、華やかな時代はわずか2年で幕を閉じる。52年からは活躍の場をノンプロに移し、夢のような時間が再び訪れることはなかったという。日本の相手は米国のみか それでも女子野球の灯火は消えることなく、1997年には第1回「女子高生の甲子園」が開催された。また、日本の女子野球はワールドカップ(W杯)で4連覇するなど世界でも群を抜く。しかし、知名度の低い女子野球を取り巻く環境は貧弱そのものだ。競技人口も男子の1%に満たない。野球の本場・米国においても「男女格差」は激しく、女子野球の存在は軽視されがちだという。 昨年9月、宮崎で開かれた女子野球のW杯には世界8チームの国・地域が参加。女子日本代表は下馬評通り、6戦全勝で4大会連続金メダルという金字塔を打ち立てた。この大会、米国との決勝は好ゲームだったが、国際舞台に立てるレベルにない弱小チームもあったという。 現時点で女子野球が五輪種目になれば、日本のメダルは「当確」で、金メダル争いは米国との決戦になることはほぼ間違いない。言い換えれば、日本と米国を除くと諸外国のレベルは極端に劣り、せっかくの五輪の舞台が興ざめになる可能性もありそうだ。 日本のソフトボール界を長年にわたり背負ってきたエース・上野由岐子によると、五輪種目か否かは選手のモチベーションにも影響し、五輪種目であり続ければ「子供たちの夢」としてバトンがつながるという。 五輪野球が「男女2種目」として出場できる日は訪れるだろうか。2年に一度開かれる女子野球のW杯は来年9月、韓国・釜山で開催される。開催時期はリオデジャネイロ五輪直後にあたる。世界的に「祭りのあと」のような状況でアピールの場としては期待薄になりそうだ。女子野球が日本と米国以外にも裾野を広げない限り、女子野球の五輪種目入りは難しいと言わざるを得ない。それでも、東京五輪のさらに先に、野球に青春をかけ、汗をかく「侍ジャパン女子」の夢をかなえてほしいものだ。

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    安倍総理よ、「新国立」白紙の根拠示せ

    ないが、遠藤大臣が真っ先に話を聞くべき相手がいる。それは、安倍総理だ。 7月17日、総理自身「本日、オリンピック・パラリンピックまでに工事を完了できるとの確信を得たので決断した」と述べ、白紙撤回を決めた。あれほどの大きな方針転換を決めた以上、間に合うと「確信」した資料や代替案があるはずである。遠藤大臣はまずその案を確認し、国民に広く公開することを最優先で行うべきである。 民主党の党内会議で、文科省やJSCに対して、総理の白紙撤回の根拠となった資料を出して欲しいとの声が多数出た。しかし、文科省もJSCも国交相も内閣官房も、そんな資料や案は見たことがないし、存在さえしていないと答弁した。驚きである。 しかも、白紙撤回発表後、今日に至るまで、安倍総理や下村文科相からも何も話が下りてきていないと言う。奇妙な話ではないか。 総理が白紙撤回を表明した翌日の産経新聞の報道によれば、国交省に作成を依頼してまとめたA4の資料があり、この資料で森喜朗元総理も説得したとされている。報道のとおりなら、その資料を速やかに公開し、そこに記された計画と案を「たたき台」として議論を深めるべきである。 その方が、一から議論をするより時間を短縮できるし効率的だ。しかし、文科省をはじめ政府は頑なにそうした資料の存在そのものを否定する。一体どうなっているのか。意味不明である。森喜朗元首相との会談を終え、新国立競技場の建設計画見直しを正式に表明する安倍晋三首相=2015年7月17日午後、首相官邸(斎藤良雄撮影) 実は、これから見直し計画をつくり期限に間に合わせることは時間的に極めてタイトである。というのも、安倍総理は「2020年春」に間に合うと判断して白紙撤回の決断をしたが、その後、IOCから東京都に対して、2020年の1月までに完成させてほしいとの要請があり、さらに2〜3か月程度早めなくてはならない状態に陥っている。さらなるスピードアップが求められているのだ。 それなのに、総理が「確信」に至った資料は未だに出てこない。政府が資料の提出を拒み続ける理由が分からない。 ちなみに、8月14日に開催された「新国立競技場整備計画再検討のための関係閣僚会議」で示された「再検討に当たっての基本的考え方(案)」には、4つめに「計画の決定及び進捗のプロセスを透明化する。」と明記されている。新国立競技場をめぐる混乱の原因として、責任の所在が不明確であったことへの反省からだ。 そうであるなら、まずは安倍総理の白紙撤回に至る意思決定プロセスを透明化すべきではないか。「白紙撤回」の責任が不明確なまま、再び混乱を招くようなことがあってはならない。 他方、同じ「基本的考え方」には、検討の方向性として、・施設の機能は、原則として競技機能に限定・屋根は観客席の上部のみ・諸施設の水準は、オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとして適切に設定などの記述があり、一部の設計スペックについて先取りするような記述がある。しかし、なぜこうしたスペックが必要なのか詳しい説明は一切ない。密室での意思決定が再現されるおそれがある。 こうした「基本的考え方」の書きぶりを見ると、内々決めている代替案があるのではないかと疑ってしまう。ゼネコンなどに作らせた代替案があるのに、アスリートなどからヒアリングを続けていたとしたら、それは単なるアリバイ作りの茶番劇でしかない。 とにかく、7月17日に安倍総理の白紙撤回の決断の根拠となった資料と代替案を速やかに公開すべきである。今のまま見直し作業を進めても、国民の不安と不信は解消されない。 私は、ここまで新国立競技場の建設問題が混迷を極めてきた大きな理由は、決定過程の不透明さと、関係者の責任の所在の不明確さにあると考えている。 せっかく、安倍総理が見直しという判断を下したわけだから、同じ失敗を繰り返さないためにも、速やかに関連資料を公開し、計画見直しプロセスの透明化を図るべきである。 白紙撤回のプロセスが不透明であれば、今後の見直し作業全体が不透明になる可能性がある。そしてそのことが、関係者の責任の所在を不明確にするおそれがある。実際、所管官庁である文科省も、実施主体であるJSCも、計画見直しについては、「総理がお決めになったことですから」といった調子で、どこか他人事である。 最後に、もう一点提案をしたい。 8月7日に、新国立競技場建設計画にかかるこれまでの経緯を検証するための「検証委員会」が文科省に設置され検討が始まっている。私は、この検証委員会の場で、まず白紙撤回の決定プロセスについて検証すべきだと考える。 現在のスケジュールでいけば、検証委員会が、検証結果をまとめるのが9月中旬。一方、「再検討のための関係閣僚会議」が新たな整備計画に基づく公募を実施するのが9月初めとされており、新たな公募に検証結果は反映されないことになっている。これでは検証委員会の存在意義がない。 同じ失敗を繰り返さないためにも、検証委員会は、安倍総理の7月17日の白紙撤回に至る経緯についても検証の対象とし、その問題点を明らかにしたうえで、新たな整備計画に基づく公募に生かしていくべきである。 検証のための検証ではなく、見直し作業を成功に導くための実のある検証にするためにも、安倍総理は、白紙撤回を判断するに至った関連資料や代替案について速やかに国会と国民に公表すべきである。 それができなければ、新国立競技場の建設計画は新たな霞の中に迷いこむおそれがある。総理の決断を強く求めたい。

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    五輪エンブレム作者の新たな疑惑~国民が誇りを持てるデザインを

    ー) TOKYOの中心にあるKの文字が消え、「TOYO(盗用)五輪」と印象づけられてしまうのか。東京オリンピックのロゴをデザインした佐野研二郎さんへの疑いが再燃し、事態は収束に向かうどころか、作品のイメージは悪化の一途をたどっている。 東京オリンピックのエンブレム制作者・佐野さんが手がけたサントリービール株式会社のキャンペーン用のトートバッグのデザインが、他の作品の絵や写真と似ているとの指摘が相次ぎ、サントリーは13日、佐野さん側からの取り下げを求める連絡を受けて、キャンペーン商品の一部を発送中止にした。(画像出典 サントリーホームページ)  ベルギーのデザイナー側がリエージュ劇場のロゴマークを盗用されたとして、IOC・国際オリンピック委員会などに使用の差し止めを求める文書を送ったことに対し、佐野さんは5日に会見を開いて、「まったくの事実無根だ」と否定し、「これまでパクったことは一切ない」とも述べたばかりだった。 東京五輪組織委員会はこの問題について、「国際商標の調査を行ったうえで登録を済ませており、リエージュ劇場側が商標登録を行っていないため解決済み」として、問題にはならないとの見解を示していた。組織委員会が、佐野さんが取り下げを求めた今度の件を受けて、どういった対応に出るかに注目は集まるが、お役所じみた組織の保守的な考えのもとでは、おそらく「問題はない」の一辺倒に徹するのではないだろうか。 そもそもこの問題は法律上で云々すべき事柄ではない。著作権侵害に触れるか触れないかの懸念ではなく、国民が東京五輪のシンボルに誇りを持てるかどうかの観点が一番大切なことである。デザインの好き嫌いは別にして、オリジナリティーは不可欠だからだ。サントリーの仕事に佐野さんは直接携わってないのかもしれない。ただ、自身の事務所の作品で、キャンペーン広告には「佐野研二郎デザイン」と銘打ってあるのだから責任逃れはできない。東京五輪のデザインは、組織委員会というバックに守られているからいいが、キャンペーン商品は分が悪いから非を認めたのだろう、と受け止められても仕方がない。自分たちでTOKYOのKの字を消してしまったと言える過失である。 今回の騒動を目にしていていると、佐野さんの姿がアーティストというよりは事業家の風体として写ってくる。作品を世に認めてもらいたいとの原点を忘れずに抱いているのならば、自分の作品以前に似たものがあると指摘されて、自尊心が許さないのがアーティストの気概というものであろう。盗用はしていないと正当性を訴えたうえで、発想力のあるアーティストとしての気概を見せるべきである。このままでは「商業の商業アーティストによる商業のためのオリンピック」などと揶揄されて、作品のイメージは悪化したままになる。 TOKYOのKの字を佐野さんがKeepするために、“Keep it real”(英語のスラングで「自分らしくな」)との言葉を送りたい。それにしても東京オリンピック開催までは5年ある。新国立競技場の整備計画も含めて、「なにをそんなに焦って自分たちを追い詰めているんだい」と、開催が来年に迫っても問題が山積みのブラジルから呑気な声が聞こえてくる。

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    疑惑の五輪エンブレムなんかいらない!

    設計から見直すことになった新国立競技場に続き、またしても2020年東京五輪にミソをつけた公式エンブレムのパクリ疑惑。デザインを手掛けた佐野研二郎氏の釈明も空しく、次々と浮上する盗用疑惑にネット上では大炎上が続く。こんな灰色の五輪エンブレム、もう取り下げた方がいい。

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    実は大阪万博のシンボルマークもひと騒動あったんです

    鹿間孝一(産経新聞特別記者兼論説委員) 2020年東京五輪のエンブレムが、ベルギーの劇場のロゴとそっくりだというので騒ぎになっている。 確かによく似ている。 デザインしたアートディレクターが記者会見して「要素は同じものがあるが、デザインに対する考え方が違うので、まったく似ていない」「オリジナルと自信を持っている」と盗用疑惑を否定したが、ベルギーの劇場ロゴのデザイナー側は「盗作であることは明白」と法的手続きを取る考えを示している。 さてどうなるか。 建設費が膨大すぎて設計から見直すことになった新国立競技場に続いて、またしてもケチがついた。準備期間が5年を切った東京五輪は前途多難である。 こちらは、そうカネも時間もかかるわけではないから、デザイン・コンペをやり直してはどうか。 実は、いったん決まったシンボルマークを差し替えた例がある。 1970年の大阪万博である。当初デザイン「インテリだけが分かる案だ。大衆性なし!」トップ決断で差し替え 大阪万博のシンボルマークは桜をかたどったもので、5つの花びらは5大陸、すなわち世界を、中央の丸は日本を表現している。その下に「EXPO ’70」の文字。 グラフィックデザイナーの大高猛さん(1926~2000年)の作品である。日本万国博覧会(エキスポ'70)の新しいシンボルマークを持って“ご満悦”の「財界総理」こと石坂泰三・協会会長=昭和42(1967)年8月 大高さんは大阪を拠点に活動し、日清食品のカップヌードルのパッケージデザインなどを手がけた。 デザイナー15人と2団体を指名して行われたコンペで選ばれたのは別の作品だった。 上部の1つの円、下部に鉄アレイのようにくっついた2つの円が配置された。上の円は日本を象徴する日の丸、下の2つの円は東西世界や対立する人間同士が手を取り合う様子を表現した。 ところが、この作品に日本万国博覧会協会の石坂泰三会長(1886~1975年)がクレームをつけた。 「これでは日本が世界の上にあぐらをかいていると受け取られる」というのである。さらに「インテリだけがわかるようなものはだめで、大衆性がなければいけない」。 一理ある。しかも「財界総理」と呼ばれた元経団連会長の言葉は重みがある。審査委員たちも反論できず、コンペをやり直すことになった。 わが国のデザイン界の重鎮だった亀倉雄策さん(1915~97年)による1964年東京五輪のシンボルマークを覚えている人も多いだろう。 日の丸をイメージした赤い円に、金色の五輪マークと「TOKYO 1964」の文字。 説明の必要がないシンプルなものほど目に焼きつく。 大阪万博の桜のマークもシンプルで、石坂さんが望んだ大衆性があった。 大阪万博は日本のデザイン界に革命をもたらした。 名だたる建築家が奇抜で未来的なパビリオンの設計を競い、気鋭のファッションデザイナーたちが各パビリオンのコンパニオンのユニホームを手がけた。 会場内の道路標識や街灯、電話スタンド、さらにはトイレやゴミ箱などあらゆるものがデザインされた。 大学紛争や70年安保闘争、ベトナム反戦運動など反体制的な時代の風潮の中で、クリエーターたちがすべて万博に賛同していたわけではない。が、そんな「反パク(反万博)」のエネルギーさえも大阪万博はのみ込んだ。◇ 象徴的なのがチーフ・プロデューサーだった岡本太郎さん(1911~96年)が手がけた「太陽の塔」である。太陽の塔 お祭り広場は高さ30メートルの大屋根で覆う設計だったが、「べらぼうなものにする」と岡本さんが宣言した「太陽の塔」はとても屋根の下に収まらない。 議論百出したが、岡本さんは大屋根を突き抜けさせることで解決した。アイデアの元になったのは石原慎太郎さんの芥川賞作品「太陽の季節」で、男性のシンボルが障子を突き破る有名なシーンである。 岡本さんは「太陽の塔こそ反万博だ」と言ってはばからなかった。 東京五輪があれこれ迷走するのは、こうした骨太の精神がないからではないか。しかま・こういち 産経新聞特別記者兼論説委員(平成25年9月まで大阪特派員を兼務)。北海道生まれの大阪人。生涯一記者を自任していたが、なぜか社命によりサンケイリビング新聞社、日本工業新聞社で経営にタッチして、産経新聞に復帰した。記者歴30余年のうち大半が社会部遊軍。これといった専門分野はないが、その分、広く浅く、何にでも興味を持つ。とくに阪神タイガースとゴルフが好き。夕刊一面コラム「湊町365」(「産経ニュースWEST」では「浪速風」)を担当。共著に「新聞記者 司馬遼太郎」「20世紀かく語りき」「ブランドはなぜ墜ちたか」「なにが幼い命を奪ったのか 池田小児童殺傷事件」など。司馬遼太郎に憧れるも、いうまでもなく遼に及ばず。

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    スタッフが作ったものでも「佐野デザイン」? 佐野研二郎の未熟さ

    藤本貴之(東洋大学 准教授・博士[学術]/メディア学者)(メディアゴンより転載) 東京オリンピックのエンブレムの盗用疑惑に端を発し、その他のデザイン仕事でも複数の「盗用」と思われる疑惑が指摘されている佐野研二郎氏の問題。 サントリー社のキャンペーン「夏は昼からトート」の賞品であるトートバッグにも多くの盗用/トレースの疑惑が指摘された。8月13日付で、8つの賞品が佐野氏自身の申し出により取り下げられている。 佐野氏がトレースや盗用と疑われる点を認め、自身のホームページでも取り下げについての説明を掲載している。ようは、「デザインを担当したスタッフが無断でやったことで、自分が知らぬことだった。トレースなどは自分のデザイナーポリシーにも反する」ということが書いてある。 管理者としてのスタッフ教育の不十分さに責任を感じ、危機管理や著作権意識を高める契機したい、という方向性で収めようとしていることが分かる。しかし、前後の状況を見ると、なんとも不思議な状況も浮かび上がる。 まず、佐野氏本人の「取り下げの説明・釈明」から当該箇所を引用する。 今回のトートバッグの企画では、まずは私の方で、ビーチやトラベルという方向性で夏を連想させるコンセプトを打ち立てました。次に、そのコンセプトに従って各デザイナーにデザインや素材を作成してもらい、私の指示に基づいてラフデザインを含めて、約60個のデザインをレイアウトする作業を行ってもらいました。その一連の過程においてスタッフの者から特に報告がなかったこともあり、私としては渡されたデザインが第三者のデザインをトレースしたものとは想像すらしていませんでした。(以上、http://www.mr-design.jp/ より引用) 確かに、これだけを読むと、管理者としての不行き届きを反省してはいるものの、管理責任こそあれ、実際に盗作実務に携わったわけではない、と弁明している。では、100歩譲ってその主張を受け入れたとしよう。佐野研二郎さんがデザインを手掛けた、サントリービールの販促キャンペーンのトートバッグを掲載した応募用紙。一部の商品が取り下げられた すると、実はもう一つ別の問題点が浮かび上がる。 サントリーのキャンペーン・ホームページには、「佐野研二郎デザイン」と大きく明記してある。しかし、本人は「デザインをしたのはスタッフ」と釈明している。では、「佐野研二郎デザイン」というこの賞品は一体なんだったのか? 「佐野研二郎デザイン」と明記されている場合と、無記名の賞品とでは意味合いは異なる。やはり、今回のキャンペーン賞品とは、サントリーとしても少なからず「佐野研二郎デザイン」を売りにしていたはずである。にもかかわらず、今回のキャンペーン賞品は「佐野研二郎デザイン」ではなく、「佐野研二郎の事務所のスタッフによるデザイン」だったのである。 もちろん、チームによるデザインや組織的なデザイン活動をすることはある。有名デザイナーなどであればライセンス販売も含めて、よくあることかもしれない。しかし、今回はブランド名や会社名ではなく「佐野研二郎」個人の名前になっている。よって今回のような場合であれば、「佐野研二郎プロデュース」などの表記が妥当だったのではないか。

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    五輪エンブレム騒動 擁護デザイナー経由で松任谷由実に飛び火

     2020年開催の東京五輪の公式エンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴと似ているとされた「パクリ騒動」が拡大の一途を辿っている。 当初、きっぱりとパクリを否定したアートディレクターの佐野研二郎氏(43才)。しかし、インターネット掲示板などで指摘を受け、現在サントリーがキャンペーン商品として展開している『佐野研二郎デザイン』のトートバッグは全30種類のうち、8種類のバッグの発送が中止となる事態に発展した。 さらに16日には、前出のサントリーのバッグで『BEACH』のロゴを無断で使われたとしてアメリカのデザイナーが佐野氏に挑戦状をたたきつけるなど事態は一向に収束しない。ベルギーのリエージュ劇場のロゴのデザイナー、オリビエ・ドビ氏 そして“パクリ疑惑”は大きく飛び火してしまった。「佐野氏を知るデザイナー仲間は彼を擁護したんですが、それがよくなかった。インターネット上では新たな標的にされ、次々にパクリが指摘されているんです。なかでもアートディレクターの森本千絵さんが大炎上しています」(全国紙社会部記者) 森本氏は佐野氏と同じ博報堂出身の日本を代表する若手クリエーターの1人。2007年に個人事務所「goen°」を立ち上げ、Mr.Childrenのほか数々のミュージシャンのアートワークや映画やCMなどを手がけてきた。 今やり玉に挙げられているのが、森本さんが担当した松任谷由実(61才)のアルバム『POP CLASSICO』(2013年)のジャケットデザインだ。「POP CLASSICO」のローマ字はそれぞれデザインされているが、「I」の字の中に写る女性の絵がイギリスの写真家ティム・ウォーカー氏の作品に酷似しているというのだ。さらに、他の文字についても過去の作品に似たものが散見されるという。「森本さんとユーミンは旧知の仲。しかもユーミンは過去にも別な作品のジャケットで盗作疑惑をかけられた。今回の件でユーミンは二重の意味でショックを受けていますよ」(音楽関係者)関連記事■ デザイン墓ブーム 光反射するガラスの「光り墓」は410万円■ スズキのSマーク 新幹線700系を手掛けたデザイナーによる作■ 人気アナ調査 フジ森本さやか、テレ東森本智子は幹部ウケ◎■ パクチーブーム火付役店 声の大きさと無料追加の量が比例■ 秋元才加と”お泊まり”撮られた広井王子と森本レオの関係

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    オリンピックに潜り込んだゴキブリたち

    なししてくれるとか。でも、私は、そんな衛生観念と職務モラルの低い国へは、立ち寄りたくもない。 戦後、オリンピックは拡大の一途をたどってきた。その商業ビジネスとしての収入源は2つ。放映権と協賛権。世界中の家庭へのテレビの普及とともに、放映権は法外に高騰したが、東西統一も終わり、チャンネルも過剰で、もはや頭打ち。そこで、協賛権が主軸となりつつある。そのしくみは、オリンピック委員会がエンブレムの商標権を握り、各分野の各企業に「オフィシャル・スポンサー」としての独占(寡占)的使用を認め、その売上の5%(基準以上は7%)を納めさせるというもの。くわえて、帽子やタオルなど、エンブレムそのものの使用も、数千億になる。参加することに意義がある、とされるオリンピック。一般の人々も、テレビで見るだけでなく協賛企業の商品を買うことで、平和の祭典、国家と選手の名誉を賭けたフェアプレーの戦いに参加して応援することができる。そのエンブレムのついた商品を身近に置くことで、選手たちと、そして、世界の人々と一体になって、人間として誇らしい気持になれる。 ところが、今回、それが、あのゴキブリ・エンブレムだ。誰だってオリンピックを応援したい気持はやまやまながら、あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。私(純丘)が見た東京オリンピックエンブレムの印象 企業にしても、同じだ。せっかく苦労して素敵で魅力的な商品を作っているのに、そこにわざわざ高い協賛金を払って穢らわしいゴキブリ印を隅に付けさてせいただき、あえて売上を落とそうなどというバカな会社があるだろうか。申しわけないが、私も昨日、スーパーに行って、ちょっと飲み物を買おうと思ったとき、あ、これも、あのヨントリーだったのか、と気づいただけで、なんだかぞぞぞっと背筋に悪寒が走り、そっと棚に戻してしまった。もっと露骨に、あのゴキブリ・マークがついているメーカーのものだったりしたら、手にしたとたん、驚いて商品を床に落としてしまっていたかもしれない。 オリンピックは儲かる。選手たちが自腹を削り、人生を賭け、名誉と栄光のために一心不乱に日夜、練習に打ち込んでいるときに、彼らを客寄せパンダにして一儲け企んでいる連中がいる。彼らはオリンピックという祭典に潜り込んだゴキブリだ。おまけに、今回、その彼らのゴキブリ印は、じつは、いまだ商標権が取れていない。俺たちのゴキブリ印を使うなら金を寄こせ、という話は、現段階では、まったく法的な根拠すら無い。ヤクザのユスリタカリと同じ。こんな出費根拠不明のゴキブリ連中にカネを出したら、コンプライアンスが成り立たない。経営者たちは株主代表訴訟を喰らって、個人個人で賠償責任を負わなければならなくなる。おまけに、ひょっとするとマークの本当の所有者はもっと他の別の人で、その本来の白い蝶の幼虫マークの正規の使用料として、後からまた莫大な懲罰的賠償金を課せられてしまうかもしれない。 いったい、こんな危うい話に誰が関わるだろうか。ゴキブリ連中がでかい顔をしていられるのも、超巨大予算の目途があればこそ。だが、連中は、あまりに強欲すぎて、オリンピックを成り立たせている根幹のビジネスモデルそのものまで、今回、自分たちで喰い荒らしてしまった。ここまでやつらが「天狗に乗って」、国民感情と国際心象を逆なでし続けるとなると、いっぺん、バルサンでもがっつり焚いて燻蒸し、一網打尽に連中の「巣」ごと退治しないと、話はもう収まらないのではないか。

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    誰が「佐野研二郎」を殺すのか? 捜査の手緩めぬネットの人々

    神田敏晶(ITジャーナリスト) オリンピックのエンブレムからサントリーのトートバッグに至るまで、佐野研二郎氏を取り巻くデザイン疑惑が絶えない。しかし、それを追求しているのが、マスメディアではなく、ネット上における無数の無名の人々だ。彼らはなぜ、そこまでしてネット上の捜査の手を緩めないのだろうか? 新国立競技場の建築費用の疑惑に始まり、その疑惑の空気をまるごと継承してしまったのが、佐野氏のデザインしたオリンピックエンブレムだ。まさに2020年東京オリンピックは疑惑に呪われていると言っても過言ではない。ベルギーのリエージュ劇場のロゴをデザインしたオリビエ・ドビ氏の元にデザインが似ていると伝えたのは友人だった。当初、ドビ氏のコメントは「第一印象は、偶然としか思えませんでした。僕と同じアイデアを持っている、日本人デザイナーがいるんだなと」という穏やかなものだった。そして、スペインのデザイン事務所からも、東日本大震災の復興支援で寄付を募るために作ったデザインとも似ているという指摘が登場した。海を越えて伝わる情報も、電波や紙の時代では、希少であったが、ネットが介在することによって、言語の壁はあれど、距離の壁はほとんど、なくなったのだ。 単なるアルファベットという、たった26文字しかないデザインエレメントの組み合わせで重複する可能性があってもおかしくないデザイン領域の世界。佐野氏は記者会見にのぞみ、盗作の疑惑は「事実無根」と宣言した。本当は、佐野氏は1人でその責任を負う必要はない。コンペで選ばれたのだから、そのエンブレムを選んだ選考会のメンバーやオリンピックの責任者も共に出席すべきだった。今回の東京オリンピックが呪われている原因は、それらが決定されるプロセスが社会に可視化されておらず、密室でおこなわれてきた経緯がある。このソーシャルメディア時代は、社会から承認を得るためには、すべてのプロセスを公開していかなければ納得されないという大衆側による、いわば「逆規制型の衆人環視社会」となっていると筆者は考えている。今までのマスメディア主導の世論形成とは全く事情が異なっているのだ。エンブレムについての記者会見で説明する制作者の佐野研二郎さん=8月5日午前、東京都港区 著名なデザイナーでもある佐野氏のデザインは、いまや「佐野研二郎+デザイン」で画像検索すれば作品はズラリと誰もが検索できる。さらに、その個々のデザインも画像検索すれば、似ているような別のデザインがさらにズラリと並ぶ。アルゴリズムが似ているネット上の画像をマッチングさせるので、ネット上の単なるヒマ人の「烏合の衆」はいつしか優秀な「ソーシャル捜査官」へと変貌しているのだ。 佐野氏が臨んだ5日の記者会見で、フジテレビの記者が質問をした。「リエージュ劇場のデザインがアップされてるPinterestのサイトを見られたか?」というものだ。佐野氏は記者会見で「(Pinterestのサイト)を見ておりません!」と怒りをあらわにしながら断言した。しかし、ネット上では衝撃的な情報が出回る…。ベルギーデザイナー「デザインSNSのPinterestからパクっただろ」佐野「違う。Pinterest見てない」→佐野垢発見というものだ。解説が必要だが、Pinterestに佐野氏の公開されているアドレスを打ち込んで登録しようとしたらすでに登録されていて登録できないとPinterestのプログラムが返してくるのだ。これは不正やなりすましを防止するために、申し込んだ人の電子メールに確認をし、それが認証されてはじめて入会できるというプロセスをPinterestが踏んでいるからだ。Pinterestを見てないといった佐野氏の事務所の@mr-design.jpのメールアドレスでPinterestの登録がなされていることは、瞬時にネット上で拡散されてしまった。さらにそんな最中に、サントリーのトートデザインの「トレース」による盗用について全面的にスタッフがやってしまったことを認める文書を公表した。 ネットの世界では、facebookやLINEのように実名や電話番号で個人を特定できるメディアも隆盛を誇っているが、まだまだ個人名は伏せながら、匿名というペルソナを持って活動できるメディアが多い。自分とは全く別の人格で決して本人が傷つくことなく、相手を無尽蔵に攻撃できる。失うのはアカウントだけだ。また、どこかの電子メールでアカウントを取得すれば良いだけだ。絶対に敵に倒されないロボットをコントロールするようなものだ。何も得るものもないが、失うものはない。日常のやりとりでは、絶対に主従の関係があり行動すら管理される。しかし、匿名性の高いネットの世界では思い切り強くなれる。そして残忍にもなれる。法律に触れない限り基本的に言論は自由だ。まるでそれは、「デスノートを持った夜神月(やがみ・ライト)」のように血祭りに上げることさえも可能だ。しかし、彼らには血祭りにあげられる側の心情は理解しにくい。 さらに、ネット上の世論は常に偏りをみせない。ネットではネット上におえる「裏取り」のマナーが必要となっている。単なるデマではなく、デマはデマなりにデマらしい論理的な振る舞いが求められているという「裏取り」がないと拡散しない。ある意味、拡散される「デマ」は、限りなく信ぴょう性を持った「デマ」という見方もできるのでややこしいのである。※参考1(https://www.youtube.com/watch?v=plI7FYp1HQ8 28分15秒)※参考2ベルギーデザイナー「デザインSNSのPinterestからパクっただろ」佐野「違う。Pinterest見てない」→佐野垢発見 [215630516]http://www.logsoku.com/r/2ch.sc/poverty/1439852666/※参考3http://www.mr-design.jp/

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    なぜここまでこじれたのか? 五輪エンブレム騒動の法的論点を整理

    ンの背景となっている哲学の違いを述べただけだ。結果としてロゴは似ている」と述べ、今月14日には、国際オリンピック委員会(IOC)を相手に、エンブレムの使用差し止めを求めてベルギー・リエージュの裁判所に訴えを起こしました。どうして、ここまで問題がこじれているのでしょうか。(ライター・関田真也)【動画】五輪エンブレム問題 佐野研二郎氏が会見「盗用は事実無根」ベルギーのロゴは「商標登録」されておらず 今回の問題をめぐっては、商標登録と著作権の2つの問題点が考えられます。 ただ、ベルギーの劇場ロゴはそもそも商標登録がされていなかったため、商標権については問題になりません。仮に商標登録されていたとしても、五輪エンブレムは文字とセットで使われており、また両者の図柄は右上の赤丸の有無などの違いがあるため、2つが誤認混同される恐れはなく、結論は変わらないでしょう。ドビ氏による「著作権」侵害の証明は困難 そこで、もう1つの論点である著作権の問題に絞って考えていきましょう。著作権侵害が認められるためには、既に存在する他人の著作物を利用して作品を作出したこと(依拠性)と、比較対象となる両者のデザインが類似していると判断されること(類似性)が必要です。裁判では、この2つの要件を著作権者、すなわち今回の場合はベルギーのデザイナーが証明しなければならないということがポイントです。「オリビエ・ドビ氏が、佐野氏が劇場ロゴに依拠したという事実を証明することは、難しいでしょう」と著作権に詳しい桑野雄一郎弁護士は言います。ベルギー・リエージュ劇場のロゴ(左)と2020年東京五輪の公式エンブレム ベルギーの劇場ロゴは、アルファベットという文字を基調としたものですが、単に文字の組み合わせではなく、文字をベースにデザインがされたものであり,著作権そのものが否定されるということはないでしょう。ただ、劇場ロゴのような作品は、どうしてもシンプルなものになりがちで、他のものに似た作品ができやすいという性質があります。似ている部分があるというだけで著作権侵害とされてしまうと、他のデザイナーに対して不当な制約となってしまいます。そこで、著作権侵害となる範囲はある程度絞りこむ必要性があり、類似性の要件はわずかな差異を理由に否定されることも多いといいます。今回の五輪エンブレムと、ベルギーの劇場ロゴは、どの部分の差異に着目すればいいのでしょうか。「まず、五輪エンブレムは、モノトーンであるベルギーのロゴとは色彩が全く異なります。また、右上にある赤丸は、五輪エンブレムにしか存在しません。さらに、中心の縦線と左上・右下から伸びる線との接触の有無でも、両者には違いがあります。以上の点から、2つの作品には差異があり、類似性は否定されると考えられます」(桑野弁護士)佐野氏の会見は法的に「満点」だったが 以上のように考えると、五輪エンブレムは著作権侵害にもならないということになるでしょう。会見で、佐野氏は、「劇場ロゴは見ておらず、また、両者は似ていない」と説明をしていますが、前者は依拠性を、後者は類似性を否定する趣旨だと考えられます。これらの発言について、桑野弁護士は、「著作権侵害の要件を的確に押さえたもので、法的責任を否定する説明としては100点満点のもの」としつつも、佐野氏の会見については「同じデザイナーとして、ドビ氏への敬意やその心情への配慮が十分伝わってこなかった」点を残念に感じたといいます。五輪エンブレム問題で、制作者の佐野研二郎氏は5日の会見で「ベルギーの作品は見てもいないし、似てもいない」と説明し、盗作を否定した(Natsuki Sakai/アフロ)「満員電車の中でうっかり他人の足を踏んでしまったのに、法的責任はないと居直って謝ろうとしない、そんな印象も受けました。ドビ氏については、もともと著名なデザイナーではないということもあり、『売名行為ではないか』と揶揄(やゆ)する声もあります。しかし、私は、劇場ロゴは洗練された美しい作品と感じましたし、このデザインが劇場という芸術空間の顔として現実に使用されているという事実には、もっと敬意が払われてよいと思います」(桑野弁護士) 確かに、法律論はともかく、両者が構図などの点で「似ている」という印象を受けることは否定できません。桑野弁護士もそのように感じるといいます。ドビ氏が五輪エンブレムを見て、自身がデザインした劇場ロゴと似ていると感じたことも、無理はないでしょう。今回の問題に対する著作権についての法的分析から考えると、確かに、ドビ氏が勝訴する見込みは少ないといえます。しかし、クリエイターが「自分の作品が模倣された」と感じた場合、どのような理由で似た作品ができたのか、その創作過程を知りたいと考えることが自然であり、相手がその説明をしないと「やはり模倣したからできないのではないか」と疑ってしまうものだと、桑野弁護士は指摘します。「佐野氏が、法律論を離れて、創作過程について試行錯誤の内容も含めて丁寧に説明し、その上でドビ氏に対する敬意と謝意を表明しておけば、ドビ氏の納得と理解も得られたのではないでしょうか。才能ある2人の芸術家が、結果の見えている裁判で本来の活動時間を費消するとしたら、法律家として非常に残念に思うところです」(桑野弁護士) この問題については、複数の専門家がメディアなどで見解を示していますが、ほぼ一致して「著作権侵害とはならない」という結論になっています。2つの作品が、一見して似ているという印象を抱いたとしても、裁判で著作権侵害が認められるハードルは、かなり高いということが現実のようです。しかし、法律的に問題はないとされても、倫理的な問題などを含め、人の納得を得られるかどうかはまた別の問題です。佐野氏の反論は、法律的にはパーフェクトな回答でしたが、桑野弁護士も指摘するように、別の観点からの真摯な説明が、もう少し必要だったといえるでしょう。《取材協力》桑野雄一郎(くわの・ゆういちろう) 弁護士。1991年早稲田大学法学部卒業、1993年弁護士登録、2003年骨董通り法律事務所設立、2009年より島根大学法科大学院教授。著書に「出版・マンガビジネスの著作権」社団法人著作権情報センター(2009年)など

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    新国立 アーチ建設なら駅や線路を貫通しないと造れない事態

     2020年に開催される東京五輪のメイン会場となる、新国立競技場の建設計画が猛烈な批判に晒され、政府は抜本的に見直す方向で検討に入った。 総工費が2520億円という前代未聞の額になった“犯人”とされるのが、新国立のシンボルである「キールアーチ」だ。屋根にかかる2本の流線型アーチは、高さ約70メートル、長さ約370メートルで、総重量は2万~3万トンとされる。アーチをなくせば1000億円以上のコストカットになるとの試算もある。新国立競技場のデザインに採用された英国の建築設計事務所「ザハ・ハディド・アーキテクト」の作品。内観デザイン(日本スポーツ振興センター提供) スケールやコスト面だけでなく、キールアーチ建設を進めるとより根本的な問題に突き当たりかねないと指摘する専門家もいる。建築エコノミストの森山高至氏が語る。 「巨大な弓形の弧を描くアーチには水平方向に広がろうとする横圧力(スラスト)がかかります。最大1.5万トン程度の荷重がかかるとされるアーチを支えるには、両端にコンクリート製のスラストブロックと呼ばれる基礎を造り、地中深くまで伸ばす必要がある」 そのアーチの先端部を地中で伸ばしていった先が大問題なのである。JSC(日本スポーツ振興センター)が作成した新国立競技場の模型などをもとに作成した図を見ると、アーチの両端を地中に伸ばしていくと北側で都営地下鉄・大江戸線の「国立競技場」駅にブッ刺さってしまうのだ。 「大江戸線は地下30メートル付近を走っています。巨大なアーチを支えるスラストブロックは地下30メートル以上まで打たなければならない可能性があり、『駅や線路を貫通させないと競技場が造れない』という異常事態が起きかねません」(森山氏) それを防ぐには、地下30メートルより浅いところでアーチ先端部をコンクリートの土台に固める、通常より念入りな基礎工事が必要となる。大手ゼネコン社員の解説。 「地中に大きな土台を造るために円筒状の掘削機を使うシールド工法と呼ばれる技法を採用する方針だが、競技場周辺は地下に水脈が何本も走っていて、掘ると水が溢れる厄介な地盤だ。そのため基礎工事だけでも数十億~数百億円はかかると思われるが、この“大江戸線対策費”は今回の総工費に含まれているのかどうか」関連記事■ ゼネコン幹部「五輪に向け震災復興事業技術者を東京に転移」■ 国立競技場LIVE 3大テノール、SMAP、ラルク、ドリカム、嵐等■ 五輪建設ラッシュ 215億円で豊洲・汐留結ぶロープウェーも■ 見納め国立競技場豆知識 トラックの下に女性用立ち小便器等■ 新国立競技場「こんなものを作らせるわけにいかない」と作家

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    安保よりも大変? 「新国立」見直し

    東京五輪のシンボル施設と期待されながら、「税金の無駄遣い」と批判がやまなかった新国立競技場について、安倍晋三首相が白紙撤回を表明した。計画見直しは「英断」だったのか、それともただの人気取りか―。「ゼロベースで見直す」という計画の行方は、安保法案成立よりもいばらの道だったりして。

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    新国立競技場建設に「無報酬」で尽力する森喜朗先生に光りあれ

    木走正水産経新聞が森喜朗元首相の単独インタビュー記事を掲載しています。森喜朗元首相 「新国立競技場の経緯すべて語ろう」http://www.sankei.com/politics/news/150717/plt1507170002-n11.html しかし、11ページは長いなあ(苦笑)。 当ブログが時間のない読者のために抜粋要約いたしましょう。 ネットでは「しんきろう・こふん(森喜朗古墳)」と揶揄されている新国立競技場なのでありますが、メディアは俺を悪者にしている、そんあこたあお見通しだとおっしゃいます。はは〜ん、ときたね。反対してる連中は、国立競技場に反対している人たちは、戦略的に僕を一番の悪者にしようとしてるわけですね。 ザハって人の「あんな生牡蠣をドロッと垂らしたようなデザイン」なんか、俺は最初からいやだったんだと。私は当初からあんな生牡蠣をドロッと垂らしたようなデザインを見せられて「へーっ、こんなのは嫌だなあ」と思ったけどね…。 あんなデザイン採用になったのは、元を正せば石原さんの威光のせいだよと。 招致が決まった時の都知事は猪瀬直樹さんだけど誘致できたのは石原さんの存在が大きかった。だから石原さんが推薦する安藤さんの意向を文科省もJOCも拒否できなかったのかな。 そもそも東京都主導だったんだから、国が金を出すのに舛添要一は、国に感謝しろと、東京都が金を出すのは常識だろうが。 だから現都知事の舛添要一さんにも言ったけど、東京都は国がメーン会場を作ることに感謝しなきゃいけない。「迷惑だ」みたいなことを言う立場じゃないでしょ。前々からの経緯から言えば、少しでも資金援助をするのが、むしろ常識ではないかな。6月18日、新国立競技場の建設問題について意見交換後、記者の質問に答える東京都の舛添要一知事(左)と2020年東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長 下村(文科相)がだめだな、逃げてばかりだ。 まあ下村さんと色々ギスギスしてたけど遠藤利明さんが五輪相になったので、国と都の調整は遠藤さんにお願いすることになった。するとどうも下村さんは逃げよう逃げようとするんだな。五輪相がいたって所管は文科相なんだよ。 この前舛添に蜂蜜をやったら「蜂蜜で買収された」と新聞に書かれたよ。 この間、舛添さんがここに来られた時、「風邪引いてる」とおっしゃるから、それで「田舎でもらった蜂蜜があるから持って帰りなさい」と言ったら「蜂蜜で買収された」と新聞に書かれてね。 とにかく次のIOC総会できちんと報告できなかったら、契約違反になるんだぞ。 次のIOC総会できちんと報告できなかったら、契約違反になる。東京都とJOCが「こういう開会式でこういう風にやります」という文書をIOCに出し、契約したんですよ。 これはメンツの問題なんだ。 無責任な評論家は「そんな競技場がなくても五輪はできる」とか言うけど、これはメンツの問題でもある。 でも下村はやっぱりだめだな、「スタンドは仮設にして屋根はやめる」などと、余計な本当のことしゃべりやがって。 さてそこで、屋根の問題がなんでこんな風にこじれたかといえば、これも下村さんなんですよ。初めて公式に舛添さんに協力の依頼に行ったでしょ。 「考えてますよ。スタンドは仮設にして屋根はやめる」と。これは余計なこと。最後に切るカードを先に出しちゃったんで「屋根がいらない」と独り歩きしてしまった。そうじゃなくて開閉式はやめようということだった。 俺は無報酬なんだ、議員年金は家内に渡しているんだ。 日当は使わないでメンバー全員の宴会のために貯めてんだぞ。 僕も無報酬だよ。わずかばかりの議員年金は家内に渡してね。日当は手をつけず組織委のメンバー全員の盆と暮れの打ち上げ代に貯めてるんです。 インタビューの締めはこの台詞です。 俺もいろいろ気を遣ってるんだよ。・・・ 本文はだらだら長すぎるので、だいぶカットしてはしょりましたので、要約の脈絡がおかしいところがあるかもしれませんが、なあに本文も、脈絡がない点では大差ないです(苦笑)からご心配なく、気になる方は本文でご確認ください。 それにつけても森喜朗先生です。 産経記事を見れば「このインタビューは7月14日に行いました。」とのこと。 7月14日といえば、先生の78歳のお誕生日ではないですか。 おお、自らの誕生日に自らの功績を残す国家的偉業「しんきろう・こふん(森喜朗古墳)」もとい新国立競技場建設のために、「僕も無報酬だよ」、「俺もいろいろ気を遣ってるんだよ」と、私利私欲ではないのだ、献身的に国家のために尽力しているんだ、気配りしているんだと、訴える森先生なのであります。・・・ 実は当ブログでは9年前から政治家森喜朗先生の言動には注目して参りました。 当時一部ネットで失笑を買った『森喜朗の法則』も、当ブログが言い出しっぺであります。 お時間の許す読者はご一読あれ。 2006-05-29 『森喜朗の法則』〜反対する政策は100%に近い確率で実現する http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060529 さてと。 俺は悪くない、と。 みんな下村(文科相)が悪いんだ、と。 俺の日当は宴会代のためにためんてるんだ、と。 問題はそこじゃ全然ないのですけど・・・・・・ うむ、とりあえず、「無報酬」で尽力する森喜朗先生に光りあれ!! そして、どうか奇特などなたかが先生に引導を渡してさしあげますように・・・ ふう。(「木走日記」より転載)

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    森喜朗さん、お詫びして辞任するべきところが“名人芸”を披露

    LOG 15/7/17)新国立「アーチなしで屋根工期半分に」…提言書(読売新聞 15/7/17)東京オリンピック・パラリンピック調整会議に臨む(左から)森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会会長、下村博文東京五輪・パラリンピック担当相(当時)=2014年9月1日、東京都庁(代表撮影) で、ここまで騒ぎになったわけですけれどもすでに去年、問題があることについては森さんご自身がそう仰っており、文科省幹部も危機を充分に認識していたことはすでに当ヤフーニュース個人でも説明してきたとおりです。 もちろん、森さんは上記産経新聞のインタビューでは「経緯をすべて語ろう」と言っているのであって「組織のトップとして責任をすべて取ろう」と腹を括っているわけではないのがポイントなんですけれども、このあたりは常識的には組織としての責任問題であり、問題の理由が何であれ責任者が何らかの進退を詳らかにするのが筋論であります。というか、ここまでのことをやっておいて、まだ組織委員長として座ろうとしている魂胆が素晴らしいというか、自分は悪いことをしていないという森さんの精神は炭素繊維なみのしなやかな強靭さを持っておられるのかもしれません。東京五輪の見積8000億円 森元総理「全部再検討を」(テレ朝ニュース 14/10/24)新国立競技場が「もんじゅ」「えふいち」処理みたいになってる(ヤフーニュース個人 山本一郎 15/7/14) 単純にプロジェクトが炎上した責任を取ってトップが辞めてねという話以上に重要だと思うのは、森さんの経緯の説明を聞いても金額の妥当性について優先順位の低いものを切って、計画上の総額を圧縮する具体的な指揮をとっていないように見えることです。決まった予算が膨れ上がったとき、計画を見直すことはトップの最低限の責務ですが、昨年10月に東京五輪の見積もり8,000億円で森さんが「再検討」とまで言及しているにもかかわらず、今回の産経新聞の記事でも同じ金額が乗っかっていて、目を疑いました。まさか半年以上、計画上の予算削減に何一つ手をつけていなかったとは思いませんでした。 森さんは誠実な人物なのは間違いないのですが、経緯を見る限り無能としか思えません。森喜朗会長:「もう一度、全部、検討し直してみましょう。そうしないと、8000億円近いお金を東京都が出さなきゃいけない」森会長は、建設工事の人件費や資材費の高騰で競技施設の整備費の見積もりが8000億円近くに膨らんでいると明らかにしました。これは、開催都市に立候補した時に発表した1538億円の5倍以上になります。そのため、施設の大幅見直しを、都だけでなく組織委員会が直接、整備する施設でも進めているとしました。 出典:東京五輪の見積8000億円 森元総理「全部再検討を」 上記が昨年10月、以下が今回産経新聞のインタビューで出た今年7月14日の内容です。 問題は総事業費だけど、そこは腹をくくって国家的事業だからということで納得してもらうしかないんです。大事なことは、五輪は国と東京都と組織委員会が協力してやることなんです。そして経費を徹底的に精査すること。僕が組織委員会にきて2000億円くらいはすでに圧縮したよ。 それでも東京都が3000億円、組織委員会もトータルで7000億~8000億円はかかる。でも国は2520億円しか出さない。おかしいと思いませんか。3対8対2だよ。 出典:森喜朗元首相 「新国立競技場の経緯すべて語ろう」  「国家的事業だから帳尻が合わなくてもどうにか国が金を出すだろう」という甘えでもあったのかもしれませんが、その国というのは国民の税金であることが完全にメカ次元に飛躍しております。開催都市に立候補した1,538億円を目指して計画を立案することが大前提なのに、見積もりが5倍になって、そこから自己申告ながら2,000億圧縮したところで予算は4倍強になってしまいます。 しかも、東京都が3,000億、組織委員会が8,000億、国が2,520億となると、足し算ですでに1兆円超えるんですよね。そんな話は初めて聞いたわけです。これに周辺事業費がさらにかかるので、当初予算からするとこれも2倍です。東京オリンピック 2020 計画書(150ページ)を熟読してみました。(wan55 2013/10/4)2020年 東京オリンピック/建設予算4554億円 超過は2倍か?(JC-net 2013/10/29) 13年10月の時点で計画書に記された金額の2倍以上になっているわけですが、今年2月に出た2020基本計画書でも大層なことが書いてあります。東京2020開催基本計画5.5 予算構造5.5.1 予算立候補時の東京 2020 組織委員会予算は、競技の運営、仮設会場の建設など大会運営にかかる経費を計上し、その予算は 34 億 US ドル(3,013 億円)となっている。 出典:東京2020開催基本計画 これはいま問題になっているキールアーチつきメインスタジアムだけではなくて、有明アリーナやオリンピックアクアティクスセンターといった周辺施設の建設や、既存設備の代替もセットでのお値段になっております。もうこの対外的に発表されている基本計画の時点で、上記森さんが仰った東京五輪2020開催計画上の数字と大幅な齟齬があるわけですね。 デスマーチです。デスマーチですよこれは。 責任感や職業倫理で引け目を感じて多大な責任と膨大な業務を背負わされる官僚や都職員は逃げて! 早く逃げて! という感じが否めません。マネジメントが不在の大本営というのは、太平洋戦争だろうが原発処理だろうがマクドナルドだろうがだいたい似たような結論に陥るというのが戦前から変わらず日本が世界に伝えるクールジャパン的伝統芸なのかもしれません。 しかも、代案・代替案はいくらでも思いつくのがとても悲しいんですよね。あーあ、といったところでしょうか。 同じ炎上を起こしたくなければ、実力や権力はあっても能力の乏しいトップは挿げ替えたほうがかかるコストが下がり無駄な税金を投入しなくて済むと思うわけですけれども、問題は森さんに替わる人物が見当たらないってことなんですよね。単に著名なら良いということなら三顧の礼でビートたけしでも連れてくれば済むんでしょうが、単なる飾りではだめだ、何かあったときにちゃんと捌ける人が良いということならば、相当ちゃんと人選しないと駄目なんじゃないですかね。 個人的には王貞治さんを推挙しておきたいと思います。(『Yahoo!ニュース個人』2015年7月17日分より転載)

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    安藤忠雄氏の元同志 彼は「建築家エゴ」の塊になったのか?

     2020年東京五輪のメイン会場となる新国立競技場の建設計画が迷走を続けている。その原因となっているのが、デザインコンペの審査委員会で委員長を務めた建築家・安藤忠雄氏が選んだザハ・ハディド氏によるデザイン案と、いつの間にか高騰した建設費だ。 安藤氏は2520億円と試算された建設費については16日の会見で、「選んだ責任はあるが、なぜ2520億円になったのかを私も聞きたい」と語った。そんな安藤氏と多くの仕事をしてきたライフスタイルプロデューサーの浜野安宏氏が、安藤氏について語る。* * * ザハ・ハディド氏のデザイン案を採用した建築家・安藤忠雄氏とは、かつて多くのプロジェクトで一緒に仕事をしてきた。 たとえば1970年代の後半から1980年代にかけて取り組んだ神戸の北野町プロジェクトでは、もともとあった異人館のテイストに合わせた商業施設を設計・デザインし、今でも街づくりのお手本とされている。 その頃はいい仲間だったが、最近は私たちの声が届かなくなってしまったように思う。 私の事務所は東京・北青山にあり、国立競技場は目と鼻の先にある。だから常に地元住民の感覚で新国立競技場の計画を見てきた。記者会見で「新国立競技場」の国際デザイン・コンクールについて語る、同コンクール審査委員長の建築家、安藤忠雄さん=2012年7月20日午後、東京都新宿区の国立競技場(瀧誠四郎撮影) 緑溢れる神宮に高さ70メートルの建造物が現われるわけだが、単に70メートルといわれてもなかなかピンとこない。そこで、私は地元の人たちと一緒に70メートルまで上がる風船を用意して、それがどのくらいの高さなのかを確かめてみた。 やってみてよくわかったが、70メートルという高さは明治神宮の森から完全に浮き出てしまう。実測した結果からいえば、許容できる高さはせいぜい40メートルといったところだろう。それ以上になればこの町では「異物」として認識される。 北野町プロジェクトの時に共有した周囲の環境に合わせて街づくりを進めるという思いは、どこへ行ってしまったのかと思う。 安藤氏はテレビ番組で、ザハ氏のデザインを採用しても森の木を切ることにはならないと語っていた。ところがその数週間後、地元では木をどんどん切り倒し始めた。そういうやり方にも、地元住民は不信感を募らせている。 大会後も残る建造物だからこそ、地域に溶け込んだ空間と建物が求められる。地域住民が有効に使える広場や野外劇場、商業施設などを組み合わせた街づくりの一環としてのスタジアムはできないのだろうか。 今回のザハ案のようなマッチョなデザインは、時代にも合わない。そうしたデザインを押し付けるのは、建築家のエゴに思える。 2020年東京五輪のコンセプトは『Discover Tomorrow~未来をつかもう~』だ。五輪が終わった後の未来をスタジアムとともに生きていく地元住民の気持ちをもっと考える必要がある。安藤氏が今も40年前の志を忘れてはいないと思いたい。

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    森喜朗元首相「新国立競技場の経緯すべて語ろう」

    サッカーとラグビーだけそっちを使えばいいじゃないか」と言ってたな。 ところが、晴海の話はIOC(国際オリンピック委員会)からノーを食らったわけですよ。風があるから公認記録に影響するってね。羽田空港の空路のせいで空撮にも支障があるらしいんだな。2020年の五輪もヨットやカヌー、トライアスロンなどの会場を他に変えたのもそういう問題があったからなんだ。 そういうことで2016年の招致は落ちちゃったけど、2020年は幸い決まった。 五輪招致では「立候補ファイル」というのをJOC(日本オリンピック委員会)と東京都がIOCに提出するんだけど、その中に新国立競技場の全貌が書かれていて、IOC委員の投票の決め手になっているわけです。 2013年9月のブエノスアイレスのIOC総会で日本に投票した委員は「日本はこんなすごいものを造るのか」となった。それに安倍晋三首相は「他のどんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから確かな財源措置に至るまで、その確実な実行が確証されている」と演説して大拍手だったわけよ。 そういうわけで五輪によって新国立競技場はあんな風に変わっちゃったんだが、共同通信の「はじめにラグビーありき」というのは実に下品な推測というか、怒りを覚えるね。 それにもう1つ。2019年にはプレ五輪がある。五輪と同じ競技場を使うわけです。それまでに新国立競技場を完成させなければならない。 それがなぜ「ラグビーW杯のために」となるのか。そんなこと言うならラグビーはWR(ワールドラグビー)と話をつけて日産スタジアム(横浜)に行くか、味の素スタジアム(調布)に行くかという話になる。だからラグビーありきではないということはぜひ理解してほしいんです。 あえて言えば2016年に招致を失敗した東京都とJOCが考えた案でしょ。それだけのこと。僕は反対だったんだけど、ああいう大きな事業だとWTO(世界貿易機関)関係で国際コンペをしないわけにはいかない。そこでザハって人に頼んだというのは僕もさっぱりわからないが、2016年招致からの経緯なのかね…。 あの有識者会議っていうのは、そんなことを決める会議ではないんですよ。投票権もないし。グラウンドの恩恵を預かる陸連とかラグビー協会とかサッカー協会とか学識経験者とかに「こう決まりました」って報告するだけ。私は当初からあんな生牡蠣をドロッと垂らしたようなデザインを見せられて「へーっ、こんなのは嫌だなあ」と思ったけどね…。× × × そういう経緯もあるんだから東京都は逃げちゃいけない。東京都で開くんですからね。五輪をやりたいと手を挙げたのは東京都だ。その時は石原さんだった。正直言うと「知事選に出ない」と言うのを、僕が「五輪をもう一度誘致すると宣言して辞めればいいじゃないですか」と説得したから申しわけないと思ってるんだけどね。 招致が決まった時の都知事は猪瀬直樹さんだけど誘致できたのは石原さんの存在が大きかった。だから石原さんが推薦する安藤さんの意向を文科省もJOCも拒否できなかったのかな。 だから現都知事の舛添要一さんにも言ったけど、東京都は国がメーン会場を作ることに感謝しなきゃいけない。「迷惑だ」みたいなことを言う立場じゃないでしょ。前々からの経緯から言えば、少しでも資金援助をするのが、むしろ常識ではないかな。 石原さんの元々の構想では、晴海の競技場は国と東京都が折半でやるって話だったと聞いたよ。1000億円くらいを見込んでたんじゃないかな。それが1300億円、1500億円と膨らんでね…。 文科相の下村博文さんと猪瀬さんはこの問題で3~4回会ってますよ。あの2人は会う度にそれぞれが自分の手柄のようにアナウンスするからカチンとくる。その辺が国と都がギスギスした原因の一つかな。 だけどそれはそれ。舛添さんはそういう過去の経緯を承知して五輪をやるということで都知事になった。だから自民党都連が一生懸命、推したんだ。 まあ下村さんと色々ギスギスしてたけど遠藤利明さんが五輪相になったので、国と都の調整は遠藤さんにお願いすることになった。するとどうも下村さんは逃げよう逃げようとするんだな。五輪相がいたって所管は文科相なんだよ。 舛添さんは来年、リオデジャネイロで市長から五輪の旗をもらって「次は東京だ」とデモンストレーションするんですよ。そしてその旗を新国立競技場で振らなきゃならん。その栄誉を受けたのだから少しは協調性を持ってやってくださいと申し上げた。ものすごく頭の良い人だから記者にペチャクチャと学者みたいなことを言ってたら混乱する。 この間、舛添さんがここに来られた時、「風邪引いてる」とおっしゃるから、それで「田舎でもらった蜂蜜があるから持って帰りなさい」と言ったら「蜂蜜で買収された」と新聞に書かれてね。ホントにこの問題を漫画チックにして、僕が都知事に「都民の金を出せ」と押さえつけてるような書き方だよ。 僕が言いたいのは、2019年のラグビーW杯だけじゃなくてプレオリンピックに間に合わせないと世界中の笑い者になるぞ、ってことなんです。 それに7月末にクアラルンプールでIOC総会がある。ここでまだ決まってなかった自転車競技の会場と、メーン会場がすべてセットされましたという報告を私がしなきゃいけない。 IOCのトーマス・バッハ会長はなかなか腹のある人で、6月のローザンヌでの理事会では「メーン会場の話はしないで結構です。私は日本の仲間を信じている」と武士の情けをかけてくれた。理事たちも何も言わずに我慢してくれたが、次も決まらないと一悶着あるよ。各国にいろんな日本の新聞情報が入ってみんな心配してるんだから。 次のIOC総会できちんと報告できなかったら、契約違反になる。東京都とJOCが「こういう開会式でこういう風にやります」という文書をIOCに出し、契約したんですよ。 無責任な評論家は「そんな競技場がなくても五輪はできる」とか言うけど、これはメンツの問題でもある。 ラグビーだってヨーロッパとオセアニアでやってたのを初めてアジアへ持ってきた。日本でやってこれが米国やロシア、南米へと広がっていくことを期待してるんです。 ラグビーだけじゃない。サッカー協会は女子W杯の誘致を希望しているが、それにはスタジアムがいる。それに可動席スタンドが必要なんです。ラグビーは6万人でいいけど可動式スタンドと観客席の屋根は重大な問題だ。 さてそこで、屋根の問題がなんでこんな風にこじれたかといえば、これも下村さんなんですよ。初めて公式に舛添さんに協力の依頼に行ったでしょ。 その時に舛添さんが沖縄県みたいにカメラやマイクを入れて下村さんと会見をやったわけですよ。僕は下村さんに「気をつけて話しなさい。間違っても議論をふっかけるようなことはしないように」と忠告してたんだ。下村さんも「わかりました、よく気をつけます」と頭を下げときゃいいのに、知事に言われて大見得を切ったんだ。 「考えてますよ。スタンドは仮設にして屋根はやめる」と。これは余計なこと。最後に切るカードを先に出しちゃったんで「屋根がいらない」と独り歩きしてしまった。そうじゃなくて開閉式はやめようということだった。 ラグビーもサッカーもグラウンドに雨が降っても別に構わない。問題は屋根が空いたままだったらコンサートや文化行事ができないことなんです。 新国立競技場の維持費をまかなうにはコンサートを開きたい。大きいからいろんなことをやれる。文化、経済、スポーツ、すべての集積する場にしようという計画だったんです。 日本武道館は一度も赤字を出したことはないのはなぜか。コンサートで7~8割の運営経費をまかなっている。東京ドームもポール・マッカートニーやEXILEのコンサートをやってるでしょ。屋根がないとそういうことができない。騒音問題が出て環境問題になる。 これは五輪にとっても死活問題なんです。なぜかというと開会式は半年以上前から準備する。多くのマンパワーを要するからリハーサルは夜しかできないんです。毎晩電気をつけて音楽かけてたら、たちまち騒音問題になるじゃない。 だからほんとは天蓋は必要なんです。抗しきれなくなっちゃって「天蓋はやめて五輪後につけます」と言わざるを得なくなったけど、開会式のリハーサルは一苦労だな。 僕は専門家じゃないけどキールアーチが問題なのは分かる。でもそれを前提にして基礎設計をやってるんですよ。キールアーチをやめるとなると全部やり直しだ。そうすると実施設計まで1年半かかり、プレ五輪に間に合わない。 それにキールの部材は7月中に発注しないと間に合わないそうだ。あまりに巨大だから全体を作って競技場に運べないから切断したのを運んで現場で接合するしかない。だから仮設工場もいるんですよ。 問題は総事業費だけど、そこは腹をくくって国家的事業だからということで納得してもらうしかないんです。大事なことは、五輪は国と東京都と組織委員会が協力してやることなんです。そして経費を徹底的に精査すること。僕が組織委員会にきて2000億円くらいはすでに圧縮したよ。 それでも東京都が3000億円、組織委員会もトータルで7000億~8000億円はかかる。でも国は2520億円しか出さない。おかしいと思いませんか。3対8対2だよ。 新国立競技場は50年先とか、80年先に東京五輪のレガシー(遺産)として残して、日本の文化、経済、科学技術、スポーツを世界中に発信する中枢にすべきなんです。それがアベノミクスでしょ。われわれはそういう理想に向けてなんとか歯を食いしばって国の財政にも迷惑かけないようにやってるんです。 僕も無報酬だよ。わずかばかりの議員年金は家内に渡してね。日当は手をつけず組織委のメンバー全員の盆と暮れの打ち上げ代に貯めてるんです。 僕は組織委に2つを言ってるんだ。1つは派閥を作るな。もう1つは自分の出身の組織を向いて仕事をするな。組織委員会に現在380人ほどいるが、来年には倍になる。その人たちがみんな自分の出身の組織を見て仕事をしたら一体どうなりますか。だから、自分の出身組織のことは考えずに五輪を成功させることだけを考えてやりましょうと。俺もいろいろ気を遣ってるんだよ。=このインタビューは7月14日に行いました。(石橋文登、森田景史、力武崇樹)

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    東京パラリンピック半世紀から学ぶこと

    パラリンピックの名を掲げて大会が開かれたのは、50年前の東京が最初だった。そして、2度目の東京大会となる2020年を控え、いま考えるべきこと、実行すべきことは何なのか。

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    幾多の障害乗り越えてきた

    男子車いすテニスの国枝慎吾 10月18日に始まった仁川アジア・パラリンピック競技大会が24日、閉幕した。圧倒的な強さで今季4大大会制覇に続く優勝を遂げた男子車いすテニスの国枝慎吾の見事な技に見ほれ、男子陸上100メートル(切断など)で2010年広州大会に次いで連覇した山本篤の力強い走りに身を乗り出していた。 中継ではなくニュース映像だったが、競技性が強く伝わった。新聞は限られた紙面で地味な扱いに終わった。ただ長崎国体とほぼ同じスペースで運動面を占めたことは少しだけ進歩である。 パラリンピックは、イングランドにあるストーク・マンデビル病院で1948年に開催された院内の車いす患者を集めたアーチェリー大会が発祥である。この病院は第二次大戦で脊髄を損傷する兵士が増加することを見越し、治療と社会復帰のための施設として開設された。当時、脊髄損傷は手術し寝ていることだけが治療だったという。 しかし、初代脊髄損傷科長の医師ルードウィッヒ・グッドマンは、手術をできるだけ避けてスポーツをリハビリの中心に据え、患者の早期回復、社会復帰にめざましい効果をあげた。男子陸上100メートル(切断など)の山本篤 「失われたものを数えるのではなく、残された機能を最大限に生かそう」 グッドマンは車いす患者にスポーツを奨励。52年にはオランダからの参加を得て「国際ストーク・マンデビル競技大会」に発展し、60年ローマでの初のパラリンピック開催に至る。 以上、日本パラリンピック委員会企画部、井田朋宏の論文『障がい者スポーツの50年』を参照した。 今では当たり前になったリハビリでのスポーツの活用は、導入までに幾多の障害があったと想像に難くない。まして競技大会開催なら…。 グッドマンがパラリンピックの父ならば、日本の障害者スポーツ生みの親は国立別府病院整形外科部長の中村裕。ローマ大会直前にストーク・マンデビル病院を視察、グッドマンから啓示を受けた中村は61年、地元大分で身体障害者体育大会を開く。当時障害者は体を動かさず、人目に触れさせずが風潮。「見せ物にする気か」と周囲の医師やマスコミなどから強い非難を受けての船出だった。 50年の歳月を経て「こんなにも変わるとは…」と井田は書き記す。6年後の日本社会はもっと変わっていなければならない。仁川での選手の活躍を見ていて心底そう思った。=敬称略(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    激しい都市間競争を勝ち抜け 「TOKYO」アジアNo.1都市へ

    をなくしたいと思っています。障害のあるアスリートが活躍できる舞台をなくすべきと言っているのではなく、オリンピックとパラリンピックを一つの大会として開催できたらいいという考えです。 現状を考えると、荒唐無稽だと言う人もいるでしょうが、そこまで無理な話だとは思っていません。例えば、柔道が体重別に階級が分けられているのは、体重差というハンディキャップをなくすため。それと同じで、身体障害や視覚障害などの身体機能ごとに階級を分けて競技すればいい。今すぐに実現するとは思いませんが、少なくとも6年後の東京では何ができるのか模索することは大切です。 東京は、戦後復興から世界4位の都市になりました。今後、都市間競争の時代に何に価値を置いて都市の魅力を高めていくのか。これまでは、経済力に価値を置いてきましたが、そこは維持しつつも、別の魅力を高める努力をしなければならないと思います。 その一つが「ダイバーシティ(多様性)」です。ほかの都市と比べて、東京はこれが決定的に足りていないと感じています。ーーでは、乙武さんにとって、多様性のある都市とは。 僕が好きな都市の一つに、タイのバンコクがあります。確かに、バリアフリーの整備は遅れていて、車椅子ユーザーの私にとって便利な都市では決してありません。でも、居心地の良さを感じました。 例えば、バンコクではLGBT(レズビアン、ゲイ、バイ・セクシャル、トランスジェンダー)の方々への寛容さがあります。ニューヨークやシンガポールのような多国籍都市ではないけれども、障害者や外国人を含めて、いろんな違いを持った人たちも受け入れる懐の深さ、安心感がバンコクにはありました。ーー2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、世界中から多くの人たちが東京に集まる。東京が世界に伝えるべきメッセージとは。 例えば、オリンピックとパラリンピックの開会式と閉会式を同時に開催する、マラソンだけ同一競技にするなど世界に向けてアドバルーンを揚げることは大切です。 ただ、本当の意味での多様性を持った都市にするには、障害者や外国人、同性愛者などマイノリティを受け入れる制度、環境づくりが求められます。どう整えていくのか、それがこの6年間の課題になるでしょう。ーー特に、オリンピックでは、過度な商業主義的な方向性が指摘される。これからのオリンピックやパラリンピックが歩むべき姿とは。 成熟型が期待されたロンドンは、英国が重ねてきた歴史と伝統を見せつけた大会でした。2016年のブラジル・リオデジャネイロは、経済成長を証明する大会にするそうです。でも、東京は1964年に達成していて、その段階にありません。ならば、日本は何を示す大会とするのか。 批判を浴びることを承知の上でのアイデアですが、開会式を数十年前のオリンピックのように、入場行進と聖火台点火、開会宣言に限るシンプルな形に戻すのもコンセプトの一つだと思います。超高齢化、人口減少という課題を抱える先進国は、先を行く日本に注目しています。そこで「スケールダウンする覚悟」を見せる。結果、小さな国も開催国として立候補しやすくなるでしょう。 東京が勇気を持って新しいオリンピックの姿を示せれば、50年後や100年後に「東京での開催がオリンピックの分水嶺だった」「東京、グッドジョブだ」と言われるようになるかもしれません。乙武 洋匡(Hirotada Ototake)作家。1976年、東京生まれ。早稲田大学在学中、『五体不満足』(講談社)が大ベストセラーに。スポーツライターとして活躍した後、東京都新宿区教育委員会非常勤職員や杉並区小学校教諭を歴任。2013年3月から東京都教育委員。

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    14年前から何が変わったか

    いる。パラリンピックは競技スポーツ大会なのか、障害者のリハビリ・スポーツ大会なのか…。 「IPCは、オリンピックがそうであるようにパラリンピックをトップ選手が高い技術を誇る競技大会との見方をしている」 ステッドワードはそう話した。だが、私は意地が悪い。エリート大会なら改善すべき問題は多く、資金や施設に恵まれない発展途上国の選手は出場が困難だ。障害者のためのという視点が薄れていけば、弱者の切り捨てにつながりはしないかとたたみ込む。 1989年に創設されたIPCの初代会長は正面から受け止める。「障害度で多岐にわたるクラス分けの減少は必要、金メダルの価値も高まる」「ローカルレベルでの広がりのため、IPCは資金援助から技術や装備、組織づくりまで支援する」「重要事項は女性、重度の障害者、発展途上国支援。さらに紛争地域での被害者支援などオリンピックと違う活動をしていく」 オリンピックとの連動の始まりは88年ソウル大会、初めて同じ会場が使用された。以後競技性が高まり、98年長野冬季大会を経てシドニーで新時代を迎えた。IPCと国際オリンピック委員会(IOC)が連携で基本合意、ステッドワードはIOC委員ともなった。車いすマラソンの土田和歌子選手(左)とアルペンスキー女子回転座位の大日方邦子選手(右) 競技の普及には裾野の広がりと同時に、人気選手やスター選手の出現による押し上げ効果が必要だ。日本のパラリンピックは河合純一を先駆に成田真由美や土田和歌子、大日方邦子らの活躍で存在感が増し、今日車いすテニス界に国枝慎吾という偉大な選手が輩出。14年前の私のような疑問は抱かないかもしれない。 2020年へ、選手強化予算は文部科学省の概算要求に盛り込まれもした。しかし、今月5日の日本スポーツ振興センター助成事業審査委員会の席上、委員の一人、日本障がい者スポーツ協会会長の鳥原光憲が何度もこう念を押した。「アスリート助成ではパラリンピックを忘れずに」と…。 いわゆる心のバリアの解消も含め、ステッドワードが話した事柄の実現はいまだ道半ばである。=敬称略(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    織田フィールドで考えた…

    調子はどうか、情報を知る場ともなっていた。 スポーツ写真のオーソリティーとして、60年ローマ五輪からオリンピック取材を続ける岸本健さんにこんな逸話を伺ったことがある。陸上競技日本代表総監督だった織田幹雄が、織田フィールドの近くに部屋を借り、調整にきた海外のコーチや選手たちを招き入れては情報収集に励んでいたという。「いかにも織田さんらしいでしょ」 そういえば1996年春、鵠沼(くげぬま)の老人用施設に住む91歳の織田に話を聴いた。1時間の予定が2時間を超え、心配した職員が幾度も顔をのぞかせる。かまわず織田は、金メダルは情報収集のたまものと話し、情報を得る重要さを力説した。懐かしくも、貴重な証言であった。 伝える大切さを思う 織田フィールドは64年、もう一つ大役を担った。パラリンピック、いや当時は国際ストークマンデビル競技大会(ISMG)の開会式会場である。 秋晴れの11月8日日曜日、皇太子時代の天皇、皇后両陛下ご臨席のもと、ISMG旗を先頭に大会22カ国・地域390選手が行進した。NHK厚生文化事業団制作の特集番組は、屈託のない選手たちの表情を映しながら言葉をかぶせていく。「華やかさも厳粛さもないが、明るく和やかな印象だ」 華やかさ、厳粛さはオリンピックとの比較だろう。実はこの開会式、招待者以外の観衆は存在しない。なぜなのか、明確な理由は知らない。障害者スポーツへの理解が足りないとの判断があったためだろうか…。 番組の中の日本人選手たちは朗らかな外国人選手と比べ、沈みがちに見えた。それが試合や交流を経て変わっていく。世界を知った喜びだったろう。 あの頃と比べ、日本での浸透は進んだ。昨年9月11日の招致決定後は記事も増えている。それでも、身体障害者スポーツの環境水準は欧米の比ではない。周囲の理解に加え、組織と競技の成熟度がまだ足りない。情報発信の不足は言うまでもない。 変えていくには訴え、伝え続けることが肝心だ。メディアの役割は重い。無人の織田フィールドを眺めながら、情報を扱う難しさを考えていた…。(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    パラリンピックが変える東京の街とこころ

     あの2020年大会東京招致を決めた、昨年9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)ブエノスアイレス総会での東京招致チームのプレゼンテーション。壇上に立った一人ひとりの言葉の素晴らしさを激賞する声にあふれた。しかし今、強烈に私の脳裡を支配しているのは、そのときの言葉ではない。それから2カ月ほどした後、あるビジネス雑誌でふと目にしたパラリンピアン、佐藤真海さんの一言だった。 「もし私が車いすだとしたら、日本に住みたいとは思わないですね…」 その文章を執筆したライターも印象的な一言だと書き記した言葉は、読んだ私を考え込ませるには十分過ぎた。 佐藤さんはそのインタビューのなかでこんな風に話した。「日本では、ハードはハード、ソフトはソフトというものが多い気がしています。例えば、スロープ一つとっても、いきなり急勾配になるスロープが普通にある。『スロープがあればいい』というハード面だけからの考えではなく、そこを通る人の気持ちに立ったソフト設計が重要だと思います。ヨーロッパでは、車いすの人をよく見かけるんです。よく見るということは、動きやすいからなんだと思うんです」 その頃の日本列島は7年後にオリンピック・パラリンピックがやってくるという一種の熱気に覆われていた。オリンピックが来ればスポーツが変わる、街が変わる、文化が変わる…そうした思いは信仰に近い感覚であった。それは1964年オリンピック東京大会で日本が持ち得た成功体験からくるものであったように思う。2020年、64年に感じた興奮を再び味わうことができる、次代を担う子どもや孫たちと共有することもできる。「俺たちが見た光景を君たちも見るんだよ」。そんな感情も入り交じっていたかもしれない。 小学4年生で東京オリンピックを経験した私は2020年を経て新たなレガシーが生まれると原稿に書き、人に話してもきた。オリンピックだけではない、パラリンピックも一緒に開催することで成熟都市・東京に新たな社会空間が生まれる。バリアフリーの街並みで健常者と障害を持つ者が共生する社会。それが実現すると語ってもいた。 いや、それは間違いではない。そうした社会を現出するのがオリンピック・パラリンピックを東京に招致した世代の役目だ。だが、パラリンピアンである佐藤さんの冷静な一言に「これは容易いことではない」と考えるようになっていった。 少なからず欧米、とりわけヨーロッパのインフラに接したことがある。低いプラットホームと乗り込みやすいフラットなステップの電車やバス、道を歩けば段差のない、緩やかな勾配がスロープ、階段の代わりに設置されたエレベーター、公共のトイレ一つとってみても車いすでゆったり通ることができる広さのドアである。東京は遅れた街だ。 「だから、2020年までに換えていくんだろう」。そう、その通り。しかし、佐藤さんの指摘は単に公共の施設について語っているのではない。人々の心の有りように言及していると考える。「スロープを作ったからいい、段差をなくしたからいい」のではなく、使う人の身になって考え、造られているのか、そこが問題なのだ。駅の階段に設置された昇降機、必要な時に使えるようになっているが、あんな衆目を集める大仰なものに好んで乗りたいと思う人などいるものか。他にしようがないから使っているのである。それを我々は理解していなければならない。 現在の「もうひとつのオリンピック」と言う意味ではなく、下半身麻痺者を意味する「パラプレジア」から採ったパラリンピックという名称が世界で初めて生まれたのは、1964年の東京だった。50年前の11月8日、国際ストーク・マンデビル競技大会は開幕した。その頃、車いすなど障害者はスポーツすることはおろか、人前にでることすらはばかられたという。50年経って「随分、社会の在りようは変わってきた」と障害者スポーツを支えてきた人たちも口にする。確かに、半世紀前とは違ってきた。理解も進んだ。しかし、健常者と障害者が一緒にスポーツに汗を流す施設と環境が整っているヨーロッパの国々と比べるとバリヤーが解けているとは言い難い。何より、オリンピアンとパラリンピアンが一緒に練習することすらできないのが現状なのだ。 パラリンピックがそれを変えてくれればと思う。いや、受動的ではいけない。能動的に変えていく必要がある。身障者に優しい街並みは年老いた人たちにも優しい。そして妊婦や幼児を連れた親にも優しい。そして、彼らにもスポーツを楽しむ権利がある。我々はそこに思い至らなければならない。そのためにも、その人の立ち位置を「わかり」「知り」、立場になって「考えてみる」ことが何より大事だが、そう書くほど簡単ではない。 私は現在60歳、あと何年生きるかわからないが、やがて歩行も困難になり、何かにすがらないと動けなくなるかもしれない。それでも、街のなかで動いていたい。そのとき街が優しい姿であって欲しいと願う。(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    これから認知拡大が始まる

     あるシンポジウムでフロアの参加者から質問というより詰問に近い言葉が飛んだ。「オリンピック教育ばかりが叫ばれているが、パラリンピックへの意識が日本ではまだ育っていない」 2020年は史上初めて一つの組織委員会がオリンピック・パラリンピックの運営を行う。所管は今年4月、文部科学省に一本化された。関係予算も前年度の9400万円から24億3300万円と大幅に増えた。 先頃、初めてパラリンピックでのメダル獲得が期待できる競技を支援する「マルチサポート事業」が選定された。夏季11競技に冬季3競技。すべてではないが、パラリンピック競技の多くが対象になった。 これらは「障害のある人のスポーツ推進」が明記されたスポーツ基本法、「環境の整備」を政策課題とするスポーツ基本計画に基づく。ただ、前者は12年、後者は13年の制定。ようやく今年から環境整備が始まったと言い換えてもいい。 従って「教育の場で」と言っても先の話である。小中学校や高校に配布する読本制作を急ぐ東京都教育庁も手探り状態だろう。 「伝えたいことはたくさんあります。でも、すべてはこれから…。今までは厚生労働省管轄、文部科学省にも教育委員会にもルートがなかったわけですから」 日本パラリンピック委員会(JPC)企画情報部の井田朋宏は「これから」を強調した。 50年前、東京で開かれた国際ストーク・マンデビル競技大会が初めて「パラリンピック」と命名された。対(両下肢)まひを意味するパラプレジアから採られた造語で、もう一つのというパラレル+オリンピックとなるのは1985年、実際の大会では88年ソウル夏季大会以降である。 日本のマスコミが競技性に着目するのは98年長野冬季大会まで待たなければならなかった。それまで、いや長野後もまだ、運動面より社会面が定位置だった。 前述の質問者は錦織圭の準優勝で沸いた全米オープンテニスを取り上げて、車いすテニスで国枝慎吾、上地結衣が男女単複にダブル優勝したにもかかわらず扱いの悪さを指摘。「メディアの姿勢」を問題視した。 問いただされて無理もないところもある。一方で組織や競技は未成熟、それが人々の未知につながる。 教育現場もマスコミも、もっとパラリンピックを知りたい。今後、このもうひとつの大会を深く学んでいきたい。=敬称略(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    川淵三郎の出合いと思い…

     日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会評議員でもある。つい先日、スポーツ議員連盟の国会議員たちの前でこんな話を披露した。 「1960年夏、僕は日本代表の一員として西ドイツに遠征した際、素晴らしい光景に出合った…」 その年、日本サッカー界は4年後に東京五輪を控えながら予選で敗退、ローマ五輪に出場できなかった。起死回生のためにドイツ人コーチ、デットマール・クラマーを招聘(しょうへい)、出会いを兼ねての遠征だった。 川淵はドイツ西部の工業都市、デュイスブルクでの思い出を語る。練習したスポーツ・シューレ(学校)は青々とした天然芝のピッチが8面広がっていた。それが後のJリーグ百年構想につながるのだが、「素晴らしい光景」と話すもうひとつの出合いは体育館にあった。車いすの人たちが歓声を上げながらバレーボールを楽しんでいる。「ドイツと日本のスポーツへの意識の違いを感じた」という。 当時の日本では障害者はスポーツはおろか外に出ない、いや外に出さない状況だった。西ドイツとの差は歴然としていた。 英国ではパラリンピックの前身、国際ストーク・マンデビル競技大会(ISMG)が開催されていたが、西ドイツでも障害者スポーツ大会が開かれていた。前者が車いす使用者限定競技大会であるのに対し、後者は全ての身体障害者が参加する大会。64年のISMG東京招致に尽力する国立別府病院整形外科部長の中村裕は、対立関係にあった両者の融合を目指した。 結局、車いす選手によるISMGを第1部、全ての身体障害者が参加する国内大会を第2部として「パラリンピック東京大会」開催を迎えた。あまり語られていないが、今のパラリンピックの原型は東京にあるといえなくもない。50年前の11月8日のことである。 川淵は言う。「ドイツをはじめ欧米では健常者と障害者が一緒にスポーツしているし施設もある。日本は初めから分けてしまう。それでは本当のスポーツ文化の醸成にならない。ルールなど進め方を工夫すれば少しでも前に進んでいく」 理事長を務める首都大学東京・荒川キャンパスの体育施設では融合に向けた取り組みを始めている。きっと組織委でも取り上げていくだろう。欠席や途中退席が目立った議連の会合、川淵の熱い思いを受け止めてもらいたい…。=敬称略(産経新聞特別記者・佐野慎輔)

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    悩む大学救うか、東京世代

    大学は悩んでいる。020年大会組織委員会と連携協定を結んだものの、オリンピック教育として何を、どのように教えていくのか、誰が教えるのか…。思案投げ首状態の大学も少なくないと聞く。 「選手の強化に力を入れていく」と言い切る大学はいい。「平和教育とのつながり」を求める広島の大学は目標が明確だ。東北の大学は「大震災からの復興」を絡めることができる。地方大学は、地域の拠点としての動きと軌を一にしていくだろう。しかし…。 「連携推進には教材づくりと教え方のモデル、指導マニュアルの充実が不可欠です」。組織委参与として大学連携を指導する筑波大学体育専門学群長、真田久はバックアップ体制強化の必要性を説く。「何よりも教える人の養成です。先生たちを対象にした講習会などを定期的に開いていくべきでしょう」 1955年東京生まれの真田は、小学3年生で「1964東京」に遭遇した。街が変化し暮らしが変わるなかで、「ゴミを拾いましょう」という全校あげた呼びかけを記憶している。当時、東京美化運動は教材のひとつとして実践された。 中国南京で開催中のユースオリンピックの日本選手団団長を務める、藤原庸介は53年東京生まれ。美化運動よりも、「学校から動員されて見に行った」サッカーが強烈な思い出だ。 私は2人の間の54年、北陸の小都市出身。授業として、教室に設置されたテレビの前で「アベベや円谷」に懸命に声をからした。 指導者や教師たちに、今ほどオリンピックへの知識があったとは思われない。運動提唱や実践の場への引率、テレビ授業などは苦労の末の工夫であったように思う。それは東京だけではなく全国規模で行われた。 ところで「東京」を共有する世代に、スポーツとくに社会・人文系のスポーツ研究者が数多い。因果関係があるだろうか。 「あの時代の強烈な社会の変化がオリンピックによってもたらされたことは、子供たちのその後に影響を与えたと言ってもいいでしょう」。神戸大学大学院教授の山口泰雄は当時、小学6年生。アスリートと同様、教育・研究の道に進む人材の輩出も開催のレガシーだと話す。「次の世代にも同じような経験をさせてあげたいと思います」 「東京」世代はいま、各分野における先頭走者。悩める大学に解決策を提示することは、レガシーの継承に他ならない。(特別記者 佐野慎輔)

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    学生を大会運営の原動力に

     東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、組織委)は大学生に熱い視線を送る。8万人規模といわれるボランティア、とりわけ語学ボランティアの担い手として、またオリンピズム普及の中核として、あるいは大会盛り上げへの寄与に大きな期待を寄せている。 「ボランティアの数は独り歩きした数字で、まだ精査しているわけではありませんが、大きなまとまりとしての大学生の力に頼るところは大きいと思います」 組織委CCO、総務局長の雑賀真(さいか・まこと)は6月23日に全国552大学が参加して締結された大学連携協定をまとめた中核の一人である。 過去のオリンピックではそれぞれの国の大学生が運営に大きな役割を果たしていた。東京も16年大会招致以降、大学との連携を模索してきた。16年招致時は9、20年招致で86だった連携数はいま、全国1167大学・短大の約半数に及んでいる。「過去にない規模です。これが一つの運動体となれば、大会の大きなレガシーになるでしょう」 締結時と前後して日本を訪れた国際オリンピック委員会(IOC)副会長、東京大会の調整委員長を務めるジョン・コーツは「試みの成功を祈っている」と話し、大きな関心を示した。 8月6日、雑賀は組織委参与を務める筑波大学体育専門学群長の真田久とともに広島県福山市にいた。連携大学を全国9ブロックに分け、研究者・学生らと意見交換する地域巡回フォーラムの第1回会合。真田が解説と進行役を務め、2020年に向けた活動や地域との連携などをテーマに参加者の考えを聞いた。 原爆の日当日でもあり、「原爆を通した平和運動への思いを参加選手たちに伝える運動ができないか」など広島らしい意見も飛び出し、1時間半の交換会は白熱した。「正直言って、東京との温度差を心配していました」と話していた真田は「かえって広島の方が熱心でした」。 会場となった福山大学の准教授でスポーツマネジメントを講じる相原正道は言う。「こうした国際イベントへの関心は地方の方がより高いと思います。地域連携だけではなく、グローバル意識も高いので教えやすいですね」 スポーツが盛んな広島だからかもしれないが、東京一極集中が叫ばれる中で地方学生の思いは熱い。それをいかに取り込み、エネルギーに換えていくか。組織委やスポーツ関係者の手腕が問われる。(特別記者 佐野慎輔)

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    日本で育てる国際的指導者

    いつもは柔和な筑波大学体育専門学群長、真田久の硬い表情が決意を示している。 「2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催国として、各国スポーツ界の次世代リーダーを養成する国際拠点を維持していく責任があります」 7月26日、筑波大学は「つくば国際スポーツアカデミー(TIAS)」の創設を発表。併せて国際オリンピック委員会(IOC)が中心となって設立されたスポーツマネジメント大学院(AISTS)との連携協定に調印した。 TIASは、簡単に言えば国際的なスポーツ指導者を養成する大学院。IOCやAISTSなどから講師を招き、スポーツ界で必要とされる知識を英語で授業し、修了者には国際スポーツ学修士の学位が与えられる。定員は20人で日本人は5人、残り15人は海外からの留学生。あくまでも「世界のスポーツ界を支える人材を日本で養成する」(真田)ことが目的だ。これは昨年9月、東京開催を決めたIOC総会で首相、安倍晋三が国際公約した「スポーツ・フォー・トゥモロー」に基づいている。 「日本で学ぶのですから、日本文化に高い関心を有している者を応募条件にします」。真田はTIASアカデミー長に就任、プロジェクトを牽引(けんいん)する。教育の基本理念は、オリンピズムとともに嘉納治五郎の思想、「精力善用・自他共栄」「一世化育」に置く。このうち一世化育とは「一人の教えは百代、つまり永遠に続く」という意味である。 柔道の創始者である嘉納は筑波大学の前身、東京高等師範学校校長を務めた教育者。1909年にアジアから初めてIOC委員に就任した日本オリンピックの父でもある。同じ教育者のオリンピック創始者、ピエール・ド・クーベルタンが唱えたオリンピズムに共鳴し生涯の友となるのだが、一方で武士道精神をオリンピック・ムーブメントを通して世界に普及させたいとの思いも抱いていた。 嘉納治五郎研究家でもある真田が、理念をそこに求めたのは必然だろう。 オリンピックというと、華やかな競技大会に目が行きがちだが、実はスポーツを通した人間教育に他ならない。その国際拠点の一つを日本に創り、教育を始める以上、2020年の後も、いや永遠に継続していかなければ意味がない。真田の固い覚悟は、日本に課せられた覚悟でもある。敬称略(特別記者 佐野慎輔)