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    法廷で流した周庭の涙、「暗黒都市」に向かう香港の現在地

    小川善照(ジャーナリスト) 2015年のクリスマス、19歳になったばかりだった香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)は東京・渋谷の駅前にいた。香港の視聴者に向けてインターネットで生放送をするというのだ。筆者は彼女の取材に付き添っていた流れで、動画配信を同行カメラマンと見守ることにした。 渋谷駅前で、サンタ姿の人らにぎこちない日本語で話しかけては、彼らとともにスマートフォンの向こうの香港人に向けて、広東語でメリークリスマスを意味する「聖誕快楽(セィンダンファイロッ)」の声を届けていた。半裸状態の男性やバイクで回る人たちにも協力を呼びかけているうちに、視聴者数は3千人を超えていた。 スマホを向けられて当惑した日本の「パリピ」も周庭の雰囲気に心を許したようだった。その屈託ない笑顔は、時として民主活動家という顔を忘れさせた。 だが、それから数日後の2016年1月3日に彼女は笑顔が一切ない動画を配信することなる。「銅鑼湾(どらわん)書店事件」だ。 中国政府に対する批判本、共産党幹部のスキャンダルに言及する本など、中国では禁書となる書籍が香港では出版されていた。これらは、香港で保障されている言論の自由の上に成立していた。そうした本を扱う銅鑼湾書店の関係者が2015年10月から次々と失踪しており、中国当局に拘束されていることが判明したのだ。香港の中で中国当局が香港人の身柄を拘束するなど一国二制度の危機である。日本に滞在していた周庭は、流ちょうな英語で全世界に向けて香港の自治の危機を訴えた。 この日、晴れ着を着てみたいという周庭のリクエストに応じて、知人の伝(つて)を頼って着物と着付けをお願いしていた。着付けの前に配信された動画は再生数をどんどん伸ばし、最終的には9万回以上を数えた。驚いていると、事も無げに彼女が言った。 「香港で社会運動をやっていると、これくらいの再生は当たり前です」 初めて取材してから6年となるのだが、周庭については、こうした笑顔と時に見せる活動家然とした表情しか思い浮かばない。立法会議員への出馬を取り消されたり、逮捕されたりしても周庭に涙はなかった。その涙は、2020年12月2日の法廷で流れた。民主活動家の周庭氏=2016年1月3日(筆者提供) 昨年6月に香港政府の「逃亡犯条例」改正案に抗議する警察本部包囲デモを扇動したとして、無許可集会扇動罪などに問われた周庭は、香港の裁判所で禁錮10月を言い渡された。24歳の誕生日を前日に控えた日のことだった。 「法廷での周庭は最初から肩で息をしているような状態で、付き添いの女性警察官に支えられていました。最後に量刑が言い渡されるとき、その場で周庭は崩れ落ちるように号泣していました」 周庭の友人であり、裁判を傍聴した香港の日本人タレント、Rieの証言だ。厳しすぎる、初の実刑判決だった。裁判では黄之鋒(ジョシュア・ウォン)と林朗彦(アイヴァン・ラム)にも、それぞれ禁錮13月半、同7月の判決が下った。 法廷の外では親中派がシャンパンを抜いて大騒ぎしていた。だが、それよりもはるかに多くの香港市民たちが集まり、裁判所を後にする3人のバスに声をかけ、いつまでもその後を追っていた。意外だった号泣 周庭の「号泣」は意外だった。厳しい判決に直面して心が折れてしまったのか。3人は昨年のデモに対する起訴内容を認めたが、その罪状自体が事実とかけ離れおり、有罪判決には政治的な意図が見え隠れしている。 昨年6月21日、周庭の「違法行為」の現場に筆者は居合わせていた。会員制交流サイト(SNS)で呼びかけられた人々で警察本部前の道が埋め尽くされていた。数万人ほどにも見えるデモ隊は、口々に「黒警」や「狗警」と警察をののしっていた。さらには、近くの商店で買ったと思われる生卵も投げられていた。 デモ隊は、騒乱罪の容疑で逮捕された学生たちの解放を要求していた。数時間前に刑務所から出てきたばかりの黄之鋒も合流した。深夜になり、黄之鋒はメガホン越しに「このまま占拠を続けますか? それとも今日は解散しますか?」などと、デモ隊に問いかけた。どちらかというと、解散を勧めていたという。 狭い場所に大勢の人が集まっていたため、催涙弾を撃たれるとパニックで危険な状態に陥る恐れがあった。だが、黄之鋒の声に応える人はおらず、日付が変わってから匿名性が高いメッセージアプリ「テレグラム」で撤退が決まった。 昨年のデモには明確なリーダーが存在せず、このテレグラムを通していろいろな判断が下された。2014年の雨傘運動であれば、現場でメガホンを握った黄之鋒の呼びかけに多くの参加者が従ったのだろうが、この日に集まった人々は動かなかった。彼らが凝視していたのはデモのリーダーではなく手元のスマホだった。 そうした意味で6月21日の夜は、昨年のデモが今までとは性質がまったく異なるものであることを示している。周庭も、その場に居合わせたが目立った発言はなかったという。 昨年の民主化運動の中では、周庭と黄之鋒は参加者の一人という立場でしかなかった。それでも周庭たちが逮捕されたのは、香港政府の北京へのポーズだといわれている。「中心なきデモ」で有効な対応がとれなかった警察は、誰かを首謀者として逮捕しないと、北京に対して顔が立たなかったのだ。 「香港で社会運動をやっていると逮捕されるのは当たり前です。みんな恥だとは思っていません」 19歳になったばかりの周庭は、筆者にそう語った。2017年には中国の国家主席、習近平の香港訪問を前にした抗議活動で、今年8月には香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕されている。今回、周庭ら3人が理不尽な起訴内容であっても、それを認めたのは弁護士のアドバイスによる法廷戦術だった。香港の裁判所では、民主化運動に携わった政治犯については、厳しい判決が続いていたのだ。 「従来の香港の司法では罪を認めれば、執行猶予やボランティア活動で済んでいたはずなのです」(香港の民主派男性) それが禁錮10月の実刑判決なのである。周庭は感情が抑えられなかったのだろう。11月23日、香港の裁判所に到着する周庭氏(AP=共同) 「それと同時に、今年の国安法違反での逮捕が頭をよぎったのではないでしょうか。国安法違反で有罪となると、大陸に送られて数年服役することさえありうるのです」(同)ツイッターがもとで逮捕? 現在の香港は司法の独立を喪失し、三権分立が損なわれつつある。周庭は判決の先にある「香港社会が完全に壊されてしまったこと」「大好きな香港を守れなかったこと」を感じ、涙したのではないか。 香港民主派への弾圧は、かつてない規模で続いている。2020年12月11日には、民主派寄りの大手紙「蘋果(ひんか)日報(林檎日報、アップルデイリー)」創業者の黎智英(ジミー・ライ)が国安法違反で起訴された。 「ツイッターで台湾の蔡英文総統などをフォローして国際社会に助けを求めるツイートをしたこと、亡命を図った12人の香港人の保護を呼びかけたこと、習近平の独裁を批判したことなどが理由ではないかとされています。ツイッターのフォローすら逮捕の要件になるのか、と香港では動揺が広がっています」(同) 日本では「アベ政治を許さない」などの政権批判が、少し過激なものとして容認されているが、中国でこうしたことはあり得ない。しかし、香港は違った。6年前の雨傘運動では習近平の実物大の立て看板が並び、「我要真普選(真の普通選挙を求めます)」という民主派のスローガンをまとわせたものまであった。 そうした行為も、今では国安法違反となってしまう。12月8日には、香港中文大学で11月に行われたデモに参加した8人が逮捕された。香港独立旗や「光復香港 時代革命(香港を取り戻せ、時代の革命だ)」などのスローガンを掲げたのが逮捕容疑とされている。当たり前にあった表現の自由、政治活動の自由が失われた瞬間だった。 「経済的報復」を受けたケースもある。今年11月、香港政府が立法会の民主派議員4人の資格を剥奪したことに対し、他の民主派議員15人が辞職して抗議した。集団辞職した一人、許智峯がデンマークで亡命の申請を発表すると、香港警察はマネーロンダリング(資金洗浄)の疑いがあるとして、許智峯の銀行口座を凍結するよう各行に要請したのだ。 周庭、黎智英、許智峯らは著名人ということもあり、顔と名前を明かして活動をしていた。民主派議員はデモ隊と対峙(たいじ)する警察に説得を試みることも多かった。もはや、そうした合法的な活動さえも許されない。 「許智峯の亡命がショックだったのは、銀行口座まで簡単に差し押さえられたからです。国際金融都市としての香港を守るつもりが政府にはないのです。香港市民は預金を外資系の銀行に移しはじめ、英国海外市民(BNO)旅券を申請しています」(同) BNO旅券とは、英国が旧植民地の市民向けに発行するパスポートで、香港では1997年の返還より前に生まれた人が取得できる。国安法の施行後、英政府がBNO旅券の保有者に市民権獲得への道を開いたことを受け、英国への移住を考える人々がBNO旅券を求めた。 「私も海外移住を考えています。香港にはもう未来がない。子供たちは海外で育てたい。あなた(筆者)も香港に来ないほうがいい。あなたが知っている香港はもう死んだんです」(同)2020年10月15日、香港の裁判所に入る黎智英氏(AP=共同) 昨年6月以降、デモで逮捕された香港人は1万人以上だといわれている。その中で、海外渡航が制限されていない人たち香港を去っている。脱出先は台湾、米国、カナダ、ドイツなどだ。 「もともと香港は、父や祖父の世代に、大陸の共産党の支配から逃れてきた人たちが作った街です。だから、私たち世代も逃げることには慣れているのです」(同)人権侵害に制裁措置 自嘲気味にそう語る彼も、来年の香港脱出を具体的に考えているのだという。 国際社会は香港を救えないのだろうか。実は米国で2012年に成立したマグニツキー法をモデルに、中国への制裁を働きかける動きがある。同法は人権侵害に関与した国家や団体、個人に対して資産凍結やビザ発給禁止を科すもので、欧州連合(EU)でも同様の制裁措置の導入が決まった。 日本では、超党派議員による「対中政策に関する国会議員連盟(JPAC)」が日本版マグニツキー法の実現を目指している。内容は米国などと同じものであるという。これは期待できるのか。 「自民党議員の顔ぶれを見てください。自民党の中枢にモノを言える人たちではない。オリンピックと習近平の来日をあきらめていない政権に対して、もっと広く支持を集めないと、今のままでは議員立法は難しいと言われています」(国会担当記者) JPACは来年の国会での議案提出を目標としていくという。香港市民のために、現在よりも幅広い支持が必要となるだろう。 香港の2021年はどうなるのだろうか。この問い対して、ある民主派支持の市民は、言葉を選びながら話してくれた。 「もう分かりません。来年の裁判のニュースは、もっと暗い話ばかりではないかといわれています。楽天的な人が多い香港ですが、21年が明るいと考えている人はいません。皆、香港を愛せなくなりつつあります」(金融関係に勤める女性) 香港は観光都市でもあった。しかし、昨年のデモ発生以降、観光業は低迷し、新型コロナウイルスの感染拡大がとどめを刺した感がある。ホテルは廃業されるか、香港入境者の14日間の隔離施設などになっている。国内線を持たない香港のキャセイパシフィック航空はコロナ禍で大打撃を受け、8500人の大規模リストラに追い込まれた。同社には、台湾で搭乗した乗客に「一つの中国」への同意を確認したという不穏な報道まである。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 観光客がいなくなった香港の街では、代名詞でもあった極彩色のネオン看板の撤去が進んでいる。 「かつて香港が世界に誇っていた金融、教育、観光など、すべてが破壊されようとしています。気がついたら、自由がなくなり、大陸と同じ状態です。このまま服従の道を選ぶ香港人も多いでしょうね。私も表面上は、そうして生きていくでしょう。もう私は海外に行く気力がありません。でも、いまの香港では生き残るための服従を誰も非難できないのです」(同)。「牢獄」に入れられるよりは、自由が制限されるとはいえ「おりの中」のほうがましというわけか。 周庭は禁錮10月の実刑ではあるが、休日などの日数が引かれ、8カ月ほどで戻れるとの見通しもある。だが、それで終わりだとは思えない。リーダーは必要ない 「来年の報道は国安法違反の裁判一色でしょう。黎智英の例の通り、これまで問題視されなかったことで起訴されて重罰が下される。来年の香港は、恐怖政治の街なんです。国安法は条文よりも過酷な形で適用されています。私がこうして取材に応えることすら、危険なことです」(同) 匿名であるが、彼女とのこうしたやりとりさえ、当局に察知される危険がある。 「来年、周庭の国安法違反の裁判が行われるのではないでしょうか。中国批判をやめないであろう彼女を政府が許すとは思えません。周庭が伝えようとしたことを、日本の人たちは覚えておいてください。マグニツキー法もいいですが、みなさんで中国をボイコットしてください。そして、香港人が戦ったことを忘れないでください」(同) 今回の取材で話を聞いていると、なんとも暗たんたる気分になってしまった。国安法に対して、香港市民は終わりの見えない撤退戦を続けている。反撃に転じることに希望を持てない戦いだ。 24歳の誕生日である12月3日を刑務所で迎えた周庭からRieに手紙が届いたそうだ。 「いま収監されている周庭から手紙が届きました。日本で親交があった人たちに『心配をかけてごめんなさい。つらいですががんばります!』という伝言がありました。彼女はいま環境に馴れようとがんばっているようです。新聞は林檎日報が読めるようですが、テレビはTVB(無線電視、香港政府寄りで民主派には不評な放送局)しか見られないそうです。いまはコロナ対策で14日間の隔離中だそうで、昼間の作業などもないとか。22時の消灯ですが、やることがないので21時には寝てしまうそうです」 面会や手紙の回数が大きく制限される中、日本とのつながりに周庭はいちるの希望を託しているのだろうか。書けることも限られている中で、筆者は周庭からの力強いメッセージだと受け取った。彼女は法廷での涙を糧にして、いまはじっと耐えている状態なのだろう。 周庭の手紙の話をすると、若い在日香港人がこう語った。 「昨年の周庭はリーダーでもなくただの参加者、それなのに逮捕された。本当に気の毒だ」 これまでの周庭の働きを否定するような言葉に聞こえて、少しむっとしたのだが、彼の真意は別のところにあった。 「昨年のデモ以降、一人一人がこれからどう動くのか考えるようになりました。雨傘のときのようなリーダーは必要ない。みんながリーダーだと自覚しています。周庭は目立つ存在として逮捕されてしまいましたが、その間、私たち一人一人が新しい方法を考えるのです。彼女の働きに対して報いるため、できる限りのことをやるのです」「香港独立」の旗を掲げてデモをする香港の若者たち=2020年1月1日(藤本欣也撮影) 雨傘運動から昨年のデモと香港人は、常に戦い方を変えてきた。沈黙の先に、新たな戦いを模索し、香港人は立ち上がることをあきらめていない。(文中敬称略)

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    国安法ありとて「香港魂」は死せず

    国家安全維持法(国安法)が施行された香港に対し、国際社会は絶望感を募らせている。だが、「一国二制度の崩壊」「香港は死んだ」と評される一方で、長年自由を享受してきた香港の人々の闘争心は失われていない。確かに香港は中国共産党に踏みにじられたとはいえ、自由を求める「魂」までは奪えないのではないか。

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    「Be Water」国安法強行の最前線で闘志を燃やす香港の若者たちへ

    小川善照(ジャーナリスト) 6月30日、その具体的な内容が明らかにならないうちから「香港国家安全維持法」(国安法)は、香港社会を確実に締めつけ、萎縮させた。「分離独立行為」「反政府活動」「組織的なテロ行為」「外国勢力による干渉」などの行為だけでなく、そうした言論も含めて禁止とされ、重大犯罪の処罰は最低でも懲役10年となることが香港の民主派の間に伝えられたのである。 日本人にもなじみ深い、周庭(アグネス・チョウ)が所属する政治団体「香港衆志」(デモシスト)では、周と幹部であった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聡(ネイサン・ロー)の3人が相次いで脱退を宣言した。その数時間後、3人の離脱を受け、今後の運営が困難だとして、香港衆志は解散を決定した。時を同じくして、香港独立などを主張する団体も香港内での活動を停止し、次々と解散することを表明した。 翌7月1日は香港の返還記念日である。この日は例年、民主派団体による大規模なデモが行われるが、今年、警察は新型コロナウイルス対策を持ち出し、デモ自体を不許可としていた。 この7月1日を新たな「香港の自由を奪われた日」として記憶させないためであろう。香港時間23時という、ぎりぎり6月30日である時間に、全容が明らかにされないまま国安法は施行された。香港行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)でさえ十分に内容を知らない法律が、一国二制度を完全に崩壊させたのだ。  7月1日、それでも抗議の声をあげるため、香港の街角には1万人以上の市民が集まった。昨年6月9日の反政府デモに集まったという103万人にはほど遠い数である。国安法の影響は明らかだった。 「国安法違反になると、(重大犯罪の場合)最低でも懲役10年。最高は終身刑です。しかも、香港での裁判ではなく、中国に送られてしまう。恐怖しかありません。それでも多くの市民が抗議の声をあげました」(現地の香港人ジャーナリスト)「離れなければ射撃する」などと警告する旗をデモに向けて掲げる香港の警察=2020年7月1日、香港の湾仔(現地香港人ジャーナリスト提供) 悲壮な覚悟のデモ隊に対して、それを取り締まる側の警察は、余裕の表情すら見せていたという。 「警官隊はいつにも増して強権的でした。悔しいですが、昨年来の市民との闘いに勝利したような、嘲笑的な表情を見せていました」(同) もともと、昨年のデモはインターネットなどで呼びかけられ、主催者がいない状態で、警察に違法集会とされても、自然発生的に市民が集まっていたものだ。だが、施行後は、明らかにこれまでと違った暗い雰囲気だった。 結局、約370人が違法集会などの容疑で逮捕され、少なくとも10人が施行後、初の国安法違反として逮捕されたという。グループの一部が過激化 昨年、香港デモをリードしていたのは、黒ずくめの格好の「勇武(武闘)派」と呼ばれる若者たちだ。警官隊と衝突して、時には火炎瓶さえ使用する彼らは、7月1日のデモの現場にも登場した。国安法が施行されたというのに、「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ、時代の革命だ)などの逮捕の可能性があるスローガンの旗を掲げていた。 あくまで闘い続けるという意思表示なのだろう。そんな彼らに対して、懸念すべき動きがある。昨年11月、香港中文大に籠城し、警官隊と激しくぶつかったときのことだ。 「中文大に籠城したとき、化学の実験室にある薬品を使って、強力な爆薬を作ろうという私たち学外から参加した抗議者と、それを拒否した中文大の学生の間で対立がありました。結局、できませんでしたが」 大学外から参加した勇武派の女性抗議者にインタビューした際の証言だ。外見上は黒ずくめで火炎瓶を投げるなど、見分けがつかない勇武派のデモ参加者だが、実力行使に対する考え方は、それぞれかなり違う部分があった。火炎瓶レベルではない、より強力な武器や爆弾などを求める勇武派グループが確かに存在していたのだ。 この後、彼女とは接触ができなくなった。紹介者から春先に聞いた、その後の彼女の消息に私は言葉を失った。 「参加していたグループは完全に地下活動を行う方針となり、内部で自爆テロの実行者を募っていたのです。それに彼女は志願したと聞いています」 昨年来、爆発物製造の疑いで抗議者が香港警察に摘発されたと何度か報道されていたのだが、具体的な証拠に乏しいものが多かった。だが、勇武派の一部はそうした爆弾闘争さえ、現在視野に入れているのだ。もともと、高度な技術でメッセージを暗号化する「テレグラム」などの通信アプリを使って、お互いの素性さえ明らかにせず抗議活動をしていた。今後、より強力な武器を持って一部の勇武派が地下活動に移行するのは、悲しいことであるが、必然の流れかもしれない。デモ参加者を拘束する香港の警察=2020年1月5日、香港の上水(筆者提供) 7月6日には、再びショッキングな報道があった。この日の香港の法廷で、昨年8月30日に逮捕されていた周が、違法集会を扇動した罪を認めたというのである。 逮捕容疑である昨年6月21日夜の警察本部包囲デモの現場には私も居合わせた。テレグラムで呼びかけられたデモであり、周と黄たちはかなり遅れて現場に到着した。デモの参加者にすぎなかったが、マイクを握って名乗り、抗議者たちに呼びかけたのが彼女たちだけだったというのが事実である。扇動というにはほど遠い。 「同じ容疑で逮捕された黄は否認しています。罪状を認めた彼女は現在まで3回逮捕されているが、今まで有罪になったことはない。弁護士との話し合いで、今回の罪状を認めることで、判決での減刑を考慮したのでしょう。ただ、現在の香港の司法は政府の意向をくんだ判決が多く、実刑となる可能性も高いと思います」(香港人ジャーナリスト) 2014年の香港民主化運動「雨傘運動」では周と黄たちは主導的な立場だった。しかし、昨年のデモでは前述の通り、一参加者という立場でしかなかった。昨年8月の逮捕は、リーダーなき抗議デモの中で、中国政府へのポーズとしての見せしめ的な逮捕だったと言われている。国安法施行後、既に司法の独立が保たれていないとみられる香港において、周は真っ先にその矛先を向けられる可能性があったのだ。やむを得ない決断だった。Be Water(水になれ) 6月30日以降、周は日本メディアとの接触を避けている。国安法の「外国勢力との結託」とみなされないように努めていたのだ。公判のあと、周は久々にマスコミの前に立った。 「香港人は民主と自由の信念を勝ち取れるように、これからも頑張ってほしい」 言葉を選びながら、それでも彼女は毅然(きぜん)とした態度で呼びかけていた。 6章66条からなる国安法は、一夜にして香港の自由を破壊した。同時にそれは、香港から中国が受けていた利益まで奪っていったという。香港のバンカーに聞いた。 「現在、一時下がっていた株価が戻っています。これは、政府が買い支えているのでしょう。地価は下がっているのに、株価が動かないのはありえない。市場関係者はいずれ株が暴落するとみて備えています。また、今後、香港は貿易などでの関税の優遇措置がなくなります。香港を経由させることで得られていた、さまざまな中国企業の利益まで失うことになったのです。経済的には、香港はかつての繁栄は望めなくなりました」 7月14日にはトランプ米大統領が制裁措置を実行した。これまで香港に与えていた税制などのさまざまな優遇措置を廃止する大統領令に署名したのだ。また、同時に香港の自治侵害に対しての対抗措置である「香港自治法」にも署名した。今後、中国高官などの米国での資産凍結や入国制限などが可能となる。こうした米国の動きに対して、中国政府も対抗する姿勢を見せている。 国安法と米国の制裁。どちらも香港にとっては、未曾有(みぞう)の危機かと思われるが、実は香港市民は覚悟していたことでもある。デモ隊が中国政府に向けて繰り返しアピールしていた「攬炒」(ラムチャオ)という言葉の意味は「お互いに焼かれる」、つまり「死なばもろとも」である。デモ隊は香港という街自体を人質にとる覚悟で、中国政府とやりあっていたのだ。そして、それはついに現実となった。今後、米国をはじめ世界からの経済制裁で、中国自身も香港とともに焼かれるのである。 制裁措置をめぐる米国との関係は米中冷戦とまで言われているが、香港がその最前線になっているのだ。自由を奪われて、経済まで失う香港。そこに生きる人たちは、現在、どう考えているのか。昨年知り合った香港の若者に聞いたところ、意外な答えが返ってきた。香港の駅頭で予備選への投票を呼び掛ける民主活動家の周庭氏(左端)ら=2020年7月11日(藤本欣也撮影) 「株なんて私には関係ないし、地価が下がって、世界一高いと言われている香港の家賃が下がるなら大歓迎です。お金のない香港に中国人たちも来ないでしょう。香港人は、いままでもいろんな形で抗議を続けてきた。これから新しい方法を考えつくのではないでしょうか。日本人が考えているより、香港人はしたたかですよ」 民主派団体が解散し、国外に脱出する人が続出し、一部の勇武派は地下活動に移行し、言論や報道の自由さえなくなりつつある香港で、彼は新たな方法が生み出されるはずだと楽観的だった。 「文字がない白紙を掲げたデモや、沈黙のままのデモなど、抗議の意志を示す方法はいくらでもあります。それに、日本を含めて世界が香港を応援してくれています。私たちがあきらめる必要はまったくありません」 昨年は新しい抗議活動の形を生み出した香港の若者たち。この先、中国政府が考えもしない抗議活動が生まれ出てくるのだろう。 Be Water(水になれ)。昨年のデモの初期、香港のネットを中心に語られていたブルース・リーの言葉だ。香港人たちは初心に帰って、形にとらわれない新たな闘いを始めるようだ。(文中敬称略)

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    「香港人」は漢民族にあらず、蘇生するには真の独立しかない

    楊海英(静岡大アジア研究センター長) 香港は殺された。「23歳」で中国共産党に殺された。 1997年にイギリスの統治から中国に返還されたとき、50年間は香港人の従来の生活を保障する、と共産党政府は約束していた。しかし、まだ23年しか経っていない現在、「一国二制度を50年間守る」という国際的な公約は「国家安全維持法」の導入により、簡単に破り捨てられた。香港が殺された、と国際社会は理解し、そう表現している。 香港を中国へ返還すべきか否か、当時のイギリスの首相で、「鉄の女」の異名を持つサッチャーは悩んでいた。彼女に対し、共産党の最高実力者の鄧小平は「返還した後も、香港人は昔のように馬を飛ばしなさい。ダンスに興じなさい」、とユーモラスに語った。 「馬を飛ばす」ことは競馬を指し、「ダンスに興じる」ことは、夜の街での楽しみを意味する。どちらも「腐敗した資本主義のブルジョアジーの金もうけの営みだ」、と社会主義の優越性を標榜する共産党はそう認識していた。要するに、以前のように資本主義制度を生きなさい、との言い方だった。 鄧小平の独特な言い方は、実は共産党政府が香港人を理解していなかった事実を表している。金もうけさえしていればいい連中だ、と共産党政府は香港人をこのように一方的に断じていた。 返還された年に香港を旅した私は、至るところで大陸からの観光客が現地人をバカにしている風景を目撃した。店で食事した後も、金を投げ捨てるように極めて傲慢な態度で渡していた。それでも香港人は顔色を変えずに応じていた。香港返還を明記した中英共同宣言に調印するサッチャー英首相、後方右から立会人の鄧小平氏、ハウ英外相=1984年12月19日、北京・人民大会堂(共同) 郵便局でも同じだった。北京からの客が地元の職員を大声で怒鳴りつけ、「昔はイギリス人に怒られていただろう、下僕なら慣れているだろう」、と相手を侮辱していた。確かに「イギリスに支配」されていたが、「祖国の懐に戻った」のだから、暖かく迎え入れてもいいのではないか、と私はそばに立ってそう思った。 「イギリスに養子に出されて長くなったので、祖国の懐の温かさが分からない」、と当時の香港の知人は私に自分の悲しみについて語った。このままでは早晩、爆発するだろう、と私はそのように認識し、香港を離れた。その後も、数回にわたって、香港を調査旅行したが、嫌中感情は高まる一方だった。香港人は漢民族か? 香港は決して「金もうけさえしていればいい人々」の棲家ではない。まず、中国大陸に直接的なルーツを持ちながら、移住してさほど歳月が経っていない人々は根っからの反共思想の持主である。 1949年に共産党が大陸で政権の座に就くのを見て、やがては暴力が全土を席捲するだろうと予見した人々や、共産党の暴政から逃れた集団が香港に避難した。筋金入りの反共闘士もいれば、資本家もいた。 そして、1958年に人民公社が成立したときと、66年から文化大革命が発動されたときに再び香港へ逃亡する人間の波は現れた。後日に明るみになるが、人民公社制度の導入でおよそ3千万人が餓死したし、文化大革命の犠牲者も数百万人に上る。 大陸で人類未曾有の政治的災難が発生するたびに、香港は共産党が敷く圧政の犠牲者を受け入れてきた。そのような人々がどうして「独裁祖国」を愛さなければならないのだろうか。 「反共分子」よりも前に香港に住み続けてきたのは、どんな人々だろうか。そのような香港人は身体的には顔色がやや黒く、言語の面でもいわゆる広東(カントン)語や潮州語などを操る。言語学者の中にはそれらの言葉をシナ語の一方言と呼ぶ人もいる。 問題はその「方言」が中国の巨大な言語、普通話とは根本的に異なるという事実である。この差異をイタリア語とスペイン語、それにフランス語の三者間の距離よりも大きい、と分かりやすく譬える言語学者もいる。要するに、簡単に香港語をシナ語の一方言とする見方はやや乱暴である。言語の面からすれば、香港人は漢民族ではない。 普通話という今日の中国で定着している言葉は清朝の支配者、満洲人が発明したものだ。満洲語を母語とする満洲人が被支配者のシナ人と意思疎通するために使っていた共通語・ピジン語だった。香港人と大陸の人を同じ民族としてまとめる共通の言語はない。 さらに言うと、異民族が住む香港をイギリスに租借したのは満洲人の清朝である。満洲人は中国人ではないし、清朝も中国か否か、当の中国人も含めて見解が一致しているわけではない。 満洲人が建てた清朝は外来の政権で、征服王朝で、「中国の王朝」と言い難い。中国人もそう理解していたから、1911年に「満洲人を追い出して、中華を恢復(かいふく)する」との革命が勃発し、中華民国や中華人民共和国などが誕生した。香港警察がフェイスブックに掲載した「香港独立」と書かれた旗(共同) 以上のような歴史から、イギリス人と満洲人が自分たちの意思を無視して裏取引を繰り返して、勝手に「租借」したり、「返還」されたりした、と香港人は理解している。だから、香港の識者たちは「香港民族」という概念を醸成し、都市国家としての独立を夢見ているのである。 一度は殺害された香港は必ずや、独立という形で復活するに違いない。

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    香港国安法、今こそ日本は中国のお家芸「内政干渉」で毅然と非難せよ

    に、日本は戦前の「大東亜各国をして各々その所を得しむ」(東条英機首相施政方針演説)から始まり、戦後もアジア諸国の経済的自立と協調とを支援してきた。このような日本が「中国」と相容れないことは明らかだ。 それゆえ、香港問題を奇貨として積極的に非難を表明するべきである。ただ、それは日本政府が現在唱えるような人権上の問題としての指摘ではない。非難の目的は、日本に対する内政干渉や権益侵害を即時に停止しなければ、日本もまた中共政府への干渉に吝(やぶさ)かでない態度を示すことだ。中国の習近平国家主席を映す北京市内の大型ビジョン=2020年5月(共同) 重要なのは、歴史的・思想的に本質が異なる大国に対し、日本はどうするのか、という明確な国家意思なのだ。 つまり、単純に中共政府を悪玉視するような議論は、ピント外れ極まりない。そのような視点では、かつて中国近代化の可能性に淡い夢を抱いた結果、世界からハシゴを外されて痛い目にあった歴史を繰り返すばかりである。

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    日本企業の支社長ネット炎上が象徴する「香港民主化デモ」の矛盾

    支社長のものであったから大変である。 その洋菓子メーカーは日本資本の百貨店を中心に、数多くの直営店をアジアに出店している。香港有数の繁華街である銅鑼湾(コーズウェイベイ)の香港そごうに出店している他、有名なショッピングモールにもいくつか店舗を構えていて、それなりに知名度もある。 特定された日本人支社長を糾弾するために、香港の民主化運動の牙城となっているネットの匿名掲示板「LIHKG」ではさっそくスレッドが立ち上げられた。「この支社長の書き込みは、香港の民主運動を冒涜(ぼうとく)するもので、悪意があり攻撃的である。この男のやることは理性を超えている」というような非難が書き連ねてある。 ここまでの話だと、日本であればよくあることだ。ここから先はせいぜい電凸(でんとつ)といわれるクレーム電話があったり、不買運動めいたことがあるだろうが、それは抗議者が次のターゲットを見つけるまでの間だけだ。 しかし、香港の場合は事情が違う。 昨年6月に逃亡犯条例の改正案をめぐるデモが始まってから、香港の民主化運動は先鋭化し、制御が効かない暴力的なものとなってきている。それは日本で報道されているような「警察の弾圧に非暴力で立ち向かい不条理な弾圧を受けている」というストーリーでつづられるものとはかなり違う光景である。 私が現地の最前線で見たのは、警察を挑発してレンガや鉄パイプで攻撃し、政府施設を破壊して突入しようとする民主運動の若者たちだった。 日本の有名な中国問題のジャーナリストや香港民主運動のシンパたちは、最初のうちは「破壊行為をしているのは中国共産党に雇われたヤクザがやったこと」と書いた。あるジャーナリストは「若者が暴力的なことはやるはずがない」と断言していたが、そのうち暴力や破壊行為が大っぴらになってくると、ヤクザがやったという「陰謀論」をいつの間にか口にしなくなり、彼はやがて暴力行使を仕方ないものとして肯定することになった。 次に見たものは、私の目の前で黒ずくめのデモ隊が何の罪もない運転手を集団リンチしている光景だった。クルマから引きずりだされてリンチされた運転手(筆者撮影) 駐車場に仕事のクルマを止めていた運転手が、後でデモ隊に周囲の路上を封鎖されてしまったらしい。それでクルマを通せ通さないと口論になったのだが、そのうちにお互い激高し、運転手はクルマから引きずり出され、人数で勝るデモ隊に気絶するまで殴り続けられていた。 クルマはデモ隊によって徹底的に破壊され、割れたフロントガラスが散乱する路上には失神した運転手が転がっていた。自由と民主の理念はどこに 香港の民主派の多くは「このようなリンチが各所で行われているのは仕方ない」「警察の方がもっと悪いので、私たちが代わって政府支持者を攻撃している」と言う。けれども、私にはその理屈が全く理解できなかった。これが香港の人たちが求める民主主義なのかと、納得がいかない思いに何度させられたか分からない。 このようなリンチは、今や香港で日常茶飯事になっている。デモ隊がいるところで、香港市民が広東語ではなく、北京語をしゃべっているだけで危険なことになる。 デモ隊に文句を言ったために、何人もの保守派の市民がこれまでリンチに遭ってきたか、その数は相当なものになるはずだ。ある女性は水やペンキをかけられただけでなく、集団に囲まれ、侮辱されて追い回されたそうだ。ある男性は何人もの若者に民主化運動の象徴ともいわれた傘でめった打ちにされ、足蹴(あしげ)にされて路上に放置されたと訴える。 また、暴行や暴力の現場を撮影する者はカメラを取り上げられることもあった。事情を知らない日本人が、デモの様子をカメラで撮っているところを襲われた事件もあった。その後、民主化運動の情報が飛び交う会員制交流サイト(SNS)上では「日本人のフリをするスパイがいるから写真を撮らせないように気をつけろ」という書き込みが回っていた。 正当化された暴力はエスカレートし、デモ隊に抗議していた老人がガソリンをかけられ、燃やされたこともあった。このショッキングな映像は、日本でもテレビなどで報道された。衝撃を受けた日本の芸能人が、SNSで「どんな事情があろうとこんなことは許されるべきではない」とコメントとすると、日本の香港民主運動シンパのアカウントから大量の批判コメントがついた。どれも暴力を肯定するものばかりだった。 香港の反政府運動で、一方的に若者が弾圧されて死者が出ているというのも誇張である。5月24日現在まで、デモ隊側に確実な死者が出たというのは1人だけだ。これも警察に直接やられたものではなく、警察に追われるうちに起きた転落事故である。 あとはうわさに尾ひれがついたものとしか言いようがないものばかりだ。私が話を聞いた香港の民主派議員は、自身が弁護士でもあると断った上で「死者が出た噂に確証はない」と言った。 そして、香港民主化運動における「悲劇」の象徴の一つは、片目を失明したといわれる女性だ。警察に発砲された制圧用のプラスチック弾が目に直撃したとされている。香港民主化運動の悲劇のヒロインとして、片目を手のひらで覆い隠すジェスチャーが、香港民主化運動の連帯のシンボルとなって世界中に広まった。 だが彼女は自らの診断書の提出を拒否し、捜査のためにそれを入手しようとしている香港警察と裁判になっている。痛ましい事件であるが、彼女が本当に失明したかは今のところ闇の中だ。日本でもこの事件は大きく取り上げられたが、実は誰もこの情報の真偽を確認していない。 悲劇のヒロインといえば、自殺したとされる女性が、実は警察に逮捕されて収監中に謀殺されたという話もある。これはさらに確認できない情報で、香港警察はもちろん否定し、母親も否定した。商業施設で警備に当たるマスク姿の警官隊=2020年4月25日、香港(ゲッティ=共同) けれどもネットでは、母親も警察のグルで、しかも実の母親ではなく役者であると、あたかも事実のように語られている。 これも事実かどうかは闇の中だ。しかし一つだけ言えるのは、この謀殺されたとする女性があたかも民主化運動の殉教者のように扱われていることだ。噂の域を出ないのにもかかわらず、香港の街中には彼女の写真が飾られ、花が献花されている。 昨年の8月31日には、香港の地下鉄駅構内で警察とデモ隊の大きな衝突があった。その際にデモ隊側に複数人の死者が発生し、警察と地下鉄運営者側がその情報を隠蔽(いんぺい)しているというのも、香港では広く信じられている。 だがその死者の正体は分からず、その病院で遺体を目撃したと情報をネットに上げた人物も匿名で、いまだに名乗りを上げていない。香港の警察監察機関(IPCC)はさまざまな証拠を挙げて、これがネットを中心に広がったデマと断定している。日本企業も被害に 一方で、デモ隊側と一般市民のトラブルでは死者が出ている。デモ隊が親中派とみられる一般市民とトラブルになり、レンガを投げ合う展開になった。 すると、たまたまそこに居合わせてしまった70歳の清掃員の頭部にそのレンガが直撃した。この清掃員は後に死亡し、デモ隊の15~18歳の男女5人がレンガを投げたとして逮捕されている。 親中派とされて破壊や暴力による攻撃を受けるのは一般市民だけではない。そこには、日本でおなじみの企業の名前もある。 徹底的に攻撃を受けたのは、牛丼チェーンで有名な吉野家である。香港のスタッフが香港公式SNSアカウントで民主化デモに賛同し、警察を揶揄(やゆ)するようなコメントを書き込んだ。 この書き込みは政治的なものであるとして、経営側により削除された。だが、これに民主派の若者は言論弾圧だとかみついた。 加えて、吉野家のフランチャイズ(FC)店を展開する合興集団(ホップ・ヒン・グループ)の経営者が親中派とみなされていたことも拍車をかけ、香港吉野家は徹底的な攻撃対象となり、破壊された。 他にもデモ隊に批判的だということで攻撃されたのは美心集団(マキシム・グループ)だ。この企業が香港でFC展開する日本の元気寿司や、東海堂(アローム・ベーカリー)も破壊されつくした。 スターバックスコーヒーも、香港でのFC展開を美心集団が行っているために攻撃対象となった。暴徒と化したデモ隊が、親中派なら何をやってもいいとばかりに、店内を破壊し火をつける映像が、香港のテレビで多数流された。経営が親中派や大陸資本とみなされるとこのように破壊されてしまう(筆者撮影) 洋菓子メーカーの一件は、こうした情勢の中で生まれたものだった。香港で親中派とみなされれば、法治が及ばない破壊と暴力に晒(さら)されることを、現地に進出している企業ならば皆知っていることだ。当然洋菓子メーカーの経営陣も知っていただろう。それゆえに対応は早かった。 支社長が香港の民主派シンパに身バレしてしまったことで、洋菓子メーカーの日本本社はすぐにフェイスブックページで謝罪文を掲載し、支社長の更迭と帰国を命じたことを告知した。この対応は致し方ないだろう。このままでは、デモ隊の暴力の刃が向くことは間違いないからだ。 香港のネット上では「この日本人支社長はデモ隊のことを『ゴキブリ』と言った」と炎上しながら広められている。ただし、支社長はこの発言をしていないと述べている。香港の民主派シンパが「これが証拠だ」とするツイートもあるが、どうやら日本語が分からないのだろう、そんなことはどこにも書いていない。しかも、真偽を誰も確認していない。今の香港ではよくある話である。 だが、そもそもこの洋菓子メーカーの騒動は匿名で書いたものだ。このようなちょっとした書き込みがここまでのことになるというのは、いったいどういうことか。 書いた本人は、せいぜい茶化しただけであるし、それ自体は言論の自由の範囲である。差別的な発言であったり、名誉を毀損(きそん)したり、犯罪を示唆するものでもない。 実を言うと、私自身も同様の体験を既に受けている。二つの真実の闘い 私は昨年に香港デモの取材を行い、どうにもこの「民主化運動」がおかしなことになっていると、デモが始まった初期の段階からメディアで指摘してきた。デモ隊が非暴力というのはウソであるし、彼らの政治志向の中には、大陸人に対する危険な差別主義が宿っている。 このことは私などよりも広東語に通じ、デモの情勢に触れている香港の日本人やジャーナリストなら知っているはずだ。しかしごく少数の人を除いて、誰も触れようとはしなかった。 すると、指摘が日本人シンパを通じて香港の民主派の若者に伝えられたらしい。今回の洋菓子メーカーの支社長と同じく、香港の匿名掲示板で私の顔写真が貼られて「親中派の工作員である」と非難された。 「こいつを見つけたら捕まえろ」と、掲示板には絵文字で私の殺害をほのめかすような書き込みまであった。私はそれ以降、香港でのデモ取材はリスクが極めて高いものとならざるをえなかった。 日本の香港デモシンパたちによる一種の密告のような行為は、私のみならず、他のジャーナリストや著述家にも向けられている。 しかしデモ隊に批判的な者は、そもそも見た事実をそのまま書いているだけである。それが脅迫されるならば、彼らが求めているという「自由」や「民主主義」とは一体何なのだろう。 決して親中派ともいえないし、むしろ香港の人たちの民主化運動を理解しつつも、暴力と破壊行為、そして香港では少数派である中国人への差別的な抗議運動には批判的な人も少なくない。 だが取材活動を通じて、そのような過激なデモに「批判的なはずの人たち」から取材を断られた。いわく「今は取材に答えるリスクが高すぎる」とのことだ。 「抗議活動に都合の悪いことをネットに書いただけで、あそこまで攻撃されるというのは大変ショックでした」という声は少なくない。デモ隊の民主化運動を支持していても、そのやりすぎを批判することは今の香港では危険な行為なのだ。これが現在の彼らの「自由」と「民主」なのである。 もちろん、私は香港の民主化運動を支持する立場である。しかしこのようなことが続いていく香港に、私は暗い予感を募らせている。どこかで「これはおかしい」ということに気づいてほしいのだが、その声は届かない。 そして中国政府は、この民主化運動を一国二制度の枠を乗り越えたものとして大きなものにならないよう画策する。 彼らは言う。見てみなさい、ご覧の通りでしょう。民主主義の運動などこのように秩序がないものであって、彼らは暴徒にすぎない。米国からお金をもらっている人に操られるか、洗脳されているだけなのだ、と。 ネットが発達した現在、このような考え方は中国政府のプロパガンダ(政治宣伝)ではなく、素朴な正義感に浸った中国の人たちに広く共有されてしまっている。 中国側のネットでは、香港の民主化運動の活動家やシンパの情報が顔写真とともに晒され、「やつらを許すな」というようなコメントが多数ぶら下がる。香港のSNSとは全く真逆で、こちらでは暴力行為や破壊行為の映像だけがアップされている。まさにパラレルワールドのような話である。2019年10月27日午後、香港中心部の尖沙咀で、デモ隊に警告する警官隊(三塚聖平撮影) モンスターがもう一つのモンスターを生み出し、そこには決して共有されない二つの「真実」が並列されている。この二つの「真実」は、どこかで折り合いをつけるのか、それとも破滅が待っているだけなのか、私には分からない。 ただただ、香港の未来に不安だけがある。

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    香港「200万人」デモは中国の脅威となるか

    「逃亡犯条例」改正問題をめぐる香港のデモは、200万人(主催者発表)が参加し、返還以降最大規模となった。香港政府は条例案の無期延期を余儀なくされたが、「一国二制度」形骸化への不安は続く。G20の首脳会議で問題提起される可能性もあり、今回の動乱が中国の香港政策を動かす力になるか。

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    「非暴力はウソ」香港の反政府デモ、私が見た真実を明かそう

    ら危険なものとみなすだろう。 かつて、植民地からの解放や民族自決を志した、フィリピンやベトナムなどのアジアの運動家は日本に頼った時代があった。だが、イギリスやアメリカとの摩擦を恐れて、当時の日本政府はこれを黙殺した。 「日本はアジアの解放に貢献した」とアジアの民族独立運動にコミットしはじめたのは、戦争直前でドイツの進撃でイギリスが風前のともしびとなった1940年ぐらいからである。それまでは日本はアジアの独立運動には興味を全く示さなかった。中国もそうである。清朝からの民族独立運動の志士ともいえる若者は日本留学生がその中核となっている。 思想家の北一輝は、辛亥革命のさなかの上海で中国国民党の活動家が皆揃って日本の詰め襟の学生服を着ていたことを記している。周恩来はお茶の水(おちゃのみず)で学生生活を送り、中国共産党の初代総書記の陳独秀は新宿の成城高校出身だ。 蒋介石は牛込(うしごめ)の学生から日本陸軍に入隊している。孫文は言うまでもないだろう。のちの中華民国の国旗となる青天白日満地紅旗のデザインは、孫文が日本の横浜に亡命していた時に中華街で決められたものだ。孫文はそうしてアジアの団結を日本に呼び掛けていた。これらの若者を、すべて日本は後に敵に回してしまうことになる。 時代は変わった。香港から日本に訪れる観光客は年間約200万人。これは人口の4分の1が日本に毎年来ているということである。日本のアニメに子供の頃から親しみ、過去の日本への記憶がなく、それよりも現在の日本の文化にシンパシーを抱いている香港の若者からなる本土派を、かつての日本留学生の二の舞にしていいのか。そういう思いはどうしても捨てきれない。それが危うさと表裏一体のものだとしても。一国二制度の期限となっている2047年まで、彼らの綱渡りは続いていくだろう。傘などが散乱した路上=2019年6月12日、香港(筆者撮影)  油麻地の料理屋でそんなことを考えながら、一人でビールを呑み、すっかり酔っぱらってしまった。 行き交う大陸からの中国人観光客の波は途切れない。複雑すぎる香港の事情と若者たちのしたたかな戦いを思いながら、ふと気づく。香港の自由を求める人たちが本当に連帯しなければならないのは、日本でもイギリスでもアメリカでもなく、目の前にこれだけ押し寄せている彼らなのではないか。しかし、それはきっと難しいことなのだろう。街角の喧騒の向こうには、中国人観光客向けの宝石店のギラギラとした照明が、鈍くまぶしく黄金色に点滅していた。■ 石平が警告、玉城デニー「中国一帯一路に沖縄活用」提案の危険度■ 習近平はなぜ金正恩に6年間の「借り」を返す気になったのか■ ファーウェイ敵視にも動じない中国「祖流我放」の冷めた感覚

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    香港に与えた「一国二制度」英国の意趣返しを中国は決して許さない

    富坂聰(ジャーナリスト、拓殖大学海外事情研究所教授) 香港では、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正に反対する市民の怒りが爆発した。 6月16日に行われたデモでは、主催者発表でとうとう200万人を突破したという。本当なら香港市民4人に1人が参加した計算だ。香港政府側も、条例改正の審議を無期限に延期せざるを得ない事態に追いやられ、トップの林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官も謝罪に追い込まれた。 これをもって民意の勝利とする声も聞こえてくる。しかし、その判断は時期尚早と言わざるを得ない。 なぜなら、香港の人々の不満は、単に逃亡犯条例にのみ向けられたものではなかったからだ。実は、この問題は、どこに着地しても双方にわだかまりの残る構造を抱えていたのである。 では、その根本の構造とは何なのか。逃亡犯条例問題の背後にある「一国二制度」という制度の不安定さについて、できるだけ多くの視点から掘り下げてみたい。日本記者クラブで会見する香港学生団体の元リーダー、周庭さん=2019年6月10日 そもそも「一国二制度」とは、中国共産党が対台湾政策の中で生み出した政策である。鄧小平が実権を握った1979年、従来の武力解放から平和統一への政策転換が行われる過程で生まれた考え方だ。 ゆえに、中国から見たとき、それはあくまでも中国自身の「軟化」の結果であり、「与えた」制度なのである。一方、香港の人々にとって同制度は、自らが獲得した「不可侵」な権利として認識されていて、彼我の認識は出発点からズレている。 かつて鄧小平は、英国と香港返還交渉に臨んだ際、返還の条件を提示しようとしたサッチャー首相を制し「われわれは明日にでも力で取ることもできる」とすごんだことがあったが、これは中国の本音である。国家間の攻防が住民を置き去りにするのは国際政治の「あるある」だが、このときの英国と中国の交渉も香港の人々の意思とは無関係に進められた。枯れた「金のなる木」 誤解を恐れずに書けば、英国は香港返還後も大きな権益を確保したかったがかなわず、ちょっとした意趣返しのように選挙という制度を「置き土産」としたのである。自らの統治下で香港人に投票権など与えたことのなかった英国に、中国は「偽善」と反発。彼らの残した選挙制度を中国への挑発ととらえ、返還後の攻撃目標と定めたのである。 一方の中国は、台湾の人々に統一後の平穏を演出する具体的なモデルケースとして、また中国経済をけん引する役割を期待して、香港の現状維持、すなわち「一国二制度」に利用価値を認めたのだった。1997年の返還を経て、香港の人々には生活する上での大きな支障はなく、「一国二制度」をはさんだ大陸と香港の関係に荒波が立つことはなかった。 だが、変化は確実に起きていた。 一つは、中国から見た香港の地位低下である。露骨な表現をすれば、香港はもはや「金のなる木」ではなくなったということだ。 鄧小平が始めた改革・開放政策の初期、ほとんどの日本企業は香港を拠点に対中ビジネスを展開していた。それが、今や直接大陸と取引しているし、金融センターとしての地位も上海などに奪われる運命が見えてきている。 長い将来を見据えれば、金のなる木どころか、「重たい一地方」になる可能性が出てきているのだ。そのことを意識し始めた香港人が、実は意外に少なくない。 こうした変化に伴って、香港の人々の生活が大陸からのマネーで圧迫されるようになったのである。象徴的なのが不動産である。記者会見する中国外務省の耿爽副報道局長=2019年6月14日(共同) チャイナ・マネーが値を釣り上げたことで、香港の人が手の届くマンションが郊外へと追いやられたのである。このほか、教育現場でも有名な学校から地元の子供たちが押し出されてしまう現象も起きてしまった。 不満を高める一方で、香港経済は大陸からの観光客への依存を強めるという矛盾も、香港の人々のストレスとなった。問題は、大陸からの観光客が金満ぶりを発揮する一方で、お行儀が悪いことにある。ほどなく彼らは軽蔑の対象となり、両者にギスギスした雰囲気が生まれた。「雨傘」から何が変わった? こうして、香港で歓迎されていないことを察した大陸の観光客は潮が引くように香港から離れた。そして、いよいよ香港の大陸への不満は高まっていった。 2014年に民主的な行政長官選の実現を目指したものの失敗に終わった「雨傘運動」では、大陸の観光客を大口としたビジネス界の人々が民主化運動の「抵抗勢力」となった。だが、今回は目立った動きがなかったのは、そうした変化のためなのだろう。 さらに今回の政治運動では、質的変化がもう一つ起きた。雨傘運動の半年前、中国との「サービス貿易協定」の承認に反対した台湾の学生らが立法院(国会に相当)の議場を約3週間占拠した「ヒマワリ学生運動」(太陽花学運)との連携が見られたことだ。この雨傘運動の後で、香港独立を意味する「港独」の言葉が、香港の立法会(議会)などでも飛び交うようになったのも特徴だ。 前述したように、「一国二制度」は中国共産党にとって、ある種の軟化の産物であり、「与えている」という意識が伴う政策である。ゆえに、中国が「一国二制度」を維持するためには越えてはならない一線がある。「港独」は完全に「レッドライン」を越える行為だ。 その意味で、今回の逃亡犯条例に反対する政治運動は、どこまでを目標とするかが、極めて重要な視点となる。 そもそも、飲み水と電力を丸ごと大陸に依存する香港が「独立」を口にすること自体が現実的ではない。それでも、もし安易に一線を踏み越えれば、逆に中国が大きな力を使い、一気に「大陸化」を進める事態になることも予測される。2019年6月12日、香港立法会周辺でデモ隊(手前)と衝突する警官隊(共同) それは単に警察の力を使うという意味ではない。観光客の大幅制限に始まり、輸出入管理のちょっとした厳格化や送金制度の見直しなど、両者の強い結びつきを前提とした見えにくいやり方で香港を干上がらせる方法はいくらでもある。 だからこそ、漠然とした「中国化」にノーを突きつければいいというものではない。言論の自由を取り決めとしていかに担保するかなど、具体的な何かを獲得してゆくことが大切なのだろう。■ 石平が警告、玉城デニー「中国一帯一路に沖縄活用」提案の危険度■ 習近平はなぜ金正恩に6年間の「借り」を返す気になったのか■ ファーウェイ敵視にも動じない中国「祖流我放」の冷めた感覚

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    「辞めるに辞められない」香港行政長官を悩ます習近平の叱責

    遊川和郎(亜細亜大学アジア研究所教授) 香港の逃亡犯条例改正をめぐる混乱は、返還後最大規模のデモを引き起こし、林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官は6月15日、説明不足を認めて改正案審議の先送りを表明した。 その後、連日の謝罪と釈明に追われているが、市民の怒りはなお収まらず、条例案の完全撤回と行政長官の辞任、「暴動」と断定した政府見解の撤回、警察の暴力によるデモ鎮圧に対する謝罪、逮捕者の釈放を求めてさらに勢いづいている。 今回のデモが5年前の雨傘運動と異なり結果を出したのは、「真の普通選挙実現」というハードルの高い目標ではなく、「条例案の撤回」というシンプルなワンイシューに絞り、潜在的な市民の不安に訴えたことである。「普通選挙がなくとも香港は香港だが、中国へ連れて行かれるようになったらもう香港ではない」というのが香港人の本音なのである。 一方の政府側は、親中派議員が多数を占める立法会(議会)の構成から、数で押し通すことも可能であり、躊躇(ちゅうちょ)なく強行突破の道を選んだが、これが裏目に出た。この結果をどう考えるべきだろうか。  そもそも今回の逃亡犯条例改正(中立的には「修正」と表現すべき)には中国政府の強い意向がある。容疑者の引き渡しに関する現行の条例は返還前の1992年に制定されたもので、対象は英米など20カ国に限定されていた。これは当時の香港政庁(英国)が天安門事件後の中国の法治、人権状況などを考慮して意図的に中国本土を除外し、返還後の香港に遺(のこ)した一種の「安全装置」だった。 香港政府は「現行条例の不備を補うための改正案」と説明しているが、これまでの経緯を考えれば苦しい主張である。中国政府からすれば、植民地政府が定めた「不平等条約」の改正なのである。催涙弾の白煙が上がる中、立法会周辺の道路でデモ隊(奥)と対峙する警官隊=6月12日、香港(共同) こうした中、高級官僚出身の「能吏」である林鄭行政長官はこの厄介な課題にも懸命に応じようとする。中国への忠誠を誓って2017年7月に就任した林鄭行政長官は、事前の「中国の言いなり」「期待できない」という低評価に反して当初の評判はそれほど悪くなかった。 それは中国政府が要求する国家安全条例(政権転覆等を取り締まる法律)の制定を急がず、雨傘運動で生じた社会の亀裂、分断の修復を優先し、まずは住宅問題など民生改善に注力しようとする姿勢を示したからである。  しかし、就任後、雨傘運動に参加した活動家の処罰、本土派立法会議員の議員資格剝奪、周庭(しゅう・てい)氏など批判的勢力の補選立候補資格の無効措置、独立を主張する政治団体「香港民族党」の活動禁止、英紙編集者の査証(ビザ)更新拒否、中国職員による高速鉄道香港西九竜駅での出入境審査を認める「一地両検」実施、中国国歌法に呼応した法案制定に向けた審議など中国の求める要求に一つ一つ確実に応えていった。 だが、優先して取り組もうとした民生問題に特効薬はなく、亀裂は残されたまま閉塞(へいそく)感だけが強まっていった。今回のデモは中国の言いなりになる香港政府への抗議であり、このような林鄭行政長官の退任要求に発展するのは自然なことである。林鄭長官の「伏線」 林鄭行政長官が今回も中国の指示に忠実に従おうとしたことには一つの伏線がある。昨年11月に林鄭行政長官を代表とする香港マカオ各界代表団が北京を訪問した際、習近平主席が「急不得、慢不得」「明日復明日、明日何其多」と述べたという。「何事もすぐにはできないが、その気にならなければいつまでたってもできはしない」という意味らしいが、同席した団員は「23条立法」が進まないことへの叱責(しっせき)だとピンときた。 23条立法とは、返還後に香港政府が制定するよう基本法(香港の憲法に相当)23条に定められた、政権転覆や国家分裂の反体制行為を禁じる「国家安全条例」のことである。2003年に当時の董建華(とう・けんか)行政長官がやはり強引に成立を図ろうとしたが、50万人デモに遭い、撤回を迫られ廃案となった。これで「死に体」となった董長官は体面を保つ形で05年、体調悪化を理由に辞任した。 これ以来、23条立法はどの長官も手が付けられず、林鄭行政長官も前述のように社会の亀裂修復を優先させ世論を二分する条例制定は後回しにしていたが、締め付けを強める習主席は2015年7月、国内で国家安全法を成立させ、香港にも同条例の制定を強く迫っていた。主席の不興を買った林鄭行政長官の心中は想像に余りある。こうした状況の中で課された逃亡犯条例の処理は速やかに終えなければならないのである。 今回の逃亡犯条例「改正」の直接のきっかけとなった台湾での殺人事件については、容疑者の身柄引き渡しを求める被害者遺族の声や、このままでは香港が犯罪者の逃亡先となって治安悪化を引き起こすという大義名分があり、中国政府も強行して大きな問題はないと甘く見ていた節がある。多少は紛糾しても最後は数で押し切れると思ったのだろう。 5月21日には香港を担当する中国の韓正副首相(政治局常務委員序列7位)が、北京を訪問した香港からの代表団にわざわざ同条例改正を支持すると明言、共産党の香港出先機関(中聯弁)は現地財界や親中派議員に踏み絵を踏ませ、引き締めに躍起となる。 しかし、経済界はそもそも香港の閉塞感を強めるような同条例には乗り気ではなく、親中派議員も今年秋には区議会議員選挙、来年秋は立法会議員選挙を控え、これだけ市民の反対の強い案件で目立ちたくはない(2003年秋の区議会選では、国家安全条例に賛成した親中派が歴史的大敗を喫した)。表面上は支持せざるをえないが、心の中では政府が撤回してくれないかと期待しているのである。体を張って長官を守るべき側近はその答弁能力を見ても何とも頼りない。香港の政府本部庁舎で記者会見を終え、退出する林鄭月娥行政長官=6月18日(共同) こうした戦意の乏しい兵を率いながら林鄭行政長官は9日のデモ後も強気な発言に終始した。月末の20カ国・地域首脳会合(G20)前に決着をつけておくことが必要とされたのだろう。予定通りに審議強行を表明していたが、行政会議(行政長官の諮問機関)トップや政府OBが再考を進言するなど情勢判断の誤りが誰の目から見ても明らかになった。 任期を3年残して完全に求心力を失った長官に対し、勢いづく批判勢力はその首に狙いを定める。しかし、中国も行政長官の執政能力に疑いを抱きながらもここでやすやすと首を差し出すわけにはいかない。国家安全条例を成立させるまでは退くことも許されないのである。■習近平はなぜ金正恩に6年間の「借り」を返す気になったのか■習近平独裁に痛撃、中国経済「大失速」が意味するもの■習近平「終身独裁」で中国の自滅は確実になった

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    岐路に立つシンガポール リー・クアンユー後の体制再構築

    山本秀也(産経新聞編集委員兼論説委員、元シンガポール特派員) 名実ともにシンガポールの「国父」だったリー・クアンユー(李光耀)氏の死去を経て、同国はいよいよポスト・リー時代に踏み出した。国民に先進国なみの経済発展と社会福祉を提供する一方で、言論や政治活動を厳しく規制することで政治、社会の安定を維持したリー時代のレガシー(遺産)は、いま1965年の独立から半世紀をこの8月に控えて、最大の岐路に立ち至っている。ここでは、リー氏の死去直後にシンガポールで起きたある少年の事件を踏まえつつ、この都市国家の行方について考えてみたい。 リー氏の国葬が営まれた3月29日、今年17歳になる華人(中国系)少年がシンガポール警察に逮捕された。「言語による宗教・民族侮辱の罪」というシンガポール刑法の罪名が適用されたもので、量刑は最高で禁固3年とされる。 この少年の「犯行」を詳述する前に、典型的な警察国家と呼ぶべきシンガポールの国民監視と法規制について、宗教・民族問題を軸に少し述べたい。それがシンガポールの成り立ちと、リー氏が築いた統治システムを理解する上で不可欠だと考えるためだ。 英領時代からマレーシアと一体だったシンガポールが、追放同然で独立の「憂き目」に遭ったのは、シンガポールでいまなお多数派の華人と、半島部で優勢なマレー系とが反目した結果だ。独立をはさむ1960年代には、シンガポールでも壮絶な民族暴動が起きている。 法曹家でもあったリー氏は、不本意な独立にあたり、民族、および近接領域にある宗教に起因する社会対立を徹底的に封じ込める政策を採った。その一端が、少年に適用された刑法の規定である。 政府が目を光らせるのは、民族問題にとどまらない。かつてのマラヤ共産党など反政府左派勢力、華人社会にはびこった「私会党」と呼ばれる地下組織や、イスラム原理主義組織はむろんだ。国民レベルでも、天下国家とは縁遠い同性愛行為まで、およそ社会不安の芽とにらまれた組織や個人の行為すべてに監視と摘発は及ぶ。 その執行は厳正であり、徹底している。筆者がシンガポールに駐在していた1994年には、駐車場の自動車に落書きした米国人少年が、当時のクリントン米大統領の抗議をよそに鞭打ち刑に処せられた。当時、日本でも報じられたのでご記憶の向きも多いだろう。 そこでリー氏の国葬の日に逮捕された少年だが、動画投稿サイトのユーチューブで「リー・クアンユーがついに死んだ」と題する自作の動画を発表したことが、当局の逆鱗に触れたのだ。8分間あまりの動画は、3月27日に投稿されるや、逮捕までの2日間で閲覧回数が68万回を超えるほどの関心を集めた。 内容はといえば、もうタイトルだけで想像がつくだろう。リー氏への激しい罵倒だ。シンガポールで絶対的な権威性とある種の無謬性を帯びていたリー氏をイエス・キリストと重ね合わせ、「リー・クアンユーはイエスのように虚飾に満ちている」などと罵っており、このあたりが単純な誹謗ではなく、「宗教への侮辱」と判断された理由とみられる。 ただ、跳ね上がった若者の戯れ言として切り捨てるには、見逃しがたい点がこの事件には含まれている。シンガポール中心部の繁華街の川べりで、友人と酒を飲む市民=3月31日夜(共同) 問題の動画は、共産主義者や民族主義者、宗教原理主義者を挙げて、「裁判抜きで拘禁すべきだ。さもないとこの国は崩壊することになる」とした1986年当時のリー氏の発言を引用するなど、すでに述べてきたようなシンガポールの統治システムの根幹的な問題に目を向けている。そして何よりも、こうした動画がシンガポール国民の目に触れること自体、リー氏の生前には考えられないことだった。 突飛な表現を含みながらも、わずか2日で68万回も再生された理由はここにある。リー氏の死去によって、国民の口を塞ぎ続けたこの国の言論状況に何か変化が生まれるのではないのか、と誰もが感じた結果が、この再生回数だったといえよう。 リー・クアンユー後のシンガポールで、おそらく最初の言論事件は、少年の逮捕という相変わらずの強権発動でひと区切りとなった。さらにシンガポール政府は、4月1日付で、午後10時半以降の屋外での飲酒を禁止する法律を施行した。監視や高額の罰金を含む規制で国内を抑えたリー時代の統治システムには、いささかの変化もないかのように見える。 深夜の屋外飲酒禁止には、「国民の8割が法律を支持する」というのが内務省の見解だが、他方、英字紙ストレーツ・タイムズのオンライン調査では、全く逆で78%の回答が「反対」を表明したという。カリスマを失ったポスト・リー時代を迎えて、シンガポールの為政者が、過去のレガシーを満額で引き継ぐことは早晩無理を来すとみるべきだろう。関連記事■ 行き詰まる欧州政治 フランス共和国が誇る「社会統合」の限界■ 「慰安婦」を言う資格なし!韓国のベトナム大虐殺を告発する■ 歴史で解き明かす中国とロシアの「正体」

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    アジアは中国にのみ込まれるのか

    シンガポールの「建国の父」リー・クアンユー元首相が亡くなった。リー氏の死をもって東南アジアの小さな島をアジアの金融センターにまで押し上げた開発独裁型統治は完全に終焉を告げた。域内の経済連携が進み、中国も金融覇権への野心を隠さない中、アジアはどう変わっていくのか。

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    中国主導ではアジアが荒れる AIIBへの“甘い幻想”を斬る

    日本型経営が移植、身分差別の厳しいカースト制は一掃、経営は順調、地域経済も潤っていた。 中国も最近はアジアを中心に直接投資を急増させているが、どうなっているのか。 ラオスの中国国境に近い町・ボーテン。ラオス政府は2002年にこの区域をそっくり「経済特区」として、租借期間基本30年、60年間延長条件付きで中国資本に提供した。現地住民はよそに強制移住、特区内の通貨は人民元、言葉も案内板も中国語、時間は北京標準。主体は中国系カジノ・ホテル資本である。 アジア開発銀行の融資を受けて、07年に中国・昆明とタイ・バンコクを結ぶ国道3号線が開通。街道沿いのボーテンには中国から賭博客が殺到、さぞかし繁栄と思いきや、ラオス当局は11年にはカジノを閉鎖した。犯罪激増のためだ。以来、町全体がゴーストタウン(中国語では「鬼城」)と化した。 ボーテンに限らない。人々は中国製品を買うために、人民元を得ようと懸命になる。バンコクに至る3号線沿い各地の青空市場では希少動物が檻(おり)にいれられたまま売られる。ラオス虎の肉や臓器も密売される。漢方薬として高値で取引され中国に運び込まれる。中国資本はラオスの投資事業の4割を占める。熱帯雨林を切り裂いたゴム林の下でむき出しになった赤土は雨期になると洪水に洗われメコンに流れ込む。中国本土並みに自然環境が破壊されている。 ラオスと同じく中国と国境を接するミャンマーもやはりカジノ特区を設置するなど、中国資本を受け入れてきた。しかし、ミャンマー政府は昨年7月、昆明と結ぶ中国資本による鉄道建設プロジェクトを中止した。乱開発を恐れる住民の反対や中国の政治的影響力増大懸念が背景にある。 アジア各国はそれでも、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加した。多国間共同出資の銀行なら、中国の脅威を薄められるという期待があるからだ。中国が40~50%出資するAIIBがインフラ整備を采配する以上、中国資本主導による乱開発につながりかねないが、とにかく中国の「資力」に惑わされる。 米国の制止を振り切って参加を決めた英国のメディアも「中国が3兆8千億ドルに上る外貨準備高のごく一部をAIIBに投じたいと思っている。中国が強い発言力を持っても、多国間機関で行いたいと言っていることは、良いニュースだ」(3月25日付フィナンシャル・タイムズ紙)と持ち上げるが、何とも中国に甘い。 よその国のために中国が国富の外準を使うつもりはないだろうし、仮にそうでもできるはずはない。3月29日付の本欄拙論では、中国の外準が資本逃避などのために大幅に減少していると指摘した。 中国は世界最大の借り入れ国だ。AIIBは必要な資金を債券発行によって調達することになるが、国際決済銀行(BIS)の最新統計では、中国による債券発行額は2014年年間で米国をしのぐ。途上国全体の発行額の5割近くを占める。国際的な銀行借り入れもずぬけている。 AIIB加盟国の中で、もっとも多くのインフラ資金を必要としているのは中国であり、その規模は他国を圧倒している。その事実を明らかにしたのは他ならぬ習近平党総書記・国家主席である。3月下旬に海南省博鰲(ボアオ)で開かれた国際会合で、習氏は「シルクロード経済圏」構想の詳細を発表した。その付属文書で、「中国国内での建設中または建設予定のインフラ投資規模は1兆400億元(約1673億ドル、約20兆928億円)、中国以外では約524億ドル(約6兆2707億円)に上る」という。 AIIBは同経済圏に必要な資金を提供することになっているが、当面の資金需要の76%は中国発である。習政権は自国単独では限界にきた国際金融市場からの資金調達を多国間機関名義にしようとする。 シルクロード経済圏構想の別名は「一帯一路」、要はすべての道は北京に通じる、という中華思想の産物だ。習氏は野望達成のために、AIIBを設立する。その道沿いには調和のとれた開発どころか、荒廃きわまりない光景が見える。それをどう防ぐか、日本の主導力が試される。関連記事■ 不動産バブル崩壊でも人民元が増長する秘密■ ピケティにご託宣を求める日本メディアの滑稽■ 膨張する中国の国家資本主義

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    シンガポール、中国…一党独裁国家の成功条件

    日沖健(経営コンサルタント) シンガポールの建国の父、リー・クワンユー元首相が去る23日、91歳で逝去された。1965年にマレーシアから独立したシンガポールは、今年建国50周年を迎える。独立とその後の驚異的な発展を導いた同氏は、建国50周年を目にしたかったに違いない。ご冥福とシンガポールの友人へのお悔やみを申し上げる。 私事になるが、前職で1998年から2001年までシンガポールに駐在し、たしか2000年に現地の日本商工会議所が主催するリー・クワンユー氏の講演を聞く機会があった。当時すでに76歳で、ほぼ現役を退いていたが(上級相という名誉職だった)、聴衆を圧倒する眼光の鋭さに、建国を成し遂げた指導者の凄みを感じたものだ。 ところで、シンガポールの成功やリー・クワンユー氏の功績を語るとき、必ず独裁的な政治体制の是非が議論になる。同氏は、独立後25年間に渡って政権の座にあり、強権的に国家を指導した。現在、長男のリー・シェンロン首相が跡を継いでいる。民主主義国家ではあるが、与党に有利な独特な選挙制度のため、建国以来今日まで、事実上PAP(人民行動党)による一党独裁が続いている。 もちろん、世界では、独裁国家は珍しくもなんともない。よく「開発独裁」と言われるように、発展途上国では独裁国家が多い。中国も、指導者こそ代わるものの、共産党による支配が続いている。というより、アメリカ・欧州諸国・日本などの純粋な民主主義の方がむしろ例外と言っていいだろう。 欧米や日本など先進国が民主主義で、中南米・中東・アフリカの発展途上国が独裁国家なので、一般には、民主主義は優れた政治体制、独裁は開発初期段階に限定すべき過渡的な政治体制だとされている。ただ、シンガポールの成功を見ると、民主主義が本当に優れているのか、疑問に思わざるを得ない。 民主主義国家で選挙をすると、大衆に人気のある者が指導者に選ばれ、必ずしも政治家として優れた人物が選ばれるとは限らない。シンガポールのように、強引な手法で指導者の地位を勝ち取った実力者がそのまま独裁政治を続けた方が、良い結果を生む可能性がある。 もちろん、政治的に優れた独裁者が国家運営においても優れた手腕を発揮するとは限らない。独裁政権に対して外部のチェックが働かないので、腐敗・堕落を招きやすい。シンガポールの成功を見て独裁体制を称賛する向きもあるようだが、実態は、民主主義に比べて、うまく行く場合とうまく行かない場合の振れ幅が大きいということだろう。 独裁国家が成功するかどうかは、独裁者の能力が最も大切だが、それだけではない。注目したいのは、官僚の存在だ。よほど小さな国家は別として、発展し、複雑化・大規模化してくると、天才的な独裁者でもすべての決定・指揮を担うのは困難になる。独裁者を支える官僚が優秀で、行政面で機能するかどうかが、独裁体制の成否を左右する。 シンガポールでは、シンガポール大学を中心に計画的に官僚の育成に努めてきた。優秀な人材を政府に引き入れ、実力主義で若い頃から重要ポストを与えた。民間企業を大きく上回る報酬を支払うことによって、不正・腐敗を防いでいる。一方、旧ソビエトで共産党による独裁がうまく行かず、最終的に崩壊したのは、「赤い貴族(ノーメン・クラツーラ)」と呼ばれた共産党幹部や官僚が私利私欲に走り、堕落したためだとされる。 その点、最も注目されるのは中国だ。中国では、習近平主席が腐敗撲滅運動を推進し、党幹部・官僚を次々と粛清している。貧富の格差が拡大する中、赤い貴族たちが庶民の羨望の的になっており、共産主義体制を維持するには、腐敗撲滅が重要ということだろう。一方、江沢民元国家主席の影響力を排除しようという権力闘争の側面も強いとされている。 腐敗撲滅運動によって党幹部・官僚が機能するようになると良いのだが、単なる権力闘争に終われば、習近平派の赤い貴族が権力を掌握するに過ぎない。前者ならシンガポールに近づき、後者ならレーニン時代のソビエトに近づくというところだ。中国の腐敗撲滅運動がどう展開していくのか、しばらく目が離せない。(日沖コンサルティング事務所『経営の視点』より転載)関連記事■ 中華人民共和国は最後の「盗賊王朝」だ■ 存在しなかった反米感情 中国の台頭で揺らぐ韓国の米国観■ 女性政治犯にも暴力、「政権に従え」強要…キューバ刑務所の現実

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    日本の立場を危うくする「アジアの時代」の足音

    田村耕太郎(前参議院議員、シンガポール大学兼任教授)《PHPビジネス新書『アジア・シフトのすすめ』より》デジャヴ 中国人やインド人の中には、自国を「新興国」と呼ばれるのを嫌う人がいる。新興国という言葉には「新参者」「成金」というイメージがあるからだ。そして、自国を新興国と呼ばれることを嫌う中国人やインド人というのは、経済史をよく知っている人たちだ。 過去2000年の世界経済史を研究していた経済史の大家、アンガス・マディソン氏の研究でも、「欧米の時代」とは長い歴史の中で短期間のイレギュラーなもので、今までの世界経済史の中で大半の期間は中国とインドが世界のGDPの過半を占めていたということが明らかになっている。 最も多い時では、中国とインドがお互いに世界GDPの35%近くを占めていて、両国のGDPの凋落は、西欧の台頭と時期を同じくしていることもわかっている。つまり、西欧によるインドや中国からのGDPの略奪によって、西欧は世界経済で台頭してきたのである。 英国博物館に行けば、そのことを目で理解できるだろう。大英帝国が世界中から。“拝借”してきたものが堂々と展示されている。英国人の知人の中には、「あれだけのスケールで他国から宝物や歴史的遺産を“失敬”すれば、もはや窃盗ではなく偉業になる」と自国を皮肉る者もいるが、私たちが世界史で習うほど、西欧の歴史は「産業革命によって発展した」という美しいものではないようだ。 とはいえポイントはそこではなく、現在注目されている中国やインドの台頭は、「新興国の台頭」ではなく、「歴史的経済大国の復活」だと言う中国やインドの人々の言い分は、説得力があるという点だ。「頭数がものを言う時代」の再来 私は、再び「頭数の時代」に戻るのだと思う。度重なる欧州内での戦闘と産業革命によって強力な武器と戦術を手にした欧米諸国に蹂躙されてきた中国・インドであるが、武力で制圧された時代も終わり、何より彼らも生産性を急速に向上させてきている。 そして、これからは世界最高の生産性が、あっという間に国をまたいでシェアされる時代。新しいアイデアや技術イノベーションは先進国の専売特許であったが、今や中国はもちろん、とくにインドでは「破壊的イノベーション」「リバース・イノベーション」などと呼ばれる現象が次々に起こり始めている。 先進国だけが比較的高い生産性優位を保てる時代ではなくなったのだ。日本政府やその御用学者の中には、「日本の人口が減っても1人当たりの生産性を上げていけばいい」という主張をする人もいる。しかし、本当にそうだろうか? 生産性といっても、それはあくまで他国との比較の話であって、常に他国より高い生産性を維持し続けることができるわけではない。先述したとおり、技術もイノベーションもアイデアも一瞬にして世界中にシェアされる、ハイパーコネクテッドな時代である。そしてそれを他国が使いこなせるよう、人材も国家間で移動している。 日本の場合、最近では隣国の同業他社による技術者引き抜きから、技術移転が大きなスケールで発生した。その反省から、大企業は今さら技術者の囲い込みに走っている有り様だが、いかに日本企業が技術者を囲い込んでも、その成果は一定はあるだろうが永続的にその生産性の差を維持することは困難だと思う。 となると、経済力の差はどこでつくか? それが「頭数の差」だ。生産性の大差が固定でないなら、労働者も消費者も多い場所のGDPが大きくなっていく。前述のアンガス・マディソンの研究によれば、100年以上の期間で見ていくとGDPに最も相関がある指数は「人口」である。 私は、これから長期的には「世界各国の1人当たりGDPは“平均”に近づいていく」という仮説を立てている。もちろん格差がなくなるわけでもないし、各国内でも地域によって1人当たりGDPに差は出てくるだろうが、国ごとに大きく差があった1人当たりのGDPの差は、小さくなっていくのではないかと予想している。 2つのチャートでもわかるように、世界の1人当たりGDPの差は縮まっている。中でも日本については興味深い事実がある。日本の1人当たりのGDPを取り出して世界の平均と比較しているチャートを見ると一目瞭然であるように、日本の1人当たりのGDPは世界の平均に接近し始めているのだ。 同時にわかるのが、日本は1950年ごろまで、世界の平均以下の豊かさの国だったことである。つまり、過去2000年の世界経済の歴史の中で、日本は大半の時代、世界平均並みの豊かさしかもちあわせていなかったのだ。 江戸時代末期から急増させた人口で、全体のGDPでは世界6位くらいのサイズを誇っていたが、1人当たり平均となると長らく「並よりやや下」で、世界平均より倍以上豊かになったのはつい最近のことである。 今も1人当たりで世界平均の3倍以上の豊かさを誇るが、その差は縮まっている。これからゆっくりと1人当たりの豊かさで世界との差は縮まっていき、頭数も急速に減り、世界における日本経済のシェアは低下していくとの見方は間違いないのではなかろうか。圧倒する中国圧倒する中国 どんな予測でも、2050年の日本経済は中国の6分の1~9分の1と出ている。英エコノミスト誌や経団連等、日韓経済の比較でも、1人当たりGDPで韓国に抜かれるという予測が少なくない。こうなった場合に、日中・日韓関係に何が起こるだろうか? もちろん、中国は外交安全保障より国家治安維持に予算を多くかけている、不安定で危うい国だ。国外の敵より国内の敵を恐れているのが現状である。 日本人の多くは、巨大化する中国を1つのまとまった存在として警戒する声を疑問視していないが、中国は表向きほど1つのまとまった存在ではない。湾岸部と内陸部の格差は大きく、上海と北京の仲は行政でも個人レベルでも険悪で、共産党・地方政府・軍・民間企業、それぞれの想いはバラバラだといわれている。 習近平主席と安倍総理がなかなか首脳会談できないことで、日本人の多くは「習近平主席の天敵は安倍総理」などと思っているかもしれないが、実際は「敵は内にあり」なのだ。 習氏にとっては「安倍さんよりはるかに嫌いで憎い対象」が国内にいっぱいいるわけだ。そして、彼らを秘密警察やマスコミの告発等、あらゆる手を使って潰しまくっている。 森元首相のように既に引退した党の大先輩にいまだに気を使って人事に介入させる等、先輩への恩義を忘れない安倍さんと違い、大先輩を取り巻きごと排除しにかかっているのが習近平氏だ。中国の権力争いは、まさに血で血を洗うようなところがある。想像もつかないすさまじい闘いがそこには存在する。 マクドナルドが衛生的に問題のある中国産鶏肉を使っていたことで業績を大きく傾けているが、そもそもその鶏肉を取り扱っていた中国企業は江沢民系の企業で、一連の騒ぎは江沢民の影響力を排除するために習氏が行った粛清だったとの見方すらある。 しかし問題は、中国が不安定だということではない。その不安定な内政の激しい権力争いを経て、その闘争に勝った者がトップに来るという図式こそ、われわれ日本人が問題視すべきところだ。「熾烈な戦いに勝利した人間がリーダーになる」ということである。 私は中国の、生命力と交渉力と喧嘩の強いヤツが常にトップに来るという「リーダーシップの強烈さ」を恐れるべきだと思う。強いリーダーに率いられ、巨大な経済を抱える隣国は、さらに手強くなる可能性がある。 私のポリシーは、「物事は悲観的に想定して準備して、楽観的に行動する」である。強大化要素が諸外国に 我々の近辺には、中国の軍門に下りそうな国がたくさんある。最近のニュースでは、ニュージーランドの総選挙の結果がそれを示していた。 以下は2014年9月21日の読売新聞からの抜粋。 「ニュージーランドの総選挙(一院制、基本定数120)は20日、投開票が行われ、キー首相が率いる与党・国民党が単独過半数を獲得し、キー氏の3期目就任が確実となった。 首相は中国との関係強化を掲げており、同国経済の対中依存はさらに進む見通しだ。(略) 国内総生産(GDP)成長率は2013年4月~14年3月に3.3%を記録。けん引役は、中国向け輸出で、国別輸出額では13年にオーストラリアを抜き、初めて1位となった。富裕層が増加する中国では、幼児向け粉ミルクの需要が高まり、輸入の約8割をニュージーランド産が占める。 キー首相は、こうした中国との関係を重視。今年3月の訪中時には、貿易総額を20年までに現在の1.5倍近い300億ニュージーランド・ドル(約2兆6500億円)に引き上げることで合意した。」 また以下は、2014年9月19日の日本経済新聞の記事の抜粋である。 「インドを訪問している中国の習近平国家主席は18日、首都ニューデリーでモディ首相と会談し、中国が今後5年間でインドに200億ドル(約2兆1600億円)を投資することを軸とした経済関係の強化策を表明した。(略)モディ首相は会談後の共同記者会見で『中国は最高に偉大な隣人であり、我々は世界最大の新興経済国だ』と連携の必要性を強調した。習主席も『両国の25億の国民は世界に大きな影響を与えることができる』と応じ、モディ首相が来年の早い時期に訪中することを招請した。 中国は今回、今後5年間でインフラ分野などに200億ドルの対印投資を行うと約束した。インドでは、実際はこれを大幅に上回る1000億ドル(10兆8000億円)規模の投融資が行われるとの見方も広がっており、今月1日に日本が提示した『5年間で3兆5000億円の投融資』を大きく上回る可能性もある。 日印関係へくさびを打ち込みたい中国の思惑は、高速鉄道分野でも見られた。中国は今回、自国システムの導入に向けた事業化調査の実施で合意にこぎ着けた。インドの現有鉄道システムの高速化や、鉄道技術の移転に向け「鉄道大学」の設置も進める。モディ首相は電力不足解消に向け中国との実質的な『民生用原子力協定』の締結に向けた交渉開始で合意したことも明かした。」 日本が期待するように、「インドが日本のために中国と対立」したりはしないと思う。中国に簡単に取り込まれることもないだろうが、中国経済への依存は深まっていくと考えられる。インドは「日中の関係悪化を自国に有利に使っている」と思うのだ。 そして中国は、インドに日本の3倍以上の巨大投資を行うかもしれない。中国の民間企業もインド投資を拡大させる意向で、この日本経済新聞記事によると「習氏の訪印に同行した中国企業幹部も、インド企業との事業協力などで総額34億3000万ドル相当の契約を交わした。格安航空会社(LCC)のインディゴは、中国最大手の中国工商銀行との間で、航空機約30機の購入資金約26億ドル相当の融資に関する覚書を締結した。通信大手リライアンス・コミュニケーションズと中国の通信機器大手、華為(ファーウェイ)との間で2G・3G通信網拡大に向けた覚書も交わされた」という。 日本と中国を競わせてインフラを建設させるインドの賢さが目立つが、中国にとってはこれくらいの金額は屁でもないだろう。なにせ400兆円を超える世界一の外貨準備を抱える国である。中国が設立するアジア・インフラ投資銀行(AIIB)は、日本が唯一トップをとれる国際機関であるアジア開発銀行(ADB)をアジア地域で蹴散らす目的があるといわれる。数年内にADBよりずっと大きくなると見られるAIIBへの、アジア各国の期待は大きい。未熟な自国のインフラを中国に作ってほしいという期待があるのだ。 日本と関係が深いシンガポールもいち早くAIIBに期待を表明し、その設立メンバーに名を連ねている。こうやってインドもASEANも、その軍門に下るかもしれない。 オセアニアのアジア化は進み、アジア全体の中国経済への依存が進む。中国の購買力でオセアニアを抑え、中国の巨大な外貨準備を背景にインフラへの投資でASEANとインドをおさえる――。韓国も1人当たりGDPで日本より豊かになるとの予測が現実になれば、朝鮮半島情勢の変化や巨大な中国経済との連携で、日韓関係もあまりいい方向へいかない可能性もある。 我々の人生の後半や我々の子供たちの世代は、日本経済の10倍近いサイズになった隣国と向き合わないといけなくなる。世界最大の経済に対して、ポピュリズムに振り回されるアメリカがどういう態度をとるか、そこはいわずもがなだろう。もちろんそのころには軍事支出でも、巨大な隣国がアメリカを凌駕している可能性が高い。たむら・こうたろう 日本戦略情報機構(シンガポール法人)CEO。国立シンガポール大学リークアンユー公共政策大学院兼任教授。元参議院議員。内閣府大臣政務官(経済財政・金融・再チャレンジ担当)、参談院国土交通委員長を歴任。早稲田大学、慶應義塾大学大学院(在学中にフランス高等経営大学院へ単位交換留学)、デューク大学法律大学院、イェール大学大学院を卒業。ハーバード大学、ランド研究所でも研究員を務めるなど、国内外で幅広く活躍。2014年夏には家族と共にシンガポールへ居を移し、最新のアジア事情を日本へ伝えながら新たな活動に収り組んでいる。著書に『君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?』(マガジンハウス)『野蛮人の読書術』(飛鳥新社)『頭に来てもアホとは戦うな!』(朝日新聞出版)など多数。関連記事■ なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか/石平■ 日清戦争に込めた日本人の真の願い/童門冬二■ 防衛を忘れた空港