ドラフト会議で清宮の交渉権を引き当て、右手を突き上げる日本ハムの木田優夫GM補佐(左から3人目)
=2017年10月26日、東京都港区のグランドプリンスホテル新高輪(撮影・荒木孝雄)
ドラフト会議で清宮の交渉権を引き当て、右手を突き上げる日本ハムの木田優夫GM補佐(左から3人目) =2017年10月26日、東京都港区のグランドプリンスホテル新高輪(撮影・荒木孝雄) 
 ドラフト制度が採用されたのは1965年。皮肉にも、巨人のV9が始まったのは、ドラフト元年となったその1965年だ。その前の10年間を見ると、巨人の日本一は3回。西鉄が3回。南海が2回、東映1回、大洋1回。巨人に選手が偏り、他球団との実力差が大きすぎるからドラフト制度が始まったのではない。その時の主な課題は、自由競争で高騰する契約金に歯止めをかけるためだった。

 上尾高から東京オリオンズ(当時)に入団した山崎裕之の契約金が当時としては破格の5000万円と話題になった。そこまで高騰すると、予算の少ない球団は獲得競争に加わることができない。ドラフト会議を実施し、契約金や年俸に上限を設けることで、どの球団も有望選手獲得競争に加われる、獲得の可能性を保証するために、西鉄ライオンズ(当時)の西亦次郞社長が、NFLのドラフト制度を参考に独自の提案をしたのが始まりだった。

 私がドラフト会議廃止を提言する理由のひとつは、プロ野球界がドラフト会議があるために「努力停止状態」に陥っている面が多々あるからだ。

 クジ運さえ良ければ、球団がリクルート対策の費用を費やす必要がない。いま日本の経済界では、商品を売るための宣伝と同じかそれ以上に、優秀な人材(社員)を獲得するためのリクルート対策に巨費を投じている。ところが、野球界は、クジ運さえ良ければ、さほど新人獲得目的で施設の整備や指導体制の向上を血眼になってやる必然性がない。

 くしくも「事前面談」で清宮幸太郎の父、克幸(ラグビー・ヤマハ監督)が西武ライオンズの施設の古さを質問したと言われる。実際、西武の合宿所や室内練習場はかなり経年劣化が目立つ。それでも球団が交渉権さえ獲得すれば、選手は拒否して翌年以降まで待つ以外に選択肢がない。

 ドラフト制のないJリーグで、新人獲得に関する大きなトラブル発生を聞いたことがない。この事実を野球ファンはどう受けとめているだろう。かつて、多くの球団が勧誘していた中田英寿選手が高校3年のとき、自ら数チームの施設を訪ね歩き、その中からベルマーレ平塚(現在は湘南)を選んだと言われる。選ばれるために、チームは施設や球団の態勢、方針を魅力的にする必要がある。

 昨季優勝、今季もセ・リーグ連覇を果たしたことで、広島カープ独自のチーム強化策が注目され、高い評価を受けている。だが、その先例となったのは、V9巨人ではないかと、私は思う。もちろん、予算の大小は違う。だが、チーム独自の発想と努力で、優勝できる戦力を整えたのはV9が好例だ。あのころの巨人は、必ずしも最初から出来上がっていた選手ばかりをそろえたわけではなかった。