私は浅田真央の演技がむず痒かった。見るのが辛かった。なぜなら、「決めたとおりのことをきちんとやらなければいけない」という意識が強すぎて、シナリオ通りのもどかしさが常にあったからだ。

 浅田真央の中にはもっと予定調和を超越し、自分の中に眠る未知の叫びや表現があったのではないか。ノーミスで終わらなければならない、勝負に負けてはならないといった心の制約を突破しきれず、顔こそ笑顔を作っても、いつも堅苦しい雰囲気をまとっていた。金妍児がそうした制約を平然と振り捨て、自由な荒野で大胆に自分を解き放っていた印象が強いだけに、もどかしくてたまらなかった。

 日本人は、勝った負けたが好きだ。それは世界的な現実でもあるが、世界のスポーツにはもっと、勝った負けた以上の価値観も共存している。

 最近注目している選手のひとりに、瀬尻稜というスケートボーダーがいる。まだ20歳だが、主要な国際大会で3連覇を飾るなど、世界的な存在だ。その瀬尻稜がNHKの番組に出演し、番組ホストの相葉雅紀(嵐)から東京五輪への抱負を聞かれて次のように答えた。

 「東京オリンピックはまだ出場するか、決めていない。なぜなら、僕らの競技は、他の選手がすごい技を決めたら、やったじゃん! と拍手して、ハイタッチして喜び合うような雰囲気です。自分だけが絶対、金メダルを獲るぞみたいな、そういう種目じゃないので」

フィギュアスケート第85回全日本選手権女子フリー。自己最低の12位に終わった浅田真央の演技=2016年12月25日、大阪・東和薬品ラクタブドーム
フィギュアスケート第85回全日本選手権女子フリー。自己最低の12位に終わった浅田真央の演技=2016年12月25日、大阪・東和薬品ラクタブドーム
 私はそれを聞いて心が弾んだ。まさにその通りだ。東京五輪を日本が2020年に開催する意義はそこにこそあるのではないかと。

 私はかつて、ソチ五輪の演技の前、金妍児(キム・ヨナ)の演技を見ようとせず、イヤホンで音楽を聴き、いわば〈閉じた状態〉で演技に臨んだ浅田真央を残念だったと語り、批判を浴びた。「あれは集中するための方法だ、スポーツライターのくせにわかっていない」「勝つために必要な選択だった」などなど。

 いま日本のスポーツファンは、熱くなればなるほど、「小さな視野」でスポーツを語る。勝ち負けにこだわるのは「衝突」の発想であり、瀬尻稜の感覚こそ「調和」の姿勢だ。いま世界が求められているのはどちらか?

 「小さな視野」に人々を導くことは危険だ。スポーツはそういう危険と背中合わせだ。そのことに私たちが目を覚まさないと、「小さな視野」で大衆が危うい全体主義への世論を形成しかねない。浅田真央の引退報道にはそれが凝縮されている。

 プロとしての活動に歩み出す人が「引退」と表現し、メディアもプロへの転進とわかっていながら、「オリンピック」を基軸にすえて引退と呼ぶ。このおかしさに気づかなければ、東京五輪も「小さな視野」でしか開催されない。