アマチュアゴルフに詳しい関係者たちは、ひと足先に国民的スターになった石川遼と同じかそれ以上の才能を秘めた逸材がいるのを知っていた。が、一般の人々は松山英樹の名前をほとんど知らなかった。それから約8年。二人の立場は大きく入れ替わった。11日現在、世界ランキング7位の松山に対し、石川は96位。なぜこの逆転が起こり、差がついたのか。



 二人を比較すると共通点も多いが、対照的な側面も少なくない。そこに、現在までの明暗を分けた要因が見えてくる。石川遼が彗星のごとく登場し、常にトーナメントの上位を争っていたころから、ドライバーの距離は日本では飛ぶ方でも、それが勝因と言われるほどではなかった。むしろ、憎らしいほどショットが安定し、乱れない。人生の様々なプレッシャーを背中に感じて、一打ごとにゴルフを難しくしてしまう先輩ゴルファーから見れば、石川遼のゴルフはシンプルで、コースがいとも簡単に見えた。

ティーショットを放つ石川遼=11月3日、TPCサマリン、ネバダ州ラスベガス
ティーショットを放つ石川遼=11月3日、TPCサマリン、ネバダ州ラスベガス 
 ところが、世界への挑戦を意識していた石川は当初から熱心に筋トレに励み、飛距離を伸ばすことを重要な世界制覇の条件と考えていたように見える。飛距離に頓着しない松山との差。身長175センチ、体格的なコンプレックスがいっそう、パワーアップの必然性を意識させのではないか。一方の181センチの松山は適度なトレーニングはしているに違いないが、元々フィジカルの強さには自信があるのだろう。それほどパワーアップに神経を尖らせていない印象がある。一般に筋トレはケガを予防すると吹聴されているが、実際には筋トレを熱心に重ねた選手に大きなケガが多いという皮肉な現実が、野球や相撲など、他の競技でも目立っている。石川遼のもまた、パワーアップとともにケガ防止の意味も込めて筋トレを日常的に取り入れながら、腰痛でしばらくグリーンを離れた。

 父親との関係も対照的だ。石川遼の成長そして快進撃の傍に常に父親の存在があることは広く知られている。父親のサポートがなければ、石川がゴルフを続けることもできなかった。その父は、プロ入り後もコーチとして寄り添い、マネジメントも担っている。松山もまた、日本アマに出場した経験を持つ父親の影響で、4歳でゴルフを始めた。よりよいゴルフ環境を求めて、明徳義塾中学に転校。そのまま明徳義塾高校に進んだ。そのころまでは父親の影響が垣間見える。ところが、東北福祉大学に進学したころから、父親の影はほとんど見えなくなる。プロになったいまも、東北福祉大の恩師や先輩たちが、松山のブレーンとして彼の世界挑戦を支えている。

 完全に親離れし、自分の意志で、自分の階段を登っている松山のたくましさが際立って見える。