バドミントン・ヨネックス・オープン・ジャパン 男子シングルス
予選1回戦で韓国選手にポイントを奪われ厳しい表情の田児賢一=2015年9月8日、東京体育館
バドミントン・ヨネックス・オープン・ジャパン 男子シングルス 予選1回戦で韓国選手にポイントを奪われ厳しい表情の田児賢一=2015年9月8日、東京体育館
 少年たちに強い動機を与えたい時、周りの大人たちがエサにするのは野球なら「甲子園」「プロ野球」であり、年齢が進んだ選手には「美女アナと結婚できる」「5億、10億は稼げるぞ」いった俗なセリフを平気で口にする。野球の深み、極める楽しさなどを語る大人は極端に少ない。日本社会がそのような俗物的なレベルに覆われているからだろうか。

 今回私の周りでも、桃田選手が派手な格好をする理由を問われて、自分が華やかな存在になれば憧れてバドミントンを始める子どもたちが増えるのではないかと語ったことに「落胆した」「その程度のレベルなのか」と嘆いた人が複数いた。私も同じように感じる。だが、裏カジノでの賭博が露呈せず、いまもリオ五輪の星であったならば、その率直な感想は隅にやられ、イマドキのイケメンといった肯定的なイメージばかりが世間を支配していただろう。

 深さを追求する喜びを忘れたスポーツ界に、文武両道の実現はありえない。

 この機会に、あえて大胆な提案をしたい。

 高校生までは、同じスポーツの練習を週4日以上してはいけない。例えばそのような共通認識を作ったらどうだろう。中高生は、もっとほかにすべきことがある。学校の勉強に限らず、広く社会を学び、経験する機会を作ったほうが将来に生きる。そのことで案外競技レベルは低下しないと思うし、たとえ世界に比べて十代の競技レベルが落ちたとしても、それの何が問題なのか? 人間性のレベルや幅が落ちることのほうが遥かに深刻ではないか。日本はもう何十年も、人間の幅や次元が落ちることを無視して、いたずらにスポーツに打ち込む姿を美化し続けてきた。いい加減、目を覚ます時ではないか。