嘉風戦を「変わった」と非難された失望とやるせなさがさせたのか、さらに誰の目にも「見えるように」実践したのが、栃煌山戦だったのかもしれない。 
栃煌山に奇策の猫だましを
繰り出して勝った白鵬。
(上から)立ち合いの猫だ
まし、大きく左に回り、2
度目の猫だまし、勝って
にんまり=福岡国際センター
栃煌山に奇策の猫だましを繰
り出して勝った白鵬。
(上から)立ち合いの猫だ まし、
大きく左に回り、2 度目の猫だま
し、勝って にんまり
=福岡国際センター

 栃煌山戦の猫だましも、よく見直すと、猫だましで栃煌山を戸惑わせたのではない。猫だましは「ついでのいたずら」のようなもので、それ以前に白鵬は完全に栃煌山の出足を制している。わざわざ猫だましをしているが、その動作をしなくても、栃煌山はもうすっかり棒立ちになり、出足の勢いを制されている。猫だましの前に勝負はついていたのだ。

 双葉山を追いかけて探り続けた「後の先」を、白鵬は白鵬なりにつかみ始めた。だがその領域を見守り、感激を共有してくれるファンはおろか、協会関係者も少ない。誰もわかってくれない。むしろ、表面的な道徳論で白鵬が批判の的になる。その苛立ち、虚しさがあっても不思議ではない。
「後の先」をつかみかけた、それを目に見える形で示した、それが栃煌山戦の猫だましだったなら、「気持ちがいい」という言葉もよく理解できる。

 猫だましという奇襲で勝った、それだけなら、史上最多の優勝を誇る大横綱が「気持ちがいい」とは言わないだろう。もし土俵上で時には遊びも必要だなどと本気で言うくらいなら、さっさと引退するに違いない。白鵬がただ奇襲作戦で猫だましをしたのではない証拠は、立ち合いの表情にも表れている。嘉風戦でも同じ。いずれの取り組みでもまったく危なげがない。自信満々に取り、立つ前から勝利を確信している。逃げたのでも、変わったのでもない。ただ逃げを打って勝とうと一縷の望みに賭ける力士の顔はそのような確信に満ちていない。

 「横綱が猫だましをするなんて」との非難はわかる気もするが、本当は、「相手を制する技を究めている横綱だから、猫だましが効く」。
 そのような技の深み、相撲の勝負の綾をほとんど理解していない「いまの日本」を白鵬は笑っているようにも思えてきた。

 
ファンも協会もマナーや振る舞いにはうるさいが、その意味をわかっていない。日本はそこまでレベルが下がってしまった。そのことを白鵬は、あえて悪役を甘受し、身をもって示しているとすれば、猛省すべきは相撲界、そして日本の方にある。