一部の部員による薬物使用を、使用していない部員が把握しているケースもあれば、把握してないケースもある。把握している際には、薬物使用に反対することに深刻なリスクがなく、容易に入手できる知識によって反対することが可能であり、反対することが完全に無益ではない状況で反対の行動をとらなかった場合には、把握していた部員は責任を問われる。

 逆のケースとして、命の危険が脅かされるような状況において、反対の行動をとらなかったとしても、当事者に責任は課されない。これらの点は、運動部活動における部内暴力(いじめ)においても同様のことが言える。

 それでは、被害者が同じチームの部員ではなく、一般人に対する暴行、恐喝の事例においてはどうか。岐阜市で3月、路上生活をしていた男性(当時81歳)が、19歳の野球部員を含む5人から石を投げつけられるなどの暴行を受け、死亡した。

 野球部員という投能力に秀でた者たちから、小石を投げられた男性の恐怖を想像しただけで、怒りが込み上げてくる事例だ。会社員の少年1人と無職の少年2人が殺人容疑で、朝日大の硬式野球部員2人が傷害致死容疑で逮捕された。無職の少年2人も元朝日大野球部員で、朝日大は同部を無期限の活動停止とし、監督は辞任した。

 通常、被害者が一般人である場合には、事件は当事者以外の部員にとって突発的に生じているため、関与しない部員が阻止することは極めて困難であり、関与しない部員に連帯責任を問うことは問題がある。

 また、運動部自体が一般人に対する暴力・恐喝を黙認・支持しているケースは稀だ。一般人に対して暴行や恐喝を行った部員の責任は重いが、関与しなかった部員に対して、連帯責任を問うことには疑問が残る。

 一方で、朝日大の野球部員による事件では、死亡した男性は3月中旬以降に4回、少年たちから石を投げられたことを警察に相談している。また、過去の投石には、男女10人ほどが関わっていたとの報道もある。

 野球部員や元部員による投石を把握し、黙認していた部員がいたとすれば、その責任は重いだろう。その際に、投石を行っていた野球部員に対して反対することに深刻なリスクがなく、容易に入手できる知識によって反対することが可能で、反対することは完全に無益ではない状況であったのか。

 繰り返すが、筆者は連帯責任を課すことが、前近代的な支配関係の残存であり、野蛮な現象であるとは考えていない。ただ、個々の事例の状況を加味せずに、いたずらに連帯責任を課すことについては野蛮な現象であると考える。その際に、ライッカやミラーが示した3条件を考慮することが重要ではないだろうか。

 上述のように、昨今は部員の不祥事に対して対外試合禁止処分といった連帯責任を課すことには否定的な意見が多い。しかしながら、練習中に部員1人のミスからチーム全員に罰としての走り込みといった連帯責任を指導者が課す行為に対しては、様相が異なってくる。
大麻使用防止啓発ポスターを掲げ会見する東海大の内山秀一教学部長=2020年10月17日、神奈川県平塚市(斎藤浩一撮影)
大麻使用防止啓発ポスターを掲げ会見する東海大の内山秀一教学部長=2020年10月17日、神奈川県平塚市(斎藤浩一撮影)
 テレビ番組においても、練習中の連帯責任を課す指導者に対して、コメンテーターが賞賛の言葉を送ることがある。運動部活動の練習中において連帯責任を課すことに対しては、コメンテーターだけでなく、社会においても肯定的な意見が少なくないように感じる。

 ただ、連帯責任の問題は、運動部活動においてのみ顕在化してくるわけではない。学校生活におけるいじめの問題にも関わってくる。また、会社における不祥事や国家による戦争犯罪、さらには犯罪加害者の家族といった問題にも関わってくる。個々の事例に沿った連帯責任を模索する必要があるのではないだろうか。(文中敬称略)