彼は1984年のロサンゼルスで銅メダルを獲得し、ソウルは6位、最後のバルセロナは失格という成績だった。そのバルセロナ大会ではプラットホームの脇に大型スクリーンが据えられ、カメラがウエイト・リフターの表情だけでなく、膝の裏や手首を大きく映して驚いた。

 ヨーロッパのテレビ局はツボを押さえているとつくづく感心したもので、このバルセロナ大会からいろいろなことが変わったように思える。

 重量挙げには、日常に逆行している面白さがある。砂岡が垂直跳びで104センチも跳べることなど競技を見ていても分からない。バーベルを持ち上げるのではなく、バーベルの下に潜り込む運動神経がカギと言われて感心したものだ。

 それを知った上で重量挙げを見るとたまらなく面白い。

 2000年のシドニー大会では雑誌社から切符が余っていると渡され、その全てが重量挙げだったのには笑った。私は喜んで毎日出かけた。

 思い出深いのはその会場だ。そこは室内音楽スタジオぐらい狭かった。プラットホーム上で選手が薄く目を閉じて集中し、会場が静まり返る。さあ、というところで誰かの携帯電話が鳴り響いた。しかも着信メロディーは「ポパイ・ザ・セーラーマン」だ。

 嘆息とざわめきがあったのは当然だが、東欧系のその男が慌てながらも大声で電話に応対したのに私はびっくりした。選手も立ち上がり、物憂げに天井を見上げてから再び集中した。

 その後、クロアチア代表のニコライ・ペシャロフがフェザー級クラスで優勝すると、応援団が狭い会場を練り歩き始めた。なお、その先頭で国旗を持っていたのは、テニスのグランドスラム(四大大会)で優勝したゴラン・イワニセビッチとイバ・マヨリだった。

重量挙げ全日本選手権兼シドニー五輪代表選考会、スナッチで135キロのバーベルを持ち上げる池畑大=2000年6月、埼玉県上尾市
重量挙げ全日本選手権兼シドニー五輪代表選考会、
スナッチで135キロのバーベルを持ち上げる池畑大
=2000年6月、埼玉県上尾市
 ただ、そのクロアチアに同大会最初の金メダルをもたらしたペシャロフはそもそもブルガリアの選手で、この年にクロアチアが政治的に「入手」した代表とは後で知った。

 日本代表の池畑大(ひろし)も忘れられない。1996年のアトランタ大会前の北京遠征に同伴した際、中国協会の計らいで万里の長城を見物に出かけたときのことである。入り口に着くなり「トイレに行った方がいい」と言われた女子代表選手たちがすごすご帰ってきたのを目にした。

 当時はいわゆる「ニーハオ・トイレ」といったもので、仕切りがないものだった。そのため彼女らの「我慢する」という乙女心に少し驚いた。一方、池畑たちは浦和にある野球場の誰もいないダッグアウトで合宿していた。

 絶対に目標を上げなければいけないという日には、コーチはさっと目の前に千円札を置くという。選手は必死に持ち上げ、怒ったように千円札をひったくっていく。

 もちろん、金が欲しいわけではない。池畑たちなりの、覚悟の表れであろう。池畑が「人の大勢いるところでやりたい」と言ったので、当時の専務理事に東京駅でできないものか相談したことがあるそうだ。今なら、できるかもしれない。ぜひやってほしい。