しかし、今回は東京である。自国開催の五輪は、過去の大会に比べて、重要度がはるかに高い。時にはセオリーを破り、「五輪優先」の判断も必要になってくる。

 そこで、A代表と五輪代表を兼任監督に任せることで、指揮系統の摩擦が起きないようにした。これが兼任の大きなメリットだった。

 とはいえ、就任1年目は、このメリットがあまり生かされていない。ロシアW杯のメンバーを大幅に入れ替え、若手を抜てきした森保監督だが、東京五輪世代でA代表入りしたのは堂安と冨安健洋(ボローニャ)の2人だった。アジアカップ後に広げても、久保建と板倉滉(フローニンゲン)くらいだ。

 たかが3、4人がA代表と五輪代表を行き来するだけなら、兼任などと大げさな体制を組まなくてもいい。2人の監督の間に技術委員会が入り、「今は五輪優先の時期」「ここはA代表優先で行く」と調整すれば、それで済む話だ。

 しかし、森保監督はより大胆な戦略を展開した。堂安や冨安らの自然発生的なA代表入りだけでなく、実力的には時期尚早なU-22世代の選手も含め、やや強引にでもA代表との融合を進めた。

 それが昨年6月の南米選手権(コパ・アメリカ)、12月のE-1選手権である。上田綺世(あやせ、鹿島)や大迫敬介(広島)をはじめ、かなり多くのU-22選手をA代表に組み入れた。自然発生ではない、森保監督による人工的な融合である。

 A代表ともU-22代表ともいえない中性的なチームは、兼任監督でなければ組めない編成だった。どちらの大会も結果は出なかったが、むしろ各国のA代表を相手にこれで結果が出る方が驚く。もちろん、現地側から「大会軽視」とそしりを受ければ返す言葉はない。

 そうまでして強引に融合を進めた目的はもちろん、東京五輪に向けたU-22世代の徹底強化である。そして目的はもう一つ、W杯最終予選に向けたA代表の準備も挙げられる。

 4年前を思い返すと、リオデジャネイロ五輪で活躍したU-23世代の大島僚太(川崎)が、W杯最終予選の初陣となるアラブ首長国連邦(UAE)戦で、ヴァイッド・ハリルホジッチ元監督によってスタメンに抜てきされた。しかし、準備期間はほとんどなし。大島は持ち味を発揮できず、試合もUAEに1-2で敗れ、苦しい最終予選の始まりとなった。

 本大会を見据えれば、五輪で国際経験を積んだU-23世代が、A代表の新陳代謝を促すのは大事なことだ。2014年W杯に臨んだザックジャパンを思い返すと、ロンドン五輪世代の山口蛍(神戸)、齋藤学(川崎)、大迫勇也(ブレーメン)、柿谷曜一朗(C大阪)らの突き上げは遅く、W杯本大会の7~8カ月前からようやく始まった。
2013年11月、サッカー日本代表の新オフィシャルユニホーム発表会見で話すザッケローニ監督と(右から)山口、大迫勇、柿谷、高橋秀ら=千葉・成田市(山田俊介撮影)
2013年11月、サッカー日本代表の新オフィシャルユニホーム発表会見で話すザッケローニ監督と(右から)山口、大迫勇、柿谷、高橋秀ら=千葉・成田市(山田俊介撮影)
 その点、ハリルジャパン時代は、結果的には本大会に選ばれなかったが、井手口陽介(G大阪)や浅野拓磨(パルチザン)、久保裕也(シンシナティ)らが、最終予選の途中から抜てきされ、融合が進められた。しかし、最初に大島の融合に失敗したこともあり、当時は最終予選の敗退が現実味を帯びたのも確かである。