武田薫(スポーツライター)
5月12日に行われた仙台国際ハーフマラソンで川内優輝に会った。1週間後に挙式を控え、独身最後の大会なのだと笑っていたが、いつになく引き締まった表情は、慶事とは思えないものだった。
「公務員ランナー」あるいは「史上最強の市民ランナー」として名をはせた川内は、3月末に10年間勤めた埼玉県庁を退職してプロ活動に入った。現在の目標は東京オリンピック(五輪)ではない。10月5日にカタールのドーハで開かれる世界陸上選手権を目標としている。
東京五輪の代表資格は満たしているが、陸連からの内定通知はまだない。陸連としては、人気者に五輪の代表選考会「MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)」に出てほしい。しかし、そのMGCは世界選手権の3週間前にあり、陸連は重複出場を認めていない。それならば、と川内はMGC、すなわち東京五輪より世界陸上を選んだ。このレースがプロ転向した川内の最初の勝負になる。
過去10年でほぼ100回のフルマラソンを走り、自己ベストは6年前の2時間8分14秒。これは現役選手では10番目の記録で、トラックでのタイムも劣るために、川内はスピードのない選手と評価されてきた。
これまでは県職員としての勤務があって、単独ではできない追い込み練習は週末のレースで代替させたが、さすがに夏の走り込みまではできなかった。
今年は6月から北海道の釧路を拠点に、じっくりスピード強化に取り組む計画で、記録は必ず伸びると確信している。新たなマラソン人生に期待し、その動機付けとして据えたのが世界選手権なのだ。プロとは単に金の話ではない。自立であり、経済的自立が競技生活の自立に結び付く。
水泳の北島康介、体操の内村航平、もっと前には女子マラソンの有森裕子もプロ宣言をした。ただ、彼らの場合は競技プロとしてではなく、肖像権やイメージを確保するいわば権利プロであり、国内限定のプロだ。私は彼らをダミープロと呼ぶ。平たく言えば、競技力を前提に稼ぐのではなく、「後払い」である。
国内ではバスケットボール、バレーボール、卓球などが相次いでプロリーグを結成しているが、競技でまっとうな金額を手にできるのは野球、テニス、相撲のほかは辛うじてサッカーくらいである。
今年1月の全豪オープンで優勝した大坂なおみの賞金は3億円で、水泳やバドミントンの賞金大会とはケタが二つも違う。さらに問題なのは、日本独自の実業団の存在だろう。

国際陸連は1991年の東京会議で、日本選手が胸につける企業ロゴを広告と認定した。実業団は実質プロだが、80年代に活躍した中山竹通が「オレはプロだ」と言って厳重注意を受けたように、建前だけ残ったままなのだ。ある程度の記録を持つマラソン選手には出場料も出ており(裏で)、こうしたガラパゴス的な矛盾を挙げればきりがない。だからこそ、川内優輝のプロ宣言の必然性に注目したい。
プロ宣言は、2018年4月のボストンマラソンで優勝し、帰国した空港だった。マラソンで食っていけると確信したのだろう。その判断は正しい。