飯田豊(立命館大産業社会学部准教授)
女子プロゴルフの放映権問題に関して、放映権の一括管理を目指す日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の小林浩美会長の姿勢に対して、民放テレビ局が猛反発している。昨年12月には日本テレビが系列局主催の3大会中止を発表する事態に発展した。結局1月に撤回されたが、ツアー開幕直前の2月末にも、民放各局の社長が相次いで放映権問題に言及し、来季の放送断念を示唆するなど、一層混迷が深まっている。
筆者は対立している双方の内部事情を知る立場ではない。だが、LPGAにとっては、これが長年の懸案であったことは間違いないようだ。例えば、『週刊東洋経済』2010年5月15日号では、当時の樋口久子会長がこの問題に触れている。
LPGAは現在、公式競技を除くと、テレビ局から放映権料をもらっていない。米国の男子プロツアーは高額の放映権収入で潤っているが、日本の場合は「トーナメントを行うから放映してください」という「お願いベース」で始まったからだ。そこが米国との大きな違い。日本にはテレビ局が主催するトーナメントも多く、放映権を巡る対応は今後の検討課題と考えている。
放映権の所在がずっと不明確で、曖昧な状況のまま半世紀以上も放送されてきたという経緯は、欧米とは異なる日本特有の、マスメディアとスポーツとの密接な結びつき方と無関係ではない。iRONNAには年初に、箱根駅伝について寄稿させていただいたが、このとき焦点を当てたのも、マスメディア企業体が主催し、自ら積極的に報道する「メディア・イベント」としての特性だった。
女子プロゴルフの放映権問題は、日本独特のメディア・イベントの伝統と、インターネットの普及に伴うグローバルスポーツのビジネス再編との間で、齟齬(そご)が大きくなっている表れといえるだろう。
繰り返しになるが、これは決して新しい問題ではない。『週刊東洋経済』の記事をもう一つ紹介すると、約10年前の2009年10月13日号には、実業家の成毛眞氏が「テレビのゴルフ中継にモノ申す」というコラムを寄稿しており、プロゴルフの放映権問題に触れている。
「僕が怒っているのは、プロゴルファーに放映権料が入らないことではない。タダなのに放送時間が短いことなのだ」と述べ、成毛氏は録画放送の物足りなさを指摘している。「テレビはもはやライブメディアとしての役割も商売も放棄したよう」で、「既存メディアがその役割を放棄して自滅するのは一向に構わないが、ネットの前に立ちふさがるのだけはやめたほうがよい」。正論である。

もっとも、10年前と状況が決定的に異なっているのは、放送局にとってもインターネットはもはや「未開の荒野」ではなく、対立的というよりも補完的な関係が形成されているということだ。例えば近年、テレビを主戦場とする芸能人や制作者が、地上波では社会的に容認されなくなった過激な企画や演出をネット動画で実践するという展開が散見される。
放映権問題をめぐっては、「テレビ=録画放送、ネット=生配信」という二項対立が議論の前提となっている。だが、メディアの形式が変わるということは、単に同時性の有無だけでなく、女子プロゴルフの魅力の表れ方にも少なからず影響を与えることになるだろう。